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万葉集読解・・・64-3(904~906番歌)

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     万葉集読解・・・64-3(904~906番歌)
 頭注に「男の子古日(ふるひ)を恋うる歌三首(長歌一首と反歌二首)」とある。
0904番 長歌
   世間の 貴び願ふ 七種の 宝も我れは 何せむに 我が中の 生れ出でたる 白玉の 我が子古日は 明星の 明くる朝は 敷栲の 床の辺去らず 立てれども 居れども ともに戯れ 夕星の 夕になれば いざ寝よと 手を携はり 父母も うへはなさがり 三枝の 中にを寝むと 愛しく しが語らへば いつしかも 人と成り出でて 悪しけくも 吉けくも見むと 大船の 思ひ頼むに 思はぬに 邪しま風の にふふかに 覆ひ来れば 為むすべの たどきを知らに 白栲の たすきを掛け まそ鏡 手に取り持ちて 天つ神 仰ぎ祈ひ祷み 国つ神 伏して額つき かからずも かかりも 神のまにまにと 立ちあざり 我れ祈ひ祷めど しましくも 吉けくはなしに やくやくに かたちつくほり 朝な朝な 言ふことやみ たまきはる 命絶えぬれ 立ち躍り 足すり叫び 伏し仰ぎ 胸打ち嘆き 手に持てる 我が子飛ばしつ 世間の道
   (世人之 貴慕 七種之 寶毛我波 何為 和我中能 産礼出有 白玉之 吾子古日者 明星之 開朝者 敷多倍乃 登許能邊佐良受 立礼杼毛 居礼杼毛 登母尓戯礼 夕星乃 由布弊尓奈礼<婆> 伊射祢余登 手乎多豆佐波里 父母毛 表者奈佐我利 三枝之 中尓乎祢牟登 愛久 志我可多良倍婆 何時可毛 比等々奈理伊弖天 安志家口毛 与家久母見武登 大船乃 於毛比多能無尓 於毛波奴尓 横風乃 <尓布敷可尓> 覆来礼婆 世武須便乃 多杼伎乎之良尓 志路多倍乃 多須吉乎可氣 麻蘇鏡 弖尓登利毛知弖 天神 阿布藝許比乃美 地祇 布之弖額拜 可加良受毛 可賀利毛 神乃末尓麻尓等 立阿射里 我例乞能米登 須臾毛 余家久波奈之尓 漸々 可多知都久保里 朝々 伊布許等夜美 霊剋 伊乃知多延奴礼 立乎杼利 足須里佐家婢 伏仰 武祢宇知奈氣<吉> 手尓持流 安我古登<婆>之都 世間之道)

  長歌は用語の解説を最小限にとどめる。 「我が中の」はこの語単独では分からないが、「わたしたちの間に」という意味。「敷栲(しきたへ)の」はおなじみの枕詞。「うへはなさがり」は「そばを離れず」という意味。「三枝の」は本歌一例しかなく枕詞(?)。文字通り「三枝の草の」という意味だと思われる。「しが語らへば」は「その子がいうので」という意味。「にふふかに」は「にわかに」。この語の前後、舌足らず。饒舌気味の山上憶良にしては珍しい。「病魔に襲われた」ということだろう。「かからずも かかりも」は「(病気を)治して下さるのも 下さらないのも」という意味である。「立ちあざり」は「おろおろする」という意味。「かたちつくほり」は意味不明。「容貌(かたち)が崩れる」という意味か。

 (口語訳)
   世の中の人が貴重だとして乞い願う、金、銀、瑠璃(るり)、玻璃(はり)等の七宝も、私には何になろう。私たちの間に生まれ出てきた真珠のような我れらが子、古日(ふるひ)こそ宝だ。明けの明星輝く朝方には寝床から離れようとしない。(昼間は)立ったり座ったりして、共に戯れ、夕星が輝き出す夕方になると、さあ寝ようと手を引っ張る。父親や母親からも離れようとせず、三枝の草の真ん中に寝ようとその子が可愛げに言うので、いつか大人になって、悪くも良くも見てみたいと、大船に乗った気持で楽しみにしていた。
 その折りも折り、にわかに病魔に襲われてしまった。どうしてよいやらなすすべもない。白いタスキを身にかけ、まそ鏡を手に取り持って天の神を仰いで祈り、地の神に伏して額づいて祈った。神様が病気を治して下さるのも、不幸にして病気のままにされるのも、神様がお与えになる運命なのでしょうが、私はおろおろするばかりです。ひたすらお祈りしましたけれど、一時でも良くなることはなく、次第に痩せ細って朝ごとにものも言わなくなり、とうとう息を引き取ってしまいました。私は立ち上がって足踏みするほどショックを受け、天を仰いで胸をたたいて嘆き悲しみました。そのはずみに胸に抱いていた幼子を落としてしまったのです。これが世の中というものでしょうか。

 この長歌は私には大変重要な歌に映じる。というのも山上憶良は我が子を詠ったということで有名になっているが、この長歌はその事実を真っ向から否定する内容を含んでいる。むろん、山上憶良自身の子ではない。抱きかかえなければならない幼子である。憶良は今より20年は寿命が短かった時代の74歳。しかも長らく病気に苦しんでいる身である。にもかかわらず、「我が子古日は」という言い方をしている。憶良の使う子は一族の子のことと考えないと理解不可能。記述から伺えるのは身内、それもごく近い身内の子と思われる。古日は憶良の孫ないし曾孫ではないだろうか。記述にぴったりと思うが、いかがであろう。

 反 歌
0905   若ければ道行き知らじ賄はせむ黄泉の使負ひて通らせ
      (和可家礼婆 道行之良士 末比波世武 之多敝乃使 於比弖登保良世)
 「若ければ」は「まだ年端もいかない幼子ですから」という意味。「道行き知らじ」は「冥土(黄泉(よみ)の国)への行き先も分かりません」という意味である。賄(まかなひ)はお礼の贈り物。
 「この子はまだ年端もいかない幼子ですから、冥土への道も分かりません。お礼はいたします。黄泉(よみ)の国からの使者様、どうか背中におぶってやってお連れくださいな」という歌である。

0906   布施置きて我れは祈ひ祷むあざむかず直に率行きて天道知らしめ
      (布施於吉弖 吾波許比能武 阿射無加受 多太尓率去弖 阿麻治思良之米)
 「布施(ふせ)置きて我れは祈(こ)ひ祷(の)む」は「お布施を捧げてお願い申し上げます」という意味。「あざむかず」は「寄り道しないで」という、「直(ただ)に」は「まっすぐに」という意味である。
 「お布施を捧げてお願い申し上げます。寄り道などなさらないで、まっすぐ冥土の道にお導きください」という歌である。
 左注に「右の一首は作者未詳だが、作風や内容からして山上憶良作と思われるのでここに登載した」とある。

 以上で巻5の終了である。
          (2018年1月30日記)
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