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毎月一回、私は七宝町(あま市)の耳鼻咽喉科に通院している。その途中に大きな神社がある。いつか、訪ねてみようと思いながら果たせないできた。今月23日に思い切って訪ねてみようと思い立って訪ねてみた。伊福部神社がそれである。
拝殿横の駐車場に車を停めて、境内に一歩足を踏み入れて驚いた。数早メートルはあろうか。参道とおぼしき道が南に向かって延びているではないか。延喜年間(901~923年)に出された延喜式に掲載されている滅法古い神社を式内社と呼んでいるが、そんな神社でさえ今日では少なくなってきた、たたずまいがある。
どういうことかというと、今日の神社の多くは鳥居が正面で、鳥居をくぐると、すぐ拝殿だ。ところが伊福部神社はずっと参道が続いている。私はテクテク参道を南に向かって逆歩した。第一鳥居まで。そこが、古い神社の正面であるからだ。
私は第一鳥居の前に立って、手を合わせ、一礼して鳥居をくぐった。右は神社の森、左は自動車道が走っていた。むろん、この自動車道の方も昔は神社の森だったに相違ないと思われた。しばらく行くと、赤い第二鳥居に達する。それをくぐると、ようやく拝殿に向かう。拝殿の奥が本殿だ。第一鳥居から本殿までざっと500メーター前後あったろうか。
伊福部神社についてやや詳細に記したのはほかでもない。普通の何でもない神社に見えた神社が式内社にまじっても立派な神社だったらしいことを知って驚いたからである。
ちょっと調べてみると、この神社は伊福部氏の先祖を祀った社で、創建は天平二年(730年)のようだ。何と延喜式よりも200年も前に創建されたという。なぜ、こんな神社が延喜式に掲載されなかったのか不思議だ。失礼ながら七宝町のようなこんな近くに、こんな名社が存在するとは!。前回私は「身の回りの景色にも日々発見があり」と記したが、そんな発見をしたような思いに駆られた半日だった。
(2017年6月26日)
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毎月一回、私は七宝町(あま市)の耳鼻咽喉科に通院している。その途中に大きな神社がある。いつか、訪ねてみようと思いながら果たせないできた。今月23日に思い切って訪ねてみようと思い立って訪ねてみた。伊福部神社がそれである。
拝殿横の駐車場に車を停めて、境内に一歩足を踏み入れて驚いた。数早メートルはあろうか。参道とおぼしき道が南に向かって延びているではないか。延喜年間(901~923年)に出された延喜式に掲載されている滅法古い神社を式内社と呼んでいるが、そんな神社でさえ今日では少なくなってきた、たたずまいがある。
どういうことかというと、今日の神社の多くは鳥居が正面で、鳥居をくぐると、すぐ拝殿だ。ところが伊福部神社はずっと参道が続いている。私はテクテク参道を南に向かって逆歩した。第一鳥居まで。そこが、古い神社の正面であるからだ。
私は第一鳥居の前に立って、手を合わせ、一礼して鳥居をくぐった。右は神社の森、左は自動車道が走っていた。むろん、この自動車道の方も昔は神社の森だったに相違ないと思われた。しばらく行くと、赤い第二鳥居に達する。それをくぐると、ようやく拝殿に向かう。拝殿の奥が本殿だ。第一鳥居から本殿までざっと500メーター前後あったろうか。
伊福部神社についてやや詳細に記したのはほかでもない。普通の何でもない神社に見えた神社が式内社にまじっても立派な神社だったらしいことを知って驚いたからである。
ちょっと調べてみると、この神社は伊福部氏の先祖を祀った社で、創建は天平二年(730年)のようだ。何と延喜式よりも200年も前に創建されたという。なぜ、こんな神社が延喜式に掲載されなかったのか不思議だ。失礼ながら七宝町のようなこんな近くに、こんな名社が存在するとは!。前回私は「身の回りの景色にも日々発見があり」と記したが、そんな発見をしたような思いに駆られた半日だった。
(2017年6月26日)