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万葉集読解・・・265(4111~4118番歌)
橘の歌一首と短歌
4111番長歌
かけまくも あやに畏し 天皇の 神の大御代に 田道間守 常世に渡り 八桙持ち 参ゐ出来し時 時じくの かくの木の実を 畏くも 残したまへれ 国も狭に 生ひ立ち栄え 春されば 孫枝萌いつつ 霍公鳥 鳴く五月には 初花を 枝に手折りて 娘子らに つとにも遣りみ 白栲の 袖にも扱入れ かぐはしみ 置きて枯らしみ あゆる実は 玉に貫きつつ 手に巻きて 見れども飽かず 秋づけば しぐれの雨降り あしひきの 山の木末は 紅に にほひ散れども 橘の なれるその実は ひた照りに いや見が欲しく み雪降る 冬に至れば 霜置けども その葉も枯れず 常磐なす いやさかはえに しかれこそ 神の御代より よろしなへ この橘を 時じくの かくの木の実と 名付けけらしも
(可氣麻久母 安夜尓加之古思 皇神祖乃 可見能大御世尓 田道間守 常世尓和多利 夜保許毛知 麻為泥許之登吉 時及能 香久乃菓子乎 可之古久母 能許之多麻敝礼 國毛勢尓 於非多知左加延 波流左礼婆 孫枝毛伊都追 保登等藝須 奈久五月尓波 波都波奈乎 延太尓多乎理弖 乎登女良尓 都刀尓母夜里美 之路多倍能 蘇泥尓毛古伎礼 香具<播>之美 於枳弖可良之美 安由流實波 多麻尓奴伎都追 手尓麻吉弖 見礼騰毛安加受 秋豆氣婆 之具礼<乃>雨零 阿之比奇能 夜麻能許奴礼波 久<礼奈為>尓 仁保比知礼止毛 多知波奈<乃> 成流其實者 比太照尓 伊夜見我保之久 美由伎布流 冬尓伊多礼婆 霜於氣騰母 其葉毛可礼受 常磐奈須 伊夜佐加波延尓 之可礼許曽 神乃御代欲理 与呂之奈倍 此橘乎 等伎自久能 可久能木實等 名附家良之母)
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万葉集読解・・・265(4111~4118番歌)
橘の歌一首と短歌
4111番長歌
かけまくも あやに畏し 天皇の 神の大御代に 田道間守 常世に渡り 八桙持ち 参ゐ出来し時 時じくの かくの木の実を 畏くも 残したまへれ 国も狭に 生ひ立ち栄え 春されば 孫枝萌いつつ 霍公鳥 鳴く五月には 初花を 枝に手折りて 娘子らに つとにも遣りみ 白栲の 袖にも扱入れ かぐはしみ 置きて枯らしみ あゆる実は 玉に貫きつつ 手に巻きて 見れども飽かず 秋づけば しぐれの雨降り あしひきの 山の木末は 紅に にほひ散れども 橘の なれるその実は ひた照りに いや見が欲しく み雪降る 冬に至れば 霜置けども その葉も枯れず 常磐なす いやさかはえに しかれこそ 神の御代より よろしなへ この橘を 時じくの かくの木の実と 名付けけらしも
(可氣麻久母 安夜尓加之古思 皇神祖乃 可見能大御世尓 田道間守 常世尓和多利 夜保許毛知 麻為泥許之登吉 時及能 香久乃菓子乎 可之古久母 能許之多麻敝礼 國毛勢尓 於非多知左加延 波流左礼婆 孫枝毛伊都追 保登等藝須 奈久五月尓波 波都波奈乎 延太尓多乎理弖 乎登女良尓 都刀尓母夜里美 之路多倍能 蘇泥尓毛古伎礼 香具<播>之美 於枳弖可良之美 安由流實波 多麻尓奴伎都追 手尓麻吉弖 見礼騰毛安加受 秋豆氣婆 之具礼<乃>雨零 阿之比奇能 夜麻能許奴礼波 久<礼奈為>尓 仁保比知礼止毛 多知波奈<乃> 成流其實者 比太照尓 伊夜見我保之久 美由伎布流 冬尓伊多礼婆 霜於氣騰母 其葉毛可礼受 常磐奈須 伊夜佐加波延尓 之可礼許曽 神乃御代欲理 与呂之奈倍 此橘乎 等伎自久能 可久能木實等 名附家良之母)
長歌は用語の解説を最小限にとどめる。「かけまくも」は「言葉に出すのも」という意味である。「田道間守(たぢまもり)」は『日本書紀』巻六垂仁天皇九十年春二月の条に「天皇命田道間守遣常世國、令求非時香菓」とあり、非時香菓(ときじくのかくのみ)とは橘のことなので、橘諸兄を指す。「国も狭(せ)に」は「所狭し」のせで、「国中至る所に」という意味である。「孫枝(ひこえ)萌(も)いつつ」は、孫枝すなわち枝別れした枝で「小枝が芽をふいてきた」という意味。「つとにも遣りみ」は「包みものとして贈る」すなわち「土産として贈る」ということ。「あゆる実」は「こぼれ落ちる実」。
(口語訳)
言葉に出すのも恐れ多いことだが、天皇の神の御代に田道間守が常世(理想郷)に渡って、八桙(やほこ)を持って帰朝した。その際、非時香菓(ときじくのかくのみ)の実を持ち帰って恐れ多くもお残しになった。その実すなわち橘は国中至る所に生い立って栄えた。春になると、小枝が芽を出し、ホトトギスが鳴き出す五月(初夏)には初花を咲かせる。その小枝を枝ごと手折って娘子の土産に贈る。さらに着物の袖にこじいれ、かぐわしい匂いを楽しむ。取り残して枯れ、こぼれ落ちた実は玉としてぬいて、手に巻いて見ても飽きがこない。秋にはしぐれの雨が降り、山の木々は紅に染まって散る。けれども成り下がった橘の実は、一面に照り輝いて目にまぶしいばかり。雪が降る冬になれば霜が降りるけれど、その葉は枯れず常磐のように栄えに栄えるばかり。こんなわけで、神の御代からいみじくもこの橘を、非時香菓(ときじくのかくのみ)すなわち、「時を定めず香しい実」と名付けたのでしょう。
言葉に出すのも恐れ多いことだが、天皇の神の御代に田道間守が常世(理想郷)に渡って、八桙(やほこ)を持って帰朝した。その際、非時香菓(ときじくのかくのみ)の実を持ち帰って恐れ多くもお残しになった。その実すなわち橘は国中至る所に生い立って栄えた。春になると、小枝が芽を出し、ホトトギスが鳴き出す五月(初夏)には初花を咲かせる。その小枝を枝ごと手折って娘子の土産に贈る。さらに着物の袖にこじいれ、かぐわしい匂いを楽しむ。取り残して枯れ、こぼれ落ちた実は玉としてぬいて、手に巻いて見ても飽きがこない。秋にはしぐれの雨が降り、山の木々は紅に染まって散る。けれども成り下がった橘の実は、一面に照り輝いて目にまぶしいばかり。雪が降る冬になれば霜が降りるけれど、その葉は枯れず常磐のように栄えに栄えるばかり。こんなわけで、神の御代からいみじくもこの橘を、非時香菓(ときじくのかくのみ)すなわち、「時を定めず香しい実」と名付けたのでしょう。
反歌一首
4112 橘は花にも実にも見つれどもいや時じくになほし見が欲し
(橘波 花尓毛實尓母 美都礼騰母 移夜時自久尓 奈保之見我保之)
「見つれども」は「鑑賞しているけれど」という意味である。「時じくに」は「時を定めず」すなわち「いつとはなしに」という意味。「橘は花の咲く時も実に成るときも見ているけれど、いや、いつということもなく、なお目にしたい」という歌である。
左注に「閏五月廿三日大伴宿祢家持作」とある。天平感宝元年(749年)か?。
4112 橘は花にも実にも見つれどもいや時じくになほし見が欲し
(橘波 花尓毛實尓母 美都礼騰母 移夜時自久尓 奈保之見我保之)
「見つれども」は「鑑賞しているけれど」という意味である。「時じくに」は「時を定めず」すなわち「いつとはなしに」という意味。「橘は花の咲く時も実に成るときも見ているけれど、いや、いつということもなく、なお目にしたい」という歌である。
左注に「閏五月廿三日大伴宿祢家持作」とある。天平感宝元年(749年)か?。
頭注に「庭の中の花を詠んで作った歌と短歌」とある。
4113番長歌
大君の 遠の朝廷と 任きたまふ 官のまにま み雪降る 越に下り来 あらたまの 年の五年 敷栲の 手枕まかず 紐解かず 丸寝をすれば いぶせみと 心なぐさに なでしこを 宿に蒔き生ほし 夏の野の さ百合引き植ゑて 咲く花を 出で見るごとに なでしこが その花妻に さ百合花 後も逢はむと 慰むる 心しなくは 天離る 鄙に一日も あるべくもあれや
(於保支見能 等保能美可等々 末支太末不 官乃末尓末 美由支布流 古之尓久多利来 安良多末能 等之乃五年 之吉多倍乃 手枕末可受 比毛等可須 末呂宿乎須礼波 移夫勢美等 情奈具左尓 奈泥之故乎 屋戸尓末<枳>於保之 夏能能々 佐由利比伎宇恵天 開花乎 移弖見流其等尓 那泥之古我 曽乃波奈豆末尓 左由理花 由利母安波無等 奈具佐無流 許己呂之奈久波 安末射可流 比奈尓一日毛 安流部久母安礼也)
4113番長歌
大君の 遠の朝廷と 任きたまふ 官のまにま み雪降る 越に下り来 あらたまの 年の五年 敷栲の 手枕まかず 紐解かず 丸寝をすれば いぶせみと 心なぐさに なでしこを 宿に蒔き生ほし 夏の野の さ百合引き植ゑて 咲く花を 出で見るごとに なでしこが その花妻に さ百合花 後も逢はむと 慰むる 心しなくは 天離る 鄙に一日も あるべくもあれや
(於保支見能 等保能美可等々 末支太末不 官乃末尓末 美由支布流 古之尓久多利来 安良多末能 等之乃五年 之吉多倍乃 手枕末可受 比毛等可須 末呂宿乎須礼波 移夫勢美等 情奈具左尓 奈泥之故乎 屋戸尓末<枳>於保之 夏能能々 佐由利比伎宇恵天 開花乎 移弖見流其等尓 那泥之古我 曽乃波奈豆末尓 左由理花 由利母安波無等 奈具佐無流 許己呂之奈久波 安末射可流 比奈尓一日毛 安流部久母安礼也)
「官(つかさ)のまにま」は「官職のままに」。「さ百合引き植ゑて」は「野外の百合を庭に引いてきて植えて」という意味。「後(ゆり)も逢はむと」は、百合にかけての表現。
(口語訳)
大君の遠(とお)の朝廷(みかど)へと任命され、官職の役目のままに、雪深い越の国に下ってきた。以来五年もの間、手枕もせず、着物の紐も解かず、ごろ寝する日々は気が滅入る。その心の慰めに、ナデシコをわが庭に蒔いて育てる。夏には野外から百合を引いてきて植え、花が咲くのを庭に出て見る。ナデシコがその花妻にする百合を眺める。そのゆりのように後(ゆり)には逢おうと慰めることでもなければ、遠い遠い田舎の地に一日たりと暮らしていけようか。
大君の遠(とお)の朝廷(みかど)へと任命され、官職の役目のままに、雪深い越の国に下ってきた。以来五年もの間、手枕もせず、着物の紐も解かず、ごろ寝する日々は気が滅入る。その心の慰めに、ナデシコをわが庭に蒔いて育てる。夏には野外から百合を引いてきて植え、花が咲くのを庭に出て見る。ナデシコがその花妻にする百合を眺める。そのゆりのように後(ゆり)には逢おうと慰めることでもなければ、遠い遠い田舎の地に一日たりと暮らしていけようか。
反歌二首
4114 なでしこが花見るごとに娘子らが笑まひのにほひ思ほゆるかも
(奈泥之故我 花見流其等尓 乎登女良我 恵末比能尓保比 於母保由流可母)
「娘子(をとめ)らが」のらは親愛のら。「笑まひのにほひ」は「輝くように美しいほほえみ」。「ナデシコの花を見るたびに都の彼女(坂上大嬢)の輝くように美しいほほえみが思い浮かぶ」という歌である。
4114 なでしこが花見るごとに娘子らが笑まひのにほひ思ほゆるかも
(奈泥之故我 花見流其等尓 乎登女良我 恵末比能尓保比 於母保由流可母)
「娘子(をとめ)らが」のらは親愛のら。「笑まひのにほひ」は「輝くように美しいほほえみ」。「ナデシコの花を見るたびに都の彼女(坂上大嬢)の輝くように美しいほほえみが思い浮かぶ」という歌である。
4115 さ百合花ゆりも逢はむと下延ふる心しなくは今日も経めやも
(佐由利花 由利母相等 之多波布流 許己呂之奈久波 今日母倍米夜母)
「後(ゆり)も逢はむと」は、前々歌に記したように百合にかけての表現。「下延ふる」は「ずっとひそかに思い続ける」という意味。「心し」は強意のし。「百合の花にかこつけてゆり(後)に逢おうとずっとひそかに思い続ける、その心がなければ今日の一日たりと過ごせようか」という歌である。
左注に「同じく、閏五月廿六日大伴宿祢家持作」とある。
(佐由利花 由利母相等 之多波布流 許己呂之奈久波 今日母倍米夜母)
「後(ゆり)も逢はむと」は、前々歌に記したように百合にかけての表現。「下延ふる」は「ずっとひそかに思い続ける」という意味。「心し」は強意のし。「百合の花にかこつけてゆり(後)に逢おうとずっとひそかに思い続ける、その心がなければ今日の一日たりと過ごせようか」という歌である。
左注に「同じく、閏五月廿六日大伴宿祢家持作」とある。
頭注に大略こうある。「掾久米朝臣廣縄以天平廿年都に使いに行き、役目を果たして感寳元年閏五月廿七日に国司に戻る。そこで長官の家持が酒宴を設ける。その時作った長歌と短歌」。4050番歌に記したように、廣縄は掾大伴宿祢池主(いけぬし)の後任に相違ない。
4116番長歌
大君の 任きのまにまに 取り持ちて 仕ふる国の 年の内の 事かたね持ち 玉桙の 道に出で立ち 岩根踏み 山越え野行き 都辺に 参ゐし我が背を あらたまの 年行き返り 月重ね 見ぬ日さまねみ 恋ふるそら 安くしあらねば 霍公鳥 来鳴く五月の あやめぐさ 蓬かづらき 酒みづき 遊びなぐれど 射水川 雪消溢りて 行く水の いや増しにのみ 鶴が鳴く 奈呉江の菅の ねもころに 思ひ結ぼれ 嘆きつつ 我が待つ君が 事終り 帰り罷りて 夏の野の さ百合の花の 花笑みに にふぶに笑みて 逢はしたる 今日を始めて 鏡なす かくし常見む 面変りせず
(於保支見能 末支能末尓々々 等里毛知? 都可布流久尓能 年内能 許登可多祢母知 多末保許能 美知尓伊天多知 伊波祢布美 也末古衣野由支 弥夜故敝尓 末為之和我世乎 安良多末乃 等之由吉我弊理 月可佐祢 美奴日佐末祢美 故敷流曽良 夜須久之安良祢波 保止々支須 支奈久五月能 安夜女具佐 余母疑可豆良伎 左加美都伎 安蘇比奈具礼止 射水河 雪消溢而 逝水能 伊夜末思尓乃未 多豆我奈久 奈呉江能須氣能 根毛己呂尓 於母比牟須保礼 奈介伎都々 安我末<川>君我 許登乎波里 可敝利末可利天 夏野能 佐由里能波奈能 花咲尓 々布夫尓恵美天 阿波之多流 今日乎波自米? 鏡奈須 可久之都祢見牟 於毛我波利世須)
4116番長歌
大君の 任きのまにまに 取り持ちて 仕ふる国の 年の内の 事かたね持ち 玉桙の 道に出で立ち 岩根踏み 山越え野行き 都辺に 参ゐし我が背を あらたまの 年行き返り 月重ね 見ぬ日さまねみ 恋ふるそら 安くしあらねば 霍公鳥 来鳴く五月の あやめぐさ 蓬かづらき 酒みづき 遊びなぐれど 射水川 雪消溢りて 行く水の いや増しにのみ 鶴が鳴く 奈呉江の菅の ねもころに 思ひ結ぼれ 嘆きつつ 我が待つ君が 事終り 帰り罷りて 夏の野の さ百合の花の 花笑みに にふぶに笑みて 逢はしたる 今日を始めて 鏡なす かくし常見む 面変りせず
(於保支見能 末支能末尓々々 等里毛知? 都可布流久尓能 年内能 許登可多祢母知 多末保許能 美知尓伊天多知 伊波祢布美 也末古衣野由支 弥夜故敝尓 末為之和我世乎 安良多末乃 等之由吉我弊理 月可佐祢 美奴日佐末祢美 故敷流曽良 夜須久之安良祢波 保止々支須 支奈久五月能 安夜女具佐 余母疑可豆良伎 左加美都伎 安蘇比奈具礼止 射水河 雪消溢而 逝水能 伊夜末思尓乃未 多豆我奈久 奈呉江能須氣能 根毛己呂尓 於母比牟須保礼 奈介伎都々 安我末<川>君我 許登乎波里 可敝利末可利天 夏野能 佐由里能波奈能 花咲尓 々布夫尓恵美天 阿波之多流 今日乎波自米? 鏡奈須 可久之都祢見牟 於毛我波利世須)
「任(ま)きのまにまに」は「任命のままに」。4113番歌の「官のまにま」参照。「取り持ちて」は「政務を背負って」、「事かたね持ち」は「事柄をすべてとりまとめ」という意味。「玉桙(たまほこ)の」や「あらたまの」は枕詞。「見ぬ日さまねみ」は「見ない日々が重なり」ある。射水川(いみづかは)は富山県高岡市と射水市の間を流れる小矢部川のこと。「奈呉江」は富山県射水市(旧新湊市)の海。「にふぶに笑みて」は3817番歌に例がある。「にっこり笑って」という意味である。
(口語訳)
「大君の任命のままに政務を背負って仕える国(越の国)の年内の事柄をすべてとりまとめ、(報告)に旅だった貴君。岩場を踏み越え、山を越え、野を横切って都に詣でた貴君。年があらたまって付きを重ね、貴君の顔を見ない日々が重なり、恋しさに落ち着かなかった。ホトトギスが来て鳴く五月となり、あやめ草やヨモギをかづらにして頭を飾り、(寂しさに)酒盛りなどして心を慰めようとした。けれども、射水川に雪解け水があふれ、流れゆく水かさは増すばかり。鶴が鳴く奈呉江の菅草(すげくさ)のようにしっかり思いが結ばれた貴君がいないのを嘆いて待っていた。その貴君が役目を終えて帰ってきた。夏の野に咲く百合の花のようににっこり笑ってこうして逢って下さった。その今日の日を手始めに、鏡のように手近によくよくお逢いしましょう。そのにこやかなお顔のまま」
「大君の任命のままに政務を背負って仕える国(越の国)の年内の事柄をすべてとりまとめ、(報告)に旅だった貴君。岩場を踏み越え、山を越え、野を横切って都に詣でた貴君。年があらたまって付きを重ね、貴君の顔を見ない日々が重なり、恋しさに落ち着かなかった。ホトトギスが来て鳴く五月となり、あやめ草やヨモギをかづらにして頭を飾り、(寂しさに)酒盛りなどして心を慰めようとした。けれども、射水川に雪解け水があふれ、流れゆく水かさは増すばかり。鶴が鳴く奈呉江の菅草(すげくさ)のようにしっかり思いが結ばれた貴君がいないのを嘆いて待っていた。その貴君が役目を終えて帰ってきた。夏の野に咲く百合の花のようににっこり笑ってこうして逢って下さった。その今日の日を手始めに、鏡のように手近によくよくお逢いしましょう。そのにこやかなお顔のまま」
反歌二首
4117 去年の秋相見しまにま今日見れば面やめづらし都方人
(許序能秋 安比見之末尓末 今日見波 於毛夜目都良之 美夜古可多比等)
「相見しまにま」は「お逢いして以来」という意味。「都方人(みやこかたびと)」は「都のお方」。「去年の秋にお逢いして以来ですね。今日お逢いしたらお顔がすっかり様変わりされ、ほんにまあ都のお方みたいですね」という歌である。
4117 去年の秋相見しまにま今日見れば面やめづらし都方人
(許序能秋 安比見之末尓末 今日見波 於毛夜目都良之 美夜古可多比等)
「相見しまにま」は「お逢いして以来」という意味。「都方人(みやこかたびと)」は「都のお方」。「去年の秋にお逢いして以来ですね。今日お逢いしたらお顔がすっかり様変わりされ、ほんにまあ都のお方みたいですね」という歌である。
4118 かくしても相見るものを少なくも年月経れば恋ひしけれやも
(可久之天母 安比見流毛<乃>乎 須久奈久母 年月經礼波 古非之家礼夜母)
読解不要の平明歌。「こうして再会できると分かっているのに、年月逢わずにいるだけでも恋しくてなりませんでした」という歌である。
(2016年11月29日記)
(可久之天母 安比見流毛<乃>乎 須久奈久母 年月經礼波 古非之家礼夜母)
読解不要の平明歌。「こうして再会できると分かっているのに、年月逢わずにいるだけでも恋しくてなりませんでした」という歌である。
(2016年11月29日記)
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