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万葉集読解・・・224(3552~3566番歌)

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      万葉集読解・・・224(3552~3566番歌)
3552  まつが浦にさわゑうら立ちま人言思ほすなもろ我が思ほのすも
      (麻都我宇良尓 佐和恵宇良太知 麻比登其等 於毛抱須奈母呂 和賀母抱乃須毛)
 まつが浦は所在未詳。「さわゑうら立ち」は「さわぎむら立ち」の東国訛り。「波が騒ぎ群れ立って」という意味。「ま人言(ひとこと)」のまは「あんれまあ」という驚き。「思ほすなもろ」は「思ほすらむろ」の東国訛り。「ろ」は「ですら」の類で、「でしょう」ないし「お思いになっているでしょう」という意味。また、「思ほのすも」は「「思ふなすも」の東国訛り。語尾は「~同様」の「も」。
 「まつが浦に波が騒ぎ群れ立って、あんれまあ噂が激しいこと、とお思いになっているでしょう。私も同様に思っています」という歌である。

3553  あぢかまの可家の港に入る潮のこてたずくもか入りて寝まくも
      (安治可麻能 可家能水奈刀尓 伊流思保乃 許弖多受久毛可 伊里弖祢麻久母)
 「あぢかまの」は本歌を含めて3例あるが、いずれも異なる用語が続く。枕詞(?)。地名と考えてよさそうだが、所在不詳。「可家(かけ)の港」は愛知県知多郡旧上野町(現東海市)にあったという。「こてたずくもか」は古来難句とされ、「おとたずくもか」の東国訛りと解すると「音たず来もか」となる。「か」は「如し」。「音を立てずに入って来るように」という意味である。これで、どうやら歌意は通りそうである。
 「あぢかまの可家(かけ)の港に入ってくる潮が音も立てずやって来るように、そっとあの子の寝床に入って共寝したいものだ」という歌である。

3554  妹が寝る床のあたりに岩ぐくる水にもがもよ入りて寝まくも
      (伊毛我奴流 等許<能>安多理尓 伊波具久留 水都尓母我毛与 伊里弖祢末久母)
 「岩ぐくる」は「岩をくぐる」こと。「水にもがもよ」は「水であったら」という意味。
 「私が岩をくぐる水であったなら、あの子が寝ている床のあたりに、そっと入っていって共寝したいものだ」という歌である。

3555  麻久良我の許我の渡りのから楫の音高しもな寝なへ子ゆゑに
      (麻久良我乃 許我能和多利乃 可良加治乃 於<登>太可思母奈 宿莫敝兒由恵尓)
 「麻久良我(まくらが)の許我(こが)」は所在不詳。「から楫(かぢ)」の「から」は唐ないし韓のこと。要するに外国式の梶。
 「麻久良我(まくらが)の許我(こが)の渡しを漕ぐ舟の外国式の梶のように音が高い。そのように噂が高いよな。あの子と共寝をしたわけでもないのに」という歌である。

3556  潮船の置かれば愛しさ寝つれば人言繁し汝をどかもしむ
      (思保夫祢能 於可礼婆可奈之 左宿都礼婆 比登其等思氣志 那乎杼可母思武)
 「潮船(しおふね)の置かれば」は「海に漕ぎ出す潮船を浜に置いたまま」という意味。「どかもしむ」は「などかもせむ」の東国訛り、「どうしたらいいだろう」という意味。
 「潮船を浜に置いたままだとお前が愛しくてならない。さりとて共寝に行けば噂が激しい、私はお前をどうしたらいいだろう」という歌である。

3557  悩ましけ人妻かもよ漕ぐ舟の忘れはせなないや思ひ増すに
      (奈夜麻思家 比登都麻可母与 許具布祢能 和須礼波勢奈那 伊夜母比麻須尓)
 「悩ましけ」は「悩ましき」の東国訛り。「せなな」は3436番歌に「~、うら枯れせなな、~」とあるように「~しない」という意味。「せなな」も東国訛り。
 「悩ましい人妻だこと。漕ぐ舟は遠ざかっていくが、忘れられないおなご。いやいや、思いは増す一方だ」という歌である。

3558  逢はずして行かば惜しけむ麻久良我の許我漕ぐ舟に君も逢はぬかも
      (安波受之弖 由加婆乎思家牟 麻久良我能 許賀己具布祢尓 伎美毛安波奴可毛)
 「麻久良我(まくらが)の許我(こが)」は所在不詳。「君も逢はぬかも」の「君も」をこんな風に用いた例はない。「君に」の東国訛りか。あるいは「君にもしや」の略か。
 「あの方が逢わないで行かれてしまったら惜しいことだ。麻久良我(まくらが)の許我(こが)に行って漕ぎ出る舟にひょっとしてお逢いできないものだろうか」という歌である。

3559  大船を舳ゆも艫ゆも堅めてし許曽の里人あらはさめかも
      (於保夫祢乎 倍由毛登母由毛 可多米提之 許曽能左刀妣等 阿良波左米可母)
 「舳(へ)ゆも艫(とも)ゆも」」。舳(へ)は船首、艫(とも)は船尾のことをいう。許曽(こぞ)は所在不詳。
 「大船を船首からも船尾からも綱でしっかり結ぶように、許曽(こぞ)の里のあの子としっかり契りを交わしたので、あの子は二人の仲を漏らすまい」という歌である。

3560  ま金ふく丹生のま朱の色に出て言はなくのみぞ我が恋ふらくは
      (麻可祢布久 尓布能麻曽保乃 伊呂尓R<弖> 伊波奈久能未曽 安我古布良久波)
 「ま金ふく」のまは美称、「ふく」は「吹き付けて取り出す」ないし「精製する」という意味。金を灰吹き法によって取り出すのは紀元前2000年頃からあるようだが、日本では戦国期からとされ、奈良時代には行われていなかったようだ。すると「ま金ふく」は「鉄を精製する」という意味になる。が、他方、山上憶良の有名な803番歌に「銀も金も玉も何せむにまされる宝子にしかめやも」とある。ここは「金」のことと解したい。丹生(にふ)は諸説あるが、東国歌からして、群馬県富岡市上丹生のことと解したい。「ま朱(そほ)」は赤土のこと。
 「金を取り出す丹生の赤土のようにはっきり言葉に出さないのは、本当にあなたを恋しているからです」という歌である。

3561  金門田を荒掻きま斎み日が照(と)れば雨を待とのす君をと待とも
      (可奈刀田乎 安良我伎麻由美 比賀刀礼婆 阿米乎万刀能須 伎美乎等麻刀母)
 「金門田を」の金は門の美称、「門前の田を」という意味。「荒垣ま斎(ゆ)み」は「荒れ田を掻いてきれいにし」という意味。斎(ゆ)は「身を清める」ことだが田にも用いた。「照(と)れば」は「照(て)れば」の、「待とのす」は「待つなす」の、「君をと待とも」は「君をぞ待たむ」の東国訛り。
 「門前の田が荒れているときは掻きならしてきれいにし、日照りが続けば雨が降るのを待つ。そんな気持ちであなたを待ちます」という歌である。

3562  荒礒やに生ふる玉藻のうち靡きひとりや寝らむ我を待ちかねて
      (安里蘇夜尓 於布流多麻母乃 宇知奈婢伎 比登里夜宿良牟 安乎麻知可祢弖)
 「荒礒や」のやは親近の情を示す。「玉藻」の玉は美称。
 「あの荒磯に生える藻が波になびくように、彼女はひとりで転々と寝ていることだろうな、私を待ちかねて」という歌である。

3563  比多潟の礒のわかめの立ち乱え我をか待つなも昨夜も今夜も
      (比多我多能 伊蘇乃和可米乃 多知美太要 和乎可麻都那毛 伎曽毛己余必母)
 「比多潟(ひたかた)」は所在不詳。「立ち乱え」は「立ち乱れ」の、「待つなも」は「待つなむ」のそれぞれ東国訛り。
 「比多潟(ひたかた)の磯のわかめが立ち乱れて繁っているように、彼女はたちすくんだまま心乱れて私を待っているのだろうか。昨夜も今夜も」という歌である。

3564  古須気ろの浦吹く風のあどすすか愛しけ子ろを思ひ過ごさむ
      (古須氣呂乃 宇良布久可是能 安騰須酒香 可奈之家兒呂乎 於毛比須吾左牟)
 「古須気ろの浦」や「子ろ」の「ろ」は親愛を示す東国訛り。古須気(こすけ)は東京都葛飾区小菅町のことではないかという。「あどすすか」は「などせすか」(何としよう)の、「愛(かな)しけ」は「「愛(かな)しき」(愛しい)の各東国訛り。「思ひ過ごさむ」は反語形で「忘れることができようか」という意味である。
 「古須気(こすけ)の浦に吹く風が通り過ぎるけれど、何としよう、あの愛しい子への思いを通り過ぎる(忘れる)ことができようか」という歌である。

3565  かの子ろと寝ずやなりなむはだすすき宇良野の山に月片寄るも
      (可能古呂等 宿受夜奈里奈牟 波太須酒伎 宇良野乃夜麻尓 都久可多与留母)
 「かの子ろ」は親愛を示す東国訛り。「はだすすき」は穂がないススキ。宇良野は長野県小県郡旧浦野町(現上田市西部)のことという。が、浦野町は馬越村を改称した町名なので本歌にいう宇良野か否かはっきりしない。
 「あの子と共寝することなく終わりそうだ。はだすすきの繁る宇良野の山に月が片向いてきた」という歌である。

3566  我妹子に我が恋ひ死なばそわへかも神に負ほせむ心知らずて
      (和伎毛古尓 安我古非思奈婆 曽和敝可毛 加未尓於保世牟 己許呂思良受弖)
 難解歌。その最大の原因は第三句の「そわへかも」。「岩波大系本」は「そわへ」を「古来難解。後考を待つ。」としている。さらに結句の「心知らずて」。主語省略なので通常なら「作者の心情」を示すがどうか。
 まず、「そわへ」。「~へ」は「~ない」の東国訛り。こういう「~へ」は3466番歌に「ま愛しみ寝れば言に出さ寝なへば、~」と使われている。いうまでなく「寝ない」という意味。さらに、3476番歌の異伝歌に「~、我ぬ行がのへば」とある。「行かない」という意味。また、3482番歌の異伝歌に「~、逢はなへば寝なへの故に、~」とあり、やはり「逢えない寝ない」という東国訛り。したがって「そわへ」は「添えない」という意味。「心知らずて」は「我が心を知らせずに」という意味だろう。
 「彼女に恋い焦がれて死んだなら、彼女と添い遂げることもなく、神(運命)のせいにし、我が心を彼女に知らせないままになる」という歌である。

 以上で3455番歌から続いた相聞歌は終了である。
           (2016年6月4日記、2019年3月30日)
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