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Channel: 古代史の道
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追憶

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 今のこの瞬間に見聞きしている事柄、たとえば目前のパソコン画面、窓外のマンション、テレビ画面に映る映像等々。すべて次の瞬間には追憶に変化する。自分が期待した未来に変わればよりよい追憶になって残っていく。が、残念ながら齢を重ねてくると、とかく未来に期待しなくなる。待っているのは「またこれか」という繰り返しの追憶だ。
 繰り返しの連続では追憶も退屈の連続となる。寂しいけれど、新鮮さがなくなってくるのが、老齢化の代名詞と言って言えなくはない。
 新しい出会いもなくなり、待っているのは同じ顔ぶれによる、なんということもない日常会話ばかり。
 が、こういうことばかりでは、追憶の花園は豊かにならない。世界中を飛び回れればそれに越したことはない。が、身の回りの景色にも日々発見があり、追憶を豊かにする種にこと欠かない。
 私が次々とあちこちに出かけるのは、「追憶よ豊かなれ」と願ってのこと。ああ、これはあのとき見た光景だな、この花はそういえば、あそこの神社に咲いていたっけ、と追憶から探り出せれば、望外の喜びとなる。
    日々発見空を仰げばあの雲の彼方に何かあるよな気がす   (桐山芳夫)
    追憶に極彩色のバラ咲けばほかに望みは無きにひとしや   (桐山芳夫)
    赤きバラほらあそこには白きバラ淡路の島にいくつも咲けリ (桐山芳夫)
 本文を書いている内に、淡路島の花さじきの広大な花園の追憶がよみがえった。次から次へと追憶は私をその場に連れ戻し、幸せないっときに浸ることが出来た。何があなたを追憶の世界に連れていくことになるか予測出来ない。自分のためにはもとより、皆々さんにとって「追憶よ豊かなれ」と願って稿を閉じたい。
           (2017年6月23日)
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