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Channel: 古代史の道
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酔芙蓉

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 昨日、理髪に行った帰りに路傍に酔芙蓉を見かけ、思わず手持ちしていたデジカメのシャッターを押した。花にうとい私が一目でなぜ酔芙蓉の花と分かったかというと、数年前、同じく路傍で見かけたとき、調べたことがあったからである。「えっ、もう酔芙蓉?」というのが私の正直な思いだった。私の感覚では酔芙蓉は9月から10月にかけての花という思いがあったからである。事実、私の記憶に誤りがなければ、前回見かけたのは9月中旬頃だった。
 さて、酔芙蓉というのは花弁が薄く、ひらひらしていて、いかにも弱くはかなげである。実際、開花した花はその日の内にしぼんでしまう一日花のようである。
 が、酔芙蓉の魅力はそのはかなげな花姿にあるのかも知れない。
    今の花とおりすがりに気になりて足をとどめてみればはかなげ
    今宵にはもうしぼむとふ酔芙蓉進学塾の前に咲きをり
    酔芙蓉恋したるひと思いては校舎の隅で涙ぬぐいし
 私にとって、酔芙蓉の花はいくつになっても甘酸っぱく切ない花である。小林一茶は「我と来て遊べや親のない雀」という一句を残した。親をなくして辛かった遠い遠い少年時代を思い出して詠んだ句とされる。人というのは少年時代に味わった辛い思い、甘酸っぱい思いは決して記憶から消え去ることはない。帰宅後、私はしばらく少年時代のことを思い出し、つい先刻目にした酔芙蓉の花が目にちらついて落ち着かなかった。弱さとかはかなさというのは生きていくうえで決してプラスにはならない要素なのかも知れない。が、一茶の句に見られるように、反面では、いつまでも童心を保ち続ける芯の役割を担っているような気がする。いくら偉そうに振る舞おうと、高僧然と高飛車に意見がましい言を吐こうと、決して人は遠い遠い少年時代の思いを消し去ることは出来ない。
           (2014年8月29日)
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