Quantcast
Channel: 古代史の道
Viewing all articles
Browse latest Browse all 1223

野分け吹く

$
0
0
日々つれづれ-14トップへ
 先週の土曜日、久々に英会話クラブの例会に出た。といっても、連休で休会があったので、実質的には3週間ぶりの例会参加だった。久々に顔見知りのメンバーに出合って、ほっとした。
 実は、クラブに出かける途中で必ず寄るホテルの喫茶店がある。そこで働いている従業員と顔見知りになって、3ヶ月ほどになろうか。かりにUS嬢としておくと、US嬢とは店に通い出してから、客と店員の間柄にもかかわらず、私と彼女は長話に及んだ。3回目など、客の私の方が心配して「話し込んでいていいの」と言って打ち切ったほどである。
 その後、彼女は土曜日(英会話クラブ例会日)の休みが重なり、私は私で、例会に出てなかったこともあり、二人は顔を合わせることがなかった。ところが、一昨日、店に顔を出したら彼女がいて、やはり私たちは長話に及んだ。
 US嬢は30代後半とおぼしき女性。私から見れば娘よりもさらに若い年代。そんな私に話しかけてくるのだから、私はよほど話しやすい相手なのだろう。久方ぶりに彼女と話し込んで、明るく、屈託のない笑顔に好感を抱いた。私には娘のような相棒、それも、もう15年余も親密にしてくれているGFがいる。加えて、私はUS嬢とはあまりにも年の差が大きく、体力的にも無理がある。なので、US嬢に恋愛感情を抱くことはあり得ない。また、「自分がその相手になれるかも知れない」などと思うほど私は馬鹿ではない。が、理性では自制心が強く働いても、自分の赴く内面の感情は必ずしも保証できない。「明るく、屈託のない笑顔」がもたらす好感情まで消し去ることは出来ない。
   老いらくの恋と人言う思いをば疑似で過ぎれば野分けに似たり (桐山芳夫)
 いくつになっても内面感情は働き、かつ、自由。つまり、内面感情は大変厄介な存在。日常に冒険がないからこんな思いも出るのだろうか。野分け(台風)一過といきたい。
            (2017年5月25日)
イメージ 1


Viewing all articles
Browse latest Browse all 1223

Trending Articles