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Channel: 古代史の道
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世界の中心

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 Oヘンリーの「最後のひと葉」(The Last Leaf)を読んでいて、ふっと思ったことがある。作品の内容とは無関係のことだが「世界の中心」ということである。同作品はOヘンリーの代表作中の代表作。紹介不要だろうが、念のために寸描しておくと、「重病下の娘が窓外の蔦の葉を眺めて暮らし、最後のひと葉が落ちたら自分の命も尽きると覚悟する。次第に散って、最後のひと葉になった。が、朝目覚めると、強風でとっくに散った筈の葉は残っていた。娘は死にとりつかれた自分を反省し、急速に立ち直った。後でそのひと葉は老画家が彼女のために描いたものと知らされる」という物語である。
 作品の舞台はワシントンスクエアの西地区。フランスのモンマルトルを彷彿させる芸術家たちの集まる所。大部分の芸術家たちは不遇のまま一生を送り、この世から消えていく。ゴッホ、マチス、ルノワール等々名をなした人物はほんの一握り。「最後のひと葉」に登場する老画家は終生の傑作を夢見たまま、蔦の葉一枚の画を残して生涯を閉じる。それを傑作と呼んで物語を閉じるOヘンリーの目は温かく、印象的である。
 大部分が不遇のまま死を迎えると知りながら、なぜ芸術家たちは清貧と窮乏に苦しみながら集まるのか。思うに、世界の中心に自分を据えているからではなかろうか。人は誰も自分以外の人間にはなれず、好むと好まざるとに関わらず、自分を世界の中心に据えたまま生涯を送らざるを得ない。とりわけ芸術家にその傾向が強く、決して模倣を肯んじ得ない。模倣に甘んじたら、その瞬間、彼は芸術を放棄したことになる。独創こそが彼らの生命であり、いつかは他の追随を許さない傑作を生みださんとして呻吟苦闘しているに相違ない。世界はいつも自分が中心であり、私たちはそれをとがめることは出来ない。なぜかなら、脇に甘んじないことこそが彼らの存在意義だからである。栄光に埋もれていく生涯。そこにはどこか惹かれてやまない魅力が漂っている。
            (2015年2月19日)
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