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万葉集読解・・・129(1922~1939番歌)

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     万葉集読解・・・129(1922~1939番歌)
 頭注に「松に寄せて」とある。
1922  梅の花咲きて散りなば我妹子を来むか来じかと我が松の木ぞ
      (梅花 咲而落去者 吾妹乎 将来香不来香跡 吾待乃木曽)
 やや軽い乗りの歌である。当時は梅の花にかこつけて彼女を誘うのが通例だったようである。なかなかやって来ない彼女に苛立つ様子が見て取れる。
 「梅の花が咲きそろっていますが、この花が散ってしまったら、彼女を誘うよすががなくなってしまう。来てくれるのか来てくれないのか、私は待っているしかないでしょうか」という歌である。

 頭注に「雲に寄せて」とある。
1923  白真弓今春山に行く雲の行きや別れむ恋しきものを
      (白檀弓 今春山尓 去雲之 逝哉将別 戀敷物乎)
 「白真弓(しらまゆみ)」は白い弓のこと。「岩波大系本」も「伊藤本」も春にかかる枕詞としているが、枕詞(?)である。「(弓を)今張る」を「今春」にかけた、いわば弓の縁語表現。白真弓は、289番の「天の原振り放け見れば白真弓張りて懸けたり夜道はよけむ」が初出だが、読んで字のごとく三日月を弦を張った弓の形にたとえた連想表現。縁語ではない。白真弓は全万葉集歌中6例出てくるが、大変興味深い使われ方をしている。詳述すれば白真弓だけで長論文を形成できるほどである。、結論だけ言えば、本歌以外「春」などにかかる例は皆無である。単に掛詞として差し支えない。
 「白真弓を張る、その春山にかかる雲が流れて去ってゆく。その雲のようにここで別れなければならないのか、恋しくてたまらないのに」という歌である。

 頭注に「蘰(かづら)を贈る歌」とある。
1924  大夫の伏し居嘆きて作りたるしだり柳のかづらせ我妹
      (大夫之 伏居嘆而 造有 四垂柳之 蘰為吾妹)
 [大夫(ますらを)の]は「立派な男子たる私が」という意味である。「伏し居嘆きて」は「(家にこもって)背を丸め長々と嘆きながら」という意味。
 「このカズラは立派な男子たる私が女々しくも嘆きながら家にこもって一生懸命しだれ柳で作ったものです。だからちゃんと髪に巻いて飾ってね」という歌である。

 頭注に「別れを悲しむ歌」とある。
1925  朝戸出の君が姿をよく見ずて長き春日を恋ひや暮らさむ
      (朝戸出乃 君之儀乎 曲不見而 長春日乎 戀八九良三)
 「朝戸出の」は、「朝、戸を開いて出ていった」という意味。
 「朝、戸を開いて出ていったあなたの姿をよく見ないで送り出してしまったけれど、春の長い一日をあなたを恋いながら暮らすのでしょうか」という歌である。

 頭注に「問答歌」とある。
1926  春山の馬酔木の花の悪しからぬ君にはしゑや寄そるともよし
      (春山之 馬酔花之 不悪 公尓波思恵也 所因友好)
 1903番歌で述べたように、「馬酔木(あしび)の花」はツツジ科の常緑低木。第三句の「悪しからぬ」を導く序歌。「しゑや」は、659番歌で述べたように、「ええままよ」、「ああしゃくだ」、「まあ」等々様々に訳されているが、要は間投詞。「寄そるともよし」は噂を寄せられても結構」という意味である。
 「馬酔木の花ではないけれど、悪しからず思っている方のことですもの。ええ、ええ。二人のことで噂がたってもかまいませんとも」という歌である。

1927  石上布留の神杉神びにし我れやさらさら恋にあひにける
      (石上 振乃神杉 神備西 吾八更々 戀尓相尓家留)
 「石上布留」は422番歌に「石上布留の山なる杉群の~」という形で出てきた。石上(いそのかみ)は奈良県天理市石上神宮(いそのかみじんぐう)の鎮座する一帯。その杉林は有名だったようだ。一,二句は第三句の「神びにし」を導く序歌。「神びにし」は「神さび」と同意。「古びた」すなわち「年老いた」という意味。現実に老人か否かは不明。自らを遠慮がちに表現したのかもしれない。「さらさら」は現在でも「まっさら」と使う「さら」のこと。
 「石上布留の神杉のように年老いた私だが、このたび新たな恋に出会いましたね」という歌である。前歌の女性歌に応えた歌だ。
 左注に「右の一首は春の歌とは言えないが、前歌に応えた歌ということで、ここに登載する」とある。

1928  さのかたは実にならずとも花のみに咲きて見えこそ恋のなぐさに
      (狭野方波 實尓雖不成 花耳 開而所見社 戀之名草尓)
 「さのかた」は地名説や植物説があるが不詳。「さる人は」と解してよいだろう。「恋のなぐさに」は「恋の慰めに」すなわち「恋の真似事なりと」という意味。
 「どこかのお人とは実らないようだが、花のように咲いてほしいもの。せめて恋の真似事であっても」という歌である。

1929  さのかたは実になりにしを今さらに春雨降りて花咲かめやも
      (狭野方波 實尓成西乎 今更 春雨零而 花将咲八方)
 前歌に応じた形の歌。平明歌。
 「そのお人はもう実になってしまいました。今さら春雨に降られても花を咲かすことができましょうか」という歌である。

1930  梓弓引津の辺なるなのりその花咲くまでに逢はぬ君かも
      (梓弓 引津邊有 莫告藻之 花咲及二 不會君毳)
 本歌はすでに出てきた1279番歌「梓弓引津の辺なるなのりその花摘むまでに逢はずあらめやもなのりその花」にそっくりの歌である。1279番歌は旋頭歌だが、「花摘むまでに」が本歌では「花咲くまでに」となっている。ただ、1279番歌が男性歌、本歌が女性歌仕立てある。民謡歌か?。
 梓弓(あづさゆみ)は枕詞。引津(ひきつ)は「岩波大系本」の注に「福岡県糸島郡志摩の入海」とある。「なのりそ」は「名をおっしゃって下さい」という意味で、海産の藻の一種ホンダワラのこと。
 「引津のあたりに咲いているというなのりその花が咲くまであなたは逢って下さらないのですね」という歌である。

1931  川上のいつ藻の花のいつもいつも来ませ我が背子時じけめやも
      (川上之 伊都藻之花乃 何時々々 来座吾背子 時自異目八方)
 本歌は491番歌と重複歌。なので歌意だけ記そう。前歌に応えた形になっている。
 「川上からいつもの花が流れてきますが、どうかあなた、時を選ばず、いつでもいらして下さい」という歌である。

1932  春雨のやまず降る降る我が恋ふる人の目すらを相見せなくに
      (春雨之 不止零々 吾戀 人之目尚矣 不令相見)
 「人の目すらを」が悩ましい。「ちらりとも姿を」という意味かと思われる。
 「春雨が絶え間なく降っている。それを口実にしているのかあの人はちらりとも姿を見せない」という歌である。

1933  我妹子に恋ひつつ居れば春雨のそれも知るごとやまず降りつつ
      (吾妹子尓 戀乍居者 春雨之 彼毛知如 不止零乍)
 前歌に対し、男の側が応えた歌。第四句「それも知るごと」がキ-ワ-ド゙。「岩波大系本」は「わざと止まずに~」と補っているが的確だと思う。おそらく通常は高価な傘など持っていない時代。雨中に遠出は困難。
 「いとしい彼女に恋い焦がれて出かけたいと思っているのに、そんな私の気持を知っているかのように、意地悪にも春雨は降り続けて止みそうにない」という歌である。

1934  相思はぬ妹をやもとな菅の根の長き春日を思ひ暮らさむ
      (相不念 妹哉本名 菅根乃 長春日乎 念晩牟)
 「もとな」は618番歌や1579番歌等にあるように、「心もとない」ないしは「しきりに」という意味。
 「私のことを思ってくれない彼女だが、自分の方はしきりに彼女を思って、菅の根のように長い春の一日を暮らさねばならない」という歌である。

1935  春さればまづ鳴く鳥の鴬の言先立ちし君をし待たむ
      (春去者 先鳴鳥乃 鴬之 事先立之 君乎之将待)
 前歌に女の側が応えた歌。「春されば」は「春が来ると」という、「言(こと)先立ちし」は「真っ先にあなたの方からお誘いして下さると」という意味である。
 「春になると真っ先に鳴くウグイス。そのウグイスのように真っ先にあなたの方からお誘いして下さると思ってお待ちしてますのに」という歌である。

1936  相思はずあるらむ子ゆゑ玉の緒の長き春日を思ひ暮らさく
      (相不念 将有兒故 玉緒 長春日乎 念晩久)
 「玉の緒の長き」は「玉に通した紐のように長い」という意味。
「私のことを決して思ってくれていない彼女だから、自分の方は玉を通す紐のように長い春の一日を暮らさねばならない」という歌である。

 頭注に「夏の雜歌」とある。1937~1978番歌の42首。
 「鳥を詠む」とある。
1937番 長歌
   大夫の 出で立ち向ふ 故郷の 神なび山に 明けくれば 柘のさ枝に 夕されば 小松が末に 里人の 聞き恋ふるまで 山彦の 相響むまで 霍公鳥 妻恋ひすらし さ夜中に鳴く
   (大夫<之> 出立向 故郷之 神名備山尓 明来者 柘之左枝尓 暮去者 小松之若末尓 里人之 聞戀麻田 山彦乃 答響萬田 霍公鳥 都麻戀為良思 左夜中尓鳴)

  長歌は用語の解説を最小限にとどめる。「神なび山」は「古都明日香の神のこもる山。三輪山」と解されている。「柘(つみ)」はヤマグワのことで、クワ科の落葉高木。

 (口語訳)
 男たちが朝出て向かう故郷の神の山が明け初めてくると、ヤマグワの枝に、また、夕方になると、松の小枝に、里の人々が聞き惚れるほど、山びこのように響き合うホトトギスの鳴き声が聞こえる。妻恋しさに夜中にも鳴いている。

 反 歌
1938  旅にして妻恋すらし霍公鳥神なび山にさ夜更けて鳴く
      (客尓為而 妻戀為良思 霍公鳥 神名備山尓 左夜深而鳴)
 「神なび山」は神の鎮座する山。すなわち神社のこと。
 「旅に出たホトトギスがしきりに妻を恋しがっているようだ。神宿る神なび山で真夜中に鳴き声を響かせている」という歌である。
 左注に「右は古歌集に登載されている」とある。

1939  霍公鳥汝が初声は我れにもが五月の玉に交へて貫かむ
      (霍公鳥 汝始音者 於吾欲得 五月之珠尓 交而将貫)
 「我れにもが」は「私にもほしい」という願望。「五月の玉に」は「五月の薬玉(くすだま)」のことで、麝香や沈香などの香料を袋に入れて玉にし、五色の糸で飾ったもの。五月五日の端午の節句(現在の初夏)に不浄を払い、邪気を追い払い、長命を願った玉。
 「ホトトギスよ。お前が発する初声を私にもくれないだろうか。香料や木の実に混ぜて袋に入れ五月の薬玉(くすだま)にして飾りたいから」という歌である。
        (2014年12月31日記、2018年8月30日記)
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