万葉集読解・・・52(729~747番歌)
頭注に「大伴坂上大嬢(さかのうえのおほいらつめ)が大伴家持に贈った歌三首」とある。
0729 玉ならば手にも巻かむをうつせみの世の人なれば手に巻きかたし
(玉有者 手二母将巻乎 欝瞻乃 世人有者 手二巻難石)
玉は腕輪のことだろう。「うつせみの」は「この世に生きている」という意味である。 「あなたが腕輪だったら手に巻きたい。けれどあなたは生身の人なので、手に巻くわけにいかない」という歌である。
頭注に「大伴坂上大嬢(さかのうえのおほいらつめ)が大伴家持に贈った歌三首」とある。
0729 玉ならば手にも巻かむをうつせみの世の人なれば手に巻きかたし
(玉有者 手二母将巻乎 欝瞻乃 世人有者 手二巻難石)
玉は腕輪のことだろう。「うつせみの」は「この世に生きている」という意味である。 「あなたが腕輪だったら手に巻きたい。けれどあなたは生身の人なので、手に巻くわけにいかない」という歌である。
0730 逢はむ夜はいつもあらむを何すとかその宵逢ひて言の繁きも
(将相夜者 何時将有乎 何如為常香 彼夕相而 事之繁裳)
「逢はむ夜は」は「逢おうとすれば逢える夜は」という意味。「いつもあらむを」は「いつでもあったのに」という意味である。
「逢おうとすれば逢える夜はいつでもあったのに、よりによって噂の立つあの夜にお逢いしてしまいました」という歌である。
(将相夜者 何時将有乎 何如為常香 彼夕相而 事之繁裳)
「逢はむ夜は」は「逢おうとすれば逢える夜は」という意味。「いつもあらむを」は「いつでもあったのに」という意味である。
「逢おうとすれば逢える夜はいつでもあったのに、よりによって噂の立つあの夜にお逢いしてしまいました」という歌である。
0731 我が名はも千名の五百名に立ちぬとも君が名立たば惜しみこそ泣け
(吾名者毛 千名之五百名尓 雖立 君之名立者 惜社泣)
「千名の五百名に」(ちなのいほなに)は「千度でも五百度でも」ということ。「泣け」は命令ではなく「泣けますが」の省略形。
「私の浮き名は千度でも五百度でも立とうとも、あなたの浮き名が立たなければ泣きはいたしません」という歌である。
(吾名者毛 千名之五百名尓 雖立 君之名立者 惜社泣)
「千名の五百名に」(ちなのいほなに)は「千度でも五百度でも」ということ。「泣け」は命令ではなく「泣けますが」の省略形。
「私の浮き名は千度でも五百度でも立とうとも、あなたの浮き名が立たなければ泣きはいたしません」という歌である。
頭注に「又、大伴宿祢家持が応えた歌三首」とある。
0732 今しはし名の惜しけくも我れはなし妹によりては千たび立つとも
(今時者四 名之惜雲 吾者無 妹丹因者 千遍立十方)
「今しはし」は今の強調、「今はもう」という意味。
「私の浮き名などどうでもいい。あなたとの浮き名なら千度立とうとも惜しくはありません」という歌である。
0732 今しはし名の惜しけくも我れはなし妹によりては千たび立つとも
(今時者四 名之惜雲 吾者無 妹丹因者 千遍立十方)
「今しはし」は今の強調、「今はもう」という意味。
「私の浮き名などどうでもいい。あなたとの浮き名なら千度立とうとも惜しくはありません」という歌である。
0733 うつせみの世やも二行く何すとか妹に逢はずて我がひとり寝む
(空蝉乃 代也毛二行 何為跡鹿 妹尓不相而 吾獨将宿)
「うつせみの世」は「この世」という意味。第二句の「二行(ふたゆ)く」が少々分かりづらい。「この世が二度あるわけじゃなく」、つまり「二度と訪れるとは限らないこの機会」という意味である。「何すとか」は「どうして」という意味。
「二度あることのないこの世、この好機に、あなたに逢わずにひとり寝られましょうか」という歌である。
(空蝉乃 代也毛二行 何為跡鹿 妹尓不相而 吾獨将宿)
「うつせみの世」は「この世」という意味。第二句の「二行(ふたゆ)く」が少々分かりづらい。「この世が二度あるわけじゃなく」、つまり「二度と訪れるとは限らないこの機会」という意味である。「何すとか」は「どうして」という意味。
「二度あることのないこの世、この好機に、あなたに逢わずにひとり寝られましょうか」という歌である。
0734 我が思ひかくてあらずは玉にもがまことも妹が手に巻かれなむ
(吾念 如此而不有者 玉二毛我 真毛妹之 手二所纒<乎>)
「我が思ひかくてあらずは」は「こんな苦しい思いをするくらいなら」という意味である。
「こんな苦しい思いをするくらいなら、いっそ玉にでもなってあなたの手に巻かれたい」という歌である。
(吾念 如此而不有者 玉二毛我 真毛妹之 手二所纒<乎>)
「我が思ひかくてあらずは」は「こんな苦しい思いをするくらいなら」という意味である。
「こんな苦しい思いをするくらいなら、いっそ玉にでもなってあなたの手に巻かれたい」という歌である。
頭注に「坂上大嬢(さかのうえのおほいらつめ)が家持に贈った歌」とある。
0735 春日山霞たなびき心ぐく照れる月夜にひとりかも寝む
(春日山 霞多奈引 情具久 照月夜尓 獨鴨念)
「心ぐく」は他に類例がなく、必ずしも意味が明確でない。私には二様に解釈できる。ひとつは「春日山霞たなびき」を承け「その霞のように気分が晴れない」とする解釈。二つ目は「心ぐく」は「照れる月夜」にかかっていて、「月の光もぼんやりとしている」様を形容しているという解釈。いずれとも決めかねるが、私は前者を取りたい。理由は原文の「照月夜尓」にある。月がぼんやりしているなら「照月」などと明確に表現しないだろうと思うからである。「霞のように晴れやらぬ心情」と「明るく照り輝く月」の対比が鮮やかで、かえって大嬢の恋の悩みが際だつ。
「春日山に霞がたなびいているように私の気分は晴れやらぬのに、鮮やかに月が輝く夜に私は独り寝るのでしょうか」という歌である。
0735 春日山霞たなびき心ぐく照れる月夜にひとりかも寝む
(春日山 霞多奈引 情具久 照月夜尓 獨鴨念)
「心ぐく」は他に類例がなく、必ずしも意味が明確でない。私には二様に解釈できる。ひとつは「春日山霞たなびき」を承け「その霞のように気分が晴れない」とする解釈。二つ目は「心ぐく」は「照れる月夜」にかかっていて、「月の光もぼんやりとしている」様を形容しているという解釈。いずれとも決めかねるが、私は前者を取りたい。理由は原文の「照月夜尓」にある。月がぼんやりしているなら「照月」などと明確に表現しないだろうと思うからである。「霞のように晴れやらぬ心情」と「明るく照り輝く月」の対比が鮮やかで、かえって大嬢の恋の悩みが際だつ。
「春日山に霞がたなびいているように私の気分は晴れやらぬのに、鮮やかに月が輝く夜に私は独り寝るのでしょうか」という歌である。
頭注に「又、家持が坂上大嬢に応えた歌」とある。
0736 月夜には門に出で立ち夕占問ひ足卜をぞせし行かまくを欲り
(月夜尓波 門尓出立 夕占問 足卜乎曽為之 行乎欲焉)
第三句と四句に「夕占(ゆふけ)問ひ足卜(あうら)をぞせし」とある。「夕占」は「辻占い」のことで、四つ辻に立って道行く人の最初の言葉を聞いて吉凶を占うこと。どんな言葉が対象なのか具体的にはよく分からない。足卜はあそこと決めて歩いていって右左のどちらの足で達したかによって吉凶を占うものである。「岩波大系本」等にも占いの内容が記されている。が、歌の核心は占いの内容ではなく、女性に逢いに行くためになぜ占いをするかにある。なのにその理由は歌には見えず、正直私にはいまいち不明な歌である。縁起をかついでという意味だろうか。
「月夜には門の外に出て吉凶を占い、足占いをしています。あなたに逢いたいと思って」という歌である。
0736 月夜には門に出で立ち夕占問ひ足卜をぞせし行かまくを欲り
(月夜尓波 門尓出立 夕占問 足卜乎曽為之 行乎欲焉)
第三句と四句に「夕占(ゆふけ)問ひ足卜(あうら)をぞせし」とある。「夕占」は「辻占い」のことで、四つ辻に立って道行く人の最初の言葉を聞いて吉凶を占うこと。どんな言葉が対象なのか具体的にはよく分からない。足卜はあそこと決めて歩いていって右左のどちらの足で達したかによって吉凶を占うものである。「岩波大系本」等にも占いの内容が記されている。が、歌の核心は占いの内容ではなく、女性に逢いに行くためになぜ占いをするかにある。なのにその理由は歌には見えず、正直私にはいまいち不明な歌である。縁起をかついでという意味だろうか。
「月夜には門の外に出て吉凶を占い、足占いをしています。あなたに逢いたいと思って」という歌である。
頭注に「大嬢(おほいらつめ)が家持に贈った歌二首」とある。
0737 かにかくに人は言ふとも若狭道の後瀬の山の後も逢はむ君
(云々 人者雖云 若狭道乃 後瀬山之 後毛将會君)
「若狭道(わかさぢ)の後瀬(のちせ)の山」は福井県小浜市の山だという。結句の「後も逢はむ君」を導くための序歌。奈良の都近くに住む大嬢が持ち出す山ではない。少なくともその山が若狭道にあると知っていなければ、後瀬山が浮かぶ筈がない。家持は若狹国の隣国、越中国(富山県)に越中守(長官)として赴任(746~751年)していたことがある。30歳前後のことである。大嬢は赴任後の家持と消息を交わしていたことがこの歌でうかがわれる。
「とかく、人の口はうるさいけれど、若狭道にある後瀬の山ではありませんが、後にはお逢いしたいものですね」という歌である。
0737 かにかくに人は言ふとも若狭道の後瀬の山の後も逢はむ君
(云々 人者雖云 若狭道乃 後瀬山之 後毛将會君)
「若狭道(わかさぢ)の後瀬(のちせ)の山」は福井県小浜市の山だという。結句の「後も逢はむ君」を導くための序歌。奈良の都近くに住む大嬢が持ち出す山ではない。少なくともその山が若狭道にあると知っていなければ、後瀬山が浮かぶ筈がない。家持は若狹国の隣国、越中国(富山県)に越中守(長官)として赴任(746~751年)していたことがある。30歳前後のことである。大嬢は赴任後の家持と消息を交わしていたことがこの歌でうかがわれる。
「とかく、人の口はうるさいけれど、若狭道にある後瀬の山ではありませんが、後にはお逢いしたいものですね」という歌である。
0738 世の中の苦しきものにありけらし恋にあへずて死ぬべき思へば
(世間之 苦物尓 有家良之 戀尓不勝而 可死念者)
「ありけらし」は「なのですね」という意味。「恋にあへずて」は原文に「戀尓不勝而」とあるように「恋の苦しみに耐えきれずに」という意味である。
「世の中で苦しくてならないものなのですね、恋は。恋が死ぬほど苦しいものだとは思いませんでした」という歌である。
(世間之 苦物尓 有家良之 戀尓不勝而 可死念者)
「ありけらし」は「なのですね」という意味。「恋にあへずて」は原文に「戀尓不勝而」とあるように「恋の苦しみに耐えきれずに」という意味である。
「世の中で苦しくてならないものなのですね、恋は。恋が死ぬほど苦しいものだとは思いませんでした」という歌である。
頭注に「又、家持が坂上大嬢に応えた歌二首」とある。
0739 後瀬山後も逢はむと思へこそ死ぬべきものを今日までも生けれ
(後湍山 後毛将相常 念社 可死物乎 至今日<毛>生有)
一読して分かる平明歌。
「後瀬山、後に逢おうと思うからこそ死にもしないでこうして生きているのです」という歌である。
0739 後瀬山後も逢はむと思へこそ死ぬべきものを今日までも生けれ
(後湍山 後毛将相常 念社 可死物乎 至今日<毛>生有)
一読して分かる平明歌。
「後瀬山、後に逢おうと思うからこそ死にもしないでこうして生きているのです」という歌である。
0740 言のみを後も逢はむとねもころに我れを頼めて逢はざらむかも
(事耳乎 後毛相跡 懃 吾乎令憑而 不相可聞)
「言のみを」は「口先では」という意味。「ねもころに」は菅の根の細かさからくる用語で、「細やかに」とか「丁重に」といった意味。「我れを頼(たの)めて」は「私を安心させて」である。
「口先では私を頼って逢おうと丁重におっしゃるが、本意は逢って下さらないつもりなのでは」という歌である。
(事耳乎 後毛相跡 懃 吾乎令憑而 不相可聞)
「言のみを」は「口先では」という意味。「ねもころに」は菅の根の細かさからくる用語で、「細やかに」とか「丁重に」といった意味。「我れを頼(たの)めて」は「私を安心させて」である。
「口先では私を頼って逢おうと丁重におっしゃるが、本意は逢って下さらないつもりなのでは」という歌である。
頭注に「更に大伴宿祢家持が坂上大嬢に贈った歌十五首」とある。741~755番歌。
0741 夢の逢ひは苦しかりけりおどろきて掻き探れども手にも触れねば
(夢之相者 苦有家里 覺而 掻探友 手二毛不所觸者)
「夢の逢ひは」は「彼女が夢に現れて逢いにきてくれたこと」をいう。「苦しかりけり」は「むなしい」という意味。
「夢の中で逢うのはむなしいです。あなたに逢えたと思って、驚いて掻き探ったけれど手にさえ触れることができなかった」という歌である。
0741 夢の逢ひは苦しかりけりおどろきて掻き探れども手にも触れねば
(夢之相者 苦有家里 覺而 掻探友 手二毛不所觸者)
「夢の逢ひは」は「彼女が夢に現れて逢いにきてくれたこと」をいう。「苦しかりけり」は「むなしい」という意味。
「夢の中で逢うのはむなしいです。あなたに逢えたと思って、驚いて掻き探ったけれど手にさえ触れることができなかった」という歌である。
0742 一重のみ妹が結ばむ帯をすら三重結ぶべく我が身はなりぬ
(一重耳 妹之将結 帶乎尚 三重可結 吾身者成)
一読して分かる平明歌。
「一重(一回り)にあなたが結べばちょうどよかった帯も、今では三まわりも巻くことが出来るほどやせ細ってしまいました」という歌である。
(一重耳 妹之将結 帶乎尚 三重可結 吾身者成)
一読して分かる平明歌。
「一重(一回り)にあなたが結べばちょうどよかった帯も、今では三まわりも巻くことが出来るほどやせ細ってしまいました」という歌である。
0743 我が恋は千引の石を七ばかり首に懸けむも神のまにまに
(吾戀者 千引乃石乎 七許 頚二将繋母 神之諸伏)
結句の原文「神之諸伏」を「佐々木本」と「岩波大系本」は「神の諸伏(もろふし)」と訓じている。そして「岩波大系本」は「意義未詳」としている。これに対し「伊藤本」や「中西本」は「神のまにまに」と訓じ、「神の思し召しのままに」という意だとしている。「千引(ちびき)の石」は千人引きの巨岩。全体の歌意からして「神の思し召しのままに」でいいように思われる。
「私の恋は、千人引きの巨岩を七つも首にかけているほど苦しく重い。神の思し召しとあればその試練には耐えなければならない」という歌である。
(吾戀者 千引乃石乎 七許 頚二将繋母 神之諸伏)
結句の原文「神之諸伏」を「佐々木本」と「岩波大系本」は「神の諸伏(もろふし)」と訓じている。そして「岩波大系本」は「意義未詳」としている。これに対し「伊藤本」や「中西本」は「神のまにまに」と訓じ、「神の思し召しのままに」という意だとしている。「千引(ちびき)の石」は千人引きの巨岩。全体の歌意からして「神の思し召しのままに」でいいように思われる。
「私の恋は、千人引きの巨岩を七つも首にかけているほど苦しく重い。神の思し召しとあればその試練には耐えなければならない」という歌である。
0744 暮さらば屋戸開け設けて我れ待たむ夢に相見に来むといふ人を
(暮去者 屋戸開設而 吾将待 夢尓相見二 将来云比登乎)
「暮(ゆふ)さらば」は「日が暮れたら」という意味。「屋戸(やど)開け設(ま)けて」は「家の戸をあらかじめ開けて」という意味である。
「日が暮れたらあらかじめ戸を開けて待とう。夢でもいい、私に逢いに来ようという人を」という歌である。
(暮去者 屋戸開設而 吾将待 夢尓相見二 将来云比登乎)
「暮(ゆふ)さらば」は「日が暮れたら」という意味。「屋戸(やど)開け設(ま)けて」は「家の戸をあらかじめ開けて」という意味である。
「日が暮れたらあらかじめ戸を開けて待とう。夢でもいい、私に逢いに来ようという人を」という歌である。
0745 朝夕に見む時さへや我妹子が見れど見ぬごとなほ恋しけむ
(朝夕二 将見時左倍也 吾妹之 雖見如不見 由戀四家武)
「時さへや」は「時であってさえ」という意味である。
「朝夕見る日が来てあなたと暮らすようになったとしても、それでも逢っていないような気がするほど恋しい」という歌である。
(朝夕二 将見時左倍也 吾妹之 雖見如不見 由戀四家武)
「時さへや」は「時であってさえ」という意味である。
「朝夕見る日が来てあなたと暮らすようになったとしても、それでも逢っていないような気がするほど恋しい」という歌である。
0746 生ける世に我はいまだ見ず言絶えてかくおもしろく縫へる袋は
(生有代尓 吾者未見 事絶而 如是A怜 縫流嚢者)
この歌は結句の「袋」が分からないとよく分からない。次歌に「あなたが贈ってくれた着物」とあるので、おそらく着物と一緒に大嬢が贈ってきた袋に相違ない。「言(こと)絶えて」は「言葉に表せないほど」という意味。典型的な倒置表現歌。
「この世に生まれて以来、言葉にならないほどこんな見事に縫った袋はこれまで見たことがありません」という歌である。
(生有代尓 吾者未見 事絶而 如是A怜 縫流嚢者)
この歌は結句の「袋」が分からないとよく分からない。次歌に「あなたが贈ってくれた着物」とあるので、おそらく着物と一緒に大嬢が贈ってきた袋に相違ない。「言(こと)絶えて」は「言葉に表せないほど」という意味。典型的な倒置表現歌。
「この世に生まれて以来、言葉にならないほどこんな見事に縫った袋はこれまで見たことがありません」という歌である。
0747 我妹子が形見の衣下に着て直に逢ふまでは我れ脱かめやも
(吾妹兒之 形見乃服 下著而 直相左右者 吾将脱八方)
737番歌ともども家持は越中国に赴任中だったとうかがい知れる歌。「我妹子が形見の衣」は「あなたが贈ってくれた形見の着物」という意味である。
「あなたが贈ってくれた形見の着物を下に着て、直接お逢い出来る日がくるまで肌身離さず着ています」という歌である。
(2013年9月18日記、2017年12月8日)
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(吾妹兒之 形見乃服 下著而 直相左右者 吾将脱八方)
737番歌ともども家持は越中国に赴任中だったとうかがい知れる歌。「我妹子が形見の衣」は「あなたが贈ってくれた形見の着物」という意味である。
「あなたが贈ってくれた形見の着物を下に着て、直接お逢い出来る日がくるまで肌身離さず着ています」という歌である。
(2013年9月18日記、2017年12月8日)