巻13~16メニュー へ そ の 201 へ 万葉集読解・・・200(3258~3269番歌)
3258番長歌
あらたまの 年は来ゆきて 玉梓の 使の来ねば 霞立つ 長き春日を 天地に 思ひ足らはし たらちねの 母が飼ふ蚕の 繭隠り 息づきわたり 我が恋ふる 心のうちを 人に言ふ ものにしあらねば 松が根の 待つこと遠み 天伝ふ 日の暮れぬれば 白栲の 我が衣手も 通りて濡れぬ
(荒玉之 年者来去而 玉梓之 使之不来者 霞立 長春日乎 天地丹 思足椅 帶乳根笶 母之養蚕之 眉隠 氣衝渡 吾戀 心中<少> 人丹言 物西不有者 松根 松事遠 天傳 日之闇者 白木綿之 吾衣袖裳 通手沾沼)
「あらたまの」や「たらちねの」は枕詞。「玉梓(たまづさ)の使」は「たまづさの枝にはさんだ恋人の手紙をもった使い」のことである。「天地に 思ひ足らはし」(天地にわが思いを満たして」とは荘重な表現である。「天伝(あまづた)ふ」は枕詞。「白栲(しろたへ)の」は袖の美称。
「新しい年がやってきて、古い年は去ってゆく。あの方の使いもやってこない。長い春の日に天地にわが思いを満たして、母が飼う蚕が繭に隠るように、ため息ばかりつきつづけている。わが恋い焦がれる心の内を人に告げるものではなく、松の根のようにひとり待つしかありません。やがて日が暮れてきてわが袖も春の小雨に濡れました」という歌である。
3259 かくのみし相思はずあらば天雲の外にぞ君はあるべくありける
(如是耳師 相不思有者 天雲之 外衣君者 可有々来)
「かくのみし」のしは強調の「し」、「こんな風に」という意味である。「天雲の外にぞ」は「天雲の彼方のように」である。「こんなにも思って下さらないのなら、あなたは天雲の彼方の人のように無縁の人であればよかったのに」という歌である。
以上長反歌二首
3260番長歌
小治田の 年魚道の水を 間なくぞ 人は汲むといふ 時じくぞ 人は飲むといふ 汲む人の 間なきがごと 飲む人の 時じきがごと 我妹子に 我が恋ふらくは やむ時もなし
(小<治>田之 年魚道之水乎 問無曽 人者は云 時自久曽 人者飲云 は人之 無間之如 飲人之 不時之如 吾妹子尓 吾戀良久波 已時毛無)
小治田(をはりだ)は奈良県高市郡明日香の地。年魚道(あゆぢ)は常に水を生活用水としていた様子から明日香内の地名ないし場所か?。「時じく」は「時を定めず」すなわち「好きな時に」という意味。
「小治田の年魚道の水を絶え間なく人は汲むという。また好きなときに立ち寄って飲むという。汲む人が絶え間ないように、飲む人がひっきりなしのように私の彼女への恋は止むときがありません」という歌である。
3261 思ひ遣るすべのたづきも今はなし君に逢はずて年の経ぬれば
(思遣 為便乃田付毛 今者無 於君不相而 <年>之歴去者)
「思ひ遣(や)る」は「思いを晴らす」という意味。「すべのたづきも」は「手段のとっかかり」。「思いを晴らす手段のとっかかりも今はない。あの方に逢わないまま年が過ぎてゆく」という歌である。
本歌には編集者の注が付いていて、『今考えるに、この反歌にいう「君に逢はず」とあるのは長歌の表現に反している。「妹に逢はず」というべきではないのか』とある。
或本には反歌は次のような歌となっている。
3262 瑞垣の久しき時ゆ恋すれば我が帯緩ふ朝宵ごとに
(楉垣 久時従 戀為者 吾帶緩 朝夕毎)
瑞垣(みづがき)は神社の境界(垣)で、常緑樹で作られている。「緩(ゆる)ふ」は「ゆるくなる」という意味。「瑞垣内に囲まれた神社のようにずっと以前から恋い焦がれているので、身が痩せ細るばかり。朝夕ごとに帯がゆるくなっていく」という歌である。
以上長反歌三首。
3263番長歌
こもりくの 泊瀬の川の 上つ瀬に 斎杭を打ち 下つ瀬に 真杭を打ち 斎杭には 鏡を懸け 真杭には 真玉を懸け 真玉なす 我が思ふ妹も 鏡なす 我が思ふ妹も ありといはばこそ 国にも 家にも行かめ 誰がゆゑか行かむ
(己母理久乃 泊瀬之河之 上瀬尓 伊杭乎打 下湍尓 真杭乎挌 伊杭尓波 鏡乎懸 真杭尓波 真玉乎懸 真珠奈須 我念妹毛 鏡成 我念妹毛 有跡謂者社 國尓毛 家尓毛由可米 誰故可将行)
「こもりくの」は枕詞。「泊瀬(はつせ)川(現在初瀬川)」は奈良県桜井市の北東部付近から西流し、北流し、やがて大和川と名を変える川。斎杭(いくひ)は神聖な杭、真杭はりっぱな杭。真は美称の真。
「泊瀬川の上流の瀬には神聖な杭を打ち、下流の瀬には立派な杭を打ち、上瀬に打った杭には鏡を掛け、下瀬の杭には真玉を掛ける。その玉のように美しい彼女も、鏡のように輝く彼女もいるというのなら国にも家にも帰りましよう。が、相手のいない私はいったい誰のために帰ろうか」という歌である。
3264 年渡るまでにも人はありといふをいつの間にぞも我が恋ひにける
(年渡 麻弖尓毛人者 有云乎 何時之間曽母 吾戀尓来)
「年渡る」は「一年に渡って」、「ありといふを」は「そのままでいられるというを」という意味である。「一年に渡っても人はそのままでいられるというのに、この私はいつの間にか恋いに落ち、苦しんでいる」という歌である。
3265 世の中を憂しと思ひて家出せし我れや何にか還りてならむ
(世間乎 倦迹思而 家出為 吾哉難二加 還而将成)
平明歌。「世の中をうっとうしいと思って家出したこの自分、今さら戻って何になろうというのか」という歌である。
以上長反歌三首。
3266番長歌
春されば 花咲ををり 秋づけば 丹のほにもみつ 味酒を 神奈備山の 帯にせる 明日香の川の 早き瀬に 生ふる玉藻の うち靡き 心は寄りて 朝露の 消なば消ぬべく 恋ひしくも しるくも逢へる 隠り妻かも
(春去者 花咲乎呼里 秋付者 丹之穂尓黄色 味酒乎 神名火山之 帶丹為留 明日香之河乃 速瀬尓 生玉藻之 打靡 情者因而 朝露之 消者可消 戀久毛 知久毛相 隠都麻鴨)
「花咲ををり」は「枝もたわわに花咲き乱れ」という意味である。「丹のほにもみつ」は原文「丹之穂尓黄色」。「枝の先端が色づき、黄色に染まる」すなわち「鮮やかに黄葉する」という意味である。「味酒(うまさけ)を」は枕詞。神奈備山(かむなびやま)は「神が降臨する山」。明日香川を帯にしている山というのであるから、ここでは三輪山のこと。「しるくも逢へる」は「その甲斐があって逢えた」という意味である。
「春がやってくると枝もたわわに花が咲き乱れ、秋になると鮮やかに黄葉する神奈備山。その神奈備山が帯にしている明日香川の早瀬に生える玉藻(水草)が揺れて靡くように、心が靡いて朝露のように消え入らんばかりになりながら恋した甲斐があって、やっと逢えたよ。私の隠し妻に」という歌である。
3267 明日香川瀬々の玉藻のうち靡き心は妹に寄りにけるかも
(明日香河 瀬湍之珠藻之 打靡 情者妹尓 <因>来鴨)
前長歌を読んだ人なら平明歌。「明日香川の瀬々に生える玉藻がうち靡くように、わが心は彼女にすっかり靡いてしまった」という歌である。
以上長反歌二首。
3268番長歌
三諸の 神奈備山ゆ との曇り 雨は降り来ぬ 天霧らひ 風さへ吹きぬ 大口の 真神の原ゆ 思ひつつ 帰りにし人 家に至りきや
(三諸之 神奈備山従 登能陰 雨者落来奴 雨霧相 風左倍吹奴 大口乃 真神之原従 思管 還尓之人 家尓到伎也)
三諸(みもろ)の山は奈良県桜井市の三輪山、巻向山、初瀬山と連なる三山のことと解している。ここでは「神奈備山(かむなびやま)ゆ」とあるから三輪山のこと。「との曇り」は「一面の曇り」。「大口(おほくち)の」は枕詞ないし地名。真神の原は奈良県明日香村、飛鳥寺南方一帯の地だという。「思ひつつ」は何を思いつつか分からないが、歌意からすると「私のことを思いつつ」か。
「三諸の神の山から一面にかき曇り、雨さへ降り出した。空は霧状になり風も吹き出した。真神の原から私のことを思いつつ帰っていった人は、今頃家に着いたのかしら」という歌である。
3269 帰りにし人を思ふとぬばたまのその夜は我れも寐も寝かねてき
(還尓之 人乎念等 野干玉之 彼夜者吾毛 宿毛寐金手寸)
「ぬばたまの」はおなじみの枕詞。他は読解不要だろう。「帰っていったあの人のことを思うと、その夜は寝るに寝られなかった」という歌である。
以上長反歌二首。
(2016年2月5日記)