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万葉集読解・・・142(2158~2175番歌)

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     万葉集読解・・・142(2158~2175番歌)
2158  秋風の寒く吹くなへ我が宿の浅茅が本にこほろぎ鳴くも
      (秋風之 寒吹奈倍 吾屋前之 淺茅之本尓 蟋蟀鳴毛)
 蟋蟀(こほろぎ)を詠んだ歌。
 「吹くなへ」の「なへ」は「~とともに」、「我が宿の」は「我が家の庭の」、「浅茅(あさじ)」は「たけの低い茅菅(ちがや)」のことである。「寒い秋風が吹く中、我が家の庭に生えている浅茅の根元でコオロギが鳴いている」という歌である。

2159  蔭草の生ひたる宿の夕影に鳴くこほろぎは聞けど飽かぬかも
      (影草乃 生有屋外之 暮陰尓 鳴蟋蟀者 雖聞不足可聞)
 蔭草(かげくさ)は他に594番歌「我がやどの夕蔭草の白露の~」及び2013番歌「天の川水蔭草の秋風に靡かふ~」の二例しかないのではっきりしない。が、「水蔭草」と使われていることからすると、前歌にある浅茅のような草のことかと思われる。「夕影に」は夕方の光で影になっている場所。「夕影になった庭に生えている蔭草で鳴いているコオロギの声を聞いていると、飽きないなあ」という歌である。

2160  庭草に村雨降りてこほろぎの鳴く声聞けば秋づきにけり
      (庭草尓 村雨落而 蟋蟀之 鳴音聞者 秋付尓家里)
 村雨は激しいにわか雨のこと。「庭の草に激しいにわか雨が降り注ぎ、コオロギの鳴く声を耳にすると、すっかり秋めいてきたのを覚える」という歌である。

2161  み吉野の岩もとさらず鳴くかはづうべも鳴きけり川をさやけみ
      (三吉野乃 石本不避 鳴川津 諾文鳴来 河乎浄)
 2161~2165番歌は蝦(かはづ)を詠んだ歌。
 み吉野は吉野川のことだと即座に分かるが、「岩もとさらず」がやや悩ましい。「~さらず」はこれまで1057番歌「~朝去らず」、1372番歌「~夕去らず」等に出てきたが、毎朝、毎夕といった「毎」の意と解してよさそうに見える。が、本歌の場合、そう解すると「吉野川の岩という岩の影に」という意味になってしまう。つまり「岩陰にはどこも蛙がいる」という一般現象を詠ったことになる。これでは歌にならない。少なくとも平板このうえない叙述歌(散文歌)になってしまう。となると、「さらず」は「毎」の「さらず」ではあるまい。そこで、「さらず」は「去らず」で蛙のことをいっていると分かる。が、それでも叙述歌っぽさは残る。そこで歌意を取るには結句の「川をさやけみ」(川が清らかなので)を意識しなければならない。「吉野川のここ清らかな岩場の蔭で蛙が動かずじっとして鳴いているのはもっともだ。このあたりの流れが清らかなのだから」という歌である。

2162  神なびの山下響み行く水にかはづ鳴くなり秋と言はむとや
      (神名火之 山下動 去水丹 川津鳴成 秋登将云鳥屋)
 「神なびの山」は「神々しい山」という意味だが、具体的な山名は不記載なので不明。神聖な山とされる奈良県桜井市の三輪山と説く向きもあるが、不明。山下は山の麓。「神々しい山の麓を音を鳴り響かせながら流れ下る音に混じって蛙が鳴いている。まるで秋がやってきたと告げるように」という歌である。

2163  草枕旅に物思ひ我が聞けば夕かたまけて鳴くかはづかも
      (草枕 客尓物念 吾聞者 夕片設而 鳴川津可聞)
 「草枕」はお馴染みの枕詞。「かたまけて」は838番歌に「梅の花散り乱ひたる岡びには鴬鳴くも春かたまけて」とあるように「~になって」という意味である。「旅にあって物思いに耽っていると、夕方に鳴く蛙の声が聞こえてきた」という歌である。

2164  瀬を早み落ちたぎちたる白波にかはづ鳴くなり朝夕ごとに
      (瀬呼速見 落當知足 白浪尓 <河>津鳴奈里 朝夕毎)
 「瀬を早み」の「み」は「~なので」の「み」。「川の瀬の流れが早いので、落下してたぎりたつ白波。そのそばで毎朝、毎夕、蛙が鳴いている」という歌である。

2165  上つ瀬にかはづ妻呼ぶ夕されば衣手寒み妻まかむとか
      (上瀬尓 河津妻呼 暮去者 衣手寒三 妻将枕跡香)
 「衣手(ころもで)寒み」の「み」は前歌の「み」と同意。「まかむ」は「手枕にしよう」ということだが、要するに「共寝しよう」という意味である。「上流の瀬で蛙が盛んに妻問いの声を発して鳴いている。そして夕方になれば、衣手が寒いので妻と共寝しようとばかりの声で鳴く」という歌である。

2166  妹が手を取石の池の波の間ゆ鳥が音異に鳴く秋過ぎぬらし
      (妹手呼 取石池之 浪間従 鳥音異鳴 秋過良之)
 鳥を詠んだ歌。
 「取石(とろし)の池」は大阪府泉北郡高石町・取石村(現高石市)にあったとされる大池。第四句「鳥が音異(け)に鳴く」は字余りになっている。意味に変わりはないのでこのままでもいいが、私はここは「異に鳴く鳥音(とりね)」と訓じた方がいいように思う。「妻の手を取るというのではないが、取石の池の波の間から異様に鳴く鳥の声がする。秋は過ぎ去ったようだ」という歌である。雁が渡っていく季節だとすると本歌の鳥は雁の事かも知れない。

2167  秋の野の尾花が末に鳴くもずの声聞きけむか片聞け我妹
      (秋野之 草花我末 鳴百舌鳥 音聞濫香 片聞吾妹)
 尾花はススキの穂。結句「片聞け我妹(わぎも)」の「片聞け」は耳慣れない言葉である。全万葉集歌中でも用例は本歌のみである。片は片思いや片寄るのように一方的にという意味が普通である。が、中途半端とか不十分という意味もある。前者の意に解すると「よく聞いてごらん」という意味になり、後者の意に解すると「中途半端にしか聞かない」という意味になる。後者の場合は「片聞け」ではなく「片聞く」という形容句に訓ずるのがいいことになる。いずれが的確だろうか。キーワードは第四句「声聞きけむか」。これは通常疑問句。なので「声が聞こえるかい。よく聞いてごらん」という風に解するのが自然である。疑問句ではなく推量句と解すると訓は「声聞くらむか」となり、「声が聞こえる。妻よ君も聞いてるだろうか」というのが歌意となる。私は推量なら「~か」の「か」は不用で「~む」が普通だと思うので疑問句と解したい。「秋の野に生える尾花の末(うれ)にとまってモズが鳴いている。君にもその鳴き声が聞こえるだろうか。よく聞いてごらん」という歌である。

2168  秋萩に置ける白露朝な朝な玉としぞ見る置ける白露
      (冷芽子丹 置白霧 朝々 珠年曽見流 置白霧)
 2168~2176番歌は露を詠んだ歌。
 「玉としぞ見る」を各書とも一様にそのままたんに「玉と見る」と解している。白露は大方ご承知のように玉の形をしている。それを歌にしてあらためて「玉の形をしている」と詠みこんで何の興があろう。平板そのもので歌にさえなっていないと私には映ずるがいかがだろう。ではなく、本歌にいう玉は「白玉」すなわち真珠のことに相違ない。白玉の白を省いて玉としたのは白露、白露と白露が繰り返されるので玉とだけ表記したに相違ない。玉を真珠と解することによって、本歌は素晴らしい白露賛歌の歌と早変わりするのである。「秋萩に降りた白露は真珠のように美しい。毎朝毎朝真珠が置かれたかとばかりに輝く美しい白露」という歌である。

2169  夕立ちの雨降るごとに [一云 うち降れば] 春日野の尾花が上の白露思ほゆ
      (暮立之 雨落毎 [一云 打零者] 春日野之 尾花之上乃 白露所念)
 読解不要の平明歌といってよかろう。「夕立に見舞われるたびに(異伝では「見舞われれると」)春日野の尾花に降りた白露が想起される」という歌である。

2170  秋萩の枝もとををに露霜置き寒くも時はなりにけるかも
      (秋芽子之 枝毛十尾丹 露霜置 寒毛時者 成尓家類可聞)
 「枝もとををに」は1595番歌に「秋萩の枝もとををに置く露の~」とあるように「枝がたわむほど」という意味である。「萩の枝がたわむほど萩に露霜が降りるようになった。寒い寒い季節がやってきたのだなあ」という歌である。

2171  白露と秋萩とには恋ひ乱れ別くことかたき我が心かも
      (白露 与秋芽子者 戀乱 別事難 吾情可聞)
 「別(わ)くことかたき」は「両者の優劣など区別し難い」という意味である。「白露にも秋萩にも心惹かれ、私には両者の優劣など区別し難い」という歌である。

2172  我が宿の尾花押しなべ置く露に手触れ我妹子散らまくも見む
      (吾屋戸之 麻花押靡 置露尓 手觸吾妹兒 落巻毛将見)
 「我が宿の」は「我が家の庭の」、「尾花押しなべ」は「ススキの穂がたわむほど」という意味である。妻に呼びかけた歌。「庭のススキがたわむほどぴっしりついた露。妻よ、それに触ってみてくれないか。露がこぼれ落ちるのを見てみたいから」という歌である。

2173  白露を取らば消ぬべしいざ子ども露に競ひて萩の遊びせむ
      (白露乎 取者可消 去来子等 露尓争而 芽子之遊将為)
 本歌は順序を逆にして、先ず歌意を示してみよう。「白露を取ろうとすると消えてしまうだろう。さあ、皆の衆、露と競って萩を見に行こうではないか」という歌である。正直、よく分からない歌である。前半部と後半部に何の関連があるのだろう。「いざ子ども」は「皆の衆」という意味だが、「白露が消える」ことと「萩見に出かける」こととどうつながるのか分からないのである。「露が残っている間に早々と、さあ」という意味だろうか。それとも「白露は手で払えば消え失せるから、さあ」という意味だろうか。第四句の「露に競(きほ)ひて」が気になって決定しがたい。それとも、あっさり「露など気にせず、さあ」という意味だろうか。適解は読者各位に委ねるしかない。

2174  秋田刈る刈廬を作り我が居れば衣手寒く露ぞ置きにける
      (秋田苅 借廬乎作 吾居者 衣手寒 露置尓家留)
 刈廬(かりほ)は仮小屋のこと。「秋の田で刈り入れを行うために仮小屋を作って屋内で待機しているが、衣手していても寒く、露も降りてきた」という歌である。

2175  このころの秋風寒し萩の花散らす白露置きにけらしも
      (日来之 秋風寒 芽子之花 令散白露 置尓来下)
 平明歌。「このごろの秋風は寒い。萩の花は散らしてしまうし、白露も降りてきた」という歌である。
           (2015年2月18日記)
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