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万葉集読解・・・179(2901~2922番歌)

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     万葉集読解・・・179(2901~2922番歌)
2901  あかねさす日の暮れゆけばすべをなみ千たび嘆きて恋ひつつぞ居る
      (赤根指 日之暮去者 為便乎無三 千遍嘆而 戀乍曽居)
 「あかねさす」は「日」にかかる枕詞とされている。が、万葉集を代表する歌のひとつ額田王(ぬかたのおほきみ)の歌(20番歌)「あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る」のように「紫野」にかかる例があるので、同項で私は次のように記している。
 「あかね色に輝く太陽の」という形容詞と解して一向に差し支えないと思う。」
 この考えを変える必要は認められない。
 「あかね色に輝く太陽が暮れてくるとどうしようもなく、幾度も幾度も嘆いて恋い焦がれています」という歌である。

2902  我が恋は夜昼わかず百重なす心し思へばいたもすべなし
      (吾戀者 夜晝不別 百重成 情之念者 甚為便無)
 「百重(ももへ)なす」は「波のように次々と押し寄せる心の状態」を言っている。「いたもすべなし」は「どうしようもありません」という意味である。
 「私のあなたを思う恋心は夜といわず昼といわず押し寄せてきてどうしようもありません」という歌である。

2903  いとのきて薄き眉根をいたづらに掻かしめつつも逢はぬ人かも
      (五十殿寸太 薄寸眉根乎 徒 令掻管 不相人可母)
 「いとのきて」は「とりわけ」という意味。「眉根(まよね)を掻く」は恋人に逢う前兆とされた。562番歌「暇なく人の眉根をいたづらに掻かしめつつも逢はぬ妹かも」等の例がある。
 「とりわけ薄いこの眉をいたずらに掻かしめながら逢おうとしない人ですこと」という歌である。

2904  恋ひ恋ひて後も逢はむと慰もる心しなくは生きてあらめやも
      (戀々而 後裳将相常 名草漏 心四無者 五十寸手有目八面)
 「心し」は強意の「し」。「生きてあらめやも」は「生きてられましょうか」という意味である。
 「こうして恋し続けていればきっと後に逢えるでしょうと思って心を慰めていなければ生きてられましょうか」という歌である。

2905  いくばくも生けらじ命を恋ひつつぞ我れは息づく人に知らえず
      (幾 不生有命乎 戀管曽 吾者氣衝 人尓不所知)
 結句の「人に知らえず」の「人」は一般の人ではなく、「あの人(恋人)」を指している。 「いくばくも生きられる命ではないのに恋い焦がれつつ恋に苦しんでいる。あの人に知られることもなく」という歌である。

2906  他国によばひに行きて大刀が緒もいまだ解かねばさ夜ぞ明けにける
      (他國尓 結婚尓行而 大刀之緒毛 未解者 左夜曽明家流)
 「他国(ひとくに)に」はむろん「遠い他国」のことである。「よばひ」は「妻どい」のこと。
 「遠い他国に妻を捜しにでかけたが、腰に差した大刀の紐も解かぬうちに夜が明けてしまった」という歌である。

2907  ますらをの聡き心も今はなし恋の奴に我れは死ぬべし
      (大夫之 聡神毛 今者無 戀之奴尓 吾者可死)
 「ますらを」は「立派な男子」のこと。「聡き心も」は「聡明な心も」という意味。
 「男子としての立派な聡明な心も今はなくしてしまった。恋の奴隷になって死ぬしかない私です」という歌である。

2908  常斯くし恋ふれば苦ししましくも心休めむ事計りせよ
      (常如是 戀者辛苦 蹔毛 心安目六 事計為与)
 「常斯くし」は強意の「し」で、「常時こんなに」という意味。「しましくも」は「暫くの間」という意味である。問題は結句の「事計りせよ」。これを「岩波大系本」は「方法を講じて下さい」、「伊藤本」は「手だてを考えてほしい」、「中西本」は「工夫をしてほしい」としている。この解に従えば、「常時こんなに恋焦がれていたら苦しい。暫くの間でも心が安まる工夫をしてほしい」という歌になる。が、誰に向かって「工夫をしてほしい」と依頼しているのだろう。
 類歌の2898番歌「ひとり居て恋ふるは苦し玉たすき懸けず忘れむ事計りもが」は「~何かよい方法でもあればいいのに」と自分に問いかける形になっている。本歌も同様だろう。
 「常時こんなに恋焦がれていたら苦しい。暫くの間でも心が安まる手だてでもあればいいのに」という歌である。

2909  おほろかに我れし思はば人妻にありといふ妹に恋ひつつあらめや
      (凡尓 吾之念者 人妻尓 有云妹尓 戀管有米也)
 「おほろかに」は「通り一遍に」という意味。「人妻にありといふ妹に」は「人妻だというあなたに」という意味である。
 「通り一遍に私が思いを寄せているに過ぎないのなら、人妻だというあなたに恋続けるものでしょうか」という歌である。

2910  心には千重に百重に思へれど人目を多み妹に逢はぬかも
      (心者 千重百重 思有杼 人目乎多見 妹尓不相可母)
 「人目を多み」は「~ので」の「み」。
 「心では幾重にも思っていますが人目が多いのでなかなか逢えません」という歌である。

2911  人目多み目こそ忍ぶれすくなくも心のうちに我が思はなくに
      (人目多見 眼社忍礼 小毛 心中尓 吾念莫國)
 「人目多み」は前歌参照。「目こそ忍ぶれ」は「直接逢うことはこらえているが」という意味。「我が思はなくに」は「我が思わないわけではない」つまり「思っているよ」という意味。
 「人目が多いので直接逢うことはこらえているが、少なくとも心の中では思っているよ」という歌である。

2912  人の見て言とがめせぬ夢に我れ今夜至らむ宿閉すなゆめ
      (人見而 事害目不為 夢尓吾 今夜将至 屋戸閇勿勤)
 「人の見て言とがめせぬ」は「人が口うるさくとがめだてしない」という意味で、夢のことを言っている。「なゆめ」は「決して~しないで」という否定形。
 「人が口うるさくとがめだてしない夢、その夢の中で私は今夜逢いに行きます。決して戸を閉ざすことのないように」という歌である。

2913  いつまでに生かむ命ぞおほかたは恋ひつつあらずは死なましものを
      (何時左右二 将生命曽 凡者 戀乍不有者 死上有)
 「おほかたは」(原文「凡者」)は「およそ」という意味。「あらずは」は「などしていないで」という意味だが、やや特殊な表現。通常は「あらずは」ではなく「あらず」。
 「いつまで生きられる命だというのか。およそこんな風に恋い焦がれていないで死んだ方がましだろう」という歌である。

2914  愛しと思ふ我妹を夢に見て起きて探るになきが寂しさ
      (愛等 念吾妹乎 夢見而 起而探尓 無之不怜)
 「愛(うつく)しと」は「いとしいと」という意味。
 「日頃いとしいと思っている彼女、その彼女を夢に見て、起きたら探ってもいないのが寂しい」という歌である。

2915  妹と言はばなめし畏ししかすがに懸けまく欲しき言にあるかも
      (妹登曰者 無礼恐 然為蟹 懸巻欲 言尓有鴨)
 「なめし畏し」は「無礼で恐れ多い」という意味。「懸けまく欲しき」は「かけてみたい」という意味。
 「彼女と言うなら無礼だし恐れ多い。けれども、口に出して言ってみたい言葉だよね」という歌である。

2916  玉かつま逢はむと言ふは誰れなるか逢へる時さへ面隠しする
      (玉勝間 相登云者 誰有香 相有時左倍 面隠為)
 「玉かつま」は本歌が初出。全万葉集歌中3例しかなく、かつ、同じ言葉にかかる歌はない。確かに枕詞的に使用されているが、枕詞(?)。玉は美称。
 「逢おうとおっしゃるのはどなた。逢っている時さえ顔を隠している」という歌である。

2917  うつつにか妹が来ませる夢にかも我れか惑へる恋の繁きに
      (寤香 妹之来座有 夢可毛 吾香惑流 戀之繁尓)
 「うつつにか」は「実際にか」という意味。
 「実際に彼女がやってきたのか、それとも夢なのか、はたまた恋い焦がれるあまり私が取り乱しているのか」という歌である。

2918  おほかたは何かも恋ひむ言挙げせず妹に寄り寝む年は近きを
      (大方者 何鴨将戀 言擧不為 妹尓依宿牟 年者近綬)
 「おほかたは」は「一般的には」という意味。「言挙げせず」は「あれこれ言わずとも」という意味である。
 「人並みになぜ恋い焦がれることがあろう。あれこれ言わずとも彼女と寄り添って寝る年は近いのだもの」という歌である。

2919  二人して結びし紐をひとりして我れは解きみじ直に逢ふまでは
      (二為而 結之紐乎 一為而 吾者解不見 直相及者)
 「二人して結びし紐を」は愛を誓った行為。「解きみじ」は原文「解不見」だが「解くまい」と訓じた方がよさそうである。
 「二人して愛を誓って結んだ着物の紐。一人でその紐を解く事はしまい。直接逢うまでは」という歌である。

2920  終へむ命ここは思はずただしくも妹に逢はざることをしぞ思ふ
      (終命 此者不念 唯毛 妹尓不相 言乎之曽念)
 「ここは思はず」は「これは思はず」とよむ訓じ方もある。が、意味は変わらない。「ただしくも」は「けれども」と解したい。
 「終える命のことは惜しいとも思わない。けれども彼女に逢えなくなるのが残念だ」という歌である。

2921  たわや女は同じ心にしましくもやむ時もなく見てむとぞ思ふ
      (幼婦者 同情 須臾 止時毛無久 将見等曽念)
 「たわや女は」は「かよわい女の身」で作者自身のこと。「しましくも」は2908番歌に出てきたばかりだが、「暫くの間」という意味である。
 「かよわい女の身ですもの、あなたと同じようにこの私も、少しも間を空けることなく、逢っていたいと思います」という歌である。

2922  夕さらば君に逢はむと思へこそ日の暮るらくも嬉しくありけれ
      (夕去者 於君将相跡 念許<増> 日之晩毛 れ有家礼)
 「夕さらば」は「夕方になると」という意味。
 「夕方になるとあなた様にお逢い出来ると思うからこそ、日が暮れて来るのも嬉しく思われます」という歌である。
           (2015年10月6日記、2019年3月15日)
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