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万葉集読解・・・164(2585~2605番歌)
2585 かくしつつ我が待つ験あらぬかも世の人皆の常にあらなくに
(如是為乍 吾待印 有鴨 世人皆乃 常不在國)
上句の「我が待つ験(しるし)あらぬかも」は「待っている甲斐があってほしい」という意味である。下句の「世の人皆の常にあらなくに」は「世間の人はいつも変わらないというわけではない」という意味である。この上句と下句はどうつながるのだろう。上句を受けて下句は次のように解している。
「世の人は皆、無情なもので、何時逢えなくなるかもしれないのだから」「岩波大系本」
「世の人の誰もがずっと生きられるものではないのだから」「伊藤本」
「世間の人は皆命に別条ないというわけではないのに」「中西本」
要するに三書とも、「相手が死ぬかも知れない」と解している。
が、「相手が死ぬかも知れない」では歌意がフィットしない。私はこの下句は「待つ甲斐がないかもしれない」という意味かと思う。
「こうして待っている甲斐があるのだろうか。人の気持は変わりやすいというから甲斐がないかもしれない」という歌である。
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万葉集読解・・・164(2585~2605番歌)
2585 かくしつつ我が待つ験あらぬかも世の人皆の常にあらなくに
(如是為乍 吾待印 有鴨 世人皆乃 常不在國)
上句の「我が待つ験(しるし)あらぬかも」は「待っている甲斐があってほしい」という意味である。下句の「世の人皆の常にあらなくに」は「世間の人はいつも変わらないというわけではない」という意味である。この上句と下句はどうつながるのだろう。上句を受けて下句は次のように解している。
「世の人は皆、無情なもので、何時逢えなくなるかもしれないのだから」「岩波大系本」
「世の人の誰もがずっと生きられるものではないのだから」「伊藤本」
「世間の人は皆命に別条ないというわけではないのに」「中西本」
要するに三書とも、「相手が死ぬかも知れない」と解している。
が、「相手が死ぬかも知れない」では歌意がフィットしない。私はこの下句は「待つ甲斐がないかもしれない」という意味かと思う。
「こうして待っている甲斐があるのだろうか。人の気持は変わりやすいというから甲斐がないかもしれない」という歌である。
2586 人言を繁みと君に玉梓の使も遣らず忘ると思ふな
(人事 茂君 玉梓之 使不遣 忘跡思名)
「人言(ひとこと)を繁みと」は「人の口がうるさいので」という意味。「玉梓(たまづさ)の使も」は「玉梓の枝に挟んだ手紙をもった使い」のことで、「使い」の決まり文句。
「人の口がうるさいので玉梓(たまづさ)の使も送りませんが、あなたを忘れているわけではありません」という歌である。
(人事 茂君 玉梓之 使不遣 忘跡思名)
「人言(ひとこと)を繁みと」は「人の口がうるさいので」という意味。「玉梓(たまづさ)の使も」は「玉梓の枝に挟んだ手紙をもった使い」のことで、「使い」の決まり文句。
「人の口がうるさいので玉梓(たまづさ)の使も送りませんが、あなたを忘れているわけではありません」という歌である。
2587 大原の古りにし里に妹を置きて我れ寝ねかねつ夢に見えこそ
(大原 古郷 妹置 吾稲金津 夢所見乞)
「大原」は奈良県明日香村。大原神社がある。「我れ寝(い)ねかねつ」は「眠れない」という意味。
「大原の古郷に彼女を置いてきてしまっておちおち寝られない。せめて夢に現れてほしい」という歌である。
(大原 古郷 妹置 吾稲金津 夢所見乞)
「大原」は奈良県明日香村。大原神社がある。「我れ寝(い)ねかねつ」は「眠れない」という意味。
「大原の古郷に彼女を置いてきてしまっておちおち寝られない。せめて夢に現れてほしい」という歌である。
2588 夕されば君来まさむと待ちし夜のなごりぞ今も寝ねかてにする
(夕去者 公来座跡 待夜之 名凝衣今 宿不勝為)
「夕されば」は「夕方になると」という、「寝(い)ねかてにする」は「なかなか寝つかれない」という意味である。
「夕方になると、あの方が来やしないかとお待ちしていた頃のなごりなんでしょうか、今でもなかなか寝つかれない」という歌である。
(夕去者 公来座跡 待夜之 名凝衣今 宿不勝為)
「夕されば」は「夕方になると」という、「寝(い)ねかてにする」は「なかなか寝つかれない」という意味である。
「夕方になると、あの方が来やしないかとお待ちしていた頃のなごりなんでしょうか、今でもなかなか寝つかれない」という歌である。
2589 相思はず君はあるらしぬばたまの夢にも見えずうけひて寝れど
(不相思 公者在良思 黒玉 夢不見 受旱宿跡)
「ぬばたまの」はお馴染みの枕詞。「うけひて寝れど」は「神様にお祈りして寝ても」という意味である。
「あの方は私のことを思ってくださっていないらしい。神様にお祈りして寝ても、夢にも出ていらっしゃらない」という歌である。
(不相思 公者在良思 黒玉 夢不見 受旱宿跡)
「ぬばたまの」はお馴染みの枕詞。「うけひて寝れど」は「神様にお祈りして寝ても」という意味である。
「あの方は私のことを思ってくださっていないらしい。神様にお祈りして寝ても、夢にも出ていらっしゃらない」という歌である。
2590 岩根踏み夜道は行かじと思へれど妹によりては忍びかねつも
(石根踏 夜道不行 念跡 妹依者 忍金津毛)
「岩根踏み」は「岩がごろごろした道を踏んで」という意味。「妹によりては」は「彼女のことを思うと」という、「忍びかねつも」は「我慢できずに」という意味である。
「岩がごろどろした道を踏んで夜道は行くまいと思うけれど、彼女のことを思うと我慢できずに出かけてしまうよ」という歌である。
(石根踏 夜道不行 念跡 妹依者 忍金津毛)
「岩根踏み」は「岩がごろごろした道を踏んで」という意味。「妹によりては」は「彼女のことを思うと」という、「忍びかねつも」は「我慢できずに」という意味である。
「岩がごろどろした道を踏んで夜道は行くまいと思うけれど、彼女のことを思うと我慢できずに出かけてしまうよ」という歌である。
2591 人言の繁き間守ると逢はずあらばつひにや子らが面忘れなむ
(人事 茂間守跡 不相在 終八子等 面忘南)
「人言の繁き間守ると」は2561番歌に「人言の繁き間守りて~」と使われていたばかり。「噂の激しい間を避けて」という意味。「子ら」のは親愛の「ら」。
「噂の激しい間を避けて逢わずにいると、ついにはあの子の顔を忘れてしまいそう」という歌である。
(人事 茂間守跡 不相在 終八子等 面忘南)
「人言の繁き間守ると」は2561番歌に「人言の繁き間守りて~」と使われていたばかり。「噂の激しい間を避けて」という意味。「子ら」のは親愛の「ら」。
「噂の激しい間を避けて逢わずにいると、ついにはあの子の顔を忘れてしまいそう」という歌である。
2592 恋死なむ後は何せむ我が命生ける日にこそ見まく欲りすれ
(戀死 後何為 吾命 生日社 見幕欲為礼)
「何せむ」は「何の意味があろう」という意味である。
「恋い焦がれて死んだ後では何の意味があろう。生きている今日という日こそ逢いたいのに」という歌である。
(戀死 後何為 吾命 生日社 見幕欲為礼)
「何せむ」は「何の意味があろう」という意味である。
「恋い焦がれて死んだ後では何の意味があろう。生きている今日という日こそ逢いたいのに」という歌である。
2593 敷栲の枕響みて寝ねらえず物思ふ今夜早も明けぬかも
(敷細 枕動而 宿不所寝 物念此夕 急明鴨)
「敷栲(しきたへ)の枕響(とよ)みて」は2515番歌にそのまま使われている。「寝床に置いた真っ白な枕がしきりに動くので」という意味。
「寝床に置いた真っ白な枕がしきりに動くので、なかなか寝られない。物思うこんな夜は早く明けてくれないかなあ」という歌である。
(敷細 枕動而 宿不所寝 物念此夕 急明鴨)
「敷栲(しきたへ)の枕響(とよ)みて」は2515番歌にそのまま使われている。「寝床に置いた真っ白な枕がしきりに動くので」という意味。
「寝床に置いた真っ白な枕がしきりに動くので、なかなか寝られない。物思うこんな夜は早く明けてくれないかなあ」という歌である。
2594 行かぬ我れを来むとか夜も門閉さずあはれ我妹子待ちつつあるらむ
(不徃吾 来跡可夜 門不閇 (忄+可)怜吾妹子 待筒在)
「行かぬ我れを」は文字通り約すと「訪れない私を」となる。が、やや意訳して「行こうにも行けない」と解したい。「門閉(さ)さず」は「門を閉めないで」という意味である。
「行こうにも行けない私を、今か今かと夜も門を閉めないでいるのだろうか。ああ、彼女は待っているに相違ないのに行けない」という歌である。
(不徃吾 来跡可夜 門不閇 (忄+可)怜吾妹子 待筒在)
「行かぬ我れを」は文字通り約すと「訪れない私を」となる。が、やや意訳して「行こうにも行けない」と解したい。「門閉(さ)さず」は「門を閉めないで」という意味である。
「行こうにも行けない私を、今か今かと夜も門を閉めないでいるのだろうか。ああ、彼女は待っているに相違ないのに行けない」という歌である。
2595 夢にだに何かも見えぬ見ゆれども我れかも惑ふ恋の繁きに
(夢谷 何鴨不所見 雖所見 吾鴨迷 戀茂尓)
「何かも見えぬ」(原文:何鴨不所見)は原文に「不」の字が入っているので、はっきり「見えない」と言っている。ここに言う「見えない」は「逢えない」という意味。続く「見ゆれども」は「見えない」のではなく「否」の気持が入っている。
「夢にさえ彼女に逢えない。否、夢では逢っているのだけれど、私自身が激しく恋に惑っているので逢えないのだろう」という歌である。
(夢谷 何鴨不所見 雖所見 吾鴨迷 戀茂尓)
「何かも見えぬ」(原文:何鴨不所見)は原文に「不」の字が入っているので、はっきり「見えない」と言っている。ここに言う「見えない」は「逢えない」という意味。続く「見ゆれども」は「見えない」のではなく「否」の気持が入っている。
「夢にさえ彼女に逢えない。否、夢では逢っているのだけれど、私自身が激しく恋に惑っているので逢えないのだろう」という歌である。
2596 慰もる心はなしにかくのみし恋ひやわたらむ月に日にけに [或本歌曰 沖つ波しきてのみやも恋ひわたりなむ]
(名草漏 心莫二 如是耳 戀也度 月日殊 [或本歌曰 奥津浪 敷而耳八方 戀度奈牟])
「慰もる」は「気が休まる」という、「恋ひやわたらむ」は「恋続けなければならないのか」という意味である。「月に日にけに」は「月ごと日ごとにいっそうますます」という意味。異伝歌中の「しきて」は「しきりに」という意味である。
「気が休まる時とてなく、こんなにも恋続けなければならないのか、月ごと日ごとにいっそうますます」という歌である。
異伝歌は「気が休まる時とてなく、沖の波がしきりに押し寄せて来るように、恋続けなければならないのか」という歌である。
(名草漏 心莫二 如是耳 戀也度 月日殊 [或本歌曰 奥津浪 敷而耳八方 戀度奈牟])
「慰もる」は「気が休まる」という、「恋ひやわたらむ」は「恋続けなければならないのか」という意味である。「月に日にけに」は「月ごと日ごとにいっそうますます」という意味。異伝歌中の「しきて」は「しきりに」という意味である。
「気が休まる時とてなく、こんなにも恋続けなければならないのか、月ごと日ごとにいっそうますます」という歌である。
異伝歌は「気が休まる時とてなく、沖の波がしきりに押し寄せて来るように、恋続けなければならないのか」という歌である。
2597 いかにして忘れむものぞ我妹子に恋はまされど忘らえなくに
(何為而 忘物 吾妹子丹 戀益跡 所忘莫苦二)
「忘れむものぞ」は「忘れられるだろう」ということ。
「どうしたら忘れられるだろう。あの子への恋心はつのる一方で、とうてい忘れられない」という歌である。
(何為而 忘物 吾妹子丹 戀益跡 所忘莫苦二)
「忘れむものぞ」は「忘れられるだろう」ということ。
「どうしたら忘れられるだろう。あの子への恋心はつのる一方で、とうてい忘れられない」という歌である。
2598 遠くあれど君にぞ恋ふる玉桙の里人皆に我れ恋ひめやも
(遠有跡 公衣戀流 玉桙乃 里人皆尓 吾戀八方)
「玉桙(たまほこ)の」はお馴染みの枕詞。「里人皆に」は「どの里人にも」という意味。
「遠く離れていますが、私はあなたに恋い焦がれています。玉桙のどの里人にも恋い焦がれるなどありましょうか」という歌である。
(遠有跡 公衣戀流 玉桙乃 里人皆尓 吾戀八方)
「玉桙(たまほこ)の」はお馴染みの枕詞。「里人皆に」は「どの里人にも」という意味。
「遠く離れていますが、私はあなたに恋い焦がれています。玉桙のどの里人にも恋い焦がれるなどありましょうか」という歌である。
2599 験なき恋をもするか夕されば人の手まきて寝らむ子ゆゑに
(驗無 戀毛為鹿 暮去者 人之手枕而 将寐兒故)
「験(しるし)なき」は「甲斐のない」という意味。「恋をもするか」は「恋をするものよ」という自嘲の言葉、「人の手まきて寝らむ」は「違う男の手を枕にして寝るような」という、「子ゆゑに」は「子だというのに」という意味である。
「なんと自分は甲斐のない恋をするものよ。夕方になると、違う男の手を枕にして寝るような子だというのに」という歌である。
(驗無 戀毛為鹿 暮去者 人之手枕而 将寐兒故)
「験(しるし)なき」は「甲斐のない」という意味。「恋をもするか」は「恋をするものよ」という自嘲の言葉、「人の手まきて寝らむ」は「違う男の手を枕にして寝るような」という、「子ゆゑに」は「子だというのに」という意味である。
「なんと自分は甲斐のない恋をするものよ。夕方になると、違う男の手を枕にして寝るような子だというのに」という歌である。
2600 百代しも千代しも生きてあらめやも我が思ふ妹を置きて嘆かむ
(百世下 千代下生 有目八方 吾念妹乎 置嘆)
「百代(ももよ)しも千代(ちよ)しも」は「人は百世も千世も」という意味。「し」は強意の「し」。「置きて」は「彼女のほかに」という意味である。
「人は百世も千世も生きられようか。我が思うあの子のほかにいないというのに、こんなに嘆いてばかりいて」という歌である。
(百世下 千代下生 有目八方 吾念妹乎 置嘆)
「百代(ももよ)しも千代(ちよ)しも」は「人は百世も千世も」という意味。「し」は強意の「し」。「置きて」は「彼女のほかに」という意味である。
「人は百世も千世も生きられようか。我が思うあの子のほかにいないというのに、こんなに嘆いてばかりいて」という歌である。
2601 うつつにも夢にも我れは思はずき古りたる君にここに逢はむとは
(現毛 夢毛吾者 不思寸 振有公尓 此間将會十羽)
「うつつにも」は「この世では」という意味。「思はずき」は例がない。「思はざりき」と訓ずべきだろう。「古(ふ)りたる」は「昔なじみの」という意味
「この世ではもとより夢の中でも出逢うとは思いませんでしたわ。昔なじみのあなたと」という歌である。
(現毛 夢毛吾者 不思寸 振有公尓 此間将會十羽)
「うつつにも」は「この世では」という意味。「思はずき」は例がない。「思はざりき」と訓ずべきだろう。「古(ふ)りたる」は「昔なじみの」という意味
「この世ではもとより夢の中でも出逢うとは思いませんでしたわ。昔なじみのあなたと」という歌である。
2602 黒髪の白髪までと結びてし心ひとつを今解かめやも
(黒髪 白髪左右跡 結大王 心一乎 今解目八方)
「黒髪の白髪まで」は「黒髪が白髪になるまで」という意味である。「今解かめやも」は「今になって解くことがありましょうか」という意味。
「黒髪が白髪になるまでとしっかり結び、ひとつに決めた心。今になって解くことがありましょうか」という歌である。
(黒髪 白髪左右跡 結大王 心一乎 今解目八方)
「黒髪の白髪まで」は「黒髪が白髪になるまで」という意味である。「今解かめやも」は「今になって解くことがありましょうか」という意味。
「黒髪が白髪になるまでとしっかり結び、ひとつに決めた心。今になって解くことがありましょうか」という歌である。
2603 心をし君に奉ると思へればよしこのころは恋ひつつをあらむ
(心乎之 君尓奉跡 念有者 縦比来者 戀乍乎将有)
「心をし」は強意の「し」。「よしこのころは」は「いましばらくは」という意味。
「この心まであなたに差し上げたのですもの。たとえお逢い出来なくとも、いましばらくは恋い焦がれているだけです」という歌である。
(心乎之 君尓奉跡 念有者 縦比来者 戀乍乎将有)
「心をし」は強意の「し」。「よしこのころは」は「いましばらくは」という意味。
「この心まであなたに差し上げたのですもの。たとえお逢い出来なくとも、いましばらくは恋い焦がれているだけです」という歌である。
2604 思ひ出でて音には泣くともいちしろく人の知るべく嘆かすなゆめ
(念出而 哭者雖泣 灼然 人之可知 嘆為勿謹)
「思ひ出でて」は「私を」が省略されている。「音(ね)には泣くとも」は「しのび泣いても」という、「いちしろく」は「はっきりと」という意味である。「なゆめ」の「な」は禁止の「な」。
「私を思い出してしのび泣いても、はっきりと人に分かるほどお嘆きにならないで決して」という歌である。
(念出而 哭者雖泣 灼然 人之可知 嘆為勿謹)
「思ひ出でて」は「私を」が省略されている。「音(ね)には泣くとも」は「しのび泣いても」という、「いちしろく」は「はっきりと」という意味である。「なゆめ」の「な」は禁止の「な」。
「私を思い出してしのび泣いても、はっきりと人に分かるほどお嘆きにならないで決して」という歌である。
2605 玉桙の道行きぶりに思はぬに妹を相見て恋ふるころかも
(玉桙之 道去夫利尓 不思 妹乎相見而 戀比鴨)
「玉桙(たまほこ)の」は枕詞。「道行きぶりに」は「道を往来する際に」という意味。
「道を往来する際にはからずも彼女に出逢い、恋い焦がれるようになったこのごろです」という歌である。
(2015年6月2日記、2018年11月19日)
(玉桙之 道去夫利尓 不思 妹乎相見而 戀比鴨)
「玉桙(たまほこ)の」は枕詞。「道行きぶりに」は「道を往来する際に」という意味。
「道を往来する際にはからずも彼女に出逢い、恋い焦がれるようになったこのごろです」という歌である。
(2015年6月2日記、2018年11月19日)
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