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万葉集読解・・・58ー2(815~828番歌)

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     万葉集読解・・・58ー2(815~828番歌)
 本歌~846番歌の32首は梅花歌と記されている。これには序文が付いていて、大略以下の通り。
 「天平二年(730年)正月十三日、一同太宰府師(長官)大伴旅人宅に集って宴会を催した。初春を迎えて、空気は澄み風はやわらかにそよぐ佳き日である。梅花はほころび蝶も舞い始め、山には雲がかかっている。この庭に集まって一同大いに初春を満喫し、梅花を愛でて歌作を楽しもうではないか」
 32首の巻頭を飾るのが本歌で、作者は大貳紀卿(だいにのきのまへつきみ)。大貳は太宰府次官。名前未詳。
0815  正月立ち春の来らばかくしこそ梅を招きつつ楽しき終へめ (大貳紀卿)
     (武都紀多知 波流能吉多良婆 可久斯許曽 烏梅乎乎岐都々 多努之岐乎倍米)
 「正月(むつき)立ち」は「正月になり」である。「梅を招(を)きつつ」は「梅花を愛でつつ」という意味である。
 「正月になり、春がやってきた。こうして梅花を愛でつつ楽しいひとときの限りを尽くそうぞ」という歌である。

0816   梅の花今咲けるごと散り過ぎず我が家の園にありこせぬかも (少貳小野大夫)
      (烏梅能波奈 伊麻佐家留期等 知利須義受 和我覇能曽能尓 阿利己世奴加毛)
 作者は少貳小野大夫(せうにをののまへつきみ)。少貳は大貳の補佐官。
 「散り過ぎず」は「散っていかないで」という意味。「我が家の園」は主人大伴旅人の園のことで「われらが見ている園」ということ。「ありこせぬかも」は「であってくれたらいいのに」という意味である。
 「げんに咲いているこの美しい梅の花が、われら一同のこの庭園にこのまま散らないでいてくれたらなあ」という歌である、

0817   梅の花咲きたる園の青柳は蘰にすべくなりにけらずや (少貳粟田大夫)
      (烏梅能波奈 佐吉多流僧能々 阿遠也疑波 可豆良尓須倍久 奈利尓家良受夜)
 作者は少貳粟田大夫(せうにあはたのまへつきみ)。大貳の補佐官。
 ここにいう青柳は枝垂(しだ)れ柳のことで、それを巻いて蘰(かづら)(髪飾り)にしたいほど美しいこと。「なりにけらずや」は「なっているではないか」という意味である。
 「梅の花が咲いた庭園の青柳も巻いて髪飾り)にしたいほどになっているではないか」という歌である。

0818   春さればまづ咲くやどの梅の花独り見つつや春日暮らさむ (筑前守山上大夫)
      (波流佐礼婆 麻豆佐久耶登能 烏梅能波奈 比等利美都々夜 波流比久良佐武)
 作者は筑前守山上大夫(つくしのみちのくちのかみやまのうへのまへつきみ)。いわゆる山上憶良のこと。筑前守は筑前国(福岡県西部)長官。
 「春されば」は「春が来ると」という意味。「やど」は464番歌に「妹が植ゑしやどのなでしこ」とあるように、庭を指すことが多い。下二句の「独り見つつや春日暮らさむ」とは何のことであろう。ここは一同が集まって梅花を愛でている宴会の場。上句の「やど」を山上憶良の家の庭のことと解する向きもあるが、「独り見つつや」が唐突で違和感がある。そこで、ここの「やど」は大伴旅人の庭と考えるほかない。つまり「独り見つつや春日暮らさむ」は反語表現であることが分かる。
 「春が来ると真っ先に庭に咲く梅の花、この豪勢な庭の梅を独り占めにしてよいものだろうか」という歌である。

0819   世の中は恋繁しゑやかくしあらば梅の花にもならましものを (豊後守大伴大夫)
      (余能奈可波 古飛斯宜志恵夜 加久之阿良婆 烏梅能波奈尓母 奈良麻之勿能怨)
 作者は豊後守大伴大夫(とよのみちのしりのかみおほとものまへつきみ)。旅人の従兄弟の三依(みより)のことである。豊後守は豊後国(大分県)長官。
 「恋繁しゑや」は人間の女性に対する恋のことではない。各々がため息をついて愛でている梅の花を指している。冒頭に「世の中は」とあるが人々がいっせいに梅花に注目する様子を擬人的に表現したとみていい。「ゑや」は「おう」とか「ああ」といった類の感嘆詞。
 「おう、各々方もしきりに花を愛でておられますな。私めも梅の花になりとうございます」という歌である。

0820   梅の花今盛りなり思ふどちかざしにしてな今盛りなり (筑後守葛井大夫)
      (烏梅能波奈 伊麻佐可利奈理 意母布度知 加射之尓斯弖奈 伊麻佐可利奈理)
 作者は[筑後守葛井大夫(つくしのみちのしりのかみふぢゐのまへつきみ)。筑後守は筑後国(福岡県南部)長官。
 「思ふどち」は「気の合った者同士」という意味。「かざしにしてな」は「髪飾りにしようぞ」という意味である。「今盛りなり」を繰り返して強調。
 「梅の花今ぞ真っ盛り、さあ皆様方、気に入った小枝を髪飾りにしようぞ、梅は今真っ盛り」という歌である。

0821   青柳梅との花を折りかざし飲みての後は散りぬともよし (笠沙弥)
      (阿乎夜奈義 烏梅等能波奈乎 遠理可射之 能弥弖能々知波 知利奴得母與斯])
 作者は笠沙弥(かさのさみ)。出家した沙弥満誓(さみまんせい)のこと。336番歌、351番歌、391番歌等いくつかの作例がある。
 「青柳梅との花を」は本来「青柳と梅の花とを」となるところ。「岩波大系本」は「文法的には破格の表現」としている。むろん意味に差があるわけではない。読解には817番歌が参考になる。
 「青柳と梅の花とを折って髪に差し、酒を飲んだ後ならば散ってもよしとしなくっちゃあ」という歌である。逆言すれば「それまでは散らないでほしい」という歌である。

0822   我が園に梅の花散るひさかたの天より雪の流れ来るかも (主人)
      (和何則能尓 宇米能波奈知流 比佐可多能 阿米欲里由吉能 那何列久流加母)
 作者は主人(あるじ)、すなわち大伴旅人である。
 「ひさかたの」はお馴染みの枕詞。結句の「流れ来るかも」は「流れて来るのだろうか」という意味で、この結句によって実際に雪が降っているのではなく、散ってくる梅花のことを指していると分かる。白梅を雪に見立てた美しい光景である。
 「我が園に梅の花が散っている。天空より雪でも流れてくるのだろうか」という歌である。

0823   梅の花散らくはいづくしかすがにこの城の山に雪は降りつつ (大監伴氏百代)
      (烏梅能波奈 知良久波伊豆久 志可須我尓 許能紀能夜麻尓 由企波布理都々)
 作者は大監伴氏百代(だいげんばんじのももよ)。大監は訴訟を司る官。
 前歌と併せて鑑賞するといっそう興趣が湧く歌である。「この城の山」は799番歌にも詠われている大野山のこと。太宰府の背後の山。「梅の花散らくはいづく」は「梅の花はどこで散っているのでしょう」という意味である。「しかすがに」は「それはそれとして」ということ。
 前歌は白梅を雪に、そして本歌は雪を白梅に見立てて詠んでいる。両歌あいまって白梅と白雪の美しいハーモニーが奏でられている。
 「白梅が散っているか否かは分かりませんが、それ、そこの大野山には雪が降っておりますね」という歌である。

0824   梅の花散らまく惜しみ我が園の竹の林に鴬鳴くも (小監阿氏奥嶋)
      (烏梅乃波奈 知良麻久怨之美 和我曽乃々 多氣乃波也之尓 于具比須奈久母)
 作者は小監阿氏奥嶋(せうげんあじのおきしま)。小監は大監の補佐役。
 「梅の花散らまく惜しみ」は「梅の花が散っていくのを惜しんで」という意味である。「我が園」はいうまでもなく「われらの園」という意味。
 「梅の花が散っていくのを惜しんで、われらの園の竹林ではウグイスが鳴いています」
という歌である。

0825   梅の花咲きたる園の青柳を蘰にしつつ遊び暮らさな (小監土氏百村)
      (烏梅能波奈 佐岐多流曽能々 阿遠夜疑遠 加豆良尓志都々 阿素i久良佐奈)
 作者は小監土氏百村(せうげんとじのももむら)。小監は大監の補佐役。
 青柳は817番歌の項にも記したように枝垂れ柳のことで、それを巻いて蘰(かづら)(髪飾り)にして楽しんだ。
 「梅の花が咲くこの園の、青柳を髪飾りにして、終日のんびりと遊び暮らしたいものです」という歌である。

0826   うち靡く春の柳と我がやどの梅の花とをいかにか分かむ (大典史氏大原)
      (有知奈i久 波流能也奈宜等 和我夜度能 烏梅能波奈等遠 伊可尓可和可武)
 作者は大典史氏大原(だいてんしじのおほはら)。大典は文書担当官。
 「我がやど」はもう注釈するまでもなく、「我らが庭」。つまり目前に見ている旅人の家の庭」のこと。
 「枝垂れかかる春の青柳とわれらが園の梅の花とは風情があって、甲乙つけがたい」という歌である。

0827   春されば木末隠りて鴬ぞ鳴きて去ぬなる梅が下枝に (小典山氏若麻呂)
      (波流佐礼婆 許奴礼我久利弖 宇具比須曽 奈岐弖伊奴奈流 烏梅我志豆延尓)
 作者は小典山氏若麻呂(せうてんさんじのわかまろ)。小典は大典の補佐役。。
 「春されば」は「春がきて」という、「木末(こぬれ)隠りて」は「梢に隠れていた」という意味である。
 「春がやってきて梢に隠れていたウグイスが鳴いて梅の下枝(しずえ)に飛び移った」という歌である。

0828   人ごとに折りかざしつつ遊べどもいやめづらしき梅の花かも (大判事丹氏麻呂)
      (比等期等尓 乎理加射之都々 阿蘇倍等母 伊夜米豆良之岐 烏梅能波奈加母)
 作者は大判事丹氏麻呂(だいはんじたんじのまろ)。大判事は司法官。
 「めづらしき」は「美しい」ないし「風情がある」という意味である。
 「人それぞれに小枝を折ってかざして楽しんでいるが、梅の花は本当に風情があって美しい」という歌である。
           (2013年11月5日記、2017年12月30日記)
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