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人を恋う

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 私はもう20年余も同じ理髪店に通い続けている。6年ほど前、実習生という形で二人の若者が入ってきた。男女二人のベトナム人である。二人は20歳前後と目され、二人とも感じのいい若者だった。以来、私の店に対する気持は一変した。漠然と通っているに過ぎなかった店が、そこでなければならない店に変わった。実習生の男の子は親切でケレンミがなく、国の話などもよくしてくれた。女の子の方はほとんど会話をしなかったが、色白で日本人そのものという顔立ちだった。余分な口を利かない控えめな子で、まるで一昔前のヤマトなでしこを彷彿させた。はっきり言って私の好みの女性だった。将来二人は一緒になって国に帰り、理髪店を行うだろうと想像された。いずれにしろ、若い血が入ったというだけで、私は月に一度その店に顔を出すのが楽しみになった。
 時は過ぎ去って、今年の春、店に顔を出すと二人ともいなかった。店長の話によると、色々道具を買いそろえて帰国したという。二人は一緒になって国に帰り、理髪店を行うだろうという私の想像があたっていたと思った。祝意の気持と共に、なぜか私は寂しさを覚えた。何しろ女の子は、色白で、余分な口を利かない控えめな、私の好みの子だったので、もう見られないと思うと寂しかったのだろう。
 ところが、翌月に顔を出すと彼女だけは店に残っていた。「一緒に帰国したかと思ったよ」と話しかけたら彼女はほほえんで「何で?」と反応した。以来半年余、私は店に顔を出すのが楽しみだった。数日前顔を出したら彼女はいなかった。店長に尋ねると、今度は本当に帰国したのだという。「本当にいい子でしたね」と訊くと「そうそう、昔の日本人女性という感じで、本当によくやってくれましたよ」とひとしきり彼女の話題で盛り上がった。今度こそ彼女を見かけることはなくなった。そんなことはあり得ないが、気持のどこかで私は彼女に恋焦がれていたのだろうか。
           (2015年11月12日)
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万葉集読解・・・185(3020~3041番歌)

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     万葉集読解・・・185(3020~3041番歌)
3020  斑鳩の因可の池のよろしくも君を言はねば思ひぞ我がする
      (斑鳩之 因可乃池之 宜毛 君乎不言者 念衣吾為流)
 斑鳩(いかるが)は聖徳太子ゆかりの地で奈良県生駒郡斑鳩町。太子の宮があったところで、法隆寺もここにある。「因可(よるか)の池」は所在不詳。ここまで「よるか」から「よろしくも」を導く序歌。「思ひぞ我がする」は「心配しています」という意味である。「斑鳩の因可(よるか)の池の名のようには、世間はあなたのことを良く言わないので心配しています」という歌である。

3021  隠り沼の下ゆは恋ひむいちしろく人の知るべく嘆きせめやも
      (絶沼之 下従者将戀 市白久 人之可知 歎為米也母)
 「隠(こも)り沼(ぬ)の」は木々に隠れて見えない沼のこと。「下ゆ」はその下から、つまり「密かに」という意味。「いちしろく」は「はっきりと」、「嘆きせめやも」は「嘆くようなことはするまい」である。「隠り沼の下から密かに恋い焦がれていよう。はっきりと人に知られてしまうような、嘆息をつくようなことはするまい」という歌である。

3022  ゆくへなみ隠れる小沼の下思に我れぞ物思ふこのころの間
      (去方無三 隠有小沼乃 下思尓 吾曽物念 頃者之間)
 「ゆくへなみ」は「水の行く先がないので」。「~ので」の「み」。「このころの間」は「ここんところずっと」という意味。「水の行く先がなくてじっと隠っている小沼のように、密かに私は恋に沈んでいます。ここんところずっと」という歌である。

3023  隠り沼の下ゆ恋ひあまり白波のいちしろく出でぬ人の知るべく
      (隠沼乃 下従戀餘 白浪之 灼然出 人之可知)
 「隠り沼の下ゆ」は前々歌参照。「隠り沼の下から密かに恋い焦がれていたが、そのあまりあふれ出た白波のように、はっきりと顔に出てしまった。世間の人が知るほどに」という歌である。

3024  妹が目を見まく堀江のさざれ波しきて恋ひつつありと告げこそ
      (妹目乎 見巻欲江之 小浪 敷而戀乍 有跡告乞)
 「妹が目を見む」は3011番歌にあったように、「彼女に逢いたい」という意味。「見まくほり」は「逢いたい」で、「堀江のさざれ波」を導く。「しきて」は「重ねて」。結句の「ありと告げこそ」は不特定多数の人に呼びかけたもの。「誰か彼女に告げてくれないかな」という意味である。
 「彼女に逢いたい。堀江に立つさざれ波のようにしきりに恋い続けていると、誰か彼女にこの思いを告げてよ」という歌である。

3025  石走る垂水の水のはしきやし君に恋ふらく我が心から
      (石走 垂水之水能 早敷八師 君尓戀良久 吾情柄)
 「石(いは)走る」は「岩を流れ下る」、「垂水(たるみ)の水の」は「滝の飛沫は」という意味。ここまで「はしきやし」を導く序歌。その「はしきやし」は「いとおしい」という意味である。「岩を流れ下る滝の激流のようにいとおしい(原文:早敷八師)あなたを恋い焦がれている、心から」という歌である。

3026  君は来ず我れは故なみ立つ波のしくしくわびしかくて来じとや
      (君者不来 吾者故無 立浪之 敷和備思 如此而不来跡也)
 「故なみ」だが「理由がないので」、すなわち「思い当たる節がなく」という意味である。「しくしく」は2234番歌や2427番歌に使用例があるように、「しきりに」という意味である。「あなたはちっともいらっしゃらなくなりましたね。私には思い当たる節がなく、立つ波のように、しきりにわびしい思いでいます。あなたはもういらっしゃらないつもりでしょうか」という歌である。

3027  淡海の海辺は人知る沖つ波君をおきては知る人もなし
      (淡海之海 邊多波人知 奥浪 君乎置者 知人毛無)
 「淡海(あふみ)の海」は「近江の海」すなわち琵琶湖のこと。「辺(へた)は」は「岸辺は」で「沖つ波」の対語。「琵琶湖の岸辺のような浅い心は世間の人は知っています。けれども沖の深い心はあなた以外に知る人はいません」という歌である。

3028  大海の底を深めて結びてし妹が心はうたがひもなし
      (大海之 底乎深目而 結<義>之 妹心者 疑毛無)
 「大海(おほうみ)の底を深めて結びてし」は比喩。「大海の底のように深く結ばれた彼女の心には疑いようがありません」という歌である。

3029  佐太の浦に寄する白波間なく思ふを何か妹に逢ひかたき
      (貞能b尓 依流白浪 無間 思乎如何 妹尓難相)
 「佐太の浦」は未詳。「~間(あひた)なく」は比喩。「佐太の浦に寄せてくる白波は絶え間なく寄せてくる、その波のように思い続けているのにどうしてあの子に逢いがたいのだろう」という歌である。

3030  思ひ出でてすべなき時は天雲の奥処も知らず恋ひつつぞ居る
      (念出而 為便無時者 天雲之 奥香裳不知 戀乍曽居)
 「思ひ出でて」は「(あなたのことを)思い出して」、「奥処(おくか)も知らず」は「果ても知らず」という意味である。「あなたのことを思い出してどうしようもない時は、雲の果てがどこか分からないように、どこまでも恋しさを募らせています」という歌である。

3031  天雲のたゆたひやすき心あらば我れをな頼めそ待たば苦しも
      (天雲乃 絶多比安 心<有>者 吾乎莫憑 待者苦毛)
 「な頼めそ」は「な~そ」の禁止形、「あてにしないで」という意味。「漂う雲のように揺れ動く心でいらっしゃるなら、私に気を持たせるようなことはしないで下さい。待っているのは苦しくてたまりません」という歌である。

3032  君があたり見つつも居らむ生駒山雲なたなびき雨は降るとも
      (君之當 見乍母将居 伊駒山 雲莫蒙 雨者雖零)
生駒山(いこまやま)は、奈良県生駒市と大阪府東大阪市との県境にある山。「雲なたなびき」は禁止形。「あなたがいらっしゃる方向、生駒山を眺めています。どうか生駒山に雲はたなびかないでおくれ。雨は降ってもいいから」という歌である。

3033  なかなかに何か知りけむ我が山に燃ゆる煙の外に見ましを
      (中々二 如何知兼 吾山尓 焼流火氣能 外見申尾)
 「なかなかに」は343番歌以下いくつか例があるが、「なまじっか」ないし「かえって」という意味。「外(よそ)に見ましを」は「よそながら見ていればよかったのに」である。「なまじっか知り合ったばかりに燃える山となり、煙が立ちこめて苦しい。その煙をよそながら見ていればよかったのに」という歌である。

3034  我妹子に恋ひすべ無かり胸を熱み朝戸開くれば見ゆる霧かも
      (吾妹兒尓 戀為便名鴈 る乎熱 旦戸開者 所見霧可聞)
 「恋ひすべ無かり」は「恋してしまい、なすすべが無い」すなわち「どうしようもない」という意味である。「胸を熱み」の「み」は「~なので」の「み」。「我が彼女に恋してしまい、どうしようもない。胸が熱いので、朝戸を開けてみると霧が立ちこめているのが見えた」という歌である。

3035  暁の朝霧隠りかへらばに何しか恋の色に出でにける
      (暁之 朝霧隠 反羽二 如何戀乃 色<丹>出尓家留)
 「かへらばに」は「反対に」ないし「かえって」という意味。「明け方の朝に隠っている霧のように、ひそかに恋をしていたのに、かえって、恋いをしていることが表に出てしまった。どうしてなんだろう」という歌である。

3036  思ひ出づる時はすべなみ佐保山に立つ雨霧の消ぬべく思ほゆ
       (思出 時者為便無 佐保山尓 立雨霧乃 應消所念)
 佐保山は奈良市法蓮町あたりにあった山。平城京跡から近い。「すべなみ」は「なすすべがないので」。「思い出すとどうしようもなく、佐保山に立つ雨霧が消えてゆくように、この身も消えてしまいたいと思う」という歌である。

3037  殺目山行き返り道の朝霞ほのかにだにや妹に逢はざらむ
      (煞目山 徃反道之 朝霞 髣髴谷八 妹尓不相牟)
 殺目山(きりめやま)は和歌山県日高郡印南町にある切目山とされる。が、細かくいうと諸説あって、具体的には場所がはっきりしていない。通常は紀勢本線切目駅北西にある切目王子神社のあたりだとされているが、駅南方の狼烟山(のろしやま)という説もある。いずれ切目駅の近くだったのだろう。
 「殺目山の行き帰り道にかかる朝霞のようにほのかにでもあの子に逢えないだろうか」という歌である。

3038  かく恋ひむものと知りせば夕置きて朝は消ぬる露ならましを
      (如此将戀 物等知者 夕置而 旦者消流 露有申尾)
 このまま分かる平明歌。「こんなに恋い焦がれると知っていたら、夕べには降りて朝方には消えてしまう露であればよかったのに」という歌である。

3039  夕置きて朝は消ぬる白露の消ぬべき恋も我れはするかも
      (暮置而 旦者消流 白露之 可消戀毛 吾者為鴨)
 前歌同様平明歌。「夕べには降りて朝方には消えてしまう白露のようなはかない恋いを私はしてるのかも」という歌である。

3040  後つひに妹は逢はむと朝露の命は生けり恋は繁けど
      (後遂尓 妹将相跡 旦露之 命者生有 戀者雖繁)
 「後つひに」は「後にはきっと」である。「恋は繁(しげ)けど」は「しきりに恋いしいけれど」という意味である。「後にはきっとあの子は逢ってくれると朝露のようにはかない命をつないでいる。あの子がしきりに恋いしいけれど」という歌である。

3041  朝な朝な草の上白く置く露の消なばともにと言ひし君はも
      (朝旦 草上白 置露乃 消者共跡 云師君者毛)
 「~置く露の」は「消(け)なば」を導く序歌的比喩。「朝な朝(さ)な草に降りていた白露がはかなく消えていくようなこの命、消える時は共にと言って下さったあなたでしたわ」という歌である。
          (2015年11月14日記)
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国民連合

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政治経済等時事問題おしゃべり
 本欄に一文を寄せるのは9月27日以来である。その出だしに私は次のように記した。
 「ほとんど大部分の国民が審議不十分と思い、違憲の疑いが濃いと思って反対した安保法案。にもかかわらず大多数の自民党が一人残らず一様に強行採決して成立させた。」
 つまり、ほとんど大部分の国民が反対したにもかかわらず、自民党および公明党の誰一人として異を唱えることなくこぞって強行採決に加わったのである。この一点だけを捉えれば彼らは国民の声より権力がほしいのかよ、と思ってしまう。違憲だろうと何だろうと
強引に成立させてしまえばよしでは、たまったものではない。私たちは彼らにお灸をすえるために今度の選挙では一人として彼らを通すわけにはいかない。時が経てば国民は忘れるさと少しでも思っているとすれば、これほど国民を馬鹿にした話はない。
 これを追い風にしようと野党各党は必死になっている。とりわけ民主党などは解党まで行って参議院選挙に備えようとしている。だが、私は彼らは何か誤解しているのではないかと見ている。ほとんど大部分の国民は審議不十分ないし違憲の疑いが濃いと思って安保法案に反対したのである。つまり、民主党や共産党等の政策に賛成したからではない。私の個人的見解でもあるのだが、安保法案に反対したのはあまりに事を急ぎ、強引に強行採決して成立させた、その一点にある。法治国家の日本、その最高法規たる憲法。それを改正してから採決すべきだったのではないかと思っている。横暴なやり方をした議員の一人として通してはならないが、さりとて民主党や共産党等の政策に頷首したからではない。
 政党支持率の世論調査だが、朝日、読売、毎日、NHK等々お馴染みの大手マスコミの手によって行われているが、各社によって相違がある。そこで、例によって大手12社の結果をまとめた株式会社ピーエムラボが作成したPML.Indexを掲げよう。一番上の行に掲げられた数値が大手12社の平均値と考えていただければよいだろう。
 一番多いのが「支持政党なし」の39%。自民党は一番多い支持政党だが、36.2%に過ぎない。全体の3分の1ほどしかない。次に民主党だが、9,7%しかない。私は本来自民党系だが、今回は「支持政党なし」である。
 さりとて選挙に行かなければ、すなわちそのまま自民党に加担することになる。
 私の希望ははっきり「安保法制廃止」を掲げ、それだけで闘う臨時政党の誕生である。「国民連合」、「民主連合」等名称はなんでもいい。安保法制廃案後、あらためて選挙を行うのである。私の強い意志である。このまま横暴を認めるわけにはいかない。民主国家の復活のために・・・。
           (2015年11月15日)
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肯定・否定

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 私の居住する名古屋市では年に一回「健康診査」を実施している。その際、各種のがん検診を一種500円で実施している。胃ガン、大腸ガン、肺ガン、前立腺ガン、乳ガン等々である。私はその内の3種を申し込んだ。
 帰宅して「痰の採取」の説明を読んでいたら「よい痰の取り方」という箇所があった。「よい痰?」、何げない表現なのにどこか引っかかった。痰に善し悪しがあるの?、である。が、この「よい」は「取り方」にかかっていて問題ない。にもかかわらず引っかかったのは「よい痰の」と直接「痰」にかかっているように見えるからだ。「痰のよい取り方」なら何の問題もない。日本語は難しい。
 さて、これが契機になって私は「全然」を思い出した。いっとき大きな話題になったが、若い人が「全然おいしい」とか「全然すてき」と使うのを耳にして違和感を覚えた経験をお持ちの方は少なくなかろう。つまり「全然」は「全然分からない」だの「全然駄目」だのと否定的に使用するのが正しい、という感覚である。私もそう思ったが、考えてみるとそうでもない。肯定的に使われるとされる「全く」を考えてみるとよく分かる。「全くおいしい」という代わりに否定形の「全くおいしくない」といってもいいからである。英語ではabsolutelyだが、この語は「全然」も「全く」も区別なく使われる。
 要は強調の副詞なので、それ自体に意味はなく、否定に使おうと肯定に使おうと目くじらを立てるほどのことはないのかも知れない。あえて私の意見をいえば、「全然」は「全く」よりも強調度が強い用語と思われる。「お前の意見は全然話にならない」の方が「お前の意見は全く話にならない」より強く聞こえると思うのである。「全然すごい」も「全くすごい」も同様である。語順の問題もからめて、本当に日本語って全然(全く)ややこしいですよね。
           (2015年11月16日)
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万葉集読解・・・186(3042~3060番歌)

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     万葉集読解・・・186(3042~3060番歌)
3042  朝日さす春日の小野に置く露の消ぬべき我が身惜しけくもなし
      (朝日指 春日能小野尓 置露乃 可消吾身 惜雲無)
 「春日の小野」は奈良県春日山の野。自分の命を消える露に喩えている。「春日の野に降りていた露が朝日が射してくるとはかなく消えてゆく、そんな露に似て消えてゆく我が身、惜しいことはありません」という歌である。

3043  露霜の消やすき我が身老いぬともまたをちかへり君をし待たむ
      (露霜乃 消安我身 雖老 又若反 君乎思将待)
 「をちかへり」は原文に「若反」とあるように「若返る」こと。「君をし」の「し」は強調の「し」。「露や霜のように消えやすいわが身ですが、たとえ老いてもまた若返り、あなた様を待とうと思います」という歌である。

3044  君待つと庭にし居ればうち靡く我が黒髪に霜ぞ置きにける(ある本の下句に云う(白妙の わがころもでに 露置きにける)と)
      (待君常 庭耳居者 打靡 吾黒髪尓 霜曽置尓家留)(或本歌尾句云(白細之 吾衣手尓 露曽置尓家類))
 「君待つと庭にし居れば」は「あなたを待とうと庭に降りていると」であり、「し」は庭にいることを強調している。「あなたを待とうと庭に降りていると、私の黒髪に霜が降りてきました」という歌である。
 異伝歌は下二句が「私が着ている着物の袖に霜が降りてきました」となっている。

3045  朝霜の消ぬべくのみや時なしに思ひわたらむ息の緒にして
      (朝霜乃 可消耳也 時無二 思将度 氣之緒尓為而)
 「時なしに」は「時を定めず」、「思ひわたらむ」は「恋い続けるだろう」という意味である。「息の緒にして」は「息長く」ないし「細々と」という意味である。「朝霜はたやすく消えていくが、そのようにはかなく消えてゆくのみだろうかこの恋は。時を定めず恋い続けるだろう細々と」という歌である。

3046  ささ波の波越すあざに降る小雨間も置きて我が思はなくに
      (左佐浪之 波越安蹔仁 落小雨 間文置而 吾不念國)
 「あざに(原文:安蹔仁)」の訓は確定していないが、田の畦か?。「間も置きて我が思はなくに」は「間を置いて思うことはなく」すなわち「絶え間なく思っています」という意味である。「さざ波が越えてくる田の畦、そこに降る小雨のように絶え間なく思っています」という歌である。

3047  神さびて巌に生ふる松が根の君が心は忘れかねつも
      (神左備而 巌尓生 松根之 君心者 忘不得毛)
 「神さびて」は「苔むした」と同意。「巌(いはほ)に生ふる松が根の」までは比喩。 「苔むした巌に生える松の根のようにしっかりしたあなたの心は忘れられません」という歌である。

3048  み狩りする雁羽の小野の櫟柴のなれはまさらず恋こそまされ
      (御猟為 鴈羽之小野之 櫟柴之 奈礼波不益 戀社益)
 「雁羽(かりは)の小野」は未詳。「櫟柴(ならしば)の」は雑木。ここまで「なれ(慣れ)」を導く序歌。「まさらず」も「まされ」も「勝る」こと。「狩りをなさる雁羽の小野の櫟柴ではありませんが、恋心に慣れてしまうどころかますます恋心が募る一方です」という歌である。

3049  桜麻の麻生の下草早く生ひば妹が下紐解かずあらましを
      (櫻麻之 麻原乃下草 早生者 妹之下紐 下解有申尾)
 「桜麻(さくらを)の麻生(をふ)の下草」は2687番歌に「桜麻の苧原の下草露しあれば明かしてい行け母は知るとも」とある。「桜麻が茂る原に生える下草」のこと。一読何の歌かよく分からない。手元にある3書の現代語訳を掲げてみる。
 1:桜麻の麻原の下草が(気づかぬうちに)伸びるように、誰かが早く言い寄っていたら、私が妹の下紐を解くようなことはなかったろうに(「岩波大系本」)。
 2:桜麻の麻畠の下草、その草が早く伸びるように、私があなたよりもっと早く成長していたら、あなたの下紐を解かなくてすんだであろうに」(「伊藤本」)。
 3:妻が、桜麻の麻原の下草のように早く育っていたなら、妻の下紐は私が解けなかったろうに(「中西本」)。
 本歌のポイントは「妹が下紐解かずあらましを」にある。「下紐を解く」というのはいうまでもなく「共寝をする仲になる」という意味である。各書とも「下草が早く伸びるように」という比喩に解している。それはそれでいいのだが、2は「私が伸びる」と解し、3は「妹(妻)が伸びる」と解している。両書とも、私ないし彼女が早く伸びたことがなぜ下紐を解くに結びつくのか判然としない。そこで1は「誰かが早く言い寄っていたら」としていて、これなら歌意はとおる。これがヒントになって私は解することができた。
 下草は隠れていて成長が分からない。「下草が早く伸びるように」とは「いち早く気づいて」という意味に相違ない。「桜麻の麻原の下草が知らぬ間に伸びるように、いち早くそれに気づいた私が行動を起こしたので恋仲になり、彼女が下紐を解くまでになった。もしも気づかなかったなら、そうはなっていなかったろうに」という歌である。

3050  春日野に浅茅標結ひ絶えめやと我が思ふ人はいや遠長に
      (春日野尓 淺茅標結 断米也登 吾念人者 弥遠長尓)
 「春日野」は「奈良県春日山の野」。浅茅(あさぢ)は丈の低い茅(かや)。「標(しめ)結ふ」は「しめ縄を張って囲い込むこと」だが、ここでは目星をつけること。「いや遠長に」は「ずっとそのままでいてほしい」という意味である。「春日野にしめ縄を張るように、しっかりと目星をつけた私の思うあの人はずっとそのままでいてほしい」という歌である。

3051  あしひきの山菅の根のねもころに我れはぞ恋ふる君が姿を [或本歌曰 あが思ふ人を 見むよしもがも]
      (足桧木之 山菅根之 懃 吾波曽戀流 君之光儀乎 [或本歌曰 吾念人乎 将見因毛我母])
 「あしひきの」はおなじみの枕詞。「ねもころに」は「ねんごろに」。「山菅(やますげ)の根のようにねんごろに私は恋い焦がれています。あなたに」という歌である。異伝歌は「~わが思う人に逢いたいものです」となっている。

3052  かきつはた咲く沢に生ふる菅の根の絶ゆとや君が見えぬこのころ
      (垣津旗 開澤生 菅根之 絶跡也君之 不所見頃者)
 カキツバタはアヤメ科の多年草。池や沼に咲く。「カキツバタが咲く沢に生える菅の根も絶えてしまうのでしょうか。ちかごろあなた様はいらっしゃらないですけれど」という歌である。

3053  あしひきの山菅の根のねもころにやまず思はば妹に逢はむかも
      (足桧木乃 山菅根之 懃 不止念者 於妹将相可聞)
 「あしひきの山菅の根のねもころに」は前々歌参照。「山菅(やますげ)の根のようにねんごろにやむことなく恋い焦がれていれば彼女に逢えるかも」という歌である。

3054  相思はずあるものをかも菅の根のねもころごろに我が思へるらむ
      (相不念 有物乎鴨 菅根乃 懃懇 吾念有良武)
 「相思はずあるものをかも」は「相思相愛ではないのに」という意味である。「菅の根のねもころごろに」は前歌参照。「相思相愛ではないのに私の方は山菅(やますげ)の根のようにねんごろに焦がれています」という歌である。

3055  山菅のやまずて君を思へかも我が心どのこの頃はなき
      (山菅之 不止而公乎 念可母 吾心神之 頃者名寸)
 「山菅の」は「山菅の根のねもころに」の略。「心どの」は「平常心の」という意味。「山菅の根のようにねんごろにやむこともなくあなたに恋い焦がれています。この頃は平常心もありません。」という歌である。

3056  妹が門行き過ぎかねて草結ぶ風吹き解くなまたかへり見む [一云 直に逢ふまでに]
      (妹門 去過不得而 草結 風吹解勿 又将顧 [一云 直相麻<弖>尓])
 「草結ぶ」は「岩波大系本」に「類感呪術の一」とある。これでは分からない。単純に「草を結ぶ」でいいだろう。「彼女の家の門前を行き過ぎかねて二人の縁が合わさるようにと草を結んだ。風よその結び目を吹き解かないでおくれ。帰りにまた見てみるから」という歌である。異伝歌は結句が「~直接逢うまでは」となっている。

3057  浅茅原茅生に足踏み心ぐみ我が思ふ子らが家のあたり見つ [一云 妹が家のあたり見つ]
      (淺茅原 茅生丹足踏 意具美 吾念兒等之 家當見津 [一云 妹之家當見津])
 浅茅(あさぢ)は丈の低い茅(かや)。「茅生(ちふ)」は「原に生えている茅」。「心ぐみ」は「心が晴れ晴れしないので」。「~ので」の「み」。「浅茅原に生えている茅に足踏みをするとちくちくして鬱陶しい。心が晴れ晴れしないので顔を上げ、恋い焦がれる子らがいる家のあたりを見た」という歌である。

3058  うちひさす宮にはあれど月草のうつろふ心我が思はなくに
      (内日刺 宮庭有跡 鴨頭草之 移情 吾思名國)
 「うちひさす」は宮にかかる枕詞。「宮にはあれど」は「宮廷に仕えている身ではありますが」という意味。宮廷は華やかで人々も多く、目移りしやすい場所と考えられていた。「心」は「恋心」。「宮廷に仕えている身ではありますが、月草のようにうつろいやすい心であなたを思っているわけではありませんのに」という歌である。

3059  百に千に人は言ふとも月草のうつろふ心我れ持ためやも
      (百尓千尓 人者雖言 月草之 移情 吾将持八方)
 「百(もも)に千(ち)に」は「色々と」。「色々と人は噂をまき散らしますが、月草のようにうつろいやすい心など決してもつものですか」という歌である。

3060  忘れ草我が紐に付く時となく思ひわたれば生けりともなし
      (萱草 吾紐尓著 時常無 念度者 生跡文奈思)
 「忘れ草」はヤブカンゾウの別称。身につけると恋の苦しみを忘れられるという。2475番歌に「我が宿の軒にしだ草生ひたれど恋忘れ草見れどいまだ生ひず」とある。「忘れ草を着物の紐に付けたけれど、時なしに恋い焦がれ続けるので苦しくて生きた心地がしない」という歌である。
          (2015年11月19日記)
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天に謝意

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 前回の本欄で、私の居住する名古屋市では「健康診査」と共に各種のがん検診を実施している旨を述べた。私が受けたがん検診は、大腸ガン、肺ガン、前立腺ガンの3種である。前月末に受けて、その結果を待っていたが、本日連絡を受けて早速医院に赴いた。大丈夫とは思ったが、結果を耳にするまではそこはかとなく不安であった。ドクタ-は私を前にして告げた。「健康診査も、がん検診も異常は認められません」
 私は検査結果を詳細に記した紙片を手中にして医院を辞した。
 私の胸に安堵感が広がり、足取りもこころなしか軽かった。取り立てて命が惜しいわけではない。が、私には万葉集の読解を完成させたいという、使命感がある。使命感といっても誰も期待しているわけでもなく、私以外の誰かがやってもいるだろうから、その意味では私自身が私自身だけに言い聞かせている、いわば勝手使命感に過ぎない。
 にもかかわらず、引き続き「完成めざして進みなさい」と天に言われたような気がしてうれしかった。
    ひとりでに笑みこぼれ来る引き続きやれよと神に言われしごとく
    空仰ぐ果てにただよう雲ひとつこの喜びを誰か告げざらん
 この時期になると「夫死亡故」という年頭挨拶辞退のハガキが届く。今年ももう3通も来ている。年賀状をやりとりしていた相手なので親しかった方々である。そんな中で「健康診査も、がん検診も異常なし」という通知は「引き続き生きなさい」と言われたわけで、本当に感謝の念が広がった。
 この世に生きてあることはまさに「生かされている」ということで、それに感謝するのは自然な思いなのである。
     山茶花の空に浮き出る神の顔
           (2015年11月20日)
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万葉集読解・・・187(3061~3077番歌)

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     万葉集読解・・・187(3061~3077番歌)
3061  暁の目覚まし草とこれをだに見つついまして我れと偲はせ
      (五更之 目不酔草跡 此乎谷 見乍座而 吾止偲為)
 「目覚まし草」は草の名説と種(ぐさ)=何かの品説の二説ある。が、歌作の場合、何の品か分からないのを歌い込むのは通常しないので、ここは草の名とするのが順当。原文にも「目不酔草跡」とあって草の名であることを裏付ける。ただし、何の草を指すのか不明。「見つついまして」は「ご覧になりながら」である。「明け方の目覚まし草とお思いになってご覧になりながら私と思って偲んでください」という歌である。

3062  忘れ草垣もしみみに植ゑたれど醜の醜草なほ恋ひにけり
      (萱草 垣毛繁森 雖殖有 鬼之志許草 猶戀尓家利)
 「しみみに」は、2748番歌に「大船に葦荷刈り積みしみみにも~」とあるように、「いっぱいに」という意味である。「醜(しこ)の醜草」は「忘れ草」の言い換えである。「恋の苦しみを忘れさせるというから忘れ草を垣根いっぱいに植えたけれど、ちっとも効能がないではないか、この馬鹿草、やはり忘れられず、なお恋続けるばかりじゃないか」という歌である。

3063  浅茅原小野に標結ふ空言も逢はむと聞こせ恋のなぐさに [或本歌曰 来むと知らせし君をし待たむ] 
      (淺茅原 小野尓標結 空言毛 将相跡令聞 戀之名種尓 [或本歌曰 将来知志 君矣志将待])。又見柿本朝臣人麻呂歌集然落句小異耳
 茅(あさぢ)は丈の低い茅(かや)。「標(しめ)結ふ」はしめ縄を張って囲い込むこと。2466番歌に第三句までほぼ同じ「浅茅原小野に標結ふ空言を~」とある。「標(しめ)結ふ」は松の木とか岩とか本来しっかりした物に張り巡らす。が、浅茅は草なので張ったことにならない。空言(むなこと)の比喩に使われている。「小野に生えている浅茅原に標を張るというに等しい嘘っぱちでもいいから「逢おう」と言って下されば、恋のなぐさめになります」という歌である。
 異伝歌は下二句が「行くよとおっしゃって下さればそれを当てにお待ちするのに」となっている。さらに柿本人麻呂歌集にも異伝歌が見えるが、こちらは結句が少し異なっているだけである。

3064  人皆の笠に縫ふといふ有間菅ありて後にも逢はむとぞ思ふ
      (人皆之 笠尓縫云 有間菅 在而後尓毛 相等曽念)
 有間菅は兵庫県有馬地方に産する菅。「~有間菅」まで「ありて」を導く序歌。「ありて」は「このようにして」という意味。「人々がこぞって笠に編むという有間菅ではありませんが、このようにして今後も逢いたいと思っている」という歌である。

3065  み吉野の蜻蛉の小野に刈る草の思ひ乱れて寝る夜しぞ多き
      (三吉野之 蜻乃小野尓 苅草之 念乱而 宿夜四曽多)
 「み吉野の蜻蛉(あきづ)の小野」は奈良県吉野郡吉野町宮滝付近の野。「~刈る草の」までは「乱れて」を導く序歌。「み吉野の蜻蛉の小野で刈る草が乱れるように、思いが乱れて独り寝る夜が多くなった」という歌である。

3066  妹待つと御笠の山の山菅の止まずや恋ひむ命死なずは
      (妹待跡 三笠乃山之 山菅之 不止八将戀 命不死者)
 御笠の山は奈良県春日山の一峰。御笠の山を漠然と「笠をかぶったように見える山」と取ってとれないことはないが、歌意がぼんやりしていただけない。彼女がいる特定の御笠の山方面ととりたい。「御笠の山の山菅の」は「止まず」を導く序歌。「彼女が待っているという御笠の山の山菅ではないが、止むことなく恋続けるよ、生きている限りは」という歌である。

3067  谷狭み嶺辺に延へる玉葛延へてしあらば年に来ずとも [一云 岩つなの延へてしあらば] 
      (谷迫 峯邊延有 玉葛 令蔓之有者 年二不来友 [一云 石葛 令蔓之有者]
 「谷狭(せば)み」は「谷が狭いので」。「~ので」の「み」。玉葛(かづら)の玉は美称。葛はつる草の総称。「延(は)へてし」の「し」は強意。「年に」は「年中」で間が空くことの強調。「谷が狭いので峰に向かって伸びる玉葛、伸びてつながっていれば、一年間お見えにならなくとも」という歌である。
 異伝歌は下二句が「岩にからみついたつるが伸びているなら」となっている。

3068  水茎の岡の葛葉を吹きかへし面知る子らが見えぬころかも
      (水茎之 岡乃田葛葉緒 吹變 面知兒等之 不見比鴨)
 「水茎(みづくき)の」は岡にかかる枕詞説がある。事例は5例あって、なるほど内4例は岡が続いている。が、一例は「水茎の水城の上に」(968番歌)となっている。よく見ると他の4例は実質的に岡にはかかっていない。4例は次のようになっている。
   1:水茎の岡の港に(1231番歌)
   2:水茎の岡の木の葉も(2193番歌)
   3:水茎の岡の葛葉は(2208番歌)
   4:水茎の岡の葛葉を(3068番歌)
 ごらんのように「岡の」となっていて岡にかかっていない。かくて「水茎の水城の上に」(968番歌)という岡にかからないように見える事例も説明ができる。そもそも岡が登場する例は5例以外に40例以上もあってどの岡にも「水茎の」はかぶさっていない。
 こんなわけで私は「水茎の」は「みずみずしい」と解することが出来るとした。
 「~吹きかへし」までは「面知る」を導く序歌である。葛葉が吹き返されて裏葉が白く見えることにかけている。「瑞々しい葛葉が吹き返されて裏が白く見えるように、色白の見知った彼女たちは最近姿を見せないなあ」という歌である。

3069  赤駒のい行きはばかる真葛原何の伝言直にしよけむ
      (赤駒之 射去羽計 真田葛原 何傳言 直将吉)
 赤駒はむろん馬のこと。真葛原は葛の生える原。伝言(つてこと)はそのまま伝言のこと。「赤駒でさえ行くのをはばかる真葛原なのに、どうしてわざわざ伝言の形にすのか。直接逢って話せばよいのに」という歌である。
 なお、本歌は日本書紀にも掲載されていて(書紀127番歌)、天智天皇御製となっている。同時に童謡(わざうた)とされていて本当に天智天皇御製か判然としない。

3070  木綿畳田上山のさな葛ありさりてしも今ならずとも
      (木綿疊 田上山之 狭名葛 在去之毛 <今>不有十万)
 「木綿畳(ゆふたたみ)」は木綿の布を重ね合わせ、手に持って神に供えるもの。枕詞(?)。田上山(現在は太神山と表記される)は滋賀県大津市の山。標高600メートル。「さな葛」がはっきりしないが「さな葛のように生き延びて」という意味か。「ありさりてしも」は「このままのまま」つまり「このまま無事に生き延びて」という意味。「しも」は強調。「木綿畳を太神山にささげ、さな葛のようにのまま無事に生き延びて逢いたい。今でなくとも」という歌である。

3071  丹波道の大江の山のさな葛絶えむの心我が思はなくに
      (丹波道之 大江乃山之 真玉葛 絶牟乃心 我不思)
 丹波道は奈良大和から京都丹波に至る道。大江山はその途上にある山。「さな葛」は前歌参照。「丹波道の大江の山のさな葛、二人の仲が絶える(つるが切れる)などと私は思っていないとも」という歌である。

3072  大崎の荒礒の渡り延ふ葛のゆくへもなくや恋ひわたりなむ
      (大埼之 有礒乃渡 延久受乃 徃方無哉 戀度南)
大崎は和歌山県海南市下津町の岬とされる。「大崎の荒礒にある渡し場に生える葛が行方も知れないように伸びて漂うように、彼女を思って恋続けることになるのだろうか」という歌である。

3073  木綿包み [一云 畳] 白月山のさな葛後もかならず逢はむとぞ思ふ       (木綿裏 [一云 疊] 白月山之 佐奈葛 後毛必 将相等曽念)
     [或本の歌に曰ふ 絶えむと妹を我が思はなくに]
     [或本歌曰 将絶跡妹乎 吾念莫久尓]
 「木綿包み」は3070番歌の「木綿畳(ゆふたたみ)」と同様だろう。歌意も3070番歌と同趣旨。白月山は未詳。「木綿包み(あるいは木綿畳)を白月山にささげ、さな葛のようにのまま無事に生き延びて必ず逢いたい。後々も」という歌である。
 異伝歌は下二句が「彼女との仲が絶えてしまうと思わない」となっている。

3074  はねず色のうつろひやすき心あれば年をぞ来経る言は絶えずて
      (唐棣花色之 移安 情有者 年乎曽寸經 事者不絶而)
 はねず色は657番歌と2786番歌に例がある。はねず色は庭梅ないし木蓮の花の色と言われている。ただ657番歌には「~はねず色のうつろひやすき我が心かも」とあり、本歌の上三句もほぼ同様に「はねず色のうつろひやすき心あれば~」とあり、薄い紅色だったようだ。他方1485番歌に「夏まけて咲きたるはねず~」とあるのではねずは花の種類であることも分かる。「はねずの花の色のように移り気な心をお持ちですこと。伝言だけはお寄越しになり、気をもたせたまま年月が経ってしまいました」という歌である。

3075  かくしてぞ人は死ぬといふ藤波のただ一目のみ見し人ゆゑに
      (如此為而曽 人之死云 藤浪乃 直一目耳 見之人故尓)
 「かくしてぞ」は「こんなふうにして」。「藤波の」は「垂れ下がる藤の花のように」という「美しい」の形容。「こんなふうにして人は死んでゆくというのだろうか。藤の花のように美しい彼女をたった一目見て恋い焦がれてしまったゆえに」という歌である。

3076  住吉の敷津の浦のなのりその名は告りてしを逢はなくも怪し
      (住吉之 敷津之浦乃 名告藻之 名者告而之乎 不相毛恠)
 「住吉(すみのえ)の敷津の浦」は大阪市住吉区西方にあった海岸。「なのりそ」はホンダワラの古名で広辞苑に「海産の褐藻」とある。「怪し」は「不思議」ないし「不審」。「住吉の敷津の浦のなのりそといいますが、名のってはいけないその大切な名をお教えしたのに、逢ってくださらないのはなぜかしら」という歌である。

3077  みさご居る荒礒に生ふるなのりそのよし名は告らじ親は知るとも
      (三佐呉集 荒礒尓生流 勿謂藻乃 吉名者不<告> 父母者知鞆)
 みさごは海浜に棲む鳥。「なのりそ」は前歌参照。ここまで「告(の)らじ」を導く序歌。「みさごが棲んでいる荒礒に生えているというなのりそのように決して御名は申しません、たとえ二人の仲を親に知られても」という歌である。
          (2015年11月22日記)
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お膝元風景

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 昨日、マンション管理組合の総会が開催されたので顔を出した。場所は稲葉地公園の一画に設置されている稲葉地コミュニセンターである。
 稲葉地公園というのは元水道公園と呼んでいた公園。名古屋市水道局の水道施設「稲葉地配水塔」が設置された場所だからである。配水塔はギリシャ神殿を彷彿させる円柱形の独特の建物で、一度実見したら忘れられない。その後配水塔の用途は廃止になり、昭和40年に中村図書館となった。さらにその図書館も移転し、現在その配水塔は名古屋市演劇練習館として活用されている。すぐお膝元に住んでいながら、長らく東京にいたこともあり、その円柱建物には一度も足を踏み入れたことがない。いま思えば図書館時代に一度訪ねておけばよかったと臍をかむ思いでいる。
 配水塔の沿革はさておき、総会を終わってコミュニセンターから出てきた私はゆっくりと帰途についた。その際、東側からだだっぴろいグランドを隔てて西側に目をやった。円柱塔の北側に当たり、写真にも左端に塔の一部が写っている。
 遠方で何の樹木か分からないが、紅葉の美しさに息を呑んだ。お膝元にこんな風景が演出されていたなんて!。まさに灯台もと暗しである。自戒も込めて、私たちは何かと遠くへ出かけて絶景を探しに出たがるが、必ずしもそれがいいことか、と思ってしまった。
   絶景は人の感性の鏡なるたたずみてみる近隣の園
   見慣れたる円柱塔もまぶしくて紅葉色なる頬を染めにし
 私はすぐ近くにいる自分なのだから、時として散策にやってくるのも悪くないな、と思った。が、同時に、いつでも来られるのだから、という思いがあって、そのうちに、そのうちにと行かずじまいに終わりそうに思われた。みなさんは、お出かけ派?、それとも近隣散策派?
           (2015年11月23日)
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家居派

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 前回の文末に「みなさんは、お出かけ派?、それとも近隣散策派?」と記した。書いてから一日経って気づいたのだが、実は重大な選択肢が残っていた。「それとも家居派?」である。私が意味するのはむろん余暇の過ごし方のことなので、画家や作曲家等々家にこもって作業する職業の人ではない。
 単純にいえば家居してのんべんだらりと過ごす、いわば「のんべんだらり派」とでも呼ぶべき人々である。のんべんだらりの中には読書や思索に耽る行為も含まれる。読書はさておき、思索に耽る行為は厄介である。第三者から眺めると、ぼうっとしているのか思索に耽っているのか区別がつかない。のんべんだらりと過ごすあり方は、あるものごとに対して重大なヒントを得るきっかけになったりもする。発想の転換を促したり重大な発見につながったりする。したがって「家居派」をいちがいに排除すべきではない。
 こんな風に考えると「のんべんだらり派」こそ貴重な存在とも言えるのだ。これはいわゆる余暇の過ごし方のことなので、問題ない。が、実は職場にあっても「のんべんだらり派」が力を発揮する場合があるのだ。
 最も重要なのは発想の転換を得る場合である。が、職場ではこれはなかなか許されない。一般に職場では働け、働けが重要でのんべんだらりは許されるべきものではないからだ。 ひょんなことから「家居派」すなわち「のんべんだらり派」に話が及んでしまったが、なかなかじっとしていられないように出来上がっている私には正直無理な過ごし方だ。ひとつ言えることは「家居派」だからといって、いちがいにそしったり叱りつけたりすべきではないということである。
 多様な過ごし方、多様な価値観を持っている人々がいるということ、それ故にこそ、この世は計り知れない豊かさに満ちている、と思うからである。
           (2015年11月25日)
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万葉集読解・・・188(3078~3097番歌)

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     万葉集読解・・・188(3078~3097番歌)
3078  波の共靡く玉藻の片思に我が思ふ人の言の繁けく
      (浪之共 靡玉藻乃 片念尓 吾念人之 言乃繁家口)
 「波の共(むた)」は「波と共に」すなわち「波任せに」という意味。「波と共になびく玉藻のように片思いに揺れ、我が恋い焦がれるあの人について何かと噂が激しくて」という歌である。

3079  わたつみの沖つ玉藻の靡き寝む早来ませ君待たば苦しも
      (海若之 奥津玉藻乃 靡将寐 早来座君 待者苦毛)
 「わたつみの」は「大海の」という意味。『古事記』では「綿津見神」、また、『日本書紀』では「海神」などの表記がなされる神話上の神。ここでは大海を指す。「~玉藻の」までは「靡(なび)き」を導く序歌。「大海の沖の藻のように寄り添って寝たい、早くいらっしゃって下さい。あなたを待っているのは苦しくてたまりません」という歌である。

3080  わたつみの沖に生ひたる縄海苔の名はかつて告らじ恋ひは死ぬとも
      (海若之 奥尓生有 縄乗乃 名者曽不告 戀者雖死)
 「わたつみの」は前歌参照。「縄海苔」は「縄のように長い海苔」。縄海苔(名は告(の)り)にかけた言い方。「かって」は「曽て」で「決して」という意味。「大海の沖に生える縄海苔のように、決してあなたの名をもらすことはしません。たとえ恋はやんでも」という歌である。
 
3081  玉の緒を片緒に縒りて緒を弱み乱るる時に恋ひずあらめやも
      (玉緒乎 片緒尓搓而 緒乎弱弥 乱時尓 不戀有目八方)
 「玉の緒を片緒に縒りて」は1937番歌に「片縒りに糸をぞ我が縒る我が背子が~」という例がある。「片緒(一本)」では紐(緒)は縒れないので具体的にはよく意味が分からない。が、縒り合わせようにも出来ない「片思い」の意と解すれば歌意はすっきり通る。「玉を通した緒を片方の緒だけで縒り合わせようとしても弱いので(出来ないので)片思いに心が乱れる今こそ恋わずにいられようか」という歌である。

3082  君に逢はず久しくなりぬ玉の緒の長き命の惜しけくもなし
      (君尓不相 久成宿 玉緒之 長命之 惜雲無)
 前半の「君に逢はず久しくなりぬ」と後半の「長き命の惜しけくもなし」を結ぶ歌意が判然としない。「短き命」なら分かるが・・・。そこですっきり歌意が通るようにするには意訳的解が必要となる。「あなたに逢わないまま随分久しくなりました。本来玉の緒のように長いこの命、けれどもういつ死んでも惜しくありません」という歌である。

3083  恋ふることまされる今は玉の緒の絶えて乱れて死ぬべく思ほゆ
      (戀事 益今者 玉緒之 絶而乱而 可死所念)
 「恋ふることまされる今は」は「恋心が募って頂点に達した今は」という意味である。「恋心が募って頂点に達した今、玉の緒が切れて(玉が)乱れ飛ぶように死にたく思います」という歌である。

3084  海人娘子潜き採るといふ忘れ貝世にも忘れじ妹が姿は
      (海處女 潜取云 忘貝 代二毛不忘 妹之容儀者)
 「海人娘子(あまをとめ)」は海女(あま)のこと。「潜(かづ)き採る」は「潜って採る」。「世にも」は「けっして」という意味。「海女が潜って採るという忘れ貝。が、決して私は彼女の姿を忘れたりしない。」という歌である。

3085  朝影に我が身はなりぬ玉かぎるほのかに見えて去にし子ゆゑに
      (朝影尓 吾身者成奴 玉蜻 髣髴所見而 徃之兒故尓)
 2394番歌と重出。朝影は朝日にあたって長く伸びた影。「玉かきる」の「玉」は美称、「かぎる」は陽炎。「朝影のように私はやせ細ってしまった。陽炎のようにほのかに逢っただけで立ち去ってしまったあの子が忘れられないゆえに」という歌である。

3086   なかなかに人とあらずは桑子にもならましものを玉の緒ばかり
      (中々二 人跡不在者 桑子尓毛 成益物乎 玉之緒許)
 「なかなかに」は12例にわたって使われているが、ここでは大伴旅人の「なかなかに人とあらずは酒壷になりにてしかも酒に染みなむ」(343番歌)を挙げておこう。「いっそのこと」ないし「なまじっか」という意味である。桑子(くはこ)は蚕のこと。「玉の緒ばかり」は「飾り紐のようにいっとき」という意味である。「いっそのこと人ではなく、もの思わなくてよい蚕にでもなりたい、たとえいっときでも」という歌である。

3087  真菅よし宗我の川原に鳴く千鳥間なし我が背子我が恋ふらくは
      (真菅吉 宗我乃河原尓 鳴千鳥 間無吾背子 吾戀者)
 「真菅(ますげ)よし」だが、今でも曽我川のほとりに真菅駅があり、菅が美しい原だったようだ。曽我(宗我)川は奈良県御所市から大和高田市等を通って北流し、大和川に注ぐ川。真は美称。「菅の美しい曽我の川原に鳴く千鳥のようにのべつまくなしに私は、あなたを恋い焦がれています」という歌である。

3088  恋衣着奈良の山に鳴く鳥の間なく時なし我が恋ふらくは
      (戀衣 著楢乃山尓 鳴鳥之 間無時無 吾戀良苦者)
 「着奈良(きなら)」だが、「着慣れている」にかけている。前歌と同趣旨の歌。「恋の着物に身を包み慣れている奈良山に鳥がひっっきりなしに鳴く、そんな風に私も時無しに恋しくてなりません」という歌である。

3089  遠つ人狩道の池に住む鳥の立ちても居ても君をしぞ思ふ
      (遠津人 猟道之池尓 住鳥之 立毛居毛 君乎之曽念)
 「遠つ人」は枕詞説もあるが、871番歌に「遠つ人松浦佐用姫夫恋ひに領巾振りしより負へる山の名」という例があるように「遠い人」の意味で使われていて枕詞(?)である。「狩道(かりじ)の池」地名で奈良県桜井市鹿路の池だという。「立ちて」は比喩ないし序歌。「遠くにいる人、鹿路の池に住んでいる鳥が飛び立つように、いても立ってもいられないほどあなたを強く思っています」という歌である。
 「遠つ人」に対して「本つ人」の例があるが別に「近くにいる人」という意味ではない。1962番歌の「本つ人霍公鳥をやめづらしく今か汝が来る恋ひつつ居れば」は「昔からの人」を意味している。3009番歌の「橡の衣解き洗ひ真土山本つ人にはなほしかずけり」も同様古女房を意味している。

3090  葦辺行く鴨の羽音の音のみに聞きつつもとな恋ひわたるかも
      (葦邊徃 鴨之羽音之 聲耳 聞管本名 戀度鴨)
 「音のみ」は通常噂のみ」を意味している。「もとな」は40例近くにわたってでてくる。「無性に」ないし「しきりに」という意味である。「芦辺を行く鴨の羽音がするが、姿は見られないように、噂ばかりが耳に入ってくる。無性にお逢いしたくて恋続けています」という歌である。

3091  鴨すらもおのが妻どちあさりして後るる間に恋ふといふものを
      (鴨尚毛 己之妻共 求食為而 所遺間尓 戀云物乎)
 「妻どち」の「どち」は仲間同士を呼ぶ親しい呼び方。「鴨ですらお互いの妻たちと共に餌をあさっている時、少しでも遅れると恋しがる(探す)というのに、(人間である私が相手を恋しがるのは)当たり前です」という歌である。

3092  白真弓斐太の細江の菅鳥の妹に恋ふれか寐を寝かねつる
      (白檀 斐太乃細江之 菅鳥乃 妹尓戀哉 寐宿金鶴)
 「白真弓(しらまゆみ)」は白い弓のこと。決まった語にかかるわけではないので枕詞(?)である。「斐太」は「飛騨」のことで、1173番歌に「飛騨人の真木流すといふ丹生の川言は通へど舟ぞ通はぬ」、2648番歌に「かにかくに物は思はじ飛騨人の打つ墨縄のただ一道に」と使われている。細江は地名か谷川か不詳。「菅鳥((すがとり」はどんな鳥か不明。「菅鳥の妹に恋ふれか」を「我が妹に恋ふれか」にかけている。「白真弓の産地である飛騨の国の谷川の菅鳥が妻を求めて鳴くように、この私も彼女が恋しくてなかなか寝付かれません」という歌である。

3093  小竹の上に来居て鳴く鳥目を安み人妻ゆゑに我れ恋ひにけり
      (小竹之上尓 来居而鳴鳥 目乎安見 人妻姤尓 吾戀二来)
 「目を安み」は上二句を受けると共に、下二句に渡す。「人妻ゆゑに」は「人妻なのに」という意味である。「篠の上にやってきて鳴く鳥を見ていると目が休まる。そのように彼女の姿を眺めていると目が休まるので人妻だと分かっているのに恋してしまう」という歌である。

3094  物思ふと寐ねず起きたる朝明にはわびて鳴くなり庭つ鳥さへ
      (物念常 不宿起有 旦開者 和備弖鳴成 鶏左倍)
 このまま読解してよいだろう。「物を思って寝られず起きた朝明けはわびしいが、庭の鳥さえわびしく鳴いている」という歌である。

3095  朝烏早くな鳴きそ我が背子が朝明の姿見れば悲しも
      (朝烏 早勿鳴 吾背子之 旦開之容儀 見者悲毛)
 「な鳴きそ」は「な~そ」の禁止形。「朝明の姿」は「朝になると帰っていく男の姿」を意味している。「朝のカラスよ、そんなに早いうちから鳴かないでおくれ。いとしいあのお人が朝帰りするのを見るのが哀しいから」という歌である。

3096  馬柵越しに麦食む駒の罵らゆれど猶し恋しく思ひかねつも
      (柜楉越尓 麦咋駒乃 雖詈 猶戀久 思不勝焉)
 「馬柵(うませ)越しに」は原文「柜楉越尓」からケヤキだの若木だのと材料に拘った議論があるようだが、ここでは馬の柵であることが分かれば十分。「罵(の)らゆれど」は「叱られても」ないし「罵(ののし)られても」である。「思ひかねつも」であるが「思いかねている」すなわち「~しかねる」である。「馬柵越しに麦を食べる馬は叱られてもやはり麦が恋しくじっと待ちかねる」という歌である。が、これだけの歌なので、これにどんな暗喩や比喩を施すかは読者に委ねられている。

3097  さ桧隈桧隈川に馬留め馬に水飲へ我れ外に見む
      (左桧隈 <桧隈>河尓 駐馬 馬尓水令飲 吾外将見)
 「さ桧隈桧隈川」であるが、「さ」は意味を強める接頭語。奈良県明日香村檜前(ひのくま)を流れる檜隈川(ひのくまがわ)のこと。「水飲(か)へ」は「水を飲ませて下さい」、「外(よそ)に見む」は「離れてこっそり見る」という意味。「桧隈の桧隈川のほとりに馬をとめ、馬に水をお与え下さい。そのお姿を私は横からこっそり見させていただきます」という歌である。
          (2015年11月27日記)
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千里の道も

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 いよいよ右眼の手術日が迫ってきた。明後日入院して翌1日に手術の予定である。緑内障の予防手術ということだが、不安がないと言えば嘘になる。けれども、覚悟を決めた以上、でんと構えようと思っている。
 こんなわけで、本欄はこれを最後にしばし休筆を余儀なくされるでしょう。万葉集も休筆を余儀なくされるが、こちらの方はなんとか明日間に合えば、最後のアップを行うつもりでいる。きりのいい3100番歌を越えるので、頑張ってと思っている。
 本欄(日々つれづれ)も万葉集読解も、いつの間にか大変な数になった。本欄は930回目を迎え、万葉集読解の方も3100番歌目前。こんな数は始める際は夢のような数で、この自分にはとうてい不可能に見えた。これも目に見えない読者の存在があるからである。 意志薄弱なこんな私でも読者がお一人でもおられると思うと、それが支えとなってここまでやってこられた。むろん、内容の質は別の話だが、930回目だの3100番歌だのという数字を前にすると、われながら信じがたい思いだ。
 それも、読者の見えない力に加え、目前の一文や一歌をこつこつとこなしてきた継続力の賜物と思っている。継続力に欠けるこの私がいうのは自己矛盾だが、やはり、一歩また一歩の力は絶大と言わざるを得ません。
 「千里の道も一歩から」とか「ローマは一日にしてならず」という諺があるが、私のやっている作業のような小さなことにも当てはまるかな(?)。
 むろん、まだまだ途中の段階。手術後、いつ再開できるか分からないが、いっときの休筆であってまだまだ続行予定。乞うご期待(???)。「千里の道も一歩から」、そう、「千里の道も一歩から」とひとりつぶやきながら、私は顔を上げ、手術後のその先を見据えている。
           (2015年11月28日)
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万葉集読解・・・189(3098~3118番歌)

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     万葉集読解・・・189(3098~3118番歌)
3098  おのれゆゑ罵らえて居れば青馬の面高夫駄に乗りて来べしや
      (於能礼故 所詈而居者 '492;馬之 面高夫駄尓 乗而應来哉)
 「おのれ」は「お前」。「罵(の)らえて」は「叱られて」。「青馬」は原文「'492;馬」からして葦毛馬かと思う。次句の「面高夫駄に」は意味不明だが、顔の上がった駄馬と解されている。とするとこの歌の歌意が分からない。
 本歌には左注が付いているので先にそれを見てみよう。
 「右一首は、平群文屋朝臣益人(へぐりのふむやのあそみますひと)が伝える所によると、『むかし、多紀皇女(たきのひめみこ)が密かに高安王(たかやすのおほきみ)と関係を持たれた時に作られた歌』だという。その後、高安王は、伊与國守に左遷された」とある。多紀皇女は紀皇女(きのひめみこ)という説もあるが、生没年等が合わない。
 この左注を読んで本歌を理解しようとすると不思議な歌ということになる。左注に従えば歌の作者は多紀皇女。やってきた相手は高安王。その高安王に向かって「お前さんのおかげで叱られているところよ。なんで葦毛の駄馬に載ってやってくるのさ」という歌である。
皇女を叱りつけるほどの高位の人間は誰か。どうもすっきりしない。「面高夫駄に」の解がおかしいのだろうか。

3099  紫草を草と別く別く伏す鹿の野は異にして心は同じ
      (紫草乎 草跡別々 伏鹿之 野者殊異為而 心者同)
 紫草(むらさき)は根を紫色の染料に使う草で、当時あちこちで栽培されていたようだ。「草と別く別く」は「雑草と分け分けて」という意味である。「~鹿の」は「野は異にして」を導く序歌。「鹿はどこの野にいても他の草と区別して紫草に伏せるというけれど、私もあなたも遠く離れて床を異にしても心は同じだね」という歌である。

3100  思はぬを思ふと言はば真鳥住む雲梯の杜の神し知らさむ
      (不想乎 想常云者 真鳥住 卯名手乃<社>之 神<思>将御知)
 真鳥は真の鳥だが、鷲のことともいう。「雲梯(うなて)の杜(もり)」は奈良県橿原市(かしはらし)雲梯町の神社。「思ってもいないのに思っていると言えば、その偽りを鷲の住む雲梯の杜の神様がお見通していらっしゃる。私は嘘偽りは申しません」という歌である。

3101  紫は灰さすものぞ海石榴市の八十の街に逢へる子や誰れ
      (紫者 灰指物曽 海石榴市之 八十街尓 相兒哉誰)
 ここからしばらく問答歌が続く。
 紫草を染料にするとき、その汁に椿の灰をまぜる。したがって「紫は灰さすものぞ」は「海石榴市」を導く序歌。「海石榴市(つばきち)の」は椿市の開かれた所。「八十(やそ)の衢(ちまた)に」は四方八方から道が寄り集まって来る所。「椿市のあの広場で出逢った子はどこのどなただろう」という歌である。

3102  たらちねの母が呼ぶ名を申さめど道行く人を誰れと知りてか
      (足千根乃 母之召名乎 雖白 路行人乎 孰跡知而可)
 「たらちねの」は枕詞。「申さめど」は「申し上げたいのですが」という意味。「母さんが呼ぶ名を申し上げてもいいのですが、ゆきずりの誰とも分からぬ人なので」という歌である。
 右二首問答歌一組。

3103  逢はなくはしかもありなむ玉梓の使をだにも待ちやかねてむ
      (不相 然将有 玉梓之 使乎谷毛 待八金<手>六)
 「しかもありなむ」は「そういうこともありましょう。」。「玉梓(たまづさ)の使」は、梓(あずさ)の小枝に文(ふみ)を結びつけて使いに届けさせること。「逢えないということもありましょう。ただ、玉梓の使さへ寄越さないので待ちかねています」という歌である。

3104  逢はむとは千度思へどあり通ふ人目を多み恋つつぞ居る
      (将相者 千遍雖念 蟻通 人眼乎多 戀乍衣居)
 「あり通ふ」は「いつも往き来する道」のこと。「人目を多み」は「~なので」の「み」。「逢いたいと千度(ちたび」思っていますが、いつも往き来する道は人目が多いので恋いつついます」という歌である。
 右二首問答歌

3105  人目多み直に逢はずてけだしくも我が恋ひ死なば誰が名ならむも
      (人目太 直不相而 盖雲 吾戀死者 誰名将有裳)
 「人目多み」は前歌参照。「直(ただ)に」は「直接」、「けだしくも」は「もしも」という意味。「人目が多いからというので直接逢うこともしないけれど、もしもこの私が恋い焦がれて死ねば、どちらの浮き名がたつでしょうね、どちらもでしょうに」という歌である。

3106  相見まく欲しきがためは君よりも我れぞまさりていふかしみする
      (相見 欲為者 従君毛 吾曽益而 伊布可思美為也)
 「いふかしみする」は「いぶかしい」すなわち「不思議ですわ」という意味である。「お逢いしたいのはあなたよりも私の方がまさっているのに、そういうことをおっしゃるのは不思議ですわ」という歌である。
 右二首問答歌

3107  うつせみの人目を繁み逢はずして年の経ぬれば生けりともなし
      (空蝉之 人目乎繁 不相而 年之經者 生跡毛奈思)
 「うつせみの」は「現実の」という意味だがここでは「世間の」という意味。「生けりともなし」は「生きた心地もしません」。「世間の人目が激しいのでお逢いしないまま年が過ぎてしまい、生きた心地もしません」という歌である。

3108  うつせみの人目繁くはぬばたまの夜の夢にを継ぎて見えこそ
      (空蝉之 人目繁者 夜干玉之 夜夢乎 次而所見欲)
 「うつせみの」は前歌参照。「ぬばたまの」はおなじみの枕詞。「継ぎて見えこそ」は「毎夜出てきてほしい」という意味である。「世間の人目が激しいのならせめて毎夜の夢に出てきてほしい」という歌である。
 右二首問答歌

3109  ねもころに思ふ我妹を人言の繁きによりて淀むころかも
      (慇懃 憶吾妹乎 人言之 繁尓因而 不通比日可聞)
 「ねもころに」は「ねんごろに」で「心からねんごろに」という意味。「心からねんごろに思う君なのに人の口が激しくて逢いに行くのを躊躇しています」という歌である。

3110  人言の繁くしあらば君も我れも絶えむと言ひて逢ひしものかも
      (人言之 繁思有者 君毛吾毛 将絶常云而 相之物鴨)
 「絶えむと言ひて」は「これっきりにしようと言って」という意味。「逢ひしものかも」は「逢っていたのかしら」という意味である。「世間の口がうるさいようならあなたと私の仲はこれっきりにしようと言って逢っていたのかしら」という歌である。
 右二首問答歌

3111  すべもなき片恋をすとこの頃に我が死ぬべきは夢に見えきや
      (為便毛無 片戀乎為登 比日尓 吾可死者 夢所見哉)
 「この頃に」は「近いうちに」という意味。「どうしようもない片思いをしている私は近いうちに死んでしまうように思いますが、あなたの夢に見えたでしょうか」という歌である。

3112  夢に見て衣を取り着装ふ間に妹が使ぞ先立ちにける
      (夢見而 衣乎取服 装束間尓 妹之使曽 先尓来)
 読解不要の平明歌といってよかろう。「夢に見えたので着物を手にして装い、逢いに出かけようとする間に、君の使いが到着したよ」という歌である。
 右二首問答歌

3113  ありありて後も逢はむと言のみを堅く言ひつつ逢ふとはなしに
      (在有而 後毛将相登 言耳乎 堅要管 相者無尓)
 「ありありて」は3070番歌に「~ありさりて」とある語と同意。「このままのまま」という意味である。「このままのままでいて、後に逢おうと口では固く約束しながら、一向に逢ってくれませんね」という歌である。

3114  極りて我れも逢はむと思へども人の言こそ繁き君にあれ
      (極而 吾毛相登 思友 人之言社 繁君尓有)
 「極(きはま)りて」は前歌を受けて「何とかして」という意味。「私の方は何とかしてお逢いしたいと思いますが、浮き名が激しいあなたですから」という歌である。
 右二首問答歌

3115  息の緒に我が息づきし妹すらを人妻なりと聞けば悲しも
      (氣緒尓 言氣築之 妹尚乎 人妻有跡 聞者悲毛)
 「息の緒に」は「息も絶え絶えに」、「妹すらを」は「彼女なのに」という意味。「息も絶え絶えになるほど恋い焦がれている彼女なのに、その彼女が人妻だと聞けば悲しい」という歌である。

3116  我がゆゑにいたくなわびそ後つひに逢はじと言ひしこともあらなくに
      (我故尓 痛勿和備曽 後遂 不相登要之 言毛不有尓)
 「いたく」は「ひどく」という意味。「なわびそ」は「な~そ」の禁止形。「わびしがらないで」という意味である。「私のことでそんなにひどく落ち込まないで下さい。後々もついに(絶対に)逢わないと言ったわけじゃありませんのに」という歌である。
 右二首問答歌

3117  門立てて戸も閉したるをいづくゆか妹が入り来て夢に見えつる
      (門立而 戸毛閇而有乎 何處従鹿 妹之入来而 夢所見鶴)
 「門立てて」は「門を閉じて」。「いづくゆか」の「ゆ」は「~から」で「どこからか」ということ。「門を閉じて戸も閉めておいたのに、どこから彼女は入ってきて夢に現れたのだろう」という歌である。

3118  門立てて戸は閉したれど盗人の穿れる穴より入りて見えけむ
      (門立而 戸者雖闔 盗人之 穿穴従 入而所見牟)
 「門立てて」は「門を閉じて」。「穿れる穴」は「ほれるあな」と読む。「門を閉じて戸も閉めておいたけれど、盗人があけた穴から入って見えたのでしょうよ」という歌である。
 右二首問答歌
          (2015年11月29日記)
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見えない励まし

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 眼科に入院したため4日間ほど家を空けた。無事右眼の手術が終了し、と記したいのだが、大幅に予定が狂った。というのも8月に行った左眼の手術に不具合があり、その追加手術が行われたからだ。手術は12月1日、2日にわたって二度行われ、即日退院し、右眼は7日に再入院ということになった。
 この旨を相棒に話すと、同じ眼を三度もいじるのは異常だねと心配してくれた。異常の感は否めないが、すぐ退院してこうして一文を弄しているのだから、大事に至らないための手術としてドクターを信頼することにした。つまり、右眼手術は一週間順延となったのだが、退院してきてうれしかったのは、4日間不在だったにもかかわらず、毎日のぞいて下さっているのか、読者の方が減っている様子のないことだった。
 ありがたいことである。私の一文を期待してお待ちいただいているようで、その見えない励ましにシャンとした気分になった。
 これまで私なりに、一文たりと手を抜くことなく、一生懸命綴ってきたので、多少はその甲斐があったのかなと思うことが出来る。
 読む、読まないは自由の世界。それだけに私の読者は純粋な読者といってよかろう。右眼の手術が控えている。休筆期間はしばらく続く。その間も期待していて下さる方がいる。そう思うことが出来るだけで安心して手術を受けることが出来る。見えない読者の方々、純粋に待っていて下さる方々。本当に、本当にありがとうございます。
           (2015年12月3日)
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効率化

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 本日、眼科病院から退院してきた。両手に荷物を持ち、眼帯をした状態なのでタクシーの世話になった。運転手の話によると私の入院していた医院は国内はもとより、台湾、香港、あるいはハワイ等海外からもやってくる有名な眼科の由である。こう記せば私の世話になった所が杉田病院であると知る人ぞ知っているに相違ない。眼科だけの病院でありながら、名古屋の都心に9階建てものビルを構え、7回のナースセンターには常時十数人もの人々が働いている。
 いわば眼科のマンモス病院というわけだが、そのことを記したいと思ってペンをとったのではない。マンモス化した眼科は徹底した合理化、効率化が行われている。
 一例を挙げると朝の診察の際は全館に放送が流れ、関係の入院患者の名が告げられ7階に集まるよう要請される。朝食中だろうと、新聞に眼を通している時だろうとお構い無しである。一同が集まった所で、医師がやってきて次々と診察をこなしていく。また、患者ごとに検査が要請され、次の検査は何番に行って下さいと指示される。
 ことほどさように大変システマティックに出来上がっている。点眼等に部屋を回るのも部屋がオープンになっているので、看護士等が自由自在に出入り出来るようになっている。
 マンモス病院ではこうしたシステマティックな対応は病院経営上不可欠だろうが、本来患者第一であるべき病院の筈なのに、患者はモノ扱いされているようで、どこか釈然としない。さりとて妙案があるかと言われれば、妙案らしきものはなかなか浮かんでこない。これは病院の中の話だからいい。が、マイナンバーのように、国民に一律に番号を割り当て、効率化に走るのは、いかがなものだろう。効率化のために、個々人に不都合を課すことがあるとすれば、国民のためという制度が本末転倒になりはしないか。そんな結果にだけはならないように願いたいものである。
           (2015年12月11日)
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他山の石

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 眼の話題だが、左眼を8月11日、四ヶ月おいて今度は右眼を今月8日、手術を受けた。その手術時間、左眼が3時間、右眼が2時間半を要している。通常の白内障だと10~15分で済むという話だから異常な長さだ。
 さて、私の場合、自覚症状もなく、普通に見えていた。なのになぜ手術かと言えば、突発性緑内障という診断で、緑内障の予防ということだった。
 手術は、まばたき出来ないように器械で眼を固定し、顕微鏡を使って行われる精細な手術だった。眼にレンズを装着する手術なのだが、そのままだと、レンズが眼の中にずり落ちる恐れがある。それを防ぐため、ずり落ちないように、レンズの周囲を丁重に縫いつけていかなければならない。これが手術に長時間を要した主原因である。
 私が注目していただきたいのは、突発性緑内障という診断である。その診断名からお分かりのように、突然見舞われた急性症状のため、自覚症状はなく、眼は普通に使えていた。なのに杉田眼科に駆け込んで診断を受けたのは、飛蚊症だった私は近在の町医者に月一回通っていた。ある日、どこかただならぬ雰囲気を感じて杉田眼科に診断を乞うたのである。私に言わせれば、失明は命の次に大切な器官だ。恐ろしいことである。何の自覚症状もなく、町医者に通っていなかったら、あるいはその異変に気づかないままだったかも知れない。通常の白内障だとたかをくくって軽く構えていると、手遅れにならないまでも、重症化する恐れがある。
 ことほど左様に自覚症状のないことほど怖いものはない。自覚症状が出てきてから、眼医者に行けばいいやと思っていると、私のようなことにならないとは限らない。
 以上、つつましやかな私の例ではあるが、この例が他山の石となれば幸いであると思って一文を弄した次第である。
           (2015年12月13日)
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ワシントンD.C

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 アメリカ合衆国の首都はいわずと知れたワシントンである。むろん私も中学、高校時代にそう教わった。加えて、自由の女神で知られるニューヨークがあまりにも有名なので、ワシントンはそのニューヨーク内にあると思いこんでいる人がいる。私もしばらくそう思いこんでいた。そうでないことを知ったのは高校を卒業してからである。
 アメリカは巨大な国家で、面積も人口も世界第三位の国である。面積は983万k屬覇棔複械庫k屐砲里覆鵑硲横暁椶曚匹發△觜颪任△襦つまり、50ある各州のたった1個で日本に匹敵する州がいくつも存在している。
 さて、ワシントンだが、ニューヨーク州から一つペンシルベニア州を隔てた所に位置している。巨大な国の一つの州をまたいだ先に位置するのだから、かなり隔たっていること容易に理解できよう。
 加えて、私の言いたいことはワシントンといえば、ワシントン州が存在している点である。首都のワシントンとは遙か遙か先、西海岸の最北部にワシントン州はあるのである。
 ひとくちにアメリカ合衆国の首都はワシントンと言われても混乱しかねないのだ。したがって、せめて、アメリカ合衆国の首都はワシントンD.Cと記憶しておかなければならない。全米で唯一、連邦政府直轄地区であって州ではない。D.CはDistrict of Colombiaの略で、「コロンビア特別区」。東海岸のなかほどに位置するヴァージニア州の近くに存在する。
 こうした基礎的なことを知らないまま、私は安易にアメリカ合衆国の首都はワシントンと呼び習わしてきた。知らぬが仏というが、全く褒められた話ではない。みなさんは知っていて首都はワシントンと呼び習わしてきたとは思うが、少なくともこの私は今後、アメリカ合衆国の首都はワシントンD.Cと呼ぶこととしたい。
           (2015年12月15日)
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一年の総括

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 今年一年を総括するのは少し早いが、大方はここまでを総括すればそれに尽きていると言えよう。私にとって最大の事件は、歯痛と口内炎と両眼の手術と首から上の不具合に苛まれ続けたことである。これによって、私の文筆活動も滞りがちだった。
 歯痛は私の思考力を奪いかねないほど厄介だった。普段偉そうなことを言っていても、歯痛には勝てず、治療に数ヶ月を要した。やっとそのトンネルを抜けたと思ったら、今度は異常な口内炎に見舞われた。完治までに一ヶ月ほど要する異常な口内炎で、日赤のお世話にまでなった。そのトンネルを抜けたと思ったら、今度は眼の手術がやってきた。
 こんなわけで、今年は不具合に次ぐ不具合が続き、まさにうんざりの一年だった。そんな中で出来るだけのことはやってきたつもりである。「日々つれづれ」も「万葉集読解」も不十分ながらほぼ切れ目なく続けてきた。
 なぜやや無理気味に頑張ったかというと、様々な不具合に見舞われたためというのも、一面、休止の口実めいていると思ったからである。むろん、無理してまで続けるのは、それだけ危険も伴う。なので決して人様に進められることではない。
 もっとも、眼を除いた不具合、歯痛にしても口内炎にしても、人様の目には病気の内に入らない、という人もいることだろう。だからこそ休止の口実めいて見えるのだ。ただ眼はいけない。下手をすれば命に匹敵するほどの事件なので、無理は禁物。
 今年はまだ半月ほど残っている。最後の最後まで活動を続けるつもりでいる。今から来年のことをいうと鬼が笑うだろうが、来年こそは体のどこにも不具合のない、万全の態勢で活動を続けられる年にしたい。健康、健康あってのものだねだ。
   吉きとしは不具合なきこそ真の意味鬼も笑えばこれぞ吉きとし
   ナンテンの咲く神明社に足運ぶ来年こそは吉きとしたれと
           (2015年12月17日)
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一段落

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 眼の話題はおそらくこれで最後になる。というのも、昨日右眼手術後最初の診察に杉田眼科を訪れたところ、次の診察は一ヶ月後の来年一月の今頃と告げられたからである。視力や眼圧を始めとして種々の検査を受け、その結果等からドクターの診察により、経過順調との結果を得たのである。
 点眼は続行するものの、次の診察が一ヶ月後でよしとなれば、ともかく一応一段落といってよかろう。やれやれである。
 左眼の手術を受けねばならぬと分かった8月上旬、大丈夫だと思いつつも、あれほど失明の恐怖におののいていた臆病な私。左眼の手術は3時間に及び、今月(12月)に受けた右眼の手術はやはり2時間半に及ぶことになった。実に4ヶ月に及ぶ長い長い期間であった。完全解放までは少し間があるのだろうが、ともかく一段落にこぎつけた。
 これで、視力は左眼も右眼も手術前の状態に戻り、活動が続けられることとなった。誰しも同じ思いなんだろうが、眼は命に次ぐ大切な器官だという思いが私には強くある。終わった。峠は越えた。これが喜ばずにいられようか。これで思う存分活動出来る日が近くなった。
    失明のおそれなくなり空仰ぎ思わず合掌感謝する我れ
    今少し生かしてやれと告げられしごとき声をば厳かに聞く
 右眼の手術が終わるまではと、この時が来るのを心待ちにしていた私、単純なものである。一段落したと思っただけでひとりでにうれしさがこみあげてくる。まるで少年の日の私のような単純さである。
    街路樹の銀杏並木が黄に染まりなのに晴れやかひとりでに笑み
 健康って本当に本当にありがたいもんですね。
           (2015年12月19日)
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無所属のすすめ

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政治経済等時事問題おしゃべり
 久々に本稿を書く元気が出てきた。そもそも論から始めよう。
 日本国憲法第9条は次のように規定している。
 1. 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
 2. 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 第1項で「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と定め、2項で「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。」としている。
 武力の行使はもとより威嚇も駄目と明言しているのだ。「陸海空軍その他の戦力」とちゃんと「その他の戦力」も駄目と明言している。これによれば明らかに自衛隊は憲法違反である。
専守防衛の自衛隊まで駄目と規定しているのだ。が、さすがにそれまで駄目となると、独立国家を保てない。なので自衛隊の設置までは「やむを得ずよし」として我が国はこれまで歩んできた。
 が、素直に読めば、憲法にてらせば自衛隊の設置そのものが違憲になる。こんなことは上記9条を読んだ高校生でも否中学生でも分かる。それほどまぎれのない明瞭な規定なのである。
 さて、我が国は法治国家をもって任じている。一番法を守らねばならないのは、それを定める国会議員の面々の筈である。自ら制定しておいて自ら破るのであれば、無法者、ならず者と選ぶところがない。
 ところで、今回の安保法制の強引な成立は耳目を疑いたくなる暴挙だ。明らかに違憲な安保法制、かつ、国民の大部分が反対した安保法制。安倍首相が悪いといって責める向きもあるが、もとより、 そうとは断定出来ない。あれだけ多くいる自民党員ないし公明党員の与党議員が誰一人として反対しないで支持に回った怪である。高校生、中学生にも明らかな憲法違反、国民の大部分が反対した法律をだれ一人疑問に思わなかったのだろうか。ならず者呼ばわりしても許されよう。
 当然、主権者たる国民の大部分が反対しても強引に成立させてしまえる現体制。民主主義の根幹にかかわる暴挙といってよかろう。
 こうなれば、私たち国民がなし得ることは、強引に成立させた与党議員を一人として国会に送り込んではいけない選挙だ。
 その為には与党の対立軸たる「国民連合」その他の臨時政党を作るのが急務と私は思った。が、この考えはあまりにも拙速だった。何のことはない。知事選等と同様無所属で立候補すればよい。ごく当たり前のことだった。違法安保の廃案を掲げて闘うのである。共産党だの維新の党だのにアレルギーがある人でも無所属候補なら何の問題もない。
 最後に、別に 私は安保法制の中身を問題にしているわけではない、それとこれとは全く別の話だ。順序が逆だ。憲法を改正してから発議してもらいたい。
 半年経とうと一年経とうと私たち国民は決して強制成立の暴挙を忘れない。それを忘れるようでは主権者の顔が立つまい。
              (2015年12月20日)
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万葉集読解・・・190(3119~3137番歌)

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そ の 191 へ 
         
     万葉集読解・・・190(3119~3137番歌)
3119  明日よりは恋ひつつ行かむ今夜だに早く宵より紐解け我妹
      (従明日者 戀乍将<去> 今夕弾 速初夜従 綏解我妹)
 「恋ひつつ行かむ」は旅に出なければならないことを示している。「今夜だに」は「今夜くらいは」という意味である。「明日からはお前を恋いつつ旅行く身となる私だ。今夜くらいは宵の内から早く寝ようぞ。共寝支度してくれよ」という歌である。
 あっけらかんとした直情を相手にぶつけた万葉歌らしい一首である。

3120  今さらに寝めや我が背子新夜の一夜もおちず夢に見えこそ
      (今更 将寐哉我背子 荒田<夜>之 全夜毛不落 夢所見欲)
 「一夜もおちず」は「一夜も欠かさず」すなわち「毎晩」という意味である。「今さらあらためて(早く)寝るなどとおっしゃるのですか、あなた。そんなことより明日から始まる新しい夜、毎晩毎晩、夢に現れて下さいな」という歌である。
 右二首問答歌。

3121  我が背子が使を待つと笠も着ず出でつつぞ見し雨の降らくに
      (吾勢子之 使乎待跡 笠不著 出乍曽見之 雨零尓)
 「我が背子が」は主格ではなく「我が背子の」という古文上の意味。「笠も着ず」は「笠も着けないで」ないし「笠もかぶらず」という意味。「あなたからの使いが待ち遠しくて、笠もかぶらず雨が降りしきる中、外に出て使いをお待ちしています」という歌である。

3122  心なき雨にもあるか人目守り乏しき妹に今日だに逢はむを
      (無心 雨尓毛有鹿 人目守 乏妹尓 今日谷相<乎>)
 「心なき雨にもあるか」は「なんと無情な雨であることよ」という詠嘆表現。「人目守(も)り」は「人目から守る」つまり「人目を避けて」、「乏しき妹(いも)に」は「なかなか逢えない彼女に」という意味。「なんと無情な雨であることよ。人目を避けんが為なかなか逢えぬ彼女に今日こそ逢おうと思ったのに」という歌である。
 右二首問答歌

3123  ただひとり寝れど寝かねて白栲の袖を笠に着濡れつつぞ来し
      (直獨 宿杼宿不得而 白細 袖乎笠尓著 沾乍曽来)
 「白栲(しろたへ)の」は「真っ白な」。「袖を笠に着」は「袖をかざして笠代わりにし」である。「たった一人で寝てみたけれど、寝るに寝られず、真っ白な袖をかざして笠代わりにして雨の中を濡れながらやってきたよ」という歌である。

3124  雨も降り夜も更けにけり今さらに君去なめやも紐解き設けな
      (雨毛零 夜毛更深利 今更 君将行哉 紐解設名)
 「君去(い)なめやも」は「あなたはお帰りになるってことはないでしょうね」ということ。「紐解き設(ま)けな」は「紐を解いて準備しましょう」すなわち「共寝の用意をいたしましょう」という意味である。「雨も降っているし、夜も更けました。(せっかくいらっしゃったのですもの)このままお帰りになるってことはないでしょうね。さあ、共寝の準備をいたしましょう」という歌である。ずばり、女性から寝床の用意をしましょうという歌で、素朴であっけらかんとした万葉歌らしい特徴が出た歌である。
 右二首問答歌

3125  ひさかたの雨の降る日を我が門に蓑笠着ずて来る人や誰れ
      (久堅乃 雨零日乎 我門尓 蓑笠不蒙而 来有人哉誰)
 「ひさかたの」は枕詞。「蓑笠(みのかさ)着ずて」は「蓑も笠もかぶらず」という意味。「雨が降りしきる日には「蓑も笠もかぶらず、我が家の門口にやってきた人はどなたでしょう」という歌である。

3126  巻向の穴師の山に雲居つつ雨は降れども濡れつつぞ来し
      (纒向之 病足乃山尓 雲居乍 雨者雖零 所沾乍焉来)
 巻向(まきむく)の穴師(あなし)の山は奈良県桜井市の穴師の山。桜井線巻向駅の東方。「雲居つつ」は「雲がはりついたまま」である。「巻向の穴師の山に雲がはりついたまま雨は降りしきっていて、ずぶぬれになりつつやってきました」という歌である。
 右二首問答歌。 なお、問答歌はここまで。

3127  度会の大川の辺の若久木我が久ならば妹恋ひむかも
      (度會 大川邊 若歴木 吾久在者 妹戀鴨)
 羈旅發思(旅の途上に思いを発する歌)。3127~3180番歌の54首。
 「度会(わたらひ)」は三重県度会郡。伊勢神宮の近辺か?。「若久木(わかひさぎ)」はどこを指す地名か不詳。「度会の~若久木」は次句の久を導く序歌。「度会郡を流れる大川の辺の若久木、わが旅が久しくなれば私の彼女は私を恋しく思うだろうな」という歌である。

3128  我妹子を夢に見え来と大和道の渡り瀬ごとに手向けぞ我がする
      (吾妹子 夢見来 倭路 度瀬別 手向吾為)
 「夢に見え来と」は「夢に出てきてほしいと願って」という意味。「手向け」は通常神社に花や金品を手向けること。「いとしい私のあの子が夢に出てきてほしいと願って、大和へ向かう道の途上、川瀬を渡るごとに神社に寄って金品を手向けました」という歌である。

3129  桜花咲きかも散ると見るまでに誰れかもここに見えて散り行く
      (櫻花 開哉散 及見 誰此 所見散行)
 「咲きかも散ると」は「咲いたかと思ったら散っていく」という意味である。「見るまでに」は「見えるほど」という意味。「桜の花は咲いたかと思ったら散っていくと見えるほどだが、どの人々もここに現れたかと思うと散っていく」という歌である。
 この歌は百人一首にも採録されている後撰集の蝉丸の歌「これやこの行くも帰るも 別れては知るも知らぬも逢坂の関」を想起させる離合集散の歌である。が、そうとも言い切れない解釈が可能である。つまり、往来を行き交う人々を桜の花に見立てた歌と見ると、一般論になってしまって、どこか迫力に欠ける。「誰れかも」は「人々と」という一般用語ではない強烈な響きをもっている。蝉丸歌の場合はまさに「往来を行き交う人々」を指している。が、本歌の「誰れかも」は「作者自身が出合った人」を指しているのではなかろうか。「桜の花は咲いたかと思ったら散っていくと見えるほどだが、私が出逢ったどの人も出逢っては散っていった(あるいは別れていった)」という歌という気がする。私はこう解しておきたい。

3130  豊国の企救の浜松ねもころに何しか妹に相言ひそめけむ
      (豊洲 聞濱松 心<哀> 何妹 相云始)
 「豊国の企救(きく)の浜松」は福岡県、大分県にまたがる企救郡のあったところ。現北九州市小倉地区。企救丘駅がある。そこの浜の松。松の根が張るで、「ねもころ」を導く序歌。「豊国の企救の浜松の根のように、ねんごろになぜ彼女と親しく言葉を交わすようになったのだろうという歌である。」
 左注に「以上の四首は柿本朝臣人麻呂歌集に出ている」とある。

3131  月変へて君をば見むと思へかも日も変へずして恋の繁けむ
      (月易而 君乎婆見登 念鴨 日毛不易為而 戀之重)
 「月変へて」は「月が変ってから」すなわち旅に出て「来月にならないと」、「日も変へずして」は「別れたばかりの今日が過ぎないのに」という意味。旅の途上の歌に区分されているが、出発したばかりの日の歌か?。「来月にならないとあの方に逢えないと思うせいでしょうか。まだ明日にもならない今日の内からしきりに恋しくてなりません」という歌である。

3132  な行きそと帰りも来やとかへり見に行けど帰らず道の長手を
      (莫去跡 變毛来哉常 顧尓 雖徃不歸 道之長手矣)
  「な行きそ」は「な~そ」の禁止形。「かへり見に行けど」は「振り返りながら道を行く」である。「行かないでと言って戻って来るかと思って、振り返り振り返り行くのだが、追いかけてはこない。長い道のりなのに」という歌である。作者が男か女かはっきりしないという見解もあるが、「行かないでと言って」追いすがる状況から男の歌としてよかろう。

3133  旅にして妹を思ひ出でいちしろく人の知るべく嘆きせむかも
      (去家而 妹乎念出 灼然 人之應知 <歎>将為鴨)
 「いちしろく」は「はっきりと」という意味。他は読解を要さない平明歌。「旅の道すがら、彼女のことを思い出し、人の目にはっきり分かるほど、嘆くことだろうな」という歌である。

3134  里離り遠くあらなくに草枕旅とし思へばなほ恋ひにけり
      (里離 遠有莫國 草枕 旅登之思者 尚戀来)
 「草枕」はおなじみの枕詞。本歌も前歌同様平明歌。「家のある里からまだ遠くに来たわけではないのに、これから旅が続くと思うと、いっそう里が恋しい」という歌である。

3135  近くあれば名のみも聞きて慰めつ今夜ゆ恋のいやまさりなむ
      (近有者 名耳毛聞而 名種目津 今夜従戀乃 益々南)
 「近くあれば」は「近くにいれば」、「名のみも聞きて」は「彼女の名前だけでも聞けば」という意味である。「今夜ゆ」のゆは「~から」のゆ。「近くにいれば(逢わなくても)彼女の名前だけでも聞けば慰められた。が、今宵からは彼女恋しさがいっそうまさるだろう」という歌である。

3136  旅にありて恋ふれば苦しいつしかも都に行きて君が目を見む
      (客在而 戀者辛苦 何時毛 京行而 君之目乎将見)
 「君が目を見む」は「目を見る」すなわち「あなたに逢いたい」という意味である。「旅の身空にあって恋しく思うのは苦しい。いつの日か分かりませんが、都に戻ったらあなたに逢いたい」という歌である。

3137  遠くあれば姿は見えず常のごと妹が笑まひは面影にして
      (遠有者 光儀者不所見 如常 妹之咲者 面影為而)
 平明歌。「遠くにいるので姿は見えないけれど、いつものような妻の笑顔は面影になってあらわれてくる」という歌である。
           (2015年12月23日記)
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