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万葉集読解・・・285(4360~4370番歌)

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     万葉集読解・・・285(4360~4370番歌)
 頭注に「私(ひそ)かに拙懐を陳べる一首、並びに短歌」とある。
4360番長歌
   皇祖の 遠き御代にも 押し照る 難波の国に 天の下 知らしめしきと 今の緒に 絶えず言ひつつ かけまくも あやに畏し 神ながら 我ご大君の うち靡く 春の初めは 八千種に 花咲きにほひ 山見れば 見の羨しく 川見れば 見のさやけく ものごとに 栄ゆる時と 見したまひ 明らめたまひ 敷きませる 難波の宮は 聞こし食す 四方の国より 奉る 御調の船は 堀江より 水脈引きしつつ 朝なぎに 楫引き上り 夕潮に 棹さし下り あぢ群の 騒き競ひて 浜に出でて 海原見れば 白波の 八重をるが上に 海人小船 はららに浮きて 大御食に 仕へまつると をちこちに 漁り釣りけり そきだくも おぎろなきかも こきばくも ゆたけきかも ここ見れば うべし神代ゆ 始めけらしも
      (天皇乃 等保伎美与尓毛 於之弖流 難波乃久尓々 阿米能之多 之良志賣之伎等 伊麻能乎尓 多要受伊比都々 可氣麻久毛 安夜尓可之古志 可武奈我良 和其大王乃 宇知奈妣久 春初波 夜知久佐尓 波奈佐伎尓保比 夜麻美礼婆 見能等母之久 可波美礼婆 見乃佐夜氣久 母能其等尓 佐可由流等伎登 賣之多麻比 安伎良米多麻比 之伎麻世流 難波宮者 伎己之乎須 四方乃久尓欲里 多弖麻都流 美都奇能船者 保理江欲里 美乎妣伎之都々 安佐奈藝尓 可治比伎能保理 由布之保尓 佐乎佐之久太理 安治牟良能 佐和伎々保比弖 波麻尓伊泥弖 海原見礼婆 之良奈美乃 夜敝乎流我宇倍尓 安麻乎夫祢 波良々尓宇伎弖 於保美氣尓 都加倍麻都流等 乎知許知尓 伊射里都利家理 曽伎太久毛 於藝呂奈伎可毛 己伎婆久母 由多氣伎可母 許己見礼婆 宇倍之神代由 波自米家良思母)

  長歌は用語の解説を最小限にとどめる。「今の緒に」は「ずっと今日に続くまで」という気持ちの表れた用語。「絶えず言ひつつ」は「ずっと言い伝えて」という意味。「かけまくも」は枕詞。「見の羨しく」と「見のさやけく」の「見の」は「見るのが」が縮まった言い方か。「あぢ群の」は「トモエガモの群れの」のこと。トモエガモは小型の美しい鴨。「はららに浮きて」は「ぽつりぽつりと浮いて」という意味。本歌一例しか用例がない。「そきだくも」も「こきばくも」も「こきだくも」と同意で232番歌と234番歌に用例がある。「甚だしく」という意味。

 (口語訳)
 皇祖の遠い時代にも、照り輝く難波の国にあっても、天下をお治めになってきたと今日に至るまで、ずっと言い伝えてきた。本当に恐れ多い神さながらの大君。草木がなびく春がやってくると、色とりどりの花々が咲き誇り、山は山で見るのに心惹かれ、川は川で見るからにすがすがしい。そういう風物が栄える頃になると、ご覧になり、御心をお晴らしになる。都としていらっしゃる難波の宮には、お治めになっていらっしゃる四方の国々からの貢ぎ物を運ぶ船が難波の堀江に水跡を引きながらやってくる。朝なぎどきには梶を操ってやってくる。夕潮どきには棹を海底にさして操つりつつ下ってくる。あたかもあじ鴨の群れのように騒ぎ競って・・・。浜に出て海原を見ると、白波が重なり合う海上に海人小舟がぽつりぽつりと浮いている。大君の御膳に供しようと、あちこちで釣りを行っている。何と甚大で広大なことか。なんと豊かな光景か。こんな光景を目にすると、なるほど神代の昔から今日までお治めになってこられたのももっともなことだ。

4361  桜花今盛りなり難波の海押し照る宮に聞こしめすなへ
      (櫻花 伊麻佐可里奈里 難波乃海 於之弖流宮尓 伎許之賣須奈倍)
 「聞こしめすなへ」の「なへ」は「と共に」という意味。「お治めになるにつれて」という意味になる。
 「桜花は今真っ盛り。難波の海に照り輝く宮はお治めになるにつれて輝く」という歌である。

4362  海原のゆたけき見つつ葦が散る難波に年は経ぬべく思ほゆ
      (海原乃 由多氣伎見都々 安之我知流 奈尓波尓等之波 倍<奴>倍久於毛保由)
 「葦(あし)が散る」は「葦の花が散る」ことを言っている。葦はイネ科の多年草だが、あまりその花のことは話題にならない。が、紫色の小花を付ける。「年は経ぬべく思ほゆ」は「年を重ねられてもいいように思う」という意味である。
 「海原の豊かにしてゆったりした風土、葦の小花が散る難波の宮なら年を重ねられてもいいように思う」という歌である。
 左注に「右の歌と短歌は二月十三日、兵部少輔大伴宿祢家持の歌」とある。二月十三日は天平勝宝7年(755年)。「兵部少輔」は兵部省次官。

4363  難波津に御船下ろ据ゑ八十梶貫き今は漕ぎぬと妹に告げこそ
      (奈尓波都尓 美布祢於呂須恵 夜蘇加奴伎 伊麻波許伎奴等 伊母尓都氣許曽)
 「御船下ろ据ゑ」は、防人(さきもり)を筑紫に送る官船を「陸から海に下ろし据えて」という意味である。「妹に告げこそ」は「(故郷)の彼女に告げておくれ」という意味。
 「難波の港に御船を海に下ろし据えていっぱい梶を並べて、さあこれから(筑紫に向けて)漕ぎ出そうとしていると、故郷の彼女に伝えておくれ」という歌である。

4364  さきむりに立たむ騒きに家の妹がなるべきことを言はず来ぬかも
      (佐伎牟理尓 多々牟佐和伎尓 伊敝能伊牟何 奈流弊伎己等乎 伊波須伎奴可母)
 「さきむりに」(原文「佐伎牟理尓」)は「さきもりに」の訛り。「立たむ騒きに」は「出発していくあわただしさに」という意味。「なるべきことを」は「生計を立てる手だてを」だが、具体的には農業か、漁業か。
 「防人として出発していくあわただしさに紛れて、家の妻に生計を立てる手だてを告げずに出発してしまった」という歌である。
 左注に「右の二首は、茨城郡の若舎人部廣足(わかとねりべのひろたり)の歌」とある。茨城郡(うばらきのこほり)は茨城県笠間市とその周辺にあった郡。

4365  押し照るや難波の津ゆり船装ひ我れは漕ぎぬと妹に告ぎこそ
      (於之弖流夜 奈尓波能<都由>利 布奈与曽比 阿例波許藝奴等 伊母尓都岐許曽)
 「押し照るや」は美称的枕詞。「津ゆり」は「津より」と同意。「告ぎこそ」(原文「都岐許曽」)は「告げこそ」の訛り。
 「照り輝く難波の港から、船飾りを行い、さあこれから(筑紫に向けて)漕ぎ出そうとしていると、故郷の彼女に伝えておくれ」という歌である。

4366  常陸指し行かむ雁もが我が恋を記して付けて妹に知らせむ
      (比多知散思 由可牟加里母我 阿我古比乎 志留志弖都祁弖 伊母尓志良世牟)
 常陸(ひたち)国は茨城県の大部分。「雁もが」は「雁でもいたらなあ」という願望。
 「常陸を指して飛んでいく雁でもいたらなあ。わが恋を記して雁の足に付け、故郷の彼女に伝言してもらうのだがなあ」という歌である。
 左注に「右の二首は、信太郡の物部道足(もののべのみちたり)の歌」とある。信太郡(しだのこほり)は茨城県稲敷市から土浦市一帯にあった郡。

4367  我が面の忘れもしだは筑波嶺を振り放け見つつ妹は偲はね
      (阿我母弖能 和須例母之太波 都久波尼乎 布利佐氣美都々 伊母波之奴波尼)
 「我が面の忘れもしだは」は3515番歌に「我が面の忘れむしだは~」と、同様の東国表現がある。本歌の「我が面(もて)の」(原文「阿我母弖能」)は「我が面(おも)の」の訛り。「忘れもしだは」は「忘れむ季(き)だは」の訛り。筑波嶺は茨城県南西部にある筑波山。「偲(しぬ)はね」(原文「之奴波尼」)は「偲(しの)はね」の訛り。
 「おいらの顔を忘れそうになった時は筑波山を振り仰いで彼女よ。おいらを偲んでくれよな」という歌である。
 左注に「右は、茨城郡の占部小龍(うらべのをたつ)の歌」とある。茨城郡(うばらきのこほり)は茨城県笠間市とその周辺にあった郡。

4368  久慈川は幸くあり待て潮船にま梶しじ貫き我は帰り来む
      (久自我波々 佐氣久阿利麻弖 志富夫祢尓 麻可知之自奴伎 和波可敝里許牟)
 久慈川は福島県と茨城県を流れる一級河川。久慈川に呼びかけた歌。「幸(さけ)く」(原文「佐氣久」)は「幸(さき)く」の訛り。
 「久慈川よ、今の流れのまま待っていておくれな。潮路を進む船に梶をいっぱいとりつけて、おいらは帰ってくるからよ」という歌である。
 左注に「右は、久慈郡の丸子部佐壮(まるこべのすけを)の歌」とある。久慈郡(くじのこほり)は現在も茨城県にある。大子町。

4369  筑波嶺のさ百合の花の夜床にも愛しけ妹ぞ昼も愛しけ
      (都久波祢乃 佐由流能波奈能 由等許尓母 可奈之家伊母曽 比留毛可奈之祁)
 筑波嶺は茨城県南西部にある筑波山。「さ百合(ゆる)」(原文「佐由流」)は「さ百合(ゆり)」の訛り。さは美称。「夜床(ゆとこ)」(原文「由等許」)は「夜床(よとこ)」の、「愛しけ」(原文「可奈之家」)は愛しき」のそれぞれ訛り。「~百合の花の」は「夜床(ゆとこ)」のゆを導く序歌。
 「筑波嶺のさ百合の花というが、夜床(ゆとこ)の彼女は愛しい。さらに、昼間の彼女も愛しい」という歌である。

4370  霰降り鹿島の神を祈りつつ皇御軍に我れは来にしを
      (阿良例布理 可志麻能可美乎 伊能利都々 須米良美久佐尓 和例波伎尓之乎)
 「霰(あられ)降り」は普通の状況表現「霰降りいたも風吹き」(2338番歌)と解して差し支えない歌もあって、枕詞(?)。鹿島神宮の祭神は武甕槌大神(たけみかつちのおおかみ)。「皇御軍(すめらみくさ)に」は「皇軍の兵士として」という意味。
 「霰降る猛々しい鹿島神宮の神に祈りを捧げながら皇軍の兵士として私はやってきたのに」という歌である。
 左注に「右の二首は、那賀郡の上丁、大舎人部千文(おおとねりべのちふみ)の歌」とある。那賀郡(なかのこほり)は現在も茨城県にある。東海村。上丁は國造(くにのみやつこ)の上級使用人。
           (2017年3月7日記)
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