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前回の本欄に5年ぶりに東京の友人と再会したことを告げた。その彼と時事放談等四方山話に時の経つのも忘れるほど話に花が咲いたのだが、別れ際にあることを思い出し、口に出した。
「そういえば、君は富山県出身だったよね」
それが口火になって、しばし富山湾の美しさが話題になり、盛り上がった。しばらくして、彼は言った。
「富山は大伴家持が国司を務めたことで有名。万葉の里もあるよ」
この発言に私は咄嗟に言葉が出なかった。失礼ながら、長年の交際歴から彼の口から、万葉集の「ま」の字も聞いたことがなかったし、万葉集も含めて和歌の「わ」の字も聞いたことがなかった。富山には二度お邪魔したことがある。が、この私自身、つい5年前まで大伴家持の名前くらいは知っていたけれど、家持が越中(富山)の国司(長官)だったことも、まして高岡市の北口の広場には、二子山の頂上には大伴家持の銅像が立っていることなど、知るよしもなかった。私の記憶によれば二子山の麓には万葉文化の広場もある。高岡駅からは長々と走る万葉線もある。
こうした知識は万葉集に興味があって、ちょっと調べた人なら常識の部類に入ることなのだろう。けれども、和歌とは何のゆかりも興味もないかに見えた彼が「大伴家持が国司を務めていた」事実を知っていたとは、私にはちょっとした驚きだった。
数日経った今、あれが別れ際だったからよかったと思った。そうでなければ、生半可な知識のまま、大伴家持論をぶっていたかも知れない。彼にとっては大伴家持は富山県民の常識であって、それはちょうど太閤秀吉がここ名古屋は中村の出身だったことを知っていることと同様なのだ。大伴家持論などを持ち出さなくてよかった、よかった。
(2017年12月11日)
前回の本欄に5年ぶりに東京の友人と再会したことを告げた。その彼と時事放談等四方山話に時の経つのも忘れるほど話に花が咲いたのだが、別れ際にあることを思い出し、口に出した。
「そういえば、君は富山県出身だったよね」
それが口火になって、しばし富山湾の美しさが話題になり、盛り上がった。しばらくして、彼は言った。
「富山は大伴家持が国司を務めたことで有名。万葉の里もあるよ」
この発言に私は咄嗟に言葉が出なかった。失礼ながら、長年の交際歴から彼の口から、万葉集の「ま」の字も聞いたことがなかったし、万葉集も含めて和歌の「わ」の字も聞いたことがなかった。富山には二度お邪魔したことがある。が、この私自身、つい5年前まで大伴家持の名前くらいは知っていたけれど、家持が越中(富山)の国司(長官)だったことも、まして高岡市の北口の広場には、二子山の頂上には大伴家持の銅像が立っていることなど、知るよしもなかった。私の記憶によれば二子山の麓には万葉文化の広場もある。高岡駅からは長々と走る万葉線もある。
こうした知識は万葉集に興味があって、ちょっと調べた人なら常識の部類に入ることなのだろう。けれども、和歌とは何のゆかりも興味もないかに見えた彼が「大伴家持が国司を務めていた」事実を知っていたとは、私にはちょっとした驚きだった。
数日経った今、あれが別れ際だったからよかったと思った。そうでなければ、生半可な知識のまま、大伴家持論をぶっていたかも知れない。彼にとっては大伴家持は富山県民の常識であって、それはちょうど太閤秀吉がここ名古屋は中村の出身だったことを知っていることと同様なのだ。大伴家持論などを持ち出さなくてよかった、よかった。
(2017年12月11日)
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