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万葉集読解・・・56(793~801番歌)

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     万葉集読解・・・56(793~801番歌)
 雜 歌
 頭注に「大宰帥大伴卿が凶事を聞いて応えた歌」とある。大宰帥(だざいのそち)は太宰府長官。大伴卿は大伴旅人のことで、大伴家持の父。さらに大略以下のような前文が付いている。
 「凶事が重なり、凶報が相次ぎ、悲しみに断腸の涙を流す。お二方(部下か)の支えによってわずかに命を繋いでいるばかり。         神龜五(728)年六月二十三日。」
0793   世の中は空しきものと知る時しいよよますます悲しかりけり
      (余能奈可波 牟奈之伎母乃等 志流等伎子 伊与余麻須万須 加奈之可利家理)
 「知る時し」は強意のし。
 「世の中は空しいものと知って、いよいよますます悲しい」という歌である。

 頭注に「日本挽歌」とある。日本挽歌とは日本語の挽歌ということで、いわゆる長歌のことをいう。さらに大略以下のような前文(漢文)が付いている。
 「万物の生死は夢のように虚しい。その流転は回る輪がとどまらないようなものだ。すなわち、かの維摩大士も釈迦も死滅の苦しみから逃れることはできなかった。この二聖人さえ死に神から逃れることはできないのだから、世界の誰が死から逃れられよう。昼夜は先を争って進み、時は眼前を横切る鳥のように一瞬に過ぎ、この身は走る馬のように消え去っていく。その理(ことわり)にしたがって麗しくも愛しい妻も消え去ってしまった。夫婦共に白髪までという契りは果たされることなく、断腸の悲しみはいよいよ深まるばかり。しかし、黄泉(よみ)の門(死界の門)は開かれることはなく、悲しみがつのる。願わくば、妻のいる極楽浄土に赴かん」
0794番 長歌
   大君の 遠の朝廷と しらぬひ 筑紫の国に 泣く子なす 慕ひ来まして 息だにも いまだ休めず 年月も いまだあらねば 心ゆも 思はぬ間に うち靡き 臥やしぬれ 言はむすべ 為むすべ知らに 岩木をも 問ひ放け知らず 家ならば 形はあらむを 恨めしき 妹の命の 我れをばも いかにせよとか にほ鳥の ふたり並び居 語らひし 心背きて 家離りいます
   (大王能 等保乃朝廷等 斯良農比 筑紫國尓 泣子那須 斯多比枳摩斯提 伊企陀<尓>母 伊摩陀夜周米受 年月母 伊摩他阿良祢婆 許々呂由母 於母波奴阿比陀尓 宇知那?枳 許夜斯努礼 伊波牟須弊 世武須弊斯良尓 石木乎母 刀比佐氣斯良受 伊弊那良婆 迦多知波阿良牟乎 宇良賣斯企 伊毛乃美許等能 阿礼乎婆母 伊可尓世与等可 尓保鳥能 布多利那良?為 加多良比斯 許々呂曽牟企弖 伊弊社可利伊摩須)

  長歌は用語の解説を最小限にとどめる。「しらぬひ」は枕詞。「しらぬひ」は全部で3例あるがいずれも五音の位置におかれ、「しらぬひの」と訓じた方が適切に思われる。「問ひ放(さ)け知らず」は「問いかけても知らん顔」という意味。「にほ鳥」はカイツブリのこと。

 (口語訳)
   大君の遠(とお)の朝廷(みかど)である筑紫(つくし)の国(北九州)に泣く子のように慕い来られて息も休める暇もなく、年月もいくらも経たないのに、思う間もなく、ぐったりされ、寝込んでしまわれた。なんと言っていいのか、どうしていいか分からず、岩や樹に問いかけても知らぬ顔でせんない。(奈良の)家にいらっしゃればまだ生き生きとされていただろうに恨めしい。妻は私にどうせよというのか。カイツブリのように夫婦並んで語っていたのに、ああ、それに背いて家から永遠に離れてしまわれた。

 反 歌
0795   家に行きていかにか我がせむ枕付く妻屋寂しく思ほゆべしも
      (伊弊尓由伎弖 伊可尓可阿我世武 摩久良豆久 都摩夜左夫斯久 於母保由倍斯母)
 家は奈良の家。「枕付く」は「枕をつけて」すなわち「共寝した」という意味である。  「奈良の家に帰ったらどうしたらよかろう。共寝した妻の部屋が寂しく思われるばかりである」という歌である。

0796   はしきよしかくのみからに慕ひ来し妹が心のすべもすべなさ
      (伴之伎与之 加久乃未可良尓 之多比己之 伊毛我己許呂乃 須別毛須別那左)
 「はしきよし」は全部で11例あり、長歌8例、短歌は本歌を含めて3例ある。本歌のように冒頭に登場する例は4498番歌「はしきよし今日の主人は~」のみである。「はしきよし」の「はしき」は「愛しき」であり、感嘆符ととってもいいが、「いとしい」とか「お慕わしい」と解した方がいいときもある。「かくのみからに」は470番歌に「かくのみにありけるものを妹も我れも千年のごとく頼みたりけり」とあるように、「こんな定めになるとも知らず」という意味である。
 「こんなことになるとも知らず、ここ太宰府まで付いてきてくれた妻の心を思うと、いとしくやるかたない」という歌である。

0797   悔しかもかく知らませばあをによし国内ことごと見せましものを
      (久夜斯可母 可久斯良摩世婆 阿乎尓与斯 久奴知許等其等 美世摩斯母乃乎)
 第三句の「あをによし」が少々悩ましい。普通は奈良(平城京)を表す枕詞。が、奈良と表記しないで「国内(くぬち)」と表記している。なのでこれを「筑紫国内」と解することも可能である。が、それなら「しらぬひ」と表記するのが自然。そこで私はやはり故郷の大和と解するのが自然だろうと思う。この一点だけ分かれば、本歌は平明であり、それだけに旅人の惻々たる心情が伝わってくる。
 「ああ、こんなことになるんだったら故郷の大和をことごとく見せておくんだったのに」という歌である。

0798   妹が見し楝の花は散りぬべし我が泣く涙いまだ干なくに
      (伊毛何美斯 阿布知乃波那波 知利奴倍斯 和何那久那美多 伊摩陀飛那久尓)
 「楝(おうち)の花」は栴檀(センダン)のことという。「栴檀は双葉より芳し」の栴檀である。「妹(いも)が見し」は「妻が見た」という意だが、各自色々に受け取って差し支えなかろう。たとえば「妻が愛した」ととってもいいし「妻と共に愛でた」ととってもよかろう。むろん、妻の象徴ととってもよかろう。いずれにしろ庭に植えられていた栴檀の花。頃は旧暦6月、現行暦なら7月、夏の真っ盛り。栴檀の花が散り始める季節である。
 「妻が愛した栴檀の花が散らんとしている。亡くなって間がなく涙がとまらないのに」という歌である。

0799   大野山霧立ちわたる我が嘆くおきその風に霧立ちわたる
      (大野山 紀利多知和多流 和何那宜久 於伎蘇乃可是尓 紀利多知和多流)
 大野山は太宰府の背後の山で、そこに旅人の妻は埋葬されたという。「おきそ」は息吹のこととである。「霧立ちわたる」という句が繰り返されており、霧に消えてゆく亡き妻への悲しみがよく表れている。
 「大野山に一面霧が立ち込めている。我が嘆く息吹の風によって一面霧が立ち込めている」という歌である。

 神龜五年(728年)七月廿一日。筑前國守山上憶良(やまのうへのおくら) 奏上

 頭注に「惑った情(こころ)を元に返させる歌 並びに序」とある。序文は大略以下の通り。
 「ある人、父母を敬うことを知る一方、孝行を忘れ、妻子を顧みず、脱ぎ捨てた履き物のように軽んじている。自ら俗界の先達と称し、意気だけは盛んで青雲に舞う観がある。が、その身は俗世の塵にまみれている。そこで三綱の道を示し、五教を説くを歌をもって正しい道に返そう。歌にいう」
0800番 長歌
   父母を 見れば貴し 妻子見れば めぐし愛し 世間は かくぞことわり もち鳥の かからはしもよ ゆくへ知らねば 穿沓を 脱き棄るごとく 踏み脱きて 行くちふ人は 石木より なり出し人か 汝が名告らさね 天へ行かば 汝がまにまに 地ならば 大君います この照らす 日月の下は 天雲の 向伏す極み たにぐくの さ渡る極み 聞こし食す 国のまほらぞ かにかくに 欲しきまにまに しかにはあらじか
   (父母乎 美礼婆多布斗斯 妻子見礼婆 米具斯宇都久志 余能奈迦波 加久叙許等和理 母<智>騰利乃 可可良波志母与 由久弊斯良祢婆 宇既具都遠 奴伎都流其等久 布美奴伎提 由久智布比等波 伊波紀欲利 奈利提志比等迦 奈何名能良佐祢 阿米弊由迦婆 奈何麻尓麻尓 都智奈良婆 大王伊摩周 許能提羅周 日月能斯多波 雨麻久毛能 牟迦夫周伎波美 多尓具久能 佐和多流伎波美 企許斯遠周 久尓能麻保良叙 可尓迦久尓 保志伎麻尓麻尓 斯可尓波阿羅慈迦)

  「もち鳥」は粘りけの強いもち縄でとらえた鳥。「かからはしもよ」は「かかったもち鳥が離れない」という意味である。「ゆくへ知らねば」は「行く末がどうなるか分からない」という意味。穿沓(うけぐつ)は穴の空いたくつ。「行くちふ人は」は「行くような人は」という意味。「たにぐくの」は「ヒキガエルの」ということ。「聞こし食す国のまほらぞ」は「大君がお治めになっている素晴らしい国」という意味である。

 (口語訳)
   父母を見れば貴く、妻子を見れば可愛くいとしい。この世のこれが当然のことわりぞ。もちにかかったもち鳥のように離れがたい。行く末がどうなるか分からないのに、穴の空いたくつを脱ぎ捨てるように安易に行ってしまう(死ぬような)人は、情を持たない岩や木から出来た人なのか。君の名は何という。天界に行ってしまえば君の思いのままかも知れない。が、この地上は大君がいらっしゃって照り輝く国ぞ。日月のもと、天雲のたなびく果て、ヒキガエルが渡って行く先まで、大君がお治めになっている素晴らしい国ぞ。天界に行くよりも、こんなわけで、ここに留まるのが道理というものではないか。

 反 歌
0801   ひさかたの天道は遠しなほなほに家に帰りて業を為まさに
      (比佐迦多能 阿麻遅波等保斯 奈保<々々>尓 伊弊尓可弊利提 奈利乎斯麻佐尓)
 「ひさかたの」はなじみの枕詞。「天道(あまぢ)は」は「天国への道」という意味。ここでは大伴旅人が妻を追って旅立とうとする気配を作者筑前國守山上憶良が歌に込めている。「なほなほに」は「すなおに」という意味である。
 「天国への道は遠い。すなおに家にお帰りになって(お子さんの面倒等)家事にいそしんで下さい」という歌である。
           (2013年10月24日記、2017年12月21日記)
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