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万葉集読解・・・28(368~380番歌)

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     万葉集読解・・・28(368~380番歌)
 頭注に「石上大夫(いそのきみのまえつきみ)の歌」とある。
0368   大船に真楫繁貫き大君の命かしこみ磯廻するかも
      (大船二 真梶繁貫 大王之 御命恐 礒廻為鴨)
 前歌は中央の大和からやってきた笠朝臣金村が海路中に詠った歌だった。そしてこの歌は国守石上朝臣の歌と左注に記されている。さらに次歌の内容を考慮すると、国守自らが金村と共に船に同乗して案内役をかって出た場面と考えていい。
 「真楫繁貫き(まかぢしじぬ)き」は「多くの梶を取りつけて」の意。「大君(おほきみ)の命(みこと)かしこみ」は「朝廷の命を受けてやってきた(すなわち金村を迎えて)」である。したがって「磯廻するかも」は長い長い越前国の海岸(日本海)を順次案内してめぐっていることを指しているのである。
 「大船に多くの梶を取り付け、朝廷の命を受けてやってきた官人を案内して磯巡りをする」という歌である。
 左注に「右の歌の作者を今考えるに、石上朝臣乙麻呂(いそのかみのあそみおとまろ)が越前国(福井県北部から石川県南部にかけての国)の国守に任ぜられている。(石上大夫)とはこの国守のことか?」とある。
 
 前歌に和えた歌一首
0369   もののふの臣の壮士は大君の任けのまにまに聞くといふものぞ
      (物部乃 臣之壮士者 大王之 任乃随意 聞跡云物曽)
 「もののふの臣の壮士(をとこ)」は「朝廷に仕える臣下」のこと。。「聞く」は「命に聞き従う」という意味。
 「朝廷に仕える官人たちは、大君の任命のままに聞き従うということですね」という歌である。
 左注に「作者不明。但し、笠朝臣金村の歌の中に出ている」とある。

 頭注に「安倍廣庭卿(あへのひろにはのまえつきみ)の歌」とある。廣庭は右大臣御主人(みうし)の子。
0370   雨降らず殿曇る夜のじとじとと恋ひつつ居りき君待ちがてり
      (雨不零 殿雲流夜之 潤濕跡 戀乍居寸 君待香光)
 「殿曇る」は一面の曇り。梅雨時の天候そのものの天気。第三句「潤濕跡」の訓は「うるほへど」、「ぬるぬると」、「濡れひづと」と説はまちまちである。第三句までは相手を待つ気持ちの比喩。そしてそのようにも「潤濕跡」と下の句に続く。なので「潤濕跡」は前半部にも後半部にも通じる訓でないといけない。どの訓もよしとしなければならないが、私は待つ身の心情に重点を置いて「じとじとと」と訓じておきたい。「君待ちがてり」は「君を待ちつつ」だ。君というのは通常女性から男性を呼ぶときに使われる言葉なので女性に託して詠われた歌である。
 「雨が降りそうで降らない一面曇り空の夜。じとじとと恋いながらあなたを待ち続けています」という歌である。

 頭注に「出雲守門部王(いづものかみかどへのおほきみ)が京(みやこ)をしのんで作った歌」とあり、細注に「後に大原真人(おほはらまひと)の氏(うじ)を賜う」とある。門部王は系統不詳。
0371   意宇の海の河原の千鳥汝が鳴けば我が佐保川の思ほゆらくに
      (飫海乃 河原之乳鳥 汝鳴者 吾佐保河乃 所念國)
 意宇(おう)の海は島根県松江市の東方にある中海。ここに千鳥(ちどり)が出てくるが、この千鳥について私は266番歌のところで次のように記した。
 「「千鳥」は原文にも「千鳥」とあり、具体的な鳥の種類を指しているわけではあるまい。私自身はユリカモメととっているが、「多くの鳥たち」くらいの意味にとっておけば十分だろう。」
 が、本歌の場合、原文に「乳鳥」とあり、白い鳥。はっきりユリカモメを指していると考えてよかろう。ユリカモメは私の一番のお気に入りの鳥。この歌になんとなく親しみを覚える。「我が佐保川」は故郷の佐保川(奈良市)のこと。
 「意宇の海の河原の千鳥よ。お前が鳴けば故郷の佐保川が思い出される」という歌である。

 頭注に「山部宿祢赤人、春日野に登って作った歌と短歌」とある。赤人は伝未詳なるも自然を詠った代表的万葉歌人。春日野は奈良市の春日大社一帯の野。
0372番 長歌
   春日を 春日の山の 高座の 御笠の山に 朝さらず 雲居たなびき 貌鳥の 間なくしば鳴く 雲居なす 心いさよひ その鳥の 片恋のみに 昼はも 日のことごと 夜はも 夜のことごと 立ちて居て 思ひぞ我がする 逢はぬ子故に
   (春日乎 春日山乃 高座之 御笠乃山尓 朝不離 雲居多奈引 容鳥能 間無數鳴 雲居奈須 心射左欲比 其鳥乃 片戀耳二 晝者毛 日之盡 夜者毛 夜之盡 立而居而 念曽吾為流 不相兒故荷)

  長歌は用語の解説を最小限にとどめる。「春日を」を枕詞的に用いたのは本歌のみ。枕詞(?)。御笠の山は春日山の一峰。「朝さらず」は「朝去らず」すなわち「毎朝」のこと。「貌鳥(かほとり)の」はカッコウ鳥のこととされる。

 (口語訳)
   春日を受けた春日の山の御笠の山の頂きには毎朝雲がたなびいている。カッコウがしきりに鳴いている。雲がかかったように心が晴れやらず、カッコウ鳥のように片恋に泣き、昼は一日中、夜は一晩中、立ったり座ったり、思い焦がれている。逢ってくれようとしないあの子故に。

 反 歌
0373   高座の御笠の山に鳴く鳥の止めば継がるる恋もするかも
      (高按之 三笠乃山尓 鳴<鳥>之 止者継流 <戀>哭為鴨)
 高座(たかくら)は野に設けた天皇の玉座のことが原義だが、ここでは神聖な(立派な)なくらいの意味。
 「御笠の山に鳴く鳥が、鳴き止んだかと思うとまた鳴き始める、そんな恋を私はしている」という歌である。

 頭注に「石上乙麻呂朝臣(いそのかみのおとまろのあそみ)の歌」とある。
0374   雨降らば着むと思へる笠の山人にな着せそ濡れは漬つとも
      (雨零者 将盖跡念有 笠乃山 人尓莫令盖 霑者漬跡裳)
 笠の山を傘に見立てて詠った歌であることは分かる。が、歌意がつかめない。とりあえず「岩波大系本」の大意を紹介すると次のとおりである。
 「雨が降ったら自分が着ようと思っている笠の山だから他の人には着せるな、その人がたといびっしょり濡れてしまおうとも。」
 これで一応意が通るように見える。が、どこか妙である。「自分が使うから他人には使わせるな。その人がずぶ濡れになっても」では随分自己中の歌になる。こんなことを歌にするものだろうか。なによりこんな歌を万葉集の選者が採用したのだろうか。私にはひっかかるのである。「着む」は「使用する」という意味。笠の山は奈良市の御笠山か。「な着せそ」は「な~そ」の禁止形。色々考えたが、私は次のように解してみた。
 「笠の山は大きな傘のような神聖な山だ。雨が降ったら私たち人間がびしょ濡れになろうともそのまま聳えている」という歌である。
 先の「岩波大系本」の解との当否は読者各位に委ねたい。

 頭注に「湯原王(ゆはらのおほきみ)、吉野の歌」とある。湯原王は三十八代天智天皇の孫に当たる。父は志貴皇子。
0375   吉野なる菜摘の川の川淀に鴨ぞ鳴くなる山蔭にして
      (吉野尓有 夏實之河乃 川余杼尓 鴨曽鳴成 山影尓之弖)
 菜摘(なつみ)の川は吉野川上流の川。
 「吉野の菜摘(なつみ)の川の淀みに鴨たちが鳴いている。山の陰で」という歌である。

 頭注に「湯原王(ゆはらのおほきみ)、宴席の歌二首」とある。湯原王は前歌参照。
0376   あきづ羽の袖振る妹を玉櫛笥奥に思ふを見たまへ我が君
      (秋津羽之 袖振妹乎 珠匣 奥尓念乎 見賜吾君)
 「あきづ羽」はトンボの薄い羽。「玉櫛笥(たまくしげ)」は化粧箱ないし枕詞。
 「トンボの羽のような薄衣をまとって踊る彼女を私は密かに思っているのだが、きれいだろ彼女は、なあ君」という歌である。

0377   青山の嶺の白雲朝に日に常に見れどもめづらし我が君
      (青山之 嶺乃白雲 朝尓食尓 恒見杼毛 目頬四吾君)
 「めづらし」は「可愛い」ないし「美しい」という意味。
 「青い山の嶺にかかっている白雲のように、朝から夕方まで、いつも見慣れている彼女だけれど、可愛く、美しいだろ。なあ君」という歌である。

 頭注に「山部宿祢赤人が故太政大臣藤原家の庭の池を詠んだ歌」とある。赤人は372番歌参照。故太政大臣藤原は藤原不比等のこと。
0378   いにしへの古き堤は年深み池の渚に水草生ひにけり
      (昔者之 舊堤者 年深 池之瀲尓 水草生家里)
 一読するだけですんなり頭に入ってくる平明歌。
 「昔むかしの古い堤は年を重ね、池の渚には水草が生い繁っている」という歌である。

 頭注に「大伴坂上郎女(おほとものさかのうへのいらつめ)、神を詠う歌と短歌」とある。坂上郎女は大伴旅人の異母妹。万葉集の代表的歌人の一人。
0379番 長歌
   ひさかたの 天の原より 生れ来る 神の命 奥山の 賢木の枝に 白香付け 木綿取り付けて 斎瓮を 斎ひ掘り据ゑ 竹玉を 繁に貫き垂れ ししじもの 膝折り伏して たわや女の 襲取り懸け かくだにも 我れは祈ひなむ 君に逢はじかも
   (久堅之 天原従 生来 神之命 奥山乃 賢木之枝尓 白香付 木綿取付而 齊戸乎 忌穿居 竹玉乎 繁尓貫垂 十六自物 膝折伏 手弱女之 押日取懸 如此谷裳 吾者<祈>奈牟 君尓不相可聞)

  賢木(さかき)は椿等祭祀に用いる常緑樹。白香と木綿(ゆふ)は麻やコウゾを細かく裂いて神事に用いたもの。斎瓮(いはひへ)は酒等を注いで神に捧げる容器。「斎(いは)ひ掘り据ゑ」は「容器を掘り据えること」。「竹玉」は竹の玉を連ねたもの。
「ししじもの」は「獣のように」という意味。襲(おすひ)は祭祀用のかぶり物。

 (口語訳)
   遠く天の原から生まれ出た神々。奥山から取ってきた賢木の枝に白香や木綿を取り付けて かめを土を掘って据え付け、さらに竹玉を連ねて垂らす。私は獣のように膝を折って伏せ、たわや女なので薄衣を羽織り、こんなにまでして祈っています。あなた様に逢えないかと思って。

 反 歌
0380   木綿畳手に取り持ちてかくだにも我れは祈ひなむ君に逢はじかも
      (木綿疊 手取持而 如此谷母 吾波乞甞 君尓不相鴨)
 木綿畳(ゆふだたみ)は神に捧げる畳のことか。
 「木綿畳を両手に捧げて必死にお祈りしています。あなた様に逢えないかと思って」という歌である。
 左注に「天平五年(733年)、冬11月、大伴氏の氏神を祭る日に作った歌。ために神を祀った歌」とある。
          (2013年5月3日記、2017年9月9日記)
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