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万葉集読解・・・223(3537~3551番歌)

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      万葉集読解・・・223(3537~3551番歌)
3537  くへ越しに麦食む小馬のはつはつに相見し子らしあやに愛しも
      (久敝胡之尓 武藝波武古宇馬能 波都々々尓 安比見之兒良之 安夜尓可奈思母)
 「くへ越しに」の「くへ」は例がなくはっきりしない。広辞苑には「垣、柵」とある。「はつはつに」までは「はつはつ」を導く序歌。「ちらりと見かける」という意味である。「子らし」は親愛の「ら」で、強意の「し」。
 「子馬が柵のしたから首を出して麦をやっと食べるように、やっとちらりと逢えたあの子だが、とても愛しい」という歌である。
 異伝歌は次の通りである。
       馬柵越し麦食む駒のはつはつに新肌触れし子ろし愛しも
(宇麻勢胡之 牟伎波武古麻能 波都々々尓 仁必波太布礼思 古呂之可奈思母)
 「子ろし」は「子らし」の東国訛り。
 「馬が柵越に麦をちらっと食べるように、ちらりと新肌(にいはだ)に触れる機会があったが、本当に愛しい子」という歌である。

3538  広橋を馬越しがねて心のみ妹がり遣りて我はここにして [或本歌發句曰:小林に駒を馳ささげ]
      (比呂波之乎 宇馬古思我祢弖 己許呂能未 伊母我理夜里弖 和波己許尓思天 [或本歌發句曰:乎波夜之尓 古麻乎波左佐氣])
 「妹がり」は「あの子の許へ」という意味。現在でも「暗がり」などという。
 「馬が広い橋を越えかねるように、心はあの子の許へ飛んでいくが、私は行きかねてここに逡巡としている」という歌である。
 異伝歌にある「駒を馳(は)ささげ」は「馬を馳けさせるのをとどめ」という意味?。
 「小林(をばやし)に馬を駆けさせるのをとどめ、心はあの子の許へ飛んでいくが、私は行きかねてここに逡巡としている」という歌である。

3539  あずの上に駒を繋ぎて危ほかど人妻子ろを息に我がする
      (安受乃宇敝尓 古馬乎都奈伎弖 安夜抱可等 比等豆麻古呂乎 伊吉尓和我須流)
 「あずの上に」の「あず」は次次歌(3541番歌)に「あずへから」とある。「岩波大系本」は崩岸とし、古辞書に「~、又、阿須」とあることを示している。とすると、「あず」は「あす」の東国訛りとなる。前歌の「駒を馳ささげ」も東国訛りと見られるが、正確なことは分からない。「危(あや)ほかど」は「危(あや)ふかど」の東国訛り。「危なっかしい」という意味。「息に」は「心に」という意味。
 「崖の上に馬をつなぎとめるのが危なっかしいように、人妻のあの子を心にかけるのは危なっかしい(でも心にかけずにはいられない)」という歌である。

3540  左和多里の手児にい行き逢ひ赤駒が足掻きを速み言問はず来ぬ
      (左和多里能 手兒尓伊由伎安比 安可胡麻我 安我伎乎波夜未 許等登波受伎奴)
 左和多里(さわたり)は所在不詳。手児(てご)は3485番歌に「~、泣きつる手児にあらなくに」と幼女の意味に使われている。本歌は「美少女」の意味で使われている。「い行き逢ひ」は強意の「い」。「速み」は「~ので」の「み」。
 「左和多里(さわたり)の評判の美少女に行き合ったが、乗る馬の駆け足が早かったので、声もかけずに通りすぎてしまった」という歌である。

3541  あずへから駒の行ごのす危はとも人妻子ろをまゆかせらふも
      (安受倍可良 古麻<能>由胡能須 安也波刀文 比登豆麻古呂乎 麻由可西良布母)
 「あずへから」のあずは前々歌参照、崖のこと。駒は馬のこと。「行ごのす」は「行かむが」の、「危(あや)はとも」は「危(あや)ふとも」の東国訛りだろう。「子ろ」は「子ら」の東国訛り、親愛の「ら」。結句の「まゆかせらふも」は古来難句とされる。東国訛りと目されるが、何の訛りか?。一例私案を示せば「みゆかしたしも」だろう。「逢って見たいものだ」という意味である。どうやらこれで歌意は通るようだ。
 「崖の辺りを馬が行くのは危なっかしい。そのように人妻のあの子に近づくのは危なっかしいが、それでも一度は逢ってみたいものだ」という歌である。

3542  さざれ石に駒を馳させて心痛み我が思ふ妹が家のあたりかも
      (佐射礼伊思尓 古馬乎波佐世弖 己許呂伊多美 安我毛布伊毛我 伊敝<能>安多里可聞)
 「さざれ石」は国歌君が代に「君が代は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで」とある。「小さな石」のことである。「駒を馳(は)させて」は「馬を駆けさせて」という意味。「心痛み」は「~ので」の「み」。少々分かりづらいのは、「心痛み」が彼女の家とどう関連するのかである。私は、作者が家に帰ってきた図を思い描いた。
 「小石の上を馬を走らせるとけつまづくので心が痛む。そのようにしきりに胸が高まる。いよいよ彼女の家に近づいてきたようだ。あそこは彼女の家のあたりかも」という歌である。

3543  むろがやの都留の堤の成りぬがに子ろは言へどもいまだ寝なくに
      (武路我夜乃 都留能都追美乃 那利奴賀尓 古呂波伊敝<杼>母 伊末太<年>那久尓)
 「むろがやの」はどこの郷名なのか不詳。「都留(つる)の堤」は山梨県都留川の堤とみられる。「成りぬがに」は「出来上がったのに」という意味である。「子ろ」は「子ら」の東国訛り、親愛の「ら」。
 「むろがや郷を流れる都留川(つるがわ)の堤は出来上がったわね、とあの子はいいながら、いまだ共寝に至っていない」という歌である。

3544  あすか川下濁れるを知らずして背ななと二人さ寝て悔しも
      (阿須可河泊 之多尓其礼留乎 之良受思天 勢奈那登布多理 左宿而久也思母)
 「あすか川」は大和(奈良県)の川だが、本歌は東歌。「都からやってきた」を含んでの言い方か。
 「都の明日香川の下は濁っているとも知らないで、あなたと共寝してしまったのが悔しい」という歌である。

3545  あすか川堰くと知りせばあまた夜も率寝て来ましを堰くと知りせば
      (安須可河泊 世久登之里世波 安麻多欲母 為祢弖己麻思乎 世久得四里世<婆>)
 「堰(せ)く」は「せきとめる」で、妨げるという意味だが、幾様にも取れる。私は女の拒絶にあった男の恨み歌と解してみた。
 「あすか川がせき止められると分かっていたら、幾夜も幾夜も共寝するんだったのに。せき止められると分かっていたら」という歌である。

3546  青柳の崩らろ川門に汝を待つと清水は汲まず立ち処平すも
      (安乎楊木能 波良路可波刀尓 奈乎麻都等 西美度波久末受 多知度奈良須母)
 「崩(は)らろ」は「崩(は)れる」の東国訛り。「崩れる」は「芽が脹らむ」こと。「清水(原文「西美度=せみど」)は「しみづ」の東国訛り。作者は男女両用に取れるが、「清水は汲まず」を重く見て女性歌と解したい。
 「青柳の芽が脹らんできた水汲み場であなたを待っています。清水を汲まないで同じところに立ち、足踏みして地面が平らになっています」という歌である。

3547  あぢの棲む須沙の入江の隠り沼のあな息づかし見ず久にして
      (阿遅乃須牟 須沙能伊利江乃 許母理沼乃 安奈伊伎豆加思 美受比佐尓指天)
  あぢはアジガモのことという。「渚沙(すさ)の入江」は和歌山県有田市に鎮座する須佐神社のあたり、愛知県南知多町の須佐湾あたりという。「息づかし」は「息苦しい」という意味。
 「アジガモの住む須沙の入江にある隠り沼のアジガモのように、ああなんて息苦しく鬱陶しいことだろう。彼女に長らく逢えなくて」という歌である。

3548  鳴る瀬ろにこつの寄すなすいとのきて愛しけ背ろに人さへ寄すも
      (奈流世<呂>尓 木都能余須奈須 伊等能伎提 可奈思家世呂尓 比等佐敝余須母)
 「鳴る瀬ろに」は「鳴り響く川瀬に」。例によって東国訛りの「ろ」。「こつ」は「こつみ(木屑)」の略称。「いとのきて」は2903番歌に「いとのきて薄き眉根を~」とあるように、「とりわけ」という意味。結句の「人さへ寄すも」は「噂する」ないし、現代風に「もてる」とした方がいいだろう。
 「鳴り響く急流の川瀬に木屑が寄せられるように、とりわけ愛しいあの人に吸い寄せられる私だが、あの人は他の女性にももててしょうがない」という歌である。

3549  多由比潟潮満ちわたるいづゆかも愛しき背ろが我がり通はむ
      (多由比我多 志保弥知和多流 伊豆由可母 加奈之伎世呂我 和賀利可欲波牟)
 多由比潟潮(たゆひがた)は所在未詳。「いづゆかも」は「いづこゆ」の東国訛り?「我がり」は「妹がり」と同様「許に」という意味の「がり」。
「多由比潟(たゆひがた)に潮が満ちわたっている。愛しいあの人はいづこから私の許へ通うのでしょう」という歌である。

3550  おしていなと稲は搗かねど波の穂のいたぶらしもよ昨夜ひとり寝て
      (於志弖伊奈等 伊祢波都可祢杼 奈美乃保能 伊多夫良思毛与 伎曽比登里宿而)
 「おしていなと」は未詳。「あえて~」という形。枕詞説もあるが、本歌一例しかなく枕詞(?)。「いたぶらしもよ」は「ひどく揺れる」という意味である。
「私はあえて稲を搗かないが、稲穂が波のようにひどく揺れて気分がおもわしくない。昨夜は独り寝だったので」という歌である。

3551  阿遅可麻の潟にさく波平瀬にも紐解くものか愛しけを置きて
      (阿遅可麻能 可多尓左久奈美 比良湍尓母 比毛登久毛能可 加奈思家乎於吉弖)
 「阿遅可麻(あぢかま)の」は本歌を含めて3例あるが、いずれも異なる用語が続く。枕詞(?)である。地名と考えてよさそうだが、所在不詳。「さく波」は「岩波大系本」以下各書とも「咲く波」としている。歌意からして「裂く波」だろう。平瀬は「静かな瀬」。平瀬を平凡な男と解するのは、「潟にさく波」を無視した解で取りづらい。「愛しけ」は「愛し方」ないし「愛し君」の東国訛り。
 「阿遅可麻(あぢかま)の潟に激しく裂かれる波のように、激しくせまられても、静かな瀬のように言い寄られても、紐解く(なびく)ものですか、愛しいお方をさしおいて」という歌である。
           (2016年5月30日記、2019年3月30日)
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