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万葉集読解・・・53(748~761番歌)


     万葉集読解・・・53(748~761番歌)
 家持が大嬢に贈った15首(741~755番歌)の後半
0748   恋ひ死なむそこも同じぞ何せむに人目人言言痛み我がせむ
      (戀死六 其毛同曽 奈何為二 人目他言 辞痛吾将為)
 大嬢(おほいらつめ)は人の噂を恐れ、家持の名が傷つくことを心配する歌を贈ってきた(731番歌)。これに対し家持は732番歌で「私の浮き名などどうでもいい。あなたとの浮き名なら千度立とうとも」という歌を贈っている。その決意をあらためて表明しているのがこの歌である。
 「恋焦がれて死なんばかりに苦しむのだから、人の噂や中傷の苦しみなど何でもありません」という歌である。

0749   夢にだに見えばこそあらめかくばかり見えずしあるは恋ひて死ねとか
      (夢二谷 所見者社有 如此許 不所見有者 戀而死跡香)
 「夢にだに」は「せめて夢にでも」という、「見えばこそあらめ」は「立ち現れて逢えるならまだしも」という意味である。
 「せめて夢にでも立ち現れて逢えるならまだしも、こんなに長く逢えないままなら恋焦がれて死ねとでも言うのですか」という歌である。

0750   思ひ絶えわびにしものをなかなかに何か苦しく相見そめけむ
      (念絶 和備西物尾 中々<荷> 奈何辛苦 相見始兼)
 本歌から755番歌までの6首の内容はまるで家持が都にいて直接大嬢に逢っているような歌である。ところが、741番歌の頭注にあるように、741~755番歌の15首は、「また、家持が大嬢に贈った歌」と明記されている。「また」の意味は、740番歌まで家持と大嬢の間に歌のやりとりが続いていたからである。その歌のやりとりの内容は、家持が遠い任地(越中)にいて都の彼女になかなか逢えない苦しみを示すものになっている。なのにどうして突如として直接逢っているかのような内容の歌が現れるのだろう。この不審は後回しにして、とりあえず歌の読解を続けてみよう。
 「思ひ絶えわびにしものを」は「いったんは思いを断ち切ってわびしい気持に耐えていたのに」という意味である。「なかなかに」は612番歌や681番歌にもあったように「かえって」ないし「いっそのこと」という意味である。なので「なかなかに何か苦しく」は「何でまた苦しさが増す」という意味になる。問題は結句の「相見そめけむ」である。いきなり「じかに逢い始める」などという歌が出てくるのだろう。読者たる私のような者にはとまどうばかりである。大嬢が送ってきた袋や形見の着物についての歌があったが、それらと本歌はどうつながるのだろう、後に考えてみることにしよう。
 「いったんは思いを断ち切ってわびしい気持に耐えていたのに、かえって何でまた苦しさが増すのだろう。こうして逢い始めたというのに」という歌である。

0751   相見ては幾日も経ぬをここだくもくるひにくるひ思ほゆるかも
      (相見而者 幾日毛不經乎 幾許久毛 久流比尓久流必 所念鴨)
 「ここだく」は「こんなにも」という、「くるひにくるひ」は「もの狂わしいまでに」という意味である。
 「逢って幾日も経っていないのに狂おしいまでに恋しく思われる」という歌である。

0752   かくばかり面影にのみ思ほえばいかにかもせむ人目繁くて
      (如是許 面影耳 所念者 何如将為 人目繁而)
 結句の「人目繁(しげ)くて」は「人目もあるというのに」という意味である。平明歌
 「こんなにもあなたの面影にばかり思いがつのるのをどうしたらいいのでしょう。人目もあるというのに」という歌である。

0753   相見てはしましく恋はなぎむかと思へどいよよ恋ひまさりけり
      (相見者 須臾戀者 奈木六香登 雖念弥 戀益来)
 「しましく」は「しばらく」、「なぎむ」は「なごむ」。両語とも意味はすぐ分かるのだが、当時はこんな言い方をしていたのだろうか。とくに「なぎむ}は耳慣れない用語である。他の古典に「なぎむ」の用例はあるのだろうか。歌意は明快。
 「お逢いしてしばらくは心が和みましたが、その後はかえってますます恋しさが募りました」という歌である。

0754   夜のほどろ我が出でて来れば我妹子が思へりしくし面影に見ゆ
      (夜之穂杼呂 吾出而来者 吾妹子之 念有四九四 面影二三湯)
 「夜のほどろ」の「ほどろ」については「岩波大系本」は補注を儲けて詳細に解説を施している。その補注の概略を紹介すると「ホドは、ホドク、ホドコス、ホドコルの共通の語幹。その概念は「広がり散ずるの意」としている。これに従えば「夜が散ずる」すなわち「明け方」ということになる。「思へりしくし」の末尾の「し」は強調の「し」。したがって「思へりしく」は「思っていた様子」という意味になる。
 「夜が白み始めた頃あなたのところから出てくるとき、名残惜しそうにしていたあなたの様子が思い出されてなりません」という歌である。

0755   夜のほどろ出でつつ来らくたび数多くなれば我が胸断ち焼くごとし
      (夜之穂杼呂 出都追来良久 遍多數 成者吾胸 截焼如)
 解説不要であろう。
 「夜明けにお別れすることが度重なるにつれ、あなた恋しさに胸が張り裂けそうです」という歌である。
 さて、以上、749番歌までの歌と750番歌以降の6首ではその内容に明らかに断絶がある。749番歌までは逢いたくとも逢えない心情を述べているのに対し、750番歌以降は逢えば逢うほど恋しさが募る心情を歌にしている。いったいこの断絶をどう解したらよいのだろう。家持の任地(越中富山)と奈良の都とは超遠距離というほどではない。馬なら数日、徒歩でも一週間は要しなかっただろう。赴任期間中に大嬢が家持を訪ねて越中への旅を敢行したのだろうか。逆に、家持が一定期間里帰りを行ったのだろうか。詠い方の激しく切羽詰まった心情の吐露の仕方から考えて、赴任前のずっとずっと以前の心情を思い出して歌作したとは考えられない。再会して燃え上がった心情を歌にして贈ったに相違ない。では、再会の舞台となった場所はどこか。現実的に考えれば、家持の方が
里帰りをし、その短い期間中、つまり奈良の都の佐保川近辺で二人は再会を果たした、とみてよかろう。そしてこれは私の確信である。

 頭注に「大伴の田村家の大嬢が妹の坂上大嬢に贈った歌四首」とある。
0756   外に居て恋ふれば苦し我妹子を継ぎて相見む事計りせよ
      (外居而 戀者苦 吾妹子乎 次相見六 事計為与)
 姉も妹も大嬢と表記されている。759番歌に左注が付いていて二人の関係が分かるのでそこで取り上げることとし、ここでは先を急ごう。
 「外(よそ)に居て恋ふれば苦し」は「離れて住んでいるので逢えないのが苦しい」という意味である。「継ぎて相見む」は「いつも一緒にいたい」という意味。「事計(ことはか)りせよ」は「なんとかしてよ」という意味である。
 「いつもあなたと一緒にいたいのに、離れて住んでいるから逢えなくて苦しい。あなた何とかしてよ」という歌である。

0757   遠くあらばわびてもあらむを里近くありと聞きつつ見ぬがすべなさ
      (遠有者 和備而毛有乎 里近 有常聞乍 不見之為便奈沙)
 「遠くあらばわびてもあらむを」は「いっそ遠く離れて住んでいるのなら寂しくてもあきらめがつくものを」という意味である。
 「いっそ遠く離れて住んでいるのなら寂しくてもあきらめがつくものを、こことあなたの住む里とは近いと聞いているのに逢えないのではどうしようもないわ」という歌である。

0758   白雲のたなびく山の高々に我が思ふ妹を見むよしもがも
      (白雲之 多奈引山之 高々二 吾念妹乎 将見因毛我母)
 「白雲のたなびく山の高々に」は序歌。「よしもがも」は「なすすべがないものか」という意味。
 「高々とそびえ立つ山のように仰ぎ見ているばかりのあなたではなく、直接逢えるすべはないものか」という歌である。

0759   いかならむ時にか妹を葎生の汚なきやどに入りいませてむ
      (何 時尓加妹乎 牟具良布能 穢屋戸尓 入将座)
 「いかならむ時にか」は「いつになったら」という、「葎生(むぐらふ)の」は「雑草ムグラが生い茂る」という意味である。
 「いつになったら庭にムグラが生い茂る、このむさ苦しい家に来てもらえるのかしら」という歌である。
 姉でありながら妹を一段と高みに置いた物言いが続いている四首だが、その理由の一端はこの歌に付されている左注から読み取れる。
 左注に「田村大嬢と坂上大嬢は共に右大辨大伴宿奈麻呂卿(うだいべんおほとものすくなまろまへつきみ)の娘である。父方の田村の里に住む娘を田村大嬢という。他方、妹は母方の坂上の里に住んでいて、坂上大嬢という。姉妹は歌の贈答をもって消息を交わしあう」とある。
 先ず姉妹の父の宿奈麻呂は家持の父旅人の弟に当たる。その娘が坂上大嬢である。つまり家持と坂上大嬢はいとこ同士で、二人は激しい恋情を交わす間柄であることは先に見たとおり。やがて二人は結婚する。
 さて、田村大嬢と坂上大嬢は同じ父の姉妹には相違ないが、母が異なる。これが姉妹でありながら別の里に別々に住んでいた理由である。田村大嬢の母の名は不明なのでかりに田村の母と呼んでおく。他方、坂上大嬢の母は大伴家本家の娘で、刀自と尊称された、あの坂上郎女(さかのうえのいらつめ)。つまり田村の母と坂上郎女とでは格が一段と異なる。これが姉でありながら妹を一段と高みに置いた物言いを行っている理由と思われる。
 なお、右大辨大伴宿奈麻呂の右大辨は、左右に分かれて置かれた官職で、兵部省、刑部省、大蔵省、宮内省の四省を管轄していた。

 頭注に「坂上郎女が竹田庄から娘の大嬢に贈った歌二首」とある。竹田庄(たけだのたどころ)は奈良県橿原市東竹田のことという。
0760   うち渡す竹田の原に鳴く鶴の間なく時なし我が恋ふらくは
      (打渡 竹田之原尓 鳴鶴之 間無時無 吾戀良久波)
 「うち渡す」は「見渡す限り」ということ。
 「見渡す限りの竹田の原に鶴がひっきりなしに鳴いている。その鶴のようにいつも私はあなたのことを気に懸けている」という歌である。

0761   早川の瀬に居る鳥のよしをなみ思ひてありし我が子はもあはれ
      (早河之 湍尓居鳥之 縁乎奈弥 念而有師 吾兒羽裳憾怜
 「早川の瀬」は「急流の瀬」のこと。「よしをなみ」は「~ので」のみ。
 「急流の川で暮らす鳥には止まるところ(よりどころ)がないように、心細げな我が娘が心配」という歌である。
           (2013年9月23日記、2014年12月10日)
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