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そ の 278 へ
万葉集読解・・・277(4251~4263番歌)
本歌の頭注は長いので、概略にとどめる。「五日の明け方4時頃、正税帳使として家持が都に出発せんとす。次官以下緒僚見送る。地元の豪族があらかじめ酒宴の用意をした。見送りに応えて家持の作った歌」とある。正税帳は租税の出納帳で、年に一回都に報告に行く。
4251 玉桙の道に出で立ち行く我れは君が事跡を負ひてし行かむ
(玉桙之 道尓出立 徃吾者 公之事跡乎 負而之将去)
「玉桙(たまほこ)の」は枕詞。
「都に出発する私はあなたがたの業績を携えて行きましょう」という歌である。
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万葉集読解・・・277(4251~4263番歌)
本歌の頭注は長いので、概略にとどめる。「五日の明け方4時頃、正税帳使として家持が都に出発せんとす。次官以下緒僚見送る。地元の豪族があらかじめ酒宴の用意をした。見送りに応えて家持の作った歌」とある。正税帳は租税の出納帳で、年に一回都に報告に行く。
4251 玉桙の道に出で立ち行く我れは君が事跡を負ひてし行かむ
(玉桙之 道尓出立 徃吾者 公之事跡乎 負而之将去)
「玉桙(たまほこ)の」は枕詞。
「都に出発する私はあなたがたの業績を携えて行きましょう」という歌である。
頭注に「正税帳使掾久米朝臣廣縄(くめのあそみひろつな)は役目を終え、越中に戻る途次、家持とともに越前國掾大伴宿祢池主(いけぬし)の舘に寄り、飲樂を共にす。廣縄は萩の花を見て作った歌」とある。正税帳は前歌参照。池主は廣縄の前任者。掾(じょう)は国司に置かれた四部官の一つ。3番目の官。
4252 君が家に植ゑたる萩の初花を折りてかざさな旅別るどち
(君之家尓 殖有芽子之 始花乎 折而挿頭奈 客別度知)
「折りてかざさな」は「折って髪飾りにしよう」という意味。「旅別るどち」の「どち」は「われらが仲間」。
「あなたの家に植えられている萩の初花、手折って髪飾りにしよう。旅の途次にある私は別れなければならない、わが仲間よ」という歌である。
4252 君が家に植ゑたる萩の初花を折りてかざさな旅別るどち
(君之家尓 殖有芽子之 始花乎 折而挿頭奈 客別度知)
「折りてかざさな」は「折って髪飾りにしよう」という意味。「旅別るどち」の「どち」は「われらが仲間」。
「あなたの家に植えられている萩の初花、手折って髪飾りにしよう。旅の途次にある私は別れなければならない、わが仲間よ」という歌である。
頭注に「大伴宿祢家持が応じた歌」とある。
4253 立ちて居て待てど待ちかね出でて来し君にここに逢ひかざしつる萩
(立而居而 待登待可祢 伊泥?来之 君尓於是相 挿頭都流波疑)
という「出でて来し君」は一緒に立ち寄った廣縄(ひろつな)。家持が一足先に出発した様子。
「立ったり座ったりして待っていたけど待ちきれずにいたところ、池主の家から出てきた貴君にここで遇えた。髪にかざした萩が美しい」という歌である。
4253 立ちて居て待てど待ちかね出でて来し君にここに逢ひかざしつる萩
(立而居而 待登待可祢 伊泥?来之 君尓於是相 挿頭都流波疑)
という「出でて来し君」は一緒に立ち寄った廣縄(ひろつな)。家持が一足先に出発した様子。
「立ったり座ったりして待っていたけど待ちきれずにいたところ、池主の家から出てきた貴君にここで遇えた。髪にかざした萩が美しい」という歌である。
頭注に「京に向かう途上、あらかじめ宴会の席上に供しようと作った歌と短歌」とある。
4254番長歌
蜻蛉島 大和の国を 天雲に 磐舟浮べ 艫に舳に 真櫂しじ貫き い漕ぎつつ 国見しせして 天降りまし 払ひ平げ 千代重ね いや継ぎ継ぎに 知らし来る 天の日継と 神ながら 我が大君の 天の下 治めたまへば もののふの 八十伴の男を 撫でたまひ 整へたまひ 食す国も 四方の人をも あぶさはず 恵みたまへば いにしへゆ なかりし瑞 度まねく 申したまひぬ 手抱きて 事なき御代と 天地 日月とともに 万代に 記し継がむぞ やすみしし 我が大君 秋の花 しが色々に 見したまひ 明らめたまひ 酒みづき 栄ゆる今日の あやに貴さ
(蜻嶋 山跡國乎 天雲尓 磐船浮 等母尓倍尓 真可伊繁貫 伊許藝都遣 國看之勢志? 安母里麻之 掃平 千代累 弥嗣継尓 所知来流 天之日継等 神奈我良 吾皇乃 天下 治賜者 物乃布能 八十友之雄乎 撫賜 等登能倍賜 食國毛 四方之人乎母 安<夫>左波受 ヌ賜者 従古昔 無利之瑞 多婢<末>祢久 申多麻比奴 手拱而 事無御代等 天地 日月等登聞仁 万世尓 記續牟曽 八隅知之 吾大皇 秋花 之我色々尓 見賜 明米多麻比 酒見附 榮流今日之 安夜尓貴左)
4254番長歌
蜻蛉島 大和の国を 天雲に 磐舟浮べ 艫に舳に 真櫂しじ貫き い漕ぎつつ 国見しせして 天降りまし 払ひ平げ 千代重ね いや継ぎ継ぎに 知らし来る 天の日継と 神ながら 我が大君の 天の下 治めたまへば もののふの 八十伴の男を 撫でたまひ 整へたまひ 食す国も 四方の人をも あぶさはず 恵みたまへば いにしへゆ なかりし瑞 度まねく 申したまひぬ 手抱きて 事なき御代と 天地 日月とともに 万代に 記し継がむぞ やすみしし 我が大君 秋の花 しが色々に 見したまひ 明らめたまひ 酒みづき 栄ゆる今日の あやに貴さ
(蜻嶋 山跡國乎 天雲尓 磐船浮 等母尓倍尓 真可伊繁貫 伊許藝都遣 國看之勢志? 安母里麻之 掃平 千代累 弥嗣継尓 所知来流 天之日継等 神奈我良 吾皇乃 天下 治賜者 物乃布能 八十友之雄乎 撫賜 等登能倍賜 食國毛 四方之人乎母 安<夫>左波受 ヌ賜者 従古昔 無利之瑞 多婢<末>祢久 申多麻比奴 手拱而 事無御代等 天地 日月等登聞仁 万世尓 記續牟曽 八隅知之 吾大皇 秋花 之我色々尓 見賜 明米多麻比 酒見附 榮流今日之 安夜尓貴左)
長歌は用語の解説を最小限にとどめる。蜻蛉島(あきづしま)は5例あってすべて長歌。大和にかかる枕詞と考えてよさそうだが、大和の美称とも解せられ、枕詞(?)としておきたい。磐舟(いはふね)は記紀神話に出てくる。天鳥船(あめのとりふね)とも表記される。大空を自在に飛ぶ堅牢な船。「国見しせして」は「国見をされ」で敬語表現。「撫(な)でたまひ」は「いつくしまれ」という、「食(を)す国も」は「支配なさっている国々も」という、「あぶさはず」は「漏れなく」という意味。
(口語訳)
「蜻蛉島(あきづしま)大和の国、天雲浮かぶ大空に磐舟を浮かべ、船尾から船首まで梶をとりつけ、船を漕いで国見をなさりながら天降りなさった。抵抗する者は払いのけ平定なさる。幾代も重ねて次々と治めて来られた日の神、その後継ぎとして神のままとして、大君は天下をお治めになってこられた。数多くの官人たちをいつくしまれ、整然と整備されてきた。支配なさっている国々も四方の人々も漏れなく 恵みをお与えになったので、昔からあらわれなかった瑞兆(吉事)もたびたび表れ、大君に奏上された。腕組みをしていても何事も起こらない平穏な御代として、天地や日月と同様、万代(よろづよ)に記録され、受け継がれていくだろう。やすみしし我が大君が色とりどりの秋の花々をご覧になり、御心を晴らされる酒宴がにぎやかに開かれる今日という日の実に尊いことよ。
「蜻蛉島(あきづしま)大和の国、天雲浮かぶ大空に磐舟を浮かべ、船尾から船首まで梶をとりつけ、船を漕いで国見をなさりながら天降りなさった。抵抗する者は払いのけ平定なさる。幾代も重ねて次々と治めて来られた日の神、その後継ぎとして神のままとして、大君は天下をお治めになってこられた。数多くの官人たちをいつくしまれ、整然と整備されてきた。支配なさっている国々も四方の人々も漏れなく 恵みをお与えになったので、昔からあらわれなかった瑞兆(吉事)もたびたび表れ、大君に奏上された。腕組みをしていても何事も起こらない平穏な御代として、天地や日月と同様、万代(よろづよ)に記録され、受け継がれていくだろう。やすみしし我が大君が色とりどりの秋の花々をご覧になり、御心を晴らされる酒宴がにぎやかに開かれる今日という日の実に尊いことよ。
反歌一首
4255 秋の花種にありと色ごとに見し明らむる今日の貴さ(秋時花 種尓有等 色別尓 見之明良牟流 今日之貴左)
「種にありと」は「くさぐさありと」という意味。「見し明らむる」は「ご覧になって御心を晴らされる」という意味。
「秋の花々は色々あってそれらをご覧になって御心を晴らされる。今日というこの日の何と尊いことでしょう」という歌である。
頭注に「左大臣橘卿を寿ぐために預め作った歌」とある。橘卿は橘諸兄のこと。
4256 いにしへに君が三代経て仕へけり我が大主は七代申さね
(古昔尓 君之三代經 仕家利 吾大主波 七世申祢)
「君が三代経て仕へけり」は「大君三代にわたってお仕えなさった大臣がいた」という意味。具体的には武内宿禰を指している。
「昔、大君三代にわたってお仕えなさった大臣がいました。橘諸兄様は七代にわたって政務に携わられるでしょう」という歌である。
4256 いにしへに君が三代経て仕へけり我が大主は七代申さね
(古昔尓 君之三代經 仕家利 吾大主波 七世申祢)
「君が三代経て仕へけり」は「大君三代にわたってお仕えなさった大臣がいた」という意味。具体的には武内宿禰を指している。
「昔、大君三代にわたってお仕えなさった大臣がいました。橘諸兄様は七代にわたって政務に携わられるでしょう」という歌である。
頭注に「十月廿二日、左大辨紀飯麻呂(きのいひまろ)朝臣の家で開かれた宴席での歌三首」とある。弁官は太政官に直属し、左右に分かれていた。紀飯麻呂(きのいひまろ)はその左弁官の長官。
4257 手束弓手に取り持ちて朝狩りに君は立たしぬ棚倉の野に
(手束弓 手尓取持而 朝猟尓 君者立之奴 多奈久良能野尓)
「手束弓(たつかゆみ)」は手に握って持つ弓。「棚倉(たなくら)の野に」は京都府木津川市山城町に棚倉がある。
「手束弓、手に取り持って朝の狩りに主君はお立ちになっている棚倉(たなくら)の野に」という歌である。
左注に「右は治部卿(ぢぶのきやう)船王(ふねのおほきみ)が傳誦した歌。久邇京(くにのみやこ)の時の歌。作者未詳」とある。治部卿は治部省長官。久邇京(740~744年)は聖武天皇が置いた都。
4257 手束弓手に取り持ちて朝狩りに君は立たしぬ棚倉の野に
(手束弓 手尓取持而 朝猟尓 君者立之奴 多奈久良能野尓)
「手束弓(たつかゆみ)」は手に握って持つ弓。「棚倉(たなくら)の野に」は京都府木津川市山城町に棚倉がある。
「手束弓、手に取り持って朝の狩りに主君はお立ちになっている棚倉(たなくら)の野に」という歌である。
左注に「右は治部卿(ぢぶのきやう)船王(ふねのおほきみ)が傳誦した歌。久邇京(くにのみやこ)の時の歌。作者未詳」とある。治部卿は治部省長官。久邇京(740~744年)は聖武天皇が置いた都。
4258 明日香川川門を清み後れ居て恋ふれば都いや遠そきぬ
(明日香河 々戸乎清美 後居而 戀者京 弥遠曽伎奴)
「明日香川」と「後れ居て」の関係がはっきりしないが、飛鳥の古京を思う歌か?。「後れ居て」は「後に残った私」という意味である。
「明日香川川の渡し場が清らかなので 後に残った私は都が恋しくなるばかりだが、ああ都は遠のいてしまった」という歌である。
左注に「右は、左中辨中臣朝臣清麻呂の傳誦になる古京の時の歌」とある。
(明日香河 々戸乎清美 後居而 戀者京 弥遠曽伎奴)
「明日香川」と「後れ居て」の関係がはっきりしないが、飛鳥の古京を思う歌か?。「後れ居て」は「後に残った私」という意味である。
「明日香川川の渡し場が清らかなので 後に残った私は都が恋しくなるばかりだが、ああ都は遠のいてしまった」という歌である。
左注に「右は、左中辨中臣朝臣清麻呂の傳誦になる古京の時の歌」とある。
4259 十月時雨の常か我が背子が宿の黄葉散りぬべく見ゆ
(十月 之具礼能常可 吾世古河 屋戸乃黄葉 可落所見)
「十月」は「神無月(かむなづき)」。平明歌。
「神無月(かむなづき)、しぐれの季節の常なのでしょう。あなた様の家の庭の黄葉が散り始めたようですね」という歌である。
左注に「右は、少納言大伴宿祢家持梨の黄葉を見て作った歌」とある。
(十月 之具礼能常可 吾世古河 屋戸乃黄葉 可落所見)
「十月」は「神無月(かむなづき)」。平明歌。
「神無月(かむなづき)、しぐれの季節の常なのでしょう。あなた様の家の庭の黄葉が散り始めたようですね」という歌である。
左注に「右は、少納言大伴宿祢家持梨の黄葉を見て作った歌」とある。
頭注に「壬申年の乱平定以後の歌二首」とある。壬申年の乱は大海人皇子(天武天皇)が近江朝(大友皇子)を相手に起こした、いわゆる壬申の乱とされる。
4260 大君は神にしませば赤駒の腹這ふ田居を都と成しつ
(皇者 神尓之座者 赤駒之 腹婆布田為乎 京師跡奈之都)
「赤駒の腹這ふ田居を」は「赤い馬が腹這う田んぼ」という意味。
「大君(天皇)は神でいらっしゃるから、赤い馬が腹這う田んぼをたちまち都になさった」という歌である。
左注に「右は、右大臣を追贈された大将軍の歌」とある。大将軍は壬申の乱に功績のあった大伴御行。大伴旅人の従兄。
4260 大君は神にしませば赤駒の腹這ふ田居を都と成しつ
(皇者 神尓之座者 赤駒之 腹婆布田為乎 京師跡奈之都)
「赤駒の腹這ふ田居を」は「赤い馬が腹這う田んぼ」という意味。
「大君(天皇)は神でいらっしゃるから、赤い馬が腹這う田んぼをたちまち都になさった」という歌である。
左注に「右は、右大臣を追贈された大将軍の歌」とある。大将軍は壬申の乱に功績のあった大伴御行。大伴旅人の従兄。
4261 大君は神にしませば水鳥のすだく水沼を都と成しつ [作者未詳]
(韓國尓 由伎多良波之? 可敝里許牟 麻須良多家乎尓 美伎多弖麻都流)
前歌とほぼ同意。
「大君(天皇)は神でいらっしゃるから、水鳥が群がり騒ぐ沼地をたちまち都になさった(作者未詳)」という歌である。
左注に「右の二首は天平勝寳四年(752年)二月二日に聞き、ここに登載した」とある。
(韓國尓 由伎多良波之? 可敝里許牟 麻須良多家乎尓 美伎多弖麻都流)
前歌とほぼ同意。
「大君(天皇)は神でいらっしゃるから、水鳥が群がり騒ぐ沼地をたちまち都になさった(作者未詳)」という歌である。
左注に「右の二首は天平勝寳四年(752年)二月二日に聞き、ここに登載した」とある。
頭注に「閏三月、衛門督(ゑもんのかみ)大伴古慈悲宿祢(こしびのすくね)の家で、入唐副使大伴胡麻呂宿祢(こまろすくね)等を餞別した際の歌二首」とある。衛門督は衛門府の長官、宮門の警護が役目。この時の入唐使は藤原清河(ふじわらのきよかわ)。
4262 唐国に行き足らはして帰り来むますら健男に御酒奉る
(韓國尓 由伎多良波之氐 可敝里許牟 麻須良多家乎尓 美伎多弖麻都流)
「行き足らはして」は「行かれて十分に役目を果たされて」という意味である。
「唐国に行かれて十分に役目を果たされてお帰りになるだろう、立派な男子に御酒を捧げます」という歌である。
左注に「右は、多治比真人鷹主(たかぬし)、副使大伴胡麻呂宿祢の無事を祈って作った歌」とある。
4262 唐国に行き足らはして帰り来むますら健男に御酒奉る
(韓國尓 由伎多良波之氐 可敝里許牟 麻須良多家乎尓 美伎多弖麻都流)
「行き足らはして」は「行かれて十分に役目を果たされて」という意味である。
「唐国に行かれて十分に役目を果たされてお帰りになるだろう、立派な男子に御酒を捧げます」という歌である。
左注に「右は、多治比真人鷹主(たかぬし)、副使大伴胡麻呂宿祢の無事を祈って作った歌」とある。
4263 櫛も見じ屋内も掃かじ草枕旅行く君を斎ふと思ひて[作者未詳]
(梳毛見自 屋中毛波可自 久左麻久良 多婢由久伎美乎 伊波布等毛比氐 [作者未詳])
「櫛も見じ」は「櫛などは見向きもしない」という意味で、ひたすら謹慎して祈る様子を示している。「屋内も掃かじ」も「屋内を掃くこともしない」で同様の意味。「草枕」は枕詞。
「櫛などは見向きもしないし、屋内を掃き清めることもしません。ひたすらあなた様の無事をお祈りします(作者未詳)」という歌である。
左注に「右二首は、大伴宿祢村上(むらかみ)、大伴清継(きよつぐ)等の傳誦によるもの」とある。
(2017年1月28日記、2019年4月14日)
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(梳毛見自 屋中毛波可自 久左麻久良 多婢由久伎美乎 伊波布等毛比氐 [作者未詳])
「櫛も見じ」は「櫛などは見向きもしない」という意味で、ひたすら謹慎して祈る様子を示している。「屋内も掃かじ」も「屋内を掃くこともしない」で同様の意味。「草枕」は枕詞。
「櫛などは見向きもしないし、屋内を掃き清めることもしません。ひたすらあなた様の無事をお祈りします(作者未詳)」という歌である。
左注に「右二首は、大伴宿祢村上(むらかみ)、大伴清継(きよつぐ)等の傳誦によるもの」とある。
(2017年1月28日記、2019年4月14日)