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眼病平癒

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 本日寺巡りを再開した。足元のなかむらくに在中する陵雲寺(りょううんじ)と願成寺(がんじょうじ)を訪ねた。願成寺では住職が不在と見受けられたが、第24世全寮が書き記した「願成寺縁起」をいただくことが出来た。帰宅して読んでみると大変な寺であることが分かった。おそらく世間には知られていないだろう事が記されていた。
 第一の驚きは本寺は天平4年行基によって開基されたという。天平4年といえば、何と奈良時代の初期に遡る。第二の驚きは第45代聖武天皇及びその第二皇女孝謙天皇の勅願所として権勢を誇った由である。孝謙天皇が眼病を患い、本寺にお祈りされて平癒した由。驚きの第三はそれに安堵された天皇が勅願寺として30町(9万坪)もの敷地を賜ったということ。第四の驚きはそれほどの名刹が八百年もの長い間荒れ放題になり、そして第五の驚きは、が、もういいだろう。本欄は寺の縁起を詳述する場ではない。
 薬師堂に祭られている赤栴檀(しゃくせんだん)で彫られた薬師如来立像(60センチ)は行基作ということだが、まさに国宝級の宝物であろう。
 私は眼病にさいなまれ、偶然に訪れた寺が眼病平癒のゆかりの寺だったとは。不思議なことがありますねえ。それも、すぐ足元の中村区(高須賀町24番地)に開かれていたとは。第24世全寮が書き記した「願成寺縁起」をいただくことが出来て初めて知ることが出来た孝謙天皇ゆかりの寺。願成寺の別称は願成就寺というらしいが、眼病平癒の願いがかなった所から付けられた名であろう。
 実際に足を運んでみる。思いも寄らなかった事実を知ることができる。神社にしろ、名刹にしろ、ひょっと思いついて訪ねてみたら、何か天に導かれたみたいに偶然に出合う。何はともあれ、偶然に眼病に苛まれていた身だったので、なんだか狐に鼻をつままれたような気分になった。
           (2015年12月25日)
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猫とグルメ

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猫ブームだそうである。ペットの双璧は言わずと知れた犬と猫。一昔前までは圧倒的に犬の飼育が多く、猫は大きく水を空けられていた。飼育数の正確な所は分からない。犬は登録されるので分かりやすい。が、猫は未登録が多い上、飼育とは別に外猫に餌を与えて事実上、飼育状態にある猫もいるので分かり難い。
 こんなわけで犬猫の飼育数は把握しがたく、推定者によって数が異なる。ここでは一般社団法人ペットフード協会の調査にかかる犬猫の飼育数を参考までに紹介しよう。平成25年度の数によると、犬が1087万頭、猫が974万頭で両者はすでに拮抗している。実質的には島猫等上記の事情を考慮すればすでに犬より猫の方が上回っているかも知れない。なるほど、計数的にも猫ブームを裏付けている。「かわいい」、「いやされる」、さらには「飼いやすい」というのが理由のようだ。それにしても犬猫合わせて2千万頭。人間の赤ちゃんより圧倒的に多い。
 さて、唐突だが、この猫ブームの到来とグルメブームはどこか共通しているような気がしてならない。テレビのどこのチャンネルを回しても目に余る番組にグルメが組み込まれている。かっての歌謡番組や時代劇を彷彿させる。表面的には旅番組でも、半分余は料理の紹介だ。高級料理や珍しい料理ならまだしも、町の小さなラーメン屋だのうどん屋だののラーメンやうどん、さらには定食までも紹介されるようになってきた。そして異口同音にうまい、うまいの連発だ。企画もなにもそっちのけ、口をあんぐりあけて食べるシーンばかり。ここまでくると、グルメというより、ただ、食べる、食べるシーンの連続だ。さぞかし番組づくりは楽だろうな、と思えてしまう。
 それと猫ブームがどうつながるのか分からないものの、両者は「お手軽」という一点でつながっているような気がしてならない。日本文化の変質?。
           (2015年12月28日)
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デコポン

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 車で近在を走らせていたら、見慣れない柑橘類に出会った。思わず車をとめ、カメラ片手に車から飛び出した。柑橘類を始め、桃にしろ、リンゴにしろ、ともかく果樹の大好き人間である私。味のことは分からぬが、果物がなっている姿が美しい。
 さて、年が押し詰まってから実をつけるとは珍しいと思って近づいていったらデコボンだった。むろん、私は見たことがなく、デコボンかどうかははっきりしない。が、デコボンに相違ないと思って一文を綴る気になった。
 昔友達から聞いた記憶によると、デコボンは熊本県が原産で、たしか不知火と書くらしい。今頃実をつけ始めるのだから、珍しく、きっと貴重な果物なのだろう。一本だけなので試験的に植えられたものだろうか。こんな所でこんな時期に。私は驚き、しばし見とれた。
   デコポンを見つけてうれしいち早く春をみつけし心地になれり
   冬将軍来たらんとするに雄々しくもデコポンその実付け初めてをり
 私が果樹が大好きなのは、その枝という枝に、ずっしりと実をつける充実感である。その実にはまがいものはひとつとてなく、正真正銘の果樹ばかりなのだ。そのはちきれんばかりの果実は人生の到達点を象徴している。桜の花は美しさにおいて絶頂期を形成しているが、サクランボこそ実質の充実感を体現している。
 眼病を始めとして、様々な病に苦しめられた一年だったが、来たる新しき年こそ、デコポンのように、少しでもましな実をつけられたらと願っている。どの人にとってもそういう充実した一年になってほしいと願いつつ稿を閉じたい。
   新年を迎えんとして身震いす
           (2015年12月29日)
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万葉集読解・・・191(3138~3157番歌)

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     万葉集読解・・・191(3138~3157番歌)
3138  年も経ず帰り来なむと朝影に待つらむ妹し面影に見ゆ
      (年毛不歴 反来甞跡 朝影尓 将待妹之 面影所見)
 「年も経ず」は「年が変わらないうちに」である。「朝影に」は「朝の影法師のように」、つまり朝日を受けて地上に細長く伸びた人影、「やせ細って見える」という意味である。「妹(いも)し」のしは強調の「し」。「年が変わらないうちに帰ってきてくれないかと、朝の影法師のように(首を長くして)待っているに相違ない妻の姿が面影になって目に浮かぶ」という歌である。

3139  玉桙の道に出で立ち別れ来し日より思ふに忘る時なし
      (玉桙之 道尓出立 別来之 日従于念 忘時無)
 「玉桙(たまほこ)の」はおなじみの枕詞。「道に出で立ち」は「旅立つ」という意味と「道に出て見送った」と二様にとれる。が、次句の「別れ来し」(別れて来た)によって「旅立つ」という意味であることが分かる。「道に出て旅だちの別れをしてやってきた日よりこのかた思うに片時も彼女のことを忘れたことがない」という歌である。

3140  はしきやししかある恋にもありしかも君に後れて恋しき思へば
      (波之寸八師 志賀在戀尓毛 有之鴨 君所遺而 戀敷念者)
 「はしきやし」は「ああ悔しい」とか「ああいとしい」というように、感嘆符として使われる。たとえば2429番歌に「はしきやし逢はぬ子ゆゑにいたづらに宇治川の瀬に裳裾濡らしつ」とある。「しかある恋にもありしかも」は「こうなる筈の恋だったのね」という意味。「あーあ、こうなる筈の恋だったのね。後になってあの方が恋しく思われるのは」という歌である。

3141  草枕旅の悲しくあるなへに妹を相見て後恋ひむかも
      (草枕 客之悲 有苗尓 妹乎相見而 後将戀可聞)
 「草枕」はおなじみの枕詞。「なへに」は「~とともに」という意味。「妹を相見て後」は「あの子に逢って後に」ということ。「旅にある身空が悲しいうえに、せっかくあの子に出合ったというのに(別れねばならず)、後になって恋い焦がれるだろうな」という歌である。

3142  国遠み直には逢はず夢にだに我れに見えこそ逢はむ日までに
      (國遠 直不相 夢谷 吾尓所見社 相日左右二)
 「国遠み」のみは「~ので」の「み」。「直(ただ)には」は「直接には」。「国(故郷)が遠いので直接逢うことはできないけれど、せめて夢に現れてほしい。直接逢える日が来るまでの間は」という歌である。

3143  かく恋ひむものと知りせば我妹子に言問はましを今し悔しも
      (如是将戀 物跡知者 吾妹兒尓 言問麻思乎 今之悔毛)
 「言(こと)問はましを」は「言葉を交わせばよかったのに」という意味である。他は読解を要さない平明歌。「こんなにも恋しくなると分かっていたなら、あの子ともっと言葉を交わせばよかったのに、今頃になって悔やまれる」という歌である。

3144  旅の夜の久しくなればさ丹つらふ紐解き放けず恋ふるこのころ
      (客夜之 久成者 左丹頬合 紐開不離 戀流比日)
 「さ丹つらふ」は「赤みを帯びた」という意味だが、9例全部について検討すると、より積極的に「輝かしい」と解した方がより適切かも知れない。たとえば「さ丹つらふ 我が大君は」(420番長歌)、「さ丹つらふ君によりてぞ」(3813番歌)等。「紐解き放(さ)けず」は「着物の紐を解くこと」だが、「忘れて」の含意がある。「旅の夜が随分続き、妻の着物の紐の解き方も(忘れて)彼女を恋い焦がれるばかり」という歌である。

3145  我妹子し我を偲ふらし草枕旅のまろ寝に下紐解けぬ
      (吾妹兒之 阿<乎>偲良志 草枕 旅之丸寐尓 下紐解)
 「我妹子(わぎもこ)し」は強調の「し」。「まろ寝」は「ごろ寝」。「草枕」は旅の枕詞。「いとしいあの子も私のことを偲んでいるらしい。旅にあって草を枕にごろ寝したら下着の紐が解けてしまった」という歌である。

3146  草枕旅の衣の紐解けて思ほゆるかもこの年ころは
      (草枕 旅之衣 紐解 所念鴨 此年比者)
 「草枕」は旅の枕詞。「思ほゆるかも」は「妻のことが思い出されてならない」という意味である。「野宿に明け暮れる旅が長くなり、着物の紐がほどける。ああ、妻のことが思い出されてならない。きょうこのごろ」という歌である。

3147  草枕旅の紐解く家の妹し我を待ちかねて嘆かふらしも
      (草枕 客之紐解 家之妹志 吾乎待不得而 歎良霜)
 「草枕」は旅の枕詞。歌は「草枕旅の紐解く」でいったん切れる。「家の妹し」は強調の「し」。「旅にあって(暑いので)着物の紐をほどく。家にいる妻も私を待ちかねて嘆いていることだろうな」という歌である。

3148  玉釧まき寝し妹を月も経ず置きてや越えむこの山の崎
      (玉釼 巻寝志妹乎 月毛不經 置而八将越 此山岫)
 「玉釧」について私は2865番歌の際に次のように記した。
 「玉釧(たまくしろ)は腕に巻く腕輪のことで、枕詞とも取れる。が、「まき」にかかる例は本歌のほかに3148番歌一例しかなく、たとえととっても歌意はとおる。枕詞(?)としてよいだろう。」
 その3148番歌が本歌というわけである。「月も経ず」は「ひと月も経たないのに」である。「玉釧を腕に巻くように、新妻を抱いて寝て、ひと月も経たないのにその新妻を置いてこの山の崎を越えて行かねばならぬのか」という歌である。

3149  梓弓末は知らねど愛しみ君にたぐひて山道越え来ぬ
      (梓弓 末者不知杼 愛美 君尓副而 山道越来奴)
  梓弓(あづさゆみ)は末を導く枕詞。「たぐひて」は「寄り添って」という意味である。「どこまでついていくことになるのか末は分かりませんが、いとしいあなたに寄り添って、山道を越えてここまでやってきてしまいました」という歌である。

3150  霞立つ春の長日を奥処なく知らぬ山道を恋ひつつか来む
      (霞立 春長日乎 奥香無 不知山道乎 戀乍可将来)
 「奥処(おくか)なく」は「果てのわからない」。「恋ひつつか来む」は本歌を男性歌とみて、「あの子が恋しくて歩き続けるだろう」という意味。「来む」は「来るだろう」と「行くだろう」と両様に使われる。「霞立つ春の長い一日を、果てが分からず勝手も分からぬ山道をあの子が恋しくて歩き続けるだろう」という歌である。

3151  外のみに君を相見て木綿畳手向けの山を明日か越え去なむ
      (外耳 君乎相見而 木綿牒 手向乃山乎 明日香越将去)
 「外(よそ)のみに」は「他人事のように」という意味である。「木綿畳(ゆふたたみ)」は木綿の布を重ね合わせ、手に持って神に供えるもの。ここでは「手向けの山」を導く導句。「越え去(い)なむ」は「去っていく」を意味している。「ひとごとのようにあなたを見ていましたが、ゆふだたみ手向けの山を明日にでも越えて行ってしまわれるのね」という歌である。「ひとごとのように」と詠いだして実は恋心を抱いていたことを間接的に述べた秀歌のひとつだろう。

3152  玉かつま安倍島山の夕露に旅寝えせめや長きこの夜を
      (玉勝間 安倍嶋山之 暮露尓 旅宿得為也 長此夜乎)
 「玉かつま」は本歌のほかに2例しかなく、同じ言葉にかかる歌はない。確かに枕詞的に使用されている。玉は美称というが、枕詞に美称(?)。安倍島山(あべしまやま)は未詳。「旅寝えせめや」は「旅寝できようか」である。「夕露が降りるこの安倍島山にひとりで旅寝できようか、長いこの夜を」という歌である。

3153  み雪降る越の大山行き過ぎていづれの日にか我が里を見む
      (三雪零 越乃大山 行過而 何日可 我里乎将見)
 平明歌だが、越の大山はどこか不詳。「雪の降る越の大山を行き過ぎてゆく。いったいいつの日にかわが故郷を見られるのだろう」という歌である。

3154  いで我が駒早く行きこそ真土山待つらむ妹を行きて早見む
      (乞吾駒 早去欲 亦打山 将待妹乎 去而速見牟)
 「いで我が駒」は「さあ、我が愛馬よ」である。「早く行きこそ」は「急いでおくれ」という意味である。「真土山(まつちやま)」は不詳。「待つらむ」を導く導句。「さあ、我が愛馬よ、急いでおくれ。私を待っている彼女に早く逢いたい」という歌である。

3155  悪木山木末ことごと明日よりは靡きてありこそ妹があたり見む
      (悪木山 木<末>悉 明日従者 靡有社 妹之當将見)
 「悪木山(あしきやま)」は未詳。それとも「意地悪な山」という意味か。「木末(こぬれ)ことごと」は「梢という梢」、「靡きてありこそ」は「靡いておくれ」という意味。「悪木山よ。梢という梢ことごとく明日からは風に靡いておくれよな、彼女が住んでいる辺りを見たいから」という歌である。

3156  鈴鹿川八十瀬渡りて誰がゆゑか夜越えに越えむ妻もあらなくに
      (鈴鹿河 八十瀬渡而 誰故加 夜越尓将越 妻毛不在君)
 鈴鹿川は鈴鹿山脈から三重県亀山市を通って伊勢湾に注ぐ川。本歌のキーワードは「八十瀬(やそせ)渡りて」及び結句の「妻もあらなくに」。「八十瀬渡りて」はどの書も「多くの瀬々を渡って」と解し、「妻もあらなくに」は「妻がいるわけでもないのに」と解している。つまりこれが定解となっている。が、歌意としてはどこか妙だ。第一にわざわざたくさんの瀬を、しかも夜道を、渡っていくのだろうか。川を渡れば対岸に出る。それをまた渡れば元の岸に戻ってきてしまう。それをわざわざ「八十(やそ)」と表現しなければならないほど、何回も繰り返したというのだろうか。おそらく橋もほとんどない当時に・・・。それも夜道に。考えられない。女の元へ行くのにわざわざ「妻がいるわけでもないのに」などと表現するのだろうか。独身なら黙って逢いに行くのが普通であろう。私はこれでは歌意が通らないと思う。「鈴鹿川を何度も渡ってこうして夜道を越えて通ってくるのはいったい誰ゆえなんだろう。妻でもないのに」という歌である。夜道でも来られる通いなれた道なのである。私にはこれ以外の歌意は考えられない。何度も通う男の、いわば間接的なプロポーズ歌なのである。

3157  我妹子にまたも近江の野洲の川安寐も寝ずに恋ひわたるかも
      (吾妹兒尓 又毛相海之 安河 安寐毛不宿尓 戀度鴨)
 「近江の野洲(やす)の川」は滋賀県守山市や野洲市を通って琵琶湖に注ぐ野洲川。「~野洲の川」は「安寐」を導く序歌。「いとしいあの子にまたも逢えるという近江の野洲の川、その名の」ように安らかに寝ることが出来ず恋い焦がれ」続けている」という歌である。
           (2015年12月31日記)
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終わりよければ

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 大晦日にかかわらず、超多忙な一日となった。第一に、昨日から始めた家の大掃除に明け暮れた。それが、今日までずれこみ、午後三時頃までかかりきってしまった。それでも十全とはいかず、まだやり残した所がある。他方、私の算段は年内に万葉集読解の一回分を片づけること、そして本文を書くことにあった。万葉集読解の方はここ数日進めてはいたが、本日に持ち越してしまった。大掃除の方はいったん中止し、早々と万葉集読解に取りかかった。
 これにはある思いがある。3100番歌台にさしかかっている。目の手術等に苛まれていなければ、もう少し進んでいたに相違ないという思いだ。最後の4516番歌まであと1400番歌。うまくいけば、来年いっぱいで一応短歌は終了という地点まで来ている。ところが目の手術等に苛まれて中断を余儀なくされ、来年いっぱいという算段が厳しくなってしまった。たとえ一回分だけでも年内に片づけておこうと思ったのだ。
 さらに、読んで下さっている方への感謝の気持ちを伝えるため、この一文を認めなければ、という思いもあった。理由も根拠もないが、万葉集読解は新年のどこかでちょっとしたブレイクがあるような予感がする。万葉集の読者は一気に10倍になる、ないしはそうしたいと思ってやってきた。ちょいブレがあってもよさそうだという思いが私の中にはあるのだろう。
 その後押しをして下さっているのが現在の読者なのだ。本当に、本当にありがとう。この一文を終えれば自分に課した年内の作業は終了する。何とか、ウィリアム・シェイクスピアの戯曲ではないが「終わりよければ全てよし」で終わることが出来そうである。超多忙に明け暮れた今日一日だったが、これでやれやれである。最後になりましたが、皆様方、本当によいお年をお迎えください。
           (2015年12月31日)
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ブログ7年

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 まだ、完全に平成27年が終わったわけではありませんが、もう今年もこれで終了です。私の一番の願いは「世界に平和を」などと叫ぶ必要のない世界の実現です。核全廃は必須条件。

 早いものでブログを開設してちょうど7年が経過しました。これまでの訪問者の推移は次のとおりとなっています。平成27年の計数は今現在のものです。
       年間訪問者      累計
  2009(平成21)年     8541人     8541人
  2010(平成22)年    12190     20731
  2011(平成23)年    23322     44053
  2012(平成24)年    28448     72501
  2013(平成25)年    30141    102642
  2014(平成26)年    25808    128450
  2015(平成27)年    30640    159090

 ごらんの通り、今年は色々不具合に見舞われ、中断状態となった時期もありましたが、これまでで最高の訪問者となりました。特別の宣伝もしなければ誰に依頼したわけでもない。純粋に何の利害関係もない方々ばかりなわけです。一時的なことではなく、こうした方々がおられるかと思うと、大きな励みになります。本当にありがとうございます。
 年が変わったからといって姿勢に変化をもたらすつもりはありません。今年も引き続き「万葉集を万人の手に」を私の目標として挑むつもりでいます。不安もあり、多難も予想されますが、棒を折ることがないよう叱咤していただければそれに優る力はありません。
 では、皆々様、来年こそ本当によい年になりますようお祈りしましょう。
          (2015年12月31日)
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さあ新年

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 元旦を迎えても、なかなかその気になれず、やり残した掃除に加えて色々あってなかなか腰が据わらなかった。
 先ず、ささやかながら玄関のドアに迎春飾りを飾り、ついでテレビの前にやはりささやかな鏡餅を飾った。一人暮らしの私のこと。誰一人見ることがないというのに、である。近くにいたら見に来てくれるかも知れない相棒のGFも、実家に行っていて、近くにいない。なので、迎春飾りだの鏡餅だのは不要といえば不要。が、しかし、である。私の中ではこれらは新年を迎えるひと区切り。欠かすわけにはいかない。
 続いて好天に恵まれた今年の元旦、ひょっとしてと思い、最上階に上がってカメラを構えた。霊峰伊吹山と霊峰御嶽を遙拝するためである。生憎霞がかかっていたが、それでも雪をいただいた霊峰の姿ははっきり捉えることができた。
 第三に弟を訪ね、近在の神社(神明社)に初詣に出かけた。なんやかやとあって、午後三時頃に弟と別れた。
 このようなわけで、やっと、先ほど机に向かって腰を落ち着けることが出来た。やれやれ、である。こうして私の新年の挨拶は遅れに遅れた。遅ればせながらご挨拶を致します。
 明けましておめでとうございます。本当に文字通り、素晴らしい年であってほしいと思っています。みなさん、私たちはささやかな存在かも知れませんが、しっかりと前を向いて歩き出そうではありませんか。短歌二首、俳句二首で力に変えようぞ。
    新年を迎えて我れは寂しからず一人の暮らし力に変えん
    初詣常日頃なき神妙さ願い事をば抱くにあらず
    新年やめでたさよりも身が縮む
    区切り終え新たな気持でさあ新年
           (2016年1月1日)
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万葉集読解・・・192(3158~3174番歌)

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     万葉集読解・・・192(3158~3174番歌)
3158  旅にありてものをぞ思ふ白波の辺にも沖にも寄るとはなしに
      (客尓有而 物乎曽念 白浪乃 邊毛奥毛 依者無尓)
 「ものをぞ思ふ」は、何を思うかはっきりしない。恋人のことを思うという解釈もあるが、やや無理。漠然とした表現で私の苦手な歌だが、本歌の場合は効果的。というのも、旅の途上で漠然ともの思いに耽ることはよくあることなので。結句の「寄るとはなしに」も効果的。「旅にあってもの思いに揺れ動く。ちょうど白波が岸に寄ってくるのか沖に向かうのか分からぬように、よんどころない思いに揺れる」という歌である。

3159  港廻に満ち来る潮のいや増しに恋はまされど忘らえぬかも
      (<湖>轉尓 満来塩能 弥益二 戀者雖剰 不所忘鴨)
 「港廻(みなとみ)に」は「湾曲した港のあたりに」という意味である。「~いや増しに」までは「恋はまされど」を導く序歌。「港辺りにひたひたと潮が満ちてくるように、恋心がつのってきてあの子が忘れられない」という歌である。

3160  沖つ波辺波の来寄る佐太の浦のこのさだ過ぎて後恋ひむかも
      (奥浪 邊浪之来依 貞浦乃 此左太過而 後将戀鴨)
 「佐太の浦の」は各地に「佐太」とつく地名があって不明。が、ここまではたんに「このさだ」を導く序歌なので地名にこだわる必要はない。「このさだ」は「こんな好い時」である。「沖の波も岸の波もこぞって打ち寄せて来る佐太の浦のように、こんな好い時が過ぎてしまえば、後で恋しくなるだろうな」という歌である。

3161  在千潟あり慰めて行かめども家なる妹いおほほしからむ
      (在千方 在名草目而 行目友 家有妹伊 将欝悒)
 在千潟(ありちがた)はどこか不詳。枕詞説もあるが枕詞(?)。「あり慰めて」と「おほほしからむ」がはっきりしない句。先ず「あり慰めて」だが「岩波大系本」は「ひきつづいて心を慰めて」、「伊藤本」は「このままあなた相手にあり続けて気を晴らした上で」、「中西本」は「ありつつ心を慰めて」と解している。
 「おほほしからむ」は原文「将欝悒」。これを、「おほほしみせむ」(「佐々木本」)、「おぼぼしみせむ」(「岩波大系本」)、「いふかしみせむ」(「伊藤本」)、「おほほしくあらむ」(「中西本」)としていて一定していない。これを私は「おほほしからむ」と訓じたい。
 歌は全体の歌意が通るかあるいは不自然でないかを見極めて解する必要がある。先ず、在千潟は地名。「~潟」となっていてこれは当然。「あり慰めて」は「このまま立ち止まってしばし心を慰めて」である。「おほほしからむ」としたのは、「おほほしく」は2449番歌「香具山に雲居たなびきおほほしく相見し子らを後恋ひむかも」ほかに多く例があるように「ぼんやりと」ないし「心が晴れやらぬ様」を表現している。ここは旅空にあって「~だろう」と推量しているので「おほほしからむ」としたのである。
 「この美しい在千潟、このまま立ち止まってしばし心を慰めて行きたいけれど、家では妻が心が晴れやらぬまま私を待っているだろうから、道を急がねばならない」という歌である。

3162  みをつくし心尽して思へかもここにももとな夢にし見ゆる
      (水咫衝石 心盡而 念鴨 此間毛本名 夢西所見)
 「みをつくし」は澪標と書き、広辞苑に「通行する船に、通りやすい深い水脈を知らせるために立てた杭」とある。初出。「心尽して」を導く導句。「思へかも」は「思うからか」で、通常「妻が思うからか」と読解されている。ただ歌作の常道からすると、主語が省略されるのは作者本人。なのでここもそう解して読解してみたい。「もとな」は「しきりに」。「旅の空にあって、心から妻のことを思っているせいか、ここにやってきてもしきりに妻の姿が夢に現れる」という歌である。

3163  我妹子に触るとはなしに荒礒廻に我が衣手は濡れにけるかも
      (吾妹兒尓 觸者無二 荒礒廻尓 吾衣手者 所<沾>可母)
 「触(ふ)るとはなしに」は「共寝しているわけではないのに」という意味である。「荒礒廻(ありそみ)に」は「荒礒の辺りを通ると」である。「いとしい子と共寝しているわけではないのに、荒礒の辺りを通ると着物の袖が濡れてしまう」という歌である。飛沫の激しさを詠うのに、共寝を例示するなどいかにも万葉歌らしい。

3164  室の浦の瀬戸の崎なる鳴島の磯越す波に濡れにけるかも
      (室之浦之 湍戸之埼有 鳴嶋之 礒越浪尓 所<沾>可聞)
 「室(むろ)の浦の瀬戸の崎なる鳴島(なきしま)」兵庫県たつの市に金ヶ崎という岬がある。その南方に君島という島がある。その君島を昔鳴島と呼んでいたという。鳴島を「泣き島」にかけ、波はその涙に仮託している。「室の浦の瀬戸の崎に浮かぶ鳴島(泣き島)の磯を越してくる波はその涙だというのかすっかり私は濡れてしまった」という歌である。

3165  霍公鳥飛幡の浦にしく波のしくしく君を見むよしもがも
      (霍公鳥 飛幡之浦尓 敷浪乃 屡君乎 将見因毛鴨)
 「霍公鳥(ほととぎす)」は飛びを導く導句。「飛幡の浦」は「戸畑の浦」で福岡県北九州市戸畑区。「しく波のしくしく」は2735番歌に「~しく波のしくしく妹を~」とある。
「しく波の」は「繰り返しやって来る波」で、「しくしく」は「しきりに」という意味である。「霍公鳥が飛ぶ飛幡の浦ではないが、その浦に繰り返しやって来る波のようにしばしばあの方とお逢いできたらなあ」という歌である。

3166  我妹子を外のみや見む越の海の子難の海の島ならなくに
      (吾妹兒乎 外耳哉将見 越懈乃 子難<懈>乃 嶋楢名君)
 「外(よそ)のみや見む」は「傍目にのみ眺める」。「子難(こがた)の海の島」はどこの海の島か未詳。あるいは作者の造語?。「あの愛しい子を傍目にだけ眺めていろというのか。越の海の子難(近づきがたい子)の海に浮かぶ島ではあるまいに」という歌である。

3167  波の間ゆ雲居に見ゆる粟島の逢はぬものゆゑ我に寄そる子ら
      (浪間従 雲位尓所見 粟嶋之 不相物故 吾尓所依兒等)
 「波の間ゆ」のゆは「~より」の「ゆ」。「粟島」は不詳だが、「逢はじ」にかけている所を見ると、あるいは「淡路島」?。ここまで「逢はぬ」を導く序歌。「逢はぬものゆゑ」は「逢わないでいるのに」である。「我に寄そる子ら」のらは親愛の「ら」。「私に寄り添うあの子」という意味である。「波の間からかかった雲ごしに見える粟島。その名のごとく逢わないでいるのに、私に寄り添うあの子と噂を立てられている」という歌である。

3168  衣手の真若の浦の真砂地間なく時なし我が恋ふらくは
      (衣袖之 真若之浦之 愛子地 間無時無 吾戀钁)
 衣手(ころもで)は着物の袖を意味するが、本歌の場合枕詞的に使われている。真若(まだ新しい)という意味か?。「真若の浦」は不詳だが、和歌山県和歌山市和歌浦という説がある。「真砂地(まなごち)」は砂浜。ここまで「間なく」を導く序歌。「真若の浦の真砂地ではないが、我が恋い焦がれる心は間なく時なしである」という歌である。

3169  能登の海に釣する海人の漁り火の光りにいませ月待ちがてり
      (能登海尓 釣為海部之 射去火之 光尓伊徃 月待香光)
 「光りにいませ」は「光をたよりにいらっしゃい」という意味。「月待ちがてり」は現在でも「~がてら」と使うように、「~しつつ」の古形。「能登の海で夜釣をする漁り火をたよりにお行きなさい。月の出を待ちながら」という歌である。

3170  志賀の海人の釣りし燭せる漁り火のほのかに妹を見むよしもがも
      (思香乃白水郎乃 <釣>為燭有 射去火之 髣髴妹乎 将見因毛欲得)
 志賀は福岡県志賀島か。結句の「見むよしもがも」は「見たいものだ」という願望を表す。「志賀島の海人(あま)」が夜釣りの際、燭(とも)す漁り火のちらちら照らすほのかな明かりにでも、あの子が見たいものだ」という歌である。

3171  難波潟漕ぎ出る舟のはろはろに別れ来ぬれど忘れかねつも
      (難波方 水手出船之 遥々 別来礼杼 忘金津毛)
 平明歌。難波潟は大阪市浪速区か。「難波潟を漕ぎ出してあの子と別れ、舟ははるばるやってきたが、あの子が忘れられない」という歌である。

3172  浦廻漕ぐ熊野舟つきめづらしく懸けて思はぬ月も日もなし
      (浦廻榜 熊野舟附 目頬志久 懸不思 月毛日毛無)
 「浦廻(うらみ)漕ぐ」は浦に沿って漕ぐこと。「熊野舟つき」は「舟が着いた」などという意味ではなく、様子の「つき」で、「熊野舟の様子」のこと。熊野舟は和歌山県熊野で作られた舟で、その姿が目立っていたらしい。したがって「めづらしく」は「岩波大系本」等が解しているように「珍しく」ではない。「舟の姿が目立つ」という意味で、「あの子がいとしい(愛づらしく)」をかけた言い方。「浦に沿って漕ぐ熊野舟の様子が目立つと同様、愛しいあの子を心に懸けない時はなく、一日でもひと月でも思い続けている」という歌である。

3173  松浦舟騒く堀江の水脈早み楫取る間なく思ほゆるかも
      (松浦舟 乱穿江之 水尾早 楫取間無 所念鴨)
 松浦舟は1143番歌に「さ夜更けて堀江漕ぐなる松浦舟楫の音高し水脈早みかも」と詠われている。肥前国(福岡県西部)の松浦で作られた舟のことで流れが速い所でも漕ぎ進むことが出来たようだ。1143番歌にあるように梶(かじ)の音が高い舟だったようである。水脈(みを)は流路のこと。「騒(さわ)く堀江の水脈早み」のみは「~なので」の「み」。「波騒ぐ堀江の流れが早いので」という意味である。「~楫取る」までは「間なく」を導く序歌。「松浦舟が波騒ぐ堀江の流れが早いのですばやく(間なく)楫を取らなければならない。そのように間断なくあの子を思っている」という歌である。

3174  漁りする海人の楫音ゆくらかに妹は心に乗りにけるかも
      (射去為 海部之楫音 湯按干 妹心 乗来鴨)
 「ゆくらかに」は「ゆったりと」ないし「じわじわと」という意味である。「漁をする海人(あま)の舟を操る梶の音はゆったりとしているが、その梶のようにあの子は私の心にじわじわと寄ってきている」という歌である。
           (2016年1月3日記)
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恵みの三が日

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 今年のここ名古屋の年明けは絶好の好天に恵まれ、素晴らしいスタートとなった。三が日が三が日とも、である。この素晴らしい幕開けは、報道による限り、おおむね全国的なものだったようだ。私の記憶では三が日の間一度くらいは雨や雪に見舞われ、そうでなくとも雲が大空を覆っている年が多かった。ところが、今年の三が日は本当に素晴らしい、素晴らしい三が日だった。やはり、人間の心は天候に左右される。雲が全天を覆い、雨が降り続くと、どこか暗い気分になる。反対に、天空が晴れ上がって快晴となれば、いやがうえにも気分は上々となる。まして年明けの三が日が快晴となれば気分の悪かろう筈はない。希望に満ちた気分になる。
   大自然何よりうれし賜り物光まぶしき正月三が日
   伸びをして空を仰げばひとしなみどこの誰にも注ぐ陽光
   日に比べ小粒なる地ぞわが住める球で争いするが不可思議
   三が日受けし恵みを力とし陽春(はる)に向かいて一歩踏み出す
   垣根なす寒椿なる赤き花希望の色し太陽照らす
 中村公園の周辺をゆっくり散歩しながら、春を思わせる陽光を満喫した三が日だった。その太陽に捧げるつもりで作歌した5首である。みなさまのおひとりおひとりにも、短歌に込めた私の思いが多少なりとも伝われば幸いである。
 希望というのはもとより私一人のものではない。この世に生を受けた私たち人間、否、ゴリラも犬も猫も、等しく与えられた光である。その私たちがいがみあい、争いごとを繰り返すとは。まさに愚の骨頂と言わざるを得ない。
 最後に、三が日に受けた太陽の恵みにあらためて感謝し、稿を閉じたい。
              (2016年1月3日)
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新年のご挨拶

 みなさん、遅ればせながら
   あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。
 オイラ自分で文章を綴れればさっさとご挨拶申し上げるんですが、猫の身のオイラ、ボケ君に頭をスリスリしたり、柱に爪をたてたり、必死になってご挨拶したい旨を伝えるしかありません。それでもなかなか気づいてくれなくて、やっと今朝になって気づいてくれました。
 もうボケ君とは10年余も一緒にいます。今年11年目を迎えます。
 さて、10年余も一緒にいると、ボケ君が何をしたいのか、何を考えているのか分かります。そのため、ボケ君が机に向かっているときは、邪魔をしないように滅多にちかづきません。たとえ近づいても、机には乗りますが、絶対にキーボードには乗らないよう気を遣っています。抜き足差し足、忍び足、キーボードの縁を静かに横切り、まちがってもキーに触れたりしません。
 これに対し、10年余の付き合いながら、ボケ君は一向にオイラのことが分かっていない。文字通りボケダヌキ君よろしくボケーっとしています。水が飲みたくなっても、大や小の用をたした箱を取り替えてほしいのに一向に気づこうとしてくれない。自分では一生懸命「人の役に立つ研究」をしているつもりになっているが、猫の役にも立たないボケ君ではお先真っ暗。
   猫かがみ食を忘れてキーボード叩くはよしもその姿ボケ
   ボケダヌキいい加減気づけ不健康
 今年もボケダヌキ君の健康を気遣わねばならないかと思うと、うんざり。
 皆さんも、ボケダヌキ君のようにならないよう、健康でよい年にしてよね。
(2016年1月5日記)
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万葉集読解・・・193(3175~3193番歌)

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     万葉集読解・・・193(3175~3193番歌)
3175  和歌の浦に袖さへ濡れて忘れ貝拾へど妹は忘らえなくに [或本歌末句云「忘れかねつも」]
      (若乃浦尓 袖左倍<沾>而 忘貝 拾杼妹者 不所忘尓)或本歌末句云(忘可祢都母)
 和歌の浦は和歌山県和歌山市和歌浦。「和歌の浦で袖さへ濡らして恋忘れ貝を拾ったけれど、あの子を忘れられない」という歌である。ある本の結句に「忘れかねる」という注が付けられている。

3176  草枕旅にし居れば刈り薦の乱れて妹に恋ひぬ日はなし
      (草枕 羈西居者 苅薦之 擾妹尓 不戀日者無)
 「草枕」は旅の枕詞。薦(こも)はむしろの材料にするマコモのこと。「旅にあって寝床にしようと刈り取った薦が乱れるように、私の心は乱れて彼女を恋しく思わない日はない」という歌である。

3177  志賀の海人の礒に刈り干すなのりその名は告りてしを何か逢ひかたき
      (然海部之 礒尓苅干 名告藻之 名者告手師乎 如何相難寸)
 志賀(しか)は福岡県の志賀島。「なのりそ」はホンダワラの古名で広辞苑に「海産の褐藻」とある。「な~そ」という禁止形に見立てた言い方。「な告りそ」は「名を告げてはいけません」ということで、とおりすがりの男に名を告げてはいけないという忠告。「志賀の海人(あま)が刈り取ったなのりそを礒に干して、にもかかわらず、あえて名を告げたのに、どうしてなかなか逢えないのでしょう」という歌である。

3178  国遠み思ひなわびそ風のむた雲の行くごと言は通はむ
      (國遠見 念勿和備曽 風之共 雲之行如 言者将通)
 「国遠み」のみは本来「~ので」の「み」。が、ここでは「国が遠いからといって」。「なわびそ」は「な~そ」の禁止形。「わびしがらないで」という意味。「風のむた」は「風と共に」、「言(こと)は通はむ」は「(互いの)消息は分かるでしょうから」という意味。旅の空にいる夫に呼びかけた妻の歌。「国が遠いからといってわびしがらないで。風と共に雲が流れゆくごとく、(互いの)消息は自然に流れつくでしょうから」という歌である。

3179  留まりにし人を思ふに秋津野に居る白雲のやむ時もなし
      (留西 人乎念尓 蜒野 居白雲 止時無)
 「留まりにし人を」の訓は「留(とど)まりし人を」の方が適切か。「家に残った人」、つまり妻のこと。秋津野(あきづの)は地名。奈良県吉野郡吉野町宮滝付近の野。3065番歌に「み吉野の蜻蛉の小野に~」とある。「家に留まっている妻のことを思うと、その思いは秋津野にかかる白雲のように止むときがない」という歌である。

3180  うらもなく去にし君ゆゑ朝な朝なもとなぞ恋ふる逢ふとはなけど
      (浦毛無 去之君故 朝旦 本名焉戀 相跡者無杼)
 本歌から悲別歌(別れを悲しむ歌。3180~3210番歌の31首。
 「うらもなく去(い)にし」は「思いもかけずあっさり旅だっていった」という意味である。「うら」は心である。「もとなぞ」は「しきりに」という意味である。「思いもかけずあっさり旅だっていったあなたですもの。毎朝、毎朝しきりに恋しくてなりません。逢えるわけではありませんが」という歌である。

3181  白栲の君が下紐我れさへに今日結びてな逢はむ日のため
      (白細之 君之下紐 吾左倍尓 今日結而名 将相日之為)
 「白栲(しろたへ)の」は「真っ白な」という意味。「我れさへに」は「私も手を添えて」。「白栲のあなたの下紐は今日は私も共に結びましょう。あなたに逢える日がくるまで」という歌である。

3182  白栲の袖の別れは惜しけども思ひ乱れて許しつるかも
      (白妙之 袖之別者 雖惜 思乱而 赦鶴鴨)
 「白栲(しろたへ)の」は「真っ白な」という意味。「白栲の袖の別れは」は「袖からませて」という意味である。結句の「許しつるかも」は「別れることを許してしまった」である。「袖と袖をからませた仲であったあなたとの別れは惜しいけれど、悲しさに心が乱れている最中に別れることを許してしまった」という歌である。

3183  都辺に君は去にしを誰が解けか我が紐の緒の結ふ手たゆきも
      (京師邊 君者去之乎 孰解可 言紐緒乃 結手懈毛)
 「誰(た)が解(と)けか」は「誰が解こうとするのでしょう」という意味である。結句の「結(ゆ)ふ手たゆきも」の「たゆき」は全万葉集歌中本歌一例しかないが、歌意から考えて「もどかしい」という意味。「あなたは都に行ってしまったというのに、誰が解こうとするのでしょう我が紐の緒を。紐の緒を結ぶのがもどかしい」という歌である。

3184  草枕旅行く君を人目多み袖振らずしてあまた悔しも
      (草枕 <客>去君乎 人目多 袖不振為而 安萬田悔毛)
 「草枕」は旅の枕詞。「人目多み」のみは「~ので」の「み」。「あまた」は数が多いことだが、ここでは「しきりに」の意。「草を枕の旅に出て行くあなたを人目が多いので袖を振らずじまい。しきりに後悔される」という歌である。

3185  まそ鏡手に取り持ちて見れど飽かぬ君に後れて生けりともなし
      (白銅鏡 手二取持而 見常不足 君尓所贈而 生跡文無)
 「まそ鏡」の「まそ」は美称。「君に後れて」は「あなたに置き去りにされて」。「まそ鏡を手に取り持って見るように、幾度見ても見飽きぬあなたに置き去りにされて生きた心地がしません」という歌である。

3186  曇り夜のたどきも知らぬ山越えています君をばいつとか待たむ
      (陰夜之 田時毛不知 山越而 徃座君者 何時将待)
  「たどき」は2881番歌、2887番歌等に出てきたが、とっかかりや手段のこと。つまり、ここでは全く様子が分からないこと。「曇った真っ暗な夜、全く様子が分からない山を越えていらっしゃるだろうあなた様を、いつになったらいらっしゃるだろうかとお待ちしています」という歌である。

3187  たたなづく青垣山の隔なりなばしばしば君を言問はじかも
      (立名付 青垣山之 隔者 數君乎 言不問可聞)
 「たたなづく」は初出。かつ、長歌に2例の3例のみ。194番長歌の「~嬬の命のたたなづく柔肌すらを~」と、923番長歌の「~吉野の宮はたたなづく青垣隠り~」があるのみである。例が少なく、何ともいえないが「重なり合う」という意味であろう。「隔(へ)なりなば」は「隔てられてしまったら」という意味である。「言問はじかも」は「便りをさしあげることもできませんね」である。「重なり合う青い山々に隔てられてしまったら、しばしばあなたに便りをさしあげることもできませんね」という歌である。

3188  朝霞たなびく山を越えて去なば我れは恋ひむな逢はむ日までに
      (朝霞 蒙山乎 越而去者 吾波将戀奈 至于相日)
 「恋ひむな」は「恋い焦がれるでしょう」、「逢はむ日までに」は「お逢いできる日が来る日までずっと」という意味である。「朝霞がたなびく山を越えて行ってしまわれれば、私は恋い焦がれるでしょう。お逢いできる日が来る日までずっと」という歌である。

3189  あしひきの山は百重に隠すとも妹は忘れじ直に逢ふまでに [一云 隠せども君を思はくやむ時もなし]
      (足桧乃 山者百重 雖隠 妹者不忘 直相左右二 [一云 雖隠 君乎思苦 止時毛無])
 「あしひきの」はおなじみの枕詞。「山は百重(ももへ)に隠すとも」は「幾重にも重なった山が彼女を隠そうと」である。「幾重にも重なった山が彼女を隠そうと彼女のことはわすれない、直接逢える日が来るまで」という歌である。
 この歌には注が付いていて、或本には「~隠そうとあなたを思う気持ちは止むときがありません」とあり、女性歌となっている。

3190  雲居なる海山越えてい行きなば我れは恋ひむな後は逢ひぬとも
      (雲居<有> 海山超而 伊徃名者 吾者将戀名 後者相宿友)
 「雲居なる」は「あの彼方にかかっている雲」という意味。「い行きなば」のいは強調の「い」。「あの彼方にかかっている雲の下の海や山を越えて行ってしまわれたら、私は恋しくてたまらないでしょう。たとえ後には逢えるとしても」という歌である。

3191  よしゑやし恋ひじとすれど木綿間山越えにし君が思ほゆらくに
      (不欲恵八<師> 不戀登為杼 木綿間山 越去之公之 所念良國)
 「よしゑやし」は「たとえ~とも」の意である。木綿間山(ゆふまやま)は所在不詳。「思ほゆらくに」は「思われてなりません」である。「たとえもうあなたのことは思うまいとするものの、木綿間山を越えて行ってしまわれたあなたのことがやはり思われてなりません」という歌である。

3192  草蔭の荒藺の崎の笠島を見つつか君が山道越ゆらむ [一云 み坂越ゆらむ]
      (草蔭之 荒藺之埼乃 笠嶋乎 見乍可君之 山道超良無 [一云 三坂越良牟])
 「草蔭の」は枕詞説もあるが枕詞(?)。もう一例3447番歌に「草蔭の安努な行かむと墾りし道安努は行かずて荒草立ちぬ」とある。「荒れた草陰」という意味か。「荒藺(あらゐ)の崎の笠島」は所在不詳。「草陰が荒れている荒藺の崎の笠島を眺めつつ今頃あなたは山道を越えておられるだろうか」という歌である。
 この歌には注が付いていて、或本には「~坂を越えておられるだろうか」とある。

3193  玉かつま島熊山の夕暮れにひとりか君が山道越ゆらむ [一云 夕霧に長恋しつつ寐ねかてぬかも]
      (玉勝間 嶋熊山之 夕晩 獨可君之 山道将越 [一云 暮霧尓 長戀為乍 寐不勝可母])
 「玉かつま」は3例しかなく同じ言葉にかかる例はない。枕詞(?)。島熊山(しまくまやま)は所在未詳。「夕暮れの島熊山をあなたはおひとりで山道を越えておられるだろうか」という歌である。異伝歌は「~夕霧の中で長らく恋い焦がれ眠ることができない」となっている。こちらは男の心情。
           (2016年1月7日記)
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興正寺騒動

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 一昨日、フジテレビの「とくダネ!」という番組で名古屋の八事山興正寺の騒動が報じられ、驚いた。というのも、興正寺は、昨年の今頃(1月16日)に訪問している寺で、名古屋でも名刹中の名刹だからである。
 事の起こりは2012年興正寺が隣接地の6万6千平方メートルを中京大学に売却したことに端を発している。金額は100億円ほどと見られている。この用地は中京大学に50年間もキャンパス用地として貸していたもので、境外地だと興正寺側は認識していた。ところが興正寺の総本山である金剛峯寺(和歌山県高野町)は不動産などの財産処分に当たるとしてすったもんだしている。総本山側は財産処分の場合、総本山の承認と売却額の3%を納めなければならないとして、興正寺の住職を罷免。総本山側は興正寺の真向かいにプレハブの「本堂」を建て、興正寺の「本堂」と本堂が二つになった、という次第である。もう説明はこのくらいの概要で結構だろう。
 第三者の私から見ると、仏道の教義で対立するなら分かるが、手続きだの上納金だので争うのは次元が低すぎる。名刹中の名刹が泣くというものだろう。
 この興正寺騒動のニュースに接して私は夏目漱石の「草枕」を思い出した。漱石は「草枕」で次のように書いている。
 「人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣りにちらちらするただの人である。」
 とすれば、興正寺騒動も次元が低すぎるようだが、しかしそれも人と人との争いで極めて人間的。宗教的な(それだけに深刻な)対立でなくてよかったと私などは思っている。「人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない」。宗教的対立ほど深刻で怖いものはない。対立は勧められるものではないが、宗教的対立でない興正寺騒動ならありだろう。
              (2016年1月8日)
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人とのつながり

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 FACEBOOK、LIME TWITTER等々、いわゆるSNSと呼ばれる機能が隆盛を極めている。その特徴は不特定多数ないし大量の人々とやりとり出来る点にあるようだ。「あるようだ」としたのは私自身こうした機能を使ったことがなく、あまり興味がないせいもある。さて、こうしたSNS機能は便利な反面、いじめ、詐欺、殺人等々様々な事件を引き起こし、話題になっている。中にはこの機能の登場がなければ考えられない事件が報告されている。
 一例だけ掲げると、SNSを通じて集まった若い男女がシェアハウスと称する住宅に区分して居住し、ついには殺人に至ったというケースがある。全く見知らぬ男女がひとつの住居に寝泊まりする!。いささか古い言葉だが「男女七歳にして席を同じゅうせず」というのが常識と思っている私などのような者には考えられない事件である。
 携帯電話やスマホも含めて本来「人と人とが意思疎通をはかりたい」という欲求から生まれ出てきた機能の筈である。ところが、そうした機能が発達すればするほど人は孤独になっていく。孤独に耐えられず、SNSに頼って仲間を捜し、相手を見つけようとする。「人と人とが意思疎通をはかりたい」という欲求から生まれ出てきた筈の機能が手軽に相手に接触できるため、逆に孤独を助長するというのは、まことに皮肉な結果である。
 このことはムラ社会と対比すると分かりやすいだろう。限られたムラ社会では互いに知らない人はいなく、無言の内に助け合い、相手をおもんばかっていた。決して孤独にはなりようがなかった。「じゃあ、ムラ社会に戻ればいいのか」などとは言わない。それはそれで時代遅れという以上に義理人情にしばられてうっとおしい。ただ、これだけは言えよう。「人と人とが結びつくのは電波ではない」と・・・。相互に相手のことを見聞きし、長い時間をかけて醸成されるものだと・・・。 
              (2016年1月9日)
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万葉集読解・・・194(3194~3210番歌)

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     万葉集読解・・・194(3194~3210番歌)
3194  息の緒に我が思ふ君は鶏が鳴く東方の坂を今日か越ゆらむ
      (氣緒尓 吾念君者 鶏鳴 東方重坂乎 今日可越覧)
 「息の緒に我が思ふ君は」は「命の綱とたのむ我が君は」である。「鶏(とり)が鳴く」は次句の「東方(あづま)の坂」にかけた夜明けを意味している。秀逸な表現。「命の綱とたのむ我が君は鶏が鳴く夜明けの東方の険しい坂を今日あたり越えていらっしゃるのだろうか」という歌である。

3195  磐城山直越え来ませ礒崎の許奴美の浜に我れ立ち待たむ
      (磐城山 直越来益 礒埼 許奴美乃濱尓 吾立将待)
 磐城山(いわきやま)は静岡県静岡市清水区にある薩堆山(さつたやま)のことという。許奴美(こぬみ)の浜は不詳だが、磐城山が薩堆山だとすると、東海道線由比駅の近くの浜か?。「直越(ただこ)え」は「まっすぐ越えて」という意味。「磐城山をまっすぐ越えていらっしゃい。私は礒崎の許奴美の浜に立って待っています」という歌である。

3196  春日野の浅茅が原に遅れ居て時ぞともなし我が恋ふらくは
      (春日野之 淺茅之原尓 後居而 時其友無 吾戀良苦者)
 「春日野」は「奈良県春日山の野」。浅茅(あさぢ)は丈の低い茅(かや)。「遅れ居て」は「置き去りにされて」という意味である。「時ぞともなし」は「いつということもなし」つまり「四六時中」ということ。「春日野の浅茅が原に置き去りにされて私は四六時中あの方を恋しています」という歌である。

3197  住吉の岸に向へる淡路島あはれと君を言はぬ日はなし
      (住吉乃 崖尓向有 淡路嶋 (りっしんべん+可)怜登君乎 不言日者无)
 住吉は大阪市住吉区。「~淡路島」は「あはれ」を導く序歌。その「あはれ」は嘆賞、親愛の心情を示す声。「住吉の岸の向かいに見へる淡路島のあはではありませんが、あはれや恋しとあなたに呼びかけない日はありません」という歌である。

3198  明日よりはいなむの川の出でて去なば留まれる我れは恋ひつつやあらむ
      (明日従者 将行乃河之 出去者 留吾者 戀乍也将有)
 「いなむの川」は「印南(いなむ)」の漢字を当てて、兵庫県印南野の川(加古川)とする説もあるが、ここは固有名詞よりも「去(い)なば」を導く序句なので厳しく考える必要はない。「明日からはいなむの川のいなではありませんが旅だってしまわれるあなた、取り残された私は恋いつつ暮らすでしょう」という歌である。

3199  海の底沖は畏し礒廻より漕ぎ廻みいませ月は経ぬとも
      (海之底 奥者恐 礒廻従 水手運徃為 月者雖經過)
 「海(わた)の底」は読みだけの問題で意味は海底で変わらない。「畏(かしこ)し」は「恐ろしい」ということ。「礒廻(いそみ)より」は「湾曲した磯に沿って」、「漕ぎ廻(た)みいませ」は「磯に沿って漕いでいらっしゃい」という意味である。「海底や沖は恐ろしく危険がいっぱいです。湾曲した磯に沿って漕いでいらっしゃい。時間はかかりましょうが」という歌である。

3200  飼飯の浦に寄する白波しくしくに妹が姿は思ほゆるかも
      (飼飯乃浦尓 依流白浪 敷布二 妹之容儀者 所念香毛)
 飼飯(けひ)の浦は淡路島の南あわじ市の海岸で旧飼飯野村と呼ばれた一帯。「しくしくに」は「しきりに」で、「~しくしくに」は「(妹を)思ほゆる」を導く序歌。「飼飯の浦に白波がしきりに押し寄せているが、その白波のようにしきりに彼女のことが思い出される」という歌である。

3201  時つ風吹飯の浜に出で居つつ贖ふ命は妹がためこそ
      (時風 吹飯乃濱尓 出居乍 贖命者 妹之為社)
  「時つ風」は、「時に吹く風で、一定の時間に吹く風。満潮時の風と考えられている。吹飯(ふけひ)の浜は大阪府の南端に岬町がある。その岬町に深日駅があるが、その辺りの浜。「贖(あか)ふ命は」であるが、「贖(あがなう)命は」で、「海に捧げる命」すなわち「無事を祈る」という意味か。「満潮時に風が吹く吹飯の浜に出て立ち、海に無事を祈るのは誰のためでもない。彼女のためにこその命なのだ」という歌である。

3202  熟田津に舟乗りせむと聞きしなへ何ぞも君が見え来ずあるらむ
      (柔田津尓 舟乗<将>為跡 聞之苗 如何毛君之 所見不来将有)
 多くの人々に親しまれている有名な8番歌「熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな」と上二句が同じである。熟田津は所在不詳。「聞きしなへ」は「聞くと同時に」という意味である。「熟田津で舟に乗ったと聞いてうれしかったが、同時にどうしてあの方がやって来るのが見えないのでしょう、と心配になります」という歌である。こうして並べてみると、まざまざと光景が浮かんでくる8番歌の秀逸さが光る。

3203  みさご居る洲に居る舟の漕ぎ出なばうら恋しけむ後は逢ひぬとも
      (三沙呉居 渚尓居舟之 榜出去者 裏戀監 後者會宿友)
  ミサゴは猛禽類。鷹の仲間。「うら恋しけむ」は「心恋しい」という意味。「みさごが住みついている洲に停泊している舟が漕ぎ出していってしまうと、心恋しいですわ。後には逢えると分かっていても」という歌である。

3204  玉葛幸くいまさね山菅の思ひ乱れて恋ひつつ待たむ
      (玉葛 無恙行核 山菅乃 思乱而 戀乍将待)
 「玉葛(たまかづら)」は枕詞とされているが疑問点もある。玉は美称。蔓が長く伸びるの形容。「幸くいまさね」は「ご無事でいらして下さい」という意味である。山菅は蔓と反対に根が乱れる。「葛のように蔓が長く伸びるようにご無事でいらして下さい。私の方は山菅の根のように思い乱れ恋ひつつあなたをお待ちします」という歌である。

3205  後れ居て恋ひつつあらずは田子の浦の海人ならましを玉藻刈る刈る
      (後居而 戀乍不有者 田籠之浦乃 海部有申尾 珠藻苅々)
 「後れ居て」は「取り残されて」。「恋ひつつあらずは」は「恋続けるなどしないで」という意味である。「取り残されてあの人を恋続けるなどしないで、いっそ田子の浦の海人であったらよかったのに。玉藻を刈りに刈っているのに」という歌である。

3206  筑紫道の荒礒の玉藻刈るとかも君が久しく待てど来まさぬ
      (筑紫道之 荒礒乃玉藻 苅鴨 君久 待不来)
 筑紫道(つくしぢ)は大和から九州の筑前、筑後に至る道。「刈るとかも」は「刈り取っていらっしゃるのでしょうか」という意味。帰途の途上と思われるので、筑前、筑後から大和への道。「筑前、筑後から大和への道であの方は荒礒の玉藻を刈りとっていらっしゃるのでしょうか。久しく待てど暮らせど一向に帰っていらっしゃいません」という歌である。

3207  あらたまの年の緒長く照る月の飽かざる君や明日別れなむ
      (荒玉乃 年緒永 照月 不?君八 明日別南)
 「あらたまの」はおなじみの枕詞。「年の緒長く」は年を長い紐に見立てた言い方。「ずっと長年月」という意味。「~照る月の」までは「飽かざる」を導く序歌。「ずっと長年月照らし続ける月のように、見飽きることのないあなたと明日お別れしなければなりませんよね」という歌である。

3208  久にあらむ君を思ふにひさかたの清き月夜も闇の夜に見ゆ
      (久将在 君念尓 久堅乃 清月夜毛 闇夜耳見)
 「久にあらむ」は「長らくなるでしょうね」という意味。「ひさかたの」はおなじみの枕詞。長い旅路になるだろうことをおもんばかって詠んだ歌。「長い旅路になるでしょう。そのあなたを思うと、清らかな月夜も、まるで闇夜のように見えます」という歌である。

3209  春日なる御笠の山に居る雲を出で見るごとに君をしぞ思ふ
      (春日在 三笠乃山尓 居雲乎 出見毎 君乎之曽念)
 御笠の山は奈良県春日山の一峰。読解を要さない平明歌といってよかろう。「春日野の御笠の山にかかっている雲。その雲を戸外に出て見ると、そのたびに旅立たれたあなたのことが思われてなりません」という歌である。

3210  あしひきの片山雉立ち行かむ君に後れてうつしけめやも
      (足桧木乃 片山雉 立徃牟 君尓後而 打四鶏目八方)
 「あしひきの」はおなじみの枕詞。片山は片方が山。すなわちもう一方が崖ないし急傾斜状の山。「片山雉立ち」は、そこから不意に雉(きじ)が飛び立つこと。「立ち行かむ」を導く序句ないし序歌。「うつしけめやも」は「現しけめやも」で、「正気でいられようか」という意味である。現代でも「ああ気が狂いそうだ」と使われる。
 「片山から不意に雉が飛び立っていったかのようにあなたに旅立たれ、取り残された私は気が狂わずにいられようか」という歌である。
 以上、旅にかかわる歌を見てきたが、往時の旅は現代と異なって大仕事。野越え山越え文字通り草を枕の野宿の旅。今生の別れになりかねない大仕事。それを頭に入れて読解しないと歌意を誤る。
 次歌から問答歌に入る。きりがいいので今回はここまで。
           (2016年1月10日記)
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人とのつながり2

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 前回、人とのつながりについて記したが、書き足りていないのでそのパート2である。
 昨日、目の回復が順調と見て二ヶ月ぶりに古代史の会の例会に顔を出した。出席者のどのメンバーもおなじみの方々ばかりである。何を話すかはテーマの中身なので分からない。が、その声、身振り手振り等々は変わらない。笑顔も気色ばんだ顔も全くおなじみのものだった。
 さて、私はもう一カ所会に属している。英会話クラブである。こちらは毎週例会が開かれているが、昨年12月始めに右眼の手術をして以来、今日まで出席出来ていない。まもなく出席しようと思っている。メンバーは皆顔なじみだ。新しいメンバーの方もいるが、同好会ということで、そこはかとなき親近感がある。年齢差、男女差、社会的地位等々随分大きな開きのある方もおられる。古代史の会のようによく見知った方々というわけにはいかないが、お互いに会話を行うので、会話を通してお互いを理解し合う。
 以上、二つが二つとも、全く自由の会。上下関係はもとより、特別な義務も規制もない。私がいう、「人と人とのつながり」は、このことを指している。
 しからば英会話クラブや古代史の会に属せばいいのかといえばそうではない。それはたまたま私の場合を例示したまでであって、英会話が名古屋城を語る会だの料理の集まりだろうと構わない。要は人が集まるのは自然な行為なので、その気になれば各人は何かの会だの集まりだのに出かけてみればいい話なのである。
 人と人とが全体像同士をぶつけ合うことが大切、これが私のいう「人のつながり」なのである。SNSに片寄って手軽に相手を探そうとしなくとも、同好会は世にゴマンとあるので、ただ、出かけてみる気になるだけで済むのである。その上でのSNSなら連絡を取り合う手段としてありだろう。SNSだけにのめり込むのは?といいたいだけである。
              (2016年1月11日)
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万葉集読解・・・195(3211~3220番歌)

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     万葉集読解・・・195(3211~3220番歌)
3211  玉の緒の現し心や八十楫懸け漕ぎ出む船に後れて居らむ
      (玉緒乃 <徙>心哉 八十梶懸 水手出牟船尓 後而将居)
 3211~3220番歌は問答歌。
 「玉の緒(を)の」は長い紐の緒の意味だが、19例もある。「長き」「絶えて」、「くくり寄せつつ」等、玉の緒に由来する歌が多い。「現(うつ)し心や」と続く例はなく、枕詞(?)とせざるを得ない。さりとて本歌は枕詞として使われている。「現(うつ)し心や」は「平然と」という意味である。「八十楫(やそか)懸け」は「たくさんの梶を並べ」である。「(別れがつらいのに)平然とたくさんの梶を並べ漕ぎ出さんとする船を、やむなく呆然と取り残される(見送る)私です」という歌である。

3212  八十楫懸け島隠りなば我妹子が留まれと振らむ袖見えじかも
      (八十梶懸 嶋隠去者 吾妹兒之 留登将振 袖不所見可聞)
 「八十楫懸け」は前歌を受け、「たくさんの梶を並べ漕ぎ出したが」という意味である。平明歌。「たくさんの梶を並べ漕ぎ出したが、この船が島に隠れてしまったら、私の彼女が、とまれとまれと振っている袖も見えなくなってしまうだろう」という歌である。
 右二首問答歌。

3213  神無月しぐれの雨に濡れつつか君が行くらむ宿か借るらむ
      (十月 鍾礼乃雨丹 沾乍哉 君之行疑 宿可借疑)
 神無月は旧暦の十月(現在の11月頃)。「濡れつつか」は「濡れておいでになるだろうか」である。「いま、旧暦の十月、冷たいしぐれの雨に旅行くあの方は濡れておいでだろうか。あるいはどこかで宿を借りておいでだろうか」という歌である。

3214  神無月雨間も置かず降りにせばいづれの里の宿か借らまし
      (十月 雨間毛不置 零尓西者 誰里<之> 宿可借益)
 「神無月」前歌参照。「雨間(あまま)も置かず」は「止むこともなく」、「降りにせば」は「降り続けば」という意味である。「このしぐれが止むこともなく降り続けば、どこの里で宿を借りたらいいのだろう」という歌である。
 右二首問答歌。

3215  白栲の袖の別れを難みして荒津の浜に宿りするかも
      (白妙乃 袖之別乎 難見為而 荒津之濱 屋取為鴨)
 「白栲の」は「真っ白な」ないし袖の美称。「難(かた)みして」は「し難く」という意味。荒津は福岡市中央区荒津の浜。「ここであの子と袖の別れをし難くて、荒津の浜で宿を取ることにした」という歌である。

3216  草枕旅行く君を荒津まで送りぞ来ぬる飽き足らねこそ
      (草枕 羈行君乎 荒津左右 送来 飽不足社)
 草枕はおなじみの枕詞。「飽き足らねこそ」は「心残り」すなわち「別れがたくて」という意味である。「遠く旅立つあなたをとうとう荒津まで見送りにやってきました。なかなか別れがたくて」という歌である。
 右二首問答歌。

3217  荒津の海我れ幣奉り斎ひてむ早帰りませ面変りせず
      (荒津海 吾幣奉 将齊 早<還>座 面變不為)
 荒津の海は福岡市中央区荒津の海。「幣(ぬさ)奉(まつ)り斎(いは)ひてむ」だが、幣は神様へのお供え物、奉りは「お供えして」、斎ひてむは「身を清めてお祈りする」で、全体として「海の神様にお供え物をし、身を清めてお祈りしましょう」という意味である。「面変りせず」は「やつれることなく」という意味。
 「荒津の海、私は神様にお供え物をし、身を清めてお祈りしましょう。早くお帰り下さい。やつれることなくお元気な姿で」という歌である。
 状況がよく分からない歌だが、次歌との関連からこの歌の作者(女性)はどうやら筑紫の人らしい。夫は大和の都にでも行くのだろうか。

3218  朝な朝な筑紫の方を出で見つつ音のみぞ我が泣くいたもすべなみ
      (旦々 筑紫乃方乎 出見乍 哭耳吾泣 痛毛為便無三)
 「筑紫の方を出で見つつ」とあるから作者は筑紫を離れている。が、その前の句に「朝な朝な」とあるから筑紫を旅立って相当離れている。旅の途上。「音(ね)のみぞ我が泣く」は「声をあげて泣く」、「いたもすべなみ」は「どうしようもなく」である。「毎朝、毎朝、筑紫の方向を立って出て見ながら、私は声をあげて泣くばかり。もうどうしようもなくて」という歌である。
 右二首問答歌。

3219  豊国の企救の長浜行き暮らし日の暮れゆけば妹をしぞ思ふ
      (豊國乃 聞之長濱 去晩 日之昏去者 妹食序念)
 豊国の企救(きく)の長浜は福岡県小倉市の浜。「行き暮らし」は「歩いて暮らす」すなわち「一日中歩いている内に」という意味である。「豊国の企救(きく)の長浜に行って一日中歩いている内に日が暮れてきてあの子のことをしきりに思う」という歌である。

3220  豊国の企救の高浜高々に君待つ夜らはさ夜更けにけり
      (豊國能 聞乃高濱 高々二 君待夜等者 左夜深来)
 「豊国の企救(きく)の高浜」は前歌を受け、高々を導く序歌。「高々に」はむろん「首を長くして」という意味である。「君待つ夜らは」のらは接尾語で調子をととのえる「ら」。「さ夜更けにけり」のさは強調の「さ」。「(あなたのいる)豊国の企救の高浜のように高々と首を長くしてあなたを待っている夜。その夜ももう更けてしまいました」という意味である。
 右二首問答歌。

 以上で万葉集巻12は完了である。少し余白があるが、切りがいいので今回はここまでとしておきたい。
           (2016年1月12日記)
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名古屋城再建

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 ここ名古屋では名古屋城天守閣の再建が話題になっている。名古屋城天守閣は、延床面積が江戸城や大坂城をも上回る史上最大の天守閣と言われている。これを木造建築にしたらどうかというのが関係者の話題となっている。
 名古屋城で私が思う最大の不可思議は、史上最大の天守閣をいただく名古屋城がなぜ真っ先に世界遺産にならないのかということである。広大な外堀も内堀も残っている。天守閣は案内図をご覧になればよくお分かりのように、全体の中のほんの一区画に過ぎない。なぜ世界遺産にならないのか。そのほんの一区画に過ぎない天守閣が鉄筋造りだからだ。
 さて、天守閣を木造にしようという話題だが、その理由はいうまでもなく名古屋のシンボルだからというのが最大だろう。その他に、美しいからとか伝統建築物だからとか世界遺産クラスになるからとか色々な理由が挙げられているに相違ない。
 だが、私は伝統技術という側面も重要視してほしいと願っている。伊勢神宮の遷宮も多大な貢献をしているが、伝統技術に携わる人々は一つや二つではおマンマの食い上げになる。名古屋城天守閣の場合は小堀遠州等が中心になって建築が行われた。伝統建築の素晴らしさは誰もが説くところであるが、肝心のそれを建築する人々が絶えてしまえばそれまでである。
 木造建築論がこんな視点からも行われているのなら結構な事だが、もしもそうでないとしたら、大きな視野から日本の伝統建築の継続に資するという視点を取り入れてほしいものである。
 名古屋城は全国的視野から考え、是非、伝統建築の伝統技術、伝統技術者集団の養成といった面からも考えていただきたい。そして名古屋城再建はゆうにその価値があると思うし、そう信じて疑わない。名古屋の誇りなどということではなく、日本の誇りというとらえ方をしてほしいと切に願う次第である。
              (2016年1月14日)
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選挙に向けて

政治経済等時事問題おしゃべり
 今年は国政選挙の年である。選挙年齢が18歳以上に引き下げられた。正確にいうと、2016年6月19日以降初めて行われる衆議院議員総選挙又は参議院議員通常選挙から適用される。今夏の参議院選挙は7月21日頃と見込まれるので、早速18歳以上の方々が有権者となる。
 さて、今年の選挙の最大の注目は自民党及び公明党の帰趨である。
 ご承知のように、昨年与党は安保法制を強行採決した。国民の大多数がその成立ないし早期採決に反対したにもかかわらず、である。内容を云々する以前に安保法制は法律違反(違憲)ではないかということで反対した。
 前回、誰が読んでも集団的自衛権は憲法第9条に違反する。前回を見てもらえばお分かりかと思うが、中学生や高校生が読んでも明白だ。中学生や高校生はもとより、法律の専門家関係団体もこぞって異議を唱えたにもかかわらず、である。
 こんな明白な法律違反を、自民党及び公明党の議員の誰一人として国会で「憲法違反ではないか」と質問しなかった。それどころか、こぞって強行採決に加わった。
 国民の反対をものともしないこの傲慢さは民主主義とは何かを考えさせられた。それ以上に日本は法治国家であることを完全に無視している。自分で法を制定する立場にある国会議員が、法を無視する!。そして質問さえしない議員たち。抑止力の拡充だの集団的自衛権の必要性など理由はあろう。が、どんな理由があろうと法は守ってこそ意味がある。不都合なら改正すればいい話だ。自分で決めておいて自分で違反を行う。そりゃないでしょ、といいたい。
 強行採決だろうと何だろうと、「採決してしまえばこっちのもん、国民はすぐに忘れてしまうだろうよ」と思っているのであろうか。そんな与党議員を私たち国民は一人として国会に送り込んではならない。私はこのように考えるのだが、いかがであろう。
 今夏の選挙はわれわれがその意思を示す唯一の機会だ。投票に行かない人は自らその機会を逃すことになる。それどころか現状容認に加担することになる。反自民や反公明なら、無所属だろうと民主党等野党でもいい。とにかく法律違反議員を一人として国会に送り込んではならない、という思いで一票を投じたい。
 幸か不幸か分からないが、自民党内では衆参同日選挙に打って出ようとする向きがある。そうなれば絶好の機会となる。反対にそれが自民党の吉と出るなら「採決してしまえばこっちのもん、国民はすぐに忘れてしまうだろうよ」が現実のものとなる。
              (2016年1月16日)
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思い込み

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 今月15日、16日の2日間、連続して外出と相成った。15日は寺巡り、16日は英会話クラブに顔を出した。ここではまず、寺巡りから。
 私が訪れたのは港区の3寺。3寺とは滅法少ないが、「愛知の史跡と文化財」あるいはインターネットのWEB等から選び取った寺。当然いずれ劣らぬ名刹中の名刹と私は思いこんでいた。何しろ数々存在する港区の寺の中でたった3寺なのだから・・・。私は寺の全くの門外漢である。したがって文献やWEBに掲載されているのでそれなりの3寺と考えた。要するにありていにいえば、一観光客として訪れるにぴったりの寺ばかりと思ったのだ。
 ところがどっこい。最初の2寺は「これでも寺か」と思わざるを得ない寺だった。ひとつは鉄筋コンクリート造りの会館そのものというもので、今ひとつは本堂は鉄筋で、境内はコンクリート。要するに、神社や寺といえば、樹木にうっそうと覆われた所と思っていた。うっそうとまでいかなくとも、境内はそれなりの樹木や荘厳さに包まれている。しかも文献やWEBから選び取った名刹と見込まれる寺ならなおさらだ。そうでない名刹が存在するとは思いも及ばなかった。正直がっかりした。
 3寺目に訪れた弁天寺は広くはないものの本堂もあり、境内に参道もついていて、なによりも樹木が備わっていて、救われた。宝珠院(中川区)に次ぐ名古屋三弘法の一つで、やっと寺らしい寺に出合ったという思いがした。
 「神社や寺といえば、樹木にうっそうと覆われた所」というのは私の強い思い込み。式内社だの古寺だのを巡り歩いた私の強い思い込みなのだが、会館内に収まっている寺があるとは思わなかった。いにしえを敬って作られている寺。それは「樹木にうっそうと覆われた所」であり、日本文化の伝統だ。それを願わずにいられない一観光客のつぶやきだ。
              (2016年1月18日)
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万葉集読解・・・196(3221~3229番歌)

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     万葉集読解・・・196(3221~3229番歌)
 万葉集巻13の開始だが、この巻13は特異な巻である。長歌が異常に多い。長歌は全体で見ると6%ほどしかない。が、この巻は何と52%を占める。つまり長歌は66首に及び、短歌(旋頭歌1首を含む)62首より多い。
 長歌が多いのはこの巻だけで、次に多いのが巻6で、27首ある。それでも巻6全体の17%を占めるに過ぎない。こんなわけで巻13は長歌が異常に多い。長歌は後でまとめてなどと言ってられない。そこで、例外巻として巻13だけは長歌の読解も併せて行う。長歌は長いので、各語句の読解は煩雑を嫌って最小限にとどめたい。むろん、全文の読解は省略しないで行う。

   雑  歌(3221番~3247番までの長短歌27首)
3221番長歌
  冬こもり 春さり来れば 朝には 白露置き 夕には 霞たなびく 風が吹く 木末が下に 鴬鳴くも
 (冬木成 春去来者 朝尓波 白露置 夕尓波 霞多奈妣久 汗瑞能振 樹奴礼我之多尓 鴬鳴母)

 「冬こもり」は枕詞説もあるが、枕詞(?)。「冬隠り」で「冬が隠れる」すなわち「冬が去り」で十分意味が通る。「木末(こぬれ)が下に」は「枝先では」という意味。
 「冬が去って春がやって来ると、朝方は白露が降り、夕方には霞がたなびく。風が吹いて枝先が揺れると、そこに鶯がいて鳴く」という歌である。

3222番長歌
  みもろは 人の守る山 本辺は 馬酔木花咲き 末辺は 椿花咲く うらぐはし 山ぞ 泣く子守る山
 (三諸者 人之守山 本邊者 馬酔木花開 末邊方 椿花開 浦妙 山曽 泣兒守山)

 「みもろは」は三諸の山で、神宿る山。「人が大切にする山」。馬酔木(あせび)はツツジ科の常緑低木。春、白い花をつける。「うらぐはし」は「心が霊妙になる」という意味である。
 「三諸の山は人が大切にする神の山。麓には馬酔木が咲き、高地には椿が咲く。まこと霊妙な山よ。泣く子をやさしく見守る山よ」という歌である。

3223番長歌
  かむとけの 光れる空の 九月の しぐれの降れば 雁がねも いまだ来鳴かぬ 神なびの 清き御田屋の 垣つ田の 池の堤の 百足らず 斎槻の枝に 瑞枝さす 秋の黄葉 まき持てる 小鈴もゆらに 手弱女に 我れはあれども 引き攀ぢて 枝もとををに ふさ手折り 我は持ちて行く 君がかざしに
 (霹靂之 日香天之 九月乃 <鍾>礼乃落者 鴈音文 未来鳴 甘南備乃 清三田屋乃 垣津田乃 池之堤<之> 百不足  五十槻枝丹 水枝指 秋赤葉 真割持 小鈴<文>由良尓 手弱女尓 吾者有友 引攀而 峯文十遠仁 に手折 吾者持而徃 公之頭刺荷)

 「かむとけの」は「落雷の」である。「神なびの」は「神のいらっしゃる所」で、通常神社や山を指す。「百足らず」は「百に足らない」で次句の「斎槻の枝に」(原文:五十槻枝丹)の言い換えである。「神聖な槻(つき=ケヤキの古名)」という意味。
 「落雷の閃光が走る9月の空にしぐれが降る。時期早く、まだ雁がやって来て鳴かない、その山の清らかな御田。境内のその御田の池の堤に生いる斎槻(いつき)の枝が瑞々しい。秋の黄葉を腕に巻いて付けた小鈴が揺れている。そんな手弱女(たをやめ)に過ぎない私であるが、ケヤキの枝をひきちぎって手一杯持ち、あの方の所にいきます。あの方の髪飾りにするために」という歌である。

3224  ひとりのみ見れば恋しみ神なびの山の黄葉手折り来り君
      (獨耳 見者戀染 神名火乃 山黄葉 手折来君)
 「恋しみ」のみは「~ので」の「み」。字義どおりなら「恋しいので」となる。ここは「惜しいので」という意味。「私一人だけで眺めるのは惜しいので、神聖な山の黄葉を手折ってやってきました。あなたと二人眺めようと」という歌である。
 これは反歌(短歌)で、右二首はひと組という注が付いている。

3225番長歌
  天雲の 影さへ見ゆる こもりくの 泊瀬の川は 浦なみか 舟の寄り来ぬ 磯なみか 海人の釣せぬ よしゑやし 浦はなくとも よしゑやし 磯はなくとも 沖つ波 競ひ漕入り来 海人の釣舟
 (天雲之 影塞所見 隠来矣 長谷之河者 浦無蚊 船之依不来 礒無蚊 海部之釣不為 吉咲八師 浦者無友 吉畫矢寺 礒者無友 奥津浪 諍榜入来 白水郎之釣船)

 「天雲の影さへ見ゆる」は「そらの雲が川面にくっきり写って見える」ことを言っている。「こもりくの」は18例中すべて泊瀬(奈良県桜井市)にかかる典型的な枕詞。「浦なみか」と「磯なみか」は「~がないせいなのか」である。
 「そらの雲が川面にくっきり写って見えるほど澄んだ泊瀬川。(海のように)浦がないせいか舟が寄ってこない。また磯がないせいか釣りをする海人(あまびと)もいない。が、たとえ浦はなくとも、磯はなくとも沖の波に乗って、こぞって漕ぎ入れてきてほしい。 海人の釣舟さんよ」という歌である。

3226  さざれ波浮きて流るる泊瀬川寄るべき磯のなきが寂しさ
      (沙邪礼浪 浮而流 長谷河 可依礒之 無蚊不怜也)
 「さざれ波」は「さざ波」のこと。平明歌。「さざ波が流れる静かな泊瀬川。なのに舟が寄るべき磯がない。惜しいことだ」という歌である。
 右二首、長短歌一組。

3227番長歌
  葦原の 瑞穂の国に 手向けすと 天降りましけむ 五百万 千万神の 神代より 言ひ継ぎ来る 神なびの みもろの山は 春されば 春霞立つ 秋行けば 紅にほふ 神なびの みもろの神の 帯ばせる 明日香の川の 水脈早み 生ひため難き 石枕 苔生すまでに 新夜の 幸く通はむ 事計り 夢に見せこそ 剣太刀 斎ひ祭れる 神にしませば
 (葦原笶 水穂之國丹 手向為跡 天降座兼 五百万 千万神之 神代従 云續来在 甘南備乃 三諸山者 春去者 春霞立 秋徃者 紅丹穂經 <甘>甞備乃 三諸乃神之 帶為 明日香之河之 水尾速 生多米難 石枕 蘿生左右二 新夜乃 好去通牟 事計 夢尓令見社 劔刀 齊祭 神二師座者)

 「葦原の瑞穂の国に」であるが、『古事記』や『日本書紀』にも使われている神話上の日本国土のこと。「手向(たむ)けすと」は物を供えてお祈りすること。「五百万(いほよろづ)千万(ちよろづ)神の」は「無数の神々」の意。三諸(みもろ)の山は神の山。「手向けすと」と「みもろの山は」は間が離れている。が、天降ってきた神々が同じ神のみもろの山に手向けるというのは不可思議なので、「手向けすと」は「みもろの山は」に直接かかる言い方と分かる。「生(お)ひため難き」は「苔生(こけむ)すまでに」にかかる形容句。「苔が付いて成長しがたく」という意味である。「剣太刀(つるぎたち)」は枕詞。
 「この瑞穂の国に天降っていらっしゃった無数の神々の、その神代の時代から、手向けなさいと語り継いできた三諸(みもろ)の山は、春になると霞が立ち、秋になると紅(くれない)に染まる。その神々しいみもろの神が帯としていらっしゃる明日香川。明日香川の水流が早く、岩に苔が付いて成長しがたく、苔むすまでに毎夜毎夜を迎えなければならない。願いが成就するのを願って通(かよ)ってまいります。その次第を夢にお示し下さい。あなた様はこのお山に祭られている神でいらっしゃるのですから」という歌である。

3228  神なびの三諸の山に斎ふ杉思ひ過ぎめや苔生すまでに
      (神名備能 三諸之山丹 隠蔵杉 思将過哉 蘿生左右)
 「斎(いは)ふ杉」は神木。あがめ祭る杉。「~杉」は「思ひ過ぎ」を導く序歌。その「思ひ過ぎめや」だが、「思ひ」+「過ぎめや」で「その思い(願い)が過ぎ去ってしまうだろうか」という意味である。「神聖な三諸の山に祭られている杉。その杉のように願いが過ぎ去ることがあるでしょうか。苔生す長い長い後まで」という歌である。

3229  斎串立て神酒据ゑ奉る神主部の髻華の玉かげ見ればともしも
      (五十串立 神酒座奉 神主部之 雲聚玉蔭 見者乏文)
 「斎串(いぐし)立て」は「若竹等で作った神聖な串を神前に立てる」こと。神酒(みわ)は神前に供える酒。「神主部(はふりべ)」は神官。「髻華(うず)の玉かげ」は「髪に挿す飾りのヒカゲノカズラ」。髻華(うず)は木の葉、花、玉などで飾る。かげはヒカゲノカズラで、ヒカゲノカズラ科の常緑シダ植物。
 「神前に斎串を立て神酒を供え、神官たちの髪に挿した髪飾りやヒカゲノカズラを見るとおごそかな気分になる」という歌である。
 右の長短歌三首で一組
           (2016年1月20日記)
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