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万葉集読解・・・76(1087~1099番歌)

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     万葉集読解・・・76(1087~1099歌)
 詠雲
1087  穴師川川波立ちぬ巻向の弓月が岳に雲居立てるらし
      (痛足河 々浪立奴 巻目之 由槻我高仁 雲居立有良志)
 穴師川は現在の巻向川。位置関係を素描しておこう。JRの奈良駅から桜井線に乗って南方に向かうと天理駅、さらにその南方に桜井駅がある。天理駅と桜井駅の途中に巻向駅と三輪駅がある。両駅の東方に三輪山、その東方に巻向山がそびえる。その北方にほぼ東西に流れる川が巻向川。弓月が岳は巻向山の最高峰。本歌はその一帯が舞台。渓流と山と雲。いかにも万葉歌らしい味わいのある歌である。
 「穴師川の渓流に川波が立っている。あの巻向山の弓月が岳に雲が湧き上がっているのだろうね」という歌である。

1088  あしひきの山川の瀬の鳴るなへに弓月が岳に雲立ちわたる
      (足引之 山河之瀬之 響苗尓 弓月高 雲立渡)
 「あしひきの」は枕詞。「あしひきの山川の瀬の」は「あしひきの山 川の瀬の」と七、五に切って読む。作歌上の工夫の策。「鳴るなへに」は「なるとともに」という意味。
 「あしひきの山に川の瀬音が鳴り響いている。弓月が岳には雲が湧き上がってきた」という歌である。
 左注に「右二首は柿本朝臣人麻呂の歌集に出ている」とある。

1089  大海に島もあらなくに海原のたゆたふ波に立てる白雲
      (大海尓 嶋毛不在尓 海原 絶塔浪尓 立有白雲)
 読解不要の平明歌。
 「大海に島ひとつ見あたらないのに、たゆたう波に白雲が湧き上がっている」という歌である。
 左注に「伊勢従駕(いせのおほみとも)の作」とある。

 詠雨
1090  我妹子が赤裳の裾のひづちなむ今日の小雨に我れさへ濡れな
      (吾妹子之 赤裳裙之 将染埿 今日之霡霂尓 吾共所沾名)
 第三句の「ひづち」だが、「伊藤本」も「中西本」も「濡れる」と解している。これに対して「岩波大系本」は補注まで設けて「泥でよごれる」と解している。「濡れる」は「ひち」で、「ひづち」は「泥で汚れる」、両語は別語としている。言語学的に云々と強調しているが、私にはとんでもない解釈としか映じない。ここは「伊藤本」や「中西本」が適切で、「泥でよごれる」などとしたら歌の持つ詩情がぶちこわしである。「岩波大系本」には随分ご教示を受けて助かっているので、あまり文句を言いたくないが、同書にはこの種の言語学的観点を強調しての、無神経としか思われない解釈が時折見られるので、一言苦言を呈しておきたい。
 「赤裳の裾」というのはスカート状の赤い裳裾をいう。これが水に濡れると鮮やかな美しさに目を奪われる。たとえば861番歌に「松浦川川の瀬早み紅の裳の裾濡れて鮎か釣るらむ」と詠われている。水に濡れた裳裾の詩情は40番歌や855番歌にも詠われている。まちがっても「泥に汚れた裳裾」は詠われていない。くどいようだが、「泥に汚れた裳裾」では初句の「我妹子(わぎもこ)が」の「我妹子」が死んでしまう。「我妹子が赤裳の裾」とは原文に「吾妹子之~」とあるように、「私の彼女の赤い裳裾」のことなのである。
 「ひづち」をめぐって思わず長口上になってしまったが、もう一点大切な表現が施されている。結句の「我れさへ濡れな」である。原文に「吾共所沾名」とある。「共」に着目すればこの部分の訓は「我れもや濡れな」としてもよいだろう。
 さて、以上で準備がととのった。本歌は結句の解し方によって、二様に解することができる。すなわち、普通に解すれば、月形半平太の名科白「春雨じゃ、濡れてまいろう」ではないが男女の洒落た風景ということになる。
 が、もう一つの解し方もある気がする。下ネタめくが、「小雨に濡れる」を「共寝」と解する解し方である。解し方により歌の趣は一変する。後者だと宴会の場で戯れに歌われた歌ということになり、一同の爆笑を誘ったかも知れない。鑑賞者により別解もあってよいか思う。
 「今日のこの小雨で彼女の赤裳の裾は濡れていることだろう。私も濡れていくとしようか」という歌である。
 また、別解を取れば、
 「今宵あたり彼女は共寝を望んでいるだろうか。私もそうなのだが」という歌である。 

1091  通るべく雨はな降りそ我妹子が形見の衣我れ下に着り
      (可融 雨者莫零 吾妹子之 形見之服 吾下尓著有)
 「通るべく」は「下にしみ込んでくる」という意味。「雨はな降りそ」は「な~そ」の禁止形。「我妹子が形見の」は「彼女だと思って」という意味である。形見は死者の品を意味するとは限らない。たとえば、1471番歌に「恋しけば形見にせむと我がやどに植ゑし藤波今咲きにけり」とあるように「身代わり」という意味もあるので念のため。また、結句の「我れ下に着(け)り」は「私は下に着ている」という意味である。
 「暖かい彼女と思って下着をまとっているのに、雨よ、着物がしみ通ってくるほど激しく降らないでおくれ」という歌である。

 詠山
1092  鳴る神の音のみ聞きし巻向の檜原の山を今日見つるかも
      (動神之 音耳聞 巻向之 檜原山乎 今日見鶴鴨)
 1092~1098番歌は山を詠んだ歌。
 「鳴る神」は雷のこと。「鳴る神の音」とは「とどろく雷鳴」のことで評判の高いことを比喩的に表現したもの。「檜原(ひばら)の山」は「ヒノキの群生する山」のことである。
 「噂にはきいていたけれど、見たことはなかった。今みているこれが評判の巻向の檜原(ひばら)の山」という歌である。

1093  三諸のその山なみに子らが手を巻向山は継ぎしよろしも
      (三毛侶之 其山奈美尓 兒等手乎 巻向山者 継之宜霜)
 「三諸の」は「みもろの」と訓じられているが、初句が4音なのは極めて異例。三輪山と解する書もあるが、それなら「三輪山の」とすれば済むはず。なので私は原文の「三毛侶之」を生かして「みつもろの」と訓ずべきかと考える。したがって三諸は三輪山ではなく、三輪山、巻向山、初瀬山と連なる三山のことを言っているに相違ない。「子ら」は親愛の「ら」。「継ぎしよろしも」は「続き具合がよい」という意味。「子らが手を巻向山は」は巻向山という山の名にかけて「彼女が手枕をする」と親しみをこめて表現したものに相違ない。
 「(三輪山、巻向山、初瀬山)という三山が連なる中に彼女が手を巻くという巻向山があり、初めての背という名の初瀬山があり、その連なり方がまことに具合がいい」という歌である。

1094  我が衣色つけ染めむ味酒の三室の山は黄葉しにけり
      (我衣 色服染 味酒 三室山 黄葉為在)
 「味酒(うまさけ)の」は枕詞。「三室(みむろ)の山」はむろん三連山のこと。
 「自分の着ているこの服に染めてみたいほど美しい三室の山はいま黄葉の真っ盛り」という歌である。
 左注に「右の三首は柿本朝臣人麻呂の歌集に出ている」とある。

1095  三諸つく三輪山見れば隠口の初瀬の檜原思ほゆるかも
      (三諸就 三輪山見者 隠口乃 始瀬之檜原 所念鴨)
 「三諸(みもろ)つく」を「岩波大系本」も「伊藤本」も三輪山にかかる枕詞としている。が、(?)である。「みもろつく」は全万葉集歌中たった二例しかなく、一つは本歌で三輪山に続いている。他の一つは1059番歌の長歌で、こちらは鹿背山にかかっている。つまり、三輪山と続くのは本歌のたった一例。安易に枕詞と断定してしまうのは(?)であろう。なので私は「三諸つく」は「連なっている」という意味だと解している。「隠口(こもりく)の」は泊瀬(はつせ)の枕詞。17例もある。
 「連なっている三輪連山を見ていると初瀬山の見事な檜の森に思いがいく」という歌である。

1096  いにしへのことは知らぬを我れ見ても久しくなりぬ天の香具山
      (昔者之 事波不知乎 我見而毛 久成奴 天之香具山)
 「我れ見ても」は「私が見て知り始めてからでも」という意味である。
 「過ぎ去った往時のことは知らないけれど、私が見て知り始めてからでももう久しくなる。天の香具山は神々しい」という歌である。

1097  我が背子をこち(恋ふ(筆者訓))巨勢山と人は言へど君も来まさず山の名にあらし
      (吾勢子乎 乞許世山登 人者雖云 君毛不来益 山之名尓有之)
 「こち巨勢(こせ)山と」の原文は「乞許世山登」。通常の訓は乞(こつ)を「こち」に見立てて訓じたようだ。「我が背子をこちらに来させる山」というわけである。が、「乞」はそのまま「こふ」と読めないだろうか。すると山の名は「恋ふ背の山」という解になる。
 「あの山は恋ふ背の山と人はいうけれど(恋ふても恋ふても)あの方は来てくれない。たんに山の名にすぎないのでしょうか」という歌である。

1098  紀道にこそ妹山ありといへ玉櫛笥二上山も妹こそありけれ
      (木道尓社 妹山在云 <玉>櫛上 二上山母 妹許曽有来)
 紀道(きぢ)は紀伊の国の道。そこにある妹山(いもやま)が妻ないし恋人の名を持つ山として有名だったようだ。ところが大和には二上山があって男山女山からなっている。玉櫛笥(たまくしげ)は枕詞ないし美称。本歌はこうした知識を踏まえて歌にしている。
 「紀伊の国に妹山があるというが、大和にも二上山があって彼女を連れているではないか」という歌である。

 詠岳
1099  片岡のこの向つ峰に椎蒔かば今年の夏の蔭にならむか
      (片岡之 此向峯 椎蒔者 今年夏之 陰尓将比疑)
 題詞に「岳(をか)を詠んだ歌」とある。この歌には寓意がこめられているようだが、私には意味不明。椎(しい)の木は大木だ。「今年の夏の」と詠っているが、詠った時点が正月だったとしても夏まで半年ほどしかない。椎はまだ幼木でしかない。向つ峰(向かいの峰)に植わわった木が、こちら側の岡が陰になるほど巨木になるはずもない。何の寓意を秘めているのか私には見当もつかない。
 「こちら側の岡の向かいの峰に椎の種を蒔いたなら、今年の夏には陰になるだろうか」という歌である。
           (2018年3月30日記)
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