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Channel: 古代史の道
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名句をめぐって

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 前回、私は芭蕉の有名な次の二句。
    古池や 蛙飛び込む 水の音   (松尾芭蕉)
五月雨を 集めて早し 最上川   (松尾芭蕉)
 を取り上げて、二句は共に高名なのはなぜだろう。と疑問を呈した。その際、ヒントとして次の一句を掲げた。
丈六に陽炎高し石の上 (松尾芭蕉)
 両者の差異は単純。前者が独立句として誰にも分かる普遍性を有しているのに対し、後者は独立句としてはさっはり分からない。分からないから、善し悪しの付けようがない。 丈六(じょうろく)は5メートル四方の石の台座の上に、かって立っていた大仏像のことである。伊賀の國の阿波の庄(三重県)の旧跡で、護峰山新大仏寺の光景のこと。
 ここまで書いてやっと分かる一句である。分かってみると、さすが芭蕉句と思われる簡潔な言い回しである。それはそれとして、前者が独立句として誰にも分かる普遍性を有している点がすばらしい。
 石川啄木の短歌の一つにこうある。
   いのちなき砂のかなしさよ
   さらさらと
   握れば指のあひだより落つ
独立句ないし独立歌として、誰にも分かり、誰の胸にもストンと落ちる、いわば普遍性が俳句や短歌の命である。こう思うのは私だけだろうか。深みだのワビだの言い回しだのはその次の問題だ。

    あら華やか紅葉並木の片山社     (桐山芳夫)
           (2019年5月27日)
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