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そ の 279 へ
万葉集読解・・・278(4264~4278番歌)
頭注に「大君は勅(みことのり)を発し、従四位上高麗朝臣福信(こまのあそみふくしん)を難波に遣わし、酒肴を入唐使藤原朝臣清河(ふじはらのあそみきよかわ)一行に賜う。御歌と短歌」とある。官職は記さないで従四位上とあるのは珍しい。当時の位階は基本的には正、従一位から正、従八位まで分かれていた。遣唐使発着の港は難波にあった。本歌を贈ったのは孝謙天皇。
4264番長歌
そらみつ 大和の国は 水の上は 地行くごとく 船の上は 床に居るごと 大神の 斎へる国ぞ 四つの船 船の舳並べ 平けく 早渡り来て 返り言 奏さむ日に 相飲まむ酒ぞ この豊御酒は
(虚見都 山跡乃國波 水上波 地徃如久 船上波 床座如 大神乃 鎮在國曽 四舶 々能倍奈良倍 平安 早渡来而 還事 奏日尓 相飲酒曽 <斯>豊御酒者)
そ の 279 へ
万葉集読解・・・278(4264~4278番歌)
頭注に「大君は勅(みことのり)を発し、従四位上高麗朝臣福信(こまのあそみふくしん)を難波に遣わし、酒肴を入唐使藤原朝臣清河(ふじはらのあそみきよかわ)一行に賜う。御歌と短歌」とある。官職は記さないで従四位上とあるのは珍しい。当時の位階は基本的には正、従一位から正、従八位まで分かれていた。遣唐使発着の港は難波にあった。本歌を贈ったのは孝謙天皇。
4264番長歌
そらみつ 大和の国は 水の上は 地行くごとく 船の上は 床に居るごと 大神の 斎へる国ぞ 四つの船 船の舳並べ 平けく 早渡り来て 返り言 奏さむ日に 相飲まむ酒ぞ この豊御酒は
(虚見都 山跡乃國波 水上波 地徃如久 船上波 床座如 大神乃 鎮在國曽 四舶 々能倍奈良倍 平安 早渡来而 還事 奏日尓 相飲酒曽 <斯>豊御酒者)
長歌は用語の解説を最小限にとどめる。「そらみつ」は枕詞。「四つの船」は、当時、遣唐使一行は四艘の船に分乗して出かけた。
(口語訳)
「そらみつ大和の国は水上にあっても地上にいるごとく、船上にあっても床の上にいるごとく。大神がお守り下さる国であるぞ。四艘が船首を並べ、平穏無事に、早々と行ってきて、報告をしてくれる日に再び飲みたいものよ。この美味い酒を」という歌である。
「そらみつ大和の国は水上にあっても地上にいるごとく、船上にあっても床の上にいるごとく。大神がお守り下さる国であるぞ。四艘が船首を並べ、平穏無事に、早々と行ってきて、報告をしてくれる日に再び飲みたいものよ。この美味い酒を」という歌である。
反歌一首
4265 四つの船早帰り来と白香付け我が裳の裾に斎ひて待たむ
(四舶 早還来等 白香著 朕裳裙尓 鎮而将待)
「四つの船」は前歌参照。「白香付け」は「岩波大系本」も「中西本」も白髪と解している。ちなみに「伊藤本」は枕詞と解している。原文の白香は文字通り「白い(清らかな)お香」のことではなかろうか。
「四艘の船、早くご無事でお帰りと、私の裳裾に香を焚いて、祈りつつ待ちましょう」という歌である。
左注に「孝謙天皇は勅使を遣わし、酒を賜われた。宴の行われた月日未詳」とある。
4265 四つの船早帰り来と白香付け我が裳の裾に斎ひて待たむ
(四舶 早還来等 白香著 朕裳裙尓 鎮而将待)
「四つの船」は前歌参照。「白香付け」は「岩波大系本」も「中西本」も白髪と解している。ちなみに「伊藤本」は枕詞と解している。原文の白香は文字通り「白い(清らかな)お香」のことではなかろうか。
「四艘の船、早くご無事でお帰りと、私の裳裾に香を焚いて、祈りつつ待ちましょう」という歌である。
左注に「孝謙天皇は勅使を遣わし、酒を賜われた。宴の行われた月日未詳」とある。
頭注に「大君に応えるため、あらかじめ作った歌と短歌」とある。
4266番長歌
あしひきの 八つ峰の上の 栂の木の いや継ぎ継ぎに 松が根の 絶ゆることなく あをによし 奈良の都に 万代に 国知らさむと やすみしし 我が大君の 神ながら 思ほしめして 豊の宴 見す今日の日は もののふの 八十伴の男の 島山に 赤る橘 うずに刺し 紐解き放けて 千年寿き 寿き響もし ゑらゑらに 仕へまつるを 見るが貴さ
(安之比奇能 八峯能宇倍能 都我能木能 伊也継々尓 松根能 絶事奈久 青丹余志 奈良能京師尓 万代尓 國所知等 安美知之 吾大皇乃 神奈我良 於母保之賣志弖 豊宴 見為今日者 毛能乃布能 八十伴雄能 嶋山尓 安可流橘 宇受尓指 紐解放而 千年保伎 <保>吉等餘毛之 恵良々々尓 仕奉乎 見之貴者)
4266番長歌
あしひきの 八つ峰の上の 栂の木の いや継ぎ継ぎに 松が根の 絶ゆることなく あをによし 奈良の都に 万代に 国知らさむと やすみしし 我が大君の 神ながら 思ほしめして 豊の宴 見す今日の日は もののふの 八十伴の男の 島山に 赤る橘 うずに刺し 紐解き放けて 千年寿き 寿き響もし ゑらゑらに 仕へまつるを 見るが貴さ
(安之比奇能 八峯能宇倍能 都我能木能 伊也継々尓 松根能 絶事奈久 青丹余志 奈良能京師尓 万代尓 國所知等 安美知之 吾大皇乃 神奈我良 於母保之賣志弖 豊宴 見為今日者 毛能乃布能 八十伴雄能 嶋山尓 安可流橘 宇受尓指 紐解放而 千年保伎 <保>吉等餘毛之 恵良々々尓 仕奉乎 見之貴者)
長歌は用語の解説を最小限にとどめる。「栂(つが)の木」はマツ科の常緑高木。高さ30メートル以上に達する。「豊(とよ)の宴(あかり)」は「大君の開かれる宴」。「うずに刺し」は「髪に刺す」という意味。「ゑらゑらに」は「笑いさざめく様」をいう。
(口語訳)
「多くの峰々に林立する栂(つが)の木のように、いよいよ次々に栄える松の根ではないが、絶えることがない、美しい奈良の都においでになって、いついつまでも国をお治めになる我が大君。神のおぼしめしを得てお開きになる豊のあかり(宴会)たる今日という日。もろもろの文武百官が庭の築山に赤く輝く橘を髪に刺し、 着物の紐を解きはなって、千年を寿(ことほ)いで、くつろぎ騒ぎ、笑いさざめいてお仕え申し上げる様を目にすると、本当に尊いことよ」という歌である。
「多くの峰々に林立する栂(つが)の木のように、いよいよ次々に栄える松の根ではないが、絶えることがない、美しい奈良の都においでになって、いついつまでも国をお治めになる我が大君。神のおぼしめしを得てお開きになる豊のあかり(宴会)たる今日という日。もろもろの文武百官が庭の築山に赤く輝く橘を髪に刺し、 着物の紐を解きはなって、千年を寿(ことほ)いで、くつろぎ騒ぎ、笑いさざめいてお仕え申し上げる様を目にすると、本当に尊いことよ」という歌である。
反歌一首
4267 天皇の御代万代にかくしこそ見し明きらめめ立つ年の端に
(須賣呂伎能 御代万代尓 如是許曽 見為安伎良目<米> 立年之葉尓)
「見し明きらめめ」の「見し」は「お開きになって」、すなわち「お開きになって御心を晴れやかにされるだろう」という意味である。「立つ年の端に」は「年が改まるたびに」という意味。
「すめろぎ(天皇)の御代がいついつまでも続き、このような宴をお開きになって御心を晴れやかにされようぞ、年が改まるたびに」という歌である。
左注に「右二首は大伴宿祢家持の歌」とある。
4267 天皇の御代万代にかくしこそ見し明きらめめ立つ年の端に
(須賣呂伎能 御代万代尓 如是許曽 見為安伎良目<米> 立年之葉尓)
「見し明きらめめ」の「見し」は「お開きになって」、すなわち「お開きになって御心を晴れやかにされるだろう」という意味である。「立つ年の端に」は「年が改まるたびに」という意味。
「すめろぎ(天皇)の御代がいついつまでも続き、このような宴をお開きになって御心を晴れやかにされようぞ、年が改まるたびに」という歌である。
左注に「右二首は大伴宿祢家持の歌」とある。
頭注に「天皇と太后は共に大納言藤原の家に幸(お出まし)になった日、黄葉した澤蘭(さはあららぎ)を一株拔き取って内侍(ないし)佐々貴山君に持たせ、大納言藤原卿と陪従(へいじゅ)の大夫等に賜った御歌」とある。「天皇と太后」は「孝謙天皇とその母」。大納言藤原は仲麿のこと。澤蘭(さはあららぎ)はサワヒヨドリのことで、キク科の多年草。秋に淡紅紫色の花を付ける。内侍(ないし)は天皇に常侍した女官。
命婦が誦みあげた御歌(命婦は佐々貴山君のこと)。
4268 この里は継ぎて霜や置く夏の野に我が見し草はもみちたりけり
(此里者 継而霜哉置 夏野尓 吾見之草波 毛美知多里家利)
「霜や置く」は疑問文。「霜が降りるのでしょうか」という意味。
「この里は続いて霜が降りるのでしょうか。夏に私が見た、サワヒヨドリはもう黄葉している」という歌である。
命婦が誦みあげた御歌(命婦は佐々貴山君のこと)。
4268 この里は継ぎて霜や置く夏の野に我が見し草はもみちたりけり
(此里者 継而霜哉置 夏野尓 吾見之草波 毛美知多里家利)
「霜や置く」は疑問文。「霜が降りるのでしょうか」という意味。
「この里は続いて霜が降りるのでしょうか。夏に私が見た、サワヒヨドリはもう黄葉している」という歌である。
頭注に「十一月八日、左大臣橘朝臣の宅で宴を催された歌の四首」とある。左大臣は橘諸兄のこと。
4269 よそのみに見ればありしを今日見ては年に忘れず思ほえむかも
(余曽能未尓 見者有之乎 今日見者 年尓不忘 所念可母)
「よそのみに見ればありしを」は「傍目に見ていただけの宅であったが」という意味である。
「傍目に見ていただけの宅であったが、今日見た以上、これからは毎年忘れずに思い起こすだろうね」という歌である。
左注に「右は太上天皇御歌」とある。太上天皇は聖武天皇。孝謙天皇の前帝。
4269 よそのみに見ればありしを今日見ては年に忘れず思ほえむかも
(余曽能未尓 見者有之乎 今日見者 年尓不忘 所念可母)
「よそのみに見ればありしを」は「傍目に見ていただけの宅であったが」という意味である。
「傍目に見ていただけの宅であったが、今日見た以上、これからは毎年忘れずに思い起こすだろうね」という歌である。
左注に「右は太上天皇御歌」とある。太上天皇は聖武天皇。孝謙天皇の前帝。
4270 葎延ふ賎しき宿も大君の座さむと知らば玉敷かましを
(牟具良波布 伊也之伎屋戸母 大皇之 座牟等知者 玉之可麻思乎)
葎(むぐら)は八重葎などの雑草。
「葎がはびこるむさ苦しい庭でございますが、大君がいらっしゃると分かっていたら玉砂利を敷いておくのでした」という歌である。
左注に「右は左大臣橘卿の歌」とある。
(牟具良波布 伊也之伎屋戸母 大皇之 座牟等知者 玉之可麻思乎)
葎(むぐら)は八重葎などの雑草。
「葎がはびこるむさ苦しい庭でございますが、大君がいらっしゃると分かっていたら玉砂利を敷いておくのでした」という歌である。
左注に「右は左大臣橘卿の歌」とある。
4271 松蔭の清き浜辺に玉敷かば君来まさむか清き浜辺に
(松影乃 清濱邊尓 玉敷者 君伎麻佐牟可 清濱邊尓)
平明歌。
「松の木が立つ清らかな浜辺にさらに玉砂利を敷き詰めたなら、大君はお越しいただけるのでしょうか、この清き浜辺に」という歌である。
左注に「右は右大辨藤原八束(やつか)朝臣の歌」とある。弁官は太政官に直属し、各省に上意下達を行った。左右の弁官が置かれていた。
(松影乃 清濱邊尓 玉敷者 君伎麻佐牟可 清濱邊尓)
平明歌。
「松の木が立つ清らかな浜辺にさらに玉砂利を敷き詰めたなら、大君はお越しいただけるのでしょうか、この清き浜辺に」という歌である。
左注に「右は右大辨藤原八束(やつか)朝臣の歌」とある。弁官は太政官に直属し、各省に上意下達を行った。左右の弁官が置かれていた。
4272 天地に足らはし照りて我が大君敷きませばかも楽しき小里
(天地尓 足之照而 吾大皇 之伎座婆可母 樂伎小里)
「足らはし照りて」は「十分に足りて」、すなわち「天地をあまねく照らして」という意味。「敷きませばかも」は「治めていらっしゃるからか」という意味である。
「天地をあまねく照らして大君が治めていらっしゃるからか、この里も楽しく平穏でございます」という歌である。
左注に「右は少納言大伴宿祢家持の歌であるが、未披露」とある。
(天地尓 足之照而 吾大皇 之伎座婆可母 樂伎小里)
「足らはし照りて」は「十分に足りて」、すなわち「天地をあまねく照らして」という意味。「敷きませばかも」は「治めていらっしゃるからか」という意味である。
「天地をあまねく照らして大君が治めていらっしゃるからか、この里も楽しく平穏でございます」という歌である。
左注に「右は少納言大伴宿祢家持の歌であるが、未披露」とある。
頭注に「廿五日、新甞會の肆宴(とよのあかり)の宴に詔(みことのり)に応えて作った歌六首」とある。新甞祭(にひなへさい)は天皇が秋の新穀を祝う祭儀。
4273 天地と相栄えむと大宮を仕へまつれば貴く嬉しき
(天地与 相左可延牟等 大宮乎 都可倍麻都礼婆 貴久宇礼之伎)
本歌も平明歌。「天地と共に相栄えていくに相違ない、この大宮に仕えまつると思えば、尊く嬉しいことでございます」という歌である。
左注に「右は大納言巨勢朝臣の歌」とある。巨勢朝臣(こせのあそみ)は巨勢奈氐麿(なてまろ)のこと。
4273 天地と相栄えむと大宮を仕へまつれば貴く嬉しき
(天地与 相左可延牟等 大宮乎 都可倍麻都礼婆 貴久宇礼之伎)
本歌も平明歌。「天地と共に相栄えていくに相違ない、この大宮に仕えまつると思えば、尊く嬉しいことでございます」という歌である。
左注に「右は大納言巨勢朝臣の歌」とある。巨勢朝臣(こせのあそみ)は巨勢奈氐麿(なてまろ)のこと。
4274 天にはも五百つ綱延ふ万代に国知らさむと五百つ綱延ふ{似古歌而未詳}
(天尓波母 五百都綱波布 万代尓 國所知牟等 五百都々奈波布)
「五百(いほ)つ綱」は「無数の綱」。
「天空に無数の綱が張り渡してある。永遠に国土をお治めにされんと無数の綱が(古歌に似ているが、未詳)」という歌である。
左注に「右は式部卿石川年足(としたり)朝臣の歌」とある。式部卿は式部省長官。式部省は律令国家の礼儀、儀式等を司る。
(天尓波母 五百都綱波布 万代尓 國所知牟等 五百都々奈波布)
「五百(いほ)つ綱」は「無数の綱」。
「天空に無数の綱が張り渡してある。永遠に国土をお治めにされんと無数の綱が(古歌に似ているが、未詳)」という歌である。
左注に「右は式部卿石川年足(としたり)朝臣の歌」とある。式部卿は式部省長官。式部省は律令国家の礼儀、儀式等を司る。
4275 天地と久しきまでに万代に仕へまつらむ黒酒白酒を
(天地与 久万弖尓 万代尓 都可倍麻都良牟 黒酒白酒乎)
「天地(あめつち)と」は「天地と共に(原文「天地与」)」という意味。
「天地と共に永遠に捧げましょう。黒酒と白酒を」という歌である。
左注に「右は従三位文室智努真人(ふむやのちぬのまひと)の歌」とある。智努王の父は長皇子だが、有名な長屋王(ながやのおほきみ)とは別人。
(天地与 久万弖尓 万代尓 都可倍麻都良牟 黒酒白酒乎)
「天地(あめつち)と」は「天地と共に(原文「天地与」)」という意味。
「天地と共に永遠に捧げましょう。黒酒と白酒を」という歌である。
左注に「右は従三位文室智努真人(ふむやのちぬのまひと)の歌」とある。智努王の父は長皇子だが、有名な長屋王(ながやのおほきみ)とは別人。
4276 島山に照れる橘うずに刺し仕へまつるは卿大夫たち
(嶋山尓 照在橘 宇受尓左之 仕奉者 卿大夫等)
島山は庭園に作られた築山。「うず」は髪。
「庭山に照り映える橘の実。髪飾りにして頭に刺し、お仕えするのは卿や大夫たち」という歌である。
左注に「右は右大辨藤原八束朝臣の歌」とある。八束(やつか)は4271番歌参照。
(嶋山尓 照在橘 宇受尓左之 仕奉者 卿大夫等)
島山は庭園に作られた築山。「うず」は髪。
「庭山に照り映える橘の実。髪飾りにして頭に刺し、お仕えするのは卿や大夫たち」という歌である。
左注に「右は右大辨藤原八束朝臣の歌」とある。八束(やつか)は4271番歌参照。
4277 袖垂れていざ我が園に鴬の木伝ひ散らす梅の花見に
(袖垂而 伊射吾苑尓 鴬乃 木傳令落 梅花見尓)
「袖垂れて」だが、4273番歌の頭注にあるように、本歌は新甞祭の酒宴に集まった面々の歌の一つ。つまり晴れ着姿。「晴れ着のまま」と同意と考えてよい。
「さあ、皆様方、晴れ着のまま私の庭にいらして下さい。鴬が梅の木伝いに散らす梅の花を見に」という歌である。
左注に「右は大和國守藤原永手(ながて)朝臣の歌」とある。大和國にも守(長官)が置かれていた。
4278 あしひきの山下ひかげかづらける上にやさらに梅をしのはむ
(足日木乃 夜麻之多日影 可豆良家流 宇倍尓也左良尓 梅乎之<努>波牟)
「あしひきの」はお馴染みの枕詞。「ひかげかづら」はヒカゲノカズラ科の常緑シダ植物。地面を這う。「上にやさらに」は「その上さらに」という意味。
「山下に延びるヒカゲノカズラの蔓で頭髪を飾ったばかりなのに、さらに梅を愛でようというわけですか」という歌である。
左注に「右は少納言大伴宿祢家持の歌」とある。
(2017年2月1日記、2019年4月15日)
(袖垂而 伊射吾苑尓 鴬乃 木傳令落 梅花見尓)
「袖垂れて」だが、4273番歌の頭注にあるように、本歌は新甞祭の酒宴に集まった面々の歌の一つ。つまり晴れ着姿。「晴れ着のまま」と同意と考えてよい。
「さあ、皆様方、晴れ着のまま私の庭にいらして下さい。鴬が梅の木伝いに散らす梅の花を見に」という歌である。
左注に「右は大和國守藤原永手(ながて)朝臣の歌」とある。大和國にも守(長官)が置かれていた。
(足日木乃 夜麻之多日影 可豆良家流 宇倍尓也左良尓 梅乎之<努>波牟)
「あしひきの」はお馴染みの枕詞。「ひかげかづら」はヒカゲノカズラ科の常緑シダ植物。地面を這う。「上にやさらに」は「その上さらに」という意味。
「山下に延びるヒカゲノカズラの蔓で頭髪を飾ったばかりなのに、さらに梅を愛でようというわけですか」という歌である。
左注に「右は少納言大伴宿祢家持の歌」とある。
(2017年2月1日記、2019年4月15日)
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