Quantcast
Channel: 古代史の道
Viewing all articles
Browse latest Browse all 1223

万葉集読解・・・93(1344~1356番歌)

$
0
0

   万葉集読解・・・93(1344~1356番歌)
1344  真鳥棲む雲梯の杜の菅の根を衣にかき付け着せむ子もがも
      (真鳥住 卯名手之神社之 菅根乎 衣尓書付 令服兒欲得)
 「真鳥)は鷲のことではないかという。「雲梯(うなて)の杜(やしろ)」は奈良県橿原市雲梯町に鎮座する河俣神社のこととされている。「菅(すが)の根」はその神社に生えている菅の根のことだが、歌意がいまいち分からない。「菅(すげ)の根を衣にかき付け」とは何のことであろう。菅草の根を染色に使ったという話は聞いたことがない。さりとて文字や模様を書くために使用するものとも思えない。各書とも何の説明もなしに「書きつけ」ないし「描きつけ」としている。困惑した私は「衣にかき付け」は「着物にかける」という意味に解することにした。それでも私は自信が得られなく、蓑(みの)のように菅の根が羽織の代わりにされ、風よけや雨避けに使用されることもあったのではないか、とみて歌意をつかむことにした。
 「鷲が住む雲梯(うなて)の神社に生える菅の根で作った羽織を着物の上にやさしくかけてやれる彼女がいたらなあ」という歌である。

1345  常ならぬ人国山の秋津野の杜若をし夢に見しかも
      (常不 人國山乃 秋津野乃 垣津幡鴛 夢見鴨)
 杜若(かきつばた)は5~6月に咲くあやめの仲間。人国山(ひとくにやま)は本歌以外に1305番歌に出てくる。その際、私は次のように記した。
「和歌山県田辺市の山と見る論者もあるが確定的ではないようだ。その山の名からよその国(集落)と解する書もある。」
 私も他国の山と解するのが自然のように感じられた。本歌も同様である。というのも初句の「常ならぬ」を「普段なじみのない」と解すると、ぴったり歌意が通るからである。諸書のように、上三句「~秋津野の」までを序歌とすると、「あの杜若を夢にみました」というだけの歌になる。が、人国山を他集落の山と解すると、上三句が俄然光芒を放つのである。すなわち、杜若(かきつばた)を女性の寓意とすると、他国の花という表現がぴったりなのである。1305番歌といい本歌といい、なかなか手の届かない他国の女性に惹かれる男心がうたわれているのである。
 「普段なじみのないよそ様の秋津野に咲いている杜若(かきつばた)が夢に出てきたよ」という歌である。

1346  女郎花生ふる沢辺の真葛原いつかも繰りて我が衣に着む
      (姫押 生澤邊之 真田葛原 何時鴨絡而 我衣将服)
 「真葛原(まくずはら)」の真は例によって美称。「繰りて」は「糸を繰る」すなわち「織って」という意味である。「女性をわがものにしたい」という歌である。女郎花(おみなえし)は女性の寓意。
 「女郎花(おみなえし)が生えている沢の辺に広がる葛の原。いつかは葛を糸にして布を織り、着物にして着てみたいものだ」という歌である。

1347  君に似る草と見しより我が標めし野山の浅茅人な刈りそね
      (於君似 草登見従 我標之 野山之淺茅 人莫苅根)
 「標(し)めし」はしめ縄を張ること。浅茅(あさぢ)は雑草のチガヤ。「な刈りそね」は「な~そ」の禁止形。
 「あなたに似ている草と見て、しめ縄を張った野山のあのチガヤ、どうか誰も刈り取らないで下さい」という歌である。

1348  三島江の玉江の薦を標めしより己がとぞ思ふいまだ刈らねど
      (三嶋江之 玉江之薦乎 従標之 己我跡曽念 雖未苅)
 「三島江の玉江」は大阪湾に注ぐ淀川河口付近の地名という。薦(こも)は筵等の材料に使われる草。
 「三島江の玉江の薦(こも)にしめ縄を張ったので、私のものだと思っている。まだ刈り取ってはいないけれど」という歌である。

1349  かくしてやなほや老いなむみ雪降る大荒木野の小竹にあらなくに
      (如是為而也 尚哉将老 三雪零 大荒木野之 小竹尓不有九二)
 「かくしてや」は「このようにして」という意味。「なほや」は「やはり」ということ。大荒木野は奈良県五條市にある地名とされている。小竹(しの)は篠竹のこと。
 「このようにして、やはり私も年老いていくのだろうか。雪が降り積もる大荒木野の篠竹のように誰からも見向きもされないまま、雪に埋もれていくのでしょうか」という歌である。

1350  近江のや八橋の小竹を矢はがずてまことありえむや恋しきものを
      (淡海之哉 八橋乃小竹乎 不造<笶>而 信有得哉 戀敷鬼<呼>)
 「近江のや八橋の」は「近江の国の八橋の」という意味で、滋賀県草津市矢橋町のことという。「小竹(しの)を矢はがずて」は「そこの篠竹を刈り取って矢にしないなどと」という意味である。矢は女性の寓意。
 「近江のあの八橋の篠竹を刈り取って矢にしないなどということがあるものか、これほど恋しくてならないのに」という歌である。

1351  月草に衣は摺らむ朝露に濡れての後はうつろひぬとも
      (月草尓 衣者将<揩> 朝露尓 所沾而後者 <徙>去友)
 1339番歌にも詠われていたように、月草は露草のこと。月草で染めた着物は色うつりしやすいとされる。結句の「うつろひぬとも」は「色うつりしようとも」という意味である。ずばり、一夜限りの情事を暗示している。
 「月草で着物を染めてみたい。朝露に濡れたら色うつりするだろうけれど」という歌である。

1352  我が心ゆたにたゆたに浮蓴辺にも沖にも寄りかつましじ
      (吾情 湯谷絶谷 浮蓴 邊毛奥毛 依<勝>益士)
 「ゆたにたゆたに」はゆらゆらして所在ない心情の表現である。浮蓴(うきぬなは)はジュンサイのことで、池に自生して睡蓮のように葉を浮かべている。
 「私の心は所在なくゆらゆらただよっていて、池に浮かぶジュンサイの葉のように、岸辺にも沖にも寄りつかないで揺れている」という歌である。
 1336番歌以下17首は「草に寄せて」の歌で、本歌をもって終了である。

 頭注に「稲に寄せて」とある。本歌1首
1353  石上布留の早稲田を秀でずとも縄だに延へよ守りつつ居らむ
      (石上 振之早田乎 雖不秀 繩谷延与 守乍将居)
 「石上布留(いそのかみふる)」は422番歌にも「石上布留の山なる~」と詠われている。奈良県天理市石上神宮(いそのかみじんぐう)は石上町に鎮座しているが、その北側の山地が布留(布留町)である。早稲(わせ)は通常の稲より早く実る品種。「秀(ひ)でず」は「まだ穂が出ていない」ということ。「縄だに延(は)へよ」は「ちゃんと縄を張っておきなさいよ」という意味である。早稲の穂はまだ若い女性の寓意。
 「石上布留の早稲の穂はまだ出てきてないけれど、ちゃんと縄を張りめぐらせておきなさいよ、この私が見張っているから」という歌である。

  頭注に「木に寄せて」とある。本歌以下6首(1354~1359番歌)。
1354  白菅の真野の榛原心ゆも思はぬ我れし衣に摺りつ
      (白菅之 真野乃榛原 心従毛 不念吾之 衣尓揩)
 「白菅の真野の榛原(はりはら)」は、280番歌に「いざ子ども大和へ早く白菅の真野の榛原手折りて行かむ」と詠われている。「白い菅(すげ草)が群生する真野(神戸市内)の榛(ハンノキ)林」を指している。榛の実は染料として重用された。「心ゆも思はぬ」は「心から思っているわけではないのに」という意味である。「衣に摺(す)りつ」は「着物に染める」という意味である。はからずも承諾してしまった女性の歌。
 「心から思っているわけではないのに美しい榛(ハンノキ)で着物を染めてしまった私です」という歌である。

1355  真木柱作る杣人いささめに仮廬のためと作りけめやも
      (真木柱 作蘇麻人 伊左佐目丹 借廬之為跡 造計米八方)
 「真木柱(まきばしら)」は「立派な木の柱」のことである。杣人(そまひと)はきこりのこと。「いささめに」は「かりそめに」という意味。仮廬(かりほ)は一時しのぎの仮の宿。「作りけめやも」は反語表現で、「作ったりするものだろうか(いいや作ったりしない)」という意味である。真剣に求婚しているという寓意である。
 「いったい、きこりは、一時しのぎの仮の宿を作るために、立派な木を切り出してしっかりした柱を作ったりするものだろうか」という歌である。

1356  向つ峰に立てる桃の木ならむやと人ぞささやく汝が心ゆめ
      (向峯尓 立有桃樹 将成哉等 人曽耳言為 汝情勤)
 問題は、結句の「汝が心ゆめ」である。定説解は「ゆめ」を強い禁止の意味に解している。が、禁止の場合は大部分「なゆめ」と「な」が伴っている。結語が「ゆめ」で結ばれている例は全万葉集歌中22例に及ぶが、大部分(20例)は「なゆめ」となっている。たとえば1333番歌、1560番歌等。単に「ゆめ」となっている本歌はその例外。例外はもう一例あって、2511番歌の「こもりくの豊泊瀬道は常滑のかしこき道ぞ恋ふらくはゆめ」がそれ。これら二例の「ゆめ」が「~するな」という禁止を表すとしたら、その禁止事項は何だろう。つまり禁止の内容が書かれていないのである。私はこの「ゆめ」は禁止ではなく、忠告や励ましの「ゆめ」、つまり「心せよ」という意味に相違ないと見ている。本歌の「汝が心ゆめ」は「(私がついているから)気をしっかりもって」という意味であり、2511番歌の「恋ふらくはゆめ」は「けわしい恋路、気をしっかりもって」という意味に相違ない。
 「向かいの峰に立っている木は桃の木に相違ないと人が噂している。険しい道が待っている。気をしっかりもって(心して)ぶつかって下さい」という歌である。
           (2014年7月25日記、2018年5月14日記)
イメージ 1


Viewing all articles
Browse latest Browse all 1223

Trending Articles