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万葉集読解・・・250(3940~3956番歌)
3940 万代に心は解けて我が背子が捻みし手見つつ忍びかねつも
(餘呂豆代尓 許己呂波刀氣弖 和我世古我 都美之手見都追 志乃備加祢都母)
「捻(つ)みし」は「つまみとる」という意味だが、原文の「都美之」は「積みし」かと思う。「積みし手」すなわち「重ねた手」とするのが適切。
「万代(いついつまでも)と、心を解いてあなたが重ねた手を見ていると、あなたが恋しくて耐え難くなります」という歌である。
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万葉集読解・・・250(3940~3956番歌)
3940 万代に心は解けて我が背子が捻みし手見つつ忍びかねつも
(餘呂豆代尓 許己呂波刀氣弖 和我世古我 都美之手見都追 志乃備加祢都母)
「捻(つ)みし」は「つまみとる」という意味だが、原文の「都美之」は「積みし」かと思う。「積みし手」すなわち「重ねた手」とするのが適切。
「万代(いついつまでも)と、心を解いてあなたが重ねた手を見ていると、あなたが恋しくて耐え難くなります」という歌である。
3941 鴬の鳴くくら谷にうちはめて焼けは死ぬとも君をし待たむ
(鴬能 奈久々良多尓々 宇知波米弖 夜氣波之奴等母 伎美乎之麻多武)
「くら谷に」は「崖の切れ込んだ深い谷間に」ということ。「うちはめて」は「うちはさまって」という意味。「焼けは死ぬとも」は強調表現。「鴬が鳴く深い谷間にうちはさまって、たとえ焼け死のうと、ただあなたをお待ちします」という歌である。
(鴬能 奈久々良多尓々 宇知波米弖 夜氣波之奴等母 伎美乎之麻多武)
「くら谷に」は「崖の切れ込んだ深い谷間に」ということ。「うちはめて」は「うちはさまって」という意味。「焼けは死ぬとも」は強調表現。「鴬が鳴く深い谷間にうちはさまって、たとえ焼け死のうと、ただあなたをお待ちします」という歌である。
3942 松の花花数にしも我が背子が思へらなくにもとな咲きつつ
(麻都能波奈 花可受尓之毛 和我勢故我 於母敝良奈久尓 母登奈佐吉都追)
「松の花」は「待つの花」にかけている。「もとな」は3939番歌にあるように、「心もとない」ないし「しきりに」という意味。「松(待つ)の花の私ですが、数ある花の内ほどにもあなたは思っていらっしゃらないでしょうが、心もとなくも咲いています」という歌である。
左注に「右十二首はその時々の使いにあつらえたもの。一度に贈ったものでない」とある。
(麻都能波奈 花可受尓之毛 和我勢故我 於母敝良奈久尓 母登奈佐吉都追)
「松の花」は「待つの花」にかけている。「もとな」は3939番歌にあるように、「心もとない」ないし「しきりに」という意味。「松(待つ)の花の私ですが、数ある花の内ほどにもあなたは思っていらっしゃらないでしょうが、心もとなくも咲いています」という歌である。
左注に「右十二首はその時々の使いにあつらえたもの。一度に贈ったものでない」とある。
頭注に「八月七日夜、守大伴宿祢家持の舘に集まって宴を開いた際の歌」とある。3927番歌の頭注に「大伴家持、天平十八年閏七月越中國守に任命。七月着任。」とある。なので着任の翌月に開催された宴会
3943 秋の田の穂向き見がてり我が背子がふさ手折り来るをみなへしかも
(秋田乃 穂牟伎見我?里 和我勢古我 布左多乎里家流 乎美奈敝之香物)
「我が背子」は通常女性から恋人への呼びかけに使われる。が、本歌の場合は身内の役人。「ふさ」は1683番歌に「~ふさ手折り我がかざすべく花咲けるかも」とあるとおり、「いっぱい」、「すべて」という意味である。「秋の田の稲穂の状態を見がてら、貴君がオミナエシをいっぱい手折ってきてくれたんですね」という歌である。
左注に「守大伴宿祢家持作」とある。守(かみ)は長官。
3943 秋の田の穂向き見がてり我が背子がふさ手折り来るをみなへしかも
(秋田乃 穂牟伎見我?里 和我勢古我 布左多乎里家流 乎美奈敝之香物)
「我が背子」は通常女性から恋人への呼びかけに使われる。が、本歌の場合は身内の役人。「ふさ」は1683番歌に「~ふさ手折り我がかざすべく花咲けるかも」とあるとおり、「いっぱい」、「すべて」という意味である。「秋の田の稲穂の状態を見がてら、貴君がオミナエシをいっぱい手折ってきてくれたんですね」という歌である。
左注に「守大伴宿祢家持作」とある。守(かみ)は長官。
3944 をみなへし咲きたる野辺を行き廻り君を思ひ出た廻り来ぬ
(乎美奈敝之 左伎多流野邊乎 由伎米具利 吉美乎念出 多母登保里伎奴)
「君を」は大伴家持を指す。「た廻(もとほ)り来ぬ」は「あちこち巡り歩いて来ました」という意味である。
「オミナエシの咲いている野辺を行きめぐり、貴君を思ってはあちこちオミナエシを探して歩きまわりました」という歌である。
(乎美奈敝之 左伎多流野邊乎 由伎米具利 吉美乎念出 多母登保里伎奴)
「君を」は大伴家持を指す。「た廻(もとほ)り来ぬ」は「あちこち巡り歩いて来ました」という意味である。
「オミナエシの咲いている野辺を行きめぐり、貴君を思ってはあちこちオミナエシを探して歩きまわりました」という歌である。
3945 秋の夜は暁寒し白栲の妹が衣手着むよしもがも
(安吉能欲波 阿加登吉左牟之 思路多倍乃 妹之衣袖 伎牟餘之母我毛)
「白栲(しろたへ)の」は袖(衣手)の美称ないし「真っ白な」。「着むよしもがも」は「着るすべがあればなあ」という意味である。宴会の行われた八月七日はむろん旧暦。秋。
「秋の夜の暁は寒い。(奈良の都にいる)妻の袖を枕にできるすべがないものか」という歌である。
(安吉能欲波 阿加登吉左牟之 思路多倍乃 妹之衣袖 伎牟餘之母我毛)
「白栲(しろたへ)の」は袖(衣手)の美称ないし「真っ白な」。「着むよしもがも」は「着るすべがあればなあ」という意味である。宴会の行われた八月七日はむろん旧暦。秋。
「秋の夜の暁は寒い。(奈良の都にいる)妻の袖を枕にできるすべがないものか」という歌である。
3946 霍公鳥鳴きて過ぎにし岡びから秋風吹きぬよしもあらなくに
(保登等藝須 奈伎弖須疑尓之 乎加備可良 秋風吹奴 余之母安良奈久尓)
「岡びから」は「岡辺から」。
「ホトトギスが鳴いていた季節が過ぎ、岡辺から秋風が吹くようになった。(妻と共寝する)すべもないのに」という歌である。
左注に「右三首は掾大伴宿祢池主(いけぬし)作」とある。掾(じょう)は国司(国の役所)に置かれた四部官。守(かみ)、介(すけ)、掾(じょう)、目(さかん)の一つ。3番目の官。同じく越中國に赴任していた大伴家持は守(長官)だった。
(保登等藝須 奈伎弖須疑尓之 乎加備可良 秋風吹奴 余之母安良奈久尓)
「岡びから」は「岡辺から」。
「ホトトギスが鳴いていた季節が過ぎ、岡辺から秋風が吹くようになった。(妻と共寝する)すべもないのに」という歌である。
左注に「右三首は掾大伴宿祢池主(いけぬし)作」とある。掾(じょう)は国司(国の役所)に置かれた四部官。守(かみ)、介(すけ)、掾(じょう)、目(さかん)の一つ。3番目の官。同じく越中國に赴任していた大伴家持は守(長官)だった。
3947 今朝の朝明秋風寒し遠つ人雁が来鳴かむ時近みかも
(家佐能安佐氣 秋風左牟之 登保都比等 加里我来鳴牟 等伎知可美香物)
「遠つ人」は一般表現だが、むろん都の妻。
「今朝の明け方は秋風が寒かった。遠い人の消息を運んでくる雁がやってきて鳴く季節が近いのかなあ」という歌である。
(家佐能安佐氣 秋風左牟之 登保都比等 加里我来鳴牟 等伎知可美香物)
「遠つ人」は一般表現だが、むろん都の妻。
「今朝の明け方は秋風が寒かった。遠い人の消息を運んでくる雁がやってきて鳴く季節が近いのかなあ」という歌である。
3948 天離る鄙に月経ぬしかれども結ひてし紐を解きも開けなくに
(安麻射加流 比奈尓月歴奴 之可礼登毛 由比?之紐乎 登伎毛安氣奈久尓)
「天離(あまざか)る鄙(ひな)」は「遠い遠い田舎」のこと。
「遠い遠い田舎にやってきてひと月が経った。けれど、妻が結んでくれた着物の紐をほどく気にならなくて」という歌である。
左注に「右二首は守大伴宿祢家持作」とある。大伴家持の妻は坂上大嬢(さかのうえ のおおいらつめ)。
(安麻射加流 比奈尓月歴奴 之可礼登毛 由比?之紐乎 登伎毛安氣奈久尓)
「天離(あまざか)る鄙(ひな)」は「遠い遠い田舎」のこと。
「遠い遠い田舎にやってきてひと月が経った。けれど、妻が結んでくれた着物の紐をほどく気にならなくて」という歌である。
左注に「右二首は守大伴宿祢家持作」とある。大伴家持の妻は坂上大嬢(さかのうえ のおおいらつめ)。
3949 天離る鄙にある我れをうたがたも紐解き放けて思ほすらめや
(安麻射加流 比奈尓安流和礼乎 宇多我多毛 比<母>登吉佐氣? 於毛保須良米也)
「うたがたも」は「疑いもなく」ないし「決して」という意味である。この歌は、前歌を受けて長官大伴家持の心情を忖度した歌だ。結句の「思ほすらめや」が敬語になっている。
「遠い遠い田舎にいる我れらが着物の紐をほどいてくつろいでいるなどと奥様は思っておいででしょうか。決してそうではないでしょう」という歌である。
左注に「右一首は掾大伴宿祢池主作」とある。掾(じょう)は先の3946番歌左注参照。
(安麻射加流 比奈尓安流和礼乎 宇多我多毛 比<母>登吉佐氣? 於毛保須良米也)
「うたがたも」は「疑いもなく」ないし「決して」という意味である。この歌は、前歌を受けて長官大伴家持の心情を忖度した歌だ。結句の「思ほすらめや」が敬語になっている。
「遠い遠い田舎にいる我れらが着物の紐をほどいてくつろいでいるなどと奥様は思っておいででしょうか。決してそうではないでしょう」という歌である。
左注に「右一首は掾大伴宿祢池主作」とある。掾(じょう)は先の3946番歌左注参照。
3950 家にして結ひてし紐を解き放けず思ふ心を誰れか知らむも
(伊敝尓之底 由比弖師比毛乎 登吉佐氣受 念意緒 多礼賀思良牟母)
平明歌。
「都の家で妻が結んでくれた着物の紐をほどかないまま、妻のことを思うこの心を誰が分かってくれよう」という歌である。
左注に「右一首は守大伴宿祢家持作」とある。
(伊敝尓之底 由比弖師比毛乎 登吉佐氣受 念意緒 多礼賀思良牟母)
平明歌。
「都の家で妻が結んでくれた着物の紐をほどかないまま、妻のことを思うこの心を誰が分かってくれよう」という歌である。
左注に「右一首は守大伴宿祢家持作」とある。
3951 ひぐらしの鳴きぬる時はをみなへし咲きたる野辺を行きつつ見べし
(日晩之乃 奈吉奴流登吉波 乎美奈敝之 佐伎多流野邊乎 遊吉追都見倍之)
ひぐらしはセミの一種。秋の日暮れに「カナカナ」と鳴く。「見べし」は「見るべし」の詰まった言い方。
「ヒグラシが鳴く季節には、オミナエシが咲く野辺を散策しながら花を眺めるのがいいですね」という歌である。
左注に「右一首は大目秦忌寸八千嶋(はたのいみきやちしま)作」とある。大目(おほさかん)は国司四部官の一つ。4番目の官。先の3946番歌左注参照。
(日晩之乃 奈吉奴流登吉波 乎美奈敝之 佐伎多流野邊乎 遊吉追都見倍之)
ひぐらしはセミの一種。秋の日暮れに「カナカナ」と鳴く。「見べし」は「見るべし」の詰まった言い方。
「ヒグラシが鳴く季節には、オミナエシが咲く野辺を散策しながら花を眺めるのがいいですね」という歌である。
左注に「右一首は大目秦忌寸八千嶋(はたのいみきやちしま)作」とある。大目(おほさかん)は国司四部官の一つ。4番目の官。先の3946番歌左注参照。
3952 妹が家に伊久里の杜の藤の花今来む春も常かくし見む
(伊毛我伊敝尓 伊久里能母里乃 藤花 伊麻許牟春<母> 都祢加久之見牟)
「妹が家に」は次句の「伊久里の杜(もり)の」を導く序句。伊久里は富山県砺波市。市役所の東南方向にある井栗谷のこととされる。が、「伊久里の杜」は通常神社のことを指すので、射水(いみず)神社のことか?。「常かくし見む」は「いつものように見たい」という意味である。
「彼女の家に行こうという、その伊久里の神社の藤の花、やってくる今年の春もいつものように変わらぬ藤の花が咲いていてほしい」という歌である。
左注に「右一首は僧玄勝が傳誦した歌」とある。
(伊毛我伊敝尓 伊久里能母里乃 藤花 伊麻許牟春<母> 都祢加久之見牟)
「妹が家に」は次句の「伊久里の杜(もり)の」を導く序句。伊久里は富山県砺波市。市役所の東南方向にある井栗谷のこととされる。が、「伊久里の杜」は通常神社のことを指すので、射水(いみず)神社のことか?。「常かくし見む」は「いつものように見たい」という意味である。
「彼女の家に行こうという、その伊久里の神社の藤の花、やってくる今年の春もいつものように変わらぬ藤の花が咲いていてほしい」という歌である。
左注に「右一首は僧玄勝が傳誦した歌」とある。
3953 雁がねは使ひに来むと騒くらむ秋風寒みその川の上に
(鴈我祢波 都可比尓許牟等 佐和久良武 秋風左無美 曽乃可波能倍尓)
「雁がねは」は「雁が鳴き声を立てて」ということ。「秋風寒み」は「~ので」の「み」。秋風が寒く吹くようになると雁がやってくると人々が思っていることを踏まえている。
「雁が鳴き声を立てて使いにやってこようと騒ぎ立てているようだ、川上で。吹く秋風が寒くなってきたので」という歌である。
(鴈我祢波 都可比尓許牟等 佐和久良武 秋風左無美 曽乃可波能倍尓)
「雁がねは」は「雁が鳴き声を立てて」ということ。「秋風寒み」は「~ので」の「み」。秋風が寒く吹くようになると雁がやってくると人々が思っていることを踏まえている。
「雁が鳴き声を立てて使いにやってこようと騒ぎ立てているようだ、川上で。吹く秋風が寒くなってきたので」という歌である。
3954 馬並めていざ打ち行かな渋谿の清き磯廻に寄する波見に
(馬並? 伊射宇知由可奈 思夫多尓能 伎欲吉伊蘇<未>尓 与須流奈弥見尓)
渋谿(しぶたに)は越中国府があった富山県高岡市の渋谷の海岸(富山湾)。「さあ、馬を並べていざ打ち行こうではないか、あの渋谿の清らかな磯のあたりに寄せ来る波を見に」という歌である。
左注に「右二首は守大伴宿祢家持作」とある。
(馬並? 伊射宇知由可奈 思夫多尓能 伎欲吉伊蘇<未>尓 与須流奈弥見尓)
渋谿(しぶたに)は越中国府があった富山県高岡市の渋谷の海岸(富山湾)。「さあ、馬を並べていざ打ち行こうではないか、あの渋谿の清らかな磯のあたりに寄せ来る波を見に」という歌である。
左注に「右二首は守大伴宿祢家持作」とある。
3955 ぬばたまの夜は更けぬらし玉櫛笥二上山に月かたぶきぬ
(奴婆多麻乃 欲波布氣奴良之 多末久之氣 敷多我美夜麻尓 月加多夫伎奴)
「ぬばたまの」と「玉櫛笥(たまくしげ)」は枕詞。二上山から前歌の渋谿の崎が見渡せる。 「夜が更けてきたようだ。二上山に月が傾いてきた」という歌である。
左注に「右一首は史生土師宿祢道良(はにしのすくねみちよし)作」とある。史生(ししゃう)は書記官。国司四部官に入らない官。
(奴婆多麻乃 欲波布氣奴良之 多末久之氣 敷多我美夜麻尓 月加多夫伎奴)
「ぬばたまの」と「玉櫛笥(たまくしげ)」は枕詞。二上山から前歌の渋谿の崎が見渡せる。 「夜が更けてきたようだ。二上山に月が傾いてきた」という歌である。
左注に「右一首は史生土師宿祢道良(はにしのすくねみちよし)作」とある。史生(ししゃう)は書記官。国司四部官に入らない官。
頭注に「大目秦忌寸八千嶋(はたのいみきやちしま)が宴で作った歌」とある。大目(おほさかん)は国司四部官の一つ。4番目の官。先の3946番歌左注参照。
3956 奈呉の海人の釣する舟は今こそば舟棚打ちてあへて漕ぎ出め
(奈呉能安麻能 都里須流布祢波 伊麻許曽婆 敷奈太那宇知? 安倍弖許藝泥米)
「奈呉の海」は富山県射水市(旧新湊市)。現在射水市新湊庁舎がある。そこの前の海岸。「あへて」は「今こそは」を受けているので「勇んで」くらいの意味。
「奈呉の海人(あま)が釣りをする舟。今こそチャンス。舟べりを叩いてさあ勇んで漕ぎ出すだろうよ」という歌である。
左注に「右は客屋(離れの館)から蒼海を望み、主人八千嶋(やちしま)が作った歌」とある。
(2016年9月18日記、2019年4月7日)
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3956 奈呉の海人の釣する舟は今こそば舟棚打ちてあへて漕ぎ出め
(奈呉能安麻能 都里須流布祢波 伊麻許曽婆 敷奈太那宇知? 安倍弖許藝泥米)
「奈呉の海」は富山県射水市(旧新湊市)。現在射水市新湊庁舎がある。そこの前の海岸。「あへて」は「今こそは」を受けているので「勇んで」くらいの意味。
「奈呉の海人(あま)が釣りをする舟。今こそチャンス。舟べりを叩いてさあ勇んで漕ぎ出すだろうよ」という歌である。
左注に「右は客屋(離れの館)から蒼海を望み、主人八千嶋(やちしま)が作った歌」とある。
(2016年9月18日記、2019年4月7日)