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本欄をご愛読されている方ならご承知かと思うが、昨夜Jさんから寄せて頂いたコメントの中に「植物は人よりも歴史が長く殺し合いを避けてます。」とある一文を目にして私はハッとした。これまで植物を引き合いに出してこんな風に捕らえたことはなかったので、いわば虚を突かれた格好だった。
そういえば「殺し合い」をしないのは植物に限らない。あらゆる動物や植物は「殺し合い」などはしない。私がいう「殺し合い」というのは、人間のように同一種でありながらという意味だが、同一種内で殺し合うなど、聞いたことがない。それはそうであろう。同一種内で集団で「殺し合い」が行われれば、当該種はあっという間に絶滅してしまう。鹿も馬も牛も食物を争って相互に集団で「殺し合い」を行えばあっという間に絶滅してしまう。むろん虎やライオン等の猛獣類とて同様。否、肉食獣なので草食獣よりもっと早く、瞬時に絶滅してしまう。むろん、相互に「殺し合い」を回避するのはひとりほ乳類に限らない。鳥類もは虫類も魚類もみなそうである。否、それどころか小さな昆虫類でさえ相互に同一種内で「殺し合い」を演ずるなどあり得ない。生存競争とは異種間の争いであって、自ら絶滅を招く同一種内などで起こり得る筈がないのである。つまり、これが大自然の摂理であり、かみ世のいにしえより継続し続けている大原則なのである。
こう考えると、”ヒト”が同一種たる”ヒト”と集団で殺し合うのは異例中の異例。というより大自然の摂理に違背していること明明白日である。しかもいかに相手集団を壊滅させるべく兵器開発や軍事力増強に努めているのであるから、正気の沙汰とは思われない。
”ヒト”が同一種たる”ヒト”と集団で殺し合いを始めたのはせいぜい数万年であろう。地球年齢からすればほんの一瞬だ。大自然の摂理に反するこんな行為が長続きする筈はあるまい。核兵器の開発はひょっとすると大自然の摂理からの警告なのかもしれない。
(2014年8月27日)
本欄をご愛読されている方ならご承知かと思うが、昨夜Jさんから寄せて頂いたコメントの中に「植物は人よりも歴史が長く殺し合いを避けてます。」とある一文を目にして私はハッとした。これまで植物を引き合いに出してこんな風に捕らえたことはなかったので、いわば虚を突かれた格好だった。
そういえば「殺し合い」をしないのは植物に限らない。あらゆる動物や植物は「殺し合い」などはしない。私がいう「殺し合い」というのは、人間のように同一種でありながらという意味だが、同一種内で殺し合うなど、聞いたことがない。それはそうであろう。同一種内で集団で「殺し合い」が行われれば、当該種はあっという間に絶滅してしまう。鹿も馬も牛も食物を争って相互に集団で「殺し合い」を行えばあっという間に絶滅してしまう。むろん虎やライオン等の猛獣類とて同様。否、肉食獣なので草食獣よりもっと早く、瞬時に絶滅してしまう。むろん、相互に「殺し合い」を回避するのはひとりほ乳類に限らない。鳥類もは虫類も魚類もみなそうである。否、それどころか小さな昆虫類でさえ相互に同一種内で「殺し合い」を演ずるなどあり得ない。生存競争とは異種間の争いであって、自ら絶滅を招く同一種内などで起こり得る筈がないのである。つまり、これが大自然の摂理であり、かみ世のいにしえより継続し続けている大原則なのである。
こう考えると、”ヒト”が同一種たる”ヒト”と集団で殺し合うのは異例中の異例。というより大自然の摂理に違背していること明明白日である。しかもいかに相手集団を壊滅させるべく兵器開発や軍事力増強に努めているのであるから、正気の沙汰とは思われない。
”ヒト”が同一種たる”ヒト”と集団で殺し合いを始めたのはせいぜい数万年であろう。地球年齢からすればほんの一瞬だ。大自然の摂理に反するこんな行為が長続きする筈はあるまい。核兵器の開発はひょっとすると大自然の摂理からの警告なのかもしれない。
(2014年8月27日)
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