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万葉集読解・・・256(4003~4010番歌)
頭注に「立山の歌に謹んで応える長歌一首並びに短歌二首」とある。
4003番長歌
朝日さし そがひに見ゆる 神ながら 御名に帯ばせる 白雲の 千重を押し別け 天そそり 高き立山 冬夏と 別くこともなく 白栲に 雪は降り置きて 古ゆ あり来にければ こごしかも 岩の神さび たまきはる 幾代経にけむ 立ちて居て 見れどもあやし 峰高み 谷を深みと 落ちたぎつ 清き河内に 朝さらず 霧立ちわたり 夕されば 雲居たなびき 雲居なす 心もしのに 立つ霧の 思ひ過ぐさず 行く水の 音もさやけく 万代に 言ひ継ぎゆかむ 川し絶えずは
(阿佐比左之 曽我比尓見由流 可無奈我良 弥奈尓於婆勢流 之良久母能 知邊乎於之和氣 安麻曽々理 多可吉多知夜麻 布由奈都登 和久許等母奈久 之路多倍尓 遊吉波布里於吉弖 伊尓之邊遊 阿理吉仁家礼婆 許其志可毛 伊波能可牟佐備 多末伎波流 伊久代經尓家牟 多知弖為弖 見礼登毛安夜之 弥祢太可美 多尓乎布可美等 於知多藝都 吉欲伎可敷知尓 安佐左良受 綺利多知和多利 由布佐礼婆 久毛為多奈?吉 久毛為奈須 己許呂毛之努尓 多都奇理能 於毛比須具佐受 由久美豆乃 於等母佐夜氣久 与呂豆余尓 伊比都藝由可牟 加<波>之多要受波)
そ の 257 へ
万葉集読解・・・256(4003~4010番歌)
頭注に「立山の歌に謹んで応える長歌一首並びに短歌二首」とある。
4003番長歌
朝日さし そがひに見ゆる 神ながら 御名に帯ばせる 白雲の 千重を押し別け 天そそり 高き立山 冬夏と 別くこともなく 白栲に 雪は降り置きて 古ゆ あり来にければ こごしかも 岩の神さび たまきはる 幾代経にけむ 立ちて居て 見れどもあやし 峰高み 谷を深みと 落ちたぎつ 清き河内に 朝さらず 霧立ちわたり 夕されば 雲居たなびき 雲居なす 心もしのに 立つ霧の 思ひ過ぐさず 行く水の 音もさやけく 万代に 言ひ継ぎゆかむ 川し絶えずは
(阿佐比左之 曽我比尓見由流 可無奈我良 弥奈尓於婆勢流 之良久母能 知邊乎於之和氣 安麻曽々理 多可吉多知夜麻 布由奈都登 和久許等母奈久 之路多倍尓 遊吉波布里於吉弖 伊尓之邊遊 阿理吉仁家礼婆 許其志可毛 伊波能可牟佐備 多末伎波流 伊久代經尓家牟 多知弖為弖 見礼登毛安夜之 弥祢太可美 多尓乎布可美等 於知多藝都 吉欲伎可敷知尓 安佐左良受 綺利多知和多利 由布佐礼婆 久毛為多奈?吉 久毛為奈須 己許呂毛之努尓 多都奇理能 於毛比須具佐受 由久美豆乃 於等母佐夜氣久 与呂豆余尓 伊比都藝由可牟 加<波>之多要受波)
長歌は用語の解説を最小限にとどめる。「そがひに見ゆる」は「朝日を背後にした」という意味である。「こごしかも」は「凝り固まっている」という意味。「たまきはる」は枕詞。「朝さらず」は「朝が去らず」の意で、「いつも朝の状態」ないし「毎朝」の意。
(口語訳)
「朝日が背後から射し、神々しく見える。その名のように、白雲を幾重にも押し分け、天にそびえ立つ、これぞ立山。冬も夏も絶えることなく、真っ白な雪が降り積もり、いにしえの昔からそのまま続いてきた。凝り固まった岩々は神々しいまま。幾代を経てきたことだろう。立って見ても眺め続けていても霊妙な御姿。峰が高く谷が深いので落ちたぎる、清らかな滝つぼには朝霧がいつまでも去らない状態で立ちこめる。夕方になると雲が立ちこめ、そのまま雲がとどまる。雲は心がしんみりとし、立ちこめる霧は捨てがたい。流れゆき、落下する音の清らかさを、幾代にもわたって語り継いでゆこう。川が絶えないように」
「朝日が背後から射し、神々しく見える。その名のように、白雲を幾重にも押し分け、天にそびえ立つ、これぞ立山。冬も夏も絶えることなく、真っ白な雪が降り積もり、いにしえの昔からそのまま続いてきた。凝り固まった岩々は神々しいまま。幾代を経てきたことだろう。立って見ても眺め続けていても霊妙な御姿。峰が高く谷が深いので落ちたぎる、清らかな滝つぼには朝霧がいつまでも去らない状態で立ちこめる。夕方になると雲が立ちこめ、そのまま雲がとどまる。雲は心がしんみりとし、立ちこめる霧は捨てがたい。流れゆき、落下する音の清らかさを、幾代にもわたって語り継いでゆこう。川が絶えないように」
4004 立山に降り置ける雪の常夏に消ずてわたるは神ながらとぞ
(多知夜麻尓 布理於家流由伎能 等許奈都尓 氣受弖和多流波 可無奈我良等曽)
「常夏(とこなつ)」は「夏の盛り」。「神ながらとぞ」は「神の御姿のまま」という意味。
「立山に降り積もった雪が夏の盛りにも消えずに残り続ける。その御姿は神のままでいらっしゃるからでこそ」という歌である。
(多知夜麻尓 布理於家流由伎能 等許奈都尓 氣受弖和多流波 可無奈我良等曽)
「常夏(とこなつ)」は「夏の盛り」。「神ながらとぞ」は「神の御姿のまま」という意味。
「立山に降り積もった雪が夏の盛りにも消えずに残り続ける。その御姿は神のままでいらっしゃるからでこそ」という歌である。
4005 落ちたぎつ片貝川の絶えぬごと今見る人もやまず通はむ
(於知多藝都 可多加比我波能 多延奴期等 伊麻見流比等母 夜麻受可欲波牟)
「片貝川」は富山県魚津市の北部を流れる川。
「滝となって落ちたぎる片貝川が絶えることがないように、現に今見ているこの私もここに通い続けよう」という歌である。
左注に「右は掾大伴宿祢池主が(家持)に応えた歌」とある。掾(じょう)は守(かみ)、介(すけ)に次ぐ3番目の官。
頭注に「入京が近くなり悲しみの情が払いがたく思いを述べた長歌並びに短歌」とある。
4006番長歌
かき数ふ 二上山に 神さびて 立てる栂の木 本も枝も 同じときはに はしきよし 我が背の君を 朝去らず 逢ひて言どひ 夕されば 手携はりて 射水川 清き河内に 出で立ちて 我が立ち見れば 東風の風 いたくし吹けば 港には 白波高み 妻呼ぶと 州鳥は騒く 葦刈ると 海人の小舟は 入江漕ぐ 楫の音高し そこをしも あやに羨しみ 偲ひつつ 遊ぶ盛りを 天皇の 食す国なれば 御言持ち 立ち別れなば 後れたる 君はあれども 玉桙の 道行く我れは 白雲の たなびく山を 岩根踏み 越えへなりなば 恋しけく 日の長けむぞ そこ思へば 心し痛し 霍公鳥 声にあへ貫く 玉にもが 手に巻き持ちて 朝夕に 見つつ行かむを 置きて行かば惜し
(可伎加蘇布 敷多我美夜麻尓 可牟佐備弖 多?流都我能奇 毛等母延毛 於夜自得伎波尓 波之伎与之 和我世乃伎美乎 安佐左良受 安比弖許登騰比 由布佐礼婆 手多豆佐波利弖 伊美豆河波 吉欲伎可布知尓 伊泥多知弖 和我多知弥礼婆 安由能加是 伊多久之布氣婆 美奈刀尓波 之良奈美多可弥 都麻欲夫等 須騰理波佐和久 安之可流等 安麻乃乎夫祢波 伊里延許具 加遅能於等多可之 曽己乎之毛 安夜尓登母志美 之努比都追 安蘇夫佐香理乎 須賣呂伎能 乎須久尓奈礼婆 美許登母知 多知和可礼奈婆 於久礼多流 吉民婆安礼騰母 多麻保許乃 美知由久和礼播 之良久毛能 多奈妣久夜麻乎 伊波祢布美 古要敝奈利奈<婆> 孤悲之家久 氣乃奈我家牟曽 則許母倍婆 許己呂志伊多思 保等登藝須 許恵尓安倍奴久 多麻尓母我 手尓麻吉毛知弖 安佐欲比尓 見都追由可牟乎 於伎弖伊加<婆>乎<思>)
(於知多藝都 可多加比我波能 多延奴期等 伊麻見流比等母 夜麻受可欲波牟)
「片貝川」は富山県魚津市の北部を流れる川。
「滝となって落ちたぎる片貝川が絶えることがないように、現に今見ているこの私もここに通い続けよう」という歌である。
左注に「右は掾大伴宿祢池主が(家持)に応えた歌」とある。掾(じょう)は守(かみ)、介(すけ)に次ぐ3番目の官。
頭注に「入京が近くなり悲しみの情が払いがたく思いを述べた長歌並びに短歌」とある。
4006番長歌
かき数ふ 二上山に 神さびて 立てる栂の木 本も枝も 同じときはに はしきよし 我が背の君を 朝去らず 逢ひて言どひ 夕されば 手携はりて 射水川 清き河内に 出で立ちて 我が立ち見れば 東風の風 いたくし吹けば 港には 白波高み 妻呼ぶと 州鳥は騒く 葦刈ると 海人の小舟は 入江漕ぐ 楫の音高し そこをしも あやに羨しみ 偲ひつつ 遊ぶ盛りを 天皇の 食す国なれば 御言持ち 立ち別れなば 後れたる 君はあれども 玉桙の 道行く我れは 白雲の たなびく山を 岩根踏み 越えへなりなば 恋しけく 日の長けむぞ そこ思へば 心し痛し 霍公鳥 声にあへ貫く 玉にもが 手に巻き持ちて 朝夕に 見つつ行かむを 置きて行かば惜し
(可伎加蘇布 敷多我美夜麻尓 可牟佐備弖 多?流都我能奇 毛等母延毛 於夜自得伎波尓 波之伎与之 和我世乃伎美乎 安佐左良受 安比弖許登騰比 由布佐礼婆 手多豆佐波利弖 伊美豆河波 吉欲伎可布知尓 伊泥多知弖 和我多知弥礼婆 安由能加是 伊多久之布氣婆 美奈刀尓波 之良奈美多可弥 都麻欲夫等 須騰理波佐和久 安之可流等 安麻乃乎夫祢波 伊里延許具 加遅能於等多可之 曽己乎之毛 安夜尓登母志美 之努比都追 安蘇夫佐香理乎 須賣呂伎能 乎須久尓奈礼婆 美許登母知 多知和可礼奈婆 於久礼多流 吉民婆安礼騰母 多麻保許乃 美知由久和礼播 之良久毛能 多奈妣久夜麻乎 伊波祢布美 古要敝奈利奈<婆> 孤悲之家久 氣乃奈我家牟曽 則許母倍婆 許己呂志伊多思 保等登藝須 許恵尓安倍奴久 多麻尓母我 手尓麻吉毛知弖 安佐欲比尓 見都追由可牟乎 於伎弖伊加<婆>乎<思>)
長歌は用語の解説を最小限にとどめる。「かき数ふ」は1537番歌に「秋の野に咲きたる花を指折りかき数ふれば七種の花」とあり、他に類例皆無。「一、二と数えて」という意味。「栂(つが)の木」はマツ科の常緑高木。射水川(いみづかは)は富山県高岡市と射水市の間を流れる小矢部川のこと。「玉桙(たまぼこ)の」は枕詞。
(口語訳)
「一、二と数えて二上山。その山に神々しく立っている栂(つが)の木は幹も枝も常に青々と繁っている。愛しい愛しい貴君。毎朝会って言葉を交わし、夕方には手を取り合って射水川に出かけたね。清らかな川淵に出かけて立ち眺めれば、東風(あゆのかぜ)が強く吹き、港(河口)には白波が高く、相手を呼ぶ浅瀬の鳥たちが騒いでいます。海人(あま)の小舟が入江を漕ぐ梶の音高し。そんな光景を羨やみ、愛でて楽しむ絶好の季節。けれども天皇(大君)の治められる国、ご命令のままに都へ旅立たねばならない。後に残す貴君のこともあるけれど、旅行く私は、白雲のたなびく山を岩を踏みしめ、遠くへ越えていかねばなりません。貴君のことを思うと、恋しくて長い道のりを行かねばならないので心が痛い。ホトトギスが鳴く季節に薬玉(くすだま)を作りますが、その玉が貴君であったなら、手に巻いて朝夕眺めながら旅行くことが出来るのに、残して旅立たねばならないのが残念でたまらない。」
「一、二と数えて二上山。その山に神々しく立っている栂(つが)の木は幹も枝も常に青々と繁っている。愛しい愛しい貴君。毎朝会って言葉を交わし、夕方には手を取り合って射水川に出かけたね。清らかな川淵に出かけて立ち眺めれば、東風(あゆのかぜ)が強く吹き、港(河口)には白波が高く、相手を呼ぶ浅瀬の鳥たちが騒いでいます。海人(あま)の小舟が入江を漕ぐ梶の音高し。そんな光景を羨やみ、愛でて楽しむ絶好の季節。けれども天皇(大君)の治められる国、ご命令のままに都へ旅立たねばならない。後に残す貴君のこともあるけれど、旅行く私は、白雲のたなびく山を岩を踏みしめ、遠くへ越えていかねばなりません。貴君のことを思うと、恋しくて長い道のりを行かねばならないので心が痛い。ホトトギスが鳴く季節に薬玉(くすだま)を作りますが、その玉が貴君であったなら、手に巻いて朝夕眺めながら旅行くことが出来るのに、残して旅立たねばならないのが残念でたまらない。」
4007 我が背子は玉にもがもな霍公鳥声にあへ貫き手に巻きて行かむ
(和我勢故<波> 多麻尓母我毛奈 保登等伎須 許恵尓安倍奴吉 手尓麻伎弖由可牟)
前長歌の結末部分を短歌にしたもの。
「貴君がホトトギスが鳴く季節に作る薬玉(くすだま)であったなら、手に巻いて行くものを」という歌である。
左注に「右は大伴宿祢家持が掾大伴宿祢池主に贈った歌」とある。掾(じょう)は前々歌(4005番歌)参照。
(和我勢故<波> 多麻尓母我毛奈 保登等伎須 許恵尓安倍奴吉 手尓麻伎弖由可牟)
前長歌の結末部分を短歌にしたもの。
「貴君がホトトギスが鳴く季節に作る薬玉(くすだま)であったなら、手に巻いて行くものを」という歌である。
左注に「右は大伴宿祢家持が掾大伴宿祢池主に贈った歌」とある。掾(じょう)は前々歌(4005番歌)参照。
頭注に大略こうある。「前回の作歌を見るに断腸の思いに絶えない。ここに長歌一首並びに短歌二首」。
4008番長歌
あをによし 奈良を来離れ 天離る 鄙にはあれど 我が背子を 見つつし居れば 思ひ遣る こともありしを 大君の 命畏み 食す国の 事取り持ちて 若草の 足結ひ手作り 群鳥の 朝立ち去なば 後れたる 我れや悲しき 旅に行く 君かも恋ひむ 思ふそら 安くあらねば 嘆かくを 留めもかねて 見わたせば 卯の花山の 霍公鳥 音のみし泣かゆ 朝霧の 乱るる心 言に出でて 言はばゆゆしみ 砺波山 手向けの神に 幣奉り 我が祈ひ祷まく はしけやし 君が直香を ま幸くも ありた廻り 月立たば 時もかはさず なでしこが 花の盛りに 相見しめとぞ
(安遠邇与之 奈良乎伎波奈礼 阿麻射可流 比奈尓波安礼登 和賀勢故乎 見都追志乎礼婆 於毛比夜流 許等母安利之乎 於保伎美乃 美許等可之古美 乎須久尓能 許等登理毛知弖 和可久佐能 安由比多豆久利 無良等理能 安佐太知伊奈婆 於久礼多流 阿礼也可奈之伎 多妣尓由久 伎美可母孤悲無 於毛布蘇良 夜須久安良祢婆 奈氣可久乎 等騰米毛可祢? 見和多勢婆 宇能婆奈夜麻乃 保等登藝須 祢能未之奈可由 安佐疑理能 美太流々許己呂 許登尓伊泥弖 伊波婆由遊思美 刀奈美夜麻 多牟氣能可味尓 奴佐麻都里 安我許比能麻久 波之家夜之 吉美賀多太可乎 麻佐吉久毛 安里多母等保利 都奇多々婆 等伎毛可波佐受 奈泥之故我 波奈乃佐可里尓 阿比見之米等曽)
4008番長歌
あをによし 奈良を来離れ 天離る 鄙にはあれど 我が背子を 見つつし居れば 思ひ遣る こともありしを 大君の 命畏み 食す国の 事取り持ちて 若草の 足結ひ手作り 群鳥の 朝立ち去なば 後れたる 我れや悲しき 旅に行く 君かも恋ひむ 思ふそら 安くあらねば 嘆かくを 留めもかねて 見わたせば 卯の花山の 霍公鳥 音のみし泣かゆ 朝霧の 乱るる心 言に出でて 言はばゆゆしみ 砺波山 手向けの神に 幣奉り 我が祈ひ祷まく はしけやし 君が直香を ま幸くも ありた廻り 月立たば 時もかはさず なでしこが 花の盛りに 相見しめとぞ
(安遠邇与之 奈良乎伎波奈礼 阿麻射可流 比奈尓波安礼登 和賀勢故乎 見都追志乎礼婆 於毛比夜流 許等母安利之乎 於保伎美乃 美許等可之古美 乎須久尓能 許等登理毛知弖 和可久佐能 安由比多豆久利 無良等理能 安佐太知伊奈婆 於久礼多流 阿礼也可奈之伎 多妣尓由久 伎美可母孤悲無 於毛布蘇良 夜須久安良祢婆 奈氣可久乎 等騰米毛可祢? 見和多勢婆 宇能婆奈夜麻乃 保等登藝須 祢能未之奈可由 安佐疑理能 美太流々許己呂 許登尓伊泥弖 伊波婆由遊思美 刀奈美夜麻 多牟氣能可味尓 奴佐麻都里 安我許比能麻久 波之家夜之 吉美賀多太可乎 麻佐吉久毛 安里多母等保利 都奇多々婆 等伎毛可波佐受 奈泥之故我 波奈乃佐可里尓 阿比見之米等曽)
長歌は用語の解説を最小限にとどめる。「あをによし」は枕詞とされているが、「青々と美しい」という美称と解した方がいいだろう。「食(を)す国」は「治める国」、「言はばゆゆしみ」は「はばかられる」という意味。砺波(となみ)山は富山県と石川県の県境にある。富山県小矢部市に属する。地図で探すと大変苦労する。というのも東側に砺波市があって、そこのどこを調べても砺波山は見あたらないからである。「ありた廻(もとほ)り」は「ずっと神のご加護を得て」という意味である。
(口語訳)
「青々と美しい奈良を後にして、遠い遠いここ田舎の地にやってきた。けれどもあなたの顔を見て勤務していたので、故郷に思いをはせることもやわらいでいた。大君の御意をいただき、そのお治めになる国の用務を果たすべく、足を結び、手の甲をかぶせて、いわば旅装をし、群鳥のように朝旅立たれました。残された私は悲しくてたまりません。旅行くあなたも私を恋しく思っておられるだろうか。心安らかではありません。この嘆きをとどめかねて見渡しますと、卯の花の咲く山のホトトギスも声をあげて鳴いています。朝霧のように乱れる心を言葉に出すのははばかられます。越えて行かれる砺波(となみ)山の神にお供え物を手向け、お祈りします。あなたがずっと神のご加護を得て無事で旅されますように、と。そして来月になれば頃好く、ナデシコの花の盛りになる頃には無事帰られてお逢いできますように、と。」
「青々と美しい奈良を後にして、遠い遠いここ田舎の地にやってきた。けれどもあなたの顔を見て勤務していたので、故郷に思いをはせることもやわらいでいた。大君の御意をいただき、そのお治めになる国の用務を果たすべく、足を結び、手の甲をかぶせて、いわば旅装をし、群鳥のように朝旅立たれました。残された私は悲しくてたまりません。旅行くあなたも私を恋しく思っておられるだろうか。心安らかではありません。この嘆きをとどめかねて見渡しますと、卯の花の咲く山のホトトギスも声をあげて鳴いています。朝霧のように乱れる心を言葉に出すのははばかられます。越えて行かれる砺波(となみ)山の神にお供え物を手向け、お祈りします。あなたがずっと神のご加護を得て無事で旅されますように、と。そして来月になれば頃好く、ナデシコの花の盛りになる頃には無事帰られてお逢いできますように、と。」
4009 玉桙の道の神たち賄はせむ我が思ふ君をなつかしみせよ
(多麻保許<乃> 美知能可<未>多知 麻比波勢牟 安賀於毛布伎美乎 奈都可之美勢余)
「玉桙(たまほこ)の」は枕詞。「賄(まひ)はせむ」は「神にお供えします」。「なつかしみせよ」は「お守り下さい」という意味である。
(宇良故非之 和賀勢能伎美波 奈泥之故我 波奈尓毛我母奈 安佐奈々々見牟)
「うら恋し」は「心恋しい」という意味。「花にもがもな」は「花であってくれたなら」という願望。
「心恋しいあなたがナデシコの花であってくれたらなあ。毎朝見られるのに」という歌である。
左注に「右は大伴宿祢池主から(家持に)応えて贈った歌 五月二日」とある。
(2016年10月15日記、2019年4月8日)
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(多麻保許<乃> 美知能可<未>多知 麻比波勢牟 安賀於毛布伎美乎 奈都可之美勢余)
「玉桙(たまほこ)の」は枕詞。「賄(まひ)はせむ」は「神にお供えします」。「なつかしみせよ」は「お守り下さい」という意味である。
道の神々には十分お供えを致します。私が思うこのお方をどうかお守り下さい」という歌である。
4010 うら恋し我が背の君はなでしこが花にもがもな朝な朝な見む(宇良故非之 和賀勢能伎美波 奈泥之故我 波奈尓毛我母奈 安佐奈々々見牟)
「うら恋し」は「心恋しい」という意味。「花にもがもな」は「花であってくれたなら」という願望。
「心恋しいあなたがナデシコの花であってくれたらなあ。毎朝見られるのに」という歌である。
左注に「右は大伴宿祢池主から(家持に)応えて贈った歌 五月二日」とある。
(2016年10月15日記、2019年4月8日)