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そ の 255 へ
万葉集読解・・・254(3983~3992番歌)
頭注に「立夏四月既に日を重ねたが霍公鳥の鳴く声を聞かず。これを恨みて作る歌二首」とある。
3983 あしひきの山も近きを霍公鳥月立つまでに何か来鳴かぬ
(安思比奇能 夜麻毛知可吉乎 保登等藝須 都奇多都麻泥尓 奈仁加吉奈可奴)
「あしひきの」はお馴染みの枕詞。「月立つまでに」は「立夏四月までもうすぐなのに」という意味である。
「山は近いのにホトトギス、立夏四月が目の前なのになぜ里に下りてきて鳴かないのか」という歌である。
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万葉集読解・・・254(3983~3992番歌)
頭注に「立夏四月既に日を重ねたが霍公鳥の鳴く声を聞かず。これを恨みて作る歌二首」とある。
3983 あしひきの山も近きを霍公鳥月立つまでに何か来鳴かぬ
(安思比奇能 夜麻毛知可吉乎 保登等藝須 都奇多都麻泥尓 奈仁加吉奈可奴)
「あしひきの」はお馴染みの枕詞。「月立つまでに」は「立夏四月までもうすぐなのに」という意味である。
「山は近いのにホトトギス、立夏四月が目の前なのになぜ里に下りてきて鳴かないのか」という歌である。
3984 玉に貫く花橘をともしみしこの我が里に来鳴かずあるらし
(多麻尓奴久 波奈多知<婆>奈乎 等毛之美思 己能和我佐刀尓 伎奈可受安流良之)
「ともしみし」のしは強意。みは「~ので」の「み」。すなわち「乏しいので」ということ。
「玉に貫いて飾る橘の花が乏しいので、この我が里に(ホトトギス)はやって来て鳴かないのだろうか」という歌である。
左注に「霍公鳥は立夏の日にはやってきて鳴くのが通常。又、越中國は橙橘が希な風土。これを残念に思って大伴宿祢家持此の歌を作る。三月廿九日」とある。
(多麻尓奴久 波奈多知<婆>奈乎 等毛之美思 己能和我佐刀尓 伎奈可受安流良之)
「ともしみし」のしは強意。みは「~ので」の「み」。すなわち「乏しいので」ということ。
「玉に貫いて飾る橘の花が乏しいので、この我が里に(ホトトギス)はやって来て鳴かないのだろうか」という歌である。
左注に「霍公鳥は立夏の日にはやってきて鳴くのが通常。又、越中國は橙橘が希な風土。これを残念に思って大伴宿祢家持此の歌を作る。三月廿九日」とある。
頭注に「二上山賦一首。此山は射水郡にある」とある。二上山は富山県高岡市に現存。賦は長歌を指す。
3985番長歌
射水川 い行き廻れる 玉櫛笥 二上山は 春花の 咲ける盛りに 秋の葉の にほへる時に 出で立ちて 振り放け見れば 神からや そこば貴き 山からや 見が欲しからむ 統め神の 裾廻の山の 渋谿の 崎の荒磯に 朝なぎに 寄する白波 夕なぎに 満ち来る潮の いや増しに 絶ゆることなく いにしへゆ 今のをつつに かくしこそ 見る人ごとに 懸けて偲はめ
(伊美都河泊 伊由伎米具礼流 多麻久之氣 布多我美山者 波流波奈乃 佐家流左加利尓 安吉<能>葉乃 尓保敝流等伎尓 出立? 布里佐氣見礼婆 可牟加良夜 曽許婆多敷刀伎 夜麻可良夜 見我保之加良武 須賣可未能 須蘇未乃夜麻能 之夫多尓能 佐吉乃安里蘇尓 阿佐奈藝尓 餘須流之良奈美 由敷奈藝尓 美知久流之保能 伊夜麻之尓 多由流許登奈久 伊尓之敝由 伊麻乃乎都豆尓 可久之許曽 見流比登其等尓 加氣氐之努波米)
3985番長歌
射水川 い行き廻れる 玉櫛笥 二上山は 春花の 咲ける盛りに 秋の葉の にほへる時に 出で立ちて 振り放け見れば 神からや そこば貴き 山からや 見が欲しからむ 統め神の 裾廻の山の 渋谿の 崎の荒磯に 朝なぎに 寄する白波 夕なぎに 満ち来る潮の いや増しに 絶ゆることなく いにしへゆ 今のをつつに かくしこそ 見る人ごとに 懸けて偲はめ
(伊美都河泊 伊由伎米具礼流 多麻久之氣 布多我美山者 波流波奈乃 佐家流左加利尓 安吉<能>葉乃 尓保敝流等伎尓 出立? 布里佐氣見礼婆 可牟加良夜 曽許婆多敷刀伎 夜麻可良夜 見我保之加良武 須賣可未能 須蘇未乃夜麻能 之夫多尓能 佐吉乃安里蘇尓 阿佐奈藝尓 餘須流之良奈美 由敷奈藝尓 美知久流之保能 伊夜麻之尓 多由流許登奈久 伊尓之敝由 伊麻乃乎都豆尓 可久之許曽 見流比登其等尓 加氣氐之努波米)
長歌は用語の解説を最小限にとどめる。射水川(いみづかは)は富山県高岡市と射水市の間を流れる小矢部川のこと。「玉櫛笥(たまくしげ)」は枕詞。「神からや」と「山からや」は「~の風格」。「渋谿(しぶたに)の崎」は「二上山」の麓から東北の富山湾に突き出した所。「今のをつつに」は「今現在まで」という意味。
(口語訳)
「射水川(いみづかは)が流れ下る二上山。春の花の盛りに、秋の葉が紅葉に染まる頃に、家を出て山を振り返ってみると、神の風格に満ちて尊く、山の立派な風格に見入らずにいられない。神が治めていらしゃる山(二子山)の麓から突き出した渋谿の崎の荒磯に朝なぎどきに寄せる白波。夕なぎどきに満ちてくる潮がずっと絶えることがない。古来から今現在に至るまでこんな風にして見る人誰もが心に懸けてきたことだろう」
「射水川(いみづかは)が流れ下る二上山。春の花の盛りに、秋の葉が紅葉に染まる頃に、家を出て山を振り返ってみると、神の風格に満ちて尊く、山の立派な風格に見入らずにいられない。神が治めていらしゃる山(二子山)の麓から突き出した渋谿の崎の荒磯に朝なぎどきに寄せる白波。夕なぎどきに満ちてくる潮がずっと絶えることがない。古来から今現在に至るまでこんな風にして見る人誰もが心に懸けてきたことだろう」
3986 渋谿の崎の荒磯に寄する波いやしくしくにいにしへ思ほゆ
(之夫多尓能 佐伎能安里蘇尓 与須流奈美 伊夜思久思久尓 伊尓之敝於母保由)
「渋谿(しぶたに)の崎」は前長歌参照。「しくしくに」は「しきりに」という意味。
「渋谿(しぶたに)の崎の荒磯に寄せる波のように、ああしきりに昔のことが思われる」という歌である。
(之夫多尓能 佐伎能安里蘇尓 与須流奈美 伊夜思久思久尓 伊尓之敝於母保由)
「渋谿(しぶたに)の崎」は前長歌参照。「しくしくに」は「しきりに」という意味。
「渋谿(しぶたに)の崎の荒磯に寄せる波のように、ああしきりに昔のことが思われる」という歌である。
3987 玉櫛笥二上山に鳴く鳥の声の恋しき時は来にけり
(多麻久之氣 敷多我美也麻尓 鳴鳥能 許恵乃孤悲思吉 登岐波伎尓家里)
「玉櫛笥(たまくしげ)」は枕詞。二上山は富山県高岡市に現存。
「二上山に鳴く鳥の声が恋しくてたまらない季節がやってきた」という歌である。」
左注に「右は三月卅日、興によって作った歌。大伴宿祢家持」とある。
頭注に「四月十六日、夜中に遥かに霍公鳥(ホトトギス)の鳴き声を聞いて作った」とある。
3988 ぬばたまの月に向ひて霍公鳥鳴く音遥けし里遠みかも
(奴婆多麻<乃> 都奇尓牟加比? 保登等藝須 奈久於登波流氣之 佐刀騰保美可聞)
「ぬばたまの」は枕詞。「里遠み」は「~ので」の「み」。「里から遠いので」という意味。
「夜空の月に向かって鳴くホトトギスの声が遙か遠方から聞こえてくる。山中にいて里が遠いからだろうか」という歌である。
左注に「右は大伴宿祢家持作」とある。
頭注に「大目秦忌寸八千嶋(はたのいみきやちしま)邸で行われた守大伴宿祢家持の餞別の宴の歌二首」とある。大目(おほさかん)は国府(国の役所)に置かれた四部官。守(かみ)、介(すけ)、掾(じょう)、目(さかん)の一つ。守(かみ)は長官。
3989 奈呉の海の沖つ白波しくしくに思ほえむかも立ち別れなば
(奈呉能宇美能 意吉都之良奈美 志苦思苦尓 於毛保要武可母 多知和可礼奈<婆>)
奈呉の海は富山県射水市新湊のあたりの海。「しくしくに」は「しきりに」という意味。 「奈呉の海の沖からの白波がしきりに寄せてくるように、しきりにみなさんのことが思い出されるでしょうね。このまま別れた後は」という歌である。
(多麻久之氣 敷多我美也麻尓 鳴鳥能 許恵乃孤悲思吉 登岐波伎尓家里)
「玉櫛笥(たまくしげ)」は枕詞。二上山は富山県高岡市に現存。
「二上山に鳴く鳥の声が恋しくてたまらない季節がやってきた」という歌である。」
左注に「右は三月卅日、興によって作った歌。大伴宿祢家持」とある。
頭注に「四月十六日、夜中に遥かに霍公鳥(ホトトギス)の鳴き声を聞いて作った」とある。
3988 ぬばたまの月に向ひて霍公鳥鳴く音遥けし里遠みかも
(奴婆多麻<乃> 都奇尓牟加比? 保登等藝須 奈久於登波流氣之 佐刀騰保美可聞)
「ぬばたまの」は枕詞。「里遠み」は「~ので」の「み」。「里から遠いので」という意味。
「夜空の月に向かって鳴くホトトギスの声が遙か遠方から聞こえてくる。山中にいて里が遠いからだろうか」という歌である。
左注に「右は大伴宿祢家持作」とある。
頭注に「大目秦忌寸八千嶋(はたのいみきやちしま)邸で行われた守大伴宿祢家持の餞別の宴の歌二首」とある。大目(おほさかん)は国府(国の役所)に置かれた四部官。守(かみ)、介(すけ)、掾(じょう)、目(さかん)の一つ。守(かみ)は長官。
3989 奈呉の海の沖つ白波しくしくに思ほえむかも立ち別れなば
(奈呉能宇美能 意吉都之良奈美 志苦思苦尓 於毛保要武可母 多知和可礼奈<婆>)
奈呉の海は富山県射水市新湊のあたりの海。「しくしくに」は「しきりに」という意味。 「奈呉の海の沖からの白波がしきりに寄せてくるように、しきりにみなさんのことが思い出されるでしょうね。このまま別れた後は」という歌である。
3990 我が背子は玉にもがもな手に巻きて見つつ行かむを置きて行かば惜し
(和<我>勢故波 多麻尓母我毛奈 手尓麻伎? 見都追由可牟乎 於吉?伊加婆乎思)
「玉にもがもな」は「玉であってくれたらなあ」という願望。
「貴君が玉であってくれたらなあ。手に巻いて見ながら旅行くものを。貴君を置いて旅立つのがいかにも心残り」という歌である。
左注に「右は、守大伴宿祢家持が正税帳を持って奈良の都に向かうとき作った歌 四月廿日」とある。正税帳は租税の出納帳で、守(長官)は年に一回それを持って都に報告に行かなければならない。
頭注に「布勢の水海を遊覧する長歌並びに短歌。此の海は射水郡舊江村なり」とある。布勢の水海(みづうみ)は塩水湖で、かなり大きな湖だったらしい。今は現存しない。富山県高岡市にある二上山の北方、氷見市に名残をとどめる。十二町潟と呼ぶ水郷である。
3991番長歌
もののふの 八十伴の男の 思ふどち 心遣らむと 馬並めて うちくちぶりの 白波の 荒磯に寄する 渋谿の 崎た廻り 松田江の 長浜過ぎて 宇奈比川 清き瀬ごとに 鵜川立ち か行きかく行き 見つれども そこも飽かにと 布勢の海に 舟浮け据ゑて 沖辺漕ぎ 辺に漕ぎ見れば 渚には あぢ群騒き 島廻には 木末花咲き ここばくも 見のさやけきか 玉櫛笥 二上山に 延ふ蔦の 行きは別れず あり通ひ いや年のはに 思ふどち かくし遊ばむ 今も見るごと
(物能乃敷能 夜蘇等母乃乎能 於毛布度知 許己呂也良武等 宇麻奈米氐 宇知久知夫利乃 之良奈美能 安里蘇尓与須流 之夫多尓能 佐吉多母登保理 麻都太要能 奈我波麻須義? 宇奈比河波 伎欲吉勢其等尓 宇加波多知 可由吉加久遊岐 見都礼騰母 曽許母安加尓等 布勢能宇弥尓 布祢宇氣須恵氐 於伎敝許藝 邊尓己伎見礼婆 奈藝左尓波 安遅牟良佐和伎 之麻未尓波 許奴礼波奈左吉 許己婆久毛 見乃佐夜氣吉加 多麻久之氣 布多我弥夜麻尓 波布都多能 由伎波和可礼受 安里我欲比 伊夜登之能波尓 於母布度知 可久思安蘇婆牟 異麻母見流其等)
(和<我>勢故波 多麻尓母我毛奈 手尓麻伎? 見都追由可牟乎 於吉?伊加婆乎思)
「玉にもがもな」は「玉であってくれたらなあ」という願望。
「貴君が玉であってくれたらなあ。手に巻いて見ながら旅行くものを。貴君を置いて旅立つのがいかにも心残り」という歌である。
左注に「右は、守大伴宿祢家持が正税帳を持って奈良の都に向かうとき作った歌 四月廿日」とある。正税帳は租税の出納帳で、守(長官)は年に一回それを持って都に報告に行かなければならない。
3991番長歌
もののふの 八十伴の男の 思ふどち 心遣らむと 馬並めて うちくちぶりの 白波の 荒磯に寄する 渋谿の 崎た廻り 松田江の 長浜過ぎて 宇奈比川 清き瀬ごとに 鵜川立ち か行きかく行き 見つれども そこも飽かにと 布勢の海に 舟浮け据ゑて 沖辺漕ぎ 辺に漕ぎ見れば 渚には あぢ群騒き 島廻には 木末花咲き ここばくも 見のさやけきか 玉櫛笥 二上山に 延ふ蔦の 行きは別れず あり通ひ いや年のはに 思ふどち かくし遊ばむ 今も見るごと
(物能乃敷能 夜蘇等母乃乎能 於毛布度知 許己呂也良武等 宇麻奈米氐 宇知久知夫利乃 之良奈美能 安里蘇尓与須流 之夫多尓能 佐吉多母登保理 麻都太要能 奈我波麻須義? 宇奈比河波 伎欲吉勢其等尓 宇加波多知 可由吉加久遊岐 見都礼騰母 曽許母安加尓等 布勢能宇弥尓 布祢宇氣須恵氐 於伎敝許藝 邊尓己伎見礼婆 奈藝左尓波 安遅牟良佐和伎 之麻未尓波 許奴礼波奈左吉 許己婆久毛 見乃佐夜氣吉加 多麻久之氣 布多我弥夜麻尓 波布都多能 由伎波和可礼受 安里我欲比 伊夜登之能波尓 於母布度知 可久思安蘇婆牟 異麻母見流其等)
長歌は用語の解説を最小限にとどめる。「もののふの」は枕詞。「八十伴の男」は「官人」。「うちくちぶりの」は各書とも未詳としているが、「内口風の」という意味で「入り江」を意味しているに相違ない。「松田江」は富山県高岡市伏木から氷見市氷見に至る入り江状の海岸。宇奈比川は松田江から海岸沿いに北上していくと宇波に出る。その宇波を流れる宇波川のことという。「鵜川立ち」は鵜飼いを楽しむこと。「布勢の海」は本歌頭注参照。「ここばくも」は「こんなにも」という意味。
(口語訳)
「官人仲間同志」と気晴らしに行こうと馬を並べて出かけた。入り江の荒磯に白波が打ち寄せる。渋谿の崎を回って 松田江の長い浜辺を過ぎて宇奈比川にやってくると、あちこちの清らかな川瀬では鵜飼を行っていた。こんなふうにあちこち見て回ったけれど、飽きることがない。それで布勢の海に舟を浮かべ、沖に出たり、海岸に近寄ったりしてみた。波打ち際にはアジガモの群れが騒ぎ立て、島の周りには木々の梢に花々が咲き、こんなにも見応えのある風景か。二上山に生え延びるツルクサのように一同別れることなく、来年もやってきて、みなさんと一緒にこうやって今眼前にしている光景を愛でたいものよ」
「官人仲間同志」と気晴らしに行こうと馬を並べて出かけた。入り江の荒磯に白波が打ち寄せる。渋谿の崎を回って 松田江の長い浜辺を過ぎて宇奈比川にやってくると、あちこちの清らかな川瀬では鵜飼を行っていた。こんなふうにあちこち見て回ったけれど、飽きることがない。それで布勢の海に舟を浮かべ、沖に出たり、海岸に近寄ったりしてみた。波打ち際にはアジガモの群れが騒ぎ立て、島の周りには木々の梢に花々が咲き、こんなにも見応えのある風景か。二上山に生え延びるツルクサのように一同別れることなく、来年もやってきて、みなさんと一緒にこうやって今眼前にしている光景を愛でたいものよ」
3992 布勢の海の沖つ白波あり通ひいや年のはに見つつ偲はむ
(布勢能宇美能 意枳都之良奈美 安利我欲比 伊夜登偲能波尓 見都追思<努>播牟)
「布勢の海」は前歌頭注参照。「あり通ひ」は「いつもやってきては」という意味。
「布勢の海の沖から寄せ来る白波のように、いつもやってきては毎年賞味したいものよ」という歌である。
左注に「右は守大伴宿祢家持作 四月廿四日」とある。
(2016年10月5日記、2019年4月8日)
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(布勢能宇美能 意枳都之良奈美 安利我欲比 伊夜登偲能波尓 見都追思<努>播牟)
「布勢の海」は前歌頭注参照。「あり通ひ」は「いつもやってきては」という意味。
「布勢の海の沖から寄せ来る白波のように、いつもやってきては毎年賞味したいものよ」という歌である。
左注に「右は守大伴宿祢家持作 四月廿四日」とある。
(2016年10月5日記、2019年4月8日)