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万葉集読解・・・194(3194~3210番歌)

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     万葉集読解・・・194(3194~3210番歌)
3194  息の緒に我が思ふ君は鶏が鳴く東方の坂を今日か越ゆらむ
      (氣緒尓 吾念君者 鶏鳴 東方重坂乎 今日可越覧)
 「息の緒に我が思ふ君は」は「命の綱とたのむ我が君は」という意味である。「鶏(とり)が鳴く」は次句の「東方(あづま)の坂」を導く序歌。秀逸な表現。
 「命の綱とたのむ我が君は鶏が鳴く夜明けの東方の険しい坂を今日あたり越えていらっしゃるのだろうか」という歌である。

3195  磐城山直越え来ませ礒崎の許奴美の浜に我れ立ち待たむ
      (磐城山 直越来益 礒埼 許奴美乃濱尓 吾立将待)
 磐城山(いわきやま)は静岡県静岡市清水区にある薩堆山(さつたやま)のことだという。許奴美(こぬみ)の浜は不詳。磐城山が薩堆山だとすると、東海道線由比駅の近くの浜か?。「直越(ただこ)え」は「まっすぐ越えて」という意味。
 「磐城山(いわきやま)をまっすぐ越えていらっしゃい。私は磯崎の許奴美(こぬみ)の浜に立って待っています」という歌である。

3196  春日野の浅茅が原に遅れ居て時ぞともなし我が恋ふらくは
      (春日野之 淺茅之原尓 後居而 時其友無 吾戀良苦者)
 「春日野」は「奈良県春日山の野」。浅茅(あさぢ)は丈の低い茅(かや)。「遅れ居て」は「置き去りにされて」という意味である。「時ぞともなし」は「いつということもなし」、つまり「四六時中」ということ。
 「春日野の浅茅が原に置き去りにされて私は四六時中あの方を恋しています」という歌である。

3197  住吉の岸に向へる淡路島あはれと君を言はぬ日はなし
      (住吉乃 崖尓向有 淡路嶋 (りっしんべん+可)怜登君乎 不言日者无)
 住吉は大阪市住吉区。「~淡路島」は「あはれ」を導く序歌。その「あはれ」は嘆賞、親愛の心情を示す。
 「住吉の岸の向かいに見へる淡路島のあはではありませんが、あはれや恋しとあなたに呼びかけない日はありません」という歌である。

3198  明日よりはいなむの川の出でて去なば留まれる我れは恋ひつつやあらむ
      (明日従者 将行乃河之 出去者 留吾者 戀乍也将有)
 「いなむの川」は「印南(いなむ)」の漢字を当てて、兵庫県印南野の川(加古川)とする説がある。「去(い)なば」を導く序歌。
 「明日からはいなむの川のいなではありませんが旅だってしまわれるあなた、取り残された私は恋いつつ暮らすでしょう」という歌である。

3199  海の底沖は畏し礒廻より漕ぎ廻みいませ月は経ぬとも
      (海之底 奥者恐 礒廻従 水手運徃為 月者雖經過)
 「海(わた)の底」は海底という意味。「畏(かしこ)し」は「恐ろしい」という意味。「礒廻(いそみ)より」は「湾曲した磯に沿って」という意味。「漕ぎ廻(た)みいませ」は「磯に沿って漕いでいらっしゃい」という意味である。
 「海底や沖は恐ろしく危険がいっぱいです。湾曲した磯に沿って漕いでいらっしゃい。時間はかかりましょうが」という歌である。

3200  飼飯の浦に寄する白波しくしくに妹が姿は思ほゆるかも
      (飼飯乃浦尓 依流白浪 敷布二 妹之容儀者 所念香毛)
 飼飯(けひ)の浦は淡路島の南あわじ市の海岸のことで、旧飼飯野村と呼ばれた一帯。「しくしくに」は「しきりに」ということで、「(妹を)思ほゆる」を導く序歌。
 「飼飯(けひ)の浦に白波がしきりに押し寄せているが、その白波のようにしきりに彼女のことが思い出される」という歌である。

3201  時つ風吹飯の浜に出で居つつ贖ふ命は妹がためこそ
      (時風 吹飯乃濱尓 出居乍 贖命者 妹之為社)
  「時つ風」は、「時に吹く風」のことで、一定の時間に吹く風。満潮時の風と考えられている。吹飯(ふけひ)の浜は大阪府の南端に岬町がある。その岬町に深日駅があるが、その辺りの浜。「贖(あか)ふ命は」であるが、「贖(あがなう)命は」という意味で、「海に捧げる命」すなわち「無事を祈る」という意味と思われる。
 「満潮時に風が吹く吹飯(ふけひ)の浜に出て立ち、海に無事を祈るのは誰のためでもない。彼女のためにこその命なのだ」という歌である。

3202  熟田津に舟乗りせむと聞きしなへ何ぞも君が見え来ずあるらむ
      (柔田津尓 舟乗<将>為跡 聞之苗 如何毛君之 所見不来将有)
 多くの人々に親しまれている有名な8番歌「熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな」と上二句が同じである。熟田津(にきたつ)は広辞苑によると「愛媛県道後温泉付近にあった船着き場」。「聞きしなへ」は「聞くと同時に」という意味である。
 「熟田津で舟に乗ったと聞いてうれしかったが、同時にどうしてあの方がやって来るのが見えないのでしょう、と心配になります」という歌である。

3203  みさご居る洲に居る舟の漕ぎ出なばうら恋しけむ後は逢ひぬとも
      (三沙呉居 渚尓居舟之 榜出去者 裏戀監 後者會宿友)
  ミサゴは猛禽類。鷹の仲間。「うら恋しけむ」は「心恋しい」という意味。
 「みさごが住みついている洲に停泊している舟が漕ぎ出していってしまうと、心恋しいですわ。後には逢えると分かっていても」という歌である。

3204  玉葛幸くいまさね山菅の思ひ乱れて恋ひつつ待たむ
      (玉葛 無恙行核 山菅乃 思乱而 戀乍将待)
 「玉葛(たまかづら)」は枕詞。蔓が長く伸びることの形容。「幸くいまさね」は「ご無事でいらして下さい」という意味である。山菅は蔓と反対に根が乱れる。
 「葛のように蔓が長く伸びるようにご無事でいらして下さい。私の方は山菅の根のように思い乱れ恋ひつつあなたをお待ちします」という歌である。

3205  後れ居て恋ひつつあらずは田子の浦の海人ならましを玉藻刈る刈る
      (後居而 戀乍不有者 田籠之浦乃 海部有申尾 珠藻苅々)
 「後れ居て」は「取り残されて」という意味。「恋ひつつあらずは」は「恋続けるなどしないで」という意味である。
 「取り残されてあの人を恋続けるなどしないで、いっそ田子の浦の海人であったらよかったのに。今頃、玉藻を刈りに刈っているのに」という歌である。

3206  筑紫道の荒礒の玉藻刈るとかも君が久しく待てど来まさぬ
      (筑紫道之 荒礒乃玉藻 苅鴨 君久 待不来)
 筑紫道(つくしぢ)は大和から九州の筑前、筑後に至る道。「刈るとかも」は「刈り取っていらっしゃるのでしょうか」という意味。帰途の途上と思われるので、筑前、筑後から大和への道。
 「筑前、筑後から大和への道であの方は荒磯の玉藻を刈りとっていらっしゃるのでしょうか。久しく待てど暮らせど一向に帰っていらっしゃいません」という歌である。

3207  あらたまの年の緒長く照る月の飽かざる君や明日別れなむ
      (荒玉乃 年緒永 照月 不?君八 明日別南)
 「あらたまの」はおなじみの枕詞。「年の緒長く」は年を長い紐に見立てた言い方。「ずっと長年月」という意味。「~照る月の」までは「飽かざる」を導く序歌。
 「ずっと長年月照らし続ける月のように、見飽きることのないあなたと明日お別れしなければなりませんよね」という歌である。

3208  久にあらむ君を思ふにひさかたの清き月夜も闇の夜に見ゆ
      (久将在 君念尓 久堅乃 清月夜毛 闇夜耳見)
 「久にあらむ」は「長らくなるでしょうね」という意味。「ひさかたの」はおなじみの枕詞。長い旅路になるだろうことをおもんばかって詠んだ歌。
 「長い旅路になるでしょう。そのあなたを思うと、清らかな月夜も、まるで闇夜のように見えます」という歌である。

3209  春日なる御笠の山に居る雲を出で見るごとに君をしぞ思ふ
      (春日在 三笠乃山尓 居雲乎 出見毎 君乎之曽念)
 御笠の山は奈良県春日山の一峰。平明歌。
 「春日野の御笠の山にかかっている雲。その雲を戸外に出て見ると、そのたびに旅立たれたあなたのことが思われてなりません」という歌である。

3210  あしひきの片山雉立ち行かむ君に後れてうつしけめやも
      (足桧木乃 片山雉 立徃牟 君尓後而 打四鶏目八方)
 「あしひきの」はおなじみの枕詞。片山は片方が山。もう一方が崖ないし急傾斜状の山。「片山雉立ち」は、そこから不意に雉(きじ)が飛び立つこと。「立ち行かむ」を導く序歌。「うつしけめやも」は「現しけめやも」で、「正気でいられようか」という意味である。現代でも「ああ気が狂いそうだ」と使われる。
 「片山から不意に雉が飛び立っていったかのようにあなたに旅立たれ、取り残された私は気が狂わずにいられようか」という歌である。

 以上、旅にかかわる歌を見てきた。往時の旅は現代と異なって大仕事。野越え山越え文字通り草を枕の野宿の旅。今生の別れになりかねない大仕事。それを頭に入れて頭に置いておきたい。
           (2016年1月10日記、2019年3月19日)
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