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万葉集読解・・・29(381~393番歌)

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     万葉集読解・・・29(381~393番歌)
 頭注に「筑紫の娘子、旅行く人に贈る歌」とあり、細注に「娘子の名は兒嶋という」とある。
0381   家思ふと心進むな風まもり好くしていませ荒しその道
      (思家登 情進莫 風候 好為而伊麻世 荒其路)
 太宰府から奈良に旅立とうとする官人に贈った歌。「風まもり」は「風向きや強さを見極めて」という意味。海路行を示している。
 「故郷を思うはやる胸の気持ちを抑えて風の向きや強さを見極めて下さいね。道は遠く険しいでしょうから」という歌である。

 頭注に「筑波岳に登って丹比真人國人(たぢひのまひとくにひと)が作った歌と短歌」とある。筑波岳は茨城県筑波山。國人は後年、天平宝字元年(757年)橘奈良麿の乱に連座し、伊豆に配流。
0382番 長歌
   鶏が鳴く 東の国に 高山は さはにあれども 二神の 貴き山の 並み立ちの 見が欲し山と 神世より 人の言ひ継ぎ 国見する 筑波の山を 冬こもり 時じき時と 見ずて行かば まして恋しみ 雪消する 山道すらを なづみぞ我が来る
   (鷄之鳴 東國尓 高山者 佐波尓雖有 朋神之 貴山乃 儕立乃 見<杲>石山跡 神代従 人之言嗣 國見為<築>羽乃山矣 冬木成 時敷<時>跡 不見而徃者 益而戀石見 雪消為 山道尚矣 名積叙吾来<煎>)

  長歌は用語の解説を最小限にとどめる。「二神の 貴き山の 並み立ちの」は茨城県筑波山のこと。男体山と女体山の二嶺が並んでいるのでこう表現した。「時じき時と」は「時期ではないと」という意味。

 (口語訳)
   朝鶏が鳴く東の国には高い山が多くあるけれど、二神の貴い山が並び立つ姿は是非見ておくといいと、神世の昔から言い継がれてきた、国見の山筑波山。冬ごもりの時期とて見る時期ではないというので、見ずに過ぎればいっそう恋しくなる。なので、雪解けの山道にかかわらず、難渋しながら私はやってきた。

 反 歌
0383   筑波嶺を外のみ見つつありかねて雪消の道をなづみ来るかも
      (築羽根矣 Z耳見乍 有金手 雪消乃道矣 名積来有鴨)
 筑波山は茨城県つくば市にある名山。前歌に記したように、男体山と女体山が並んでいる。
「外のみ見つつありかねて」は「よそながら見ているだけではいられなくて」である。「雪消(ゆきげ)の道」は「雪解け道」。
 「筑波山をよそながら見ているだけではいられなくなって、雪解け道にかかわらず、難渋しながらやってきた」という歌である。

 頭注に「山部宿祢赤人の歌」とある。赤人は伝未詳なるも自然を詠った代表的万葉歌人。
0384   我がやどに韓藍蒔き生ほし枯れぬれど懲りずてまたも蒔かむとぞ思ふ
      (吾屋戸尓 韓藍種生之 雖干 不懲而亦毛 将蒔登曽念)
 「我がやどに」は「私の家の庭に」である。韓藍(からあゐ)は鶏頭の花。
 「私の家の庭に鶏頭を種から育てたところ枯れた。けれども懲りずにまた種を蒔こうと思う」という歌である。

 頭注に「仙柘枝(やまひとつみのえ)の歌三首」とある。
0385   あられ降る吉志美が岳を険しみと草取りかなわ妹が手を取る
      (霰零 吉志美我高嶺乎 險跡 草取可奈和 妹手乎取)
 初句の「霰零」(原文)を「岩波大系本」も「伊藤本」も「あられふり」と訓じて枕詞としている。が、「吉志美が岳」(きしみがたけ)にあられが降って悪い理由は見当たらなく、ここは「中西本」に従って「あられ降る」としておきたい。吉志美が岳は所在未詳。
 分からないのが第四句の「草取りかなわ」である。諸家すべて「草取りかねて」としている。しかし、歌の場面はあられが降り、険しい山中を行く場面、女とふざけたりする状況ではない。第一、「かねて」を「かなわ(可奈和)」としているのは全万葉歌中この歌しかない。「かねて」はちゃんと「かねて」と使われていて、その例は数多い。「妻まちかねて(不得而)」(268番歌)、「越えかねて(不勝而)」(301番歌)、「行き過ぎかねて(不得而)」(354番歌)等々。つまり、「かねて」を「かなわ(可奈和)」としている例などない。もしもそう解するなら、最低限その解説が必要である。が、不可解なことに諸家は「かなわ(可奈和)」に一切注記を施していない。
 さて、私が「かなわ(可奈和)」にこだわるのはほかでもない。「草取りかねて」では歌意が不自然であり、「かなわ」の解し方によって歌がガラリと一変するからである。私は「かなわ」は現代でも「かなわない」と使われる「かなわ」だと確信している。「かなわ」は「適う」すなわち「しっかり適合している」といった類の意味である。
 この歌は、草しか生えていない険しい斜面を登っていく時の歌だと思う。そこで「草取りかなわ」は「草を握ってしっかりと我が身を固定し」の意味だと考える。すなわち「もう一方の手で彼女の手を取り登る手助けにする」が歌意となる。戯れ歌まがいの歌が、一変、恋人同士の微笑ましい光景歌に変貌する。あるいは「かなわ」は「かなえ(鼎)」あるいは「かなわ(金輪)」かも知れない。いずれも意味は同様で「しっかり固定」である。
 「あられ降る吉志美が岳が険しいので、草をつかみ、もう一方の手でしっかと彼女の手を取る」という歌である。
 左注に「この歌は或いは吉野人である味稲(うましね)が柘枝仙媛(つみのえのやまひめ)に贈った歌」とあり、、「ただし『柘枝傳』(つみのえでん)にはこの歌は見当たらない」とある。

0386   このゆふべ柘のさ枝の流れ来ば梁は打たずて取らずかもあらむ
      (此暮 柘之左枝乃 流来者 樑者不打而 不取香聞将有)
 「柘(つみ)のさ枝」の柘は山桑のことで、クワ科の落葉高木。前歌左注にある味稲(うましねが谷川で山桑の枝を拾ったところ、仙女と化して妻になったという伝説があったという。梁(やな)は川の流れに設ける魚を捕る仕掛け。「取らずかもあらむ」は反語表現。
 「この夕べ、柘(つみ)の枝が流れて来たら、梁を仕掛けることなく、枝を取らずじまいになるなんてことがあろうか」という歌である。

0387   いにしへに梁打つ人のなかりせばここにもあらまし柘の枝はも
      (古尓 梁打人乃 無有世伐 此間毛有益 柘之枝羽裳)
 梁(やな)は前歌参照。「柘の枝」は桃太郎の桃のように、当時の人には常識として通じる物語上の存在だったのだろうか。
 「遠い昔に梁を仕掛けた人さえいなかったならばここにも柘の枝があるだろうになあ」という歌である。
 左注に「若宮年魚麻呂(わかみやのあゆまろ)の作」とある。

 頭注に「羈旅の歌と短歌」とある。
0388番 長歌
   海神は くすしきものか 淡路島 中に立て置きて 白波を 伊予に廻らし 居待月 明石の門ゆは 夕されば 潮を満たしめ 明けされば 潮を干しむ 潮騒の 波を畏み 淡路島 礒隠り居て いつしかも この夜の明けむと さもらふに 寐の寝かてねば 滝の上の 浅野の雉 明けぬとし 立ち騒くらし いざ子ども あへて漕ぎ出む 庭も静けし
   (海若者 霊寸物香 淡路嶋 中尓立置而 白浪乎 伊与尓廻之 座待月 開乃門従者 暮去者 塩乎令満 明去者 塩乎令于 塩左為能 浪乎恐美 淡路嶋 礒隠居而 何時鴨 此夜乃将明跡<侍>従尓 寐乃不勝宿者 瀧上乃 淺野之雉 開去歳 立動良之 率兒等 安倍而榜出牟 尓波母之頭氣師)

  淡路島は言うまでもなく、兵庫県淡路島。伊予国は愛媛県。「居待月」は旧暦の十八夜とも枕詞とも言われる。本例一例しかなく、枕詞(?)。「子ども」は「一同」という意味。。

 (口語訳)
   海神は霊妙なものよなあ。淡路島を海中に置いて、白波を四国の伊予の方までめぐらせた。月の出を待って夕方には明石海峡から潮が満ちて来、明けてくる頃になると潮が引いてゆく。この波の潮騒が恐ろしくて、淡路島の磯の陰に身を潜め、いつになったらこの夜が明けるだろうと待っている。寝るに寝られなくて待っていると、滝の上の浅野の雉が、夜が明けてきたよと立ち騒ぎ出した。さあ、一同、漕ぎ出そうではないか。海面も静かだし。

 反 歌
0389   島伝ひ敏馬の崎を漕ぎ廻れば大和恋しく鶴さはに鳴く
      (嶋傳 敏馬乃埼乎 許藝廻者 日本戀久 鶴左波尓鳴)
 太宰府の任を解かれ、遠路大和に向かう途上の歌だろう。島伝いに敏馬(みぬめ)は神戸市灘区の崎あたり。「さは」は「多く」。
 「島伝いに敏馬の崎を漕いでいくと、群がって鳴き交わす鶴たちの声が故郷大和への恋しさをつのらせる」という歌である。
 左注に「この歌は若宮年魚麻呂(わかみやのあゆちまろ)が読み上げた歌」とあり、「作者不詳」」とある。

  譬 喩 歌
 頭注に「紀皇女御歌(きのひめみこ)の歌」とある。紀皇女は四十代天武天皇の皇女。
0390   軽の池の浦廻行き廻る鴨すらに玉藻の上にひとり寝なくに
      (軽池之 汭廻徃轉留 鴨尚尓 玉藻乃於丹 獨宿名久二)
 軽の池は奈良県橿原市にあった池。
 「軽の池の岸の周辺を泳ぎ回る鴨たち。その鴨でさえ玉藻の上にひとり寝ることはないというのに」という歌である。

 頭注に「筑紫觀世音寺の建立別当(長官)沙弥満誓(さみまんぜい)の歌」とある。
0391   鳥総立て足柄山に船木伐り木に伐り行きつあたら船木を
      (鳥総立 足柄山尓 船木伐 樹尓伐歸都 安多良船材乎)
 「鳥総(とぶさ)立て」は樹を切り倒した後、切り株にその梢を立てて山神を祀る習慣があった。足柄山は船材の産地として知られた箱根の山々。船材用の木は大きな良木。ただの材木とは違う。この歌にある船木はきこりが船木として認定した真性の船木ではなく、作者が船木にするといいのにと「見立てた木」だ。つまり作者が見立てた美しい女性の比喩なのである。
 「鳥総(とぶさ)が立ててあるから足柄山に船木を切りに行ったのだろう。どこのどいつか知らないが船木にするといい木を、ただの材木として切りおった」という歌である。

 頭注に「太宰府大監(三等官)大伴宿祢百代(おおとものすくねももよ)の梅の歌」とある。
0392   ぬばたまのその夜の梅をた忘れて折らず来にけり思ひしものを
      (烏珠之 其夜乃梅乎 手忘而 不折来家里 思之物乎)
 女性を梅の木に喩えた歌。「ぬばたまの」は枕詞。「た忘れて折らず」は妙な表現。散文ならすんなり「手折り忘れて」となるところ。七音にするための苦心の表現。が、苦心して舌足らずのたどたどしい口調になったため、「あーあ」と嘆息する様が効果的に表現されている。
 「あの夜の梅の木を手折ろうと思っていたのに折り忘れて来てしまった。深く心に留めておいたのに、あーあ」という歌である。

 頭注に「満誓沙弥の月の歌」とある。
0393   見えずとも誰れ恋ひざらめ山の端にいさよふ月を外に見てしか
      (不所見十方 孰不戀有米 山之末尓 射狭夜歴月乎 外見而思香)
 「誰れ恋ひざらめ」は「誰がこころ惹かれずにおられよう」である。平明歌。
 「見えなくても誰がこころ惹かれずにおられよう。山の端にいざよう月を遠目にも見たいものだ」という歌である。
          (2013年5月7日記、2017年9月12日記)
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