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初雪は力

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 昨日の朝、起きて窓外を見たら雪が激しく降っていた。名古屋における今年の初雪である。雪については過去に幾度も一文を寄せている。6年前(2010年)の2月に「降る白雪」と題した一文を始め、昨年(2015年)3月「時ならぬ雪」まで計12回も扱っている。初雪については2014年2月8日の「初雪景色」が最新である。その際私は次のように記している。
 「初雪は不思議である。子供たちが喜ぶのは自然だが、大人も、~、浮き立つ気分に誘われる。」
 断るまでもなく、これは名古屋における私の気分である。東北の豪雪地帯などは「やれやれ、今年も雪の季節がやってきたか」とうんざりかもしれない。
 それはさておき、雪の少ない地域に住む私などは、やはり初雪は浮き立つ気分に誘われる。一昨年の初雪の際は次のような句を披露している。
肩ぶつけ合いつつ雪道女高生
全天下雪ばかりなり無為の朝
 今回はやや異なった気分で初雪を迎えた。眼病等様々な病に苦しめられた昨年の気分とは一新する気分で新年を迎えた。要するに「今年はやるぞ」という気分なのである。
   舞い降りる雪に混じりて決意めく気分の粉が降りかかり来る
   平成ももう二十八年初雪が背中押すごと降りかかり来る
 今回の初雪は自分が鼓舞されるような力を持っているように思われ、こんな短歌が口をついて出てきた。この緊迫した気分が、棒が折れがちになるこの私、いつまで持続するか知れたものではない。が、降りかかる初雪の姿、次々に舞い降りてくる、汲めども尽きないその姿だけはしっかり脳裏に焼き付けたつもりである。
              (2016年1月21日)
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ハングアップ

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 昨日の朝、私は突然ハングアップに見舞われた。正確にいうとパソコンは動くのだが、インターネットにつながらない。再起動を行ったり、電源を落として再度パソコンを立ち上げたりしたが、症状に変化はない。あれこれしている内に2時間が経過。所用があったのであきらめて外出した。
 外出から戻ってきたのが夕方。すぐには復旧しないだろうと覚悟を決めていたので、食事や風呂を済ませてから机に向かった。コンピューターの利便性を認めるのは人後に落ちない私だが、いったん不具合に見舞われると翼をもぎ取られた鳥だ。
 私は文章を書くのが好きなのだが、コンピューターが普及していなかった若い頃は原稿用紙にひとマスひとマス文字を埋めていた。そしてそれで大して不便を感じなかった。書き損じた原稿はまるめてゴミ箱に放り捨てるのだが、逆に思い直してその原稿を取り出すこともしばしばだった。つまり焼き捨てない限り、復旧はあっという間に終わった。
 ところが、今の私は全面的にコンピューターに頼っている。が、ひとたびハングアップに見舞われと、今回のような仕儀になる。付けたり切ったり、切ったり付けたり。二時間や三時間はすぐに経過。「テェっ、無駄なこった、こんな時間は」と思いながらやめるわけにはいかない。復旧しなければ何にも出来ないからだ。
 いつ、何が起きるか分からないのは事故や病気ばかりではない。一週間、時には数周間も復旧を待たなければならないハングアップもそうである。
 便利な反面、ひとたび不具合に見舞われるとお手上げ状態になる。それがコンピューターなのであり、その中で我々は生きている。無駄な時間といえば、コンピューターウイルスやサイバー攻撃にさらされた場合の復旧時間だ。便利な反面いつなんどき不具合に見舞われるか分からない。そんな時代にいるのだと今回の件で思い知った次第である。
              (2016年1月23日)
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万葉集読解・・・197(3230~3238番歌)

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     万葉集読解・・・197(3230~3238番歌)
3230番長歌
  みてぐらを 奈良より出でて 水蓼 穂積に至り 鳥網張る 坂手を過ぎ 石走る 神なび山に 朝宮に 仕へ奉りて 吉野へと 入ります見れば  いにしへ思ほゆ
 (帛叨 楢従出而 水蓼 穂積至 鳥網張 坂手乎過 石走 甘南備山丹 朝宮 仕奉而 吉野部登 入座見者 古所念)

 この長歌は特異な長歌である。前半部の短い部分「みてぐらを~神なび山に」になんと4句も枕詞が入っていると見なす説がある。「みてぐらを」、「水蓼(みづたで)」、「鳥網(となみ)張る」、「石(いは)走る」の4句。しかも前の3句は3句ともこの長歌だけに使われている。ただの一例をもって枕詞ときめつけるのはいかがであろう。不詳とするならそれでいい。が、枕詞ときめつけるのは(?)。各句の意味だけを記すと、「みてぐらを」は「幣帛(へいはく)を」のことで神前に供えるお供え物。「水蓼」は蓼科の一種。蓼科は広辞苑に「双子葉植物の一科」とある。「鳥網(となみ)張る」は「鳥網を張る」。坂に張るので坂手に続くというが、坂に張るとは限らないので(?)。「石走る」は8例あって何にかかるか一定しない。「岩を走る」の義で、「激しい」川。
 穂積は奈良県天理市新泉町のあたり、坂手は奈良県磯城郡田原本町あたりとされる。そうだとすれば、一行は奈良市(平城京)から天理市新泉町、田原本町、明日香村そして吉野へとまっすぐ南下したことになる。「神なび山」は神宿る山のことで三諸の山。三輪山、巻向山、初瀬山と連なる三山のこと。4句は各々地名や場所についていて、場所の指定句か。
 「幣巾を手向けて神聖な奈良の都を出発し、水蓼草の生い茂る穂積に至り、鳥網を張るので有名な坂手を過ぎ、激しい明日香川の流れる三諸の山を遙拝する離宮(朝宮)で仕えまつり、吉野へとお入りになるのを見ると、昔がしのばれる」という歌である。

3231  月は日は変らひぬとも久に経る三諸の山の離宮ところ
      (月日 攝友 久經流 三諸之山 礪津宮地)
 「変(かは)らひぬとも」は「月日は経て変わっていっても」という意味である。「久に経る」は「久しく経たる」ですなわち「長く変わらない」という意味。「月日は経て変わっていっても長く変わらない三諸の山を拝むここは離宮」という歌である。
 以上、長反歌二首

3232番長歌
  斧取りて 丹生の桧山の 木伐り来て 筏に作り 真楫貫き 磯漕ぎ廻つつ 島伝ひ 見れども飽かず み吉野の 瀧もとどろに 落つる白波
 (斧取而 丹生桧山 木折来而 筏尓作 二梶貫 礒榜廻乍 嶋傳 雖見不飽 三吉野乃 瀧動々 落白浪)

 「丹生(にふ)の桧山(ひやま)の」は「吉野川上流丹生のヒノキの山」。「真楫(まかぢ)貫(ぬ)き」(原文:二梶貫)は「両側に梶を取り付け」という意味である。
 「斧を取って丹生の桧山の木を伐りとってきて筏に作り、両側に梶を取り付け、磯を巡りつつ島伝いに吉野を見れども見れども飽きない。滝からごうごうと轟いて落下するその白波を」という歌である。

3233  み吉野の瀧もとどろに落つる白波留まりにし妹に見せまく欲しき白波
      (三芳野 瀧動々 落白浪 留西 妹見<西>巻 欲白浪)
 前半の「~落つる白波」でいったん切れる。「留(と)まりにし」は「都に留まっている」という意味。「吉野のごうごうと音を立てて落下する滝の白波。都に留まっている彼女に見せてやりたいこの白波」という歌である。
これは旋頭歌である。
 以上、長反歌二首

3234番長歌
  やすみしし 我ご大君 高照らす 日の御子の きこしをす 御食つ国 神風の 伊勢の国は 国見ればしも 山見れば 高く貴し 川見れば さやけく清し 水門なす 海もゆたけし 見わたす 島も名高し ここをしも まぐはしみかも かけまくも あやに畏き 山辺の 五十師の原に うちひさす 大宮仕へ 朝日なす まぐはしも 夕日なす うらぐはしも 春山の しなひ栄えて 秋山の 色なつかしき ももしきの 大宮人は 天地 日月とともに 万代にもが
 (八隅知之 和期大皇 高照 日之皇子之 聞食 御食都國 神風之 伊勢乃國者 國見者之毛 山見者 高貴之 河見者 左夜氣久清之 水門成 海毛廣之 見渡 嶋名高之 己許乎志毛 間細美香母 挂巻毛 文尓恐 山邊乃 五十師乃原 尓内日刺 大宮都可倍 朝日奈須 目細毛 暮日奈須 浦細毛 春山之 四名比盛而 秋山之 色名付思吉 百礒城之 大宮人者 天地 与日月共 万代尓母我)

 「やすみしし」は枕詞。儀式歌用語ではないか。枕詞を論ずる際に詳述したいと考えている。「やすみしし」の原文は八隅知之。その意味を取って「八方隅々まで之を知らす」と解することが出来そうである。「知らす」は「治める」という意味である。
が、「やすみしし」を安見知之ないし安美知之と表記している例が7首見られるので微妙。「高照らす」も枕詞。「やすみしし」と同様儀式歌用語ではないか。
 「きこしをす」は「お治めになる」という意味である。「御食(みけ)つ国」は「大君(天皇)の食料を奉る国」で、「神風の」は枕詞。「国見ればしも」は「 国見れば~しも」で言葉たらず。~は「神聖な」ないし「美しい」が入るか。「水門(みなと)なす」の「なす」は「~を形作る」という意味。「まぐはしみかも」は「目に麗しい」、「かけまくも」は「口に掛ける(出す)」という意味である。「山辺(やまのへ)の五十師(いし)の原」は伊勢神宮の境内にあった原のことか?。「うちひさす」と「ももしきの」は共に枕詞。「まぐはしも」は「麗しい」、「うらぐはしも」は「心麗しい」という意味。「しなひ栄えて」の「しな」は「しなだれかかる」や「しなをつくるの」の「しな」。「様美しく」ほどの意。
 「やすみしし我れら大君は高照らす日の御子でいらっしゃいます。その大君のお治めになっている食料を司る国、すなわち神風の吹く伊勢の国は美しい国、山は高く貴い、川は清くさわやか。海に通ずる港の先の海も豊かなり。見わたすかぎりに見える島も名高い島々。ここ伊勢のことを目に麗しいというのであろう。まことに恐れ多い境内の山辺の五十師(いし)の原の大宮にお仕えする宮は朝日を受けて麗しく、夕日を受けて心麗しく、春の山のようにしなよく栄え、秋の山のように景色麗しく栄えようではないか。我ら大宮人は天地のように限りなく、月日とともに万代(よろづよ)までも」という歌である。

3235  山辺の五十師の御井はおのづから成れる錦を張れる山かも
      (山邊乃 五十師乃御井者 自然 成錦乎 張流山可母)
 「山辺の五十師」は前歌参照。「御井」は伊勢神宮の境内の井のことと思われるが、山の麓の宮を御井に見立てたか。「山辺の五十師(いし)の原の御井は自ずから彩なす錦で飾られた山」という歌である。
 以上、長反歌二首

3236番長歌
  そらみつ 大和の国 あをによし 奈良山越えて 山背の 管木の原 ちはやぶる 宇治の渡り 瀧つ屋の 阿後尼の原を 千年に 欠くることなく 万代に あり通はむと 山科の 石田の杜の すめ神に 幣取り向けて 我れは越え行く 逢坂山を
 (空見津 倭國 青丹吉 常山越而 山代之 管木之原 血速舊 于遅乃渡 瀧屋之 阿後尼之原尾 千歳尓 闕事無 万歳尓 有通将得 山科之 石田之社之 須馬神尓 奴左取向而 吾者越徃 相坂山遠)

 「そらみつ」、「あをによし」、「ちはやぶる」は共に枕詞。奈良山はは奈良と京都の県境の山。「山背(やましろ)の管木(つつき)の原」は、京都(山背(やましろ)の国)綴城郡のことのようだが、具体的な場所は不詳。大和に近い京田辺市から木津川市の一帯のいずれかか?。「瀧つ屋」と「阿後尼(あごね)の原」は未詳。「山科の石田の杜」は京都市伏見区石田町の社(やしろ)。「すめ神」は皇室の祖先神。逢坂山は京都府と滋賀県の県境の山。
 「大和の国の奈良山を越えて京都の筒木の原の宇治川を渡り、 瀧つ屋の阿後尼の原の道を、千年に一度として欠けることなく、万代(よろずよ)までも通い続けんと、京都は伏見の石田の杜(もり)の皇祖神にお供え物を手向け、お供えして私は越えて行く逢坂山を」という歌である。

 或る本の歌として次歌を紹介している。
3237番長歌
  あをによし 奈良山過ぎて もののふの 宇治川渡り 娘子らに 逢坂山に 手向け草 幣取り置きて 我妹子に 近江の海の 沖つ波 来寄る浜辺を くれくれと ひとりぞ我が来る 妹が目を欲り
 (緑丹吉 平山過而 物部之 氏川渡 未通女等尓 相坂山丹 手向草 絲取置而 我妹子尓 相海之海之 奥浪 来因濱邊乎 久礼々々登 獨曽我来 妹之目乎欲)

 「あをによし奈良山過ぎて」は前歌参照。「もののふの」の後に「八十(やそ)うぢ」が省略された形。宇治川を引き出すための序。「幣取り置きて」は前歌の「幣取り向けて」とほぼ同意。神にお供えをすること。「近江の海」は通常「淡海の海」と表記され、琵琶湖のこと。「くれくれと」は「とぼとぼと」ないしは「しょんぼりと」といった意味。「妹が目を欲り」は「彼女に逢いたくて」という意味である。
 「あをによし奈良山を過ぎて宇治川を渡り、娘子らに逢うとされる逢坂山に彼女に逢えるようにとお供えものを供え、沖の方から波が寄せてくる琵琶湖の浜辺をたった独りでとぼとぼと行く、彼女に逢いたくて」という歌である。

3238   逢坂をうち出でて見れば近江の海白木綿花に波立ちわたる
      (相坂乎 打出而見者 淡海之海 白木綿花尓 浪立渡)
 白木綿花(しらゆふばな)は真っ白な白木綿の布。1735番歌に「山高み白木綿花に落ち激つ夏身の川門見れど飽かぬかも」とある。真っ白に波立つ様子の形容。「逢坂を通り過ぎんとして見下ろすと、琵琶湖が白木綿花のように真っ白に波立っていた」という歌である。
 以上、長反歌三首
           (2016年1月25日記)
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二ケ月ぶり

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 今月18日の本欄で、15日に港区の寺巡りを行った際の感想を記した。そして、翌16日は英会話クラブに顔を出したと告げた。例会は毎週土曜日に行われているが、私が顔を出したのは実に2ヶ月ぶりだった。右眼の手術や歯の治療が続いたためである。
 さて、2ヶ月ぶりの例会はどうだったかというと、大変なつかしい思いに襲われた。よく見知ったメンバーは久方ぶりに出合った旧友のように、やあ、おう、の感じで言葉を交わし、やや大仰に言えば、そこはかとなく故郷に舞い戻ってきた、といったらいいだろうか。ほっと安堵の胸をなでおろした。不思議なのは、新メンバーの面々である。5,6名いたが、初顔合わせの筈なのに、ずっと以前から見知っていたような錯覚に襲われた。ふるさととはかってのように生まれ故郷とは限らない。2ヶ月ぶりだったからであろうか。そうではあるまい。たった2ヶ月顔を出さなかっただけなのに故郷に舞い戻ってきた思いに駆られた。したがって、2ヶ月が3ヶ月、否6ヶ月だろうと10ヶ月だろうと、思いは同じだったに相違ない。
 人と人との結びつきは、利害関係のないこんな場でこそ醸成されるのではなかろうか。純粋に英会話が好きだということで集まってきている人々同士だからではなかろうか。
   名も知らぬ初顔なのになぜかくも親近感の湧き出ずるなり
 SNSやLINEでもそんな関係での結びつきがあるのかもしれない。が、どこか安易な結びつきで、警戒感を抱き合ったやりとりという気がしてならない。SNSやLINEにあまり関心が向かず、したがって何の体験もない私のような者がこれ以上もの申すのはいらぬお節介のそしりを免れない。
 以上、2ヶ月ぶりに英会話クラブの例会に出席し、それをを通して味わった体験から、故郷とは何なのか、人と人との結びつきは何なのか、一考せざるを得なかった。
              (2016年1月27日)
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万葉集読解・・・198(3239~3246番歌)

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     万葉集読解・・・198(3239~3246番歌)
3239番長歌
  近江の海 泊り八十あり 八十島の 島の崎々 あり立てる 花橘を ほつ枝に もち引き懸け 中つ枝に 斑鳩懸け 下枝に 比米を懸け 汝が母を 取らくを知らに 汝が父を 取らくを知らに いそばひ居るよ 斑鳩と比米と
 (近江之海 泊八十有 八十嶋之 嶋之埼邪伎 安利立有 花橘乎 末枝尓 毛知引懸 仲枝尓 伊加流我懸 下枝尓 比米乎懸 己之母乎 取久乎不知 己之父乎 取久乎思良尓 伊蘇婆比座与 伊可流我等<比>米登)

 「近江(あふみ)の海」は琵琶湖のこと。「泊り八十(やそ)あり」の泊りは舟着き場、八十は数多くという意味。「八十島の島の崎々」を各書とも「多くの島々の岬々に」と解している。どこか奇妙である。ご承知のように、琵琶湖には竹生島(ちくぶしま)、沖島、多景島(たけしま)、沖の白石島の四島しかない。しかも多景島と沖の白石島は舟着き場など作れそうにない小島。本歌での島は「とりつく島がない」というときの島で「泊り八十」のこと。「あり立てる」は「そのまま変わらず立っている」、「ほつ枝に」は「枝の先に」という意味である。「もち引き懸け」の「もち」は鳥を捕まえる粘着性の鳥もちのこと。斑鳩(いかるが)はイカルという鳥。イカルはスズメ目アトリ科の鳥。スズメより一回り大きくムクドリくらい。比米はシメで、イカルと同様スズメ目アトリ科の鳥。イカルより小型の鳥。「いそばひ居るよ」は「戯れているよ」という意味。
 「琵琶湖には数多くの舟着き場がある。その多くの舟着き場の岬には花橘が立っていて、枝先には鳥もちを引きかけ、中程の枝にはイカルの子(鳥かご)を引きかけ、下の枝にはシメの子を引きかけて親鳥の飛来を待つ。鳥の子たちはわが母や父が捕らえられるのも知らないで、戯れているよ」という歌である。

3240番長歌
  大君の 命畏み 見れど飽かぬ 奈良山越えて 真木積む 泉の川の 早き瀬を 棹さし渡り ちはやぶる 宇治の渡りの たきつ瀬を 見つつ渡りて 近江道の 逢坂山に 手向けして 我が越え行けば 楽浪の 志賀の唐崎 幸くあらば またかへり見む 道の隈 八十隈ごとに 嘆きつつ 我が過ぎ行けば いや遠に 里離り来ぬ いや高に 山も越え来ぬ 剣太刀 鞘ゆ抜き出でて 伊香胡山 いかにか我がせむ ゆくへ知らずて
 (王 命恐 雖見不飽 楢山越而 真木積 泉河乃 速瀬 <竿>刺渡 千速振 氏渡乃 多企都瀬乎 見乍渡而 近江道乃 相坂山丹 手向為 吾越徃者 樂浪乃 志我能韓埼 幸有者 又反見 道前 八十阿毎 嗟乍 吾過徃者 弥遠丹 里離来奴 弥高二 山<文>越来奴 劔刀 鞘従拔出而 伊香胡山 如何吾将為 徃邊不知而)

 奈良山は奈良市北方の山。木津川は京都府木津市や京田辺市を流れる川。木材を伐りだして運ぶ川。「真木積む」の真は美称。材木を積み込むこと。「ちはやぶる」は枕詞。「志賀の唐崎」は滋賀県大津市北部の琵琶湖沿岸。逢坂山は京都府と滋賀県の県境の山。「道の隈(くま)」は「道の曲がり角」のこと。「伊香胡山」は滋賀県長浜市木之本町あたりの山とされる。
 「大君の恐れ多い仰せを賜って、見飽きることのない奈良山を越えて木材を運ぶので名高い泉川に至る。その流れの早い泉川を棹さして渡り、宇治川のたぎりだつ瀬を見ながら渡る。近江道にある逢坂山にお供えし、越えていくと琵琶湖沿岸を見渡せる地点に至る。もしも無事であればまた帰りに見ようと、道を急ぐ。道の曲がり角、数多くの曲がり角を嘆きながら通りすぎてゆく。ああ、故郷から遠くやってきたもんだ。さらに高い山も越えてやってきた。剣太刀を鞘から抜いて威嚇する伊香胡山ではないが、我はいかにしよう。行方も分からずに」という歌である。

3241  天地を嘆き祈ひ祷み幸くあらばまたかへり見む志賀の唐崎
      (天地乎 歎乞祷 幸有者 又<反>見 思我能韓埼)
 この歌は前歌の反歌で、独立歌としては歌意がとり辛い。本歌の注に「右二首の長短歌」とあって、さらに「ただし此短歌は、或書に穂積朝臣老(ほづみのあそみおゆ)が佐渡に配流されるとき作った歌」という注があることによって、逆に前歌が甚だ深刻な歌だと知れる。
 「天地(あめつち)を嘆き祈(こ)ひ祷(の)み」は「天地の神が下されたこの罰を嘆きつつ、こい願い祈り」という意味である。この背景が理解されて初めて本歌の歌意が伝わってくる。つまり、前歌は佐渡に流されていく途次の歌である。「天地(あめつち)の神にこい願って無事にここまで帰ってくることが出来れば、もう一度見たいこの美しい志賀の唐崎を」という歌である。

3242番長歌
  ももきね 美濃の国の 高北の くくりの宮に 日向ひに 行靡闕矣 ありと聞きて 我が行く道の 奥十山 美濃の山 靡けと 人は踏めども かく寄れと 人は突けども 心なき山の 奥十山 美濃の山
 (百岐年 三野之國之 高北之 八十一隣之宮尓 日向尓 行靡闕矣 有登聞而 吾通道之 奥十山 三野之山 靡得 人雖跡 如此依等 人雖衝 無意山之 奥礒山 三野之山)

 「ももきね」は美濃の枕詞というが、本歌の一例しかなく、枕詞(?)。語義未詳としておきたい。「くくりの宮」は岐阜県可児市久々利で、かっては久々利村であった。『日本書紀』景行紀4年春2月の条に景行天皇が美濃に行幸とある。くくりの宮におられて弟媛(おとひめ)の現れるのを待たれたとある。その宮の跡もあるという。「日向ひに行靡闕矣」は諸説あって一定しない。が、後に「奥十(おきそ)山美濃(みの)の山」とある所を見ると美濃の代表的な山の形容と思われる。可児市久々利から御嶽山は東北にある。まさに「日向ひに」にぴったり。そこで、私は「行靡闕矣」は「行く日隠すや」と読み、その客体は「奥十山美濃の山」である御嶽山と解したい。御嶽山に隠された太陽が登ってくる様子はさぞかし荘厳であろう。
 「美濃の国の北方高くにあるくくりの宮から東北方に背後に日を抱く山があると聞いた。私が行く道の先にある御嶽山は美濃の山。それをならそうと人が踏みつけようと、あちらに寄せようと突き押そうと、びくともしない無情の山よ。御嶽山は美濃の山」という歌である。
 右は一首のみ。

3243番長歌
  娘子らが 麻笥に垂れたる 続麻なす 長門の浦に 朝なぎに 満ち来る潮の 夕なぎに 寄せ来る波の その潮の いやますますに その波の いやしくしくに 我妹子に 恋ひつつ来れば 阿胡の海の 荒磯の上に 浜菜摘む 海人娘子らが うながせる 領布も照るがに 手に巻ける 玉もゆららに 白栲の 袖振る見えつ 相思ふらしも
 (處女等之 麻笥垂有 續麻成 長門之浦丹 朝奈祇尓 満来塩之 夕奈祇尓 依来波乃 彼塩乃 伊夜益舛二 彼浪乃 伊夜敷布二 吾妹子尓 戀乍来者 阿胡乃海之 荒礒之於丹 濱菜採 海部處女等 纓有 領巾文光蟹 手二巻流 玉毛湯良羅尓 白栲乃 袖振所見津 相思羅霜)

 「娘子ら」のらは親愛の「ら」。「麻笥(をけ)に垂れたる」の麻笥は紡ぎ取った麻を入れる容器。「続麻(うみを)なす」は「長い麻状になる」という意味。ここまで次句の「長門の浦に」を導く序歌。「しくしくに」は2427番歌「宇治川の瀬々のしき波しくしくに妹は心に乗りにけるかも」の例があるように「しきりに」という意味である。「長門の浦」は広島県倉橋島のことという説があるがはっきりしない。「阿胡(あご)の海」は三重県英虞湾のことというが、長門の浦がはっきりしないので、こちらもはっきりしない。「うながせる」は「首から肩にかける」という意味である。「領布(ひれ)」は首から肩に垂らした布。
 「娘子(おとめ)が桶に垂らした長い麻ではないが、長門の浦に、朝なぎ時に満ちてくる潮、また、夕なぎ時に寄せてくる潮のように、ますます、あるいはしきりに募る思いを抱いて彼女を恋ながらやってきた阿胡の海。その荒磯の上で海藻を摘むあの海人娘子が首から肩にかけた布がきらきら輝いている。また手に巻いた玉もゆらゆら揺れるほど真っ白な袖を振っているのが見える。彼女の方も相思ってくれているのだろうか」という歌である。

3244  阿胡の海の荒磯の上のさざれ波我が恋ふらくはやむ時もなし
      (阿胡乃海之 荒礒之上之 少浪 吾戀者 息時毛無)
 前歌が分かれば、そのまま分かる平明歌。「阿胡の海の荒磯の上に寄せ来るさざれ波のように私の恋心はやむ時がありません」という歌である。
 右長反歌二首。

3245番長歌
  天橋も 長くもがも 高山も 高くもがも 月夜見の 持てるをち水 い取り来て 君に奉りて をち得てしかも
 (天橋文 長雲鴨 高山文 高雲鴨 月夜見乃 持有越水 伊取来而 公奉而 越得之旱物)

 「天橋」は「天に登る橋」。「~もがも」は「~であったら」という意味。「をち水」は月を数える「つくよみ」の神が持っていると考えられていた「若返りの水」。「い取り来て」のいは強調の「い」。「をち得てしかも」の「をち」は「をち水」の「をち」で若返り水。
 「天へと通じる橋がより長く、高い山もより高くあったらいいのに。月読みの神様がお持ちの若返りの水をいただいてきて、君に奉り、若返っていただくのに」という歌である。

3246  天なるや月日のごとく我が思へる君が日に異に老ゆらく惜しも
      (天有哉 月日如 吾思有 君之日異 老落惜文)
 「天(あめ)なるや」は「大空に輝いている」という意味である。「日に異(け)に」は「日々に」。「大空に輝いている月や太陽のように私には輝いていると思われる君が日々老いてゆかれるのは惜しくてならない」という歌である。
 右長反歌二首。
           (2016年1月29日記)
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自己診断

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 私は無口ではないが口数が少ない方である。典型的な例を挙げると、AとBがやり合っている場合、割って入ってどちらかに肩入れすることは滅多にない。たとえAの主張の方が正しいと思っても黙って聞いているだけである。意見を求められた時は我ながら饒舌気味と思うほど意見をいう。が、決して特定の意見、たとえばBの意見を攻撃することはまずない。
 こんな次第で人は私のことを「おとなしい」だの「温厚」だのという。時には「思慮深い」と言われる時もあるが、それが当を得ていないことは私自身が一番よく承知している。どちらかというと、考えるよりも先に行動してしまう。要するに軽挙妄動の部類に属するに相違ない。
 さて、自分の主義主張を通そうとしない。ましてや相手をやっつけようとは思いも及ばない。さりとて優柔不断だと思ったことはない。即座に判断し、行動するので失敗も多い。こんな自分の性格を時々考えてみることがある。人がいうように私は「おとなしい」のだろうか。あるいは「温厚な性質」なのだろうか、と。自分を外から客観的に見ることはできないため、なかなか結論が出ない。即断即決の面を持つ私でありながら、この問題ばかりは解答が見いだせないでいる。
 はっきり言えるのは、自分が口数が少ないのは私自身の性格が「おとなしい」わけでも「温厚」なわけでも決してないことである。
 私は考えていてふっと思った。「それはたんにお前が臆病なだけじゃないのか」と・・・。そしてそれを打ち消す根拠が見あたらない。が、「臆病なだけ」という結論にもどこか不満が残るのである。ほんとうに、ほんとうに、自己診断って厄介ですね。
              (2016年1月30日)
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万葉集読解・・・199(3247~3257歌)

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     万葉集読解・・・199(3247~3257歌)
3247番長歌
  沼名川の 底なる玉 求めて 得し玉かも 拾ひて 得し玉かも あたらしき 君が 老ゆらく惜しも
 (沼名河之 底奈流玉 求而 得之玉可毛 拾而 得之玉可毛 安多良思吉 君之 老落惜毛)

 沼名(ぬな)川は天上の川。天の川を想定しているか?。平明歌。このままで分かるかと思う。
 「沼名川の川底に沈める玉なる君。求めてやっと得た玉、拾って偶然得た玉。その貴重な新たな玉も老いてゆくのかと思うと惜しい」という歌である。
 右一首のみ。

  相 聞 歌
3248番長歌
  磯城島の 大和の国に 人さはに 満ちてあれども 藤波の 思ひまつはり 若草の 思ひつきにし 君が目に 恋ひや明かさむ 長きこの夜を
 (式嶋之 山跡之土丹 人多 満而雖有 藤浪乃 思纒 若草乃 思就西 君目二 戀八将明 長此夜乎)

 「磯城島(しきしま)の」は十代崇神天皇及び二十九代欽明天皇が都を置いた奈良県磯城郡にちなんだ言い方。磯城島に代表される大和の国というニュアンスである。「藤波の」や「若草の」は比喩ないし枕詞的比喩。
 「磯城島の大和の国に人は多く満ちているけれど、藤波のようにまつわりつき、若草のように思いが兆したあの方に逢えないものかと恋い焦がれ、この長い夜を明かさんとしています」という歌である。

3249  磯城島の大和の国に人ふたりありとし思はば何か嘆かむ
      (式嶋乃 山跡乃土丹 人二 有年念者 難可将嗟)
 「人ふたりありとし思はば」は恋愛感情の洒落た言い方。「あの方が二人いてくれたら」という意味である。「磯城島の大和の国にあの方がもう一人いてくれたらどうしてこんなに嘆きましょう」という歌である。
 以上、長反歌二首。

3250番長歌
  蜻蛉島 大和の国は 神からと 言挙げせぬ国 しかれども 我れは言挙げす 天地の 神もはなはだ 我が思ふ 心知らずや 行く影の 月も経ゆけば 玉かぎる 日も重なりて 思へかも 胸の苦しき 恋ふれかも 心の痛き 末つひに 君に逢はずは 我が命の 生けらむ極み 恋ひつつも 我れは渡らむ まそ鏡 直目に君を 相見てばこそ 我が恋やまめ
 (蜻嶋 倭之國者 神柄跡 言擧不為國 雖然 吾者事上為 天地之 神文甚 吾念 心不知哉 徃影乃 月<文>經徃者 玉限 日文累 念戸鴨 胸不安 戀烈鴨 心痛 末逐尓 君丹不會者 吾命乃 生極 戀乍文 吾者将度 犬馬鏡 正目君乎 相見天者社 吾戀八鬼目)

 蜻蛉島(あきづしま)は「日本の」という意味。ただし、前歌の磯城島と異なってこちらは大和の国は蜻蛉島の一部なので、「東京は渋谷区」という言い方と同じで、「蜻蛉島は大和の国」というニュアンスである。「神からと」は「人柄と」と同様「神の国柄として」、「言挙(ことあ)げせぬ」は「言葉に出して言いつのらない」という意味である。「神もはなはだ」は「神様も全く」という意味。「行く影の」は本歌一例しかなく、語義未詳。「玉かぎる」は陽炎ないし枕詞と解するのが適切かと思われるが、ここでは枕詞としておきたい。「末(すゑ)つひに」は「この先ついに」という意味。「まそ鏡」は枕詞。「我れは渡らむ」の「渡らむ」は「~し続ける」である。
 「蜻蛉島は大和の国の神の国柄として言葉に出して言いつのらないのですが、私は申し上げます。天地の神様も全く私の心をご存知ないのか、月日が重なって思っていると、胸が苦しいまでに恋い焦がれているせいか心が痛みます。この先ついにあなた様に逢えないとすれば、このわが命恋い焦がれつつ生き続けなくてはいけないのでしょうか。この心、直接あなた様にお逢いしてこそ静まるのに」という歌である。

3251  大船の思ひ頼める君ゆゑに尽す心は惜しけくもなし
      (大舟能 思憑 君故尓 盡心者 惜雲梨)
 このまま読解を要さない平明歌。「大船と思って頼みにしているあなた様ですもの。尽くす心は惜しくありません」という歌である。

3252  ひさかたの都を置きて草枕旅行く君をいつとか待たむ
      (久堅之 王都乎置而 草枕 羈徃君乎 何時可将待)
 「ひさかたの」と「草枕」は共におなじみの枕詞。本歌も平明歌。「都をあとにして旅に出るあなたをいつお帰りになるだろうと待っています」という歌である。

 次歌「柿本朝臣人麻呂歌集に云う」
3253番長歌
  葦原の 瑞穂の国は 神ながら 言挙げせぬ国 しかれども 言挙げぞ我がする 言幸く ま幸くませと 恙がなく 幸くいまさば 荒磯波 ありても見むと 百重波 千重波しきに 言挙げす我れは  [言挙げす我れは]
 (葦原 水穂國者 神在随 事擧不為國 雖然 辞擧叙吾為 言幸 真福座跡 恙無 福座者 荒礒浪 有毛見登 百重波 千重浪尓敷 言上為吾 [言上為吾])

 「葦原(あしはら)の瑞穂の国は神ながら言挙げせぬ国」は3250番長歌の「蜻蛉島大和の国は神からと言挙げせぬ国」を言い換えたもの。「葦原の瑞穂(みづほ)の国」とは日本のこと。「荒磯波(ありそなみ)」は次句の「ありても見むと」を導く序句とも取れるし、「百重波千重波しきに」の先行句ともとれる。荒磯波は本歌一例のみ。「ありても見むと」は「変わらぬ今の姿のまま」という意味である。
 「葦原(あしはら)の瑞穂の国は神の国柄として言葉に出して言いつのらないのですが、私は申し上げます。言葉に出してご無事でと。ご無事でいらっしゃいませと。何事もなくご無事でいらっしゃって、変わらぬ今の姿のままお逢いしとうございます。荒磯に寄せる百重波千重波のように幾度もご無事であれと言葉に出して申し上げます。申し上げます」という歌である。

3254  磯城島の大和の国は言霊の助くる国ぞま幸くありこそ
      (志貴嶋 倭國者 事霊之 所佐國叙 真福在与具)
 「磯城島(しきしま)の」は、3248番長歌で見たように、十代崇神天皇及び二十九代欽明天皇が都を置いた奈良県磯城郡にちなんだ言い方。磯城島に代表される大和の国というニュアンスである。「言霊(ことだま)」は言葉の持つ霊力。「磯城島の大和の国は言葉の霊力によって助けられる国です。どうかご無事でいて下さい」という歌である。

3255番長歌
  古ゆ 言ひ継ぎけらく 恋すれば 苦しきものと 玉の緒の 継ぎては言へど 娘子らが 心を知らに そを知らむ よしのなければ 夏麻引く 命かたまけ 刈り薦の 心もしのに 人知れず もとなぞ恋ふる 息の緒にして
 (従古 言續来口 戀為者 不安物登 玉緒之 継而者雖云 處女等之 心乎胡粉 其将知 因之無者 夏麻引 命方貯 借薦之 心文小竹荷 人不知 本名曽戀流 氣之緒丹四天)

 「玉の緒の」は枕詞であるが、一定の語にかかるわけではない。「~、思ひ乱れて」(1280番旋頭歌)、「~、長き春日を」(1936番歌)、「~、絶えじと思ふ」(2787番歌)等々「思い乱れる」、「長い」、「絶えて」といった緒(紐)の縁語が多く続く。このことから比喩用語とも取れる。「娘子らが心」の「ら」は親愛の表現。複数ではない。それよりも「らが心」は古文独特の表現。「君が代」と同様「~の心」である。「よしのなければ」は「手段もないので」という意味。「夏麻引く」は枕詞(?)。語義未詳。「刈り薦(こも)の」は刈り取ったこもが乱れるので、こころの比喩。「もとなぞ」は「心もとない」。
 「ずっと大昔から言い継がれてきた、恋をすると苦しい、と。玉の緒のように継ぎ継ぎ語り継がれてきた。けれど、彼女の本当の心が分からないのに恋を知るてだてがない。命を傾けて乱れる心も心細く、人知れず心もとなく息も絶え絶え」という歌である。

3256  しくしくに思はず人はあるらめどしましくも我は忘らえぬかも
      (數々丹 不思人叵 雖有 蹔文吾者 忘枝沼鴨)
 「しくしくに」は「しきりに」という意味である。「人は」は故意に客観視した言い方で「あの人は」の意。「しましくも」は原文に「蹔文」とあるように、「しばらくでも」つまり「いっときも」という意味である。「私のことをあの人はしげしげと思っていないようだけれど、私の方はいっときも忘れられません」という歌である。

3257  直に来ず此ゆ巨勢道から石橋踏みなづみぞ我が来し恋ひてすべなみ
      (直不来 自此巨勢道柄 石椅跡 名積序吾来 戀天窮見)
 「此ゆ」のゆは「~から」の「ゆ」。巨勢(こせ)は奈良県御所市古瀬。「なづみ」は「難渋して」という意味。「まっすぐ(直(ただ)に)此処から来ないで巨勢道(こせぢ)に出て、石橋を渡り、難渋しながらやってきた、あなたが恋しくて耐えられなくて」という歌である。
 本歌には注が付いていて、『或本によると、この歌は「紀の國の浜に寄るとふ鰒珠拾ひにといひて行きし君いつ来まさむ」(紀の國(和歌山県)の浜に寄せてくるという鰒珠(あはびたま=真珠)を拾いに行ってくると言って出かけたあなたが、いつまた戻ってくるかしら)という長歌に答えた反歌』とある。さらに、注は『詳細は後の長歌(3318番長歌)及び反歌(3320番歌)にあるが古本に上記のようにあるのでここに重ねて掲載する』とある。3318番長歌と3320番歌は後述するのでここでは扱わない。
 以上長反歌三首。
           (2016年2月1日記)
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気まま体操のすすめ

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 私は気管支炎の気がある。いったん風邪を引くと、咳がとまらず大変苦しい思いをする。くしゃみも激しい。続けざまに10回ほどもとまらない。くしゃみよりも咳き込む方が苦しく、こんな思いをするならこのまま死んでしまった方がいいとさえ思う。
 こんな状態が40歳前後まで続いた。数年に一度は風邪に見舞われ、そのたびに死ぬ苦しみに見舞われた。ある時、ラジオ体操がいいと言われたので始めたのだが長続きしない。ほんの4,5分の体操なのだが、律儀に欠かさず順番どうりやろうとしたせいか長続きしなかった。それよりも長続きしない最大の要因はラジオ体操をしてもやはり数年に一度は風邪に見舞われ、息苦しさに襲われたことだった。何だラジオ体操は効果ないじゃないか、と思ってしまったのである。
 が、止めてしまうと体調はすぐれない。薄着で行うのがいいとも聞いたので、ラジオ体操を順序よく行うのが面倒なこともあって、徐々に勝手に行いだした。朝、下着一枚だけになり、時間も伸ばした。倍以上の15分ほどにしたのである。二年経ち、三年経ち、五年経った。不思議なことに風邪に見舞われなくなった。なんと30年ほども風邪を引いていないのである。いつのまにか私の健康法となったのである。
 しからばどんな体操かと問われると返答に窮す。基本はMHKのみんなの体操である。が、その中の何を取り入れるのか自由気ままである。その日の気分によって好きなもの、あるいはみんなの体操にないものも随時取り入れる。ただ厳然と守っているのは最低15分というルールである。もうひとつ守っているのは15分のどこかで屈伸運動(スクワット)を入れること。これだけである。これを私は勝手体操と勝手に命名し、実践している。自由きままに気分に応じてやっているから順序も何もあったものじゃないから長続きしている。むろん順序よくやった方がいいのだろうが、自由きまま体操も悪くないと思っている。
              (2016年2月2日)
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この瞬間がスタート

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 「今のこの瞬間がスタートなり」。これ誰の言葉かご存知だろうか。金言ぎらいの私めが座右の銘としている言葉である。自分で作って自分の銘としていれば世話はないが、途中で棒を折りがちな自分への苦言にしている。挫折や断念といった失敗の積み重ねから生まれ出てきた言葉である。
 何か目標を立ててそれを成就しようと意気込むと途中で挫折ないし断念するのがオチである。「準備が大変であきらめた」とか「分量が多くとうてい無理だと思った」等々必ず自分で言い訳をして気を落ち着かせる。こういった言い訳はそのどれもが「もっとも」と思われるので厄介である。「継続は力なり」と他人の業績を称揚してみせたところで、せんない。野球やサッカーの例が分かりやすいが、Aは「2000安打を越えた」だの、Bは「100得点に達した」だのと言ってみても自分とつながるという保証はない。結果をみて「継続の賜物」というは簡単である。
 そこで私は「継続しよう」とかA選手を見習おうなどと思わないことにした。私は「今のこの瞬間がスタートなり」と思うことにした。この「日々つれづれ」も机に向かったその瞬間がスタートなのである。目前の一文を完成させること、それだけを目標にすることにした。500文に達しただの800文に達しただのはどうだっていい。目前の一文こそ新たなスタートであり、終着点である。日が変わって翌日になり、机に向かうときがやはり新たなスタートである。
 何かを始める時はそう思った瞬間がスタートである。準備が大変などと思わないで、スタートしてしまえばいい。準備などは走りながらすればいい。万葉集読解なども歌のひとつひとつがスタートだと思ってやっている。「今のこの瞬間がスタートなり」とはこうした意味で自分を鼓舞し、かつ、その鼓舞から離れることを意味している。
              (2016年2月5日)
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万葉集読解・・・200(3258~3269番歌)

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     万葉集読解・・・200(3258~3269番歌)
3258番長歌
  あらたまの 年は来ゆきて 玉梓の 使の来ねば 霞立つ 長き春日を 天地に 思ひ足らはし たらちねの 母が飼ふ蚕の 繭隠り 息づきわたり 我が恋ふる 心のうちを 人に言ふ ものにしあらねば 松が根の 待つこと遠み 天伝ふ 日の暮れぬれば 白栲の 我が衣手も 通りて濡れぬ
 (荒玉之 年者来去而 玉梓之 使之不来者 霞立 長春日乎 天地丹 思足椅 帶乳根笶 母之養蚕之 眉隠 氣衝渡 吾戀 心中<少> 人丹言 物西不有者 松根 松事遠 天傳 日之闇者 白木綿之 吾衣袖裳 通手沾沼)

 「あらたまの」や「たらちねの」は枕詞。「玉梓(たまづさ)の使」は「たまづさの枝にはさんだ恋人の手紙をもった使い」のことである。「天地に 思ひ足らはし」(天地にわが思いを満たして」とは荘重な表現である。「天伝(あまづた)ふ」は枕詞。「白栲(しろたへ)の」は袖の美称。
 「新しい年がやってきて、古い年は去ってゆく。あの方の使いもやってこない。長い春の日に天地にわが思いを満たして、母が飼う蚕が繭に隠るように、ため息ばかりつきつづけている。わが恋い焦がれる心の内を人に告げるものではなく、松の根のようにひとり待つしかありません。やがて日が暮れてきてわが袖も春の小雨に濡れました」という歌である。

3259  かくのみし相思はずあらば天雲の外にぞ君はあるべくありける
      (如是耳師 相不思有者 天雲之 外衣君者 可有々来)
 「かくのみし」のしは強調の「し」、「こんな風に」という意味である。「天雲の外にぞ」は「天雲の彼方のように」である。「こんなにも思って下さらないのなら、あなたは天雲の彼方の人のように無縁の人であればよかったのに」という歌である。
 以上長反歌二首

3260番長歌
  小治田の 年魚道の水を 間なくぞ 人は汲むといふ 時じくぞ 人は飲むといふ 汲む人の 間なきがごと 飲む人の 時じきがごと 我妹子に 我が恋ふらくは やむ時もなし
 (小<治>田之 年魚道之水乎 問無曽 人者は云 時自久曽 人者飲云 は人之 無間之如 飲人之 不時之如 吾妹子尓 吾戀良久波 已時毛無)

 小治田(をはりだ)は奈良県高市郡明日香の地。年魚道(あゆぢ)は常に水を生活用水としていた様子から明日香内の地名ないし場所か?。「時じく」は「時を定めず」すなわち「好きな時に」という意味。
 「小治田の年魚道の水を絶え間なく人は汲むという。また好きなときに立ち寄って飲むという。汲む人が絶え間ないように、飲む人がひっきりなしのように私の彼女への恋は止むときがありません」という歌である。

3261  思ひ遣るすべのたづきも今はなし君に逢はずて年の経ぬれば
      (思遣 為便乃田付毛 今者無 於君不相而 <年>之歴去者)
 「思ひ遣(や)る」は「思いを晴らす」という意味。「すべのたづきも」は「手段のとっかかり」。「思いを晴らす手段のとっかかりも今はない。あの方に逢わないまま年が過ぎてゆく」という歌である。
 本歌には編集者の注が付いていて、『今考えるに、この反歌にいう「君に逢はず」とあるのは長歌の表現に反している。「妹に逢はず」というべきではないのか』とある。

 或本には反歌は次のような歌となっている。
3262  瑞垣の久しき時ゆ恋すれば我が帯緩ふ朝宵ごとに
      (楉垣 久時従 戀為者 吾帶緩 朝夕毎)
 瑞垣(みづがき)は神社の境界(垣)で、常緑樹で作られている。「緩(ゆる)ふ」は「ゆるくなる」という意味。「瑞垣内に囲まれた神社のようにずっと以前から恋い焦がれているので、身が痩せ細るばかり。朝夕ごとに帯がゆるくなっていく」という歌である。
 以上長反歌三首。

3263番長歌
  こもりくの 泊瀬の川の 上つ瀬に 斎杭を打ち 下つ瀬に 真杭を打ち 斎杭には 鏡を懸け 真杭には 真玉を懸け 真玉なす 我が思ふ妹も 鏡なす 我が思ふ妹も ありといはばこそ 国にも 家にも行かめ 誰がゆゑか行かむ
 (己母理久乃 泊瀬之河之 上瀬尓 伊杭乎打 下湍尓 真杭乎挌 伊杭尓波 鏡乎懸 真杭尓波 真玉乎懸 真珠奈須 我念妹毛 鏡成 我念妹毛 有跡謂者社 國尓毛 家尓毛由可米 誰故可将行)

 「こもりくの」は枕詞。「泊瀬(はつせ)川(現在初瀬川)」は奈良県桜井市の北東部付近から西流し、北流し、やがて大和川と名を変える川。斎杭(いくひ)は神聖な杭、真杭はりっぱな杭。真は美称の真。
 「泊瀬川の上流の瀬には神聖な杭を打ち、下流の瀬には立派な杭を打ち、上瀬に打った杭には鏡を掛け、下瀬の杭には真玉を掛ける。その玉のように美しい彼女も、鏡のように輝く彼女もいるというのなら国にも家にも帰りましよう。が、相手のいない私はいったい誰のために帰ろうか」という歌である。

3264  年渡るまでにも人はありといふをいつの間にぞも我が恋ひにける
      (年渡 麻弖尓毛人者 有云乎 何時之間曽母 吾戀尓来)
 「年渡る」は「一年に渡って」、「ありといふを」は「そのままでいられるというを」という意味である。「一年に渡っても人はそのままでいられるというのに、この私はいつの間にか恋いに落ち、苦しんでいる」という歌である。

3265  世の中を憂しと思ひて家出せし我れや何にか還りてならむ
      (世間乎 倦迹思而 家出為 吾哉難二加 還而将成)
 平明歌。「世の中をうっとうしいと思って家出したこの自分、今さら戻って何になろうというのか」という歌である。
 以上長反歌三首。

3266番長歌
  春されば 花咲ををり 秋づけば 丹のほにもみつ 味酒を 神奈備山の 帯にせる 明日香の川の 早き瀬に 生ふる玉藻の うち靡き 心は寄りて 朝露の 消なば消ぬべく 恋ひしくも しるくも逢へる 隠り妻かも
 (春去者 花咲乎呼里 秋付者 丹之穂尓黄色 味酒乎 神名火山之 帶丹為留 明日香之河乃 速瀬尓 生玉藻之 打靡 情者因而 朝露之 消者可消 戀久毛 知久毛相 隠都麻鴨)

 「花咲ををり」は「枝もたわわに花咲き乱れ」という意味である。「丹のほにもみつ」は原文「丹之穂尓黄色」。「枝の先端が色づき、黄色に染まる」すなわち「鮮やかに黄葉する」という意味である。「味酒(うまさけ)を」は枕詞。神奈備山(かむなびやま)は「神が降臨する山」。明日香川を帯にしている山というのであるから、ここでは三輪山のこと。「しるくも逢へる」は「その甲斐があって逢えた」という意味である。
 「春がやってくると枝もたわわに花が咲き乱れ、秋になると鮮やかに黄葉する神奈備山。その神奈備山が帯にしている明日香川の早瀬に生える玉藻(水草)が揺れて靡くように、心が靡いて朝露のように消え入らんばかりになりながら恋した甲斐があって、やっと逢えたよ。私の隠し妻に」という歌である。

3267  明日香川瀬々の玉藻のうち靡き心は妹に寄りにけるかも
      (明日香河 瀬湍之珠藻之 打靡 情者妹尓 <因>来鴨)
 前長歌を読んだ人なら平明歌。「明日香川の瀬々に生える玉藻がうち靡くように、わが心は彼女にすっかり靡いてしまった」という歌である。
 以上長反歌二首。

3268番長歌
  三諸の 神奈備山ゆ との曇り 雨は降り来ぬ 天霧らひ 風さへ吹きぬ 大口の 真神の原ゆ 思ひつつ 帰りにし人 家に至りきや
 (三諸之 神奈備山従 登能陰 雨者落来奴 雨霧相 風左倍吹奴 大口乃 真神之原従 思管 還尓之人 家尓到伎也)

 三諸(みもろ)の山は奈良県桜井市の三輪山、巻向山、初瀬山と連なる三山のことと解している。ここでは「神奈備山(かむなびやま)ゆ」とあるから三輪山のこと。「との曇り」は「一面の曇り」。「大口(おほくち)の」は枕詞ないし地名。真神の原は奈良県明日香村、飛鳥寺南方一帯の地だという。「思ひつつ」は何を思いつつか分からないが、歌意からすると「私のことを思いつつ」か。
 「三諸の神の山から一面にかき曇り、雨さへ降り出した。空は霧状になり風も吹き出した。真神の原から私のことを思いつつ帰っていった人は、今頃家に着いたのかしら」という歌である。

3269  帰りにし人を思ふとぬばたまのその夜は我れも寐も寝かねてき
      (還尓之 人乎念等 野干玉之 彼夜者吾毛 宿毛寐金手寸)
 「ぬばたまの」はおなじみの枕詞。他は読解不要だろう。「帰っていったあの人のことを思うと、その夜は寝るに寝られなかった」という歌である。
 以上長反歌二首。
           (2016年2月5日記)
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万葉集読解・・・201(3270~3279番歌)

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     万葉集読解・・・201(3270~3279番歌)
3270番長歌
  さし焼かむ 小屋の醜屋に かき棄てむ 破れ薦を敷きて 打ち折らむ 醜の醜手を さし交へて 寝らむ君ゆゑ あかねさす 昼はしみらに ぬばたまの 夜はすがらに この床の ひしと鳴るまで 嘆きつるかも
 (刺将焼 小屋之四忌屋尓 掻将棄 破薦乎敷而 所挌将折 鬼之四忌手乎 指易而 将宿君故 赤根刺 晝者終尓 野干玉之 夜者須柄尓 此床乃 比師跡鳴左右 嘆鶴鴨)

 「さし焼かむ」の「さし」は強意の接頭語。「小屋の醜(しこ)屋に」は罵倒用語、「あの汚らしい小屋に」。「かき棄(う)てむ」の「かき」も強意の接頭語、「とっぱらってうち捨ててやりたい」という意味。「破(や)れ薦(こも)を敷きて」は「あの破れた汚らしい薦を敷いて」である。「あかねさす」と「ぬばたまの」は枕詞。「昼はしみらに」は原文に「晝者終尓」とあるように「昼の終わりまで」すなわち「一日中」。
 「あの汚らしい小屋を焼いてうち捨ててやりたい。あの敷いた破れた汚らしい薦をうち折ってやりたい。あの女の薄汚れた手をさし取って寝ているに違いないあの人だもの。悔しくて、終日終夜、この床がぎしぎし鳴るまで嘆いたことだ」という歌である。

3271  我が心焼くも我れなりはしきやし君に恋ふるも我が心から
      (我情 焼毛吾有 愛八師 君尓戀毛 我之心柄)
 「はしきやし」は嘆息の声。「焼くのも私の心。あーあ。あなたに恋い焦がれるのもこの心から」という歌である。
 以上長反歌二首。

3272番長歌
  うち延へて 思ひし小野は 遠からぬ その里人の 標結ふと 聞きてし日より 立てらくの たづきも知らず 居らくの 奥処も知らず にきびにし 我が家すらを 草枕 旅寝のごとく 思ふそら 苦しきものを 嘆くそら 過ぐしえぬものを 天雲の ゆくらゆくらに 葦垣の 思ひ乱れて 乱れ麻の をけをなみと 我が恋ふる 千重の一重も 人知れず もとなや恋ひむ 息の緒にして
 (打延而 思之小野者 不遠 其里人之 標結等 聞手師日従 立良久乃 田付毛不知 居久乃 於久鴨不知 親之 己之家尚乎 草枕 客宿之如久 思空 不安物乎 嗟空 過之不得物乎 天雲之 行莫々 蘆垣乃 思乱而 乱麻乃 麻笥乎無登 吾戀流 千重乃一重母 人不令知 本名也戀牟 氣之緒尓為而)

 「うち延(は)へて」は強意の「うち」+「延えて」で、「ずっと前から」の意。「思ひし小野は」の小野は最後までこの長歌を読むと「彼女」の寓意と分かる。「標(しめ)結ふと」は縄を張ることだが「印をつける」ほどの意味。「たづき」は「手段」。「奥処(おくか)も知らず」は「奥がどこまでか分からず」すなわち「お先真っ暗」という意味。「にきびにし」(原文:親之)は「慣れ親しんだ」という意味。「過ぐしえぬものを」は「やり過ごすことができないのに」である。「をけをなみと」(原文:麻笥乎無登)は「麻を入れる桶がないので」という意味である。「もとな」は「しきりに」。
 「ずっと前から思っていた小野は、遠からぬ里人が標(しめ)を結んだと聞いた。そう聞いた日より私はどうしてよいか手段も浮かばず、お先真っ暗になり、居ても立ってもいられなくなった。住み慣れた我が家すら、草を枕の旅寝のごとく思われ、胸の内は苦しく、やり過ごすことが出来ない。ゆらゆら揺れる天雲のように、また葦(よし)垣のように思い乱れる日々。桶のない麻のように思い乱れ、この恋いごころも千に一つも彼女に知られることもなく、人しれずしきりに恋い焦がれるばかり、息も絶え絶えに」という歌である。

3273  二つなき恋をしすれば常の帯を三重結ぶべく我が身はなりぬ
      (二無 戀乎思為者 常帶乎 三重可結 我身者成)
 「二つなき」は「二度とない」という意味。「恋をしすれば」のしは強意の「し」。「常の帯を」は「普段は一重に結ぶ帯を」という意味。「二度とない恋に苦しめられて、普段は一重に結ぶ帯も三重にも結べる身になってしまいました」という歌である。
 以上長反歌二首。

3274番長歌
  為むすべの たづきを知らに 岩が根の こごしき道を 岩床の 根延へる門を 朝には 出で居て嘆き 夕には 入り居て偲ひ 白栲の 我が衣手を 折り返し ひとりし寝れば ぬばたまの 黒髪敷きて 人の寝る 味寐は寝ずて 大船の ゆくらゆくらに 思ひつつ 我が寝る夜らを 数みもあへむかも
 (為須部乃 田付(口+リ)不知 石根乃 興凝敷道乎 石床笶 根延門(口+リ) 朝庭 出居而嘆 夕庭 入居而思 白桍乃 吾衣袖(口+リ) 折反 獨之寐者 野干玉 黒髪布而 人寐 味眠不睡而 大舟乃 徃良行羅二 思乍 吾睡夜等呼 讀文将敢鴨)

 「たづき」は「とっかかり」ないし「手段」。「こごしき」は「ごつごつ」。「白栲(しろたへ)の」は袖の美称。「ぬばたまの」はおなじみの枕詞。「味寐(うまね)は寝ずて」は「幸せな就寝も出来なくて」すなわち「共寝も出来ずに」という意味である。「数(よ)みもあへむかも」は「数え切れない」。
 「為すすべのとっかかりも分からず、岩でごつごつした道を、どっしりした岩床のような門口なのに、朝には門を出て嘆き、夕方には門に入って思い嘆く。白栲の着物の袖を折り返しひとり床につく。折り返した袖に黒髪を敷いて人様のように共寝をすることもなく、ゆらゆら揺れる大船のようにああでもないこうでもないと思いつつ我が寝る夜は数え切れない」という歌である。

3275  ひとり寝る夜を数へむと思へども恋の繁きに心どもなし
      (一眠 夜t跡 雖思 戀茂二 情利文梨)
 「心どもなし」は「利き心もない」で「気がしない」という意味である。「独り寝の夜を数えようと思うけれど、恋心の激しさにその気にならない」という歌である。
 以上長反歌二首。

3276番長歌
  百足らず 山田の道を 波雲の 愛し妻と 語らはず 別れし来れば 早川の 行きも知らず 衣手の 帰りも知らず 馬じもの 立ちてつまづき 為むすべの たづきを知らに もののふの 八十の心を 天地に 思ひ足らはし 魂合はば 君来ますやと 我が嘆く 八尺の嘆き 玉桙の 道来る人の 立ち留まり いかにと問はば 答へ遣る たづきを知らに さ丹つらふ 君が名言はば 色に出でて 人知りぬべみ あしひきの 山より出づる 月待つと 人には言ひて 君待つ我れを
 (百不足 山田道乎 浪雲乃 愛妻跡 不語 別之来者 速川之 徃<文>不知 衣袂笶 反裳不知 馬自物 立而爪衝 為須部乃 田付乎白粉 物部乃 八十乃心(口+リ) 天地二 念足橋 玉相者 君来益八跡 吾嗟 八尺之嗟 玉<桙>乃 道来人乃 立留 何常問者 答遣 田付乎不知 散釣相 君名日者 色出 人<可>知 足日木能 山従出 月待跡 人者云而 君待吾乎)

 「百足らず」は枕詞。「百に足りないから八十(やそ)や五(い)にかかる」とされているが、やや疑問。「波雲の」は本歌一例のみ。枕詞説もあるが「波雲のように美しい妻」と形容句と取る説もある。が、ここは単純に「波雲ただよう山田の道を」でよかろう。「馬じもの」は「馬のように」という意味。「もののふの」は枕詞。「たづき」は前々歌参照。「玉桙の」と「あしひきの」は枕詞。
 「波雲ただよう山田の道を、いとしい妻とろくに話もせず、別れてやってきた。早瀬のように行く手も分からず、翻る袖のように引き返そうにも道が分からず、馬のように立ちすくんでつまづき、なすすべも知らない(以上男性の心情)。様々な思い(心)を天地に漂わせ、二人の魂が逢えば、あの人はやって来るかと私は深い深い八尺(やさか)の嘆きに入ってしまった。道をやって来る人が立ち止まって、どうかされたの、と問われたら頬を赤く染め、どうしていいか分からず、さりとてあの人の名を言えば顔に出て人に知れてしまう。なので、月の出を待ってるの、とその人には答えてあなたを待ちます(後半部女性の心情)」という歌である。

3277  寐も寝ずに我が思ふ君はいづくへに今夜誰れとか待てど来まさぬ
      (眠不睡 吾思君者 何處邊 今夜誰与可 雖待不来)
 特に読解を要さない平明歌。「寝るに寝られずに思い続けているあの人はどこへいかれたのだろう。今夜誰かと逢っているのかしら。待てども待てどもいらっしゃらない」という歌である。
 以上長反歌二首。

3278番長歌
  赤駒を 馬屋に立て 黒駒を 馬屋に立てて そを飼ひ 我が行くがごと 思ひ妻 心に乗りて 高山の 嶺のたをりに 射目立てて しし待つがごと 床敷きて 我が待つ君を 犬な吠えそね
 (赤駒 厩立 黒駒 厩立而 彼乎飼 吾徃如 思妻 心乗而 高山 峯之手折丹 射目立 十六待如 床敷而 吾待君 犬莫吠行年)

 直前の長反歌と同様、今回も男性と女性の心情が詠われている。「赤駒」や「黒駒」は馬のこと。「嶺のたをりに」は「峰のくぼんだ所、すなわち鞍部」。「射目(いめ)立てて」は隠れて獲物を狙うための道具か?。「しし待つがごと」は原文に「十六待如」とあり、九九の四四である。当時からすでに九九算は行われていたらしい。鹿や猪などの獲物。「犬な吠えそね」は禁止形「な~」の形。
 「赤駒と黒駒を馬小屋で飼い、それに乗って行くかのようにいとしい妻が心に乗りかかってくる(以上男性の心情)。高山の嶺の鞍部に射目をたてかけて獲物を待ち伏せするように床を敷いてあの人を待っているのですから犬よ吠えないでおくれ(後半部女性の心情)」という歌である。

3279  葦垣の末かき分けて君越ゆと人にな告げそ事はたな知れ
      (蘆垣之 末掻別而 君越跡 人丹勿告 事者棚知)
 「末かき分けて」は「かきわけてその上を」という意味。「事はたな知れ」は長歌の犬に向かって言った言葉。「事情を察してよく聞き分けておくれ」という意味である。「葦垣をかきわけてその上をあの人は越えていらっしゃるのですから人には気づかれないように、事情を察してよく聞き分けて(吠えないで)おくれ」という歌である。
 以上長反歌二首。
           (2016年2月7日記)
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マイナス金利

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政治経済等時事問題おしゃべり
 日銀が不可解な措置に踏み切った。マイナス金利の実施である。経済に全くうとい私だが、その私には不可解としか思われない。
 マイナス金利というのは要するに銀行が日銀に預金している金利をマイナスにするというものである。つまり、預け賃として預金額に応じた手数料という名目で0.1%の逆金利をいただくというものである。えっである。資金提供者が金利を払う?。金融に暗い私にはとうてい信じられない措置である。
 ご承知のように日銀はデフレからの脱却を目指して懸命になっている。が、マイナス金利を実施したのでは全くの逆作用に働くと思われるのである。
 早い話、銀行が日銀に預けておくと、預金が目減りしていく。これではたまったものではなく、全額おろして手持ちしておいた方がいい理屈である。
 ここから先が重要である。銀行の手持資金は政府や企業に貸し付けて金利を得ようと懸命になる。ところが思うように貸出先が見つからない場合はどうなるのだろう。貸出先が見つからないと、銀行も従業員の給料その他莫大な経費がかかっているから急激に資金も目減りしていく。
 さて、銀行の資金は何かというと私たち預金者のものである。上記の事情が続くとやがて預金に色をつけなければならなくなる。つまり逆に金利をマイナスにしなければならなくなる。手数料その他名目は何でもいいが、預金者から穴埋め(マイナス金利)してもらわなくてはならなくなる。
 ここまで来れば預金者すなわち私たちは銀行に預けておくだけで預金額が減少する。つまり運用どころか損をしてしまう事態になる。これがいかに異常なことか説明するまでもあるまい。つまりデフレの強力な推進力として働く。日銀は預金者がマイナス金利におちいる可能性はほとんどないと言うが、保証はない。
 頭書に「日銀が不可解な措置に踏み切った」と記したが、今回の措置がいかに不可解なものか本能的に私には思われてならない。金融経済に携わっている関係者によくよく考えていただきたいと思うのである。
              (2016年2月8日)
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西洋ヒイラギ

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 本日、路傍で西洋ヒイラギと思われる樹木に出合った。元来私は植物より鳥が好きで、若い頃はバード・ウオッチングにちょこちょこ出かけてはそれに興じていた。ところが近年私は遠方に出かけて珍鳥を探したり、あるいは木陰や浜辺で野鳥の現れるのを待つのが億劫になってきた。シャッターチャンスを忍耐強く待ち続ける気力が薄れてきたのかも知れない。
 代わって花々や果実の美しさに息を呑むようになった。とりわけ初めてみる樹木や草花に魅せられる。今回の西洋ヒイラギがその一つである。
 高木にもかかわらず、小さな赤い実を、あちこちに固まってつける姿は殺風景な冬場を鮮やかに彩ってくれる貴重な存在だ。
   今年また季節めぐり来生きている我れありがたき西洋ヒイラギ
   寒風の吹きすさぶ中つぶつぶの紅き実つけし西洋ヒイラギ
   戦慄に西洋ヒイラギ風受けて天に抗せり春遠からじ
   立春を過ぎて装いし紅き実のドレス美し西洋ヒイラギ
 私は車を降りてわざわざヒイラギに近づき、見事な装いに見とれた。殺風景な中に全身紅い粒々の実をまとって立つ気品あふれる一人前の女性。そんな強烈なインパクトを感じ、帰宅してきてから上記のような短歌群が生まれ出てきた。
 見知らぬ樹木の実に接すると、こうした新鮮な気持ちに浸ることが出来る。この世に神はいるともいないとも私には判然としない。が、今年も地球は太陽の周囲を公転し、確実な歩みで春を迎えようとしている。生きとし生ける私たちの多くが太陽の恵みを受けて輝く春を。それを神と呼んで悪い道理はない。その力を如実に知らしめてくれるもの、それが今回の西洋ヒイラギとの出会いであった。
              (2016年2月10日)
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万葉集読解・・・202(3280~3288番歌)

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     万葉集読解・・・202(3280~3288番歌)
3280番長歌
  我が背子は 待てど来まさず 天の原 振り放け見れば ぬばたまの 夜も更けにけり さ夜更けて あらしの吹けば 立ち待てる 我が衣手に 降る雪は 凍りわたりぬ 今さらに 君来まさめや さな葛 後も逢はむと 慰むる 心を持ちて ま袖もち 床うち掃ひ うつつには 君には逢はず 夢にだに 逢ふと見えこそ 天の足り夜を
 (妾背兒者 雖待来不益 天原 振左氣見者 黒玉之 夜毛深去来 左夜深而 荒風乃吹者 立待留 吾袖尓 零雪者 凍渡奴 今更 公来座哉 左奈葛 後毛相得 名草武類 心乎持而 二袖持 床打拂 卯管庭 君尓波不相 夢谷 相跡所見社 天之足夜乎)

 「ぬばたまの」はおなじみの枕詞。「さな葛(かづら)」ははっきりしないが、枕詞的に使われているものの枕詞(?)。次歌の異伝歌は本歌と同じと考えると「さな葛」は全万葉集歌中7例ある。うち5例はつる草として使われている。2例は本歌の「さな葛 後も逢はむと」と3288番長歌の「さな葛 いや遠長く」。私はつる草の縁語と解している。「つるのように長く伸びて後には逢えるだろうと」と解しておきたい。「うつつには」は「現実には」という意味である。「天の足り夜を」は「満ち足りた夜にするために」。
 「あの人は待っても待っても来てくださらない。大空を振り仰ぐと夜も更けてきた。次第に更けて嵐も吹いてきた。外に出て立って待っている私の着物の袖に降る雪も凍てついてきた。今となってはもうあの人は来て下さらないだろう。さな葛のつるのように長く伸びて後には逢えるだろうと自分の心を落ち着かせ、両袖をもって床を打ち払った。でも、現実にはあの方には逢えないでしょう。せめて夢の中に出てきて逢って下さい。満ち足りた夜にするために」という歌である。

 「或本にいう」として次のような異伝歌を掲載している。
3281番長歌
  我が背子は 待てど来まさず 雁が音も 響みて寒し ぬばたまの 夜も更けにけり さ夜更くと あらしの吹けば 立ち待つに 我が衣手に 置く霜も 氷にさえわたり 降る雪も 凍りわたりぬ 今さらに 君来まさめや さな葛 後も逢はむと 大船の 思ひ頼めど うつつには 君には逢はず 夢にだに 逢ふと見えこそ 天の足り夜に
 (吾背子者 待跡不来 鴈音文 動而寒 烏玉乃 宵文深去来 左夜深跡 阿下乃吹者 立待尓 吾衣袖尓 置霜文 氷丹左叡渡 落雪母 凍渡奴 今更 君来目八 左奈葛 後文将會常 大舟乃 思憑迹 現庭 君者不相 夢谷 相所見欲 天之足夜尓)

 前歌と大きな差異はなく、同趣旨の歌。「響(とよ)みて寒し」は「響いてきて寒い」という意味。
 「あの人は待っても待っても来てくださらない。雁の鳴き声が響いてきて寒い。夜も更けてきた。次第に更けて嵐も吹いてきた。外に出て立って待っている私の着物の袖に置く霜も氷つき、降る雪も凍てついてきた。今となってはもうあの人は来て下さらないだろう。さな葛のつるのように長く伸びて後には逢えるだろうと大船に乗った気持で自分の心を落ち着かせた。現実にはあの方には逢えないでしょう。せめて夢の中に出てきて逢って下さい。満ち足りた夜にするために」という歌である。

3282  衣手にあらしの吹きて寒き夜を君来まさずはひとりかも寝む
      (衣袖丹 山下吹而 寒夜乎 君不来者 獨鴨寐)
 読解を要さない平明歌だろう。「着物の袖に嵐が吹きすさぶこの寒い夜。あの人がいらっしゃらなくてこの夜を独りっきりで寝ることになるのかしら」という歌である。

3283  今さらに恋ふとも君に逢はめやも寝る夜をおちず夢に見えこそ
      (今更 戀友君<二> 相目八毛 眠夜乎不落 夢所見欲)
 「おちず」は「欠かさず」という意味。「今さら、恋い焦がれたところであの人に逢えるだろうか。せめて毎夜毎夜欠かさず夢に現れてほしい」という歌である。
 以上、長反歌四首。

3284番長歌
  菅の根の ねもころごろに 我が思へる 妹によりては 言の忌みも なくありこそと 斎瓮を 斎ひ掘り据ゑ 竹玉を 間なく貫き垂れ 天地の 神をぞ我が祷む いたもすべなみ
 (菅根之 根毛一伏三向凝呂尓 吾念有 妹尓緑而者 言之禁毛 無在乞常 齊戸乎 石相穿居 竹珠乎 無間貫垂 天地之 神祇乎曽吾祈 甚毛為便無見)

 「菅(すが)の根の」は多くが「ねもころ」にかかる枕詞。「ねもころごろに」は「ねんごろに」ということ。「妹によりては」は「妹に関して」という意味。「言の忌(い)みも」は原文に「言之禁毛」とあるとおり「言葉に出してはいけないこと」すなわち「よからぬ噂」ないし「汚い言葉」という意味。「斎瓮(いはひべ)」は「神事に使う器」。「斎(いは)ひ掘り据ゑ」は「慎んで堀り据える」ということ。竹玉(たかたま)は竹を短く切って管にし、紐で通したもの。「神をぞ我が祷(の)む」は「神に祈る」という意味である。
 「ねんごろに慕っている彼女に関してよからぬ噂がたったりすることのないよう、斎瓮に供え物を入れて、慎んで掘って据え付け、竹玉をびっしり貫き通し、頭を垂れて神々に祈る。どうしようもなく、ただ祈るのみ」という歌である。
 本歌には注がついていて、『「妹によりては」とあるが「君によりては」とすべきである。なぜなら反歌に「君がまにまに」とあるからである』としている。

3285  たらちねの母にも言はずつつめりし心はよしゑ君がまにまに
      (足千根乃 母尓毛不謂 裹有之 心者縦 公之随意)
 「たらちねの」はおなじみの枕詞。「よしゑ」は「ええいもう」という間投詞。「母さんにも言わず、包み隠してきたこの心。ええいもうこの心はあなたの意のままです」という歌である。
 前歌の注によると、本歌は女性歌ゆえ長歌も女性歌ではないかと編纂者は疑問を発している。長反歌で作者が異なる場合がこれまでにあり、気に懸けることはない。

 「或本の歌にいう」として次歌を掲載。 
3286番長歌
  玉たすき 懸けぬ時なく 我が思へる 君によりては しつ幣を 手に取り持ちて 竹玉を 繁に貫き垂れ 天地の 神をぞ我が祷む いたもすべなみ
 (玉手<次> 不懸時無 吾念有 君尓依者 倭文幣乎 手取持而 竹珠(口+リ) 之自二貫垂 天地之 神(口+リ)曽吾乞 痛毛須部奈見)

 「玉たすき」は枕詞。「君によりては」は「あなたに関して」という意味である。「しつ幣(ぬさ)を」(原文:倭文幣乎)のしつ(倭文)は日本古来の織物。幣は神に祈るときに捧げる供え物。「竹玉(たかたま)」は前々歌参照。「繁(しじ)に貫き垂れ」は「びっしりと貫き垂らし」という意味である。「神をぞ我が祷(の)む」は「神に祈る」。「をぞ」は強意。
 「たすきを掛けるようにあなたのことが気に懸からぬ時はなく、我が慕うあなたに関して、しつ(倭文)織りの布を両手に捧げ持ち、竹玉(たかたま)をびっしり貫いて天地の神々に我が思いが届くようお祈りします。どうしようもなくて」という歌である。

3287  天地の神を祈りて我が恋ふる君いかならず逢はずあらめやも
      (乾坤乃 神乎祷而 吾戀 公以必 不相在目八)
 「君い」のいは強意の「い」。「天地の神々に我が思いをお祈りしたのですもの。恋しいあなた様が必ずや逢って下さらないということがありましょうか」という歌である。

 さらに、「或本の歌にいう」として次歌を掲載。 
3288番長歌
  大船の 思ひ頼みて さな葛 いや遠長く 我が思へる 君によりては 言の故も なくありこそと 木綿たすき 肩に取り懸け 斎瓮を 斎ひ掘り据ゑ 天地の 神にぞ我が祷む いたもすべなみ
 (大船之 思憑而 木<妨>己 弥遠長 我念有 君尓依而者 言之故毛 無有欲得 木綿手次 肩荷取懸 忌戸乎 齊穿居 玄黄之 神祇二衣吾祈 甚毛為便無見)

 「さな葛(かづら)いや遠長く」はつるの縁語として「さな葛のつるのようにずっと思い続ける」という意味である。「木綿(ゆふ)たすき」は「コウゾの皮を裂いたような木綿のタスキ」で神事に使われる。「斎瓮(いはひべ)」は「神事に使う器」。「斎(いは)ひ掘り据ゑ」は「慎んで堀り据える」ということ。
 「大船に乗った思いで、さな葛のつるのようにずっと恋続けるあの方に関しては妙な噂の立つことがないよう、あってほしいと、木綿たすきを肩に取り掛け、斎瓮に供え物を入れて、慎んで掘って据え付け、頭を垂れて神々に祈る。どうしようもなく、ただ祈るのみ」という歌である。
 以上、長反歌五首。
           (2016年2月11日記)
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チョコの効用

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 人の心というのは弱いものである。孤独に対してである。孤独に耐えきれる心を持っていない。少なくともこの私は滅法弱い。しかも年輪を重ねれば重ねるほど周囲から人がいなくなり、孤独感はますます激しくなる。表面的には「なに、孤独には慣れっこになっているさ」と強がりをいってみても救われない。そう発言すればするほどますます強く孤独にさいなまれる。
 さて、あさってはバレンタインデーである。バレンタイン商法に乗せられていると思うと悔しいが、さりとてたとえ義理チョコでもいただくと、「この私にもくれる女性がいるのか」と淡いながらうれしい気持になる。
 私の場合、毎年チョコレートをプレゼントしてくれる女性がいる。対外的には相棒と呼んでいる娘のような女性である。本命チョコだか義理チョコだか判然としない。が、プレゼントしてくれたという、その行為がうれしいのである。彼女は短歌だの古代史だのとは無縁の世界の住人である。しかし、この、よたよたのご老体をいつも変わらず慕っていてくれる。ありがたいとしか言いようがない。
 ただ基本的に私は孤独である。人は生まれながら孤独であり、孤独の内に生を終える。なので孤独自体は避けられない。が、その孤独感をわずかなりとも和らげてくれる存在、それが相棒である。なので私は相棒によって生かされているようなもんである。私はいただいたチョコのおかげでたとえいっときにしろ孤独を忘れることができる。
   人はみな孤独抱えて生きているわずかに和らぐ箱の結び目
   チョコ包むリボンを前に手を合わす誰か相棒に感謝せざるや
   おずおずと差し出されたる箱にリボンバレンタインの来たるを知れり
 毎年のことながらもう15年も続いているわが風物詩である。
            (2016年2月12日)
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万葉集読解・・・203(3289~3298番歌)

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     万葉集読解・・・203(3289~3298番歌)
3289番長歌
  み佩かしを 剣の池の 蓮葉に 溜まれる水の ゆくへなみ 我がする時に 逢ふべしと 逢ひたる君を な寐ねそと 母聞こせども 我が心 清隅の池の 池の底 我れは忘れじ 直に逢ふまでに
 (御佩乎 劔池之 蓮葉尓 渟有水之 徃方無 我為時尓 應相登 相有君乎 莫寐等 母寸巨勢友 吾情 清隅之池之 池底 吾者不忘 正相左右二)

 「み佩(は)かしを」は佩刀という言葉があるとおり「身に帯びること」。が、本歌の場合は「剣の池」にかかる枕詞として使われている。ただし本歌一例しか例が無く、枕詞(?)とせざるを得ない。剣の池は『日本書紀』応神天皇11年の記事に出てくる池。奈良県橿原市石川にある池。「ゆくえなみ」は「~ないので」の「み」。「な寐ねそ」は「な~そ」の禁止形。「清隅(きよすみ)の池」は所在不詳だけれど、不意にこの池が出てくる必然性が感じられない。「清く澄んだ剣の池」の言い換えのように思われる。
 本歌は「逢ひたる君を」を「直接逢った君を」というふうに各書は解している。が、そう解すると「な寐ねそと」がおかしいし、結句の「直に逢ふまでに」が意味をなさない。私は「逢ひたる君を」は仮定法で「これから逢う君を」でなければつじつまが合わないのでそう解する。
 「み佩かしの剣といいますが、その剣の池に浮かぶ蓮の葉に溜まった水のように行方が分からないとき、連絡があって逢おうとおっしゃった。そんなあなたのことを母に告げたら母は、そんな不意に連絡してきた男と逢っても共寝などしてはいけませんよとおっしゃった。けれども、せっかく連絡下さったのですもの。清く澄んだ剣の池の池の底のように私は信じたい(忘れない)。直接あの方にお逢いするまでは」という歌である。

3290  いにしへの神の時より逢ひけらし今の心も常忘らえず
      (古之 神乃時従 會計良思 今心文 常不所忘)
 「逢ひけらし」は「逢っていたらしい」という意味である。「大昔の神代の時からお逢いしてたんですね。今の今も常に忘れていません」という歌である。
 以上長反歌二首。

3291番長歌
  み吉野の 真木立つ山に 青く生ふる 山菅の根の ねもころに 我が思ふ君は 大君の 任けのまにまに [或本云 大君の 命かしこみ] 鄙離る 国治めにと [或本云 天離る 鄙治めにと] 群鳥の 朝立ち去なば 後れたる 我れか恋ひむな 旅ならば 君か偲はむ 言はむすべ 為むすべ知らに [或書有 あしひきの 山の木末に 句也] 延ふ蔦の 行きの [或本無歸之句也] 別れのあまた 惜しきものかも
 (三芳野之 真木立山尓 青生 山菅之根乃 慇懃 吾念君者 天皇之 遣之万々 [或本云 王 命恐] 夷離 國治尓登 [或本云 天踈 夷治尓等] 群鳥之 朝立行者 後有 我可将戀奈 客有者 君可将思 言牟為便 将為須便不知 [或書有 足日木 山之木末尓 句也] 延津田乃 歸之 [或本無歸之句也] 別之數 惜物可聞)

 「み吉野の~山菅の根の」までは「ねもころに」を導く序歌。「鄙離(ひなざか)る」は「都を遠く離れた田舎の」、「任(ま)けのまにまに」は「赴任せよとの、み言葉のままに」という意味である。「後れたる」は「後に残された」という意味。
 「み吉野の立派な木々が立つ山に青々と生える山菅(やますが)の根のように、ねんごろに私がお慕いしているわが君は、大君(天皇)の赴任せよとの、み言葉のままに(或本には、大君のご命令を慎んでお受けし、とある)遠く離れた国を治めんと(或本には、遠く離れた田舎の地を治めんと、とある)、群鳥のように朝出発してしまった。後に残された私はどんなに恋い焦がれることだろう。旅にあるあなたも私を偲んでくれるだろうか。言いようもなく、なすすべも知りません(或書には、あしひきの山の梢に、とある)。這う蔦(つた)が行き(或本には行きの句なし)別れるようでひどく惜しくてなりません」という歌である。

3292  うつせみの命を長くありこそと留まれる我れは斎ひて待たむ
      (打蝉之 命乎長 有社等 留吾者 五十羽旱将待)
 「うつせみの」は「この世の」、「斎(いは)ひて」は「お祈りして」という意味である。
 「この世の命が(あなたがお帰りになるまで)長くあって欲しいと、後に残された私はひたすらお祈りしてお待ちします」という歌である。
 以上長反歌二首。

3293番長歌
  み吉野の 御金が岳に 間なくぞ 雨は降るといふ 時じくぞ 雪は降るといふ その雨の 間なきがごと その雪の 時じきがごと 間もおちず 我れはぞ恋ふる 妹が正香に
 (三吉野之 御金高尓 間無序 雨者落云 不時曽 雪者落云 其雨 無間如 彼雪 不時如 間不落 吾者曽戀 妹之正香尓)

 「御金が岳」は、奈良県吉野郡吉野町の南端部に金峰神社がある。延喜式に登載されている、いわゆる式内社である。その東の青根ケ峰のことと思われる。「時じくぞ」は「時なしに」という意味。結句の「妹が正香に」は「彼女の麗姿に」である。
 「み吉野の御金(みかね)が岳に絶え間なく雨はふるという、 時なしに雪は降るという。その雨の絶え間ないように、その雪の時なしのように、間断なく私は恋続けるだろう彼女の麗姿に」という歌である。

3294  み雪降る吉野の岳に居る雲の外に見し子に恋ひわたるかも
      (三雪落 吉野之高二 居雲之 外丹見子尓 戀度可聞)
 「外(よそ)に見し子に」は「よそながら見たあの子に」という意味。「み雪降る吉野の岳にかかっている雲のように、よそながら見たあの子に恋い焦がれ続けている」という歌である。
 以上長反歌二首。

3295番長歌
  うちひさつ 三宅の原ゆ 直土に 足踏み貫き 夏草を 腰になづみ いかなるや 人の子ゆゑぞ 通はすも我子 うべなうべな 母は知らじ うべなうべな 父は知らじ 蜷の腸 か黒き髪に 真木綿もち あざさ結ひ垂れ 大和の 黄楊の小櫛を 押へ刺す うらぐはし子 それぞ我が妻
 (打久津 三宅乃原従 常土 足迹貫 夏草乎 腰尓魚積 如何有哉 人子故曽 通簀文吾子 諾々名 母者不知 諾々名 父者不知 蜷腸 香黒髪丹 真木綿持 阿邪左結垂 日本之 黄楊乃小櫛乎 抑刺 刺細子 彼曽吾孋)

 「うちひさつ」に出合ったとき、「うちひさす」の誤りではないかと思った。「うちひさす」は12例に及んでいて、すべて「みや」にかかる典型的な枕詞。が「うちひさつ」は本歌のほかにもう一例あって3505番歌に「うちひさつ宮能瀬川の~」とある。しかも両歌とも音の「みや」にかかっている。枕詞。「三宅」は奈良県磯城郡三宅町のこととされる。「人の子ゆゑぞ」は「どこの娘に逢いに」という意味。「うちひさつ~通はすも我子」まで親の問いかけ。「蜷の腸(みなのわた)」は枕詞。全部で5例ある。「あざさ結ひ垂れ」のアザサはリンドウ科の多年生水草。髪飾りに使った。「黄楊(つげ)の小櫛」は常緑小高木の黄楊を材料にした櫛。櫛のほか印材、将棋の駒などに用いられる。「うらぐはし」は3234番長歌に出てきたばかりだが、「心麗しい」という意味。
 「三宅の原から裸足で直に地面を踏んで踏み貫き、夏草の間を難儀しながらやってくるのは、どこの娘に逢おうと思って通ってくるのかいお前。ごもっともごもっとも、母さんは知らないだろうし、ごもっともごもっとも、父さんも知らないでしょうが、黒髪に、木綿の紐でアザサを結んで垂らし、大和の黄楊の小櫛を刺して押さえた、霊妙な子、それが私の妻なのです」という歌である。
 本歌は掛け合い歌で、かつ、口調がいいので、民間歌謡として詠われたのでしょうか。

3296  父母に知らせぬ子ゆゑ三宅道の夏野の草をなづみ来るかも
      (父母尓 不令知子故 三宅道乃 夏野草乎 菜積来鴨)
 読解を要さない平明歌。「父母に知らせてない子なので、三宅の道の夏野の草の中を難儀してやって来るのです」という歌である。
 以上長反歌二首。

3297番長歌
  玉たすき 懸けぬ時なく 我が思ふ 妹にし逢はねば あかねさす 昼はしみらに ぬばたまの 夜はすがらに 寐も寝ずに 妹に恋ふるに 生けるすべなし
 (玉田次 不懸時無 吾念 妹西不會波 赤根刺 日者之弥良尓 烏玉之 夜者酢辛二 眠不睡尓 妹戀丹 生流為便無)

 「玉たすき」、「あかねさす」、「ぬばたまの」は共に枕詞。「あかねさす昼はしみらにぬばたまの夜はすがらに」は3270番長歌にそっくりそのまま使われている。終日終夜という意味である。
 「玉たすきを掛けるではないが、気に懸け続けている彼女に逢えないので、終日終夜寝るに寝られず、彼女を恋い焦がれているので生きた心地がしない」という歌である。

3298  よしゑやし死なむよ我妹生けりともかくのみこそ我が恋ひわたりなめ
      (縦恵八師 二々火四吾妹 生友 各鑿社吾 戀度七目)
 「よしゑやし」は「ええい、ままよ」という感嘆詞。「恋ひわたりなめ」は「恋い焦がれ続けるだけだろうから」という意味である。「ええい、もう。死んでしまうよ。私の彼女よ。生きていてもこんなふうに私は恋い焦がれ続けるだけだろうから」という歌である。
 以上長反歌二首。
           (2016年2月13日記)
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新学問のすすめ

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 大方ご承知のように、私は現在万葉集の読解を進めている。岩波書店の「万葉集」(日本古典文学大系)(「岩波大系本」)を中核として4書の業績に依拠しながら進めている。その目的は万葉集の読者を十倍以上に拡大せんがためである。ご承知のように、万葉集は奈良時代末期(1200年余も前)に成立した最古の歌集で、数多くの人々の歌が登載されている。1200年余も前の時代の人々の心情がうかがわれるのは稀有な事であり、世界的に見ても稀有なことに相違ない。いわば日本文化の原点である。その原点を一人でも多くの方に接していただきたいと思って読解に励んでいる次第である。その読解も3300番歌に達しようとしており、一度くらいはその作業事情を一文に収めても許されるかなと思って筆をとった。
 万葉集の愛読者が一向に拡大する気配が見えない理由、それは意外にも「岩波大系本」を始めとする専門家に起因しているようなのである。ある歌を開くと、接頭語だの「~の未然形」だの「~の語幹」だのといった注釈が多く、かつ、「~頁参照」だの「~番歌参照」なる指示が多い。これでは歌の鑑賞どころではない。私は嫌気がさして本を閉じてしまったのは一度や二度ではない。
 そこで読解を始めた次第だが、私自身がすべての注釈に振り回さざるを得なくなり、ある時は注釈の意味を理解するのに、何日も要した。そこで私の読解も滞り、作業が難渋することになった。後輩にはこんな思いはさせたくないと思い、原則としてある歌はそれ独立として読めるように煩雑ではあるが努めてきた。一例だけあげると「ぬばたまの」は枕詞だが、何回でてきても、そのたびに「おなじみの枕詞」と記した。可能な限り「~を参照」を避けるようにした。愛好者の拡大もさることながら、学問は後続の人々に負担を強いることがないようにしなければならない、と思っている。
            (2016年2月14日)
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誰のための学問

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 前回のエッセイに「新学問のすすめ」という、いささか不適切なタイトルをつけた。不適切なという以上に不明瞭なタイトルというべきか。が、私の言わんとするところは私の古くからの読者なら大方推察がついたことと思う。
 そう、「万葉集」と題して私たち一般向けの書物の形を取っていながら、その実、研究用ないし研究者用の書物になっているのではないか、というのが私の疑問だった。接頭語だの接尾語だの「~の連体形」だの「~の語幹」だの、ク語法だのといった、いわば言語学、古文法に基づいた注釈がやたら多く、まさに研究者向けの書物になっている。加えて、「~頁参照」だの「~番歌注5参照」だのといった指示注が多い。以上のような状態では歌の鑑賞どころではない。それどころか研究者向けとしても煩雑な注釈群。
 こうした現状を見て、学問は一体誰のためにやっているのだという疑問を呈したくなった。医学も天文学もその他どんな学問も最終的には私たち一般人のためにやっているのではないのかという疑問だった。古文法学者や言語学者向けの、いわば仲間用語を使っての学問では後に続く人を戸惑わせるばかりではないのかという疑問だった。
 万葉集にひきつけて言えば、肝心の歌意が届くようにした上で、その読解や解釈のよしあしを世に問うべきではないのか、というのが素朴な私の疑問だった。
 こうした観点から私が言いたかったのは、学問というのは一体誰の為にあるのかという問いかけだった。その方法論も含めて、あらためて学問の原初的な出発点に立ち返るべきではないか、という問いかけだった。学問は決して仲間内のものではない。これをしっかりと脳裏に刻み、再出発していただきたい。そしてこのことを称して「新学問のすすめ」と題した次第である。決して、決して象牙の塔であってはならない。私たち一般に開かれた地点に立脚しての学問であってほしいと願ったのである。
            (2016年2月16日)
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万葉集読解・・・204(3299~3304番歌)

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     万葉集読解・・・204(3299~3304番歌)
3299番長歌
  見わたしに 妹らは立たし この方に 我れは立ちて 思ふそら 安けなくに 嘆くそら 安けなくに さ丹塗りの 小舟もがも 玉巻きの 小楫もがも 漕ぎ渡りつつも 語らふ妻を
(見渡尓 妹等者立志 是方尓 吾者立而 思虚 不安國 嘆虚 不安國 左丹と之 小舟毛鴨 玉纒之 小楫毛鴨 榜渡乍毛 相語妻遠)

 本歌の「思ふそら 安けなくに 嘆くそら 安けなくに さ丹塗りの 小舟もがも 玉巻きの 小楫もがも」の部分は、1520番長歌の「彦星は 織女と ~ 思ふそら 安けなくに 嘆くそら 安けなくに ~ さ丹塗りの 小舟もがも 玉巻きの 真櫂もがも ~」とある対応部分とほぼ一致。したがって七夕にちなんだ歌と考えて差し支えあるまい。
 「妹らは」のらは親愛の表現で、複数を意味するわけではない。「小舟もがも」や「小楫もがも」の「もがも」は「~があったら」という意味である。「玉巻き」は「玉で飾り立てた」という意味。
 「岸の向こう側に彼女は立っている。こちらの岸に私は立ち、思いを馳せるに穏やかならず、嘆いてもよんどころない。丹塗りの(真っ赤な)小舟があったら、また、玉で飾り立てた小梶があったら、川を漕いで渡って妻と語り合えるのに」という歌である。
 「見わたしに」に代えて、或本の頭句は「こもりくの 泊瀬の川の をちかたに」(己母理久乃 波都世乃加波乃 乎知可多尓)となっている。」という注がついていて、彼女は泊瀬川(初瀬川)の向こうの岸に立っていることになっている。初瀬川は奈良県桜井市の北東部付近から西流し、北流し、やがて大和川と名を変える川。

3300番長歌
  おしてる 難波の崎に 引きのぼる 赤のそほ舟 そほ舟に 網取り懸け 引こづらひ ありなみすれど 言ひづらひ ありなみすれど ありなみえずぞ 言はれにし我が身
 (忍照 難波乃埼尓 引登 赤曽朋舟 曽朋舟尓 綱取繋 引豆良比 有雙雖為 日豆良賓 有雙雖為 有雙不得叙 所言西我身)

 「おしてる」は枕詞。「難波の崎」は大阪市大阪湾一帯。そほ舟は、270番歌に「旅にしてもの恋しきに山下の赤のそほ船沖を漕ぐ見ゆ」と出ている。朱塗りの赤い舟。「引こづらひ」は「あれこれ引っ張る」こと。「ありなみすれど」は「あれやこれやと」で、ここまで「言ひづらひ ありなみすれど」を導く序歌。
 「難波の崎に引っ張って上らせようと朱塗りのそほ舟。そのそほ舟に綱を掛けてあれこれ引っ張ってあれやこれやとやってみるように、言いつくろい、あれやこれやと言い訳をしてみたが、とうとう噂になってしまった」という歌である。

3301番長歌
  神風の 伊勢の海の 朝なぎに 来寄る深海松 夕なぎに 来寄る俣海松 深海松の 深めし我れを 俣海松の また行き帰り 妻と言はじとかも 思ほせる君
 (神風之 伊勢乃海之 朝奈伎尓 来依深海松 暮奈藝尓 来因俣海松 深海松乃 深目師吾乎 俣海松乃 復去反 都麻等不言登可聞 思保世流君)

 「神風(かむかぜ)の」は枕詞。深海松(ふかみる)は海底深くに生える海藻の一種。俣海松(またみる)は深海松の枝分かれしたもの。ここまでは後半の比喩。「妻と言はじとかも」は「妻とは呼ばないと」という意味である。
 「神風吹く伊勢の海の朝なぎどきに寄ってくる深海松、夕なぎどきに寄ってくる俣海松、そんな海松のように、深く恋い焦がれ、離れてもまた舞い戻ってきた私だのに、妻とは呼ばないと思っておいでなのですか、あなたは」という歌である。

3302番長歌
  紀の国の 牟婁の江の辺に 千年に 障ることなく 万代に 斯くしもあらむと 大船の 思ひ頼みて 出立の 清き渚に 朝なぎに 来寄る深海松 夕なぎに 来寄る縄海苔 深海松の 深めし子らを 縄海苔の 引けば絶ゆとや 里人の 行きの集ひに 泣く子なす 行き取り探り 梓弓 弓腹振り起し しのぎ羽を 二つ手挟み 放ちけむ 人し悔しも 恋ふらく思へば
 (紀伊國之 室之江邊尓 千年尓 障事無 万世尓 如是将在登 大舟之 思恃而 出立之 清瀲尓 朝名寸二 来依深海松 夕難岐尓 来依縄法 深海松之 深目思子等遠 縄法之 引者絶登夜 散度人之 行之屯尓 鳴兒成 行取左具利 梓弓 弓腹振起 志乃岐羽矣 二手狭 離兼 人斯悔 戀思者)

 「紀の国の牟婁(むろ)の江」は和歌山県田辺市田辺湾。「障(さは)ることなく」は「差し支えることなく」という意味である。「出立(いでたち)の」は出発の意か。大船にこと寄せて、渚に立ってさあ出発ということのようだ。深海松(ふかみる)は前歌参照。縄海苔(なはのり)は縄のように細長い海苔。「子ら」のらは例によって親愛の「ら」。「梓弓((あづさゆみ)」は枕詞ないし弓の縁語を導く。「しのぎ羽」は矢の根元の羽根。「二つ手挟み」は各書とも「二つ挟んで」の意に解している。が、二本の矢を挟んで構えるなどあり得ない。手挟みのことで、手の指でしのぎ羽を挟むことに相違ない。
 「紀の国の牟婁(むろ)の江のあたりに千年にもわたって何の差し支えもなく、未来永劫にこうあらんと大船のような思いで(安心して)、出で立とうと清らかな渚に立っていたら、朝なぎどきに寄ってくる深海松(ふかみる)、夕なぎどきに寄ってくる縄海苔(なはのり)。その深海松のように深く恋い焦がれていた子なのに、細い縄海苔を引けば切れるだろうと、ある里人の男が集まりに行った際に、泣く子がものを手探りするように、梓弓を取って矢をつがえ、矢の根元のしのぎ羽を手挟んで放った。その行為が悔しい。安心して私は恋心を寄せていただけに」という歌である。

3303番長歌
  里人の 我れに告ぐらく 汝が恋ふる うつくし夫は 黄葉の 散り乱ひたる 神なびの この山辺から [或本云 その山辺] ぬばたまの 黒馬に乗りて 川の瀬を 七瀬渡りて うらぶれて 夫は逢ひきと 人ぞ告げつる
 (里人之 吾丹告樂 汝戀 愛妻者 黄葉之 散乱有 神名火之 此山邊柄 [或本云 彼山邊] 烏玉之 黒馬尓乗而 河瀬乎 七湍渡而 裏觸而 妻者會登 人曽告鶴)

 「うつくし夫(つま)は」(原文:愛妻者)は「いとしい人は」である。「神なびの」は「神のいらっしゃる」という意味である。「ぬばたまの」はおなじみの枕詞。「うらぶれて」は「悄然と」という意味だが、本歌の場合は「疲れ果てて」だろう。
 「里人が私に告げて言うには、あなたが恋うる愛しい人は、黄葉が散り乱れる、神のいらっしゃる山辺から(或本にいう、その山辺)」真っ黒な黒馬に乗って、(曲がりくねった)川の瀬を幾度も渡り、疲れ果ててあなたに逢いにきましたよと、その人は私にいいました」という歌である。
 「神がいる場所から」とか「人づてに告げられた」とか「黄葉が散り乱れる中を」とか「黒馬に乗って」とか、この歌は挽歌の匂いがする。

3304  聞かずして黙もあらましを何しかも君が正香を人の告げつる
      (不聞而 黙然有益乎 何如文 <公>之正香乎 人之告鶴)
 「黙(もだ)もあらましを」は「黙っていてほしい」という意味。
 正香(ただか)は「その人の消息、様子」。「聞かせないで黙っていてほしかった。どうしてあの人の消息や様子を里人は知らせたのかしら」という歌である。
 以上長反歌二首。
           (2016年2月18日記)
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金魚のスエちゃん

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 ここ三ヶ月以上に渡って心配でたまらないことがある。金魚の話である。えっ、金魚だって!と言わないでいただきたい。
 現在、水槽には3匹の金魚がいる。私はこの三匹を三姉妹になぞらえてかわいがっている。一番大きい長女がアカネちゃん、次女がマナカちゃん、三女がスエちゃんである。この三匹はもう5年以上も我が家で暮らし続けている。アカネちゃんは泰然自若、地震があってもエサの時も滅多にあわてない。ゆったりと泳ぎ、ゆったりとエサに近づいてくる。マナカちゃんは中間の動きをする一番金魚らしいといえば金魚らしい金魚だ。スエちゃんは一番からだが小さいが、ちょこまかして一番元気活発に泳ぎまわる。長年それとなく観察していると、小さな金魚たちにもそれぞれ個性が感じられる。
 三ヶ月以上心配でたまらないのは一番からだが小さいスエちゃんである。朝方は今までどおり活発に泳ぎ回っているが、昼過ぎころからぷかあっと水面に浮かんで動かなくなる。お腹を上に向けて・・・。「死にかけてるな」と感じた私は金魚すくいの網を用意していつでも除去出来るように心構えを整えた。
 ところが、夕方になると、元に戻って泳ぎ出すのである。一日経ち、二日経ち、三日経った。スエちゃんの様子に変化はない。いつ死ぬか、いつ死ぬかと思っていたら一週間が経ち、二週間が経過した。「苦しくても頑張っているのだろうか」と思うと、急に心配になってきた。どうしてやったらいいのだろう。金魚屋でもない私にどうしてやったらいいのか見当もつかない。見守る以外にない。が、何も出来なくて見守るというのは本当に苦しい。こういう状態がもう三ヶ月以上続いている。スエちゃんは私が眼科に入院中も生き延びてきた。小さな小さな命、死のうと生き延びようとどうってことないようだが、同じ空間に暮らすという意味では私と同じ。小さな命であるだけに余計心配なのである。
            (2016年2月19日)
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