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万葉集読解・・・54(762~776番歌)


     万葉集読解・・・54(762~776番歌)
 頭注に「紀女郎(きのいらつめ)が大伴家持に贈った歌二首」とあり、細注に「女郎の名は小鹿という」とある。
0762   神さぶといなにはあらずはたやはたかくして後に寂しけむかも
      (神左夫跡 不欲者不有 八也八多 如是為而後二 佐夫之家牟可聞)
 不思議なのは名が小鹿と分かっているのなら、なぜ紀小鹿(きののをが)と明記しないでわざわざ紀女郎などと表記してあるのだろう。名を記すのは高貴な女性の場合に限られていたのだろうか。ならば細注を設ける必要はなく、本注に「紀女郎「」の代わりに「紀小鹿」とすればよさそう。どうも私には分からない。
 「神さぶと」は「古めいた」という意味、すなわち「お婆さんになったので」という意味である。第二句の「いなにはあらず」は各書とも「拒否する」と解している。「佐々木本」は「不欲(いな)にはあらず」とわざわざ「不欲」を置いて訓じている。「岩波大系本」も「不欲」を生かしているが、その解では「拒否する」と解している。各書とも「拒否する」で一致しているので、歌の訓は「伊藤本」に従って「いなにはあらず」としたが、「否にはあらず」と解するとどこかしっくりしない。ここは原文の「不欲者不有」を尊重した「佐々木本」の訓に従いたい。つまり「お婆さんだから欲しないわけではありません」と解したいのである。「はたやはた」は「他方」という意味。
 「もうお婆さんだからって受け入れたくないわけではありません。他方、受け入れなかった後で後悔して寂しく思うかも」という歌である。

0763   玉の緒を沫緒に搓りて結べらばありて後にも逢はざらめやも
      (玉緒乎 沫緒二搓而 結有者 在手後二毛 不相在目八方)
 「玉の緒」は一般的には「魂の緒」すなわち「生命」のことだが、「着物の緒」とも取れる。少なくとも作者は両様にかけているとみていい。「沫緒(あわを)に搓(よ)りて」は「ゆるく」という、「結べらば」は「結んでおけば」という意味である。
 「着物の緒(紐)をいつでもほどけるようにゆるく結んでおけば、いつか逢う日があるかもしれないではありませんか」という歌である。

 頭注に「大伴宿祢家持が応えた歌」とある。
0764   百年に老舌出でてよよむとも我れはいとはじ恋ひは増すとも
      (百年尓 老舌出而 与余牟友 吾者不Q 戀者益友)
 耳慣れない用語は「よよむとも」。「よぼよぼになっても」という意味である。
 「百歳になって半開きの口から舌をのぞかせ、よぼよぼになっても、恋しさが増すことはあっても嫌になったりはしません」という歌である。

 頭注に「家持が久邇京(くにのみやこ)にあって寧樂宅(ならのいへ)に留まっている坂上大嬢(さかのうへのおほいらつめ)をしのんで作った歌」とある。
0765   一重山へなれるものを月夜よみ門に出で立ち妹か待つらむ
      (一隔山 重成物乎 月夜好見 門尓出立 妹可将待)
 奈良時代と呼ばれるように平城京(奈良市)に都が置かれた710年から平安遷都が行われた794年までの84年間はずっと平城京に都が置かれていたように考えられている。が、実際には途中で一時的に、久邇京=恭仁京(京都府木津川市、740~743年)、紫香楽宮(しがらきのみや)(滋賀県甲賀市、744~745年)、難波京(なにわきょう)(大阪市、744年)と短期間にめまぐるしく遷都が行われ、745年には平城京に遷る。その久邇京に家持は勤務していたことがあったわけだ。
 「へなれるものを」は「隔てられている」という意味。「月夜よみ」は原文に「月夜好見」とあるように「絶好の月夜」のこと。頭注にあるように、「坂上大嬢をしのんで作った」という説明にぴったり。 「ひと山隔たった地に彼女はいる。門口に出てみると絶好の月夜。彼女も門口に出て同じ月を眺めて私を待っているのだろうか」という歌である。

 頭注に「これを聞いて藤原郎女(ふぢはらのいらつめ)が応えた歌」とある。藤原郎女は家持の付き人か?
0766   道遠み来じとは知れるものからにしかぞ待つらむ君が目を欲り
      (路遠 不来常波知有 物可良尓 然曽将待 君之目乎保利)
 「道遠み」は「~ので」のみ。「君が目を欲り」は「あなた様にお逢いになりたくて」という意味。
 「道が遠いので来られないと分かっていながら、それでもあなた様にお逢いになりたくてお待ちになっていらっしゃるのでしょう」という歌である。

 頭注に「大伴宿祢家持が更に大嬢(おほいらつめ)に贈った歌二首」とある。
0767   都路を遠みか妹がこのころはうけひて寝れど夢に見え来ぬ
      (都路乎 遠哉妹之 比来者 得飼飯而雖宿 夢尓不所見来)
 「都路を遠みか」は「ここ久邇京が奈良の家から遠く離れているせいか」という意味である。「うけひて」は「神様に願をかけて」という意味。
 「ここは家から遠く離れているせいか神様にお願いして寝てもあなたは夢に出てきません」という歌である。

0768   今知らす久迩の都に妹に逢はず久しくなりぬ行きて早見な
      (今所知 久邇乃京尓 妹二不相 久成 行而早見奈)
 「今知らす」の「知らす」は『古事記』や『日本書紀』を読んだ方ならおなじみの表現で、「天皇がお治めになっておられる」という意味である。この時の天皇は四十五代聖武天皇。
 「現在、天皇がいらっしゃる久迩(くに)の都にやってきてあなたに逢わなくなってから長くなった。家に帰って早く君の顔が見たい」という歌である。

 頭注に「大伴家持が紀女郎(きのいらつめ)に応えて贈った歌」とある。
0769   ひさかたの雨の降る日をただ独り山辺に居ればいぶせかりけり
      (久堅之 雨之落日乎 直獨 山邊尓居者 欝有来)
 「ひさかたの」はおなじみの枕詞。「いぶせかりけり」は「やりきれない」という意味。 「雨の日にただ一人っきりで山辺にいるとやりきれません」という歌である。

 頭注に「大伴宿祢家持が久邇京にいて、坂上大嬢(さかのうへのおほいらつめ)に贈った歌五首」とある。
0770   人目多み逢はなくのみぞ心さへ妹を忘れて我が思はなくに
      (人眼多見 不相耳曽 情左倍 妹乎忘而 吾念莫國)
 「人目多み」は何と読むのだろう。古文では多は通常「さは」と読んでいる。万葉集でもたとえば、「草深みこほろぎさはに(原文「蟋多」)」(2271番歌)、「人さはに(原文「人多」)国には満ちて」(485番歌長歌)とある。ただ、ここは「多み」となっているので「おほみ」と読むのだろう。みは「~ので」のみ。平明歌。
 「人目があるから逢わないだけです。あなたから心が離れたわけではありませんと思っています」という歌である。

0771   偽りも似つきてぞするうつしくもまこと我妹子我れに恋ひめや
      (偽毛 似付而曽為流 打布裳 真吾妹兒 吾尓戀目八)
 「偽りも似つきてぞする」は「嘘でも本当らしく聞こえます」という意味である。「うつしくも」は「顕しくも」で、「実際」という意味。
 「嘘でも本当らしく聞こえます。実際、君は本当に私に恋焦がれているのかい」という歌である。

0772   夢にだに見えむと我れはほどけども相し思はねばうべ見えずあらむ
      (夢尓谷 将所見常吾者 保杼毛友 不相志思 諾不所見武)
 「夢にだに見えむと」は「夢でもいいから見ようと」という、「ほどけども」は「着物の紐をほどいて寝てみたけれど」という意味である。「相(あひ)し思はねば」の「相し」は「私が恋焦がれるようにあなたも」という意味である。「うべ」は「当然」。
 「夢にでも君と逢えないかと思って着物の紐をほどいて寝てみたけれど、私ほどに君が思っていてくれないせいか夢に現れないのはもっともですね」という歌である。

0773   言とはぬ木すらあじさゐ諸弟らが練りのむらとにあざむかえけり
      (事不問 木尚味狭藍 諸弟等之 練乃村戸二 所詐来)
 第三句の「諸弟(もろと)」。人名説、植物名説等諸説あってはっきりしない。ただ「あじさゐ」と並べて併記されている点に着目すれば植物名と解するのが穏当であろう。問題は「練りのむらとに」。むらとは心と解されているが、次歌も併せて考えるとここは「群言(むらこと)」の縮まった言葉と考えざるを得ない。
 「物言わぬ木、紫陽花、諸弟等も、君の巧みな言辞にはだまされるに相違ない」という歌である。

0774   百千たび恋ふと言ふとも諸弟らが練りのことばは我れは頼まじ
      (百千遍 戀跡云友 諸弟等之 練乃言羽者 吾波不信)
 前歌で諸弟(もろと)は植物名と解さないと不自然とした。本歌では逆に人名と解さないと不自然に見える。が、人名とは解しがたい。頭注のない本歌にいきなり人名が出てきては相手の大嬢はもとより読者の私たちもとまどうばかりである。で、私はこの歌の「諸弟ら」も前歌と同じ「諸弟ら」に相違ないとみる。すなわち「物言わぬ木、紫陽花、諸弟ら」である。なので、歌意はこうなる。 「あなたが恋焦がれていると、いくたび繰り返そうとも諸弟らがだまされた言辞には乗りませんよ」という歌である。

 頭注に「大伴宿祢家持が紀女郎(きのいらつめ)に贈った歌」とある。
0775   鶉鳴く古りにし郷ゆ思へども何ぞも妹に逢ふよしもなき
      (鶉鳴 故郷従 念友 何如裳妹尓 相縁毛無寸)
 二人のやりとりはすでにみた762~764番歌に見られる。「古(こ)りにし郷(さと)ゆ」は「うらさびた郷にいた頃から」という意味である。
 鶉(うづら)が鳴くようなうらさびた郷にいた頃からあなたに恋焦がれていたのに、なぜ逢う機会がなかったのでしょう」という歌である。

 頭注に「紀女郎(きのいらつめ)が家持の歌に応えて贈った歌」とある。
0776   言出しは誰が言にあるか小山田の苗代水の中淀にして
      (事出之者 誰言尓有鹿 小山田之 苗代水乃 中与杼尓四手)
 「言出(ことで)しは誰(た)が言(こと)にあるか」は文字通りなら「言い出したのは誰の言葉だったかしら」となるが、換言すれば「言い寄ったのはどこのどなたでしたかしら」である。「淀(よど)にして」は「とどこおらせて」という意味である。
 「言い寄ったのはどこのどなたでしたかしら。小さな山の田の苗代水(なはしろみず)のようにとどこおらせているではありませんか」という歌である。
           (2013年9月30日記、2017年12月15日)
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