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万葉集読解・・・257(4011~4016番歌)

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     万葉集読解・・・257(4011~4016番歌)
 頭注に「逃げた鷹を夢に見て喜んで作った一首並びに短歌」とある。
4011番長歌
   大君の 遠の朝廷ぞ み雪降る 越と名に追へる 天離る 鄙にしあれば 山高み 川とほしろし 野を広み 草こそ茂き 鮎走る 夏の盛りと 島つ鳥 鵜養が伴は 行く川の 清き瀬ごとに 篝さし なづさひ上る 露霜の 秋に至れば 野も多に 鳥すだけりと 大夫の 友誘ひて 鷹はしも あまたあれども 矢形尾の 我が大黒に [大黒者蒼鷹之名也] 白塗の 鈴取り付けて 朝猟に 五百つ鳥立て 夕猟に 千鳥踏み立て 追ふ毎に 許すことなく 手放れも をちもかやすき これをおきて またはありがたし さ慣らへる 鷹はなけむと 心には 思ひほこりて 笑まひつつ 渡る間に 狂れたる 醜つ翁の 言だにも 我れには告げず との曇り 雨の降る日を 鳥猟すと 名のみを告りて 三島野を そがひに見つつ 二上の 山飛び越えて 雲隠り 翔り去にきと 帰り来て しはぶれ告ぐれ 招くよしの そこになければ 言ふすべの たどきを知らに 心には 火さへ燃えつつ 思ひ恋ひ 息づきあまり けだしくも 逢ふことありやと あしひきの をてもこのもに 鳥網張り 守部を据ゑて ちはやぶる 神の社に 照る鏡 倭文に取り添へ 祈ひ祷みて 我が待つ時に 娘子らが 夢に告ぐらく 汝が恋ふる その秀つ鷹は 松田江の 浜行き暮らし つなし捕る 氷見の江過ぎて 多古の島 飛びた廻り 葦鴨の すだく古江に 一昨日も 昨日もありつ 近くあらば いま二日だみ 遠くあらば 七日のをちは 過ぎめやも 来なむ我が背子 ねもころに な恋ひそよとぞ いまに告げつる
   (大王乃 等保能美可度曽 美雪落 越登名尓於敝流 安麻射可流 比奈尓之安礼婆 山高美 河登保之呂思 野乎比呂美 久佐許曽之既吉 安由波之流 奈都能左<加>利等 之麻都等里 鵜養我登母波 由久加波乃 伎欲吉瀬其<等>尓 可賀里左之 奈豆左比能保流 露霜乃 安伎尓伊多礼<婆> 野毛佐波尓 等里須太家里等 麻須良乎能 登母伊射奈比弖 多加波之母 安麻多安礼等母 矢形尾乃 安我大黒尓 [大黒者蒼鷹之名也] 之良奴里<能> 鈴登里都氣弖 朝猟尓 伊保都登里多? 暮猟尓 知登理布美多? 於敷其等邇 由流須許等奈久 手放毛 乎知母可夜須伎 許礼乎於伎? 麻多波安里我多之 左奈良敝流 多可波奈家牟等 情尓波 於毛比保許里弖 恵麻比都追 和多流安比太尓 多夫礼多流 之許都於吉奈乃 許等太尓母 吾尓波都氣受 等乃具母利 安米能布流日乎 等我理須等 名乃未乎能里弖 三嶋野乎 曽我比尓見都追 二上 山登妣古要? 久母我久理 可氣理伊尓伎等 可敝理伎弖 之波夫礼都具礼 呼久餘思乃 曽許尓奈家礼婆 伊敷須敝能 多騰伎乎之良尓 心尓波 火佐倍毛要都追 於母比孤悲 伊<伎>豆吉安麻利 氣太之久毛 安布許等安里也等 安之比奇能 乎?母許乃毛尓 等奈美波里 母利敝乎須恵? 知波夜夫流 神社尓 ?流鏡 之都尓等里蘇倍 己比能美弖 安我麻都等吉尓 乎登賣良我 伊米尓都具良久 奈我古敷流 曽能保追多加波 麻追太要乃 波麻由伎具良之 都奈之等流 比美乃江過弖 多古能之麻 等<妣>多毛登保里 安之我母<乃> 須太久舊江尓 乎等都日毛 伎能敷母安里追 知加久安良婆 伊麻布都可太未 等保久安良婆 奈奴可乃<乎>知<波> 須疑米也母 伎奈牟和我勢故 祢毛許呂尓 奈孤悲曽余等曽 伊麻尓都氣都流)

  長歌は用語の解説を最小限にとどめる。「川とほしろし」解釈難解。「岩波大系本」は324番長歌にある「~明日香の古き都は山高み川とほしろし」をとらえ、詳細な補注まで設けて「川が雄大」という意味だとしている。が、どこかぴんとこない。山や湖なら「雄大」でぴったりだが、明日香川が雄大と言われても語感的にしっくりこない。本歌も324番長歌も「山高み」という形容句がついており、やはり「遠く白々と流れる川」の形容ととりたい。「山が高く川は遠く白々と流れる」という意味に相違ない。「鳥すだけりと」は「鳥たちがいっぱい集まって」という意味。「千鳥踏み立て」は「多くの鳥たちを勢子(追い立て役)がみんなで追い立てて」という意味である。「をちもかやすき」は「手に戻ってくるのも容易(思いのまま)」という意味。「またはありがたし」は「またとない」という意味。
 三島野(みしまの)は富山県高岡市二上山のふもとの野。「たどきを知らに」は「手段もなく」で、「をてもこのもに」は「あちらにもこちらにも」という意味である。「倭文(しつ)」は古代の倭文織物のこと。「松田江」は富山県高岡市伏木から氷見市氷見に至る入り江状の海岸。「つなし」はコノシロのことでニシン科の海産魚。「氷見の江」は富山県氷見市の入り江。「多古の島」は、氷見市にかってあった布勢の海(大きな塩水湖)に浮かぶ島だったようだ。多胡神社がある。「古江」は布勢の海の東湖岸。

 (口語訳)
 ここは大君の治められる遠い朝廷のひとつ。雪降り積もる、その名も越中、遠く遠く田舎の地。山が高く、川は遠くから白々と流れる。野は広く、草が生い茂っている。鮎が走る夏の盛りになると、島の鳥たる鵜を操る鵜飼いが行われる。流れ行く川の清らかな瀬ごとに篝火をたき、難渋しながら上っていく。 露が木々を濡らし、霜が降りる秋ともなれば、野も鳥たちでいっぱいになり、男仲間を誘って鷹狩りをする。鷹といえば、数々いるけれど、矢形尾(やかたを)の形をした、すなわち矢羽根のような尾羽をもつ、我が大黒{大黒とは鷹の名前である}は自慢の鷹。その大黒に白塗りの鈴を取り付けて朝猟に出る。たくさんの鳥たちを追い立てる。夕猟には勢子たち(追い立て役の人々)が鳥を追い立て、追うたびに鷹が鳥たちを取り逃がすことなく、手を離れたかと思うと舞い戻る。大黒のような鷹は他に得難い。こんな手慣れた鷹はほかにないだろうと、心中得意になってほくそ笑んでいた。そんなとき、ろくでなしの爺い奴(め)が、何のことわりもなしに、どんよりと一面に曇った雨降る日、鷹狩りするとだけ告げて出かけた。
 ところが、爺い奴(め)は「大黒は三島野を後にして二上山を飛び越え、雲の彼方に飛翔していってしまいました」と、帰ってきてしゃがれ声で告げた。とりあえず大黒を呼び戻す方法も思い浮かばず、どう言っていいかもわからない。心中は烈火のごとく燃えさかったものの、ため息がでるばかりだった。それでも、大黒に会えるかもしれないと思い、山のあちこちに鳥網を張り、見張りをつけた。山を祀る神社に照り輝く鏡と倭文織物を取り添えて祈り続けた。こうして待っていると、娘子(おとめ)が夢に出てきて告げた。「あなた様の恋求める鷹は、松田江の浜を跳び続け、コノシロが捕れる 氷見の江を過ぎ、多古の島辺りを飛び回り、アシガモが群れる古江に一昨日も昨日も飛んでいました。早ければもう二日ほど、遅くとも七日の内には戻って来ますよ、そんなに恋い焦がれなさらなくとも」と・・・。」

4012  矢形尾の鷹を手に据ゑ三島野に猟らぬ日まねく月ぞ経にける
      (矢形尾能 多加乎手尓須恵 美之麻野尓 可良奴日麻祢久 都奇曽倍尓家流)
 「矢形尾の」は「矢羽根のような尾羽をもつ」という意味。三島野(みしまの)は高岡市二上山のふもとの野。「まねく」は「多く」という意味。
 「矢羽根のような尾羽をもつ鷹を手に乗せて、三島野に出かけ、鷹狩りに興じない日が重なり、とうとう月が変わってしまった」という歌である。

4013  二上のをてもこのもに網さして我が待つ鷹を夢に告げつも
      (二上能 乎弖母許能母尓 安美佐之弖 安我麻都多可乎 伊米尓都氣追母)
 「二上の」は「二上山の」ということで、富山県高岡市の山。「をてもこのもに」は「あちら側にもこちら側にも」という意味である。「夢に告げつも」は「夢に告げられた」という意味。
 「二上山のあちこちに網を張って私が待っていた鷹、その鷹のことを夢に告げられた」という歌である。

4014  松反りしひにてあれかもさ山田の翁がその日に求めあはずけむ
      (麻追我敝里 之比尓弖安礼可母 佐夜麻太乃 乎治我其日尓 母等米安波受家牟)
 「松反り」は枕詞(?)。1783番歌にも「松返りしひてあれやは~」とある。「しひにてあれかも」ははっきりしないが、「ぼけていたのか」という意味かと思われる。「求めあはずけむ」は「探し出せなかったのは」という意味である。
 「老人呆けでもしていたのだろうか。山田の爺さんがその日の内に鷹を探し出せなかったのは」という歌である。

4015  心には緩ふことなく須加の山すかなくのみや恋ひわたりなむ
      (情尓波 由流布許等奈久 須加能夜麻 須加奈久能未也 孤悲和多利奈牟)
 「緩(ゆる)ふことなく」は「わだかまりが解けきらず」という意味である。「須加の山」は所在不詳。ここまで、「すかなく」を導く序歌。「すかなく」は「しょげかえる」こと。
 「心にはわだかまりが解けきらず、須加の山の名のようにすっかりしょげかえって(逃げた鷹)を恋続けている」という歌である。
 左注に大略こうある。「射水郡の古江村で大鷹を捕獲。姿が美麗で雉を狩る能力は群を抜いていた。鷹を飼う担当の山田史(ふひと)君麻呂(きみまろ)が訓練の時節を誤って狩りを試み、この鷹を逃がしてしまった。鷹を呼び戻すすべがなく、神々に祈ったところ、娘子が夢に現れて、ご心配なく、鷹は近々に戻るでしょうと告げた。そこで目が覚め、喜んで大伴家持が作った歌。九月弐拾六日」

 頭注に「高市連黒人(たけちのむらじくろひと)の歌一首。年月不審」とある。
4016  婦負の野のすすき押しなべ降る雪に宿借る今日し悲しく思ほゆ
      (賣比能野能 須々吉於之奈倍 布流由伎尓 夜度加流家敷之 可奈之久於毛倍遊)
 「婦負(ねひ)の野」はかって富山市から射水市にまたがって存在した婦負郡のどこかの野。 「婦負(ねひ)の野にススキを押さえて雪が降っている。この中で宿を取らねばならない(野宿)と思うと、今日は悲しい日に思われる」という歌である。
 左注に「この歌は三國真人五百國(みくにのまひといほくに)の傳誦による」とある。 
           (2016年10月19日記、2019年4月8日)
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