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万葉集読解・・・163(2561~2584番歌)
2561 人言の繁き間守りて逢ふともやなほ我が上に言の繁けむ
(人事之 繁間守而 相十方八 反吾上尓 事之将繁)
「人言の繁き間(ま)守(も)りて」はやや分かりづらい表現。「噂の激しい間を避けて」という意味。「言(こと)」は「噂」のこと。
「噂の激しい間を避けて逢ったとしてもやはり私の上には噂が絶えない」という歌である。
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万葉集読解・・・163(2561~2584番歌)
2561 人言の繁き間守りて逢ふともやなほ我が上に言の繁けむ
(人事之 繁間守而 相十方八 反吾上尓 事之将繁)
「人言の繁き間(ま)守(も)りて」はやや分かりづらい表現。「噂の激しい間を避けて」という意味。「言(こと)」は「噂」のこと。
「噂の激しい間を避けて逢ったとしてもやはり私の上には噂が絶えない」という歌である。
2562 里人の言寄せ妻を荒垣の外にや我が見む憎くあらなくに
(里人之 言縁妻乎 荒垣之 外也吾将見 悪有名國)
「言(こと)寄せ妻を」は「噂では妻と」という、「荒垣の外にや」は「荒垣越しに外から」という意味である。
「村人の噂では私の妻となっているが、(実際には)荒垣越しに外から見ているだけなのに。噂が立って、憎からず思っているのに」という歌である。
(里人之 言縁妻乎 荒垣之 外也吾将見 悪有名國)
「言(こと)寄せ妻を」は「噂では妻と」という、「荒垣の外にや」は「荒垣越しに外から」という意味である。
「村人の噂では私の妻となっているが、(実際には)荒垣越しに外から見ているだけなのに。噂が立って、憎からず思っているのに」という歌である。
2563 人目守る君がまにまに我れさへに早く起きつつ裳の裾濡れぬ
(他眼守 君之随尓 余共尓 夙興乍 裳裾所沾)
「人目守(も)る」は「人目を憚って」という、「君がまにまに」は「あなたにつれて」という意味である。
「人目をはばかって朝早く起き出したあなたにつれて、私までが早く起き出し、裳裾を濡らしてしまいました」という歌である。
(他眼守 君之随尓 余共尓 夙興乍 裳裾所沾)
「人目守(も)る」は「人目を憚って」という、「君がまにまに」は「あなたにつれて」という意味である。
「人目をはばかって朝早く起き出したあなたにつれて、私までが早く起き出し、裳裾を濡らしてしまいました」という歌である。
2564 ぬばたまの妹が黒髪今夜もか我がなき床に靡けて寝らむ
(夜干玉之 妹之黒髪 今夜毛加 吾無床尓 靡而宿良武)
「ぬばたまの」はお馴染みの枕詞。「靡けて寝らむ」は「靡かせて寝ていることだろうか」という意味。
「彼女は黒髪を今夜もまた私のいない寝床に靡かせて寝ているだろうか」という歌である。
(夜干玉之 妹之黒髪 今夜毛加 吾無床尓 靡而宿良武)
「ぬばたまの」はお馴染みの枕詞。「靡けて寝らむ」は「靡かせて寝ていることだろうか」という意味。
「彼女は黒髪を今夜もまた私のいない寝床に靡かせて寝ているだろうか」という歌である。
2565 花ぐはし葦垣越しにただ一目相見し子ゆゑ千たび嘆きつ
(花細 葦垣越尓 直一目 相視之兒故 千遍嘆津)
「花ぐはし」は「花美しい」という意味。が、葦は水辺に生える草。その葦で出来た垣根だから「花美しい」というより「かぐわしい」という意味なのだろう。
「かぐわしい葦垣越しに一目見ただけのあの子、なのに、否それゆえ幾度も思い焦がれてならない」という歌である。
(花細 葦垣越尓 直一目 相視之兒故 千遍嘆津)
「花ぐはし」は「花美しい」という意味。が、葦は水辺に生える草。その葦で出来た垣根だから「花美しい」というより「かぐわしい」という意味なのだろう。
「かぐわしい葦垣越しに一目見ただけのあの子、なのに、否それゆえ幾度も思い焦がれてならない」という歌である。
2566 色に出でて恋ひば人見て知りぬべし心のうちの隠り妻はも
(色出而 戀者人見而 應知 情中之 隠妻波母)
「色に出でて」とは「顔に出して」という意味。「隠(かく)り妻はも」は言い得て妙である。この結句によって「密かに思いを寄せる彼女」だと分かる。
「顔に出して恋えば、人に知られてしまう。心にじっと秘めた心の妻よ」という歌である。
(色出而 戀者人見而 應知 情中之 隠妻波母)
「色に出でて」とは「顔に出して」という意味。「隠(かく)り妻はも」は言い得て妙である。この結句によって「密かに思いを寄せる彼女」だと分かる。
「顔に出して恋えば、人に知られてしまう。心にじっと秘めた心の妻よ」という歌である。
2567 相見ては恋慰むと人は言へど見て後にぞも恋まさりける
(相見而者 戀名草六跡 人者雖云 見後尓曽毛 戀益家類)
「相見ては}は「直接逢えば」という意味である。
「直接逢えば恋しさは慰められると人は言うけれど、逢って後こそいっそう恋しさが増幅される」という歌である。
(相見而者 戀名草六跡 人者雖云 見後尓曽毛 戀益家類)
「相見ては}は「直接逢えば」という意味である。
「直接逢えば恋しさは慰められると人は言うけれど、逢って後こそいっそう恋しさが増幅される」という歌である。
2568 おほろかに我れし思はばかくばかり難き御門を罷り出めやも
(凡 吾之念者 如是許 難御門乎 退出米也母)
「おほろか」は2535番歌に「おほろかの心は思はじ~」とある。「通り一遍に」ないし「いい加減に」という意味である。御門は「宮廷の御門」のことである。
「通り一遍の気持なら、こんなに厳重な御門を抜け出て来るものか」という歌である。
(凡 吾之念者 如是許 難御門乎 退出米也母)
「おほろか」は2535番歌に「おほろかの心は思はじ~」とある。「通り一遍に」ないし「いい加減に」という意味である。御門は「宮廷の御門」のことである。
「通り一遍の気持なら、こんなに厳重な御門を抜け出て来るものか」という歌である。
2569 思ふらむその人なれやぬばたまの夜ごとに君が夢にし見ゆる [或本歌曰 夜昼と言はずあが恋ひわたる]
(将念 其人有哉 烏玉之 毎夜君之 夢西所見 [或本歌<曰> 夜晝不云 吾戀渡])
「思ふらむその人なれや」は「私のことを思って下さるからでしょうか」という意味である。「ぬばたまの」はお馴染みの枕詞。
「私のことを思って下さるからでしょうか。夜ごとにあなた様が夢に現れる」という歌である。
異伝歌の結句は「夜となく昼となく恋い続けています」となっている。
(将念 其人有哉 烏玉之 毎夜君之 夢西所見 [或本歌<曰> 夜晝不云 吾戀渡])
「思ふらむその人なれや」は「私のことを思って下さるからでしょうか」という意味である。「ぬばたまの」はお馴染みの枕詞。
「私のことを思って下さるからでしょうか。夜ごとにあなた様が夢に現れる」という歌である。
異伝歌の結句は「夜となく昼となく恋い続けています」となっている。
2570 かくのみし恋ひば死ぬべみたらちねの母にも告げつやまず通はせ
(如是耳 戀者可死 足乳根之 母毛告都 不止通為)
「死ぬべみ」は「~なので」の「み」。「たらちねの」はお馴染みの枕詞。
「こんなに恋い焦がれていると死んでしまうので、母にも告げました。あなた、絶えず通って来て下さいませ」という歌である。
(如是耳 戀者可死 足乳根之 母毛告都 不止通為)
「死ぬべみ」は「~なので」の「み」。「たらちねの」はお馴染みの枕詞。
「こんなに恋い焦がれていると死んでしまうので、母にも告げました。あなた、絶えず通って来て下さいませ」という歌である。
2571 大夫は友の騒きに慰もる心もあらむ我れぞ苦しき
(大夫波 友之驂尓 名草溢 心毛将有 我衣苦寸)
「大夫(ますらを)は」は「殿方は」と訳すと良い。「慰もる」は上句と下句に共用されている。
「殿方は友と騒ぎ立てて心紛らわせられましょう。けれども女の私は心を晴らす場がなく苦しいばかりです」という歌である。
(大夫波 友之驂尓 名草溢 心毛将有 我衣苦寸)
「大夫(ますらを)は」は「殿方は」と訳すと良い。「慰もる」は上句と下句に共用されている。
「殿方は友と騒ぎ立てて心紛らわせられましょう。けれども女の私は心を晴らす場がなく苦しいばかりです」という歌である。
2572 偽りも似つきてぞするいつよりか見ぬ人恋ふに人の死せし
(偽毛 似付曽為 何時従鹿 不見人戀尓 人之死為)
「似つきてぞする」は「もっともらしくおしゃる」という意味。
「偽(いつわり)りも本当らしくおっしゃるのね。いつの世から、逢ってもいない人に恋して人は死ぬというのでしょう」という歌である。
(偽毛 似付曽為 何時従鹿 不見人戀尓 人之死為)
「似つきてぞする」は「もっともらしくおしゃる」という意味。
「偽(いつわり)りも本当らしくおっしゃるのね。いつの世から、逢ってもいない人に恋して人は死ぬというのでしょう」という歌である。
2573 心さへ奉れる君に何をかも言はず言ひしと我がぬすまはむ
(情左倍 奉有君尓 何物乎鴨 不云言此跡 吾将竊食)
「奉(まつ)れる」は「捧げている」という意味。「言はず言ひしと」は「言わないだの言ったなどと」という、「ぬすまはむ」は「ごまかしましょう」という意味である。本歌は遠く万葉の時代の男女の口げんかを見ているような、親しみが持てる歌である。
「心さえ捧げつくしているあなたに、どうして、言わないだの言ったなどとごまかしましょう」という歌である。
(情左倍 奉有君尓 何物乎鴨 不云言此跡 吾将竊食)
「奉(まつ)れる」は「捧げている」という意味。「言はず言ひしと」は「言わないだの言ったなどと」という、「ぬすまはむ」は「ごまかしましょう」という意味である。本歌は遠く万葉の時代の男女の口げんかを見ているような、親しみが持てる歌である。
「心さえ捧げつくしているあなたに、どうして、言わないだの言ったなどとごまかしましょう」という歌である。
2574 面忘れだにもえすやと手握りて打てども懲りず恋といふ奴
(面忘 太尓毛得為也登 手握而 雖打不寒 戀<云>奴)
前歌の続きのような歌である。「面忘れだにも」は「顔だけでも忘れられない」という意味である。「えすやと」は「られないか」という意味。
「顔だけでも忘れられないかと、こぶしを握り、打てども打てども忘れられない(懲りない)恋という奴」という歌である。
(面忘 太尓毛得為也登 手握而 雖打不寒 戀<云>奴)
前歌の続きのような歌である。「面忘れだにも」は「顔だけでも忘れられない」という意味である。「えすやと」は「られないか」という意味。
「顔だけでも忘れられないかと、こぶしを握り、打てども打てども忘れられない(懲りない)恋という奴」という歌である。
2575 めづらしき君を見むとこそ左手の弓取る方の眉根掻きつれ
(希将見 君乎見常衣 左手之 執弓方之 眉根掻礼)
「めづらしき」は「なかなか」という、「君を見むと」は「あなたに逢えないかと」という意味である。「眉根掻きつれ」はおまじないの所作。
「なかなかやってこないあなたに逢えないかと、左手の弓取る方の眉を掻いてみた」という歌である。
(希将見 君乎見常衣 左手之 執弓方之 眉根掻礼)
「めづらしき」は「なかなか」という、「君を見むと」は「あなたに逢えないかと」という意味である。「眉根掻きつれ」はおまじないの所作。
「なかなかやってこないあなたに逢えないかと、左手の弓取る方の眉を掻いてみた」という歌である。
2576 人間守り葦垣越しに我妹子を相見しからに言ぞさだ多き
(人間守 蘆垣越尓 吾妹子乎 相見之柄二 事曽左太多寸)
2565番歌を思い起こさせるような歌。「人間(ひとま)守り」は「人目のないのを見計らって」という、「言(こと)ぞさだ多き」は「世間の噂がうるさい」という意味である。
「人目のないのを見計らって、葦垣越しに彼女を見ただけなのに世間の噂はうるさい」という歌である。
(人間守 蘆垣越尓 吾妹子乎 相見之柄二 事曽左太多寸)
2565番歌を思い起こさせるような歌。「人間(ひとま)守り」は「人目のないのを見計らって」という、「言(こと)ぞさだ多き」は「世間の噂がうるさい」という意味である。
「人目のないのを見計らって、葦垣越しに彼女を見ただけなのに世間の噂はうるさい」という歌である。
2577 今だにも目な乏しめそ相見ずて恋ひむ年月久しけまくに
(今谷毛 目莫令乏 不相見而 将戀<年>月 久家真國)
「今だにも」は「今だけでも」という意味。「目な」は「逢う」こと。「乏(とも)しめそ」は「少なくしない」すなわち「存分に逢って下さい」という意味。「相見ずて恋ひむ」は「逢えなくて恋暮らさねば」という意味である。「久しけまくに」は「久しく続くでしょうから」という意味。
「今だけでも、存分にお逢い下さい。お逢いできずに恋いしい年月が久しく続くときもありましょうから」という歌である。
(今谷毛 目莫令乏 不相見而 将戀<年>月 久家真國)
「今だにも」は「今だけでも」という意味。「目な」は「逢う」こと。「乏(とも)しめそ」は「少なくしない」すなわち「存分に逢って下さい」という意味。「相見ずて恋ひむ」は「逢えなくて恋暮らさねば」という意味である。「久しけまくに」は「久しく続くでしょうから」という意味。
「今だけでも、存分にお逢い下さい。お逢いできずに恋いしい年月が久しく続くときもありましょうから」という歌である。
2578 朝寝髪我れは梳らじうるはしき君が手枕触れてしものを
(朝宿髪 吾者不梳 愛 君之手枕 觸義之鬼尾)
読解不要の平明歌といってよかろう。
「寝起きの朝髪、くし梳(けづ)らないでおこうかしら。うるわしいあなたが手枕して触れた髪ですもの」という歌である。
(朝宿髪 吾者不梳 愛 君之手枕 觸義之鬼尾)
読解不要の平明歌といってよかろう。
「寝起きの朝髪、くし梳(けづ)らないでおこうかしら。うるわしいあなたが手枕して触れた髪ですもの」という歌である。
2579 早行きていつしか君を相見むと思ひし心今ぞなぎぬる
(早去而 何時君乎 相見等 念之情 今曽水葱少熱)
「いつしか」は「すぐにでも」というはやる心を表現している。
「早く行ってすぐにでもあなたに逢いたいとはやる気持ちも、(こうしてお逢いできて)今は落ち着きました」という歌である。
(早去而 何時君乎 相見等 念之情 今曽水葱少熱)
「いつしか」は「すぐにでも」というはやる心を表現している。
「早く行ってすぐにでもあなたに逢いたいとはやる気持ちも、(こうしてお逢いできて)今は落ち着きました」という歌である。
2580 面形の忘るとあらばあづきなく男じものや恋ひつつ居らむ
(面形之 忘戸在者 小豆鳴 男士物屋 戀乍将居)
「あづきなく」は「味気なく」という意味だが、ここは「不甲斐なく」という意味。「男じものや」は「男たるものか」という意味。
「彼女の面影が忘れられるものなら、不甲斐なく、男子たるものがこのように恋い焦がれ続けていてよいものか」という歌である。
(面形之 忘戸在者 小豆鳴 男士物屋 戀乍将居)
「あづきなく」は「味気なく」という意味だが、ここは「不甲斐なく」という意味。「男じものや」は「男たるものか」という意味。
「彼女の面影が忘れられるものなら、不甲斐なく、男子たるものがこのように恋い焦がれ続けていてよいものか」という歌である。
2581 言に言へば耳にたやすし少なくも心のうちに我が思はなくに
(言云者 三々二田八酢四 小九毛 心中二 我念羽奈九二)
「言(こと)に言へば」は「言葉に出して言うと」という意味。「我が思はなくに」は「心の内はそうではないけれど」という意味である。
「言葉に出して言うと軽々しく聞こえるでしょう。が、少なくとも心の底では真剣に思っています」という歌である。
(言云者 三々二田八酢四 小九毛 心中二 我念羽奈九二)
「言(こと)に言へば」は「言葉に出して言うと」という意味。「我が思はなくに」は「心の内はそうではないけれど」という意味である。
「言葉に出して言うと軽々しく聞こえるでしょう。が、少なくとも心の底では真剣に思っています」という歌である。
2582 あづきなく何のたはこと今さらに童言する老人にして
(小豆奈九 何狂言 今更 小童言為流 老人二四手)
「あづきなく」は前々歌参照。「童言(わらはこと)する」は「子供じみた」という意味である。自分で自分にあきれている歌である。
「何とまあ不甲斐ないことよ。こんな訳の分からないことを言って。今更こんな子供じみたことを言うなんて、老人の身でありながら」という歌である。
(小豆奈九 何狂言 今更 小童言為流 老人二四手)
「あづきなく」は前々歌参照。「童言(わらはこと)する」は「子供じみた」という意味である。自分で自分にあきれている歌である。
「何とまあ不甲斐ないことよ。こんな訳の分からないことを言って。今更こんな子供じみたことを言うなんて、老人の身でありながら」という歌である。
2583 相見ては幾久さにもあらなくに年月のごと思ほゆるかも
(相見而 幾久毛 不有尓 如年月 所思可聞)
「幾久さにも」は「大して経っても」という意味。
「逢ってから大して経ってもいないのに、幾年月も逢わずにいるように思われる」という歌である。
(相見而 幾久毛 不有尓 如年月 所思可聞)
「幾久さにも」は「大して経っても」という意味。
「逢ってから大して経ってもいないのに、幾年月も逢わずにいるように思われる」という歌である。
2584 ますらをと思へる我れをかくばかり恋せしむるは悪しくはありけり
(大夫登 念有吾乎 如是許 令戀波 小可者在来)
「ますらをと」は「一人前の男と」という意味。「悪しくはありけり」は色々に取れるが、「いじめないでよ」と解しておこう。
「一人前の男と思っているその私をこんなにも恋に苦しめるとは。いじめないでほしい」という歌である。
(2015年5月26日記、2018年11月17日)
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(大夫登 念有吾乎 如是許 令戀波 小可者在来)
「ますらをと」は「一人前の男と」という意味。「悪しくはありけり」は色々に取れるが、「いじめないでよ」と解しておこう。
「一人前の男と思っているその私をこんなにも恋に苦しめるとは。いじめないでほしい」という歌である。
(2015年5月26日記、2018年11月17日)