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そ の 253 へ
万葉集読解・・・252(3965~3972番歌)
頭注に大略こうある。「(家持が)掾大伴宿祢池主(いけぬし)に贈った悲歌二首」(掾(じょう)は国司(国の役所)に置かれた四部官の一つ。3946番歌参照。)
「私 家持は突然悪病に見舞われ、十日以上寝床に伏せっています。痛苦もおさまりつつあり、花や鶯の春となり、みなで歓楽の座をもつべきでしょうが、いかんせん体力がありません。せめて拙い歌を差し出し出しますのでお笑いの種にしてくださいますよう」
3965 春の花今は盛りににほふらむ折りてかざさむ手力もがも
(波流能波奈 伊麻波左加里尓 仁保布良牟 乎里?加射佐武 多治可良毛我母)
「手力(たぢから)もがも」は「手に力があったなら」という意味。このとき家持は花を折ったりかざしたりする力もなかったようだ。
「春の花、今は盛りと咲きにおうことだろう。折ってかざす力が手にありません、その力がほしい」という歌である。
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万葉集読解・・・252(3965~3972番歌)
頭注に大略こうある。「(家持が)掾大伴宿祢池主(いけぬし)に贈った悲歌二首」(掾(じょう)は国司(国の役所)に置かれた四部官の一つ。3946番歌参照。)
「私 家持は突然悪病に見舞われ、十日以上寝床に伏せっています。痛苦もおさまりつつあり、花や鶯の春となり、みなで歓楽の座をもつべきでしょうが、いかんせん体力がありません。せめて拙い歌を差し出し出しますのでお笑いの種にしてくださいますよう」
3965 春の花今は盛りににほふらむ折りてかざさむ手力もがも
(波流能波奈 伊麻波左加里尓 仁保布良牟 乎里?加射佐武 多治可良毛我母)
「手力(たぢから)もがも」は「手に力があったなら」という意味。このとき家持は花を折ったりかざしたりする力もなかったようだ。
「春の花、今は盛りと咲きにおうことだろう。折ってかざす力が手にありません、その力がほしい」という歌である。
3966 鴬の鳴き散らすらむ春の花いつしか君と手折りかざさむ
(宇具比須乃 奈枳知良須良武 春花 伊都思香伎美登 多乎里加射左牟)
平明歌。
「ウグイスが鳴き散りかかる春の花、いつしか貴君と手折って頭にかざしたい」という歌である。
左注に「二月廿九日大伴宿祢家持」とある。天平十九年(747年)春二月のこと。
(宇具比須乃 奈枳知良須良武 春花 伊都思香伎美登 多乎里加射左牟)
平明歌。
「ウグイスが鳴き散りかかる春の花、いつしか貴君と手折って頭にかざしたい」という歌である。
左注に「二月廿九日大伴宿祢家持」とある。天平十九年(747年)春二月のこと。
頭注に、池主の、長々した美文調の漢文が掲載されている。要するに歌を贈ってもらったお礼と歌の返事である。
3967 山峽に咲ける桜をただ一目君に見せてば何をか思はむ
(夜麻我比邇 佐家流佐久良乎 多太比等米 伎美尓弥西?婆 奈尓乎可於母波牟)
「山峽(がひ)に」は「山間(やまあい)」のこと。「見せてば」は「見せることが出来れば」という意味。
「山間に咲く桜、この桜をただひと目あなたにお見せできたら何の心残りがありましょう」という歌である。
3967 山峽に咲ける桜をただ一目君に見せてば何をか思はむ
(夜麻我比邇 佐家流佐久良乎 多太比等米 伎美尓弥西?婆 奈尓乎可於母波牟)
「山峽(がひ)に」は「山間(やまあい)」のこと。「見せてば」は「見せることが出来れば」という意味。
「山間に咲く桜、この桜をただひと目あなたにお見せできたら何の心残りがありましょう」という歌である。
3968 鴬の来鳴く山吹うたがたも君が手触れず花散らめやも
(宇具比須能 伎奈久夜麻夫伎 宇多賀多母 伎美我手敷礼受 波奈知良米夜母)
「うたがたも」は「疑いもなく」ないし「決して」という意味である。
「ウグイスがやってきて鳴くヤマブキの花、決してあなたが手に取るまで散ってしまうことはないでしょう」という歌である。
左注に「沽洗二日掾大伴宿祢池主(いけぬし)」とある。沽洗(こせん)は三月、掾(じょう)は国司(国の役所)に置かれた四部官の一つ。3946番歌参照。
頭注に「更に贈歌一首並びに短歌」とあり、続けて大略こうある。「本当に私の拙い歌に対してお答え下さり、深くお礼申し上げます。まことに選ぶ言葉も技量もない私の拙い歌ですが重ねてお贈りしますのでお笑いの種にして下さい」。大伴家持の歌。
3969番長歌
大君の 任けのまにまに しなざかる 越を治めに 出でて来し ますら我れすら 世間の 常しなければ うち靡き 床に臥い伏し 痛けくの 日に異に増せば 悲しけく ここに思ひ出 いらなけく そこに思ひ出 嘆くそら 安けなくに 思ふそら 苦しきものを あしひきの 山きへなりて 玉桙の 道の遠けば 間使も 遣るよしもなみ 思ほしき 言も通はず たまきはる 命惜しけど せむすべの たどきを知らに 隠り居て 思ひ嘆かひ 慰むる 心はなしに 春花の 咲ける盛りに 思ふどち 手折りかざさず 春の野の 茂み飛び潜く 鴬の 声だに聞かず 娘子らが 春菜摘ますと 紅の 赤裳の裾の 春雨に にほひひづちて 通ふらむ 時の盛りを いたづらに 過ぐし遣りつれ 偲はせる 君が心を うるはしみ この夜すがらに 寐も寝ずに 今日もしめらに 恋ひつつぞ居る
(於保吉民能 麻氣乃麻尓々々 之奈射加流 故之乎袁佐米尓 伊泥?許之 麻須良和礼須良 余能奈可乃 都祢之奈家礼婆 宇知奈妣伎 登許尓己伊布之 伊多家苦乃 日異麻世婆 可奈之家口 許己尓思出 伊良奈家久 曽許尓念出 奈氣久蘇良 夜須<家>奈久尓 於母布蘇良 久流之伎母能乎 安之比紀能 夜麻伎敝奈里? 多麻保許乃 美知能等保家<婆> 間使毛 遣縁毛奈美 於母保之吉 許等毛可欲波受 多麻伎波流 伊能知乎之家登 勢牟須辨能 多騰吉乎之良尓 隠居而 念奈氣加比 奈具佐牟流 許己呂波奈之尓 春花<乃> 佐家流左加里尓 於毛敷度知 多乎里可射佐受 波流乃野能 之氣美<登>妣久々 鴬 音太尓伎加受 乎登賣良我 春菜都麻須等 久礼奈為能 赤裳乃須蘇能 波流佐米尓 々保比々豆知弖 加欲敷良牟 時盛乎 伊多豆良尓 須具之夜里都礼 思努波勢流 君之心乎 宇流波之美 此夜須我浪尓 伊母祢受尓 今日毛之賣良尓 孤悲都追曽乎流)
(宇具比須能 伎奈久夜麻夫伎 宇多賀多母 伎美我手敷礼受 波奈知良米夜母)
「うたがたも」は「疑いもなく」ないし「決して」という意味である。
「ウグイスがやってきて鳴くヤマブキの花、決してあなたが手に取るまで散ってしまうことはないでしょう」という歌である。
左注に「沽洗二日掾大伴宿祢池主(いけぬし)」とある。沽洗(こせん)は三月、掾(じょう)は国司(国の役所)に置かれた四部官の一つ。3946番歌参照。
頭注に「更に贈歌一首並びに短歌」とあり、続けて大略こうある。「本当に私の拙い歌に対してお答え下さり、深くお礼申し上げます。まことに選ぶ言葉も技量もない私の拙い歌ですが重ねてお贈りしますのでお笑いの種にして下さい」。大伴家持の歌。
3969番長歌
大君の 任けのまにまに しなざかる 越を治めに 出でて来し ますら我れすら 世間の 常しなければ うち靡き 床に臥い伏し 痛けくの 日に異に増せば 悲しけく ここに思ひ出 いらなけく そこに思ひ出 嘆くそら 安けなくに 思ふそら 苦しきものを あしひきの 山きへなりて 玉桙の 道の遠けば 間使も 遣るよしもなみ 思ほしき 言も通はず たまきはる 命惜しけど せむすべの たどきを知らに 隠り居て 思ひ嘆かひ 慰むる 心はなしに 春花の 咲ける盛りに 思ふどち 手折りかざさず 春の野の 茂み飛び潜く 鴬の 声だに聞かず 娘子らが 春菜摘ますと 紅の 赤裳の裾の 春雨に にほひひづちて 通ふらむ 時の盛りを いたづらに 過ぐし遣りつれ 偲はせる 君が心を うるはしみ この夜すがらに 寐も寝ずに 今日もしめらに 恋ひつつぞ居る
(於保吉民能 麻氣乃麻尓々々 之奈射加流 故之乎袁佐米尓 伊泥?許之 麻須良和礼須良 余能奈可乃 都祢之奈家礼婆 宇知奈妣伎 登許尓己伊布之 伊多家苦乃 日異麻世婆 可奈之家口 許己尓思出 伊良奈家久 曽許尓念出 奈氣久蘇良 夜須<家>奈久尓 於母布蘇良 久流之伎母能乎 安之比紀能 夜麻伎敝奈里? 多麻保許乃 美知能等保家<婆> 間使毛 遣縁毛奈美 於母保之吉 許等毛可欲波受 多麻伎波流 伊能知乎之家登 勢牟須辨能 多騰吉乎之良尓 隠居而 念奈氣加比 奈具佐牟流 許己呂波奈之尓 春花<乃> 佐家流左加里尓 於毛敷度知 多乎里可射佐受 波流乃野能 之氣美<登>妣久々 鴬 音太尓伎加受 乎登賣良我 春菜都麻須等 久礼奈為能 赤裳乃須蘇能 波流佐米尓 々保比々豆知弖 加欲敷良牟 時盛乎 伊多豆良尓 須具之夜里都礼 思努波勢流 君之心乎 宇流波之美 此夜須我浪尓 伊母祢受尓 今日毛之賣良尓 孤悲都追曽乎流)
長歌は用語の解説は最小限にとどめる。なお、本歌は3962番長歌と類似しており、そちらも参照してほしい。
「しなざかる」は「天離(あまざか)る」と同意、「遠く遠く離れた」という意味。「いらなけく」は「つらい」こと。「あしひきの」、「玉桙(たまほこ)の」、「たまきはる」は枕詞。「山きへなりて」は「山を隔てているので」という意味。 「間使(まづかひ)も」は「二人の間を行き来する使いも」という意味。「茂み飛び潜(く)く」は「木の茂みをかいくぐって」という意味である。
「しなざかる」は「天離(あまざか)る」と同意、「遠く遠く離れた」という意味。「いらなけく」は「つらい」こと。「あしひきの」、「玉桙(たまほこ)の」、「たまきはる」は枕詞。「山きへなりて」は「山を隔てているので」という意味。 「間使(まづかひ)も」は「二人の間を行き来する使いも」という意味。「茂み飛び潜(く)く」は「木の茂みをかいくぐって」という意味である。
(口語訳)
「大君のご命令のままに遠い遠い越中の国を治めるために都から出てきた。男気であるべき私ですら、世の中は常ならずぐったりと床に伏してしまった。苦痛は日に日に増さり、悲しいことに思いがいき、つらいことも思ったりして、嘆いていると、心安らかではありません。思えば思うほど苦しい。都とは山々を隔たっており、玉桙の道は遠く、妻と私の間を行き来する使いをやる手だてもない。思っていることの言葉も交わせない。限りある命、どうしていいかその手だても知らず、独り家に居て思い嘆き、慰める心も見あたらない。春の花が咲く盛りなのに思う仲間と花を手折ってかざすこともできない。春の野には木の茂みをくぐり抜けて鳴くウグイスがいるだろうにその声も聞かずにいる。また娘子(おとめ)たちが春の菜をつもうと、くれないの赤裳の裾を春雨に美しく濡らして通うだろう。そんな春の盛りなのに、いたずらに時を過ごしています。ただ貴君のことが思い出され、うるわしくありがたく、夜もすがら眠ることが出来ず、今日もしんみりと貴君を恋い続けています」
「大君のご命令のままに遠い遠い越中の国を治めるために都から出てきた。男気であるべき私ですら、世の中は常ならずぐったりと床に伏してしまった。苦痛は日に日に増さり、悲しいことに思いがいき、つらいことも思ったりして、嘆いていると、心安らかではありません。思えば思うほど苦しい。都とは山々を隔たっており、玉桙の道は遠く、妻と私の間を行き来する使いをやる手だてもない。思っていることの言葉も交わせない。限りある命、どうしていいかその手だても知らず、独り家に居て思い嘆き、慰める心も見あたらない。春の花が咲く盛りなのに思う仲間と花を手折ってかざすこともできない。春の野には木の茂みをくぐり抜けて鳴くウグイスがいるだろうにその声も聞かずにいる。また娘子(おとめ)たちが春の菜をつもうと、くれないの赤裳の裾を春雨に美しく濡らして通うだろう。そんな春の盛りなのに、いたずらに時を過ごしています。ただ貴君のことが思い出され、うるわしくありがたく、夜もすがら眠ることが出来ず、今日もしんみりと貴君を恋い続けています」
3970 あしひきの山桜花一目だに君とし見てば我れ恋ひめやも
(安之比奇能 夜麻佐久良婆奈 比等目太尓 伎美等之見?婆 安礼古<非>米夜母)
「あしひきの」はお馴染みの枕詞。「君とし見てば」は「あなたと一緒に見られたら」という意味である。
「山に咲くあの桜の花を一目なりとあなたと一緒に見られたら、こんなにあなたのことを恋しく思うでしょうか」という歌である。
(安之比奇能 夜麻佐久良婆奈 比等目太尓 伎美等之見?婆 安礼古<非>米夜母)
「あしひきの」はお馴染みの枕詞。「君とし見てば」は「あなたと一緒に見られたら」という意味である。
「山に咲くあの桜の花を一目なりとあなたと一緒に見られたら、こんなにあなたのことを恋しく思うでしょうか」という歌である。
3971 山吹の茂み飛び潜く鴬の声を聞くらむ君は羨しも
(夜麻扶枳能 之氣美<登>?久々 鴬能 許恵乎聞良牟 伎美波登母之毛)
「飛び潜(く)く」は「飛びくぐる」という意味。
「ヤマブキの茂みを飛びくぐって鳴くウグイスの声を聞いておあられるだろうあなたが本当に羨ましい」という歌である。
(夜麻扶枳能 之氣美<登>?久々 鴬能 許恵乎聞良牟 伎美波登母之毛)
「飛び潜(く)く」は「飛びくぐる」という意味。
「ヤマブキの茂みを飛びくぐって鳴くウグイスの声を聞いておあられるだろうあなたが本当に羨ましい」という歌である。
3972 出で立たむ力をなみと隠り居て君に恋ふるに心どもなし
(伊泥多々武 知加良乎奈美等 許母里為弖 伎弥尓故布流尓 許己呂度母奈思)
「力をなみ」は「~ので」のみ。「心どもなし」は「放心状態」のこと。
「外出する力もないからと家にこもりっきりでいて、あなたのことを恋しく思っていると、なんだかぼんやりします」という歌である。
「三月三日大伴宿祢家持」とある。
(伊泥多々武 知加良乎奈美等 許母里為弖 伎弥尓故布流尓 許己呂度母奈思)
「力をなみ」は「~ので」のみ。「心どもなし」は「放心状態」のこと。
「外出する力もないからと家にこもりっきりでいて、あなたのことを恋しく思っていると、なんだかぼんやりします」という歌である。
「三月三日大伴宿祢家持」とある。
続いて、三月四日付の大伴宿祢池主の長々とした手紙が掲載されている。大伴家持の心情を思いやったり、贈られた詩を最大限に持ち上げる、いわゆる美辞麗句で綴られている。なので紹介するまでもなかろうと判断して省略したい。ただこの手紙のなかに漢詩が入っている。七文字からなる七言律詩。この漢詩だけは、原詩と訳文を付して紹介しておこう。
餘春媚日宜怜賞 上巳風光足覧遊
柳陌臨江縟袨服 桃源通海泛仙舟
雲罍酌桂三清湛 羽爵催人九曲流
縦酔陶心忘彼我 酩酊無處不淹留
上巳は陰暦三月の初めての巳(へび)の日だが、魏の頃から次第に三月三日を指すようになった。陰暦の三月三日は餘春(晩春)とされた。
(訳文)
晩春の好日、三月三日は風光よく遊覧に足りる。
川の柳の並木道は晴れ着を美しく彩る。桃は河口に通じ、理想郷の舟を浮かべる。
雲雷模様の酒樽に上等の酒を入れ、羽模様の杯に清酒を注いでうたげ。
欲しいままに酔いしれ彼我を忘れる。酩酊してとどまる所を知らず。
餘春媚日宜怜賞 上巳風光足覧遊
柳陌臨江縟袨服 桃源通海泛仙舟
雲罍酌桂三清湛 羽爵催人九曲流
縦酔陶心忘彼我 酩酊無處不淹留
上巳は陰暦三月の初めての巳(へび)の日だが、魏の頃から次第に三月三日を指すようになった。陰暦の三月三日は餘春(晩春)とされた。
(訳文)
晩春の好日、三月三日は風光よく遊覧に足りる。
川の柳の並木道は晴れ着を美しく彩る。桃は河口に通じ、理想郷の舟を浮かべる。
雲雷模様の酒樽に上等の酒を入れ、羽模様の杯に清酒を注いでうたげ。
欲しいままに酔いしれ彼我を忘れる。酩酊してとどまる所を知らず。
・・・
以上、三月四日付掾大伴宿祢池主の手紙。
(2016年9月24日記、2019年4月7日)
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以上、三月四日付掾大伴宿祢池主の手紙。
(2016年9月24日記、2019年4月7日)