万葉集読解・・・10(93~106番歌)
頭注に「内大臣藤原卿、鏡王女に求婚した時、鏡王女が内大臣に贈った歌」とある。藤原卿(ふぢはらのまへつきみ)は藤原鎌足。
0093 玉くしげ覆ふを安み明けていなば君が名はあれど吾が名し惜しも
(玉匣 覆乎安美 開而行者 君名者雖有 吾名之惜<裳>)
「たまくしげ」は枕詞。が、本歌の場合は「化粧箱(玉くしげ)」と解してぴったり。
「覆ふを安み」は「~ので」のみ。「蓋を閉じて隠せば安心なので」という意味である。
「化粧箱の蓋を閉めておけば安心なのでとばかり、あなたは夜が明けてからお帰りになりますが、それでは浮き名が立ってしまいます。殿方のあなたはそれでも構わないでしょうが、女の身の私は浮き名が立つのは困りますわ」という歌である。
頭注に「内大臣藤原卿、鏡王女に求婚した時、鏡王女が内大臣に贈った歌」とある。藤原卿(ふぢはらのまへつきみ)は藤原鎌足。
0093 玉くしげ覆ふを安み明けていなば君が名はあれど吾が名し惜しも
(玉匣 覆乎安美 開而行者 君名者雖有 吾名之惜<裳>)
「たまくしげ」は枕詞。が、本歌の場合は「化粧箱(玉くしげ)」と解してぴったり。
「覆ふを安み」は「~ので」のみ。「蓋を閉じて隠せば安心なので」という意味である。
「化粧箱の蓋を閉めておけば安心なのでとばかり、あなたは夜が明けてからお帰りになりますが、それでは浮き名が立ってしまいます。殿方のあなたはそれでも構わないでしょうが、女の身の私は浮き名が立つのは困りますわ」という歌である。
頭注に「内大臣藤原卿が鏡王女に応えて贈った歌」とある。
0094 玉くしげみむろの山のさな葛さ寝ずはつひにありかつましじ [玉くしげ三室戸山の]
(玉匣 将見圓山乃 狭名葛 佐不寐者遂尓 有勝麻之<自> [玉匣 三室戸山乃])
「玉くしげ」は前歌参照。「みむろの山」は神聖な山。ここでは三輪山を指す。「さな葛(かずら)」は、マツブサ科の常緑蔓性低木、「さね葛」の古名というがどうか。「さね葛」は207番歌に「~さね葛後も逢はむと~」とある。「さな葛(かずら)」は「さね葛」の誤りの疑いもある。「玉くしげ~さな葛」は「さ寝」を導く序歌。「ありかつましじ」は「できようか」という意味である。
「みむろの山のさね葛ではないが、あなたと共寝をしないで、そのまま帰るなんて出来ようか」という歌である。
異伝歌は「みむろの山」が「三室戸山」となっている。
0094 玉くしげみむろの山のさな葛さ寝ずはつひにありかつましじ [玉くしげ三室戸山の]
(玉匣 将見圓山乃 狭名葛 佐不寐者遂尓 有勝麻之<自> [玉匣 三室戸山乃])
「玉くしげ」は前歌参照。「みむろの山」は神聖な山。ここでは三輪山を指す。「さな葛(かずら)」は、マツブサ科の常緑蔓性低木、「さね葛」の古名というがどうか。「さね葛」は207番歌に「~さね葛後も逢はむと~」とある。「さな葛(かずら)」は「さね葛」の誤りの疑いもある。「玉くしげ~さな葛」は「さ寝」を導く序歌。「ありかつましじ」は「できようか」という意味である。
「みむろの山のさね葛ではないが、あなたと共寝をしないで、そのまま帰るなんて出来ようか」という歌である。
異伝歌は「みむろの山」が「三室戸山」となっている。
頭注に「内大臣藤原卿が采女の安見兒(やすみこ)を娶った時の歌」とある。藤原卿(ふぢはらのまへつきみ)は藤原鎌足。采女(うねめ)は容姿端麗な地方の名家から選抜した女官。
0095 われはもや安見児得たり皆人の得かてにすとふ安見児得たり
(吾者毛也 安見兒得有 皆人乃 得難尓為云 安見兒衣多利)
美女の安見児を得たよ、どんなもんだいという歌。よほど人が羨む采女だったようだ。
「私は、どうだい。安見児を得たぞ。人の得難いと皆がいう安見児を得たぞ」という歌である。
0095 われはもや安見児得たり皆人の得かてにすとふ安見児得たり
(吾者毛也 安見兒得有 皆人乃 得難尓為云 安見兒衣多利)
美女の安見児を得たよ、どんなもんだいという歌。よほど人が羨む采女だったようだ。
「私は、どうだい。安見児を得たぞ。人の得難いと皆がいう安見児を得たぞ」という歌である。
頭注に「久米禅師が石川郎女に求婚した時の歌五首」とある。
0096 み薦刈る信濃の真弓我が引かば貴人さびていなと言はむかも(禅師)
(水薦苅 信濃乃真弓 吾引者 宇真人<佐>備而 不欲常将言可聞)
96~100番歌は久米禅師(くめのぜんじ)が石川郎女(いしかはのいらつめ)に求婚した時のやりとり。
「み薦刈る」(みこもかる)は枕詞(?)。次歌の「み薦刈る」は本歌を承けての句。なので、実質的には全万葉歌中実例はこの一箇所のみ。「貴人さびて」(うまびとさびて)の「さびて」は「~のように」である。
「信濃の弓をつがえて私が恋の矢を放っても、貴人じみたあなたは否と言うだろうな」という歌である。(禅師)。
0096 み薦刈る信濃の真弓我が引かば貴人さびていなと言はむかも(禅師)
(水薦苅 信濃乃真弓 吾引者 宇真人<佐>備而 不欲常将言可聞)
96~100番歌は久米禅師(くめのぜんじ)が石川郎女(いしかはのいらつめ)に求婚した時のやりとり。
「み薦刈る」(みこもかる)は枕詞(?)。次歌の「み薦刈る」は本歌を承けての句。なので、実質的には全万葉歌中実例はこの一箇所のみ。「貴人さびて」(うまびとさびて)の「さびて」は「~のように」である。
「信濃の弓をつがえて私が恋の矢を放っても、貴人じみたあなたは否と言うだろうな」という歌である。(禅師)。
0097 み薦刈る信濃の真弓引かずして弦はくるわざを知ると言はなくに(郎女)
(三薦苅 信濃乃真弓 不引為而 弦作留行事乎 知跡言莫君二)
「弦(つる)はくるわざを知ると言はなくに」は「弦が的をめがけて矢を放つことなどある筈がないではありませんか」という意味である。
「実際に弓を引きもしないで、弦が的をめがけて矢を放つことなどある筈がないではありませんか」という歌である。(郎女)。
(三薦苅 信濃乃真弓 不引為而 弦作留行事乎 知跡言莫君二)
「弦(つる)はくるわざを知ると言はなくに」は「弦が的をめがけて矢を放つことなどある筈がないではありませんか」という意味である。
「実際に弓を引きもしないで、弦が的をめがけて矢を放つことなどある筈がないではありませんか」という歌である。(郎女)。
0098 梓弓引かばまにまに依らめども後の心を知りかてぬかも [郎女]
(梓弓 引者随意 依目友 後心乎 知勝奴鴨)
「梓弓」(あづさゆみ)は枕詞。30例もある。「まにまに」は「ままに」、「依らめども」は「嫁いだなら」という意味である。
「弓をおかまえになっただけの状態で嫁いだら不安ですわ。あなたの後の心が」]という歌である。 (郎女)。
(梓弓 引者随意 依目友 後心乎 知勝奴鴨)
「梓弓」(あづさゆみ)は枕詞。30例もある。「まにまに」は「ままに」、「依らめども」は「嫁いだなら」という意味である。
「弓をおかまえになっただけの状態で嫁いだら不安ですわ。あなたの後の心が」]という歌である。 (郎女)。
0099 梓弓弦緒取りはけ引く人は後の心を知る人ぞ引く(禅師)
(梓弓 都良絃取波氣 引人者 後心乎 知人曽引)
郎女から好感触を得た禅師はここで一気に彼女を射止めようとする。「弦緒(つらを)取りはけ」は「長く張った弦を引く」という意味。
「長く張った弦を引く人間は後々のことを思っているからこそ引くのです」という歌である。(禅師)。
(梓弓 都良絃取波氣 引人者 後心乎 知人曽引)
郎女から好感触を得た禅師はここで一気に彼女を射止めようとする。「弦緒(つらを)取りはけ」は「長く張った弦を引く」という意味。
「長く張った弦を引く人間は後々のことを思っているからこそ引くのです」という歌である。(禅師)。
0100 東人の荷向の箱の荷の緒にも妹は心に乗りにけるかも(禅師)
(東人之 荷向篋乃 荷之緒尓毛 妹情尓 乗尓家留香問)
この歌にも緒が出てくる。東人(あづまびと)の荷箱に使われる頑丈な紐に彼女はしっかりとおさまってくれた、という安堵の心がみなぎっている歌である。メデタシ、メデタシ(?)。
「東人(あづまど)の」は「東国から」、「荷向(のさき)」は毎年都に献上されるその年初の荷。
「東国から届く初荷のしっかりした紐のように、彼女は私の心にしっかり結びつけられたよ」という歌である。(禅師)。
(東人之 荷向篋乃 荷之緒尓毛 妹情尓 乗尓家留香問)
この歌にも緒が出てくる。東人(あづまびと)の荷箱に使われる頑丈な紐に彼女はしっかりとおさまってくれた、という安堵の心がみなぎっている歌である。メデタシ、メデタシ(?)。
「東人(あづまど)の」は「東国から」、「荷向(のさき)」は毎年都に献上されるその年初の荷。
「東国から届く初荷のしっかりした紐のように、彼女は私の心にしっかり結びつけられたよ」という歌である。(禅師)。
頭注に「大伴宿祢、巨勢郎女(こせのいらつめ)に求婚した時の歌」とあり、細注に「大伴宿祢の諱(いみな)は安麻呂という。難波朝の右大臣大紫、大伴長徳(ながとこ)卿の第六子。平城朝に大納言兼大将軍に任命され、のち死去」とある。難波朝は三十六代孝徳天皇の世。右大臣大紫は大化の改新前の官位。大伴安麻呂は長徳の第6子と記されている。万葉歌人として有名な大伴旅人(おおとものたびと)の父。平城朝は四十三代元明天皇の世。
0101 玉葛実ならぬ木にはちはやぶる神ぞつくといふならぬ木ごとに
(玉葛 實不成樹尓波 千磐破 神曽著常云 不成樹別尓)
「玉葛(かづら)」の玉は美称。「ちはやぶる」は枕詞。「神ぞつくと」を「岩波大系本」も「伊藤本」も「恐ろしい神がとりつく」と解している。「中西本」は「恐ろしい」を「すさまじい」としているが、歌意に変わりはない。このようにこぞって「恐ろしい神がとりつき実がならない」と解している。もしもそういう歌意だとすると、どうも腑に落ちない。「そんなにお高くとまっていると、恐ろしい神がとりつきますよ」と威嚇しているようで、とりようによっては随分失礼な物言いになる。まるで「悪霊でもとりついて結婚できませんよ」と言っていることになるからである。そこで、女性側の返歌を見てみなければならない。次歌がそれだが、浮気性を心配していると分かるので、この歌の歌意が腑に落ちてくる。私の歌意は次の通りである。
「玉葛の木に実がならないのは背後に神様がついているようでとりつくしまがありませんね。実がならない木はどれもそうですね」という歌である。
0101 玉葛実ならぬ木にはちはやぶる神ぞつくといふならぬ木ごとに
(玉葛 實不成樹尓波 千磐破 神曽著常云 不成樹別尓)
「玉葛(かづら)」の玉は美称。「ちはやぶる」は枕詞。「神ぞつくと」を「岩波大系本」も「伊藤本」も「恐ろしい神がとりつく」と解している。「中西本」は「恐ろしい」を「すさまじい」としているが、歌意に変わりはない。このようにこぞって「恐ろしい神がとりつき実がならない」と解している。もしもそういう歌意だとすると、どうも腑に落ちない。「そんなにお高くとまっていると、恐ろしい神がとりつきますよ」と威嚇しているようで、とりようによっては随分失礼な物言いになる。まるで「悪霊でもとりついて結婚できませんよ」と言っていることになるからである。そこで、女性側の返歌を見てみなければならない。次歌がそれだが、浮気性を心配していると分かるので、この歌の歌意が腑に落ちてくる。私の歌意は次の通りである。
「玉葛の木に実がならないのは背後に神様がついているようでとりつくしまがありませんね。実がならない木はどれもそうですね」という歌である。
頭注に「巨勢郎女、応えて贈る歌」とあり、細注に「近江朝の大納言、巨勢人卿(こせのひとまへつきみ)の娘」とある。近江朝は三十九代弘文天皇の世。
0102 玉葛花のみ咲きてならずあるは誰が恋にあらめ我れ恋ひ思ふを
(玉葛 花耳開而 不成有者 誰戀尓有目 吾孤悲念乎)
すでに前歌で言及したが、彼女の方は相手の不誠実をなじっているのである。
「玉葛に花だけ咲かせて実にさせないのはどこのどなたでしょう。私の方はずっと恋い慕っていますのに」という歌である。
0102 玉葛花のみ咲きてならずあるは誰が恋にあらめ我れ恋ひ思ふを
(玉葛 花耳開而 不成有者 誰戀尓有目 吾孤悲念乎)
すでに前歌で言及したが、彼女の方は相手の不誠実をなじっているのである。
「玉葛に花だけ咲かせて実にさせないのはどこのどなたでしょう。私の方はずっと恋い慕っていますのに」という歌である。
頭注に「明日香清御原宮の御世天皇の代」とあり、細注に「天渟中原瀛真人天皇(あめのぬなはらおきのまひとすめらみこと)謚り名を天武天皇という」とある。明日香清御原(きよみはら)の宮は奈良県高市郡明日香村に置かれていた。天皇は四十代天武天皇。
さらに頭注に「天皇、藤原夫人に賜う御歌」とある。藤原夫人(ふぢはらのぶにん)は藤原鎌足の娘。
0103 我が里に大雪降れり大原の古りにし里に降らまくは後
(吾里尓 大雪落有 大原乃 古尓之郷尓 落巻者後)
夫人はすでに天皇の后におさまっているから求婚歌ではない。「我が里」とあるのはいうまでもなく飛鳥。「大原の古りにし里」は大原。この大原は京都ではなく、夫人の実家である藤原不比等の邸宅があったとされる大原。飛鳥とは1キロほどしか離れていないという。
「ここ明日香に大雪が降った。お前の実家の里に降るのはもう少し後かな」という歌である。
さらに頭注に「天皇、藤原夫人に賜う御歌」とある。藤原夫人(ふぢはらのぶにん)は藤原鎌足の娘。
0103 我が里に大雪降れり大原の古りにし里に降らまくは後
(吾里尓 大雪落有 大原乃 古尓之郷尓 落巻者後)
夫人はすでに天皇の后におさまっているから求婚歌ではない。「我が里」とあるのはいうまでもなく飛鳥。「大原の古りにし里」は大原。この大原は京都ではなく、夫人の実家である藤原不比等の邸宅があったとされる大原。飛鳥とは1キロほどしか離れていないという。
「ここ明日香に大雪が降った。お前の実家の里に降るのはもう少し後かな」という歌である。
頭注に「藤原夫人の応えた歌」とある。
0104 我が岡のおかみに言ひて降らしめし雪のくだけしそこに散りけむ
(吾岡之 於可美尓言而 令落 雪之摧之 彼所尓塵家武)
「おかみ」は「淤加美神」で、水神。私は、尾張式内社を巡り歩いた際、淤加美神を祭神とする八龍社(稲沢市)や憶感(おかん)神社(津島市)を訪ねた時のことを思い出した。前歌の、やや茶目っ気の混じった「お前の実家の里に降るのはもう少し後かな」という夫の歌に対し、「何をおっしゃるの」と返している。
「私の実家の岡に鎮座する淤加美の神に言って雪を降らせてもらったのよ。その雪の砕けたかけらがそちらに行ったのでしょうよ」という歌である。
大雪を見てはしゃぐ、古代人の天皇夫婦が軽口をたたき合う、おおらかでほほえましい光景ではないか。
0104 我が岡のおかみに言ひて降らしめし雪のくだけしそこに散りけむ
(吾岡之 於可美尓言而 令落 雪之摧之 彼所尓塵家武)
「おかみ」は「淤加美神」で、水神。私は、尾張式内社を巡り歩いた際、淤加美神を祭神とする八龍社(稲沢市)や憶感(おかん)神社(津島市)を訪ねた時のことを思い出した。前歌の、やや茶目っ気の混じった「お前の実家の里に降るのはもう少し後かな」という夫の歌に対し、「何をおっしゃるの」と返している。
「私の実家の岡に鎮座する淤加美の神に言って雪を降らせてもらったのよ。その雪の砕けたかけらがそちらに行ったのでしょうよ」という歌である。
大雪を見てはしゃぐ、古代人の天皇夫婦が軽口をたたき合う、おおらかでほほえましい光景ではないか。
頭注に「藤原宮の御世の天皇の代」とあり、細注に「高天原広野天皇(たかまのはらひろのひめのすめらみこと)謚り名を持統天皇という。その元年を丁亥年とする十一年、位を軽太子(かるのひつぎのみこ)に譲り、尊号を太上天皇(おほきすめらみこと)という)とある。持統は四十一代持統天皇。次の天皇は 四十二代文武天皇。
さらに頭注に「大津皇子、ひそかに伊勢神宮へ下って上京してくる時、大伯皇女(おほくのひめみこ)の御歌二首」とある。大津皇子は天武天皇の御子。朱鳥元年(686年)十月刑死。大伯皇女は大津皇子の同母姉。伊勢の斉宮(伊勢神宮に奉仕する皇女)を努めていた。
0105 我が背子を大和へ遣るとさ夜更けて暁露に我れ立ち濡れし
(吾勢祜乎 倭邊遺登 佐夜深而 鷄鳴露尓 吾立所霑之)
この歌、万葉歌中最も有名な歌のひとつであろう。頭注にあるとおり、大津皇子がひそかに伊勢神宮にやってきて、大和に帰っていくのを大伯皇女が見送った時の歌。「我が背子」の背子(せこ)はむろん弟の大津皇子のこと。大津皇子は大和に帰って直後に謀反のかどで死を賜るので、この歌の時がまさに今生(こんじょう)の別れ。暁(あかとき)は原文に「鷄鳴」とあり、大伯皇女は夜が明けるまで夜通し弟を見送って立ち尽くしていたことになる。まるで弟の死を知っていたかのような歌と行為である。
「弟皇子を大和に見送る夜、夜が更けて暁になるまで、私は立ちつくし、露に濡れました」という歌である。
さらに頭注に「大津皇子、ひそかに伊勢神宮へ下って上京してくる時、大伯皇女(おほくのひめみこ)の御歌二首」とある。大津皇子は天武天皇の御子。朱鳥元年(686年)十月刑死。大伯皇女は大津皇子の同母姉。伊勢の斉宮(伊勢神宮に奉仕する皇女)を努めていた。
0105 我が背子を大和へ遣るとさ夜更けて暁露に我れ立ち濡れし
(吾勢祜乎 倭邊遺登 佐夜深而 鷄鳴露尓 吾立所霑之)
この歌、万葉歌中最も有名な歌のひとつであろう。頭注にあるとおり、大津皇子がひそかに伊勢神宮にやってきて、大和に帰っていくのを大伯皇女が見送った時の歌。「我が背子」の背子(せこ)はむろん弟の大津皇子のこと。大津皇子は大和に帰って直後に謀反のかどで死を賜るので、この歌の時がまさに今生(こんじょう)の別れ。暁(あかとき)は原文に「鷄鳴」とあり、大伯皇女は夜が明けるまで夜通し弟を見送って立ち尽くしていたことになる。まるで弟の死を知っていたかのような歌と行為である。
「弟皇子を大和に見送る夜、夜が更けて暁になるまで、私は立ちつくし、露に濡れました」という歌である。
0106 ふたり行けど行き過ぎかたき秋山をいかにか君がひとり越ゆらむ
(二人行杼 去過難寸 秋山乎 如何君之 獨越武)
この歌も大津皇子を見送る大伯皇女の歌。哀傷きわまりない歌である。平明歌。
「二人で越えても難渋する秋の山をあなたはたった一人で越えていることでしょうか」という歌である。
(2013年2月9日記、2017年6月23日記)
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(二人行杼 去過難寸 秋山乎 如何君之 獨越武)
この歌も大津皇子を見送る大伯皇女の歌。哀傷きわまりない歌である。平明歌。
「二人で越えても難渋する秋の山をあなたはたった一人で越えていることでしょうか」という歌である。
(2013年2月9日記、2017年6月23日記)