万葉集読解・・・115(1680~1693番歌)
頭注に「後人の歌二首」とある。前歌までは持統天皇と文武天皇が紀伊の国に行幸された際に作られた十三首だったが、この後人の意味は、歌の内容からして「行幸に従駕した夫を待って大和に残っている妻たち」という意味である。
1680 あさもよし紀へ行く君が真土山越ゆらむ今日ぞ雨な降りそね
(朝裳吉 木方徃君我 信土山 越濫今日曽 雨莫零根)
「あさもよし」は55番歌や1209番歌に使われている。枕詞。真土山(まつちやま)は奈良県五條市と和歌山県橋本市との境にある山。「雨な降りそね」は「な~そ」の禁止形。 「紀伊の国に付き従ったあの方が、いよいよ国境の真土山を越える日だわ。雨よ降らないでおくれ」という歌である。
頭注に「後人の歌二首」とある。前歌までは持統天皇と文武天皇が紀伊の国に行幸された際に作られた十三首だったが、この後人の意味は、歌の内容からして「行幸に従駕した夫を待って大和に残っている妻たち」という意味である。
1680 あさもよし紀へ行く君が真土山越ゆらむ今日ぞ雨な降りそね
(朝裳吉 木方徃君我 信土山 越濫今日曽 雨莫零根)
「あさもよし」は55番歌や1209番歌に使われている。枕詞。真土山(まつちやま)は奈良県五條市と和歌山県橋本市との境にある山。「雨な降りそね」は「な~そ」の禁止形。 「紀伊の国に付き従ったあの方が、いよいよ国境の真土山を越える日だわ。雨よ降らないでおくれ」という歌である。
1681 後れ居て我が恋ひ居れば白雲のたなびく山を今日か越ゆらむ
(後居而 吾戀居者 白雲 棚引山乎 今日香越濫)
解読不要な平明歌。
「ここ大和に残ってあの人が恋しくてたまらないが、白雲たなびく真土山をきょうあたり越えておられることだろう」という歌である。
(後居而 吾戀居者 白雲 棚引山乎 今日香越濫)
解読不要な平明歌。
「ここ大和に残ってあの人が恋しくてたまらないが、白雲たなびく真土山をきょうあたり越えておられることだろう」という歌である。
頭注に「忍壁皇子(おさかべのみこ)に獻った歌」とあり、細注に「仙人の形を詠む」とある。忍壁皇子は四十代天武天皇の皇子。「仙人の形を詠む」は「仙人の画を見て詠む」という意味である。
1682 とこしへに夏冬行けや裘扇放たぬ山に住む人
(常之倍尓 夏冬徃哉 裘 扇不放 山住人)
歌からして細注の仙人画には、裘(かはころも)をまとい、扇(あふぎ)をしっかり握りしめた仙人が描かれていたことが分かる。「夏冬(なつふゆ)行けや」は面白い表現。「夏と冬が一緒に(ないし相次いで)過ぎて行く」と解されている。が、そうではあるまい。画なので「夏が来ても冬が来てもいい」すなわち夏冬兼用の画像と言いたいに相違ない。
「この画は、冬にまとう毛皮を着、夏にあおぐ扇を握りしめている。夏が来ようと冬が来ようと、永遠に通用する仙人の画」という歌である。
1682 とこしへに夏冬行けや裘扇放たぬ山に住む人
(常之倍尓 夏冬徃哉 裘 扇不放 山住人)
歌からして細注の仙人画には、裘(かはころも)をまとい、扇(あふぎ)をしっかり握りしめた仙人が描かれていたことが分かる。「夏冬(なつふゆ)行けや」は面白い表現。「夏と冬が一緒に(ないし相次いで)過ぎて行く」と解されている。が、そうではあるまい。画なので「夏が来ても冬が来てもいい」すなわち夏冬兼用の画像と言いたいに相違ない。
「この画は、冬にまとう毛皮を着、夏にあおぐ扇を握りしめている。夏が来ようと冬が来ようと、永遠に通用する仙人の画」という歌である。
頭注に「舎人皇子(とねりのみこ)に獻った歌二首」とある。舎人皇子も天武天皇の皇子。
1683 妹が手を取りて引き攀ぢふさ手折り我がかざすべく花咲けるかも
(妹手 取而引与治 捄手折 吾刺可 花開鴨)
「引き攀(よ)ぢ」は「ひきちぎる」という意味だが、ここでは「引き寄せる」という意味にも使われている。「ふさ手折り」は「総手折り」、すなわち「手一杯」のこと。花は梅の花。
「彼女の手を取って引き寄せるように、手一杯引きちぎって頭にかざすほど花がいっぱい咲いているよ」という歌である。
1683 妹が手を取りて引き攀ぢふさ手折り我がかざすべく花咲けるかも
(妹手 取而引与治 捄手折 吾刺可 花開鴨)
「引き攀(よ)ぢ」は「ひきちぎる」という意味だが、ここでは「引き寄せる」という意味にも使われている。「ふさ手折り」は「総手折り」、すなわち「手一杯」のこと。花は梅の花。
「彼女の手を取って引き寄せるように、手一杯引きちぎって頭にかざすほど花がいっぱい咲いているよ」という歌である。
1684 春山は散り過ぎぬとも三輪山はいまだふふめり君待ちかてに
(春山者 散過去鞆 三和山者 未含 君持勝尓)
「いまだふふめり」は「まだ蕾のまま」という意味。
「あちこちの春山では花は散ってしまっているのでしょうが、ここ三輪山ではまだ蕾のままです。あなたがいらっしゃるのを待ちあぐねるように」という歌である。
(春山者 散過去鞆 三和山者 未含 君持勝尓)
「いまだふふめり」は「まだ蕾のまま」という意味。
「あちこちの春山では花は散ってしまっているのでしょうが、ここ三輪山ではまだ蕾のままです。あなたがいらっしゃるのを待ちあぐねるように」という歌である。
頭注に「泉川の邊(ほとり)で間人宿祢(はしひとのすくね)が作った歌二首」とある。泉川は京都を流れる木津川の古名とされている。間人宿祢は伝未詳。
1685 川の瀬のたぎつを見れば玉藻かも散り乱れたる川の常かも
(河瀬 激乎見者 玉藻鴨 散乱而在 川常鴨)
「川の常かも」は「常に見られる光景なのだ」という意味。
「川の瀬がほとばしっているのをみると水が白玉をなしている。こういう光景は激流には普通の光景なのだろうな」という歌である。
1685 川の瀬のたぎつを見れば玉藻かも散り乱れたる川の常かも
(河瀬 激乎見者 玉藻鴨 散乱而在 川常鴨)
「川の常かも」は「常に見られる光景なのだ」という意味。
「川の瀬がほとばしっているのをみると水が白玉をなしている。こういう光景は激流には普通の光景なのだろうな」という歌である。
1686 彦星のかざしの玉は妻恋ひに乱れにけらしこの川の瀬に
(孫星 頭刺玉之 嬬戀 乱祁良志 此川瀬尓)
彦星は七夕の牽牛星。「かざしの玉は」は「髪飾りにしている玉」という意味。
「彦星の髪飾りの玉は妻恋しさにこの川の瀬のように乱れているようだ」という歌である。
(孫星 頭刺玉之 嬬戀 乱祁良志 此川瀬尓)
彦星は七夕の牽牛星。「かざしの玉は」は「髪飾りにしている玉」という意味。
「彦星の髪飾りの玉は妻恋しさにこの川の瀬のように乱れているようだ」という歌である。
頭注に「鷺坂(さぎさか)で作った歌」とある。鷺坂は京都府城陽市久世にある坂とされる。
1687 白鳥の鷺坂山の松蔭に宿りて行かな夜も更けゆくを
(白鳥 鷺坂山 松影 宿而徃奈 夜毛深徃乎)
「白鳥(しらとり)の」は枕詞(?)。平明歌。
「白鳥で名高いあの鷺坂山の松の木の下で仮寝していこう。夜も更けて来たので」という歌である。
1687 白鳥の鷺坂山の松蔭に宿りて行かな夜も更けゆくを
(白鳥 鷺坂山 松影 宿而徃奈 夜毛深徃乎)
「白鳥(しらとり)の」は枕詞(?)。平明歌。
「白鳥で名高いあの鷺坂山の松の木の下で仮寝していこう。夜も更けて来たので」という歌である。
頭注に「名木河(なきがは)で作った歌二首」とある。
1688 あぶり干す人もあれやも濡れ衣を家には遣らな旅のしるしに
(炙干 人母在八方 沾衣乎 家者夜良奈 羈印)
頭注にある名木川は、京都府城陽市の北西にある久御山町(くみやまちょう)を流れていた川だという。宇治市と久御山町にかけて那紀(なき)という郷があって、そこを流れていた川という説である。ところが二首目の次歌は海辺の歌だという。宇治市や久御山町は内陸部。なので「歌二首」は「歌一首」の誤りではないかというのである。この問題は次歌で触れるとし、先を急ごう。
「あぶり干す」とはむろん第三句の「濡れ衣(ぎぬ)をあぶって干す」という意味である。
「ずぶぬれになった着物をあぶって乾かす人などいるはずもない旅路。いっそ家に送ろうか旅路にいるという証拠に」という歌である。
1688 あぶり干す人もあれやも濡れ衣を家には遣らな旅のしるしに
(炙干 人母在八方 沾衣乎 家者夜良奈 羈印)
頭注にある名木川は、京都府城陽市の北西にある久御山町(くみやまちょう)を流れていた川だという。宇治市と久御山町にかけて那紀(なき)という郷があって、そこを流れていた川という説である。ところが二首目の次歌は海辺の歌だという。宇治市や久御山町は内陸部。なので「歌二首」は「歌一首」の誤りではないかというのである。この問題は次歌で触れるとし、先を急ごう。
「あぶり干す」とはむろん第三句の「濡れ衣(ぎぬ)をあぶって干す」という意味である。
「ずぶぬれになった着物をあぶって乾かす人などいるはずもない旅路。いっそ家に送ろうか旅路にいるという証拠に」という歌である。
1689 ありそ辺につきて漕がさね杏人の浜を過ぐれば恋しくありなり(通訓)
古来、難訓、難解とされる歌である。
先ず、訓をしっかりさせないと前に進まない。
通訓の初句「ありそ辺に」。「佐々木本」は「荒磯べに」、「岩波大系本」は「荒磯邊に」、「中西本」は「荒磯辺に」としている。また、「伊藤本」は「あり布(ぎぬ)の へつきて」としている。
原文は「在衣邊」。私は原文を見たとたん「ありそ(荒磯)」は変だと直感した。これまでの歌には「ありそ」は「荒磯」と表記されていて、「在衣」は記憶になかったからだ。そこで全万葉集歌の用例を調べてみることにした。「ありそ」と訓じられている歌は長短歌あわせて実に39例の多きに及んでいる。うち、一例は考察中の本歌なので除外。また2739番歌の「沖つ荒礒に(奥麁(?)礒尓)」は麁の一字が写本になく補った文字。「沖つ荒礒に」と読めるか否か不透明。私は鹿は「津」で「沖つの磯に」だと考えている。この2例を除外した37例について調べてみる。
「ありそ」の原文は1226番歌の「荒石」を除いて3341番歌まで29首のすべてが「荒礒」ないし「有磯」と表記されている。残りの7例は終盤の3562番歌以下にあり、「安里蘇」ないし「安利蘇」となっている。
以上、37例すべてだれが訓じても「ありそ」すなわち「荒磯」とはっきりしている。本歌のように「ありそ」を「在衣」と表記した例など一例もない。つまり、「在衣」を「荒磯」などとは読めない。「荒磯」と読むくらいなら「伊藤本」のように「あり布(ぎぬ)」と読む方が適切に思える。念のために原文に「在衣」とある用例を調べてみると、一例だけある。1281番歌の「織れる衣ぞ」(織在衣服叙)。むろん荒磯とは無関係。
では、「ありそ辺」は「伊藤本」のように「あり布(ぎぬ)の へつきて」と読むのがいいのだろうか。辺を切り離して第二句の「著而」にくっつけ、「辺著而」としている。この例は153番歌(長歌)に「~辺付きて 漕ぎ来る船(邊附而 榜来船)~」とある。「漕いで近づいてくる」という意味だが、この例がある以上、「伊藤本」の訓は一考の余地がある。ただ、「あり布(ぎぬ)の へつきて」は疑問。これでは「着物が肌にへばりつく」という意味になって意味不明。加えて「在衣」の衣は(ころも)と読まれるのが通常。あの有名な28番歌「春過ぎて夏来るらし白栲の衣干したり天の香具山」のように・・・。「ころも」の例は140首ほどに及ぶ。初句は通常5音だが、原文の「在衣」に「あり布の」と、衣を布に変え、かつ、「の」を補って5音にしている点も引っかかる。ともかく「着物が肌にへばりつく」では歌意が通りにくい。
私は「在衣」はそのまますなおに「ありころも」とすべきだと思う。「ありころも」は枕詞的用例と解してよかろう。「へつきて漕がさね」は「岸に沿って漕いで下さい」という意味になる。
次に「杏人」。「からひと」ないし「からたち」などとふりがなが付けられている。が、「杏」の文字は全万葉集歌中本歌にしか登場しない。これは「あんず」の木の名称。私は、「人」は本来は「木」の字であって、写本ミスだと考えている。
では、肝心かなめの歌意はどうだろう。歌意が通らなければ、万葉集を調べたわが作業も「骨折り損のくたびれ儲け」ということになる。筆者訓の方にしたがって歌を読解すると、決して荒磯などという海辺の歌ではないことが分かる。岸は川岸のことであり、浜は川浜のことだと知れる。両岸のうち、片方にあんず(杏)の木が並んでいたことだろう。前歌の頭注にある「川の歌二首」はまさにその通りの注記なのである。
「川岸に沿うようにして舟を漕いでくれないか。あんずの浜を過ぎれば恋しい風景が待っているから」という歌である。
● ありころもへつきて漕がさね杏木の浜を過ぐれば恋しくありなり(筆者訓)
(在衣 邊著而榜尼 杏人 濱過者 戀布在奈利)古来、難訓、難解とされる歌である。
先ず、訓をしっかりさせないと前に進まない。
通訓の初句「ありそ辺に」。「佐々木本」は「荒磯べに」、「岩波大系本」は「荒磯邊に」、「中西本」は「荒磯辺に」としている。また、「伊藤本」は「あり布(ぎぬ)の へつきて」としている。
原文は「在衣邊」。私は原文を見たとたん「ありそ(荒磯)」は変だと直感した。これまでの歌には「ありそ」は「荒磯」と表記されていて、「在衣」は記憶になかったからだ。そこで全万葉集歌の用例を調べてみることにした。「ありそ」と訓じられている歌は長短歌あわせて実に39例の多きに及んでいる。うち、一例は考察中の本歌なので除外。また2739番歌の「沖つ荒礒に(奥麁(?)礒尓)」は麁の一字が写本になく補った文字。「沖つ荒礒に」と読めるか否か不透明。私は鹿は「津」で「沖つの磯に」だと考えている。この2例を除外した37例について調べてみる。
「ありそ」の原文は1226番歌の「荒石」を除いて3341番歌まで29首のすべてが「荒礒」ないし「有磯」と表記されている。残りの7例は終盤の3562番歌以下にあり、「安里蘇」ないし「安利蘇」となっている。
以上、37例すべてだれが訓じても「ありそ」すなわち「荒磯」とはっきりしている。本歌のように「ありそ」を「在衣」と表記した例など一例もない。つまり、「在衣」を「荒磯」などとは読めない。「荒磯」と読むくらいなら「伊藤本」のように「あり布(ぎぬ)」と読む方が適切に思える。念のために原文に「在衣」とある用例を調べてみると、一例だけある。1281番歌の「織れる衣ぞ」(織在衣服叙)。むろん荒磯とは無関係。
では、「ありそ辺」は「伊藤本」のように「あり布(ぎぬ)の へつきて」と読むのがいいのだろうか。辺を切り離して第二句の「著而」にくっつけ、「辺著而」としている。この例は153番歌(長歌)に「~辺付きて 漕ぎ来る船(邊附而 榜来船)~」とある。「漕いで近づいてくる」という意味だが、この例がある以上、「伊藤本」の訓は一考の余地がある。ただ、「あり布(ぎぬ)の へつきて」は疑問。これでは「着物が肌にへばりつく」という意味になって意味不明。加えて「在衣」の衣は(ころも)と読まれるのが通常。あの有名な28番歌「春過ぎて夏来るらし白栲の衣干したり天の香具山」のように・・・。「ころも」の例は140首ほどに及ぶ。初句は通常5音だが、原文の「在衣」に「あり布の」と、衣を布に変え、かつ、「の」を補って5音にしている点も引っかかる。ともかく「着物が肌にへばりつく」では歌意が通りにくい。
私は「在衣」はそのまますなおに「ありころも」とすべきだと思う。「ありころも」は枕詞的用例と解してよかろう。「へつきて漕がさね」は「岸に沿って漕いで下さい」という意味になる。
次に「杏人」。「からひと」ないし「からたち」などとふりがなが付けられている。が、「杏」の文字は全万葉集歌中本歌にしか登場しない。これは「あんず」の木の名称。私は、「人」は本来は「木」の字であって、写本ミスだと考えている。
では、肝心かなめの歌意はどうだろう。歌意が通らなければ、万葉集を調べたわが作業も「骨折り損のくたびれ儲け」ということになる。筆者訓の方にしたがって歌を読解すると、決して荒磯などという海辺の歌ではないことが分かる。岸は川岸のことであり、浜は川浜のことだと知れる。両岸のうち、片方にあんず(杏)の木が並んでいたことだろう。前歌の頭注にある「川の歌二首」はまさにその通りの注記なのである。
「川岸に沿うようにして舟を漕いでくれないか。あんずの浜を過ぎれば恋しい風景が待っているから」という歌である。
頭注に「高嶋での作歌二首」とある。高島は滋賀県琵琶湖中部西岸の高島市。
1690 高島の安曇川波は騒けども我れは家思ふ宿り悲しみ
(高嶋之 阿渡川波者 驟鞆 吾者家思 宿加奈之弥)
安曇川は琵琶湖に注ぐ川。故郷を思う平明歌。
「高島の安曇川は波だって騒がしいけれども、私は旅のひとり寝が悲しくてしきりに故郷の家のことが思われてならない」という歌である。
1690 高島の安曇川波は騒けども我れは家思ふ宿り悲しみ
(高嶋之 阿渡川波者 驟鞆 吾者家思 宿加奈之弥)
安曇川は琵琶湖に注ぐ川。故郷を思う平明歌。
「高島の安曇川は波だって騒がしいけれども、私は旅のひとり寝が悲しくてしきりに故郷の家のことが思われてならない」という歌である。
1691 旅なれば夜中を射して照る月の高島山に隠らく惜しも
(客在者 三更刺而 照月 高嶋山 隠惜毛)
読解を要さない平明歌。
「旅にあって、夜中を射して照り輝く月が高島山に隠れていくのが惜しくてならない」という歌である。
(客在者 三更刺而 照月 高嶋山 隠惜毛)
読解を要さない平明歌。
「旅にあって、夜中を射して照り輝く月が高島山に隠れていくのが惜しくてならない」という歌である。
頭注に「紀伊國高嶋での作歌二首」とある。
1692 我が恋ふる妹は逢はさず玉の浦に衣片敷き独りかも寝む
(吾戀 妹相佐受 玉浦丹 衣片敷 一鴨将寐)
玉の浦は和歌山県東牟婁郡那智勝浦町の浦。「逢はさず」は「逢ってくれない」という意味。
「衣(ころも)片敷き」は「着物をふとんがわりにして」という意味である。
「私が思いを寄せるあの子は逢ってくれようとしない。やむなく、玉の浦で着物をふとんがわりにしてひとり寝するしかない」という歌である。
1692 我が恋ふる妹は逢はさず玉の浦に衣片敷き独りかも寝む
(吾戀 妹相佐受 玉浦丹 衣片敷 一鴨将寐)
玉の浦は和歌山県東牟婁郡那智勝浦町の浦。「逢はさず」は「逢ってくれない」という意味。
「衣(ころも)片敷き」は「着物をふとんがわりにして」という意味である。
「私が思いを寄せるあの子は逢ってくれようとしない。やむなく、玉の浦で着物をふとんがわりにしてひとり寝するしかない」という歌である。
1693 玉櫛笥明けまく惜しきあたら夜を衣手離れて独りかも寝む
(玉匣 開巻惜 ?夜矣 袖可礼而 一鴨将寐)
玉櫛笥(たまくしげ)は櫛を入れる箱。「衣手離(か)れて」は「共寝する子もいなく」という意味である。
「(相手がいたら)玉櫛笥の蓋を開けるように明けるのが惜しい夜。が、共寝する子もいない私にはそんな夜もひとり寝するしかない」という歌である。
今回は、古来難訓難解とされてきた1689番歌があったので手間取ってしまった。
(2014年10月20日記、2018年7月7日記)
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(玉匣 開巻惜 ?夜矣 袖可礼而 一鴨将寐)
玉櫛笥(たまくしげ)は櫛を入れる箱。「衣手離(か)れて」は「共寝する子もいなく」という意味である。
「(相手がいたら)玉櫛笥の蓋を開けるように明けるのが惜しい夜。が、共寝する子もいない私にはそんな夜もひとり寝するしかない」という歌である。
今回は、古来難訓難解とされてきた1689番歌があったので手間取ってしまった。
(2014年10月20日記、2018年7月7日記)