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そ の 162 へ
万葉集読解・・・161(2515~2538番歌)
2515 敷栲の枕動きて夜も寝ず思ふ人には後に逢ふものを
(布細布 枕動 夜不寐 思人 後相物)
「敷栲(しきたへ)の」は「床に敷いた真っ白な」という、「後に逢ふものを」は「やがて逢おうというのに」という意味である。
「寝床に置いた真っ白な枕がしきりに動くのでなかなか寝付かれない。焦らなくともやがて逢おうというのに」という歌である。
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万葉集読解・・・161(2515~2538番歌)
2515 敷栲の枕動きて夜も寝ず思ふ人には後に逢ふものを
(布細布 枕動 夜不寐 思人 後相物)
「敷栲(しきたへ)の」は「床に敷いた真っ白な」という、「後に逢ふものを」は「やがて逢おうというのに」という意味である。
「寝床に置いた真っ白な枕がしきりに動くのでなかなか寝付かれない。焦らなくともやがて逢おうというのに」という歌である。
2516 敷栲の枕は人に事問へやその枕には苔生しにたり
(敷細布 枕人 事問哉 其枕 苔生負為)
前歌に応えた女性の歌。「敷栲の枕」は前歌に詠われた「枕動きて」の枕のことを指している。「事問へや」は「言(こと)問へや」と訓ずるのが定訓だが、原文通り「事問へや」としておきたい。意訳的に解すると「動いたその枕が機は熟したとでも告げたんですか」という意味になる。
「動いたその枕が私に逢う時が来たとでも告げたんですか。ほったらかしにしたままなのでその枕も苔むしちゃったんじゃありませんか?」という歌である。
以上、二首は問答歌。
そして注記に「本歌までの149首は柿本朝臣人麻呂歌集から採録した」とある。すなわち、2368番歌~2516番歌の149首はここで終了し、同時に問答歌もここで了となる。
(敷細布 枕人 事問哉 其枕 苔生負為)
前歌に応えた女性の歌。「敷栲の枕」は前歌に詠われた「枕動きて」の枕のことを指している。「事問へや」は「言(こと)問へや」と訓ずるのが定訓だが、原文通り「事問へや」としておきたい。意訳的に解すると「動いたその枕が機は熟したとでも告げたんですか」という意味になる。
「動いたその枕が私に逢う時が来たとでも告げたんですか。ほったらかしにしたままなのでその枕も苔むしちゃったんじゃありませんか?」という歌である。
以上、二首は問答歌。
そして注記に「本歌までの149首は柿本朝臣人麻呂歌集から採録した」とある。すなわち、2368番歌~2516番歌の149首はここで終了し、同時に問答歌もここで了となる。
2517 たらちねの母に障らばいたづらに汝も我れも事なるべしや
(足千根乃 母尓障良婆 無用 伊麻思毛吾毛 事應成)
本歌から正述心緒(直接心情を述べた歌)となる。2517~2827番歌の311首。
「たらちねの」はお馴染みの枕詞。「母に障(さや)らば」は「母にはばかっていたら」という意味である。「汝(いまし)も」は「お前さんも」という意味。
「お母さんに遠慮していたづらに時を重ねても、お前さんと私の仲は実を結ぶものだろうか」という歌である。
(足千根乃 母尓障良婆 無用 伊麻思毛吾毛 事應成)
本歌から正述心緒(直接心情を述べた歌)となる。2517~2827番歌の311首。
「たらちねの」はお馴染みの枕詞。「母に障(さや)らば」は「母にはばかっていたら」という意味である。「汝(いまし)も」は「お前さんも」という意味。
「お母さんに遠慮していたづらに時を重ねても、お前さんと私の仲は実を結ぶものだろうか」という歌である。
2518 我妹子が我れを送ると白栲の袖漬つまでに泣きし思ほゆ
(吾妹子之 吾呼送跡 白細布乃 袂漬左右二 哭四所念)
「白栲(しろたへ)の袖漬(ひ)つまでに」は「真っ白な着物の袖がぐしょぬれになるまで」という意味である。「泣きし思ほゆ」の「思ほゆ」は「岩波大系本」や「伊藤本」のように「思い出される」で差し支えない。が、理屈っぽくいうと、簡単に忘れ去るような光景ではない。なので「思い浮かぶ」と解した方がより的確かと思う。
「彼女が私を見送ってくれた時、真っ白な着物の袖がぐしょぬれになるまで泣きじゃくったが、その姿が思い浮かんでならない」という歌である。
(吾妹子之 吾呼送跡 白細布乃 袂漬左右二 哭四所念)
「白栲(しろたへ)の袖漬(ひ)つまでに」は「真っ白な着物の袖がぐしょぬれになるまで」という意味である。「泣きし思ほゆ」の「思ほゆ」は「岩波大系本」や「伊藤本」のように「思い出される」で差し支えない。が、理屈っぽくいうと、簡単に忘れ去るような光景ではない。なので「思い浮かぶ」と解した方がより的確かと思う。
「彼女が私を見送ってくれた時、真っ白な着物の袖がぐしょぬれになるまで泣きじゃくったが、その姿が思い浮かんでならない」という歌である。
2519 奥山の真木の板戸を押し開きしゑや出で来ね後は何せむ
(奥山之 真木乃板戸乎 押開 思恵也出来根 後者何将為)
「奥山の真木の板戸を」は逐次的解釈をすると「山奥から切り出した立派な木で出来ている板戸を」という意味である。「しゑや」は「ええい何とかなるさ」という捨て鉢なセリフ。
「立派なその板戸を押し開いて出ていらっしゃいな、ええい、後はどうにかなるさ」という歌である。
(奥山之 真木乃板戸乎 押開 思恵也出来根 後者何将為)
「奥山の真木の板戸を」は逐次的解釈をすると「山奥から切り出した立派な木で出来ている板戸を」という意味である。「しゑや」は「ええい何とかなるさ」という捨て鉢なセリフ。
「立派なその板戸を押し開いて出ていらっしゃいな、ええい、後はどうにかなるさ」という歌である。
2520 刈り薦の一重を敷きてさ寝れども君とし寝れば寒けくもなし
(苅薦能 一重(口+リ)敷而 紗眠友 君共宿者 冷雲梨)
刈り薦(こも)は刈り取った薦のことで、筵等の材料に使われる草。結句の「寒けくもなし」は「寒いことはありません」という意味である。
「刈り取った薦を一重敷いただけで寝ても、あなたと一緒なら寒くありません」という歌である。
(苅薦能 一重(口+リ)敷而 紗眠友 君共宿者 冷雲梨)
刈り薦(こも)は刈り取った薦のことで、筵等の材料に使われる草。結句の「寒けくもなし」は「寒いことはありません」という意味である。
「刈り取った薦を一重敷いただけで寝ても、あなたと一緒なら寒くありません」という歌である。
2521 かきつはた丹つらふ君をいささめに思ひ出でつつ嘆きつるかも
(垣幡 丹頬經君(口+リ) 率尓 思出乍 嘆鶴鴨)
「いささめに」は「ふと思い出して」という意味。「かきつばたのように色づいたあなた、そのあなたをふと思い出しては嘆きつつあります」という歌である。
(垣幡 丹頬經君(口+リ) 率尓 思出乍 嘆鶴鴨)
「いささめに」は「ふと思い出して」という意味。「かきつばたのように色づいたあなた、そのあなたをふと思い出しては嘆きつつあります」という歌である。
2522 恨めしと思ふさなはにありしかば外のみぞ見し心は思へど
(恨登 思狭名盤 在之者 外耳見之 心者雖念)
「思ふさなはに」(原文「思狭名盤」)は、初句に「恨めしと」とあるので、「思う最中で」という意味である。「外(よそ)のみぞ見し」は「よそ事のことのように見て」という意味。一時的な喧嘩別れか?。
「恨めしいと思う最中だったので、よそ事のように見てたよ。心では思ってたけど」という歌である。
(恨登 思狭名盤 在之者 外耳見之 心者雖念)
「思ふさなはに」(原文「思狭名盤」)は、初句に「恨めしと」とあるので、「思う最中で」という意味である。「外(よそ)のみぞ見し」は「よそ事のことのように見て」という意味。一時的な喧嘩別れか?。
「恨めしいと思う最中だったので、よそ事のように見てたよ。心では思ってたけど」という歌である。
2523 さ丹つらふ色には出でず少なくも心のうちに我が思はなくに
(散頬相 色者不出 小文 心中 吾念名君)
「さ丹つらふ」は「赤い色」。
「顔色を赤く染めたりはしません。が、少なくとも心の内に思わないことがありましょうか」という歌である。
(散頬相 色者不出 小文 心中 吾念名君)
「さ丹つらふ」は「赤い色」。
「顔色を赤く染めたりはしません。が、少なくとも心の内に思わないことがありましょうか」という歌である。
2524 我が背子に直に逢はばこそ名は立ため言の通ひに何そそれゆゑ
(吾背子尓 直相者社 名者立米 事之通尓 何其故)
「直(ただ)には「直接」という意味。「言(こと)の通ひ」は「言葉のやりとり」。
「彼に直接逢えばこそ浮き名は立つでしょうよ。でも、ただ言葉をやりとりしただけなのに何でそこまで噂が立つのでしょう」という歌である。
(吾背子尓 直相者社 名者立米 事之通尓 何其故)
「直(ただ)には「直接」という意味。「言(こと)の通ひ」は「言葉のやりとり」。
「彼に直接逢えばこそ浮き名は立つでしょうよ。でも、ただ言葉をやりとりしただけなのに何でそこまで噂が立つのでしょう」という歌である。
2525 ねもころに片思ひすれかこのころの我が心どの生けるともなき
(懃 片<念>為歟 比者之 吾情利乃 生戸裳名寸)
「ねもころに」は「あれこれ思ってねんごろに」という意味である。
「あれこれ思って片思いに思い悩むせいでか、我が心の生けるともありません」という歌である。
(懃 片<念>為歟 比者之 吾情利乃 生戸裳名寸)
「ねもころに」は「あれこれ思ってねんごろに」という意味である。
「あれこれ思って片思いに思い悩むせいでか、我が心の生けるともありません」という歌である。
2526 待つらむに至らば妹が嬉しみと笑まむ姿を行きて早見む
(将待尓 到者妹之 懽跡 咲儀乎 徃而早見)
「待つらむに」は「待っているところに」という意味。平明歌。
「待っているところへ私が行き着いたら、彼女は喜んでほほえみかけてくれよう。その姿を早く見たい」という歌である。
(将待尓 到者妹之 懽跡 咲儀乎 徃而早見)
「待つらむに」は「待っているところに」という意味。平明歌。
「待っているところへ私が行き着いたら、彼女は喜んでほほえみかけてくれよう。その姿を早く見たい」という歌である。
2527 誰れぞこの我が宿来呼ぶたらちねの母に嘖はえ物思ふ我れを
(誰此乃 吾屋戸来喚 足千根乃 母尓所嘖 物思吾呼)
「たらちねの」はお馴染みの枕詞。「嘖(ころ)はえ」は「叱られて」という意味。
「誰だろう。この我が家に来て呼ぶのは。母に叱られ、もの思う私を」という歌である。
(誰此乃 吾屋戸来喚 足千根乃 母尓所嘖 物思吾呼)
「たらちねの」はお馴染みの枕詞。「嘖(ころ)はえ」は「叱られて」という意味。
「誰だろう。この我が家に来て呼ぶのは。母に叱られ、もの思う私を」という歌である。
2528 さ寝ぬ夜は千夜にありとも我が背子が思ひ悔ゆべき心は持たじ
(左不宿夜者 千夜毛有十万 我背子之 思可悔 心者不持)
「~ありとも」でいったん切れる。「思ひ悔ゆべき」は「後悔なさるような」という意味である。
「共に寝られない夜が千夜続くとも、あなたが思い後悔なさるような心は決して持ちません」という歌である。
(左不宿夜者 千夜毛有十万 我背子之 思可悔 心者不持)
「~ありとも」でいったん切れる。「思ひ悔ゆべき」は「後悔なさるような」という意味である。
「共に寝られない夜が千夜続くとも、あなたが思い後悔なさるような心は決して持ちません」という歌である。
2529 家人は道もしみみに通へども我が待つ妹が使来ぬかも
(家人者 路毛四美三荷 雖<徃>来 吾待妹之 使不来鴨)
「家人(いえびと)」は「家に出入りする人々」という意味である。「道もしみみに」は「道にあふれて」という意味。
「家に出入りする人々は道にあふれて往来するけれど、我が待つ彼女からの使いはやって来ない」という歌である。
(家人者 路毛四美三荷 雖<徃>来 吾待妹之 使不来鴨)
「家人(いえびと)」は「家に出入りする人々」という意味である。「道もしみみに」は「道にあふれて」という意味。
「家に出入りする人々は道にあふれて往来するけれど、我が待つ彼女からの使いはやって来ない」という歌である。
2530 あらたまの寸戸が竹垣網目ゆも妹し見えなば我れ恋ひめやも
(璞之 寸戸我竹垣 編目従毛 妹志所見者 吾戀目八方)
「あらたまの」はお馴染みの枕詞といいたいが、「あたらしき」という意味か?。「寸戸は」は「木戸」のこと?。「新しい木戸の竹垣、編み目より彼女が見えるなら、どうして彼女に恋するだろうよ」という歌である。
(璞之 寸戸我竹垣 編目従毛 妹志所見者 吾戀目八方)
「あらたまの」はお馴染みの枕詞といいたいが、「あたらしき」という意味か?。「寸戸は」は「木戸」のこと?。「新しい木戸の竹垣、編み目より彼女が見えるなら、どうして彼女に恋するだろうよ」という歌である。
2531 我が背子がその名告らじとたまきはる命は捨てつ忘れたまふな
(吾背子我 其名不謂跡 玉切 命者棄 忘賜名)
「その名告(の)らじと」は「その名を他言しないと」という意味である。「たまきはる」は枕詞。「あの人がその名を他言しないというので、私は我が命を捨てました。そのことを忘れないでね」という歌である。
(吾背子我 其名不謂跡 玉切 命者棄 忘賜名)
「その名告(の)らじと」は「その名を他言しないと」という意味である。「たまきはる」は枕詞。「あの人がその名を他言しないというので、私は我が命を捨てました。そのことを忘れないでね」という歌である。
2532 おほならば誰が見むとかもぬばたまの我が黒髪を靡けて居らむ
(凡者 誰将見鴨 黒玉乃 我玄髪乎 靡而将居)
「おほならば」は「通り一遍ならば」という、「誰が見むとかも」は「誰に見せようと」という意味である。「ぬばたまの}はお馴染みの枕詞。
「通り一遍の人なら誰に見せようとするのでしょう。私の黒髪が靡く姿を」という歌である。
(凡者 誰将見鴨 黒玉乃 我玄髪乎 靡而将居)
「おほならば」は「通り一遍ならば」という、「誰が見むとかも」は「誰に見せようと」という意味である。「ぬばたまの}はお馴染みの枕詞。
「通り一遍の人なら誰に見せようとするのでしょう。私の黒髪が靡く姿を」という歌である。
2533 面忘れいかなる人のするものぞ我れはしかねつ継ぎてし思へば
(面忘 何有人之 為物焉 言者為<金>津 継手志<念>者)
「面(おも)忘れ」は「顔を忘れる」こと。「継ぎてし思へば」は「ずっと続いて思っているので」という意味である。
「顔を忘れるなんていかなる人がするのでしょう、私は忘れられません。ずっと続いて思っているので」という歌である。
(面忘 何有人之 為物焉 言者為<金>津 継手志<念>者)
「面(おも)忘れ」は「顔を忘れる」こと。「継ぎてし思へば」は「ずっと続いて思っているので」という意味である。
「顔を忘れるなんていかなる人がするのでしょう、私は忘れられません。ずっと続いて思っているので」という歌である。
2534 相思はぬ人のゆゑにかあらたまの年の緒長く我が恋ひ居らむ
(不相思 人之故可 璞之 年緒長 言戀将居)
「あらたまの」は枕詞。「年の緒」は年柄年中。
「私のことを思ってもくれない人のために、年柄年中私は恋い焦がれていなければならないのか」という歌である。
(不相思 人之故可 璞之 年緒長 言戀将居)
「あらたまの」は枕詞。「年の緒」は年柄年中。
「私のことを思ってもくれない人のために、年柄年中私は恋い焦がれていなければならないのか」という歌である。
2535 おほろかの心は思はじ我がゆゑに人に言痛く言はれしものを
(凡乃 行者不念 言故 人尓事痛 所云物乎)
「おほろかの」は「通り一遍の」という、「言痛(こちた)く」は「こっぴどく」という意味である。
「通り一遍の心は持つものか、私のために、人にこっぴどく噂を立てられた人だもの」という歌である。
(凡乃 行者不念 言故 人尓事痛 所云物乎)
「おほろかの」は「通り一遍の」という、「言痛(こちた)く」は「こっぴどく」という意味である。
「通り一遍の心は持つものか、私のために、人にこっぴどく噂を立てられた人だもの」という歌である。
2536 息の緒に妹をし思へば年月の行くらむ別も思ほえぬかも
(氣緒尓 妹乎思念者 年月之 徃覧別毛 不所念鳧)
「息の緒に」は「命がけで」という、「別(わき)も」は「区別も」という意味である。
「命がけで彼女を思っているので、年月が過ぎてゆくのも分からないほどだ」という歌である。
(氣緒尓 妹乎思念者 年月之 徃覧別毛 不所念鳧)
「息の緒に」は「命がけで」という、「別(わき)も」は「区別も」という意味である。
「命がけで彼女を思っているので、年月が過ぎてゆくのも分からないほどだ」という歌である。
2537 たらちねの母に知らえず我が持てる心はよしゑ君がまにまに
(足千根乃 母尓不所知 吾持留 心<者>吉恵 君之随意)
「たらちねの」はお馴染みの枕詞。「よしゑ」は「ええい何とかなるさ」という気持ち。 「母に知られないように密かにずっとあなたを思っています。ええい、あなたのよしなにして頂戴」という歌である。
(足千根乃 母尓不所知 吾持留 心<者>吉恵 君之随意)
「たらちねの」はお馴染みの枕詞。「よしゑ」は「ええい何とかなるさ」という気持ち。 「母に知られないように密かにずっとあなたを思っています。ええい、あなたのよしなにして頂戴」という歌である。
2538 ひとり寝と薦朽ちめやも綾席緒になるまでに君をし待たむ
(獨寝等 ゆ朽目八方 綾席 緒尓成及 君乎之将待)
「薦(こも)朽ちめやも」は「薦が朽ちることがありましょうか」という、「綾席(あやむしろ)緒になるまでに」は「綾席がぼろぼろになるまで」という意味である。
「ひとり寝たからとて上にかぶせる薦が朽ちることがありましょうか、綾席(あやむしろ)がぼろぼろになるまであなたを待ちましょう」という歌である。
(2015年5月16日記、2018年11月13日)
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(獨寝等 ゆ朽目八方 綾席 緒尓成及 君乎之将待)
「薦(こも)朽ちめやも」は「薦が朽ちることがありましょうか」という、「綾席(あやむしろ)緒になるまでに」は「綾席がぼろぼろになるまで」という意味である。
「ひとり寝たからとて上にかぶせる薦が朽ちることがありましょうか、綾席(あやむしろ)がぼろぼろになるまであなたを待ちましょう」という歌である。
(2015年5月16日記、2018年11月13日)