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万葉集読解・・・248(3907~3921番歌)

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     万葉集読解・・・248(3907~3921番歌)
 頭注に「美香の原の新都を讃える歌一首並びに短歌」とある。美香の原の新都とは久邇(くに)の都のこと。
3907番長歌
    山背の 久邇の都は 春されば 花咲きををり 秋されば 黄葉にほひ 帯ばせる 泉の川の 上つ瀬に 打橋渡し 淀瀬には 浮橋渡し あり通ひ 仕へまつらむ 万代までに
      (山背乃 久邇能美夜古波 春佐礼播 花<咲>乎々理 秋<左>礼婆 黄葉尓保<比> 於婆勢流 泉河乃 可美都瀬尓 宇知橋和多之 余登瀬尓波 宇枳橋和多之 安里我欲比 都加倍麻都良武 万代麻弖尓)
 「山背(やましろ)の久邇(くに)の都」は京都府十津川市に造られた都。1037番歌に「今造る久邇の都は山川のさやけき見ればうべ知らすらし」とある。一時的に四十五代聖武天皇が久邇京に遷都(740~744年)。「花咲きををり」は「桜の花が咲きほこり」という意味。「あり通ひ」は「通い続ける」という意味である。大伴家持は内舎人(うどねり)(天皇の付き人)として久邇京に勤めていたことがある。

  (口語訳)
 「山背の久邇の都は、春になると桜が咲き誇り、秋になると黄葉に彩られ、帯のように流れる泉川(十津川)の上流に打橋を渡し、淀になった広い場所には浮橋を渡し、いつも通い続け、万代まで通いましょう」という歌である。

 反歌
3908  たたなめて泉の川の水脈絶えず仕へまつらむ大宮ところ
      (楯並而 伊豆美乃河波乃 水緒多要受 都可倍麻都良牟 大宮所)
 「たたなめて」は「楯並て」で意味不詳。本例一例しかなく枕詞(?)。
 「楯を並べたように流れる泉川の水脈が絶えないように大宮にお仕え申し上げます」という歌である。
 左注に「右は天平十三年二月右馬頭境部宿祢老麻呂(さかひべのすくねをゆまろ)の作」とある。天平十三年は741年。

 頭注に「霍公鳥(ホトトギス)を詠む歌二首」とある。
3909  橘は常花にもが霍公鳥住むと来鳴かば聞かぬ日なけむ
      (多知婆奈波 常花尓毛歟 保登等藝須 周無等来鳴者 伎可奴日奈家牟)
 橘(タチバナ)はミカンより小振りな食用柑橘類。「常花(とこはな)にもが」は「いつも咲く花であったらなあ」という意味。
 「橘の花は年がら年中咲く花であったらなあ。ホトトギスが住処にしてさえづり、いつもその鳴き声が聞けるのに」という歌である。

3910  玉に貫く楝を家に植ゑたらば山霍公鳥離れず来むかも
      (珠尓奴久 安布知乎宅尓 宇恵多良婆 夜麻霍公鳥 可礼受許武可聞)
 楝(あふち)はセンダンのことで、センダン科の落葉高木。実を緒(ひも)に通して連ねる。
 「玉を緒(ひも)に通して薬玉(くすだま)などにするセンダンを家の庭に植えたら山ホトトギスがやってきて離れないでやって来るだろうか」という歌である。
 左注に「右は四月二日に大伴宿祢書持(ふみもち)が奈良の家から兄家持(やかもち)に贈った歌」とある。当時、家持は内舎人(うどねり)として久邇京(京都)に勤めていた。3907番長歌参照。

 頭注に大略こうある。「橙や橘が初めて咲きホトトギス飛ぶ。三首の短歌を作って心を晴らす」
3911  あしひきの山辺に居れば霍公鳥木の間立ち潜き鳴かぬ日はなし
      (安之比奇能 山邊尓乎礼婆 保登等藝須 木際多知久吉 奈可奴日波奈之)
 「あしひきの」はお馴染みの枕詞。「山辺に居れば」は「山辺に暮らしている」という意味。「立ち潜(く)き」は「木立をくぐり抜け」という意味。
 「山の近くに暮らしていると、オトトギスが木々の間をくぐり抜けて泣かない日はありません」という歌である。

3912  霍公鳥何の心ぞ橘の玉貫く月し来鳴き響むる
      (保登等藝須 奈尓乃情曽 多知花乃 多麻奴久月之 来鳴登餘牟流)
 「橘の玉貫(ぬ)く月し」は1465番歌に「霍公鳥いたくな鳴きそ汝が声を五月の玉にあへ貫くまでに」と詠われている。「月し」は強意の「し」。五月五日の端午の節句に飾る薬玉(くすだま)のことを詠ったもの。 橘(タチバナ)はミカンより小振りな食用柑橘類。
 「ホトトギスは何を思って、橘の実を貫く五月にやってきて鳴き騒ぐのだろう」という歌である。

3913  霍公鳥楝の枝に行きて居ば花は散らむな玉と見るまで
      (保登等藝須 安不知能枝尓 由吉底居者 花波知良牟奈 珠登見流麻泥)
 楝(あふち)はセンダンのこと。前々歌参照。「玉と見るまで」はややはっきりしない。センダンは橘(タチバナ)に似て小柄な果実。花散る季節とは別の筈。「玉のような実がつくまで」という意味か?。
 「ホトトギスがセンダンの枝にやってきてとまるようになったら、花が散って玉のような実がなる季節までやってくるだろうか」という歌である。
 左注に「右の歌は四月三日に内舎人大伴宿祢家持が久邇京から弟書持(ふみもち)に贈った歌」とある。

3914  霍公鳥今し来鳴かば万代に語り継ぐべく思ほゆるかも
      (保登等藝須 今之来鳴者 餘呂豆代尓 可多理都具倍久 所念可母)
 「鳴かば」は「鳴いてくれたら」という意味。「今し」は強意の「し」
 「ホトトギスが今ここにやってきて鳴いてくれたら、未来永劫の語りぐさになるだろうに」という歌である。
 左注に大略こうある。「親しき者一堂に会し宴を開くもホトトギスはやってきて鳴かない。よってこの歌を作る。この宴がどこでいつ開かれたのか未詳」
 
 頭注に「山部宿祢明人(=赤人)鶯を詠む歌一首」とある。
3915  あしひきの山谷越えて野づかさに今は鳴くらむ鴬の声
      (安之比奇能 山谷古延氐 野豆加佐尓 今者鳴良武 宇具比須乃許恵)
 「あしひきの」はお馴染みの枕詞。「野づかさ」は「野の小高くなった所」。
 「山や谷を越えてきて、今ごろは野の小高くなった所にとまって鳴いているだろうな。あの鳴き声をきいていると」という歌である。
 左注に「年月と場所未詳、聞き書きのまま所収」とある。

 頭注に「十六年四月五日獨り居て平城(なら)の故宅で作った歌六首」とある。十六年は天平十六年(745年)。
3916  橘のにほへる香かも霍公鳥鳴く夜の雨にうつろひぬらむ
      (橘乃 尓保敝流香可聞 保登等藝須 奈久欲乃雨尓 宇都路比奴良牟)
  橘(タチバナ)はミカンより小振りな食用柑橘類。「うつろひぬらむ」は「消え失せてしまっただろうか」という意味である。
 「タチバナのかぐわしい香り。ホトトギスが鳴く今夜の雨で、香りは消え失せてしまっただろうか」という歌である。

3917  霍公鳥夜声なつかし網ささば花は過ぐとも離れずか鳴かむ
      (保登等藝須 夜音奈都可思 安美指者 花者須登毛 可礼受加奈可牟)
 「網ささば」は「網を張って捕らえれば」という意味。「ホトトギスの夜の鳴き声が興趣深い。網を張って捕らえれば花は散ってもそこを離れず鳴いてくれるだろうか」という歌である。

3918  橘のにほへる園に霍公鳥鳴くと人告ぐ網ささましを
      (橘乃 尓保敝流苑尓 保登等藝須 鳴等比登都具 安美佐散麻之乎)
 「網ささましを」は前歌参照。「網を張っておけばよかった」という意味。
 「橘の咲き匂う園にはホトトギスが鳴くと人は言う。ならば網を張って捕らえておけばよかった」という歌である。

3919  あをによし奈良の都は古りぬれどもと霍公鳥鳴かずあらなくに
      (青丹余之 奈良能美夜古波 布里奴礼登 毛等保登等藝須 不鳴安良<奈>久尓)
 「あをによし」は枕詞。「もと霍公鳥」は「旧(もと)のホトトギス」。
 「美しい奈良の都はさびれてしまったけれど、昔どおりホトトギスはやってきて鳴いている」という歌である。

3920  鶉鳴く古しと人は思へれど花橘のにほふこの宿
      (鶉鳴 布流之登比等波 於毛敝礼騰 花橘乃 尓保敷許乃屋度)
 「古(ふる)しと人は」は「さびれたと人は」思うという意味。「この宿」は「この家の敷地」のこと。
 「鶉(うづら)が鳴くようになってさびれたと人は思うだろうけれど、橘の花は今でも咲き匂っているこの家に」という歌である。

3921  かきつばた衣に摺り付け大夫の着襲ひ猟する月は来にけり
      (加吉都播多 衣尓須里都氣 麻須良雄乃 服曽比猟須流 月者伎尓家里)
 「かきつばた」はアヤメ科の多年草。初夏に通常紫ないし白の花をつける。布に擦りつけて染料とする。「大夫(ますらを)の」は「男衆」という意味。
 「かきつばたを着物に擦りつけて、着飾った立派な男衆が猟に出かける月がやってきたなあ」という歌である。
 左注に「以上六首、大伴家持作」とある。
           (2016年9月10日記、2019年4月6日)
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