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万葉集読解・・・253(3973~3982番歌)

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     万葉集読解・・・253(3973~3982番歌)
 三月四日(大伴家持に応えた)大伴宿祢池主の歌
3973番長歌
   大君の 命畏み あしひきの 山野さはらず 天離る 鄙も治むる 大夫や なにか物思ふ あをによし 奈良道来通ふ 玉梓の 使絶えめや 隠り恋ひ 息づきわたり 下思に 嘆かふ我が背 いにしへゆ 言ひ継ぎくらし 世間は 数なきものぞ 慰むる こともあらむと 里人の 我れに告ぐらく 山びには 桜花散り 貌鳥の 間なくしば鳴く 春の野に すみれを摘むと 白栲の 袖折り返し 紅の 赤裳裾引き 娘子らは 思ひ乱れて 君待つと うら恋すなり 心ぐし いざ見に行かな ことはたなゆひ
    (憶保枳美能 弥許等可之古美 安之比奇能 夜麻野佐<波>良受 安麻射可流 比奈毛乎佐牟流 麻須良袁夜 奈邇可母能毛布 安乎尓余之 奈良治伎可欲布 多麻豆佐能 都可比多要米也 己母理古非 伊枳豆伎和多利 之多毛比尓 奈氣可布和賀勢 伊尓之敝由 伊比都藝久良之 餘乃奈加波 可受奈枳毛能曽 奈具佐牟流 己等母安良牟等 佐刀?等能 安礼邇都具良久 夜麻備尓波 佐久良婆奈知利 可保等利能 麻奈久之婆奈久 春野尓 須美礼乎都牟等 之路多倍乃 蘇泥乎利可敝之 久礼奈為能 安可毛須蘇妣伎 乎登賣良<波> 於毛比美太礼弖 伎美麻都等 宇良呉悲須奈理 己許呂具志 伊謝美尓由加奈 許等波多奈由比)

  長歌の用語解説は最小限にとどめる。「あしひきの」、「あをによし」、「玉梓(たまづさ)の」は枕詞。「山野さはらず」は「山や野をものともせず」という意味。「貌鳥(かほとり)の」はカッコウとも鳴き声の美しい鳥ともいう。「心ぐし」は「どんよりと曇ったような思い」のこと。「ことはたなゆひ」は「約束しましたぞ」という意味。

  (口語訳)
 「大君の仰せのままに山や野をものともせず、遠い遠い田舎の国を治める男であるあなた、何を心配されることがあろう。奈良を行き来する使いが絶えることなどありましょうか。家にこもってため息ばかりつき、心の内に嘆いてばかりのあなた。古来から言い継がれてきたではありませんか。世の中は何があるか分からないと。気の休まることもありましょう。地元の人々が私に言います。山のふもとには桜の花が散り、鳴き声の美しい貌鳥(かおどり)がひっきりなしに鳴いています。また、春の野にスミレをつもうと、美しい袖を折り返し、紅色の赤裳の裾を引いた娘子たちがお出でを心待ちにしています。さあ一緒に見にいきましょう。約束しましたよ」

3974  山吹は日に日に咲きぬうるはしと我が思ふ君はしくしく思ほゆ
      (夜麻夫枳波 比尓々々佐伎奴 宇流波之等 安我毛布伎美波 思久々々於毛保由)
 「しくしく」は2234番歌に「一日には千重しくしくに我が恋ふる妹が~」とあるように、「しきりに」という意味である。
 「ヤマブキは日ごとに咲くように、うるわしいあなたがしきりに思われてなりません」という歌である。

3975  我が背子に恋ひすべながり葦垣の外に嘆かふ我れし悲しも
      (和賀勢故邇 古非須敝奈賀利 安之可伎能 保可尓奈氣加布 安礼之可奈思母)
 「恋ひすべながり」は「なすすべが無い」という意味である。
 「あなたを思うとどうしようもなく、葦(あし)の垣根の外から嘆くしかない私は悲しい」という歌である。

 三月五日、大伴宿祢池主の手紙に対する大伴家持の手紙。池主の手紙と歌に対し、丁重なお礼を記し、池主と同じく長々と美辞麗句を連ねた手紙。手紙の中には漢詩が入っている。七文字からなる七言律詩。この漢詩だけは、原詩と訳文を付して紹介しておこう。
  杪春餘日媚景麗  初巳和風拂自輕
  来燕衒泥賀宇入  歸鴻引蘆逈赴瀛
  聞君嘯侶新流曲  禊飲催爵泛河清
  雖欲追尋良此宴  還知染懊脚跉[足+丁]
 「杪春」は「晩春」、「初巳」は「三月三日」。「衒泥賀宇入」は「巣作り」のためか?。
「歸鴻」は「帰る大白鳥」。ここは北国に帰る雁。「引蘆」は意味不明、「蘆(あし)をくわえたままあわてて飛び立つ」という意味か?。「新流曲」は「流れるような歌を新たに披露し」という意味か。「爵泛」は「杯を浮かべる」。「還知染懊脚」は「病気から復旧しないで」という意味。
 (訳文)
  晩春の終わり頃は景色がことのほか麗しく、三月三日の微風は自ずから軽やか。
  飛来するツバメは巣作りをすべく泥を口に含んで家に入ってくる。雁は蘆をくわえたままあわ てて遙か北をめざして飛ぶ。
  聞けば貴君は流れるような歌を新たに作り、三月三日の宴を催して清流の川に杯を浮 かべたという。
  こんなすばらしい宴に是非出たいと思うけれど、病苦からいまだ癒えず、足がふらつ くので参加できない。

 短歌二首
3976  咲けりとも知らずしあらば黙もあらむこの山吹を見せつつもとな
      (佐家理等母 之良受之安良婆 母太毛安良牟 己能夜万夫吉乎 美勢追都母等奈)
 「もとな」は「無性に」ないし「しきりに」。
 「咲いたことも知らずにいたら そのまま平静でいられたでしょうに、ヤマブキの花をお見せになるものですから、しきりに見たくてなりません」という歌である。

3977  葦垣の外にも君が寄り立たし恋ひけれこそば夢に見えけれ
      (安之可伎能 保加尓母伎美我 余里多々志 孤悲家礼許<曽>婆 伊米尓見要家礼)
 「葦垣(あしがき)」は「葦の垣根」。
 「葦(あし)の垣根の外からも貴君が寄り立たれ、私を慕って(心配して)下さったので夢にでてきたのですね」という歌である。
 左注に「三月五日大伴宿祢家持病に臥して作った歌」とある。
 
 頭注に「(妻への)恋心を述べた歌並びに短歌」とある。大伴家持の妻は坂上大嬢(さかのうえのおほいらつめ)。
3978番長歌
   妹も我れも 心は同じ たぐへれど いやなつかしく 相見れば 常初花に 心ぐし めぐしもなしに はしけやし 我が奥妻 大君の 命畏み あしひきの 山越え野行き 天離る 鄙治めにと 別れ来し その日の極み あらたまの 年行き返り 春花の うつろふまでに 相見ねば いたもすべなみ 敷栲の 袖返しつつ 寝る夜おちず 夢には見れど うつつにし 直にあらねば 恋しけく 千重に積もりぬ 近くあらば 帰りにだにも うち行きて 妹が手枕 さし交へて 寝ても来ましを 玉桙の 道はし遠く 関さへに へなりてあれこそ よしゑやし よしはあらむぞ 霍公鳥 来鳴かむ月に いつしかも 早くなりなむ 卯の花の にほへる山を よそのみも 振り放け見つつ 近江道に い行き乗り立ち あをによし 奈良の我家に ぬえ鳥の うら泣けしつつ 下恋に 思ひうらぶれ 門に立ち 夕占問ひつつ 我を待つと 寝すらむ妹を 逢ひてはや見む
   (妹毛吾毛 許己呂波於夜自 多具敝礼登 伊夜奈都可之久 相見<婆> 登許波都波奈尓 情具之 眼具之毛奈之尓 波思家夜之 安我於久豆麻 大王能 美許登加之古美 阿之比奇能 夜麻古要奴由伎 安麻射加流 比奈乎左米尓等 別来之 曽乃日乃伎波美 荒璞能 登之由吉我敝利 春花<乃> 宇都呂布麻泥尓 相見祢婆 伊多母須敝奈美 之伎多倍能 蘇泥可敝之都追 宿夜於知受 伊米尓波見礼登 宇都追尓之 多太尓安良祢婆 孤悲之家口 知敝尓都母里奴 近<在>者 加敝利尓太仁母 宇知由吉? 妹我多麻久良 佐之加倍? 祢天蒙許万思乎 多麻保己乃 路波之騰保久 關左閇尓 敝奈里?安礼許曽 与思恵夜之 餘志播安良武曽 霍公鳥 来鳴牟都奇尓 伊都之加母 波夜久奈里那牟 宇乃花能 尓保敝流山乎 余曽能未母 布里佐氣見都追 淡海路尓 伊由伎能里多知 青丹吉 奈良乃吾家尓 奴要鳥能 宇良奈氣之都追 思多戀尓 於毛比宇良夫礼 可度尓多知 由布氣刀比都追 吾乎麻都等 奈須良牟妹乎 安比?早見牟)

 長歌は用語の解説は最小限にとどめる。「たぐへれど」は「寄り添っている」という意味である。「常(とこ)初花に心ぐし」は「いつも初花のように初々しい気持ち」という意味。「めぐしもなしに」は「目に入れても痛くない」というほどの意味。「あしひきの」、「あらたまの」、「玉桙(たまほこ)の」等は枕詞。「いたもすべなみ」は「どうにもならない」という意味。「ぬえ鳥」はトラツグミだが枕詞説もある。悲しげな声で鳴く。

  (口語訳)
 「そなたも私も心は同じ。寄り添っている。思えば本当になつかしい。逢えばいつも初花のように初々しく、目に入れても痛くないほど可愛くてたまらない。わが心の奥にいる妻。恐れ多くも大君の仰せのままに、山越え野を行き、遠く遠く離れた田舎の地を治めるためにそなたと別れてきた。以来、年も改まり、春の花が咲きにおう頃になっても直接逢えず、どうにもやるせない。着物の袖を返して寝ると毎夜あなたを夢に見ます。けれど、現実に逢う訳ではないので恋しさが幾重にも募ります。家が近ければ、ひとっ走りして、そなたと手枕を差し交わして来られるものを。奈良の家は遠く、関所もあって隔てられている。ああ、何かよい手段はないものだろうか。ホトトギスが鳴く夏が早くやってきてほしい。卯の花の咲く山をよそ目にみつつ近江路をたどっていき、奈良の我が家を目指すだろうに。悲しげに鳴くぬえ鳥のように心の中に恋心を秘め、うら悲しげに門に立ったり、夕占いにすがったりしたであろう彼女。私の帰りを待って独り寝を重ねていただろう、その彼女に一刻も早く逢えるだろうに」

3979  あらたまの年返るまで相見ねば心もしのに思ほゆるかも
      (安良多麻<乃> 登之可敝流麻泥 安比見祢婆 許己呂毛之努尓 於母保由流香聞)
 「あらたまの」は枕詞。「心もしのに」は「心もしんなり」という意味。「年が改まらないと妻に逢えないと思うと、心もしんなりするように思える」という歌である。

3980  ぬばたまの夢にはもとな相見れど直にあらねば恋ひやまずけり
      (奴婆多麻乃 伊米尓<波>母等奈 安比見礼騰 多太尓安良祢婆 孤悲夜麻受家里)
 「ぬばたまの」は枕詞。「もとな」は「しきりに」という意味。
 「夢では妻としきりに逢っているが、直接逢っているわけではないので、恋しくてならない」という歌である。

3981  あしひきの山きへなりて遠けども心し行けば夢に見えけり
      (安之比奇能 夜麻伎敝奈里氐 等保家騰母 許己呂之遊氣婆 伊米尓美要家里)
 「あしひきの」は枕詞。「山きへなりて」は「山々に隔てられ」という意味である。「心し」は強意の「し」。
 「山々に隔てられ遠く離れているが、心は行き夢で逢える」という歌である。

3982  春花のうつろふまでに相見ねば月日数みつつ妹待つらむぞ
      (春花能 宇都路布麻泥尓 相見祢<婆> 月日餘美都追 伊母麻都良牟曽)
 「うつろふまでに」は「散り失せてしまうまで」という意味。「相見ねば」は「逢えないので」。
 「春の花が散り失せてしまうまで(夏になるまで)、私に逢えないので月日を指折り数えながら彼女は待っていることだろう」という歌である。
 左注に「右は三月廿日夜の内にたちまち恋情が起きて作った歌。大伴宿祢家持」とある。
           (2016年9月30日記、2019年4月7日)
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