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万葉集読解・・・239(3786~3793番歌)

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     万葉集読解・・・239(3786~3793番歌)
 巻16の冒頭に「由縁(ゆえん)を有し、並びに雜歌」とある。
 また、冒頭歌の解題に次のようにある。長いので概要にとどめる。以下、この巻同じ。
 「昔、俗に櫻兒(さくらこ)という名の娘子(をとめ)がいた。時に二人の男がいて、二人ともこの娘子に求婚した。二人は命がけで相争った。「一人の女が二人に嫁ぐなど聞いたことがない、と悩んだ。これを解決するには私が死ぬしかない、と林に入って首を吊って死んでしまった。二人は悲嘆し、この二首は各々が作ったもの」
 3786   春さらばかざしにせむと我が思ひし桜の花は散りにけるかも [其一]
     (春去者 挿頭尓将為跡 我念之 櫻花者 散去流香聞 [其一])
 「春さらば」は「春になったら」という意味。平明歌。
 「春になったら、かざし(挿頭)にしようと思っていた、桜の花は散ってしまったなあ」という歌である。

3787  妹が名に懸けたる桜花咲かば常にや恋ひむいや年のはに [其二]
      (妹之名尓 繋有櫻 花開者 常哉将戀 弥年之羽尓 [其二])
 「懸けたる」は「かかわりのある」という意味。「いや年のはに」は「いよよいっそう強く新たな年がくるたびに」という意味である。
 「あの子の名にかかわりのある桜の花。その花が咲くと、いつもあの子が恋しくてならない。いよよいっそう強く新たな年がくるたびに」という歌である。

 「あるいはこんな話もある。昔、三人の男が一人の女に求婚した。あまりに激しいので彼女は思い悩み、池のほとりに行って入水して死んでしまった。三人は悲嘆し、この三首は各々が作ったもの。娘は縵児(かづらこ)と呼ばれていた」
3788  耳成の池し恨めし我妹子が来つつ潜かば水は涸れなむ [一]
      (無耳之 池羊蹄恨之 吾妹兒之 来乍潜者 水波将涸 [一])
 「耳成山(みみなしやま)」は大和盆地南部に点在する天香久山(あまのかぐやま)、畝傍山(うねびやま)と並んで大和三山と称される山。「池し」は強意の「し」。「来つつ潜(かづ)かば」は「やってきて入水したなら」という意味である。「水は涸れなむ」は「水は涸れてほしかったのに」という意味。
 「耳成山の池が恨めしい。あの彼女がやってきて入水するんだったら、たちまち池は干上がってほしかったのに」という歌である。

3789  あしひきの山縵の子今日行くと我れに告げせば帰り来ましを [二]
      (足曳之 山イ之兒 今日徃跡 吾尓告世婆 還来麻之乎 [二])
 「あしひきの」はお馴染みの枕詞。
 「山縵(やまかづら)の子」とはいうまでもなく入水して死んだ縵児(かづらこ)のこと。「帰り来ましを」は「帰ってきたものを」という意味である。
 「山縵(やまかづら)のあの子が、今日池に行って入水すると私に言ってくれたなら、あわてて私は(山から)帰ってきたものを」という歌である。

3790  あしひきの玉縵の子今日のごといづれの隈を見つつ来にけむ [三]
      (足曳之 玉イ之兒 如今日 何隈乎 見管来尓監 [三])
 玉縵(たまかづら)の子」は縵児(かづらこ)のこと。「今日のごと」は「今日の私のようにという意味。、「いづれの隈(くま)を」は「どの曲がり角をたどって」という意味である。
 「あの玉のような彼女は、今日の私のようにやってきたのだろうが、いったいどの曲がり角をたどって来たのだろう」という歌である。

 昔、竹取翁(たかとりのおきな)という老人がいた。丘に登って遠くを見ると九人のそれはそれは美しい娘たちがいた。彼女たちは汁物を作っているところだったが、娘の一人が老人を呼んで「火を吹いて」と声をかけたので、老人はその座に座った。すると、娘たちは「あら、いったい誰がこの老人を呼んだの」と言ったので、老人は歌を作るからと謝りを乞うた。
3791番長歌
    みどり子の 若子が身には たらちし 母に抱かえ ひむつきの 稚児のの身には 木綿肩衣 純裏に縫ひ着 頚つきの 童髪には 結ひはたの 袖つけ衣 着し我れを 丹よれる 子らがよちには 蜷の腸 か黒し髪を ま櫛持ち ここにかき垂れ 取り束ね 上げても巻きみ 解き乱り 童になしみ さ丹つかふ 色になつける 紫の 大綾の衣 住吉の 遠里小野の ま榛持ち にほほし衣に 高麗錦 紐に縫ひつけ 刺部重部 なみ重ね着て 打麻やし 麻続の子ら あり衣の 財の子らが 打ちし栲 延へて織る布 日さらしの 麻手作りを 信巾裳成す 愛しきに 取りしき 屋に経る  稲置娘子が 妻どふと 我れにおこせし 彼方の 二綾下沓 飛ぶ鳥 明日香壮士が 長雨禁へ 縫ひし黒沓 さし履きて 庭にたたずみ 退けな立ち 禁娘子が ほの聞きて 我れにおこせし 水縹の 絹の帯を 引き帯なす 韓帯に取らし わたつみの 殿の甍に 飛び翔ける すがるのごとき 腰細に 取り装ほひ まそ鏡 取り並め懸けて おのがなり かへらひ見つつ 春さりて 野辺を廻れば おもしろみ 我れを思へか さ野つ鳥 来鳴き翔らふ 秋さりて 山辺を行けば なつかしと 我れを思へか 天雲も 行きたなびく かへり立ち 道を来れば うちひさす 宮女 さす竹の 舎人壮士も 忍ぶらひ かへらひ見つつ 誰が子ぞとや 思はえてある かくのごと 所為故為 いにしへ ささきし我れや はしきやし 今日やも子らに いさとや 思はえてある かくのごと 所為故為 いにしへの 賢しき人も 後の世の 鑑にせむと 老人を 送りし車 持ち帰りけり 持ち帰りけり

      (緑子之 若子蚊見庭 垂乳為 母所懐 ウ襁 平<生>蚊見庭 結經方衣 水津裏丹縫服 頚著之 童子蚊見庭 結幡 袂著衣 服我矣 丹因 子等何四千庭 三名之綿 蚊黒為髪尾 信櫛持 於是蚊寸垂 取束 擧而裳纒見 解乱 童兒丹成見 羅丹津蚊經 色丹名著来 紫之 大綾之衣 墨江之 遠里小野之 真榛持 丹穂之為衣丹 狛錦 紐丹縫著 刺部重部 波累服 打十八為 麻續兒等 蟻衣之 寶之子等蚊 打栲者 經而織布 日曝之 朝手作尾 信巾裳成者之寸丹取為支屋所經 稲寸丁女蚊 妻問迹 我丹所来為 彼方之 二綾裏沓 飛鳥 飛鳥壮蚊 霖禁 縫為黒沓 刺佩而 庭立住 退莫立 禁尾迹女蚊 髣髴聞而 我丹所来為 水縹 絹帶尾 引帶成 韓帶丹取為 海神之 殿盖丹 飛翔 為軽如来 腰細丹 取餝氷 真十鏡 取雙懸而 己蚊果 還氷見乍 春避而 野邊尾廻者 面白見 我矣思經蚊 狭野津鳥 来鳴翔經 秋僻而 山邊尾徃者 名津蚊為迹 我矣思經蚊 天雲裳 行田菜引 還立 路尾所来者 打氷<刺> 宮尾見名 刺竹之 舎人壮裳 忍經等氷 還等氷見乍 誰子其迹哉 所思而在 如是 所為故為 古部 狭々寸為我哉 端寸八為 今日八方子等丹 五十狭邇迹哉 所思而在 如是 所為故為 古部之 賢人藻 後之世之 堅監将為迹 老人矣 送為車 持還来 <持還来>)

 わかりにくい用語だけを並べるので、悪しからず。「みどり子」は「1~3歳の乳幼児」のこと。「ひむつきの」は不明だが、むつきの一種か。「木綿肩衣純裏に縫ひ着」は上流家庭が稚児に着せた裏付きの着物。「結ひはたの」は「絞り染めの」のこと。「丹よれる」と「さ丹つかふ」は「ほの赤い」という意味。「子らがよちには」の「よち」は「年頃」のこと。「大綾(おおあや)の衣」は「綾織りの文様の大きな着物」のこと。「住吉(すみのえ)の遠里小野(とほさとをの)」は大阪市南部から堺市北部にかけての一帯。榛(はり)は榛の木(はんのき)のこと。染料に使われる。「刺部重部(さしへかさねへ)」ははっきりしないが、「刺し止めたり合わせたり」ということか。「打麻(うちそ)やし」、「あり衣(きぬ)の」、「飛ぶ鳥」を「岩波大系本」は枕詞としている。「麻続(をみ)の子ら」は「麻をつむ人」、「財(たから)の子ら」は「織物に従事する人」をいう。「信巾裳(ひれも)成す」は「ひれをなしたスカート状の上着」。「稲置娘子(いなきをみな)」は下級役人の娘子。「我れにおこせし」は「私に送ってよこした」という意味。「水縹(みはなだ)」は「薄い藍色」のこと。「殿の甍(いらか)に」は「御殿の屋根の上部に」という意味。「すがるのごとき」は「ジガバチのように」という意味。「ささきし我れや」は「時めいた私だが」という意味。

  (口語訳)
 口語訳は、古代の風習、装い、織物等私には分からないものが多く、正確さを欠くかも知れないが、出来る限り分かりやすく、歌意がとおるよう努めた。

 「私が乳幼児の若子(上流階級の子だったことを強調)の頃は上等の布で母にくるまれ、稚児になると木綿製の裏付きの着物を着せられ、首まで切りそろえた幼児になると絞り染めの袖のついた着物を着ていた。ほおの赤い、あなたがたと同じような年頃になると、黒髪を櫛でかいて前に垂らし、取り束ねて巻き上げてみたり、あるいは解き乱したりして童子らしくしたものさ。ほの赤い色に似つかわしい紫染めの、綾織りの文様の大きな着物に、住吉(すみのえ)の遠里小野(とほさとをの)の、あの高級な榛(はん)の木で染めた着物を着、高麗錦を紐状に縫ひつけたものさ。その上、高麗錦の紐を挿したり合わせたりして重ね着飾ったものさ。麻をつむ子や織物に従事する子がこさえた白布を伸ばして織った着物に、日にさらした真っ白な麻製の、美しく屋根状に盛り上がった、ひれをなしたスカート状の上着を羽織る。下級役人の稲置娘子が求婚する私に、遠方から送ってよこした二色交ぜ織りの下足袋を履き、明日香の男が長雨時のように家にこもって縫ってくれた黒靴を履いたもんさ。その靴を履いて庭に立っていると、それを漏れ聞いた稲置娘子が、そんな風にお立ちでないと、私に送ってよこした韓帯(外国製の帯)を紐のように使って引き締めなさいといった。海神の御殿の屋根の上部に飛び回るジガバチのように、スマートな腰細の格好で装ほい、その自分を鏡に映してほれぼれしたもんさ。春がやってきて野辺をめぐると、格好いいと思ったのか野の鳥が鳴きながら飛んできた。秋になって山辺を歩くと、天雲までも私になついてたなびいている始末。、帰り道をたどって都大路にさしかかると、女官たちも高級な舎人(とねり)たちも、密かに振り返って見ては、どこの家の若様かと思われたものさ。こんなふうなありさまだから、この私も昔は時めいていたと思ったのさ。ああ。今ではあなたがたのような若い子に変なじいさんと思われて馬鹿にされる始末。それだから昔の賢人たちもこれを後の世の鑑(かがみ)にしようと、老人を送った車を持ち帰ってきた、持ち帰ってきた」

 末句の「車を持ち帰ってきた、持ち帰ってきた」は各人、色々な取り方があろう。「老いは順番にやってくる」という歌なのだろうか。それとも「老人は山に捨てて高価な車は持ち帰った」という歌なんだろうか。こんな愚痴話を長々と歌にし、それを万葉集の編者がなぜ採録したのか、私にはさっぱり分からない。ただ9人の娘たちの歌(次回)はすっかり賞賛している。

 反歌二首
3792  死なばこそ相見ずあらめ生きてあらば白髪子らに生ひずあらめやも
      (死者木苑 相不見在目 生而在者 白髪子等丹 不生在目八方)
 「相見ずあらめ」は「お目にかかることもないだろうが」という意味である。
「死んでしまえばお目にかかることもないだろうが、生きていれば白髪はあなたがたにも生えてくるんですよ」という歌である。

3793  白髪し子らに生ひなばかくのごと若けむ子らに罵らえかねめや
      (白髪為 子等母生名者 如是 将若異子等丹 所詈金目八)
 「白髪し」は強意の「し」。「かくのごと」は「私のように」という意味。
 「白髪があなたがたに生えてくるようになったなら、あなたがたがののしった私のように、若い子たちからののしられかねませんよ」という歌である。
           (2016年8月8日記、2019年4月3日)
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