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万葉集読解・・・134(2008~2024番歌)

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     万葉集読解・・・134(2008~2024番歌)
2008  ぬばたまの夜霧に隠り遠くとも妹が伝へは早く告げこそ
      (黒玉 宵霧隠 遠鞆 妹傳 速告与)
 「ぬばたまの」お馴染みの枕詞。「夜霧に隠(かく)り」は「夜霧にこもって」の意。「夜霧にこもって道のりは遠く大変だろうけれど、彼女の伝言は早く伝えてほしい」という歌である。

2009  汝が恋ふる妹の命は飽き足らに袖振る見えつ雲隠るまで
      (汝戀 妹命者 飽足尓 袖振所見都 及雲隠)
 七夕伝説を第三者の立場で詠んだ歌。なので「汝(な)が恋ふる」は牽牛に呼びかけた趣。したがって「妹の命(みこと)は」は織り姫を指す。「飽き足らに」は舌足らずのように見えるが、「飽き足らずに」という意味である。「牽牛よ、あなたが恋する織り姫様はあなたが去っていく様子をいつまでも袖を振って見送っておいでですよ。雲に隠れてあなたが見えなくなってしまうまで」という歌である。

2010  夕星も通ふ天道をいつまでか仰ぎて待たむ月人壮士
      (夕星毛 徃来天道 及何時鹿 仰而将待 月人壮)
 本歌も前歌同様、七夕伝説を第三者の立場で詠んだ歌。夕星(ゆふづつ)は宵の明星と呼ばれる金星のこと。日没後輝き始める。月人壮士(つきひとをとこ)は「お月様」のことだが、ここでは牽牛星を指す。「もう日没し、宵の明星も輝き出しましたよ。いつまで天の川を仰いで舟出を待つつもりですか、牽牛さんよ」という歌である。

2011  天の川い向ひ立ちて恋しらに言だに告げむ妻問ふまでは
      (天漢 已向立而 戀等尓 事谷将告 孋言及者)
 本歌は牽牛の立場から詠んだ歌。「恋しらに」は「恋しくて」、「妻問ふまでは」は「妻の許を訪ねるまでは」という意味である。「天の川の両岸に向かい合って立ち、恋しくてたまらないので、せめて言葉だけでもかけよう。妻に逢う日が来るまでは」という歌である。

2012  白玉の五百つ集ひを解きもみず我は干しかてぬ逢はむ日待つに
      (水良玉 五百都集乎 解毛不見 吾者干可太奴 相日待尓)
 本歌は織り姫の立場から詠んだ歌。「白玉の五百(いほ)つ集(つど)ひを」は直訳すると「白玉がいっぱい集まったものを」となる。真珠を連ねた首飾りのことか?。牽牛から贈られた首飾りと解してもいいだろう。「解きもみず」は「首にかけたまま」である。「干(ほ)しかてぬ」は「涙が乾く暇もありません」という意味である。「白玉がいっぱい連なっている首飾りをかけたまま、私は涙が乾く暇もないほど悲しんで暮らしています。お逢い出来る日が来るのを待って」という歌である。

2013  天の川水蔭草の秋風に靡かふ見れば時は来にけり
      (天漢 水陰草 金風 靡見者 時来之)
 水蔭草(みづかげくさ)は水辺(岸辺)に生える草。「天の川の水辺に生える草々が秋風に靡くのを見ると、いよいよ七夕の季節がやってきたなあ」という歌である。

2014  我が待ちし秋萩咲きぬ今だにもにほひに行かな彼方人に
      (吾等待之 白芽子開奴 今谷毛 尓寶比尓徃奈 越方人邇)
 「今だにも」の「~だにも」の形は2006番歌に出てきたばかりだが、1036番歌に「~帰りだにも~」、1432番歌に「~手折りてだにも~」というように使われている。「~だけでも」とか「~にでも」という意味である。「にほひに」は本来は「染まりに」という意味だが、ここでは現代でも「あなたの色に染まりたい」と唄われることがあるように、「同化したい」つまり「逢いに行く」という意味である。「彼方人(をちかたびと)に」は「向こう岸の彼女に」という意味。
「待ちに待っていた秋萩が咲いて七夕の日を迎えた。一日限りだけれども、向こう岸の彼女に逢いに行こう」という歌である。

2015  我が背子にうら恋ひ居れば天の川夜舟漕ぐなる楫の音聞こゆ
      (吾世子尓 裏戀居者 天<漢> 夜船滂動 梶音所聞)
 「うら恋ひ居れば」は「しきりに恋い焦がれていると」という意味である。「あの人をしきりに恋い焦がれていると、天の川を夜舟を漕いでやってくるあの人の楫(かじ)の音が聞こえてきた」という歌である。

2016  ま日長く恋ふる心ゆ秋風に妹が音聞こゆ紐解き行かな
      (真氣長 戀心自 白風 妹音所聴 紐解徃名)
 「ま日(け)長く」は「幾日も幾日も」ということ。歌意を取るのに厄介な歌である。「ま日長く恋ふる心ゆ秋風に」までは疑問がない。「幾日も幾日も恋い焦がれてきたので、秋風に乗って」という意味である。「妹が音聞こゆ」だが、「岩波大系本」は「妹が音(おと)聞こゆ」と訓じ、「気配が分かる」の意としている。が、「音聞こゆ」なので「気配が聞こえる」というのでは奇異である。気配は「する」であって「聞こえる」ではない。まして「音」ひと文字だけで気配の意味を持たせるのには無理がある。一番厄介なのは結句の「紐解き行かな」。通常「紐を解く」は男女の営みを表現する言葉とされている。ここまではあまり用例がないが、1518番歌に「天の川相向き立ちて我が恋ひし君来ますなり紐解き設けな」とある。
 さて、「妹が音聞こゆ」をどう解釈するにせよ、その直後に「紐解き行かな」とは何だろう。まさか「彼女を抱きにいこう」では唐突過ぎてぴんと来ない。各書とも「紐解き行かな」は牽牛の行為としている。が、それでは唐突すぎるうえに、これから舟に乗って織り姫のところに向かおうという男が着物の紐を解いて乗り込むなんてことは考えられない。私には紐解きまでが彼女の行為で、「行かな」だけが、牽牛の意志と見える。「幾日も幾日も恋い焦がれてきたので、秋風に乗って、私を待って彼女が紐を解く音が聞こえるような気がする。さあ、出発しよう」という歌である。

2017  恋ひしくは日長きものを今だにも乏しむべしや逢ふべき夜だに
      (戀敷者 氣長物乎 今谷 乏之牟可哉 可相夜谷)
 前歌の歌意は「岩波大系本」等によると奇異に思われたが、前歌に続いて本歌も奇異な解釈がなされている。代表例として「岩波大系本」の歌意を紹介すると次のとおりである。
「恋しく思ったのは長い間であったのに、せめて今だけでも、もの足りなく思わせるべきでしょうか。お逢い出来る夜だけでも」
 いかがだろう。「せめて今だけでも、もの足りなく思わせるべきでしょうか。」とは何だろう。相手に対し「いっぱいサービスしますね」といっているようで、嫌みにさえ感じられる解釈ではないか。お互いに恋しあってきて、やっと一年一度の逢う瀬を迎えた二人の心情を詠った歌の筈なのに・・・。「乏(とも)しむべしや」は「もの足りなく思わせる」ではなく、反語表現で、全く逆の意味「もの足りなく思うべきでしょうか」なのである。「幾日も幾日も恋い焦がれてきたのだもの。今宵一日だけでも大切に思わなければ、せっかく逢える夜ですもの」という歌である。私にはこうとしか解釈出来ない。

2018  天の川去年の渡りで移ろへば川瀬を踏むに夜ぞ更けにける
      (天漢 去歳渡代 遷閇者 河瀬於踏 夜深去来)
 「去年(こぞ)の渡りで」は「去年あった渡り場」、「移ろへば」は「移っていて」という意味。「去年あった天の川の渡り場が移ってしまっていて、川瀬を探している内に世が更けてしまいました」という歌である。

2019  いにしへゆ挙げてし服も顧みず天の川津に年ぞ経にける
      (自古 擧而之服 不顧 天河津尓 年序經去来)
 「いにしへゆ挙げてし服も」は「ずっと昔から機を織り続けてきた天職も」という意味である。「ずっと昔から機を織り続けてきた天職も顧みず、天の川の川瀬であの人を待っている内に、一年が経ってしまいました」という歌である。

2020  天の川夜船を漕ぎて明けぬとも逢はむと思ふ夜袖交へずあらむ
      (天漢 夜船滂而 雖明 将相等念夜 袖易受将有)
 結句の「袖交へずあらむ」は2017番歌の「乏しむべしや」同様、反語表現。「袖交わさずにおくものか」である。「天の川に夜船を漕いでいる内に、期限の夜明けが迫ってきた。たとえ夜が明けても彼女に逢って袖を交わさずにおくものか」という歌である。

2021  遠妻と手枕交へてさ寝る夜は鶏よな鳴きそ明けば明けぬとも
      (遥嫨等 手枕易 寐夜 鶏音莫動 明者雖明)
 遠妻はむろん織り姫のこと。「な鳴きそ」は「な~そ」の禁止形。「遠妻と手枕を交わして寝る夜は、鶏よ、鳴くな、鳴かないでおくれ、たとえ夜があけたからといって」という歌である。

2022  相見らく飽き足らねども稲の目の明けさりにけり舟出せむ妻
      (相見久 猒雖不足 稲目 明去来理 舟出為牟孋)
 「稲の目の」は枕詞説もあるが、用例は本歌のみ。さりとて定説不在。私は「稲穂に光り射し」と解しておきたい。妻の織り姫に別れを促す歌。「せっかく逢ったのに名残惜しい。けれども稲穂に光が射し込んできて夜が明けてきた。さあ妻よ、私は舟に乗り込んで帰らねばならない」という歌である。

2023  さ寝そめていくだもあらねば白栲の帯乞ふべしや恋も過ぎねば
      (左尼始而 何太毛不在者 白栲 帶可乞哉 戀毛不<過>者)
 字面どおりそのまま解しようとしても歌意がすんなり通らない。前歌と同様の状況下の歌だと考えると分かりやすい。キーワードは「帯乞ふべしや」。「さあ妻よ、私は舟に乗り込んで帰らねばならない。帰り支度をするから帯をとって頂戴」という状況下の歌。「一緒に寝てからまだ幾ばくも経っていないのに、もう白帯をお締めになるんですか。恋心が尽きないままに」という歌である。

2024  万代にたづさはり居て相見とも思ひ過ぐべき恋にあらなくに
      (万世 携手居而 相見鞆 念可過 戀尓有莫國)
 結句「恋にあらなくに」をまともに「恋ではありませんのに」と解すると別れ話を持ち出された恨み言のようになって、妙な歌になりかねない。「たづさはり居て相見とも」とあるように、本歌はお互いの愛の絆を確認する歌としないと歌意が通らない。「私たち二人は幾万年にもわたって手に手を取り合って、逢い続けている仲であって、いっときで過ぎ去っていく恋仲ではありません」という歌である。
           (2015年1月15日記)
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