巻17~20メニュー へ
そ の 256 へ
万葉集読解・・・255(3993~4002番歌)
頭注に「布勢の水海を遊覧されたる歌に謹んで応えた一首並びに短歌」とある。布勢の水海(みづうみ)は塩水湖で、かなり大きな湖だったらしい。富山県氷見市にあった。
3993番長歌
藤波は 咲きて散りにき 卯の花は 今ぞ盛りと あしひきの 山にも野にも 霍公鳥 鳴きし響めば うち靡く 心もしのに そこをしも うら恋しみと 思ふどち 馬打ち群れて 携はり 出で立ち見れば 射水川 港の渚鳥 朝なぎに 潟にあさりし 潮満てば 夫呼び交す 羨しきに 見つつ過ぎ行き 渋谿の 荒磯の崎に 沖つ波 寄せ来る玉藻 片縒りに 蘰に作り 妹がため 手に巻き持ちて うらぐはし 布勢の水海に 海人船に ま楫掻い貫き 白栲の 袖振り返し あどもひて 我が漕ぎ行けば 乎布の崎 花散りまがひ 渚には 葦鴨騒き さざれ波 立ちても居ても 漕ぎ廻り 見れども飽かず 秋さらば 黄葉の時に 春さらば 花の盛りに かもかくも 君がまにまと かくしこそ 見も明らめめ 絶ゆる日あらめや
(布治奈美波 佐岐弖知理尓伎 宇能波奈波 伊麻曽佐可理等 安之比奇能 夜麻尓毛野尓毛 保登等藝須 奈伎之等与米婆 宇知奈妣久 許己呂毛之努尓 曽己乎之母 宇良胡非之美等 於毛布度知 宇麻宇知牟礼弖 多豆佐波理 伊泥多知美礼婆 伊美豆河泊 美奈刀能須登利 安佐奈藝尓 可多尓安佐里之 思保美弖婆 都麻欲<妣>可波須 等母之伎尓 美都追須疑由伎 之夫多尓能 安利蘇乃佐伎尓 於枳追奈美 余勢久流多麻母 可多与理尓 可都良尓都久理 伊毛我多米 ?尓麻吉母知弖 宇良具波之 布<勢>能美豆宇弥尓 阿麻夫祢尓 麻可治加伊奴吉 之路多倍能 蘇泥布<理>可邊之 阿登毛比弖 和賀己藝由氣婆 乎布能佐伎 <波>奈知利麻我比 奈伎佐尓波 阿之賀毛佐和伎 佐射礼奈美 多知弖毛為弖母 己藝米具利 美礼登母安可受 安伎佐良婆 毛美知能等伎尓 波流佐良婆 波奈能佐可利尓 可毛加久母 伎美我麻尓麻等 可久之許曽 美母安吉良米々 多由流比安良米也)
そ の 256 へ
万葉集読解・・・255(3993~4002番歌)
頭注に「布勢の水海を遊覧されたる歌に謹んで応えた一首並びに短歌」とある。布勢の水海(みづうみ)は塩水湖で、かなり大きな湖だったらしい。富山県氷見市にあった。
3993番長歌
藤波は 咲きて散りにき 卯の花は 今ぞ盛りと あしひきの 山にも野にも 霍公鳥 鳴きし響めば うち靡く 心もしのに そこをしも うら恋しみと 思ふどち 馬打ち群れて 携はり 出で立ち見れば 射水川 港の渚鳥 朝なぎに 潟にあさりし 潮満てば 夫呼び交す 羨しきに 見つつ過ぎ行き 渋谿の 荒磯の崎に 沖つ波 寄せ来る玉藻 片縒りに 蘰に作り 妹がため 手に巻き持ちて うらぐはし 布勢の水海に 海人船に ま楫掻い貫き 白栲の 袖振り返し あどもひて 我が漕ぎ行けば 乎布の崎 花散りまがひ 渚には 葦鴨騒き さざれ波 立ちても居ても 漕ぎ廻り 見れども飽かず 秋さらば 黄葉の時に 春さらば 花の盛りに かもかくも 君がまにまと かくしこそ 見も明らめめ 絶ゆる日あらめや
(布治奈美波 佐岐弖知理尓伎 宇能波奈波 伊麻曽佐可理等 安之比奇能 夜麻尓毛野尓毛 保登等藝須 奈伎之等与米婆 宇知奈妣久 許己呂毛之努尓 曽己乎之母 宇良胡非之美等 於毛布度知 宇麻宇知牟礼弖 多豆佐波理 伊泥多知美礼婆 伊美豆河泊 美奈刀能須登利 安佐奈藝尓 可多尓安佐里之 思保美弖婆 都麻欲<妣>可波須 等母之伎尓 美都追須疑由伎 之夫多尓能 安利蘇乃佐伎尓 於枳追奈美 余勢久流多麻母 可多与理尓 可都良尓都久理 伊毛我多米 ?尓麻吉母知弖 宇良具波之 布<勢>能美豆宇弥尓 阿麻夫祢尓 麻可治加伊奴吉 之路多倍能 蘇泥布<理>可邊之 阿登毛比弖 和賀己藝由氣婆 乎布能佐伎 <波>奈知利麻我比 奈伎佐尓波 阿之賀毛佐和伎 佐射礼奈美 多知弖毛為弖母 己藝米具利 美礼登母安可受 安伎佐良婆 毛美知能等伎尓 波流佐良婆 波奈能佐可利尓 可毛加久母 伎美我麻尓麻等 可久之許曽 美母安吉良米々 多由流比安良米也)
長歌は用語の解説を最小限にとどめる。「藤波」は広辞苑に「藤の花が波の動くようにゆれるさま」とある。「卯の花」は生垣に使われる。「思ふどち」は「親しい仲間同志」。射水川(いみづかは)は高岡市と射水市の間を流れる小矢部川。「渋谿(しぶたに)の崎」は「二上山の麓から東北の富山湾に突き出した所。「片縒(よ)りに蘰(かづら)に作り」は「一筋によじってカズラにする」こと。「うらぐはし」は「心が霊妙に」という意味。
布勢の水海(みづうみ)は頭注参照。「あどもひて」は「声かけあって」という意味。「乎布(をふ)の崎」は布勢の水海にあったとされる崎。
布勢の水海(みづうみ)は頭注参照。「あどもひて」は「声かけあって」という意味。「乎布(をふ)の崎」は布勢の水海にあったとされる崎。
(口語訳)
「藤波は咲いて散ったけれど、卯の花は今が盛り。野山ではホトトギスの鳴き声が鳴り響いている。その声を聞くとしんみりと心悲しい気分になります。親しい仲間同志が連れだって馬を並べて出かけ眺めると、 射水川の河口に海鳥たちが見える。朝なぎどきで、干潟でエサをあさっていた。潮が満ちてくると、鳥たちは夫と妻と鳴き交わし、羨ましかった。その様子を見て通り過ぎると、荒磯の渋谿の崎に沖の方から海草が打ち寄せられていた。海草を採って長々と一筋によじり、カズラに仕立て、故郷の妻を思って手に巻き付けました。 あの霊妙な布勢の湖に海人(あま)船で、梶を貫いて漕ぎ出した。袖をひるがえし、仲間と声を掛け合って漕いでいくと、乎布(をふ)の崎にたどりつく。その崎には花が散り乱れ、渚には芦辺の鴨たちが群れ騒いでいた。さざ波が立つように立ったり座ったりして、漕ぎ回り、光景を満喫し、見ても見ても見飽きることがありませんでした。秋の紅葉どき、また春の花見どきに、こんな風にしてあなたとご一緒したいものです。こんな光景が絶えることなどあるものですか」
「藤波は咲いて散ったけれど、卯の花は今が盛り。野山ではホトトギスの鳴き声が鳴り響いている。その声を聞くとしんみりと心悲しい気分になります。親しい仲間同志が連れだって馬を並べて出かけ眺めると、 射水川の河口に海鳥たちが見える。朝なぎどきで、干潟でエサをあさっていた。潮が満ちてくると、鳥たちは夫と妻と鳴き交わし、羨ましかった。その様子を見て通り過ぎると、荒磯の渋谿の崎に沖の方から海草が打ち寄せられていた。海草を採って長々と一筋によじり、カズラに仕立て、故郷の妻を思って手に巻き付けました。 あの霊妙な布勢の湖に海人(あま)船で、梶を貫いて漕ぎ出した。袖をひるがえし、仲間と声を掛け合って漕いでいくと、乎布(をふ)の崎にたどりつく。その崎には花が散り乱れ、渚には芦辺の鴨たちが群れ騒いでいた。さざ波が立つように立ったり座ったりして、漕ぎ回り、光景を満喫し、見ても見ても見飽きることがありませんでした。秋の紅葉どき、また春の花見どきに、こんな風にしてあなたとご一緒したいものです。こんな光景が絶えることなどあるものですか」
3994 白波の寄せ来る玉藻世の間も継ぎて見に来む清き浜びを
(之良奈美能 与世久流多麻毛 余能安比太母 都藝弖民仁許武 吉欲伎波麻備乎)
「世の間(あひだ)も」は「世にいる間」、すなわち「この世に生きている限り」という意味である。「継ぎて」は「続いて」。「浜び」は浜辺のこと。
「白波に乗って寄せてくる海草。この世に生きている限り、引き続いて見にやってこよう。この清らかな浜辺を見に」という歌である。
左注に「右は掾大伴宿祢池主(いけぬし)作 四月廿六日追って応える」とある。掾(じょう)は国司(国の役所)に置かれた四部官。守(かみ)、介(すけ)、掾(じょう)、目(さかん)の一つ。3番目の官。大伴家持に応えた歌。
(之良奈美能 与世久流多麻毛 余能安比太母 都藝弖民仁許武 吉欲伎波麻備乎)
「世の間(あひだ)も」は「世にいる間」、すなわち「この世に生きている限り」という意味である。「継ぎて」は「続いて」。「浜び」は浜辺のこと。
「白波に乗って寄せてくる海草。この世に生きている限り、引き続いて見にやってこよう。この清らかな浜辺を見に」という歌である。
左注に「右は掾大伴宿祢池主(いけぬし)作 四月廿六日追って応える」とある。掾(じょう)は国司(国の役所)に置かれた四部官。守(かみ)、介(すけ)、掾(じょう)、目(さかん)の一つ。3番目の官。大伴家持に応えた歌。
頭注に「四月廿六日に大伴池主の舘で行われた、正税帳を持参して奈良の都に向かう大伴宿祢家持の餞別の宴の歌並びに古歌四首」とある。正税帳は3990番歌左注参照。
3995 玉桙の道に出で立ち別れなば見ぬ日さまねみ恋しけむかも [一云 見ぬ日久しみ恋しけむかも]
(多麻保許乃 美知尓伊泥多知 和可礼奈婆 見奴日佐麻祢美 孤悲思家武可母 [一云 不見日久弥 戀之家牟加母])
「玉桙(たまほこ)の道」は自らを「使いに行く」と宣言した者。「さまねみ」は「さまね(数多い)+(ので)」の形。「数多いので」という意味。
「都に使いに旅立たねばならず、別れて再会する日数が長いので、恋しくてなりません」という歌である。
異伝歌は「逢えない日が久しくなるので、恋しくてなりません」となっている。
左注に「右の一首は大伴宿祢家持作」とある。
3995 玉桙の道に出で立ち別れなば見ぬ日さまねみ恋しけむかも [一云 見ぬ日久しみ恋しけむかも]
(多麻保許乃 美知尓伊泥多知 和可礼奈婆 見奴日佐麻祢美 孤悲思家武可母 [一云 不見日久弥 戀之家牟加母])
「玉桙(たまほこ)の道」は自らを「使いに行く」と宣言した者。「さまねみ」は「さまね(数多い)+(ので)」の形。「数多いので」という意味。
「都に使いに旅立たねばならず、別れて再会する日数が長いので、恋しくてなりません」という歌である。
異伝歌は「逢えない日が久しくなるので、恋しくてなりません」となっている。
左注に「右の一首は大伴宿祢家持作」とある。
3996 我が背子が国へましなば霍公鳥鳴かむ五月は寂しけむかも
(和我勢古我 久尓敝麻之奈婆 保等登藝須 奈可牟佐都奇波 佐夫之家牟可母)
「我が背子が」は「貴君(すなわち長官大伴家持)が」という意味。「ましなば」は敬語で「いらっしゃったら」という意味。
「貴君が奈良の国元へいらっしゃったら、ホトトギスが鳴く夏五月は寂しくてたまりません」という歌である。
左注に「右は介内蔵忌寸縄麻呂(くらのいみきなはまろ)作」とある。介は国司(国の役所)に置かれた四部官。守(かみ)、介(すけ)、掾(じょう)、目(さかん)の一つ。2番目の官。
(和我勢古我 久尓敝麻之奈婆 保等登藝須 奈可牟佐都奇波 佐夫之家牟可母)
「我が背子が」は「貴君(すなわち長官大伴家持)が」という意味。「ましなば」は敬語で「いらっしゃったら」という意味。
「貴君が奈良の国元へいらっしゃったら、ホトトギスが鳴く夏五月は寂しくてたまりません」という歌である。
左注に「右は介内蔵忌寸縄麻呂(くらのいみきなはまろ)作」とある。介は国司(国の役所)に置かれた四部官。守(かみ)、介(すけ)、掾(じょう)、目(さかん)の一つ。2番目の官。
3997 我れなしとな侘び我が背子霍公鳥鳴かむ五月は玉を貫かさね
(安礼奈之等 奈和備和我勢故 保登等藝須 奈可牟佐都奇波 多麻乎奴香佐祢)
「な侘び」は「な~そ」の禁止形。「玉を貫かさね」は当時、五月の端午の節句には、麝香(じゃこう)、沈香(じんこう)など様々な香料を錦の袋に入れた玉、いわゆる薬玉(くすだま)を不浄を払うために柱等に飾った。つまり「薬玉を作って飾りなさい」という意味である。
「私がいないからといって、侘びしがらないでほしい。我が友よ。ホトトギスが鳴く五月になったら薬玉を作って飾って下さい」という歌である。
左注に「右は守大伴宿祢家持が(縄麻呂)に応えた歌」とある。
(安礼奈之等 奈和備和我勢故 保登等藝須 奈可牟佐都奇波 多麻乎奴香佐祢)
「な侘び」は「な~そ」の禁止形。「玉を貫かさね」は当時、五月の端午の節句には、麝香(じゃこう)、沈香(じんこう)など様々な香料を錦の袋に入れた玉、いわゆる薬玉(くすだま)を不浄を払うために柱等に飾った。つまり「薬玉を作って飾りなさい」という意味である。
「私がいないからといって、侘びしがらないでほしい。我が友よ。ホトトギスが鳴く五月になったら薬玉を作って飾って下さい」という歌である。
左注に「右は守大伴宿祢家持が(縄麻呂)に応えた歌」とある。
頭注に「石川朝臣水通(みみち)の橘を歌った歌」とある。
3998 我が宿の花橘を花ごめに玉にぞ我が貫く待たば苦しみ
(和我夜度能 花橘乎 波奈其米尓 多麻尓曽安我奴久 麻多婆苦流之美)
「我が宿の」は「我が家の庭の」という意味。「花ごめに」は「花ごと袋に入れて」という意味。
「我が家の庭の花橘の実を花ごと袋に入れて、薬玉(くすだま)にする時まで待つのは苦しゅうございます」という歌である。
左注に「右は、主人の大伴宿祢池主が傳誦したもの」とある。
3998 我が宿の花橘を花ごめに玉にぞ我が貫く待たば苦しみ
(和我夜度能 花橘乎 波奈其米尓 多麻尓曽安我奴久 麻多婆苦流之美)
「我が宿の」は「我が家の庭の」という意味。「花ごめに」は「花ごと袋に入れて」という意味。
「我が家の庭の花橘の実を花ごと袋に入れて、薬玉(くすだま)にする時まで待つのは苦しゅうございます」という歌である。
左注に「右は、主人の大伴宿祢池主が傳誦したもの」とある。
頭注に「守大伴宿祢家持の邸宅で飲宴した際の歌」とある。
3999 都辺に立つ日近づく飽くまでに相見て行かな恋ふる日多けむ
(美夜故敝尓 多都日知可豆久 安久麻弖尓 安比見而由可奈 故布流比於保家牟)
平明歌。
「都に向かって旅立つ日が近づいてきました。心ゆくまでこうして皆さん方の顔を見て出発しようと思っています。皆さん方が恋しく思う日が重なりますので」という歌である。
3999 都辺に立つ日近づく飽くまでに相見て行かな恋ふる日多けむ
(美夜故敝尓 多都日知可豆久 安久麻弖尓 安比見而由可奈 故布流比於保家牟)
平明歌。
「都に向かって旅立つ日が近づいてきました。心ゆくまでこうして皆さん方の顔を見て出発しようと思っています。皆さん方が恋しく思う日が重なりますので」という歌である。
頭注に「立山の歌並びに短歌、この山は新川郡(にいかわのこおり)にある」とある。富山県の立山連峰は北アルプス。立山なる山はなく、地図で探すと苦労する。雄山(3,003m)、大汝山(3,015m)、富士ノ折立(2,999m)の総称。周辺の山々も立山連峰と呼ぶことも。
4000番長歌
天離る 鄙に名懸かす 越の中 国内ことごと 山はしも しじにあれども 川はしも 多に行けども 統め神の 領きいます 新川の その立山に 常夏に 雪降り敷きて 帯ばせる 片貝川の 清き瀬に 朝夕ごとに 立つ霧の 思ひ過ぎめや あり通ひ いや年のはに よそのみも 振り放け見つつ 万代の 語らひぐさと いまだ見ぬ 人にも告げむ 音のみも 名のみも聞きて 羨しぶるがね
(安麻射可流 比奈尓名可加須 古思能奈可 久奴知許登其等 夜麻波之母 之自尓安礼登毛 加波々之母 佐波尓由氣等毛 須賣加未能 宇之波伎伊麻須 尓比可波能 曽能多知夜麻尓 等許奈都尓 由伎布理之伎弖 於<婆>勢流 可多加比河波能 伎欲吉瀬尓 安佐欲比其等尓 多都奇利能 於毛比須疑米夜 安里我欲比 伊夜登之能播仁 余<増>能未母 布利佐氣見都々 余呂豆餘能 可多良比具佐等 伊末太見奴 比等尓母都氣牟 於登能未毛 名能未<母>伎吉? 登母之夫流我祢)
4000番長歌
天離る 鄙に名懸かす 越の中 国内ことごと 山はしも しじにあれども 川はしも 多に行けども 統め神の 領きいます 新川の その立山に 常夏に 雪降り敷きて 帯ばせる 片貝川の 清き瀬に 朝夕ごとに 立つ霧の 思ひ過ぎめや あり通ひ いや年のはに よそのみも 振り放け見つつ 万代の 語らひぐさと いまだ見ぬ 人にも告げむ 音のみも 名のみも聞きて 羨しぶるがね
(安麻射可流 比奈尓名可加須 古思能奈可 久奴知許登其等 夜麻波之母 之自尓安礼登毛 加波々之母 佐波尓由氣等毛 須賣加未能 宇之波伎伊麻須 尓比可波能 曽能多知夜麻尓 等許奈都尓 由伎布理之伎弖 於<婆>勢流 可多加比河波能 伎欲吉瀬尓 安佐欲比其等尓 多都奇利能 於毛比須疑米夜 安里我欲比 伊夜登之能播仁 余<増>能未母 布利佐氣見都々 余呂豆餘能 可多良比具佐等 伊末太見奴 比等尓母都氣牟 於登能未毛 名能未<母>伎吉? 登母之夫流我祢)
長歌は用語の解説を最小限にとどめる。「天離(あまざか)る鄙(ひな)」は「遠い遠い田舎」のこと。「領(うしは)きいます」は「支配なさる」という意味。「新川の」は頭注にある「新川郡(にいかわのこおり)」のこと。「片貝川」は富山県魚津市の北部を流れる川。
(口語訳)
「遠い遠い田舎の地に名を輝かす。越中の国内に山はいっぱいあり、川も多く流れているけれど、国神様が支配なさる新川郡のその立山はひときわその名を轟かしておられる。新川郡に聳える立山は夏の真っ盛りだというのに雪が降りしきる。帯のように流れ下る片貝川の清らかな瀬、朝夕どきに立つ霧の情景のすばらしさを誰が忘れられよう。何回も通い続けて年が変わるごとに、遠くからよそながら振り仰いで眺めるのもすばらしい。遙か未来にかけて世の語りぐさにしたいものだ。いまだ立山を見たことがない人々にも告げよう。噂だけでも名高さだけでも耳にすれば羨ましがるだろうに」
「遠い遠い田舎の地に名を輝かす。越中の国内に山はいっぱいあり、川も多く流れているけれど、国神様が支配なさる新川郡のその立山はひときわその名を轟かしておられる。新川郡に聳える立山は夏の真っ盛りだというのに雪が降りしきる。帯のように流れ下る片貝川の清らかな瀬、朝夕どきに立つ霧の情景のすばらしさを誰が忘れられよう。何回も通い続けて年が変わるごとに、遠くからよそながら振り仰いで眺めるのもすばらしい。遙か未来にかけて世の語りぐさにしたいものだ。いまだ立山を見たことがない人々にも告げよう。噂だけでも名高さだけでも耳にすれば羨ましがるだろうに」
4001 立山に降り置ける雪を常夏に見れども飽かず神からならし
(多知夜麻尓 布里於家流由伎乎 登己奈都尓 見礼等母安可受 加武賀良奈良之)
「常夏」は「夏の真っ盛り」。「神からならし」は「神そのもの」という意味。
「立山に降り積もった雪を夏の真っ盛りに見ると、見飽きることがなく、神そのものかと思う」という歌である。
(多知夜麻尓 布里於家流由伎乎 登己奈都尓 見礼等母安可受 加武賀良奈良之)
「常夏」は「夏の真っ盛り」。「神からならし」は「神そのもの」という意味。
「立山に降り積もった雪を夏の真っ盛りに見ると、見飽きることがなく、神そのものかと思う」という歌である。
4002 片貝の川の瀬清く行く水の絶ゆることなくあり通ひ見む
(可多加比能 可波能瀬伎欲久 由久美豆能 多由流許登奈久 安里我欲比見牟)
「片貝川」は前々歌参照。「あり通ひ」は「幾度も通う」こと。
「片貝川の瀬を清らかに流れる水のように、絶えることなく、幾度も通って見続けたいものよ」という歌である。
左注に「四月廿七日、大伴宿祢家持作歌」とある。
(2016年10月10日記、2019年4月8日)
![イメージ 1]()
(可多加比能 可波能瀬伎欲久 由久美豆能 多由流許登奈久 安里我欲比見牟)
「片貝川」は前々歌参照。「あり通ひ」は「幾度も通う」こと。
「片貝川の瀬を清らかに流れる水のように、絶えることなく、幾度も通って見続けたいものよ」という歌である。
左注に「四月廿七日、大伴宿祢家持作歌」とある。
(2016年10月10日記、2019年4月8日)