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万葉集読解・・・11(107~118番歌)

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     万葉集読解・・・11(107~118番歌)
 頭注に「大津皇子が石川郎女に贈った歌」とある。大津皇子は四十代天武天皇の御子。
0107  あしひきの山のしづくに妹待つと我れ立ち濡れぬ山のしづくに
     (足日木乃 山之四付二 妹待跡 吾立所<沾> 山之四附二)
  「あしひきの」は、山にかかる代表的な枕詞。全部で111例に及ぶ。「妹待つと」の妹(いも)は石川郎女(いしかはのいらつめ)。彼女は、96~100番歌にわたって久米禅師と歌のやりとりをした女性と同じ名だが、別人か。
 「山の雫に濡れながら彼女を待って立っていました。山の雫に濡れながら」という歌である。

 頭注に「石川郎女の応えた歌」とある。
0108  我を待つと君が濡れけむあしひきの山のしづくにならましものを
     (吾乎待跡 君之<沾>計武 足日木能 山之四附二 成益物乎)
 石川郎女の返歌で、平明歌。
 「私を待ってあなた様が濡れているという山の雫。その山の雫に私はなりたいものです」という歌である。

 頭注に「大津皇子、密かに石川女郎と共寝した時、津守連通(つもりのむらじとほる)がそのことを占って露見したという皇子の御歌、というが未詳」とある。
0109  大船の津守が占に告らむとはまさしに知りて我がふたり寝し
     (大船之 津守之占尓 将告登波 益為尓知而 我二人宿之)
 105番歌からこの歌までが大津皇子関連の歌。この歌このままでは不可解。背景に大津皇子の謀反事件があるか。共寝した石川郎女は、別人か否か分からないが、次歌から知られるように太子草壁皇子の相手でもある。「大船の」(おほぶねの)は枕詞(?)。「まさしに」は「まさに」という意味。津守連通は陰陽師(占い師)で秘密警察のようなことも行っていたという。
 「津守(人名)の占いによって(謀反の疑いが)あらわれるとはまさに承知しながら、私は彼女と共寝したよ」という歌である。共寝と占いとがどう関係するのか分からない。したがって大津皇子本人の歌か否か分からない。

 頭注に「日並皇子尊、石川女郎に贈り賜わった御歌」とあり、細注に「女郎の名は大名兒という」とある。日並皇子尊(ひなみしみこのみこと)は草壁皇子(くさかべのみこ)のことで、四十代天武天皇の皇子。この時は皇太子だったが、皇位を継ぐ前に死去。
0110  大名児の彼方野辺に刈る草の束の間も我れ忘れめや
     (大名兒 彼方野邊尓 苅草乃 束之間毛 吾忘目八)
 古代史に興味を抱く人ならご承知のように、大津皇子は草壁皇子側から謀反の疑いをかけられ、自殺に追い込まれる。有名な事件である。その大津皇子の恋人が石川郎女(いしかはのいらつめ)。この歌によって草壁皇子の恋人も石川郎女。「同一人か否か」としたのは、ほかでもない。96~100番歌にわたって久米禅師(くめのぜんじ)が求婚し、好返答をした相手も石川郎女。が、石川郎女は大伴田主(おおとものたぬし)に恋する女性としても登場する(126番歌)。そしてその歌の左注に彼女は独り寝の身を嘆く女性とまで書かれている。石川郎女は固有名詞ではない。「石川家の娘」というほどの呼び方と考えていい。大津皇子と草壁皇子の相手をすわ同一人と断定し、延々と論陣を張る古代史家もいるようであるが、断定は慎重に願いたいものである。
 さて、この歌だが、「大名児が」を「大名児を」とする書もあるが、私は「大名児が」とする「中西本」に従いたい。
 「大名兒が彼方の野辺で草を刈って束にしている。その草束ではないが、束の間も彼女のことが忘れられようか」という歌である。

 頭注に「吉野宮に幸(いでま)されし時、弓削皇子(ゆげのみこ)が額田王(ぬかたのおほきみ)に贈られた歌」とある。弓削皇子は四十代天武天皇の第九皇子。
0111 いにしへに恋ふる鳥かも弓絃葉の御井の上より鳴き渡り行く
     (古尓 戀流鳥鴨 弓絃葉乃 三井能上従 <鳴><濟>遊久)
 弓削皇子も額田王も大海人皇子時代の天武天皇を知っている。額田王はあまりにも有名な20番歌「あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る」にあるとおり、大海人皇子が恋い焦がれた女性。天武天皇はすでに崩御して久しい。
 そこで、「いにしへに」は天武時代の頃と解するのが普通。弓絃葉(ゆづるは)はお正月の花とされるユズリハ。私の好きな歌のひとつである。
 「遠い昔を恋い焦がれる鳥であろうか。ユズリハの花が咲いている御井の上を鳴きながら渡って行く」という歌である。

 頭注に「額田王が応えた歌」とあり、細注に「倭京から差し出した」とある。倭京は天武時代の飛鳥宮か。
0112  いにしへに恋ふらむ鳥は霍公鳥けだしや鳴きし我が念へるごと
     (古尓 戀良武鳥者 霍公鳥 盖哉鳴之 吾念流碁騰)
 額田王は弓削皇子歌の鳥を霍公鳥(ホトトギス)と解しこう詠じている。ホトトギスはけたたましい声でさえずるが、その鳴き声は哀調を帯びているという。「けだしや」は「きっと~でしょうね」という意味。
 「遠い昔を恋い焦がれる鳥はホトトギスでしょうね。きっと哀しく鳴いているでしょうね。ずっと私が昔を思い続けているように」という歌である。

 頭注に「吉野から蘿(こけの一種)が生えた松の枝を折り取って額田王に贈ったところ、額田王が応えた歌」とある。蘿(こけ)が生えた松の枝というのは古木の松。この松のように長寿を願うという意味が込められている。若い弓削皇子(ゆげのみこ)から見れば、六十歳過ぎだった額田王は大変な老女に見えたことだろう。
0113  み吉野の玉松が枝ははしきかも君が御言を持ちて通はく
     (三吉野乃 玉松之枝者 波思吉香聞 君之御言乎 持而加欲波久)
 この歌は当時の手紙のやりとりの様子を頭に入れておくと理解が深まる。自分の歌や手紙は使いのものに託して相手側に届ける習わしだった。この場合は松の枝に結びつけて届けられた。吉野(旅先)にいる弓削皇子から届いた松の枝に額田王もまた返歌を結びつけて送り出したに相違ない。「はしきかも」は「いとおしい」、「通はく」は「行ったりきたりする松の枝」、という意味である。
 「吉野から届いた松の枝はいとしいことよ。皇子様の御言葉を持って、行ったりきたりするこの松の枝が」という歌である。

 頭注に「但馬皇女(たじまのひめみこ)、高市皇子(たけちのみこ)の宮にいらっしゃった時に穂積皇子(ほづみのみこ)を思って作られた御歌」とある。但馬皇女、高市皇子、穂積皇子はすべて四十代天武天皇の子。
0114  秋の田の穂向きの寄れる片寄りに君に寄りなな言痛くありとも
     (秋田之 穂向乃所縁 異所縁 君尓因奈名 事痛有登母)
 但馬皇女と高市皇子は妹と兄。なので二人が同じ宮に在住していても何の不思議もない。ただ、同母でなければ兄妹の恋愛も結婚も許された時代だったので、憶測を呼び、二人は夫婦だったのではないかなどと二人を種々結びつけて論陣を張る向きもある。が、ここは先を急ごう。但馬皇女が慕った相手は穂積皇子だった。「秋の田の穂向きの寄れる」は比喩。「寄りなな」は「なびきたい」という意味。「言痛(こちた)くありとも」は「世間の口がうるさくても」である。
 「秋の田の風になびいていっせいに穂先が同じ方向に向くように私もあなたになびきたい、たとえ世間の口がうるさくても」という歌である。

 頭注に「天皇が穂積皇子を近江の志賀の山寺に遣わした時、但馬皇女が作った御歌」とある。天皇は四十一代持統天皇、穂積皇子と但馬皇女は前歌参照。山寺は三十八代天智天皇が建てた崇福寺。
0115  後れ居て恋ひつつあらずは追ひ及かむ道の隈廻に標結へ我が背
     (遺居<而> 戀管不有者 追及武 道之阿廻尓 標結吾勢)
 「後れ居て」は「家にじっとしていて」である。次に続く「恋ひつつあらずは」で、穂積皇子を慕う但馬皇女の思いがただならぬものであることが分かる。「恋い慕ってなどいないで」という意味。「追ひ及かむ」は「追いかけていこう」である。標(しめ)は、縄などの目印。
 「家にじっとしていて、恋い慕ってなどいないで追いかけていこう。だから、道の曲がり角毎に目印の標を結んでおいてね、あなた」という歌である。

 頭注に「但馬皇女、高市皇子の宮においでの時、密かに穂積皇子に逢う。これが露見したことを知って作った御歌」とある。
0116  人言を繁み言痛みおのが世にいまだ渡らぬ朝川渡る
     (人事乎 繁美許知痛美 己世尓 未渡 朝川渡)
 114番歌から連続する但馬皇女の歌。「人言を繁み言痛(こちた)みおのが世に」は「~ので」のみ。「世間の口が激しく、怖いので」という意味である。「おのが世」は「生まれてこのかた」ということ。
 「世間の口が激しく、怖いので、生まれてこのかた渡ったことがなかったのですが(世間に知れたからには)、朝この川を渡ります。(あなたに逢いに)」という歌である。

 頭注に「舎人皇子(とねりのみこ)の御歌」とある。舎人皇子は四十代天武天皇の皇子。古代史家には『日本書紀』編纂の総裁として名を知られている。
0117  ますらをや片恋せむと嘆けども鬼のますらをなほ恋ひにけり
     (大夫哉 片戀将為跡 嘆友 鬼乃益卜雄 尚戀二家里)
 「ますらをや」は「男子たるもの」という常套語。「片恋」は「片思いの恋」のこと。「鬼(しこ)のますらを」は「無骨もの」というほどの意味。
 「男子たるもの、片思いのような恋などして何になる、と嘆いているが、無骨者のこの私めがそれでもあなたが恋しくてならない」という歌である。

 頭注に「舎人娘子(とねりのをとめ)の応えた歌」とある。
0118  嘆きつつますらをのこの恋ふれこそ我が髪結ひの漬ちてぬれけれ
     (<嘆>管 大夫之 戀礼許曽 吾髪結乃 漬而奴礼計礼)
 前歌に対して応じた女性の歌。「恋ふれこそ」はむろん「恋してくださるので」。そして「漬(ひ)ちて」は「びっしょり」だ。最後の「ぬれけれ」だが、「岩波大系本」等はこぞって「髪が解ける」と解している。が、本歌の場合はすなおに「びっしょり濡れてしまいましたわ」である。123番歌の所で、詳述するが、原文の「奴礼」は「濡れる」ないし「寝れ」と使用されている。「解く」の意味には使われていない。
 「嘆きながら殿方が恋して下さるので、結わえてある私の髪が(涙で)ぐっしょり濡れてしまいましたわ」という歌である。
          (2013年2月9日記、2017年6月27日記)
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