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私が万葉集読解で一区切りついたと発表したのは今年の5月11日。所期の目的であった短歌がすべて終了したからである。が、前半部(巻1~巻10)の短歌以外の長歌は残ったままになった。そこで、この部分を完了しようと目下進行中である。今年中の完成をめざして・・・。
ところが、ここに来て重要なことに気づいた。ほぼ各歌の頭に「頭注」と私が呼んでいる注記が記されているのだ。さらに歌の終わりには「左注」と呼んでいる注記が記されている。この注記には当時の風習や生活を伺う上で大変重要な情報が含まれている。
長歌を追加するに際し、これら注記が大変重要だと分かっていたが、短歌にもこの注記が入っていて、短歌も書き直しの必要に迫られている。場合によっては全面的な書き直しが必要だ。
つまり、弱音をはくわけではないが、とうてい今年中に完成というわけにはいかない事態に立ち至っている。
ひとえにこうなってしまったのは、私の非計画性や見通しの甘さにあるわけで、いわば自業自得だ。けれども、読者としてはこの重要な情報を含む注記群は、読む読まないは別にして欠かすわけにはいかないと思うに至った。読者と言えば、私自身が読者の一人だ。何とか投げ出さないで、最後までやり遂げるつもりだ。
通読して下さる読者がおられることは分かっているので、何としてでも頑張りたいと思っている。「何かものごとを始めるときは綿密な計画が不可欠」などと偉そうなことは簡単に言える。が、それは結果論であって、実際はつっかえつっかえで、滞ったり、失敗の連続だったりする。私は、第一の読者たるこの私のために、とにかく前へ進んでいこうと小さな決心を日々重ねている。
(2017年6月21日)
私が万葉集読解で一区切りついたと発表したのは今年の5月11日。所期の目的であった短歌がすべて終了したからである。が、前半部(巻1~巻10)の短歌以外の長歌は残ったままになった。そこで、この部分を完了しようと目下進行中である。今年中の完成をめざして・・・。
ところが、ここに来て重要なことに気づいた。ほぼ各歌の頭に「頭注」と私が呼んでいる注記が記されているのだ。さらに歌の終わりには「左注」と呼んでいる注記が記されている。この注記には当時の風習や生活を伺う上で大変重要な情報が含まれている。
長歌を追加するに際し、これら注記が大変重要だと分かっていたが、短歌にもこの注記が入っていて、短歌も書き直しの必要に迫られている。場合によっては全面的な書き直しが必要だ。
つまり、弱音をはくわけではないが、とうてい今年中に完成というわけにはいかない事態に立ち至っている。
ひとえにこうなってしまったのは、私の非計画性や見通しの甘さにあるわけで、いわば自業自得だ。けれども、読者としてはこの重要な情報を含む注記群は、読む読まないは別にして欠かすわけにはいかないと思うに至った。読者と言えば、私自身が読者の一人だ。何とか投げ出さないで、最後までやり遂げるつもりだ。
通読して下さる読者がおられることは分かっているので、何としてでも頑張りたいと思っている。「何かものごとを始めるときは綿密な計画が不可欠」などと偉そうなことは簡単に言える。が、それは結果論であって、実際はつっかえつっかえで、滞ったり、失敗の連続だったりする。私は、第一の読者たるこの私のために、とにかく前へ進んでいこうと小さな決心を日々重ねている。
(2017年6月21日)
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