巻9~12メニュー へ
そ の 159 へ
万葉集読解・・・158(2461~2478番歌)
2461 山の端を追ふ三日月のはつはつに妹をぞ見つる恋ほしきまでに
(山葉 追出月 端々 妹見鶴 及戀)
「はつはつ」は1306番歌や2411番歌に詠われていたように、「ちらりと見かける」ことである。「山の端を追ふ」は「山の端に近づく」すなわち「山の端にかかって沈まんとする」という意味に相違ない。「山の端にかかって沈まんとする三日月のようにちらりと彼女を見ただけなのに、恋しさが募ってならない」という歌である。
そ の 159 へ
万葉集読解・・・158(2461~2478番歌)
2461 山の端を追ふ三日月のはつはつに妹をぞ見つる恋ほしきまでに
(山葉 追出月 端々 妹見鶴 及戀)
「はつはつ」は1306番歌や2411番歌に詠われていたように、「ちらりと見かける」ことである。「山の端を追ふ」は「山の端に近づく」すなわち「山の端にかかって沈まんとする」という意味に相違ない。「山の端にかかって沈まんとする三日月のようにちらりと彼女を見ただけなのに、恋しさが募ってならない」という歌である。
2462 我妹子し我れを思はばまそ鏡照り出づる月の影に見え来ね
(我妹 吾矣念者 真鏡 照出月 影所見来)
「我妹子し」の「し」は強調ないし呼びかけの「し」、「まそ鏡」は枕詞。「月の影に見え来ね」は「月面に面影として見えてきてほしい」という意味である。「ああ私の彼女、この私を思っていてくれるならこうこうと照り輝く月面に面影として浮かび出てきて欲しい」という歌である。
(我妹 吾矣念者 真鏡 照出月 影所見来)
「我妹子し」の「し」は強調ないし呼びかけの「し」、「まそ鏡」は枕詞。「月の影に見え来ね」は「月面に面影として見えてきてほしい」という意味である。「ああ私の彼女、この私を思っていてくれるならこうこうと照り輝く月面に面影として浮かび出てきて欲しい」という歌である。
2463 久方の天照る月の隠りなば何になそへて妹を偲はむ
(久方 天光月 隠去 何名副 妹偲)
「久方の」はお馴染みの枕詞。「なそへて」は「なぞらえて」。「天空を照らす月が没してしまったら何になぞらえて彼女をしのんだらいいのだろう」という歌である。
(久方 天光月 隠去 何名副 妹偲)
「久方の」はお馴染みの枕詞。「なそへて」は「なぞらえて」。「天空を照らす月が没してしまったら何になぞらえて彼女をしのんだらいいのだろう」という歌である。
2464 三日月の清にも見えず雲隠り見まくぞ欲しきうたてこのころ
(若月 清不見 雲隠 見欲 宇多手比日)
上三句は比喩。「清(さや)にも見えず」は「はっきりみえない」という意味。結句の「うたてこのころ」は1889番歌に詠われていたが、「この頃ますます」という意味である。「このごろ、三日月が雲に隠れてしまったようにあの人の消息が分からない。しきりに逢いたくてたまらない」という歌である。
(若月 清不見 雲隠 見欲 宇多手比日)
上三句は比喩。「清(さや)にも見えず」は「はっきりみえない」という意味。結句の「うたてこのころ」は1889番歌に詠われていたが、「この頃ますます」という意味である。「このごろ、三日月が雲に隠れてしまったようにあの人の消息が分からない。しきりに逢いたくてたまらない」という歌である。
2465 我が背子に我が恋ひ居れば我が宿の草さへ思ひうらぶれにけり
(我背兒尓 吾戀居者 吾屋戸之 草佐倍思 浦乾来)
「我が宿の」は「我が庭の」という意味。平明歌。「あの人に恋い焦がれてしょんぼりしていると、庭の草までもしょんぼりしている」という歌である。
(我背兒尓 吾戀居者 吾屋戸之 草佐倍思 浦乾来)
「我が宿の」は「我が庭の」という意味。平明歌。「あの人に恋い焦がれてしょんぼりしていると、庭の草までもしょんぼりしている」という歌である。
2466 浅茅原小野に標結ふ空言をいかなりと言ひて君をし待たむ
(朝茅原 小野印 <空>事 何在云 公待)
浅茅(あさぢ)は丈の低い茅(かや)。「標(しめ)結ふ」は松の木とか岩とか本来しっかりした物にしめ縄を張って囲い込むことだが、浅茅は草なので張ったことにならない。空言(むなこと)の比喩に使われている。「小野に生えている浅茅原に標を張るというに等しいあなたのそらごとを、人にどう説明して待っていたらいいのでしょう」という歌である。
(朝茅原 小野印 <空>事 何在云 公待)
浅茅(あさぢ)は丈の低い茅(かや)。「標(しめ)結ふ」は松の木とか岩とか本来しっかりした物にしめ縄を張って囲い込むことだが、浅茅は草なので張ったことにならない。空言(むなこと)の比喩に使われている。「小野に生えている浅茅原に標を張るというに等しいあなたのそらごとを、人にどう説明して待っていたらいいのでしょう」という歌である。
2467 道の辺の草深百合の後にとふ妹が命を我れ知らめやも
(路邊 草深百合之 後云 妹命 我知)
第三句「後にとふ」(原文「後云」)であるが、誰が見ても「後(のち)にとふ」としか読めない。後は後(のち)と読むのが通例で、たとえば959番歌「~明日ゆ後には(原文「後尓波」)~」、1895番歌「~後にも逢はむ(原文「後相」)~」等々多くの例がある。そして本歌もすなおに「後(のち)にとふ」と読む論者もいる。が、不思議なことに私の手元にある4書は一つの例外もなく「後」に「ゆり」と仮名をふっている。奇異な読みだが、不思議なことにどの書もなぜ「後」を「ゆり」と読むのか(あるいは読めるのか)何の説明もない。2457番歌の際にも「大野らに」の「ら」の説明がないのを不満としたが、本歌の「ゆり」も同様だ。なぜ肝心なことに言及しないのか不可解。
さて「ゆり」だが、「後(のち)に」という意味で「ゆり」が使用されている例は本歌以外に5例ある。先ず1503番歌に「我妹子が家の垣内のさ百合花ゆりと言へるはいなと言ふに似る」とある。「ゆりと言へるは」の原文は「由利登云者」ではっきり「由利」と記されている。他の4例(4087番歌、4088番歌、4113番長歌及び4115番歌)はすべて「さ百合花ゆりも逢はむと」という用例でその原文は「左由理花 由利母安波無等」となっている。
以上で、お分かりのように、本歌以外の5例はすべて原文が「由利」となっていて、「ゆり」でまぎれようがない。これから類推して本歌の「後云」を「後(ゆり)にとふ」と訓じたものに相違ない。これで万事解決といきたいが、不審も残る。万葉集成立時の読者が接するのはすべて漢字ばかりの原文。「後にとふ」を「後(ゆり)にとふ」と読ませたいなら、なぜ作者は「由利登云」としないで「後云」としたのだろう。「後云」はやはり「後(のち)にとふ」と普通に読むのがよく、「ゆりにとふ」とはニュアンスに差があった可能性もある。これが私の結論。
すっかり「ゆり」に手間どってしまったが、「道の辺の深い茂みに隠れている百合のように、後ほど返事しますわと彼女はいうけれど、いつになるやら、いつまで待てばいいのだろう」という歌である。
(路邊 草深百合之 後云 妹命 我知)
第三句「後にとふ」(原文「後云」)であるが、誰が見ても「後(のち)にとふ」としか読めない。後は後(のち)と読むのが通例で、たとえば959番歌「~明日ゆ後には(原文「後尓波」)~」、1895番歌「~後にも逢はむ(原文「後相」)~」等々多くの例がある。そして本歌もすなおに「後(のち)にとふ」と読む論者もいる。が、不思議なことに私の手元にある4書は一つの例外もなく「後」に「ゆり」と仮名をふっている。奇異な読みだが、不思議なことにどの書もなぜ「後」を「ゆり」と読むのか(あるいは読めるのか)何の説明もない。2457番歌の際にも「大野らに」の「ら」の説明がないのを不満としたが、本歌の「ゆり」も同様だ。なぜ肝心なことに言及しないのか不可解。
さて「ゆり」だが、「後(のち)に」という意味で「ゆり」が使用されている例は本歌以外に5例ある。先ず1503番歌に「我妹子が家の垣内のさ百合花ゆりと言へるはいなと言ふに似る」とある。「ゆりと言へるは」の原文は「由利登云者」ではっきり「由利」と記されている。他の4例(4087番歌、4088番歌、4113番長歌及び4115番歌)はすべて「さ百合花ゆりも逢はむと」という用例でその原文は「左由理花 由利母安波無等」となっている。
以上で、お分かりのように、本歌以外の5例はすべて原文が「由利」となっていて、「ゆり」でまぎれようがない。これから類推して本歌の「後云」を「後(ゆり)にとふ」と訓じたものに相違ない。これで万事解決といきたいが、不審も残る。万葉集成立時の読者が接するのはすべて漢字ばかりの原文。「後にとふ」を「後(ゆり)にとふ」と読ませたいなら、なぜ作者は「由利登云」としないで「後云」としたのだろう。「後云」はやはり「後(のち)にとふ」と普通に読むのがよく、「ゆりにとふ」とはニュアンスに差があった可能性もある。これが私の結論。
すっかり「ゆり」に手間どってしまったが、「道の辺の深い茂みに隠れている百合のように、後ほど返事しますわと彼女はいうけれど、いつになるやら、いつまで待てばいいのだろう」という歌である。
2468 港葦に交じれる草の知草の人皆知りぬ我が下思ひは
(湖葦 交在草 知草 人皆知 吾裏念)
港葦の原文は「湖葦」。「湖」がなぜ「港」と読めるのか。これも前歌の「後(ゆり)」同様、うるさくいえば疑問なしとしない。が、「湖」を「港」のことととっていい例は274番歌「我が舟は比良の港に漕ぎ泊てむ~」の該当部分の原文が「枚乃湖尓」となっている等いくつか例があるので問題ない。知草(しりくさ)はどんな草か不詳。「港に生えている葦に混じって生えている知草ではないが、密かに恋い慕うわが心をいつのまにか人が皆知るところとなってしまった」という歌である。
(湖葦 交在草 知草 人皆知 吾裏念)
港葦の原文は「湖葦」。「湖」がなぜ「港」と読めるのか。これも前歌の「後(ゆり)」同様、うるさくいえば疑問なしとしない。が、「湖」を「港」のことととっていい例は274番歌「我が舟は比良の港に漕ぎ泊てむ~」の該当部分の原文が「枚乃湖尓」となっている等いくつか例があるので問題ない。知草(しりくさ)はどんな草か不詳。「港に生えている葦に混じって生えている知草ではないが、密かに恋い慕うわが心をいつのまにか人が皆知るところとなってしまった」という歌である。
2469 山ぢさの白露重みうらぶれて心も深く我が恋やまず
(山萵苣 白露重 浦經 心深 吾戀不止)
山ぢさはエゴノキ科の落葉高木。「山ぢさの葉が白露の重みでうなだれているが、私の心もすっかりしょげている。けれども恋い焦がれる気持ちは一向に止まない」という歌である。
(山萵苣 白露重 浦經 心深 吾戀不止)
山ぢさはエゴノキ科の落葉高木。「山ぢさの葉が白露の重みでうなだれているが、私の心もすっかりしょげている。けれども恋い焦がれる気持ちは一向に止まない」という歌である。
2470 港にさ根延ふ小菅しのびずて君に恋ひつつありかてぬかも
(湖 核延子菅 不竊隠 公戀乍 有不勝鴨)
「さ根延(は)ふ」の「さ」は強意等に使用される接頭語。「さ霧」、「さ百合」等々。「しのびずて」は「隠れてじっとしていることが出来なくて」という意味である。「ありかてぬかも」は「そのままじっとできない」すなわち「いてもたってもいられない」ということ。「港に密かに根を伸ばす小菅のように隠れてじっとしていることが出来なくて、あなたに恋い焦がれて、いてもたってもいられません」という歌である。
(湖 核延子菅 不竊隠 公戀乍 有不勝鴨)
「さ根延(は)ふ」の「さ」は強意等に使用される接頭語。「さ霧」、「さ百合」等々。「しのびずて」は「隠れてじっとしていることが出来なくて」という意味である。「ありかてぬかも」は「そのままじっとできない」すなわち「いてもたってもいられない」ということ。「港に密かに根を伸ばす小菅のように隠れてじっとしていることが出来なくて、あなたに恋い焦がれて、いてもたってもいられません」という歌である。
2471 山背の泉の小菅なみなみに妹が心を我が思はなくに
(山代 泉小菅 凡浪 妹心 吾不念)
「山背(やましろ)の泉」は京都の泉地区という地名ととってもいいが、ここでは特定化しなくともよかろう。「なみなみに」は凡浪(原文)とあるので分かるように、「並みに」という意味。「山背の泉に生える小菅が風を受けて波打っている。そんな小波ほどにしか彼女のことを思っているわけではないのに」という歌である。
(山代 泉小菅 凡浪 妹心 吾不念)
「山背(やましろ)の泉」は京都の泉地区という地名ととってもいいが、ここでは特定化しなくともよかろう。「なみなみに」は凡浪(原文)とあるので分かるように、「並みに」という意味。「山背の泉に生える小菅が風を受けて波打っている。そんな小波ほどにしか彼女のことを思っているわけではないのに」という歌である。
2472 見わたしの三室の山の巌菅ねもころ我れは片思ぞする [一云 三諸の山の岩小菅]
(見渡 三室山 石穂菅 惻隠吾 片念為 [一云 三諸山之 石小菅])
「巌菅(いはほすげ)」は異伝にある「岩小菅」のこと。前々歌の「さ根延ふ小菅」参照。「見渡しの先に見える三室の山の岩の根元に生える小菅、その小菅のように密かに私は片思いをしています」という歌である。異伝歌の方は「三室の山」が「三諸の山」となっているだけで本歌と同意。
(見渡 三室山 石穂菅 惻隠吾 片念為 [一云 三諸山之 石小菅])
「巌菅(いはほすげ)」は異伝にある「岩小菅」のこと。前々歌の「さ根延ふ小菅」参照。「見渡しの先に見える三室の山の岩の根元に生える小菅、その小菅のように密かに私は片思いをしています」という歌である。異伝歌の方は「三室の山」が「三諸の山」となっているだけで本歌と同意。
2473 菅の根のねもころ君が結びてし我が紐の緒を解く人もなし
(菅根 惻隠君 結為 我紐緒 解人不有)
読解不要の平明歌。「菅の根のようにあなたがしっかり結んで下さった着物の紐。その紐を解く人はあなた以外にありませんわ」という歌である。
(菅根 惻隠君 結為 我紐緒 解人不有)
読解不要の平明歌。「菅の根のようにあなたがしっかり結んで下さった着物の紐。その紐を解く人はあなた以外にありませんわ」という歌である。
2474 山菅の乱れ恋のみせしめつつ逢はぬ妹かも年は経につつ
(山菅 乱戀耳 令為乍 不相妹鴨 年經乍)
(我屋戸 甍子太草 雖生 戀忘草 見未生)
しだ草は羊歯(シダ)類の一種かと目される。「庭の軒下には、しだ草は生えてきたけれど恋忘れ草の方は見ても見てもいまだに生えてこない」という歌である。むろん、失恋の歌である。
(山菅 乱戀耳 令為乍 不相妹鴨 年經乍)
「山菅の乱れ恋のみ」は「山菅の根のように入り乱れた恋心のみ」の省略形表現。「山菅の根のように入り乱れた恋心を起こさせておきながら彼女は逢ってくれない、年月は過ぎていくのに」という歌である。
2475 我が宿の軒にしだ草生ひたれど恋忘れ草見れどいまだ生ひず(我屋戸 甍子太草 雖生 戀忘草 見未生)
しだ草は羊歯(シダ)類の一種かと目される。「庭の軒下には、しだ草は生えてきたけれど恋忘れ草の方は見ても見てもいまだに生えてこない」という歌である。むろん、失恋の歌である。
2476 打つ田には稗はしあまたありといへど選えし我れぞ夜をひとり寝る
(打田 稗數多 雖有 擇為我 夜一人宿)
「打つ田」は「耕した田」、「稗はし」の「し」は強調の「し」。稗は米の食べられない庶民が米の代替に食べた粗末な食物。自虐的な響きのある歌である。「耕す田には捨て去る稗がまだ数多く残っている。その稗さえ残っているのに、よりにもよってこの私が捨てられ、一人寝をしなければならない」という歌である。
(打田 稗數多 雖有 擇為我 夜一人宿)
「打つ田」は「耕した田」、「稗はし」の「し」は強調の「し」。稗は米の食べられない庶民が米の代替に食べた粗末な食物。自虐的な響きのある歌である。「耕す田には捨て去る稗がまだ数多く残っている。その稗さえ残っているのに、よりにもよってこの私が捨てられ、一人寝をしなければならない」という歌である。
2477 あしひきの名負ふ山菅押し伏せて君し結ばば逢はずあらめやも
(足引 名負山菅 押伏 君結 不相有哉)
「あしひきの」はお馴染みの枕詞。「あしひきの名を負っている山の菅」とは、ややもってまわった序歌だが、「その山菅を押し伏せるように」と言いたいだけの比喩的序歌。「山菅を押し伏せるように強く結ばれたいとおっしゃるなら逢わずにおくことなどありましょうか」という歌である。
(足引 名負山菅 押伏 君結 不相有哉)
「あしひきの」はお馴染みの枕詞。「あしひきの名を負っている山の菅」とは、ややもってまわった序歌だが、「その山菅を押し伏せるように」と言いたいだけの比喩的序歌。「山菅を押し伏せるように強く結ばれたいとおっしゃるなら逢わずにおくことなどありましょうか」という歌である。
2478 秋柏潤和川辺の小竹の芽の人には忍び君に堪へなくに
(秋柏 潤和川邊 細竹目 人不顏面 <公无>勝)
「秋柏」は枕詞とする説もあるが、本歌ただ一例のみ。枕詞(?)である。潤和川(うるわかは)は川の名と目されるが不詳。ただ、「露に潤んだ」の意で、川辺は普通名詞ともとれる。小竹(しの)は篠のことで、笹の類。「秋の柏が露に潤みその脇を流れる川辺の笹、その芽のようにひっそりと人には覚られないようにすることができますが、あなたの前では耐えられなくて人に覚られてしまいそうです」という歌である。
(2015年5月1日記)
![イメージ 1]()
(秋柏 潤和川邊 細竹目 人不顏面 <公无>勝)
「秋柏」は枕詞とする説もあるが、本歌ただ一例のみ。枕詞(?)である。潤和川(うるわかは)は川の名と目されるが不詳。ただ、「露に潤んだ」の意で、川辺は普通名詞ともとれる。小竹(しの)は篠のことで、笹の類。「秋の柏が露に潤みその脇を流れる川辺の笹、その芽のようにひっそりと人には覚られないようにすることができますが、あなたの前では耐えられなくて人に覚られてしまいそうです」という歌である。
(2015年5月1日記)