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万葉集読解・・・284(4350~4359番歌)

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     万葉集読解・・・284(4350~4359番歌)
4350  庭中の阿須波の神に小柴さし我れは斎はむ帰り来までに
      (尓波奈加能 阿須波乃可美尓 古志波佐之 阿例波伊波々牟 加倍理久麻泥尓)
 「阿須波(あすは)の神」は『古事記』に登場する神で、須佐之男命(すさのおうのみこと)の子の大年の子、つまり孫神と記される神。「小柴さし」とあるが、阿須波の神になぜ小柴(雑木)を捧げるのか不明。年月をかけて旅立つ際に祈る神のことか。
 「庭の中に祀っている阿須波(あすは)の神に小柴を捧げ、無事に帰ってこられるようお祈りします」という歌である。
 左注に「右は帳丁、若麻續部諸人(わかをみべのもろひと)の歌とある。帳丁は國造(くにのみやつこ)配下の書記官。國造は土地の豪族で、ほぼ郡を治めていた。朝廷から任命された地方官。

4351  旅衣八重着重ねて寝のれどもなほ肌寒し妹にしあらねば
      (多<妣>己呂母 夜倍伎可佐祢弖 伊努礼等母 奈保波太佐牟志 伊母尓<志>阿良祢婆)
 「寝(い)のれども」(原文「伊努礼等母」)は「寝(い)ぬれども」の訛り。
 「旅の着物を幾枚も重ねて寝るのだけれど、やはり肌寒い。妻ではないので」という歌である。
 左注に「右は望陀郡の上丁、玉作部國忍(たまつくりべのくにおし)の歌」とある。望陀郡(まぐたのこほり)は千葉県木更津市から袖ヶ浦市にかけてあった郡。上丁は國造の上級使用人。

4352  道の辺の茨のうれに延ほ豆のからまる君をはかれか行かむ
      (美知乃倍乃 宇万良能宇礼尓 波保麻米乃 可良麻流伎美乎 波可礼加由加牟)
 「茨(うまら)のうれに」は「いばらの先に」という意味。「君を」は目上の子供を指すが、國造(くにのみやつこ)の息子か。「はかれか行かむ」(原文「波可礼加由加牟」)は「別れか行かむ」の訛り。
 「道の辺の茨の先に伸びて絡まる豆蔓のようにからみつく坊ちゃんと別れていかなきゃならぬのか」という歌である。
 左注に「右は天羽郡の上丁、丈部鳥(はせつかべのとり)の歌」とある。天羽郡(あまはのこほり)は千葉県富津市の南部一帯にあった郡。上丁は前歌に同じ。

4353  家風は日に日に吹けど我妹子が家言持ちて来る人もなし
      (伊倍加是波 比尓々々布氣等 和伎母古賀 伊倍其登母遅弖 久流比等母奈之)
 「家風」は「家の方向から吹いてくる風」のことで、「国元からの噂」の意味も指している。
 「家の方向から吹いてくる風や噂は日々吹いてくるが、わが妻からの家の便りを持ってやって来る人もいない」という歌である。
 左注に「右は朝夷郡の上丁、丸子連大歳(まろこのむらじおおとし)の歌」とある。朝夷郡(あさひなのこほり)は千葉県南房総にあった郡。上丁は前歌に同じ。

4354  たちこもの立ちの騒きに相見てし妹が心は忘れせぬかも
      (多知許毛乃 多知乃佐和伎尓 阿比美弖之 伊母加己々呂波 和須礼世奴可母)
 「たちこもの」は本例一例しかなく、枕詞と決めつけがたい。枕詞(?)。次句を起こす序句としてよかろう。「立ちの騒きに」は「出立のあわただしさ」ということ。
 「出立のあわただしさの中を逢いに来てくれたあの子の心根は忘れようにも忘れられない」という歌である。
 左注に「右は長狭郡の上丁、丈部与呂麻呂(はせべのよろまろ)の歌」とある。長狭郡(ながさのこほり)は 千葉県長南房総にあった郡。上丁は前歌に同じ。

4355  よそにのみ見てや渡らも難波潟雲居に見ゆる島ならなくに
      (余曽尓能美 々弖夜和多良毛 奈尓波我多 久毛為尓美由流 志麻奈良奈久尓)
 「「渡らも」(原文「和多良毛」)は「渡らむ」の訛り。「よそにのみ」は「よそごとと」という意味。
 「よそごとと思っていた難波潟、雲の向こうの島でもないのに、その難波潟を越えてさらに遠くの筑紫に、この自分が向かうことになるとは」という歌である。
 左注に「右は武射郡の上丁、丈部山代(はせべのやましろ)の歌」とある。武射郡(むぎのこほり)は 千葉県上総にあった郡。上丁は前歌に同じ。

4356  我が母の袖もち撫でて我がからに泣きし心を忘らえのかも
      (和我波々能 蘇弖母知奈弖氐 和我可良尓 奈伎之許己呂乎 和須良延努可毛)
 「我がからに」は「おいらのために」という意味。
 「おいらの母さんは袖をもって頭を撫でながらおいらのために泣いてくれた。母さんのその心は忘れようにも忘れられない」という歌である。
 左注に「右は山邊郡の上丁、物部乎刀良(もののべのをとら)の歌」とある。山邊郡(やまのべのこほり)は 千葉県上総にあった郡。上丁は前歌に同じ。

4357  葦垣の隈処に立ちて我妹子が袖もしほほに泣きしぞ思はゆ
      (阿之可伎能 久麻刀尓多知弖 和藝毛古我 蘇弖<母>志保々尓 奈伎志曽母波由)
 「葦垣の隈処(くまと)」は「葦垣の隈っこ」ということだろう。「袖もしほほに」だが、本歌一例しかない。が、状況からして「袖をぐしょぬれにして」という意味。
 「葦垣の隈っこ立って愛しい彼女が袖をぐしょぬれにして泣いた。その姿が思い出されてならない」という歌である。
 左注に「右は市原郡の上丁、刑部直千國(おさかべのあたひちくに)の歌」とある。市原郡(いちはらのこほり)は 千葉県市原市一帯にあった郡。上丁は前歌に同じ。

4358  大君の命畏み出で来れば我の取り付きて言ひし子なはも
      (於保伎美乃 美許等加志古美 伊弖久礼婆 和努等里都伎弖 伊比之古奈波毛)
 「我の取り付きて」(原文「和努等里都伎弖」)は「我に取り付きて」の訛り。「子なはも」(原文「古奈波毛」)は「子らはも」の訛りで、親愛のら。彼女のこと。
 「大君の命令を畏んで出発してきたが、その際私に取り付いて悲しみを述べた彼女だった」という歌である。
 左注に「右は周淮郡の上丁、物部龍(もののべのたつ)の歌」とある。周淮郡(すゑ)のこほり)は 千葉県君津市一帯にあった郡。上丁は前歌に同じ。

4359  筑紫辺に舳向かる船のいつしかも仕へまつりて国に舳向かも
      (都久之閇尓 敝牟加流布祢乃 伊都之加毛 都加敝麻都里弖 久尓々閇牟可毛)
 「舳(へ)向かる」(原文「敝牟加流」)は「舳向ける」の訛り。「舳向かも」(原文「閇牟可毛」)は「舳向かふ」の訛り。
 「筑紫方面に舳先を向けて進む船も、いつかは任務を終えて国(故郷)に舳先を向けて進むだろう」という歌である。
 左注に「右は長柄郡の上丁、若麻續部羊(わかをみべのひつじ)の歌」とある。長柄郡(ながらのこほり)は 千葉県上総にあった郡。茂原市や長生郡。上丁は前歌に同じ。
 4347番歌以下の十三首の総注として「二月九日、上総國の防人部領使、少目従七位下茨田連沙弥麻呂(まむたのむらじさみまろ)がとりまとめ、九日に奉った歌の數十九首、但し拙劣歌は登載せず」とある。防人部領使(さきもりのことりづかひ)は防人を京に引率する役目。二月九日は天平勝宝7年(755年)。目は国司(国の役所)に置かれた四部官。守(かみ)、介(すけ)、掾(じょう)、目(さかん)の一つ。4番目の官。少目は目の配下。沙弥麻呂が奉った相手は大伴家持。
           (2017年3月3日記)
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